こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Every Little Thing - 持田香織 - 「恋をしている」 '07

2007-10-20 23:34:10 | 音楽帳


最近、気になるCMとして、サッポロビールの「冬物語」がある。
持田香織さん自身がビールを飲むCM。
いかにも、冬、というイメージを演出していて、<性格はともかくとして>優しい温和な顔をした持田香織の映像が美しい一品である。

そのバックに流れている曲が、この「恋している」である。

***

90年代、Every Little Thing とZardは、大阪の営業車のポンコツラジオのAMで、自分の意思とは違いながら、ジャマ臭く、よく流れていた。
しかし、日々冷や汗をかきかき営業をしていた自分には、出来すぎた「作り物」の音楽以上のことはなく、彼女らの声も、人工的でとても非現実的で遠く感じたものである。
「うざい」と思ったものである。

***

しかし、あれから10数年がたち・・・

Zardのボーカル坂井泉水は死に、そして、Every Little Thingは2人になっていた。

最初、TRFのサブ的な位置から始まったこのバンドだが、持田香織さんのノドの不調に伴い、曲の作り方、歌い方が変わってきたように思う。無理をしなくなったのだろう。



もともと、キレイな美しい声をしていたが、この曲では、その声の美しさも良いが、無理をしないふんわりした丸い歌い方が、ごくごく自然に、自分の中に入ってくる。
10数年前あれほど遠い所に位置していた音楽を、自分が、今、聴いて、気に入っている不思議。
おぢさんになって、丸くなったからだろうか?
この持田香織の可愛い優しい声には、ついつい癒されてしまう。
すっかり、コロッとだまされるようになってしまったなあ・・。

ジャケットも、むかしのシングル盤EPのジャケットのようで詩的で素敵である。

ああ、おぢさんも歳を取ったものじゃ・・・。
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「仕事」とはなにか?

2007-10-20 05:11:42 | 想い出かたちんば


金曜日、みなうつろな顔で週末を向かえる。
かばんの中に仕事の道具を入れて、家に持ち帰る者。
土曜・日曜に、再び会社に来て、仕事を片付けようと、早々に金曜は帰る者。

そういう人々を横目で見ながら、自分は思う。

仕事とは何であろうか?

***

よくMZ師と同意しあうのは、金曜日に、仕事を終えて、エレベーターが閉じる瞬間=1週間の仕事が終わる、その瞬間こそが、1週間の中で、一番ホッとし、うれしい瞬間だ、ということだ。

自分には、土曜日の朝、TBSラジオの「土曜ワイドラジオTOKYO」を聴く瞬間も喜ばしいが、金曜日の晩、これからが自分に戻れる瞬間だという認識がある。
しかし、これも歳とともにかなり薄れつつあるが。

先に述べた「仕事を休みまで持ち帰る人々」との意識の違いは明白だ。

日々の中における「仕事」は、ずっと延長線上に絶えずあって、その海の中で、土曜も日曜も過ごせる人々と違って、私とMZ師にとって、「仕事」はしょせん、生活費を稼ぐための「受苦」でしかないという意識だ。

高橋幸宏の曲に「仕事を終えた僕たちは」という、矢野顕子さん作詞の曲があるが、それはまさにそうで、「仕事」時間と「非仕事」時間に、僕らは一線の断絶を持っている。

しかし、そうやって断絶しようとする中、次第に、歳とともに「非仕事」の領域に、「仕事」意識が侵食しつつある40代を向かえつつあるのだ。
だから我々は、「かたちんば」であり、「びっこまん」なのである。

***

「旧約聖書」によれば、労働とはアダムとイブが「罰」として神より与えられたものであるという。
一方、我が国日本の「古事記」では高天原では神々が労働をしていたとある。

ここには、2つの全く逆の「仕事」に対する捉え方がある。

英語における「仕事」は、「やむをえず受けざるをえない受苦」といった意味が、実は込められているということを、過去学んだことがある。

***

30代前半まで、自分は、「仕事」に人生の多くの時間を割かれるのなら、そこに「意義」を見出そうと、かなり、自分なりには、販売促進の仕事に、自分の「天職」と思い込み、そこに思い入れを込めて、打ち込んできた。

しかし、とある日、「そんなお前の気持ちなんか聴いていない」と、転勤を命じられた。
その瞬間、自分の、タコの糸は、ぷっつりと切れた。
それ以来、その糸は、もう永遠に、それまであったようなつながり方をすることはないであろう。
もう一生ない。

過労、「過」労働時間に傾く自分の行動は、会社にとって「悪」であり、いわば私の極めて個人的なオナニーに過ぎないのだという判断が下ったのである。

この30代半ばにして、自分の意識は転換点を向かえた。

***

そんなときに出会ったのが、「人生を“半分”降りる―哲学的生き方のすすめ (新潮OH 文庫)」である。

要は、短い人生を「仕事」に託してどうする。
「自分を生きる」ということはどういうことか?
それを問い直す本である。

社会的な立場や役割は適当・最小限にして、残り半分を、「自分を生きる」ことに時間を当てようという本である。

半隠遁という生き方の姿勢だ。(全隠遁では、社会的リスクが大きいので)

そういう意味で、「人生を半分降りる」のである。
是非おすすめしたい本である。

そして、自分は、それを実践に移し、30代半ばからの生き方の転換を図ってきた。
随分、意識的には楽になったと思う。

自分は、仕事に埋没して死にたくはない。
立場(役職)も大枚のお金もプライドも、全く欲しくない。
むしろ要らない。
自分には、何の意味も持たないし、役にもたたない。

もっと重要な課題・命題が「生きる」ことにはあるのだから。
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