「妻がもだえ苦しんでいるのを見て、ジョルジュは見ていられなくなり、納屋に逃げてしまった。カトリーヌがそこにやって来て、娘が生まれたと告げた。ジョルジュは気が狂ったように階段を降りてウージェニーのベッドに駆け寄ると、彼女にキスを浴びせた。それから、ゆりかごに寝ている赤ん坊を奪い取ると、高く掲げて言った。
「これこそ魔術だ、創造だ!」
彼は何日間も赤ん坊を眺めて過ごした。赤ん坊が少しずつ世の中に慣れてくる様子を見ていると、飽きることがなかった。」(マドレーヌ・マルテット=メリエス『魔術師メリエス』p. 105)
ぼくもIと一緒の時間に飽くことがない。新しいテーマで勉強をはじめて、読みたいものはたまっているのだけれど、とはいえIとの時間も欲しい。となると、これまではさほどそう思わなかった諸々の用事がとても面倒に思えてくる。水曜日は、午前に横浜である会議で選考委員を務め、とんぼ返りで原宿に行くとチェルフィッチュの最終日公演を鑑賞し、その後、ひとつミーティングをした。こうして、詰めることをよくするようになった。なるべく家にいたいのだ。
といって、いまは日曜日なのに大学にいる。大学は閑散として、平日のにぎやかさは皆無。こんな時間もいい。ラジオが友だち。山下達郎の番組は聴く度に、これをエアチェックしないで人間としていいのか!などと思わされるので、あまりに思わされるので聴かなくなったりする時期もあるが、聴けばやっぱりいい。今日は、妻の旧友さんたちがお子さんを連れて来て、家で遊ぶのだという。誘われたが断ってしまった。
Iは最近よくぐずる。とてもよく泣く、そして激しく泣く。いやなことがどんどん増えているみたいだ。わがままともいえるが、赤子のわがままは怒れない。ようやく「我」が出てきたのだ。これをむしっちゃいけない。木曜日に行った3ヶ月検診ではダントツトップで泣きまくっていたらしい。周りを鼓舞していたらしい。その割に、妻がガイダンスを聞いている間は、Iはまるで自分がインストラクターであるかのように、ずっと「うわうわ」としゃべっていたらしい。起きているときは、泣いているかしゃべっているかだ、確かに。親に似たらしい。
首がすわってきたので、「たかいたかい」が出来るようになったので、盛んにやる。きゃほきゃほいって笑う。「たかいたかい」は、大人にはしない、されたら怒るだろう。ってことは、大人の「たかいたかい」は自分が自分にするものなのだろう。人にされちゃかなわんものなのだ。
「これこそ魔術だ、創造だ!」
彼は何日間も赤ん坊を眺めて過ごした。赤ん坊が少しずつ世の中に慣れてくる様子を見ていると、飽きることがなかった。」(マドレーヌ・マルテット=メリエス『魔術師メリエス』p. 105)
ぼくもIと一緒の時間に飽くことがない。新しいテーマで勉強をはじめて、読みたいものはたまっているのだけれど、とはいえIとの時間も欲しい。となると、これまではさほどそう思わなかった諸々の用事がとても面倒に思えてくる。水曜日は、午前に横浜である会議で選考委員を務め、とんぼ返りで原宿に行くとチェルフィッチュの最終日公演を鑑賞し、その後、ひとつミーティングをした。こうして、詰めることをよくするようになった。なるべく家にいたいのだ。
といって、いまは日曜日なのに大学にいる。大学は閑散として、平日のにぎやかさは皆無。こんな時間もいい。ラジオが友だち。山下達郎の番組は聴く度に、これをエアチェックしないで人間としていいのか!などと思わされるので、あまりに思わされるので聴かなくなったりする時期もあるが、聴けばやっぱりいい。今日は、妻の旧友さんたちがお子さんを連れて来て、家で遊ぶのだという。誘われたが断ってしまった。
Iは最近よくぐずる。とてもよく泣く、そして激しく泣く。いやなことがどんどん増えているみたいだ。わがままともいえるが、赤子のわがままは怒れない。ようやく「我」が出てきたのだ。これをむしっちゃいけない。木曜日に行った3ヶ月検診ではダントツトップで泣きまくっていたらしい。周りを鼓舞していたらしい。その割に、妻がガイダンスを聞いている間は、Iはまるで自分がインストラクターであるかのように、ずっと「うわうわ」としゃべっていたらしい。起きているときは、泣いているかしゃべっているかだ、確かに。親に似たらしい。
首がすわってきたので、「たかいたかい」が出来るようになったので、盛んにやる。きゃほきゃほいって笑う。「たかいたかい」は、大人にはしない、されたら怒るだろう。ってことは、大人の「たかいたかい」は自分が自分にするものなのだろう。人にされちゃかなわんものなのだ。