こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

12月14日 水曜日 Walk Out To Winter ~冬に向かって歩き出そう~

2005-12-14 21:03:39 | 音楽帳
 aztec cameraに「walk out to winter」という曲があります。(正直、aztec  cameraは「思い出のサニービート(オブリビアス)」以外は、どうもしっくりこない面もあるのですが。)

 しかし、このタイトル「walk out to winter」というコトバ、それによく見た、彼らの白黒のポートレイトが頭に勝手に結びついて、頭から離れない。

 そのポートレイトは、苦々しい顔をして、風吹く中、その風に向かって歩くような様に、自分には思えてしまう。
良い写真だとつくづく思う。

 実際の「walk out to winter」という曲の調子は明るい。
しかし、詩はイギリスの社会的な状況の暗さを反映している。
 失業で生活保護の列 に並ぶ若者に向けて発せられた、応援歌のような詩らしいが、私は勝手に自分のイメージから、「Winter」とは、季節だけでは無く、状況が寒いという意味と受け取っている。

 どんなに寒い状況でも、どんなに風の吹く中でも、冬に向かって歩き出さなきゃいけないんだ、という意思の曲と自分は思っている。

 身もココロも寒くなってしまった我が身の冬だが、それでも、参ってはいけないとここ数日、気持ちを整理している・・。

 外は寒い冬だけど、僕も冬に向かって歩き出します。
コメント (2)
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12月13日 火曜日 「・・・・And I'm A Soldier」

2005-12-14 01:06:06 | 音楽帳
 今夜も寒い。
身を切られるような寒さだ。

 夜遅く、事務所のカギを締める。
つい疲れから、気を失ってしまいそうなふらふらした足取りで駅に向かう。
そして電車に乗る。

 ビタミン剤やら、ドリンク剤やら、そしてもちろん食事や防寒着で、何とか・・・と思っていたけど、どうも、ついに、ウィルスに侵入されたみたいだ。

 まずいことに、ハナは垂れてくるわ、声が出なくなってくるわ、元々鬱で元気無いニンゲンなのに、さらに元気なくなってきた。

風邪かもしれない。

 夕方、お客さんの電話に出たら「どうしたの?いつもと違って元気無いね?」
そう言われて「ハッ」とする。
「素」の我が身の状態の悪さを丸見られしたみたいで、その場はすぐにつくろい笑いした。
 が、元々、営業に向かぬ自分が精一杯の虚勢と仮面でその場、その場をつくろっている事自体に無理と限界があるのだが。そう言いながら、危険な綱渡りを、毎日し続けている。

 ヒト嫌い・人間不信の懐疑的性格のかたちんばの自分が、3年前から再び営業の仕事に戻ったのは、嫌がらせ人事とも言えるが、かたちんばピエロは、必死な顔して毎日、危ない綱の上で過ごしている。

その過酷な旅の友は、音楽とお酒と猫のまみやんやら、少ない仲間たち。

 とめども無く走り続けるこの世界。
その中で空転する、かたちんばのぎくしゃくとした戦い・・・・。

***

しかし、まもなく、その戦いも一時的に休める時が来る。

 ひたすら走り続けるこの世界が、一瞬停止し、真空になる瞬間。
その異世界が出現する唯一の「刻(とき)」が、お正月であり元旦である。

どんな身の人の上にも、お正月は降るのである。

この時だけは、しばし走り続けることから解放され、その真空の刻と空間にたゆたっていられる。
その刻がまた来るのを思うと、少しは幸せな気になれる。
日本人に生まれてよかったと思う瞬間。

***

 最近は、海外で過ごすだの年越しライブだの、ふざけた売国奴が増えたが、こういう奴等には国外退去願いたい。神聖なる日本のお正月を乱す者は、出て行って欲しいのだ。
 もはや右翼だの左翼だのとは一体何を指すのかはわからなくなってしまった2005年の日本だが、その手合いの事を言われるなら、精神において私の中枢に流れるものはその手合いであるかも知れない。
 もはや、望むべきも無く、時、既に遅し。日本の国の形は変わり果て、追憶やノスタルジーさえ許されぬ、超(チョー)大馬鹿◎●世界になってしまったが、自分のココロの奥底にひそむ、本当の想ひは「そう言うこと」である。

***

 こういう事を思いながら、夜、聞きたいと思って、実際聞いているのは、坂本龍一教授のシングル。
●「War Head/Lexinton Queen」
●「Front Line/Happy End」

***

 こないだの日曜、とあることで、心理テストをした。
(病院では無い。)
そんな中で、性格診断で、言われた結果は、「内面の感受性は豊かだが、自分への固執が激しく、もっと内面を外に出すように。」とのこと。

 そうは言われたが、内面を出そうという安易な事を言っちゃいけないよ、と思った。それは殺人だったり、過激な行動だったりするのかもしれないから。

***

 今の自分は、内面と、全く合致しない荒れ狂う外の世界に、引き裂かれそうになりながら、その自我をかろうじて、想像力や幻想の力を借りて、何とかつなぎ止めている事など、誰もわかってはくれまい。音楽や言葉の力を借りて、かろうじてごまかしながら生き延びている事など。

***

 初期の思想的で頭でっかちの「教授」の一途さ・ひたむきさと過激さが、好きだ。「B-2Unit」のそれぞれの曲にも、「War Head」「Front Line(=前線)」というミニタリー用語にも明らかなように、この時期の教授は、世間で一方的に膨らんでいくYMOという「化け物」と、自分とのハザマに引き裂かれながら、苦悩し、戦っていた。

「音楽っていう小さな戦場で
ぼくは兵士になる。
音楽は意識の戦い。
だから僕は兵士。」(フロント・ライン)

***

 ワールドツアー~「BGM」までの頃の坂本さんは、明らかに神経症的な症状が出始めていたという。
 「街に出て、歩いていると、自分を呼ぶ誰かの声が聞こえるんだ」と言っている発言がある。(「電子音楽In Japan」にそのへんの話が詳しく載っている)
 「BGM」に収録された「音楽の計画」にも、その影は大きく反映している。

 しかし、私は、この時期の悩める教授の曲が、いまだに好きでいとおしくてならない。
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