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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

2月03日(水)のつぶやき

2010年02月04日 | 80年代文化論(音楽)
07:31 from web
「フード・デザート」(食の砂漠)もあれば「雑誌難民」(休刊が相次ぎ読む雑誌がなくなってしまった人々)もあるのかあ。「○○デザート」をさまよう「○○難民」の動向がひとつでもふたつでもイメージできると、とんでもない発明が可能になるのかも知れないなー。
07:33 from web
郊外に生きていると、イトーヨーカドーみたいな大型スーパーのベンチでボーッとしている高齢の方が目立つ。
07:36 from web
「あれが自分の未来か、いやだな」と思い単調な貧しさから脱して豊かさ=多様性をあくまでも欲求したい気持ちと、「あれが自分の未来か、そうなんだな」と思いそれを肯定しそこに順応しようとする気持ち。
07:43 from web
例えば、息子に何を与えたらいいのか。おもちゃとか。Babiesrusに行くと、単調なカラー、単調な素材の大量販売おもちゃを買うことになる。それ嫌だな、と思って、代官山あたり(?)のオサレなお店を探して珍しい一品を物色すべきか。それとも自作?決められないよ。
07:44 from web
こんなフラット(横並び)の時代に0才の息子が生きる未来って。
17:26 from Keitai Web
モダニストでも、ポストモダニストでもなく生きることは出来るのか
22:07 from web
普遍に従ってでもなく、個に従ってでもなく生きることは出来るのか
22:20 from web
「よくできている」の評価からも、「萌える」の評価からも一定の距離をとったままよく生きる(よい作品を作る)ことは出来るのか
22:24 from web
80年代的に言えば、浅田彰からも、秋元康からも自由な状態で生きることは可能か、か
by kmrsato on Twitter