こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

パンチドランカー。

2007-10-15 22:37:19 | 雑記帳


10月14日 日曜日

午後、仕事場に行く予定が、精神的な調子が悪くて、横になっていた。
付けっ放しのラジオだけがやけににぎやかで、それが一番自分から遠く感じる。

トイレに行く気力も、ご飯を食べる気力もなく、催眠にかかったかのように、とはいえ、時にそのうなされた金縛りから解けて、水を飲んだりもしたが、そうしているうち、仕事場にも行けず、気付くと、ナイターも終わり、立ち上がったのは21時だった。

吐き気はないが、あるのは、虚無感と絶望感。

ふらふらと、台所に行き、お湯を沸かして、熱い緑茶を飲んだ。
体に深く染み入る。

夜中2時に睡眠薬をふだんより多めに服用して、横になるが、悪夢ばかり。
仕事で攻められ、追い詰められてばかりいるのだ。

パキシルが切れたせいかもしれない。

そんな断続的「魔」の刻を経て、夜明け早々に支度をして、欠陥住宅の家を出た。


10月15日 月曜日

ふらふらとしながら、都電「宮ノ前」の駅に。

みな、秋らしく上着を着る中、一人だけ自律神経麻痺した自分は、ワイシャツ1枚で腕まくりをして、窓を開けた都電の車窓からの風を受けている。

風が涼しいのは、ヘンなのか?

朝から晩までのロングランの様々な会議。

パンチドランカーのように、濁ったうつろな眼で、僕は、亡霊のように、意識無く立って居る…。

***

こんな夜だからこそ、動物たちの優しい姿が、自分を癒してくれる。

「20年間、風邪を引きっぱなしだけど、ショーは、明日も、続くんだヨ。」
     (セックス・ピストルズ/パブリック・イメージ・リミテッド  ジョン・ライドン)
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みんななかよし ⑤

2007-10-15 21:57:46 | 写真日和


親子でむにゃむにゃ・・・・
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「ロック」への拒否。  ~DepecheModeの音楽~

2007-10-15 00:17:48 | 音楽帳


ながながと述べてきたが、私は、「ロック」とか「ロックンロール」という概念を使うことを嫌う。
また、そういう概念を「傘」にして、ゴミみたいな音を奏でながら、ごまかしている連中を許すことも出来ないし、そういうものを「音楽」とは呼ばない。
私は、絶対に、そういう小汚い音楽を、信じない。

***

長いこと、こういうくだらない「ロック」への嫌悪をあらわに、拒否し続けているバンドに「デペッシュ・モード」がある。

その息の長さは、まさに、こういう「ロック」というくだらない概念にこだわることなく、ちゃんと自分らの音を作り続けてきた思想に要因がある。
生き残るには、それに値する思想が根幹にあるのだ。
単なる時代の偶然ではない。必然なのである。

80年初頭から、NewWave・テクノ/エレクトロニクス音楽が大好きで追い続けてきた自分。

なぜ、その頃現れたNewWaveバンドや、テクノ/エレクトロニクスの音楽が、時代の中で淘汰されていくなか、デペッシュ・モードだけが四半世紀生き残ってきたのか?

それは、「ロック」や音楽がニンゲンを救うという幻想を、一切抱いていないことに由来する。

音楽はあくまで音楽であって、その音楽がどれほどのレベルなのかだけで聴かれるべきであって、それ以外のくだらない「ロックンロール」幻想などへの依存した自立できないかたわの出来損ない音楽とは、隔離すべきであるのだ。

***

外に、自分の要因を求めて、外を巻き込むカタチで音楽を作ることなく、自分という自閉した小世界で考え、それをエレクトロニクスというものにたましいを吹き込み、音を作ること。

汚い世界に陶酔してギターをかきならさないこと。
力任せにドラムを叩かないこと。
叫びに近い欲求発散のために歌を歌わないこと。

小汚い外部世界とのたわむれではなく、純潔な自分の中の小世界で、世界を構築すること。

それが、どれだけ、「ロック」のような「もろく・崩れやすい」音楽ではない、揺るがない大きな世界を構築するか・・・。
それをデペッシュ・モードの音楽に感じ、自閉が持つ力の大きさを感じる。
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