こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

ナルコレプシー。

2007-10-04 21:56:04 | 雑記帳


朝、空は、みずいろだった。
朝からいわし雲が出ていた。

いつも、同じ時間、同じ道を、歩く小学生と、今日の朝も、何もことばを交わすことなく、お互いにすれ違った。
黄色い帽子に、ランドセル。
首から、今朝は、水筒をぶらぶらとゆるしながら、歩いていた。
その水筒が、幼いその子のカラダには、不似合いな程、大きくて、重そうだった。
タイガー製だろうか?それとも、象印のものかな?

そんなことが、アタマをよぎった。

***

涼しくなってきたというのに、朝の通勤は、まだまだ暑い。
いまだ、シャツのみで、上着も着ず、長そでのシャツの腕をまくりあげていた。

正直、暑いのか、寒いのかがわからない。
そんな風になってしまった。

仕事場で、冷たいウォーターを飲み、汗をかきながら、うちわであおぐ自分を、他人は見て、ぎょっとする。

自律神経が破壊されてしまったのかもしれないという確信めいたものが、浮かぶのはそんなときである。
だが、だからと言って、汗が止まるわけでもない。

エアコンを25度にして点けたが、自分が、席を立ったうちに、いつのまにか、それらは止められているのを、無言のうちに、理解する。
みな、寒いのだとということなのだろう。

***

朝の9時を周り、10時に向かっていく。
すると、猛烈なる睡魔が、現れだす。

まるで、催眠のように。
自力でその流れを止めることが出来ない。

昨夜は、12時に眠ったはずだと思った。

「魔」が現れた。
その「魔」とは、春から付き合っている。
どうもうな生き物が、息をひそめて、自分に、次第におおいかぶさってくる。



しだいに、頭痛までもが現れ始める。
頸と肩にも、その生き物はかぶさり、こめかみが、がんがんとしだす。

眠りに耐えて目を開けようとすると、頭痛が締めて来る。
かと言って、眠けに負けそうになると、まるで、ジェットコースターからの落下感覚と共に、一瞬にして、頭首が前に倒れて、血の気が引き、眠り世界に吸い込まれてしまいそうになる。

一進一退を繰り返しながら、自分は、仕事をそっちのけで、その生き物との闘いに終始する。

睡魔をクリンチしながら、自分は、場外に出る。
体制を整えなおし、睡魔の呪文からのがれるために。

珈琲を煎れにいき、それを飲んだり、トイレに無駄に行ったり、とにかくじっとしていずに、動くようにして、気をずらそうとする。

そうして、階段を歩いていると、つい、ふらふらとしてしまい、階段でこけてしまう。
身をカバーしようとしながらも、両手をついてしまい、両手の甲の部分を、一挙にすりむき、皮がむけ、血が出て、階段に倒れた。
「いてえ、、」階段にひざまづく。

そういう不思議な上空を漂う見えない生き物たちとのたわむれを、昼まで過ごした。

「カンカンカンカン」ゴングのように、12時のカネが鳴った。
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秋風とペンキ。

2007-10-04 00:20:00 | スケッチブック


大学時代、その大学で一番古いという「美術研究会」という倶楽部に所属していました。
名前は研究会といいながら、誰一人研究などはしてはいません。
研究などをせず、みな自由にしていながらも、毎日、絵を自分は描いていました。
絵というと、「ほう、油絵ですか?」そういう会話が、ついなされるものの、自分は、ひたすら、紙と道具があれば、指を動かしていただけであったのです。

大竹伸朗さんは、「紙と鉛筆というのは、いつになっても永遠の道具」というが、まさに、「何かを作りたい」という衝動以外、何ら知識もテクニックもないまま、指を動かして、そこに出てくる、なにものかが、次第に展開していく、そういう不思議さにだけ惹かれて、毎日、指を紙の上で動かし続けました。

毎年、秋になると、学園祭が開催されたが、その入り口のゲートを描くのが、大学では、自分らに任せられた一大行事でした。

ベニヤをクギで、組み合わせて、出来た巨大なハリボテに、ペンキで、絵を描いていく。
描かれる絵よりも、普段では描けない大きさの面積の堆積物に向かって、思い切りペンキを塗れる快感のようなものがありました。

夏を過ぎ、秋風が吹き、肌寒くなり、日の長さが短くなってくると、ペンキのにおいの漂う中、「ゲート塗り」の季節がやってくるのが、毎年の恒例でありました。
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