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京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

本隆寺 本堂修復改修工事現場見学

2019年01月25日 06時19分20秒 | 日記
今日、11月2日は西陣にある日蓮宗真門流の総本山 本隆寺の本堂の半解体修理現場を見学することが出来ました。五辻通りに面して南向きに門を構え、西陣の家並みに囲まれるように伽藍を形成しています。





今回、京都府教育委員会が主催され、事前申込みで、応募者多数の場合は抽選で工事現場の見学会が実現しました。その他に、西本願寺の唐門、萬福寺法堂がありました。このように、関係者以外しか立ち入れない工事現場が公開され、解説して頂ける機会が増えた事は、非常にありがたいことです。





本堂を覆う素屋根の材料には丸太や太い針金が使われています。これも伝統構法を伝承する、ひとつの試みだそうです。







今回の修理の内容ですが、修理前の調査で小屋組の傾斜が進行し、軒廻りは経年の屋根荷重により大きく乱れていました。また、梁には腐朽が確認されています。このような状況から、半解体修理を行うことになったそうです。
文化財の修復は現状維持が大原則で、瓦は一枚一枚、打音検査をして使える瓦はまた、屋根瓦として使われます。木材も腐朽部分だけを切り取り新しい木材と繋ぎます。時折、寺院の柱で継いでいる箇所を見つける事がありますが、複雑な組み合わせで繋がれています。全く素晴らしい宮大工の技術です。

解体中に棟札が見つかり、本堂の変遷がわかります。今回の修理でも新しい棟札が屋根裏に上げられるようです。











平成31年からは組立工事に取り掛かるそうです。
落慶の折は、是非訪ねたいです。

今年は、東寺の大師堂、清水寺本堂、こちら本隆寺と三ヶ寺の修理現場を見学することが出来ました。

「僧侶といく、東本願寺」まいまい京都

2019年01月24日 07時53分09秒 | 日記
1月19日は、まいまい京都の「東本願寺 僧侶といく、御影堂から非公開エリアまで」に参加しました。西本願寺は今までに何度か訪れていますが、お東さんの方は御影堂、阿弥陀堂以外は未訪問でした。
ご案内は東本願寺僧侶の水谷(みずや)様です。





東本願寺は、江戸時代初期、門徒衆勢力を恐れた徳川家康が、当時の門主の長男で破門になっていた教如に現在地を与え、本願寺の勢力を二つに分断したと言われています。過去4度の火災で焼失しましたが、その都度、再建されています。





見学は、参拝接待所前のギャラリーからです。こちらでは東本願寺の歴史がパネルで紹介されています。こちらまでは、一般拝観エリアです。

こちらを北に進むと"開かずの門"と言われている菊門があります。遠忌などの大法要時にのみ開かれ、檜皮葺で唐破風が付いており伏見城の遺構と言われています。





地下は視聴覚室になっており、下から見上げると天窓が菊の御紋になっています。今回、こちらには入れなったのは残念です。

次いて大寝殿です。







案内板にありように、東本願寺で最も古い建物です。障壁画は竹内栖鳳です。かって、心無い拝観者(?)によって二羽の雀の絵が切り取られてしまいました。それ以来、ガラス戸で防犯対策をされています。当時から栖鳳は京都画壇の中心で、雀一羽の絵で家一軒が買えたそうです。
この日は、たまたま、電気工事の為に停電中で、ところどころに置かれた電気の行燈の明かりで鑑賞しました。明治以前は電気が無かったので、そんな雰囲気の中で鑑賞でき、ある意味で幸運だったと思います。

次いて能舞台です。



次いて白書院です。
格式の高い部屋で天井は折上げ小組み格天井です。









次いて宮御殿です。









御所の女院御所を下賜されたのでしょうか?部屋は落ち着いた雰囲気で障壁画や床の間、違い棚、花頭窓、赤い畳縁にその雰囲気を感じます。

次いて最も大きな建物 御影堂です。宗祖 親鸞聖人像をお祀りしているお堂です。毎年の年末の大うちわでの掃除風景は京都の師走の風物詩です。



次いて阿弥陀堂です。東本願寺のご本尊阿弥陀如来様をお祀りしているお堂です。

前の二堂は神聖な場所なので撮影が禁止されています。

次いてサプライズが、、、
烏丸通りに面して堂々と立っている御影堂門の二階に上がれることに、、、二重に鍵がかけられた扉が明け羅列、急勾配の階段を登り、ニ階部分へ。
須弥壇には、中央には釈迦如来様、向かって右に勢至菩薩様、左に阿難尊者様がお祀りされています。内部は撮影禁止です。









大変に充実したツアーで満足しました。
東本願寺の水谷様、まいまい京都の阿比留様、ありがとうございました。


2018錦秋の京都18 南禅院・最勝院・奥の院まで

2019年01月23日 12時28分46秒 | 日記
今日、12月1日は"まいまい京都"の「庭師と巡る南禅寺」に参加しました。
ご案内は南禅寺御用達「植彌加藤造園」の竹村さんです。

蹴上駅で集合の後、ねじりまんぽをくぐり蹴上船溜りへ。こちらは琵琶湖第一疏水と第二疏水の合流点で、第一疏水は、京都府第三代知事 北垣邦道の京都振興事業、第二疏水は京都市第二代市長 西郷菊次郎の京都三大事業のひとつです。







再びインクラインを下り、南禅寺境内に。境内には水路閣があり琵琶湖疎水分線が白川へと流れています。水路閣は疎水建設時に作られた建造物で五山の上に位置付けられた格式高い南禅寺を通るため、多くの反対がありましたが、今では、サスペンスドラマの撮影や多くの観光客で賑わっており、南禅寺の宣伝自体にも登場します。





次に、南禅寺発祥の地の南禅院へ。花園上皇が出家され離宮を造られた地で南禅寺山からの水を集めた池を中止に池泉廻遊式の庭園が見事です。まだ、名残りの紅葉🍁が残り、美しい光景を見せてくれます。また、境内には花園法皇の陵墓があります。











水路閣の水路にある竹の棒は、ここから南禅寺の庭園に取水されている目印で、また、取水口には魚が入り込まない様に竹網が取り付けられています。



続いて最勝院、奥の院へと向かいます。
最勝院は最近まで屋根の修復工事がされていましたが、それも終わり、美しさがよみがえりまし
た。









さらに山道を登り最奥にある奥の院へ。今までここまでは来ていなかったです。山肌から流れる水が滝となって流れ落ち修行の場でもあります。





さらに上に登ると崖には磨崖仏が彫られていま
す。









南禅寺の知らなかったところも巡ることができ、満足しました。





南禅寺方丈庭園の門の前の庭は、市電が廃止され、その軌道の敷石を再利用したものです。いかにも、物をひとつたりとも無駄にしない禅宗のお庭らしいです。

帰りに天授庵に寄ったので写真だけ掲載します。









「溝縁先生に聞く!舞妓さんの美の秘密」

2019年01月22日 08時21分46秒 | 日記
1月19日は、そうだ 京都、行こう。のオリジナルイベント「溝縁先生に学ぶ舞妓さんの美」に参加しました。
会場は、先斗町にある京料理のお店 大當両さんです。







最初の30分は座学で
1 花街の歴史
2 京都五花街について
3 花街の年中行事(先斗町)
4 花街の風俗・習慣
5 お茶屋さん
6 花街を支える職人さたち
7 撮り続けて見えてくるもの
9 今に伝わる日本の伝統美
10 出版物、質問
以上の内容で写真家の溝縁先生がプロジェクターを使いながら今まで出版された写真集の映像も交えて説明して下さいました。
今日のお座敷に来られるのは、先斗町の舞妓さん市結さんと久加代姐さんのおふたりです。

花街を40年以上も撮り続けておられる先生のお話は、市結さんをはじめ舞妓さんの成長を温かく見守っておられるようで、興味深くお聴きしました。
京都五花街や舞妓さんの仕込み、店出し、芸妓の襟替え、また、舞妓さんのかんざしについては、京都検定の勉強で知っていましたが、その他の知識は皆無だったの大変に勉強になりました。

その後は、お料理です。
まだ、1月なので、部屋のしつらえ、お料理もお正月を感じるもので、白味噌仕立てのお雑煮や松竹梅をあしらったお料理、黒豆、数の子など、もう一度お正月を感じさせてくれるお料理でした。















舞妓さんの市結来られると一瞬で場が華やぎます。お稽古のことや踊りのことをお聴きして、サインをお願いすると持参していたサイン帳に心温まるメッセージを書いて頂きました。
久加代姐さんのお話も含蓄があり楽しかったです。

やがて、宴は舞妓さんの踊りに。久加代姐さんの三味線の音色に耳を傾けながら舞妓さんの踊りに夢中になりました。踊りのことは、わかりませんが三味線の演奏で優雅に、また、凛々しく踊る舞妓市結さんにうっとりとしました。





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最後に、記念撮影までして頂きました。



まん中の方が、写真家の溝縁ひろし先生です。



このような機会をくださった、溝縁先生、舞妓の市結さん、 久加代姐さん、「そう京」のスタッフの皆様、ありがとうございました。
北野をどりのイベントにも参加したくなりました。

2019 京の冬の旅(善想寺・相国寺 慈照院)

2019年01月20日 19時52分46秒 | 日記
1月18日の午前中は、京の冬の旅で公開中の善想寺と相国寺塔頭 慈照院を訪ねました。

最初に善想寺です。四条大宮の交差点から大宮通りを北上し、大宮六角郵便局を左に曲がるとすぐ左手にあります。





善想寺は、天正10年に豊臣秀吉によって創建され、ご本尊は、皇室ゆかりの阿弥陀如来様です。

また、山門横の地蔵堂に祀られてらいる地蔵尊は、伝教大師最澄自らお彫りになったと伝わるお像で、人々の信仰厚く、泥足地蔵、汗出し地蔵、身代わり地蔵と呼ばれ信仰されています。



また、この地は四条後院(上皇の御所)にあたり、
境内の石仏阿弥陀如来様は代々、皇室により信仰されてきた石仏です。



墓地には、華道家元 池坊の代々のお墓があります。

次に6年ぶりに公開される相国寺塔頭 慈照院です。応永12年(1405)前後の創建で、始め大徳院と称していましたが、延徳2年(1490)足利義政の影堂となり、勅命により慈照院と改名されました。





今回は、2017年11月に朝鮮通信使に関する資料が「ユネスコ世界記憶遺産」に登録された関係で多数展示されていました。
学問に優れた慈照院の住職が代々、対馬に赴き、漢文による筆談で通訳にあたったようです。
また、江戸時代には桂宮(八条宮)の御学問所となり、書院「悽碧軒」は桂離宮「古書院」造営の際の財と技法で造られたと伝わります。











残念ながら今回は、千宗旦ゆかりのお茶室「頤神室(いしんしつ)」は、公開されていません。