1984年、自分は、巣鴨学園の高校2年生。
バレーボール部なんて不似合いなものに所属しながら、日々陰鬱な精神を引きづりながら、生きていた・・。そんな頃の記憶。
まあ、全然、当時が古いという意識は全く無く、未だに自分は、その18歳と意識は変わりない。
3つ子の魂、100まで、なのだ。
***
ピーター・ゲイブリエルの凝った「音作り」に影響を受けているのが、ティアーズ・フォー・フィアーズの1・2枚目。
だが、ローランド・オーザバルの作る音は、ピーター・ゲイブリエルほど完成されておらず、いかにも作り物としてのギクシャクさがある。
それにそっくりな音の輪郭があるのが、トーマス・ドルビーの「地平球」である。
ギクシャクさが、いかにも人工物っぽくて、違和感を覚えたものだ。
なぜか1984年同時期に発売されたローリー・アンダーソンの2枚目のアルバム「Mr・ハートブレイク」にも、坂本龍一の「音楽図鑑」、さらには、プリテンダーズの「Learning to Crawl」にまで人工物的な感触を感じてしまっていた。
それくらいに、すでに1984年時点で、わたしの中の精神力は弱まっていて、「80年代病」ともいえる状態にあった。
どうにも白けて、音の中に入っていけない、妙な醒めた感覚が、そして、どうしようもない現実への絶望感が、自分を支配していた。
相当な重度のうつ病だったのかもしれない。
ただ、今、わかるのは、1981年暮れ「テクノデリック」〈YMO〉で革命的グルーヴ感を生み出した「サンプラー」が、やっと、1983年暮れのアート・オブ・ノイズの「BeatBox」を経由して、人工感のあるサンプラー的音が海外に蔓延しだしたのが、1984年であり、そのうつ病的感情は、私個人特有の問題ではなく、音楽業界全体が「ほとんどビョーキ」に飲み込まれていった年と考えるべきなのだった。
実際、NHK「YOU」と「坂本龍一のサウンドストリート」が連動してTV&ラジオで、テーマとしたのが「行き詰まり」という時代の病だった。
唯一、POPかつニューウェイブな音でありながらも1984年ヒットしたトンプソン・ツインズ特有のギクシャクさとも、軌道を一にするものだ。
彼らは、そのギクシャクさを、おもちゃ箱をひっくり返したような、少年音楽隊的な「スタイル」にすげかえることによって、この人工感から離れて、唯一1984年生き生きとした音楽を送り出した。
一方、テクノロジーへの反動で1983年に始まったニューアコースティックムーブメントはひそやかに水面下で動き、その流れと同一に、ナマっぽい音で、1984年には、シルヴィアンのソロ1枚目の「ブリリアント・トゥリーズ」が出た。
「明日はどうなっていくんだろう・・・」ウツにさいなまされながら、そういうこと(病気)に全く疎く、気づくことのないまま、そういう地獄の心境の中、生きていた1984年の暗黒が、この音楽と共に、時代として未だ自分の中に刻印されている。
バレーボール部なんて不似合いなものに所属しながら、日々陰鬱な精神を引きづりながら、生きていた・・。そんな頃の記憶。
まあ、全然、当時が古いという意識は全く無く、未だに自分は、その18歳と意識は変わりない。
3つ子の魂、100まで、なのだ。
***
ピーター・ゲイブリエルの凝った「音作り」に影響を受けているのが、ティアーズ・フォー・フィアーズの1・2枚目。
だが、ローランド・オーザバルの作る音は、ピーター・ゲイブリエルほど完成されておらず、いかにも作り物としてのギクシャクさがある。
それにそっくりな音の輪郭があるのが、トーマス・ドルビーの「地平球」である。
ギクシャクさが、いかにも人工物っぽくて、違和感を覚えたものだ。
なぜか1984年同時期に発売されたローリー・アンダーソンの2枚目のアルバム「Mr・ハートブレイク」にも、坂本龍一の「音楽図鑑」、さらには、プリテンダーズの「Learning to Crawl」にまで人工物的な感触を感じてしまっていた。
それくらいに、すでに1984年時点で、わたしの中の精神力は弱まっていて、「80年代病」ともいえる状態にあった。
どうにも白けて、音の中に入っていけない、妙な醒めた感覚が、そして、どうしようもない現実への絶望感が、自分を支配していた。
相当な重度のうつ病だったのかもしれない。
ただ、今、わかるのは、1981年暮れ「テクノデリック」〈YMO〉で革命的グルーヴ感を生み出した「サンプラー」が、やっと、1983年暮れのアート・オブ・ノイズの「BeatBox」を経由して、人工感のあるサンプラー的音が海外に蔓延しだしたのが、1984年であり、そのうつ病的感情は、私個人特有の問題ではなく、音楽業界全体が「ほとんどビョーキ」に飲み込まれていった年と考えるべきなのだった。
実際、NHK「YOU」と「坂本龍一のサウンドストリート」が連動してTV&ラジオで、テーマとしたのが「行き詰まり」という時代の病だった。
唯一、POPかつニューウェイブな音でありながらも1984年ヒットしたトンプソン・ツインズ特有のギクシャクさとも、軌道を一にするものだ。
彼らは、そのギクシャクさを、おもちゃ箱をひっくり返したような、少年音楽隊的な「スタイル」にすげかえることによって、この人工感から離れて、唯一1984年生き生きとした音楽を送り出した。
一方、テクノロジーへの反動で1983年に始まったニューアコースティックムーブメントはひそやかに水面下で動き、その流れと同一に、ナマっぽい音で、1984年には、シルヴィアンのソロ1枚目の「ブリリアント・トゥリーズ」が出た。
「明日はどうなっていくんだろう・・・」ウツにさいなまされながら、そういうこと(病気)に全く疎く、気づくことのないまま、そういう地獄の心境の中、生きていた1984年の暗黒が、この音楽と共に、時代として未だ自分の中に刻印されている。