こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

ティアーズ・フォー・フィアーズ 「ザ・ハーティング」'83  ~不幸のコドモたち~

2007-07-31 20:47:05 | 音楽帳


【ニュース】「暖人を返せ!と父、「お前ら、車入ってろや!」と母
…園児ら出席、熱中症死の暖人ちゃん告別式

・福岡県北九州市で、保育園の車に放置されて2歳の男の子が熱中症の症状で死亡した 事故で、男の子の葬儀がしめやかに営まれました。

 カメラが押し寄せる中、濱崎暖人ちゃんの父親は、「(暖人を)返せ!」と園長をどやしつけ、母親は、「お前らが、その車乗ってろや!」と絶叫した。
 
 祭壇には、暖人ちゃんが生前、一緒に遊んでいたたくさんのぬいぐるみとおもちゃと、なぜかカップ・ラーメンが飾られました。
 27日に、猛暑のなか保育園の車の中にたった1人、3時間半もの間、放置された暖人ちゃん。
 車内が50度近くあったとみられ、熱中症の症状で死亡しました。

 調べによると、一緒にいた保育士が後部座席を確認せず、園児の数も点呼していなかったことが分かっています。告別式の直前、厳しい表情の遺族と園長が向かい合って、今後について話し合う場面もみられました。警察は、業務上過失致死容疑での立件を視野に、調べを進めています。

***

自分は、このニュースを見ていて不自然に思えた。
そして、親なんかよりも死んだ子供当人が一番かわいそうだと思った。

■自分が不自然・不思議だった点。

①父親が茶髪で葬儀に出ていた点。
②まだ2歳の子供を自分らが預けている以上において、親自身も責任はゼロではないのに、親は保育園園長をどやしつけていた点。
③仏壇にカップ・ラーメンが飾られていた点。
④「暖人」などと、誰にも読めもしない名前を、自分の子供をおもちゃ扱いして付けている点。

特に思ったのは、②である。

 働く上で見切れないからと、今の親というのは、平気で子供を預けているが、それについての自己責任や罪悪感みたいなものが一切無く、全部、他人のせいに出来るものなんだと、「へぇ~、そーなんだ」と思った。
 自分には、コドモがいないが、この感覚は、自分には理解出来なかった。

 こんな親には、正直、同情出来ない。

 同情すべきは、2歳という、親からの愛をウケねばならない時期に、他人の渦に巻き込まれて、「親と保育園の間」で殺された子供の方である。

 いろんなブログ見たが、出てくる意見は、ヒステリックな「親サイド」からの勝手な、自分らを棚に上げる意見ばかりで、誰も子供側の視点・目線に降りていない。

 子供側の視点が欠落している。
 誰も子供を1個人の人格として認めていない。例え、2歳であろうと・・・。

 私は、自ら、幼少時期、親の愛情にも恵まれず、離婚の危機に胸をひやひやさせながら生きてきたが、親は何も気付かないまま無謀な要求を私に強いてきた。

 私は、そういう親の一方的エゴを一生許す気もないし、忘れない。

 しかし、なぜか?自分らが子供だった頃の「不幸」を、なぜか大人は忘れてしまう。そして、一方的に、保育園を責める、というニンゲンになってしまう。

***

 1つの人格として正当に認めてもらえない、その「不幸」に立たざるを得なかった2人の少年が作ったのが、ティアーズ・フォー・フィアーズ〈tears for fears=怖れの涙〉というデュオバンドだった。
 ファースト・アルバム「ザ・ハーティング〈the hurting=傷付くこと〉」【写真】には、その多くの子供側からの視点の「いたみ=ペイン」が語られている。
 名盤である。ティアーズ・フォー・フィアーズは、その子供の悲しみを語りながら、親とオトナのウソを訴える。

「YouDon’tGiveMeLove
 YouGiveMePaleShelter

 YouDon’tGiveMeLove
 YouGiveMeColdHand」(「ペイル・シェルター」より)

 こういう事件が起きて、単純に「親側の視点」に立つニンゲンばかりのこの世に、子供の不幸は、まだ続く。
 自分は、その視点を忘れずに、「オトナ」にならずに、まだ生きていくつもりだ。
コメント (4)
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