Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

『恐怖奇形人間』は買える

2007年10月07日 | Weblog
あっそうそう、最近あったおもしろい出来事に、アメリカのアマゾンで『恐怖奇形人間』を買ったということがありました。synapse filmsというところから。海賊版ではないです、町山智浩さんが解説を英文で書いていたり、塚本晋也がインタビューに答えていたり。

見ていると、土方巽が登場するシーンが『リング』のあのシーンにすごく似ていたり、あるいは初代仮面ライダーの怪人が「奇怪クモ男」となんか『恐怖奇形人間』の語呂に似ているぞと思ったり、ある種(怪奇、エログロ、暗黒、、、)の日本の映像イメージのルーツになっている気がした。そしてそこに、土方巽がいた。このことは、暗黒舞踏を考えるのにとても示唆的なポイントではないか。一年前に『人造人間キカイダー』と土方巽の関係をリサーチして『TV BROS』にその結果をのせてもらう、なんてことがあったのだけれど、ほんと、このあたりのことは穴(未開拓)だし、とても重要だと思うのだ。

今朝は、最新の仮面ライダー『仮面ライダー電王』を見ていた。ありゃすごい。もう何でもかんでもむちゃくちゃに放り込んである。今日は、仮面ライダーがさらに怪物たちに憑依してもらってそのパワーで闘っていることを知る。そうか、ハイブリッドなアイデンティティが新しい仮面ライダーなんだ。て、ことは、電王は室伏鴻?(そういえば、10日ほど前に、ある雑誌の規格で吸血鬼の映画を撮っている現場に見学に行ったのだった。室伏がノスフェラトゥ役をやっていたのだった、そうそうこういう連想こそ舞踏的ではないかな)

BRAINZ 第1回 レジュメ

2007年10月07日 | Weblog
随分更新が滞っていました。夏休みと違って、単純に忙しいのが理由です。
BRAINZの第一回に配布したレジュメをアップします。参考までに。

ちなみに「フィジカル・アート・セオリー入門」の「フィジカル」という言葉は、「身体的」という意味と同時に「物質の」という意味も込めています。佐々木さんの「マテリアリズム」とダイレクトに繋がるかは分かりませんが、「観念的」なアートに対するオルタナティヴなアートという意味があります。(ということを、第1回の講義中に話しそびれました(汗)、悪しからず!)


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BRAINZ フィジカル・アート・セオリー入門                   2007.9.28
講師:木村覚

第1回 「イリュージョン」と「プロセス」

今後の予定
第2回「タスク」について
第3回「ゲーム」について
第4回「死体」について
第5回「シアトリカリティ」についてあるいは観客論


◎目標 未来のダンス(or演劇orパフォーマンス・アート)を開発する

◎運動する身体のモードに向けたトライアルの内に、ダンスの賭がある
・運動する身体のモードを反省することの内に、ダンスの(自己)批評はある
・ダンスの(自己)批評とは、ダンスの内容より形式の形式性への意識である
・ダンスの形式性とは、運動する身体のモードのことである

◎モードは、自発的かタスクライク(タスクのようなもの)かに区別される[第2回「タスク」について]
・この区別が、ダンスのイリュージョニズムとアンチイリュージョニズムを分ける
→レイナー「削除あるいは最少にすべきもの」と「それにとって代わるもの」チャート
・ 自発的な運動のモードは、ダンスを芸術(自己表現、完成した作品、妙技)化する
・ タスクライクな運動のモードは、ダンスを作業(なすべき課題、ゲーム、素人状態)にする[第3回「ゲーム」について]
・ 自発的な運動のモードは、身体を自発的な意志で満たす
・ タスクライクな運動のモードは、身体をからっぽにする[第4回「死体」について]
・ 自発的な運動のモードは、振り付けを創造された完成品とみなす
・ タスクライクな運動のモードは、振り付けを「見出された運動」(レディメイド)、あるいは遂行すべきルールとみなす
・自発的な運動のモードは、振り付けの内に身体をとけ込まそうとする
・ タスクライクな運動のモードは、運動する身体の起こす出来事(プロセス)を顕在化させる
→モダニズムの美術評論家フリードによるシアトリカリティ批判について[第5回「シアトリカリティ」についてあるいは観客論]

◎距離の設定
自発的な運動のモードは、振り付けと身体の間の距離を消す、ないし振り付けを内在化する
・タスクライクな運動のモードは、振り付けと身体との間に距離を設定する、振り付けを外在化する→ex. “marked dance (Paxton)”
・この距離が、ダンスにプレイフルなアートとなる可能性を与える
・タスクライクな運動のモードには、レンジ(幅)がある
・そこには、激しい動きから微小な動きまでの幅がある
・それは、あわてたりもがいたり必死な動きからやらされていることを告白するようなだらしないやる気のない動きまでの幅である
・ 「あわてる」とか「だらしない」などと意識される有様(テンション)が、身体の振り付けとの距離を設定することとなる ex.岩渕貞太+清家悠圭「yawn」
・ あるいは、自分の行う振りに対して自意識を露わにするような仕方も、身体の振り付けとの距離を設定する ex.室伏鴻「edge」
・ この振り付けと身体との距離を新たに設定するトライアルの内に、未知のダンスの発生する現場があるはず

映像資料
□1 バレエ「眠れる森の美女」 審美的な価値のフォルム化
□2 モダンダンス マーサ・グラハム「天使の戯れ」 無意識的なもののフォルム化
□3 ポスト・モダンダンス イヴォンヌ・レイナー「トリオA」タスクのダンス
□4 狩生健志「国ドットコム」脱イリュージョン化した果ての地平にあるもの
□5 トリシャ・ブラウン「リーニング・デュエット」タスクのダンス
□6 ロバート・モリス「サイト」 タスクないしタスクライクなダンス
□7 身体表現サークル タスクライクなダンス
□8 アルゴリズム体操 タスクライクなダンス
□9 手塚夏子「プライベートトレース」録画された過去の自分をスコアにして
□ 10 チェルフィッチュ 無意識的身体のフォルム化 cf. 小指値
□ 11 康本雅子「茶番ですよ」 音楽に対する応答ゲームとしてのダンス
□12 室伏鴻「edge」 イリュージョンを自ら破壊する自己パロディがひらくplayful ground