■タルコフスキーの「ノスタルジア」を観ながら
つらづらと。
ジョン・ライドンは「ロックは死んだ」と言って、パンクを通過し、さらにパブリック・イメージ・リミテッドでロックの解体・手術に専心する。
その末。
我々が託したはずのニュー・ウエイヴすらが破綻を迎える86年。
坂本龍一やビル・ラズウェルらとの作品「アルバム」で、ロックに輪廻転生・回帰していく。
時の流れなるものは不思議なものである。
ブライアン・イーノも、80年代の頭には、これ以上(当時の)ロックには拡張性は無い・むしろロックよりもお寿司の方が興味がある位だ、とバッサリ。
ロックへの嫌悪感をあらわにする。
沈黙と静寂の世界にしか、ドリーミーなものは潜んでいないと言う。
そうしてロックを拒否してきたイーノが、イーノ信者のU2のボノの説得に折れて84年「焔」以降のU2に関わっていく。
イーノは、その矛盾を、ボノの目の輝きに打たれて仕事を引き受けたと言い、これはロックではなくソウル。
そんな認識の下、共同作業の中「ヨシュア・トゥリー」が産まれる。
ジョン・ライドンもブライアン・イーノも共に優れたアーチストであり、インテリジェンスを持った人。
ロックを否定しつつ、過去形ではないロックではないものの、そこに回帰していった不思議な円環。
■ロック・パンク・ニューウエイヴ以降
時代なるものは不思議なもので、死んだはずのロック以降、70~80年代・その後産まれた新しい音楽すらも、拡張性の限界とぶつかる。
停滞時期はあれども「まさか」という展開が、その後に発生していく。
ユーロビートなどはクソ以下だが。
だが、である。
踊るための音楽が、そのエッセンスを元としたハウスミュージックを産み、そこから新しい定義でのアンビエントを派生させ、エレクトロニカに繋がっていった。
ロックも、単なるゴッタ煮以上のものではミックスチュアを経ながら、旧態依然ロックではない形の新しいロック(という言語を使うか否かはともかく)を産んでいく。
まさに何が起きるかなんか、誰にもわかっちゃいない。
自分すらも、ロックを毛嫌いし・最低の音楽と思いながら・ロックの解体に自分を託していた中高生を経て。
「音楽の進化は終わった」と思った時を越えて、新しいいぶきは意外な形で産まれて行く。
そんなものに出会えるとは思わなかった、というのが本音である。
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明日生きているか、なんか分かったものじゃあないが、歳を取り・長く生きることは、新しい概念や新しい観点と出会える。
そういう喜びに気づいたのは、30代終わりから今の40代への、私の中の流れ。
ハタチの「あの日」死んでいたら、こんな所産には出会えなかったわけで。
そう思えば、生きられる以上、自らで死んではならないと思ってはいる。
だからと言って1秒後、どう変化するかは自分含めて誰にも知る由は無いのだが。
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夏になれば、ずっと集めてきた細野さんのアルバムを聴く。
夏はまだだし、去年も紹介したものだが、聴きたくなったときが「聴きどき」。
95年のアルバム「N.D.E」(臨死体験)より「ヘリオセラピー」を聴く。
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15:00追記:
梅雨にしては、涼しくて過ごしやすい日。
適度なくもり。
缶ビールをシュポッと開けて、ぐびぐび飲みながら、だらだらしていた。
そんなうちに、昨年テレビに細野さんが出ると知って観た、日曜日の夜の番組。
刺激された、あの番組がYOUTUBEにアップされていたので、何を意味しているかを理解出来るヒトのみに送ります。
■細野晴臣さん・いとうせいこうさん、上野公園にて 2011年9月■
細野さんは、自分にとって生き神さま。
そのことを再度認識する。
細野さん・YMOに会わなかったら、自分の人生は明らかに違う経路を辿った。
また、2012年に生きていなかったであろうことは、まぎれもない事実。
細野さん 「悲しみのラッキースター」(2011年「ホソノヴァ」より)■