12月2日は、まいまい京都のイベントで滋賀県大津市にある山元春挙旧邸 廬花浅水荘を見学しました。

山元春挙は竹内栖鳳とともに明治、大正、昭和にかけて京都画壇の両雄として並び称されている画家です。
春挙は大正3年、生まれ故郷に近い膳所に土地を購入、書院造りに茶室を点在させた数寄屋造りの建物を建てました。
昭和30年には嗣子清秀氏が、こちらを円融山記恩寺としました。
また、平成6年には本屋、離れ、記恩堂、渡り廊下、表門、土蔵の6棟が一括して国の重要文化財に指定されました。
また、庭園は国の名勝庭園です。当時は本屋からは琵琶湖の眺望が望めましたが、今は湖岸道路が通っており、それを隠す為に植栽で区切られています。


今回は、数寄屋建築研究の一人者の桐浴邦夫さんが解説して下さり、細部のこだわり、凝った意匠、材料、数寄屋建築の構造などを詳しく解説して頂きました。





春挙は竹が好きだったようで大正12年には主屋の2階に画室を造り、竹の間を増築しています。また、各部屋には竹の意匠が施されており、建物全体のモチーフとして統一感をもっています、



また、書院前広庭は芝を植え、庭石は少なくし遣水を流した解放的な庭で、お抹茶の庭と言うより煎茶に似合う庭のように思います。






山元春挙は竹内栖鳳とともに明治、大正、昭和にかけて京都画壇の両雄として並び称されている画家です。
春挙は大正3年、生まれ故郷に近い膳所に土地を購入、書院造りに茶室を点在させた数寄屋造りの建物を建てました。
昭和30年には嗣子清秀氏が、こちらを円融山記恩寺としました。
また、平成6年には本屋、離れ、記恩堂、渡り廊下、表門、土蔵の6棟が一括して国の重要文化財に指定されました。
また、庭園は国の名勝庭園です。当時は本屋からは琵琶湖の眺望が望めましたが、今は湖岸道路が通っており、それを隠す為に植栽で区切られています。


今回は、数寄屋建築研究の一人者の桐浴邦夫さんが解説して下さり、細部のこだわり、凝った意匠、材料、数寄屋建築の構造などを詳しく解説して頂きました。





春挙は竹が好きだったようで大正12年には主屋の2階に画室を造り、竹の間を増築しています。また、各部屋には竹の意匠が施されており、建物全体のモチーフとして統一感をもっています、



また、書院前広庭は芝を植え、庭石は少なくし遣水を流した解放的な庭で、お抹茶の庭と言うより煎茶に似合う庭のように思います。




