午前中、原稿を書きメールで送る。一応、ある用事のメドを立てるとさて、東京都現代美術館へ。Aの希望で松井みどりさんがRobert Smithsonのことを話すのを聞きに行く。昨日、ニブロールのアフター・トークに出ていた松井さんはとても元気であった。スミッソンの「脱差異化」「粉砕化」「堆積化」のアイディアを聞く。松井さんはさらにスミッソンと菅木志雄の芸術論とを重ねる。現代美術には60年代美術と重なる面があるという趣旨のお話へと続いたのだったが、むしろ現代と重ねることによって60年代美術のことがより一層リアルに理解出来てくる気がして、そちらに興味がわく。ダンスでもそうだと思うんだよな、60年代のトライアルに注目することだけがいまダンスにリアリティを与えられる唯一の手だてだ!と極論してみたくなっている(あるいは今こそ60年代のトライアルをよりよく理解するチャンスでは!と)。今日のお話を聞けば一層その気持ちは強まる。昼は、渋谷の「やすべえ」で辛味噌つけめん(中盛)、夜はAと水餃子をつくり食す。
昨日(3/3)、次の二つの公演をみた。
「踊りに行くぜ!!vol.7 Special in Tokyo」(@アサヒ・アートスクエア)
酒井幸菜「Noon」
納谷衣美×山下残「シビビビ」
坂本公成+佐伯有香「怪物」
江藤由紀子「砂遊び」
康本雅子「ナ花ハ調」
Ko & Edge Co. 「DEAD 1+」
ごめんなさい、これが日本のコンテンポラリーダンス(とくに上から4組)ということならば、ぼくはコンテンポラリーダンスあまり好きじゃない派です。すいません。
ニブロール「no direction。」(@パナソニックセンター東京 有明スタジオ)
まず、見に行く前に読みとるべきだった重要なポイントは、タイトルの「。」であったようで、モーニング娘。が1997年にデビューということを確認すると、この公演の全ての(「全てが」ではない)「ださい」部分が90年代の意匠と関係していると言うことに思い至る。なるほどニブロールの設立も1997年なわけで、、、とそんな仕方でニブロールのすべてを否定する気持ちにはなれないのだけれど(そんなことしたら僕のダンスに傾けた「青春」が否定されてしまう!)、このだささは確信犯でないとすればどう理解したらよいか皆目分からない。「ヒーローはいつだって君をがっかりさせる」(磯部涼)
あるいは、抽象表現主義(ポロック、上掲写真)としてのニブロール
後記
上記2公演は、日本のコンテンポラリーダンスの分野のなかで重要なものであり、しかもネガティヴな発言をぼくはしているわけで、そうした態度を見せるならば「ださい」とは何を指してのことか「好き」ではないということは何を意味するのかを明確にするべきだと思うんですが、少し、元気が出ないので、後日書くことにしたいと思います。すいません。
「踊りに行くぜ!!vol.7 Special in Tokyo」(@アサヒ・アートスクエア)
酒井幸菜「Noon」
納谷衣美×山下残「シビビビ」
坂本公成+佐伯有香「怪物」
江藤由紀子「砂遊び」
康本雅子「ナ花ハ調」
Ko & Edge Co. 「DEAD 1+」
ごめんなさい、これが日本のコンテンポラリーダンス(とくに上から4組)ということならば、ぼくはコンテンポラリーダンスあまり好きじゃない派です。すいません。
ニブロール「no direction。」(@パナソニックセンター東京 有明スタジオ)
まず、見に行く前に読みとるべきだった重要なポイントは、タイトルの「。」であったようで、モーニング娘。が1997年にデビューということを確認すると、この公演の全ての(「全てが」ではない)「ださい」部分が90年代の意匠と関係していると言うことに思い至る。なるほどニブロールの設立も1997年なわけで、、、とそんな仕方でニブロールのすべてを否定する気持ちにはなれないのだけれど(そんなことしたら僕のダンスに傾けた「青春」が否定されてしまう!)、このだささは確信犯でないとすればどう理解したらよいか皆目分からない。「ヒーローはいつだって君をがっかりさせる」(磯部涼)
あるいは、抽象表現主義(ポロック、上掲写真)としてのニブロール
後記
上記2公演は、日本のコンテンポラリーダンスの分野のなかで重要なものであり、しかもネガティヴな発言をぼくはしているわけで、そうした態度を見せるならば「ださい」とは何を指してのことか「好き」ではないということは何を意味するのかを明確にするべきだと思うんですが、少し、元気が出ないので、後日書くことにしたいと思います。すいません。