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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

我妻恵美子『天体のズー』(@壺中天)

2006年11月26日 | Weblog
11/24

午後、東京経済大学の粉川講義で山賀ざくろとボクデスのデモンストレーションを見る。普段に比べて真面目に見ていたという学生の雰囲気から察するに、「新鮮なアートを見た!」とか「リアルな表現だった!」というよりは「ああいう大人になっちゃいけない!」なんて感想をもったのではないか(笑)と推測した。

その後、吉祥寺へ。我妻の作品は、女子高生とマッチョな白塗り男たち(女子高生もだけど)とが出会うファンタジー、ということ?すでに大駱駝艦において醸成されてきたさまざまなヴォキャブラリーが作品を支えてはいるが、その表層を破いて出てくる何かはなかった。それにしても、やはり駱駝艦(壺中天)的な舞踏はともかくヌード・ショーなのだ、と再認。次第に汗で白塗りが落ちて若くて生々しいからだがあらわになると、会場に変な熱気が出てくる。ストリップが踊りという建前から裸を透かし見せることだとすれば、これは裸を見せつけながらダンス的な何かを透かし見せる。そのはず、なのだが我妻作品にはダンスの強さがなかった。最後に小さくて等身大のかわいさをも見せる我妻が腕を振り回しながら激しく踊るが、あまり説得力がない。舞踏のポテンシャルとは別のところでの努力という気がする。ところで、白く塗った肌はマットな感じがするが、しかし目だけはいつでも濡れていて光っている。あれは実になまめかしかった。