1月14日は、9時から京都西大路で仕事です。30分前に着くように自宅を出て訪れたのが若一神社です。


御由緒は平安時代末期に清盛が後白河法皇の警護で熊野詣でに同行した際に「土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ」との御告げがありました。
帰京後、清盛が新しい邸宅をさがしていた所、東方築山より夜光が放たれていました。
清盛は自らこの地を3尺ほど掘ると、若一神社の御神体が現れました。
そこで、社を造り鎮守し、開運出世を祈ったところ翌年の仁安2年(1167)2月10日に武士として初めて太政大臣に任じられました。


それ以来、出世開運の神として崇められて来ました。
また、近年に井戸が復活されました。清盛が熱病に倒れた際に、こちらの水で身体を冷やしたと伝わります。
鳥居前には、清盛お手植えと伝わる楠の大樹があり若一神社の御神木です。
西大路通りが拡幅された際も伐採される事なく、逆に、この楠を迂回するように西大路通りが拡幅されました。
この様に大路を曲げさせてまでその存在感を示した例は東本願寺前の烏丸通りの二例だけです。




境内には他に、末社の寿命社、弁財天社、松尾社、稲荷社、楠社、祖霊社がらあります。



御由緒は平安時代末期に清盛が後白河法皇の警護で熊野詣でに同行した際に「土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ」との御告げがありました。
帰京後、清盛が新しい邸宅をさがしていた所、東方築山より夜光が放たれていました。
清盛は自らこの地を3尺ほど掘ると、若一神社の御神体が現れました。
そこで、社を造り鎮守し、開運出世を祈ったところ翌年の仁安2年(1167)2月10日に武士として初めて太政大臣に任じられました。


それ以来、出世開運の神として崇められて来ました。
また、近年に井戸が復活されました。清盛が熱病に倒れた際に、こちらの水で身体を冷やしたと伝わります。
鳥居前には、清盛お手植えと伝わる楠の大樹があり若一神社の御神木です。
西大路通りが拡幅された際も伐採される事なく、逆に、この楠を迂回するように西大路通りが拡幅されました。
この様に大路を曲げさせてまでその存在感を示した例は東本願寺前の烏丸通りの二例だけです。




境内には他に、末社の寿命社、弁財天社、松尾社、稲荷社、楠社、祖霊社がらあります。
