こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

ピロリの秋 : 第16回目 ベン・ワット「エンプティ・ボトル」'83

2005-12-04 10:56:44 | 音楽帳
'83年は、明らかに、行き詰まりつつあった、それまでのテクノ・エレクトロニクスへの反動から、アコースティックな流れがイギリスでも出てきた年である。
それを「ニューアコースティックムーヴメント」と当時、俗称をつけた。
(それが、形骸化したのが、今「ネオアコ」とか言われているもんだ。)

しかし、ベン・ワット、トレイシー・ソーンの音楽を初めて聴いたときの驚きはなかった。
何て切なくて、寂しく、繊細な人たちなんだろうと思った。

このベン・ワットの「Empty Bottle」も、1人ギターを弾き、歌うだけのものだが、この言いようの無い孤独感は何なんだ。
過ぎ去った季節を思いながら、独り、ヒトの居なくなった海辺で、歌っているみたいだ。

極めて私的な世界に留まり、他人と戯れることなく、ひっそりと、その私的な世界の中で、孤独な世界に佇むベン・ワット。
それはトレイシー・ソーンにも、ヴァージニア・アストレイにも感じられるが、ベン・ワットに感じるものがそれより強いように思った。

「ネオアコ」なんてしょーもない名前つけて本出したり、「超名盤!」とか大声で言ったり、商売ジャンルとしてたてまつったりせず、、、、

そういうヤカラどもから、出来るだけ離れて、、、、

私は、ベン・ワットとの、最初の純粋な出会いを大事にしながら、ひっそり独り部屋で、静かに聴きたい。


【写真】は、この曲の入った「ノース・マリン・ドライブ」。
'83年6月21日日本発売されたもの。
「何でもないよ」という曲も入っていて、そのタイトルが象徴的だが、
「このアルバムが!」とか「繊細なそのフレーズが!」とか、「ネオアコ」を売り物やファッションにしている「やかましい連中」から出来うるだけ遠くに離れて、ヒトに気(け)とられずに聴いていたい。
コメント
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