認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

♯ 認知症 アルツハイマー型認知症の発病と意識の機能構造との関係 「G-02- その3」

2022-02-15 | アルツハイマー型認知症の予防が国民的課題

&3『評価の物差し(=自我』と言う脳機能の存在とその役割

1.「意識的な世界」に於ける脳全体の司令塔としての『前頭葉』の諸機能

(1)  額のところ(前頭前野)に在る『前頭葉』という脳機能は、脳の最高次の機能です。運動の脳、右脳及び左脳を統括し、「脳全体の司令塔の役割」を担っているのです。私たち人間だけに特有な機能である意識、即ち意識的な世界(自由で、選択的で、目的的な意思や思考や行為や言動や行動の世界)では、「左脳」が「デジタルな情報」(言葉、計算、論理、場合分け)の処理を専任的に行なうときも、「右脳」が「アナログな情報」(形、色、音、時間の経過、空間、感情)の処理を専任的に行なうときも、「運動の脳」が「身体」を専任的に動かすときも、三頭立ての馬車の『御者』の役割をしている『前頭葉』という脳機能を構成している要の機能である『評価の物差し(自分独自の物差しで評価する意識の主座)』が実行機能を駆使して行う分析と理解と評価と洞察とシミュレーションと比較と選択と決定による判断なしには、勝手には動けない仕組み(構造)になっているのです。⇔三頭の馬のどれかが動こうとする際には、機能構造的に、必ずその事前に、『評価の物差し』(ホムンクルス=脳の中のもう一人の私=意識の主座=『自我』)が働く構造になっているのです。

(2)即ち、『実行機能』を駆使して、メタ認知する人間だけに特有なタイプの認知であって、注意の分配力の機能を介して、実行機能を駆使して、自我が行う認知のこと主観的な『意識の主座』(自我=「評価の物差し」の機能)による評価と比較と選択と決定が為されているのです。『例えば、「右脳」の働きにより、樹上から下方に向かって、滝が流れ落ちるように、真っ盛りに咲いている眼前のブーゲンビリアの樹の風情について、「自分特有の切り取り方」としての色や形で、自分特有の質感(クオリア:qualia=個々人毎に異なる主観的な認知の質感)を感得することになっている』のです。猶、「時々に感得される個々の質感自体にも、質感の差異が存在」していて、当該質感の差異自体が、前頭葉の三本柱の機能の発揮度に支配され下支えられていて、意識の覚醒度並びに個々の質感自体が、「注意の分配力」を核心とする「前頭葉」の三本柱の機能の高度の発揮と抑制の度合いとに応じて変化するのです。『前頭葉の三本柱』の機能の発揮を基盤として、『評価の物差し(意識の主座)』が一定の機能レベルで働きを開始するその瞬間に『意識』が覚醒され、「評価の物差し」が全面的に覆った状態下で、実行機能の行使が始まるのです。『評価の物差し(意識の主座)』の機能が最優先に働くという「機能構造の枠組み」の下で、『前頭葉』が自分の置かれている状況を分析し、理解し、判断し、その状況判断に従って、三頭の馬を主導しつつ、「前頭葉」の状況判断に沿う形で、同時に協働しながら、三頭の馬が目的となる「テーマ」を実行していくというのが、「意識的な世界」での、人間の脳が働くときのメカニズムであると、私たち「二段階方式」は、考えているのです(前頭葉を含む脳全体の機能の廃用性の機能低下の進行と小ボケ、中ボケ、大ボケの三段階に区分される『-アルツハイマー型認知症』の発病及び症状の重症化の進行とがリンクしている)。相手が話しているその意図を正しく理解できなくなるのも【小ボケで出来なくなる】、 自分が飲む2~3種類の服薬管理が出来なくなる【中ボケで起きてくる症状】、ズボンを頭から被ったり、或いは、徘徊したりするのも【大ボケで起きてくる症状】、上述の注意の分配力の機能が関わるメタ認知に支障が起きてきていること原因なのであり、記憶の障害が原因ではないのです。⇔朝食時はAとCを、夕食時はBとCを飲むという指示を自分で読んでも、適切なメタ認知が出来ないために目の前にあるA,B,Cの薬を適切に扱えないのです。

(3)猶、『意識的な世界』には、意識が覚醒されてはいなくても脳機能としては自由選択的に働いている世界が存在することを注意喚起しておきたいのです。睡眠中に『夢を見ている』場合に代表される世界が存在しているのです。一定の機能レベルにはあるが意識の覚醒度が極めて低い状態の世界が存在しているのです。すなわち、覚醒はしていなくて、「前頭葉」を含む脳全体の選択的な機能状態が存在しているのです。この状態は、「無意識」ではないのです。言い換えると、意識の覚醒度が極限にまで低下していった、その先に、無意識と表現できる究極の状態(無意識状態)が存在していると言い得るのかもしれないと考えるのです。特段の「定義」もしないで、「無意識」という用語を頻繁に使う傾向がある権威が有るとされる専門家達から、見落とされている世界があるのです⇒「脂肪細胞が脳を支配している」などと声高に騒がないで欲しいのです(メッセージを発しているだけのもの)。

※1 例えば、気が付けば何時も気に懸かっている『心配事』が、あなたの心を大きく占めている状態下で、そのとき手に持っていた「スマホ」を、その時、目についた場所に置くのです。これは、その時、そのテーマ(スマホを、目についた場所に置く)自体は、選択的で意識的な行為なのです。心配事に注意の分配量の大半が注がれていて、「スマホをその場所に置く」というテーマに配分されていた注意の分配量が少なかった為に、当該行為の記銘度が極めて低くなり、後で想起することが出来ない(どこにスマホを置いたのかが想い出せない)だけのことなのです。屡々、『無意識に・・・・した』という言葉が乱用されるのですが、そのメカニズムは、上述したとおりであり、「無意識」が支配しての行為ではないのです(『無意識が支配している云々』というのは、権威達の単なる誤解!)。猶、所謂「無意識」なるものには、「選択」が無いのに対し、「意識」には「選択」(且つ、自由意思に基づいた選択であることに留意する)という要素が機能構造的に担保されていることが特徴でもあるのです。この場合、「意識的に云々する」とは、一定レベル以上での「覚醒度」(関連する機能の発揮による覚醒の度合い)が必要条件となるのです。

※2「前頭葉」の三本柱の機能である、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の顕在的な発揮度を意識的に次第に下げて行くとき、(「前頭葉」の機能の発揮度と意識との関わりを調べていけばいく程)意識的な世界でありながら、専門家とされる人達から「無意識」の世界と混同されている世界があることに私たち「二段階方式」は気付いているのです。

(4)  思考、行為、言動、或いは行動のいずれであるかを問わず、それらを一定レベルで行うには、「意識」が一定レベル以上の度合いで覚醒されていることが、不可欠となるのであり、その意識の覚醒の度合いは、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の働き具合に左右され、支配され、下支えられていると私たちは考えているのです。実は、その肝心要の「前頭葉の三本柱」の機能には内在的な(生来的な)性質としての加齢に起因した機能の老化(二段階方式が、その存在を解明し、「正常老化の性質」と呼称)が存在していることを私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積してきた14689例にも上る極めて多数の「脳機能データ」が証明しており(以前、NHKの人気番組である「チコちゃんに叱られる」で採用されたもの)、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象者が60歳を超える年齢の「高齢者」のみに限定されることともリンクしているのです(「アルツハイマー型認知症」は、老年発症が特徴なのであり、若年性アルツハイマー型認知症は、実在しないのであって、「側頭葉性健忘症」を誤診しているものなのです)。私たちがこのブログの中で使用する「意識的」という意味は、「前頭葉」の三本柱の機能である、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の全てが、一定の機能レベルで機能している為に(顕在的な機能)、意識が一定レベルで覚醒されている脳の機能状態を言います(=正常、小ボケ、中ボケ、大ボケ)。

(5) 心理学の専門家達から「無意識」と呼ばれているものには、潜在的な機能である「前頭葉」の「評価の物差し(意識の主座)」としての機能の『潜在的な存在の状態(潜在的な機能の状態)』及び『顕在的な機能であるが「意識の覚醒度」が極めて低い状態にある為に意識に覚醒されていない状態(顕在的な機能の状態)』とがあることが理解されていないか、或いは、両者が混同されているだけなのです。「夢遊病」は、別名「睡眠時遊行症」とも呼ばれる睡眠障害のひとつとされているのですが、そもそも、『無意識に行う動作』は、ありえないことだと考えているのです。意識の覚醒度が極めて低い状態下で行われている為に、当該状況や行為の記銘度が極めて低いものとなっている結果、当の本人が後でそのことを、想起することができないだけのことと、考えるのです。(実は、そのことにも関連していて、専門家たちの間で世界的に有名な実験である、『ベンジャミン・リベットの実験』自体が、解釈を誤っていると私たち「二段階方式」は考えているのです。⇒ 意識下の思考と動作の実施に関わる「注意の分配力」の機能の関わり方(関与の態様と度合い)の理解が不十分というしかないのです。

※動いている『長針が3時を通過するその瞬間の度にボタンを押す』というテーマの実行の為のその瞬間の動作が行われるとき、被験者は、『注意の分配力』の機能の働きによって、①当該テーマを脳内に常に保持している状態下にあって、②長針の動きを常に目で追って行っていて、③長針が3時の真上を通過しようとするまさにその直前に『ボタンを押す動作をイメージして想起しながら、押すという命題を想起』(=メタ認知)して、④『長針が、3時の真上に来たら、その瞬間にボタンを押す動作を脳の中で想起して実行する』のです。即ち、「注意の分配力」の機能の働きにより、動いている長針を目が追い認知し続けているので、左脳と右脳と運動の脳が共同して、ボタンを押す直前に、『注意の分配力』の機能を核心とした「前頭葉の三本柱」の機能が高度に機能を発揮しつつ『ボタンを押すべき動作をイメージする、すなわち、メタ認知的に認識する』のです。更に、その直後(長針が3時の真上を通過すると認知する瞬間)前頭葉の三本柱の機能が高度に機能を発揮しつつボタンを押す動作が実行されることになるのです。明確な血流の変化が起きるのです。然も、両者の関係は、『正に、ミラーニューロン』が働く如き状況が、脳内と脳外で相前後して起きている事例と全く同じことと言えるのです。

これが、実験結果に対する正しい理解なのであり、リベットは、理解を誤っているということなのです。リベットによる実験結果の理解(誤解)は、注意の分配力の機能の働きについての理解が浅いのです。自己が行う「同じテーマの2つの動作=先行するメタ認知と直後に実行される認知」という実行動作の直前の準備と直後の動作の実行には、ミラーニューロンの事例の如く、「同じ脳の領域が関わることを見落としている」のです。この実験の誤った解釈により、『意識に先行する無意識が存在するとか、無意識が意識を支配している』などという誤解が、権威を持つことになったのです。

(6)そもそも「無意識」なるものは、意識の覚醒度が極限の状態にまで低下していったその先の技術的な、または用語上で語られるべきもの(結果)であって、「無意識」を惹き起こす脳の機能が存在する(原因要因)と考えるべきではないのです。その意味で、「無意識が意識を支配している」というのは、言葉の遊び以上の何物でもなく、意味をなさない用語と考えるのです。

2.意識下での認知の「クオリア」の濃淡を発現させている要因とは

(1) 私たち二人が現在住んでいる伊豆高原には、備屋(びんや)珈琲という名のおしゃれな喫茶店があります。先日は、そこで、『小さな音楽会』が催されるというので、TadとKinukoの二人で出かけてきたのです。まだ若いロシア人の美しい歌姫が、電子オルガンを自分で弾き乍ら、ロシア民謡をロシア語で歌ってくれたのです。二人ともロシア語は全く分からないのに、心を打たれ揺さぶられ、涙しそうになるのです。その時、目をつぶって聞くと、目を開けた状態で、歌姫の表情やオルガンを弾く動きを視野にとらえ乍ら聴いている状態で感得される意識の質感(クオリア)との差異があることに気付くのです。目を開けていると、「注意の分配力」の機能が先に働くことになるので、異なる複数の様々な対象に対して、機能構造的に注意が分配されることになる結果、「注意の集中力」の発揮度がその分低下してしまい、結果として、当該対象の認知から感得される「意識の質感」が、その分低下することになるのです。

(2)Tadは、30数年も前に、ブレジネフの時代のソビエトのモスクワに、仕事で何度か行き、科学技術委員会と交渉した後、夜に科学技術委員会からの接待を受けた、会場となった瀟洒な劇場での体験を思い出しながら聴いていたのです。数十人ものジプシー達が、絹の衣をまとっただけの姿で乱舞する状況に驚いたすぐ後に、場面が一転して、華やかなドレスをまとってはいるものの、哀愁を帯びた声調で、若い歌姫が歌うロシア民謡を聞いた体験を有するTadと、そうした生の体験がないKinukoが感得する種々のクオリアには、別の意味での差異が存することにもなるのです。『前頭葉の三本柱』の発揮のレベルが異なることに加え、それぞれが独自に有する『評価の物差し(意識の主座)』及び『記憶の倉庫』の中身自体が、異なっているからなのです。「二段階方式」が提示する上掲『意識の機能構造モデル図』に照らし乍ら、上述した説明をもう一度読み返してみて頂きたいのです。『意識的な世界』、即ち、「意識が覚醒」した状態下で、自分の脳内で起きてくる様々な神経活動を自覚し、様々な感覚での質感を感得することが出来るのは、「注意の分配力」の機能を核心とした『前頭葉の三本柱』の機能の働きと働き具合の変化を基盤としつつ、自分独自の内容であることを特徴とする『記憶の倉庫』との照合を不可避で必然の事前工程としていて、自分独自のものの見方、感じ方が関わる作用が働くからなのであり、そのことは即ち、『評価の物差し』(意識の主座)の機能が、一定の機能レベル以上の機能を発揮することによるものであることを提起したいのです。それ故に、他者とは共感できない質感であり、且つ、対象ごとに異なる様々な種類及び程度からなる自分独自の質感が、同時に並行して、存在してくることになるという訳なのです。

⇒ 自身が、その意識作用に於いて、『自己の内面に目を向けて、その意識過程を分析して,言語化を試みる内観作用』であり、「自分で、自分の気持ちや考えを内省することで、どのような時に、どのような気持ちや考え方になるか、どうしてその考え方が発生し、行動をしたのか、これからどのようなことをどのようにしたいのか、等を考える」ものである所謂メタ認知は、『注意の分配力』の機能の働きが関与して、且つ、一定以上の機能レベルで働くことに因り、初めて成り立つものなのです。

⇒ 意識が覚醒した世界、『意識的な世界』に於いて、脳全体の司令塔の役割を担っている『前頭葉』という機能が、「前頭葉の三本柱」(意欲、注意の集中力及び注意の分配力)の機能、「評価の物差し」の機能及び「実行機能」から構成される「複合機能体」であると考える重要な根拠でもあるのです。

(3)『注意の分配力』の機能を核心とする「前頭葉の三本柱」の機能の発揮が基盤にあって、機能を発揮する上で当該機能に左右され、支配され、下支えられ乍ら、『評価の物差し(意識の主座)=意識の首座』による評価、選択、決定に従い、『注意の分配力』の機能が、「実行機能」と総称されている各種個別の認知機能群(Executive Function)を行使するに際し、左脳、右脳及び運動の脳という三頭の馬が牽引する三頭立ての馬車の『御者』の役割(意識的な世界を運行する脳全体の司令塔)を担っていて、「記憶の倉庫」と照合しつつ、『実行機能』を駆使しながら、自分が置かれている状況を分析し、理解し、判断し、状況判断に沿った「テーマ」を発想し、「テーマ」の実行及び実行内容を企画し、計画して、実行結果の洞察、推理、シミュレーションを行って、シミュレーション結果に基づいた比較を基に選択を行い、実行の決断を下して、脳の各部に実行の指令を出しているのです。その過程で、様々な種類の及び覚醒度がそれぞれに異なる複数の意識が創出され、維持され、統合され、分離されて、同時に並存しているのが、私たち人間だけに特有な世界、意識的で目的的な世界なのです。マウスには、「意識の世界」は存在していないのです。

注意の分配力の機能が重要な役割を果たしている記憶のメカニズムは、マウスの記憶のメカニズムとは、全く異なる上に、『アルツハイマー型認知症』を発病させ、症状の重症化を進行させている張本人、真犯人である【ナイナイ尽くしの単調な生活習慣の継続に起因した廃用性の機能低下】を惹き起こすメカニズムは、マウスには存在していないのです。この要因に気付かないで居て、権威とされる世界中の研究機関や研究者達は、未だにマウスが檻の中でエサを探して徘徊する行動を研究し、無意味な推測や憶測をして、世の中を惑わせているのです。間違った場所を、間違った方法で掘り続けている限り、どこまで深く掘ろうとも、何も出ては来ないことを、指摘しておきたいのです。自分たちの根本的な誤りに気付くのに、あと何年間必要とするのでしょうか。世界の権威を自認するのであれば、その分、社会的責任を自覚すべきなのです。

(4)そうした機能構造の存在を前提としたものである「廃用性の機能低下の進行の連鎖」であり、『前頭葉の三本柱』の機能が(連鎖的に説明すると、「評価の物差し=自我」の機能が、「実行機能」が、『前頭葉』の機能を含む脳全体の機能が)、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行して行くことを直接的に反映したものとしての「意識が覚醒」している上での様々な支障が、『アルツハイマー型認知症』の症状(社会生活面での支障=「小ボケ」、家庭生活面での支障=「中ボケ」及びセルフケアの面での支障=「大ボケ」)として発現してくる「意識的な世界」での存在を問題提起したいのです。

世界中の専門機関から、発病の原因が不明とされている『アルツハイマー型認知症』は、何等の器質的な原因病変は存在していなくて、第二の人生を送る上で日々展開される単調な生活習慣、追及する特別のテーマがなく、生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標となるものがない、ナイナイ尽くしの単調な『生活習慣』の継続が惹き起こす、前頭葉を含む脳全体の機能の廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行が『唯一の原因』で発病するタイプの認知症なのであり、その本態が廃用性症候群に属する老化・廃用型の単なる『生活習慣病』に過ぎないと、私たち「二段階方式」は、一貫して主張しているのです(発病のメカニズムの詳細については、このブログの「F-12」 を参照して下さい)。

(5) 上記(4)の考えから、発病を予防できる、症状を治せる、或いは、症状の進行を抑制できる効能を有する薬が開発されることは、未来永劫ありえないことだと考え、主張しているのです。「アリセプト」他の4種の薬も、今回出てきたアデュカヌマブも、治療や発病の予防の効能は、有していないのです。効能の有無の評価が杜撰な為に、誤った主張がなされているだけなのです(詳細は、このブログの「F-14」 を参照して下さい)。発病の予防効果も、治療の効果も、症状の進行を抑制する効果も有しない、こんな薬が万が一にも承認されたとしたら、その背景に何があるのかを分析し、公表したくもなるのです。

(6)「脳の機能の顕在的な発揮度とその機能の潜在的な機能レベル」という視点から言えば、『アルツハイマー型認知症』発病の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、「左脳」も「右脳」も「運動の脳」も潜在的な機能レベル自体は未だ正常なレベルにあるのです。三頭の馬はどれも未だ正常なレベルにあって、脳全体の司令塔の役割を担っていて「三頭建ての馬車」の御者である「前頭葉」の潜在的な機能レベルとしての働き具合だけが「異常なレベル」に衰えてきている状態にあるのです。

その為、『前頭葉』の機能の中で最も基礎的で、且つ重要な働きであり、分析、理解、発想、計画、創意、工夫、洞察、推理等「実行機能」の個別認知機能による「認知度」及び「発揮度」を左右し/下支えている「前頭葉の三本柱」の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の潜在的な機能レベル自体が異常なレベルに衰えてきている為、様々な場面で、状況や目的に即しては(又は、状況や目的に十分には)、『実行機能』と総称されている各種個別認知機能群の機能を、十分には発揮させられなくなっている為、「アルツハイマー型認知症発病の本当の意味での初期症状」が発現してくることになるのです。そこには、「権威」と称されている、世界中の専門家達から見落とされている本当の意味での初期段階(二段階方式の区分でいう「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)が存在しているのです(その類型的症状については、このブログの「F-11」を参照して下さい)。

彼等は、末期の段階の後半、11の下位項目から構成されていて、30点が満点であるMMSE(左脳及び右脳の機能レベルを判定する手技)の総得点が9点以下、一桁になって初めて発現が確認される症状、極めて重度の症状である失語や失認や失行の症状を確認して初めて発病と診断する『重大な誤りを犯している』のです。このことに加えて更なる重大な誤りとして、物忘れの症状を判定基準とする「MCIの基準」(軽度認知障害)が提示されてもいるのです。『MCI』の基準の該当者を、『アルツハイマー型認知症』発病の前駆的状態と説明する愚を犯しているのです(このブログの「F-12」を参照して下さい)。

正しくは、前頭葉(御者)の機能障害に起因した症状の発現という本当の意味での早期の段階が存在するのです。権威達が主張しているMCI(軽度認知障害)という基準と考え方は、これまた、「重大な誤りを犯している」内容なのです。前回のこのブログで注意を喚起し、問題提起しているように、物忘れは、アルツハイマー型認知症の発病とは、直接の因果関係はないのです。『前頭葉』の機能障害こそ、「真犯人」なのであり、物忘れの症状を含む記憶の障害は、前頭葉の機能障害に起因して発現する症状の「一形態に過ぎない」のです。

前頭葉を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした三段階に区分される症状が発現してくることさえ知らないで、発病との間の因果関係の存在を未だに実証できない儘に、「記憶障害」という憶測に基づいただけの原因を想定していて、アミロイドベータ仮説を筆頭に「4つの仮説」が主張されているのです。発病の真の原因を語れないで、極めて重度の症状を初期症状だと誤解していて、「物忘れの症状」を外観から主観的に観察するだけのものであり、客観性が全く担保されていない『MCIの基準』(軽度認知障害の考え方)が世界中を席巻しているのが現状なのです。

3.何等かについての簡単な思考であれ、言動であれ、行為であれ、意識的に何等かのテーマを発想し、実行するには、一定レベルでの『意欲』の発揮が必要不可欠なのです。きちんとした内容で実行するには、『注意の集中力』の継続的な発揮が要求されるのです。実行の結果を洞察し、推理し、シミュレーションして、最適な方法を選択するには、『注意の分配力』の機能の高度な発揮が、不可欠となるのです。それらの過程で、『実行機能』と総称される個別の各種認知機能群の機能を最大限に発揮させるには、それら機能の発揮の度合いを左右していて、支配し、下支えている機能である『前頭葉の三本柱』の機能の存在と関与が欠かせないのです。

これが、『アルツハイマー型認知症』の発病原因を解く鍵なのであり、私たち二段階方式が、実行機能の機能発揮上の二重構造と名付けている機能構造なのです。権威とされる人達は、このことにさえ気づいていないのです。認知症研究の専門家と言いながら、彼等は、最も重要で、核心的で、簡単な『この要因を見落としている』のです。挙句の果て、『注意の分配力』の機能が備わってもいない、マウスを対象にして、仮説を主張しているのです(間違った方法で、間違った場所を、深く掘っているだけ)。

(1)「アルツハイマー型認知症」発病の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、『前頭葉の機能障害』に起因した症状しか発現が確認されないのです。自分が置かれている状況の分析と理解と判断も不十分にしか出来なくなるし、発想が湧いてこないし、見通しも立たないし、何をどうするのかという「テーマの構想と計画や工夫」も出来なくなってくるのです。テーマを実行する上で不可欠である実行の程度や態様、自分が置かれている状況や相手との関係などのシミュレーションも不十分にしか出来なくなり、最終的な決断自体も足元が揺らいでくるのです【何事に対しても他人を頼るようになる『指示待ち人』が、『小ボケ』(軽度認知症)の段階の「お年寄り」の特徴なのです】。

(2)意識的に何等かの「テーマ」を発想し、実行を計画し、決断する上で、必要不可欠の大本の働きをしている「意欲」が、不十分或いは断続的にしか発揮できなくなってしまうのです。何かの「テーマ」に取り掛かってみても、「注意の集中力」が続かなくて、「あれも遣り掛け、これも遣り掛け」という風に、中途半端になってしまうのです。ケースシミュレーションする上で不可欠の「注意の分配力」が不十分にしか働かなくて(頭の回転が、鈍く、遅くなってしまう)、かつてのようにテキパキとは、用事を処理することができないのです。実行すべき何等かの「テーマ」の発想が湧いてこないので、毎日をボンヤリと過ごして、居眠りばかりするようになるのです。臨機応変とか、機転が利くとかとは、無縁の人となり、「あーしたらどうなるか、こうしたらどうなるか」と言った脳の使い方、『注意の分配力』の機能の出番が極端に少ない単調な毎日を送る「生活習慣」が、日々繰り返されていくことになるのです。

『セルフケア』自体には問題ないし、『家庭生活面』でのさしたる支障も見られないので、家族も特段気づかないのですが、『家の外に出ていき、他人と交わり、何等かの共通のテーマを実行することが必要となる』社会生活面で、支障が出てくるのが、『小ボケ』の段階なのです。脳の後半領域の機能である左脳も、右脳も、運動の脳も未だ正常な機能レベルにあるのですが、三頭立ての馬車の『御者』の役割、脳全体の『司令塔』の役割を担っている『前頭葉』の機能が異常なレベルに衰えてきている為に、『前頭葉』の機能障害の症状が発現してくることになるのです(F-11を参照して下さい)。

(3)『アルツハイマー型認知症』発病の 最初の段階である「小ボケ」の段階で、これまでの本人を特徴づけていた「その人らしさ」が、日々の暮らし方の中から消えて行ってしまうのです。その人らしい物の見方、感じ方、捉え方、考え方、或いはそれらの表出の発言や行動を決定する「前頭葉」の評価機能である行動指針(「評価の物差し=意識の主座」)の反映としての「生活および行動態度」が、大きく変化してしまい、或いは失われていき、「元は、こんな人では、なかった」と周りから言われるようになるのです。此処で注意すべきは、『そうした変化は、「評価の物差し(意識の主座)」の基準内容自体が変化した訳ではないということなのです』。『評価の物差し(意識の主座)』の働き方が(当該機能の発揮の度合い=機能レベル)、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行の結果として、変化した(当該機能の発揮レベルが異常なレベルに低下した)に過ぎないのです。

他人に対する言動や対応の仕方を含めて、あたかも「人柄の本質」自体が変わったかのような「特徴的な症状」を示してくるのですが、それは、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力(中でも、注意の分配力の機能)の潜在的な機能レベル自体が、異常なレベルに衰えてきていることが直接の原因となり、「前頭葉」の『評価の物差し(意識の主座)』としての顕在的な機能の発揮度が異常なレベルに機能低下していることを反映した認知症の症状なのです。潜在的な機能自体が異常なレベルに衰えているので、日常の生活面での『前頭葉』機能の顕在的な発揮度それ自体が認知症の初期症状(脳全体の機能レベルのアウト・プットそれ自体)として発現することになるのです。

※意識的な世界は、三頭立ての馬車が運行する世界であり、『軽度認知症=小ボケ』の段階では、『御者だけが、異常な機能レベルに在る』とはいえ、脳全体の司令塔の役割を担っている『前頭葉』の機能が異常な機能レベルに在る訳であり、そのアウトプット(前頭葉を含む脳全体の機能レベルの反映)である症状は、異常なレベルのものであり、『アルツハイマー型認知症発病としての症状である』ことを理解すべきなのです。このことを言い換えると、『前頭葉』の機能レベルを判定しないで(肝心要の、判定するための手技を持たない為)左脳と右脳の機能レベルだけの判定に頼っているのでは、見落としてしまうのです。

4.ところで、「前頭葉」の『評価の物差し(意識の主座=自我)』自体は、あくまで後天的に形成されるものなのです(=独自の価値観自体は、後天的に形成される)。

(1)4歳になる以前での幼児期における体験、自分を取り巻く環境、特に「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした家族環境の中での実体験を基礎として『評価の物差し(意識の主座)』の「原型」が形成され、4歳児から18歳ごろまでの体験(実体験及び伝聞による体験)の積み重ねにより悩み、迷い、或いは拒絶し、好むと好まざるにかかわらずそうしたもろもろの体験の集積が幼児期に獲得したその原型の上に加味され溶け込んでいく中で、最終的に自分としての独自のものを形成し、確立していくのです(『自我』の確立)。

(2)なお、ここで私たちが言う『評価の物差し(意識の主座)』とは、自分独自の/自分だけに特有な対象の切り取り方、見方、感じ方、受け止め方、考え方、或いは、それらの表出の程度及び態様を比較し、評価し、選択し、決定する上での、観察、感受、表現、表出、思考、言動及び行動指針のことを言います。言い換えると、意識的に何かの「テーマ」を実行していく(表情、仕草、動作、発言、行為、言動、行動)上での、自分が於かれている状況及び環境の分析、理解、判断、状況の判断に沿った「テーマ」の発想、「テーマ」の実行内容の企画と計画、計画内容の実行結果についてのシミュレーション、或いは、計画内容の実行の仕方及びその実行内容の表出である言動や態度を比較し、評価し、選択し、決定するに際しての自分独自の選択及び決定と決断に非選択的に関わってくることになる『評価規範=価値規範=行動規範=選択規範=(意識の主座=自我)』なのです。

(3)なお、「非選択的に関わってくる」とは、程度のいかんに拘わらず意識が覚醒された瞬間に『評価の物差し(意識の主座)』としての網が『前頭葉』の各種の個別認知機能群である『実行機能』全体を覆い、状況の分析や理解及び判断も、「テーマ」の発想も、「テーマ」に沿った実行内容の企画や計画も、結果のシミュレーションンも、或いは、それらの表出程度や態度の選択も、実行するかしないかの選択、決定、決断の全てについて、「評価の物差し=意識の主座」による非選択的な評価及び選択が下される機能構造の存在という制約の下で、選択的に(自由意思として)実行されることになるという意味なのです。別の表現を借りて説明すると、『評価の物差し(意識の主座)』の潜在的な機能が「自我」、「人格」、或いは「人柄」なのであり、顕在的な機能の発揮状態が「心」、「感情」、「表情」、或いは、「気持ち」、「態度」又は「言動」であると、私たち「二段階方式」は考えているのです。

⇒ 脳の中には「もう一人の私は居ない」、『意識の主座は、独り者=自我』なのです。

(4)ここで一つ注意を喚起しておきたいのは、専門家が問題にする『ホムンクルスの誤謬』の問題です。『認識の主体と客体の関係が、無限に後退して続いていくことになる』というテーゼなのですが、それ自体が、重大な誤りなのです。主体は、『評価の物差し』だけ。

『意識的な世界』は、「注意の分配力」の機能を核心とする「前頭葉の三本柱」の機能の働きにより、基本的には、異なる複数の『意識』が、同時に並存しているものなのです。『注意の分配力』の機能が一定の機能レベル以上に発揮されるだけの分配の対象となったテーマについては、『実行機能』を駆使して、メタ認知が、同時に複数行われているのです。マウスは愚か、チンパンジーやオランウータンにも備わっていない脳機能であって、私たち人間だけに特有な機能である『注意の分配力』の機能及び『実行機能』について、並びに、両者が共同する機能関係について、未だに、権威とされる人達が無知なせいなのです。

注意の分配力の機能の分配の程度の差異によって(量及び質の差異に起因)、覚醒の度合いが異なる複数の異なる意識が常に並行して存在しているのが常態であり、「前頭葉の三本柱」の機能に下支えられ乍ら、『評価の物差し』(意識の主座)の機能が、「実行機能」を駆使することによって、メタ認知が行われてもいるのです。『評価の物差し(意識の主座)』による当該対象に対する評価の変化、或いは、興味や関心の対象の変化が起点となって、「注意の分配力」の機能が働いて、「注意の分配量」の配分の変化が起きることにより、「対象に対する意識の覚醒の及び集中の度合い」が変化して(「質感」の変化を誘導することにもなる)、或いは、「対象そのものが変化する」ことになると考えるのです。

『評価の物差し』による変化を下支えているのが、『注意の分配力』の機能なのです。『注意の分配力』の機能の存在と働き無しには、『覚醒の度合い』が異なる複数の『意識』の同時、且つ、並行しての存在(3つ以上の異なる複数の意識の同時、並行存在)は、在り得ないことなのです。私たちが気にもかけないで、異なる複数のテーマを容易に実行できている(例えば、運転席の横に仲の良いお友達を乗せて、日常会話を楽しみ乍ら、移り行く周囲の景色を楽しみ乍ら、Tadが大好きなマライア・キャリーの“ We Belong Together”をBGMに流して楽しみ乍ら、信号を無視することもなく、溝に落とすこともなく、流れに沿って、車を走らせることが出来る)のは、『注意の分配力』の機能が正常な機能レベルで働いているからなのです(「小ボケ」の段階のお年寄りは、道路の真ん中よりを、時速30kmほどのスピードで、ノロノロ運転し、何台もの車を後に従えていることにも気づかない)。

⇒意識的な世界の構築と運営に不可欠である『注意の分配力』の機能は、マウスには愚か、マーモセットにも、チンパンジーにも、備わっていないのです。

加えて言うと、意識的な世界における認知の内容、枠組み、程度及び態様を決定づけている大本の機能である『評価の物差し(意識の主座=自我)』の機能には、『志向性、但し、確率論的視点にはなじまない』が備わっているその一方で、『柔軟性=状況による選択的変化、或いは、時に逸脱=不確定性』が備わっているのであって、機械的な世界であるに過ぎない『AI技術』のような、プログラムされた通りの機械的な反応しか出来ないものとは質的に全く異なるものであることが、特徴でもあるのです。『脳の中にもう一人の私が存在している』のではなくて、「前頭葉の三本柱」の機能が一定の機能レベルで機能を発揮する瞬間、言い換えると、「意識」が覚醒される瞬間に及び脳内及び脳外のすべての事象の認知について、私『評価の物差し=(意識の主座=自我)』が、主体となり及び主座となると私たち「二段階方式」は、考えているのです(個々の木でなくて、森を見ての考え方)。

例えて言えば、『評価の物差し(意識の主座)』の機能の場合には、客観的な存在としての赤を、主観的には、赤と評価しないことができるのです。自我として確立された機能であるために、基本的には、揺らぎや変化が起きてこないものなのですが、時と場合(状況や場所や相手)によっては(このこと自体の選択についても、『評価の物差し(意識の主座)』が真っ先に働いているのですが)、異なる認識と対応を選択することが出来るのです。いかなる場合と状況下でも、常に同じという機械的な選択とはならないことが、特徴なのです。

(5) 通常のケースとしては、「3歳児までの幼児期」に形成されたその「原型」を基盤に、その色眼鏡をかけた状態で、その後の知識や経験や体験(実体験及び伝聞体験)により、加味或いは付加される価値観を自分なりに反抗し、受け入れる中で、必要な修正や変更や追加や取捨選択がなされていき、最終的には、18才頃までに自分なりに確立された独自の『評価の物差し(=意識の主座=「自我」)』(「観察規範」、「価値規範」、「評価規範」、「比較規範」、「選択規範」、或いは、「行動規範」)を形成していくことになるのです。そうした自分独自の『評価の物差し(意識の主座=「自我」)』が形成され、確立されていく過程は、同時に、精神分析学や心理学の専門用語で言う『自我』の形成及び確立の過程と重なるものと、私たち「二段階方式」は考えているのです。確立された『自我』が、確立された「評価の物差し」、すなわち、『意識の主座』であると考えるのです。

なお、「三つ子の魂百まで」、或いは「頭禿げても浮気はやまぬ/産屋の風邪は一生つく/産屋の癖は八十までなおらぬ/漆剥げても生地は剥げぬ/噛む馬はしまいまで噛む/子供は大人の父親/雀百まで踊り忘れず/痩せは治るが人癖は治らぬ/病は治るが癖は治らぬ」等の古くから言い慣わされてきた諺が示しているように、全てを吸収する4歳以前の幼児期に形成された『評価の物差し(意識の主座)』の「原型」は、4歳児以降の人生での様々な知識や経験や体験をもってしても、容易には変更できない程、最終的な自分なりの或いは自分独自の評価の物差しを確立していくことに対する影響が極めて大きいのです。

3つ子、4歳以前の幼児というのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした自分を取り巻く家族環境の中での体験に対して、それらを評価したり、批判したり、反発したりする能力を未だ持っていないので、それらの体験を何の疑いもなくそのまま、ただひたすらに受け入れるだけなのです。恐ろしいのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」が示す価値観が、そのままその子供の「前頭葉」の『評価の物差し(意識の主座)』の原型となってしまう、無抵抗に『前頭葉』に入り込んで「原型」を形成してしまうことなのです。

⇒ 「親の背中」の影響というテーマについて、親がもっと自覚を持つべきものなのです。


&4 「意識」の覚醒下『前頭葉』を含む脳全体の機能の発揮に関わる二重構造

1.『DSM-Ⅳ』の規定内容の重大な誤り

(1) 「アルツハイマー型認知症」の発病者である場合は、発現して来る初期の症状は、左脳(失語)がらみの症状、右脳(失認)がらみの症状、運動の脳(失行)がらみの症状、又は、実行機能がらみの症状となると、『DSM-Ⅳ』(米国精神医学会が策定したアルツハイマー型認知症の診断規定)の第二要件は規定しているのですが、実はこれが「重大な誤り」の規定内容なのです。最初に挙げられた「3つの要件」は、特定の症状を例示しているのに対し、最後の要件は、症状が発現してくる原因、要因を規定したものなのです【「実行機能」の障害(disturbance in executive functioning )】に起因して発現して来る症状という「前3者とは異なる規定の仕方」なのです。規定の仕方自体が、論理的に支離滅裂のものとなっているのです。

※後で、詳細について説明しますが、失語や失認や失行の症状自体が、実は、記憶障害でなくて、「実行機能」の機能障害(三者の機能構造の関係で言うと、「前頭葉の三本柱」の機能障害に起因した、「実行機能」の機能障害=『前頭葉』の機能障害)に起因して、発現して来る症状なのです(「4つの仮説」は共に、この点で、重大な誤りを犯している)。

(2) 加えて『DSM-Ⅳ』の規定は、「意識的な世界」に於ける脳の機能構造を無視したものなのです(機能構造を知らない為に誤った内容の規定をしているのです。4つの仮説も、MCIの基準も同じ誤りを犯しているのです。『意識的な世界』に於ける、脳全体の司令塔の役割を担っている『前頭葉の機能レベル』という視点がない為、失語や失認や失行の症状が発現してきていないもっと軽い段階、二段階方式の区分で言う小ボケ及び中ボケの段階が存在することに、未だに気が付いていない、見落としているのです)。

(3)『実行機能』は、意識的な世界、即ち目的的な世界に於いて、『評価の物差し』の規範に従って①自分が置かれている状況を分析し、理解し、憶測し、推測し、判断して、②状況判断に沿った自分なりの何等かの「テーマ」を発想して、③「テーマ」の実行内容及び実行の仕方を企画し、計画して、④想定した条件下での実行の結果を洞察し、推理し、検索し、シミュレーションして、⑤シミュレーションの結果を比較し、⑥最終的な実行内容及び実行の仕方を選択して、⑦実行内容を決定して、⑧実行の決断をし、⑨意識的な世界における脳全体の「司令塔の役割」を担っている、『前頭葉』の機能が左脳、右脳及び運動の脳に対して、実行の指令を出すという機能構造になっているのです。①『実行機能』とは、上記(3)で赤字列挙した個別認知機能群の総称なのであり、②「実行機能」が働くには、左脳、右脳及び運動の脳を介しての働きが不可欠となるのであり、加えて、③実行機能が機能を発揮する為には、『注意の分配力』の機能を核心とした「前頭葉の三本柱」の機能による下支え及び管理が不可欠となるという機能発揮上の二重構造の関係があるのです(『前頭葉の三本柱』の機能、就中、「注意の分配力」の機能の関与の度合いが、「実行機能」の働きの度合いを左右しているという機能構造をしている)。

 この機能発揮上の二重構造から、実行機能の機能障害は、前頭葉の三本柱の機能障害に起因して惹き起こされることになるという「機能構造」に対する無知が原因での規定内容上での間違いを犯しているのです(「実行機能の機能障害」と規定するのではなくて、「前頭葉の三本柱」の機能障害に起因した実行機能の機能障害が正しい規定内容となるのです)。加えて、実行機能の機能障害は、第二要件に規定するのではなく、第一要件に規定すべきものなのです。第一次的に『注意の分配力を核とする前頭葉の三本柱の機能』の機能障害に起因して、第二次的には、『実行機能』の機能障害に起因して、最終的には、即ち、『前頭葉』の機能障害に起因して、失語や失認や失行の症状が発現して来るものなのです(機能障害の因果関係が支離滅裂の規定)。

(4)分かり易く表現して説明すると、意識的な世界、目的的な世界は、左脳、右脳及び運動の脳という三頭の馬が牽引する「三頭立ての馬車」が運航する世界なのであり、馬車の運行を判断し、支配し、管理し、コントロールしているのが御者である『前頭葉』という脳機能なのです(意識的な世界、目的的な世界では、『前頭葉』の機能が、脳全体の司令塔の役割を担っているので、「前頭葉の異常な機能レベル」が、症状に反映されたものとなる)。左脳、右脳及び運動の脳を手足として、『前頭葉』が運行の全般を管理し、コントロールしていて、思索や思考、行為や行動、或いは、発言を行う上で、不可欠となる脳機能が、「実行機能」であり、「実行機能」の機能の発揮度を支配し、管理し、下支えているのが、『前頭葉の三本柱』の機能という機能構造関係にあるのです。

(5) このことを言い換えると、意識的な世界、即ち、意識が覚醒した世界、目的的な世界では、左脳、右脳及び運動の脳を手足として、実行機能を活用して馬車を運行して行くとき、『前頭葉の三本柱』の機能レベルが、その先の全ての意識的なアウトプット、即ち、実行機能の働き具合及び記憶の倉庫との照合関係並びに、左脳、右脳及び運動の脳の働き具合、(或いは、それら機能の複合した機能発揮の関係の上で)、必ず直接的に反映されるという「因果関係の鎖」の連鎖が存在しているということなのです。

➡『注意の分配力』の機能を核とした「前頭葉の三本柱の機能」の機能障害が、実行機能の機能障害に繋がり、即ち、そのことが『前頭葉の機能障害』となり、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能障害が、関わる全ての、アウトプットに直接反映されることになり、アルツハイマー型認知症の症状が発現して来ることになる(小ボケの段階の症状は、アルツハイマー型認知症としての症状であることが、権威達から、見落とされているのです)⇒ 小ボケ及び中ボケの段階の症状も、「アルツハイマー型認知症の発病」としての症状なのです(⇔アルツハイマー型認知症が認知症全体の90%以上を占める)。

(6) 第二要件の規定の問題点を明確にしつつ表現すると、「注意の分配力」の機能を核とする前頭葉の三本柱の機能の機能障害が「実行機能」の機能レベルに直接的に影響し、「実行機能」の機能障害が、即ち、総体としての『前頭葉』の機能障害となるのであり、「意識的な世界」における脳全体の「司令塔の役割」を担っている『前頭葉』を含む脳全体の機能レベルにリンクしたアウトプットそれ自体が、『アルツハイマー型認知症』の発病としての「症状」となる(小ボケ、中ボケ及び大ボケの症状となる)という訳なのです。

2.『意識的な世界の認知』と脳の機能構造と機能障害

(1) その機能構造の要の機能が、「前頭葉の三本柱」の機能(意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能を総称して、二段階方式が名づけているもの)なのです。その要の機能である『注意の分配力』の機能なしには、こうした現象は起きてこないことについて、世界中の、脳科学者も哲学者も認知症の研究者も、未だに気づいていないことが、『アルツハイマー型認知症』の発病のメカニズムが不明とされている一番の理由なのです。アルツハイマー型認知症は、意識が関わるタイプの認知症であり、意識を構築し、統合し、分割し、管理し、コントロールしている要の機能が、『注意の分配力』という脳機能なのですから。

(2) 『注意の分配力』の機能は、『3つ以上の、内容及び覚醒度が異なる、多層で多重の複数のテーマ及び意識を同時に並行して、且つ、重層的に、処理する為に不可欠の機能なのであり、あの人は頭の回転が速いという言葉があるように、咄嗟の判断と処理を行う上でも不可欠の機能』なのです。同時に並行して、且つ重層的に行われるのが特徴である、①複数の対象の認知にも、②複数の意識の構築、統合、分割、管理にも、③各意識の「覚醒度」又は、「質感」の差異を生じさせるにも、この『注意の分配力』の機能が関わることが不可欠となるのです。

(3) 私たち人間だけに特有な世界である「意識的な世界」、即ち、自分が置かれている状況の判断に沿った『テーマ』を発想し、目標を定めて、実行に移していく世界である「目的的な世界」では、個々の認知を行う機能であり、『実行機能』(Executive Function)と総称される機能の発揮度を左右し、下支えして、支配し、管理している脳機能が、『注意の分配力』の機能なのです。

分析、理解、判断、計画、洞察、推理、検索、シミュレーション、比較、選択、抑制、感動、決断等の個別認知機能群(総称して実行機能と言う)が働く場面では、内容と覚醒の度合いとが異なる『複数の意識』が同時に並行して存在しており、その働きを可能にさせている要の機能が『注意の分配力』の機能なのです(「注意の分配力」の機能を支えているのが「注意の集中力」の機能であり、「注意の集中力」の機能を支えているのが『意欲』の機能と言う多重で多層の機能構造が存在していることにも注意が必要です)。言い換えると、「注意の分配力」の機能の関与が無いと、実行機能は働くことが出来ないという機能構造(このことを、二段階方式では、実行機能の機能発揮上の二重構造の問題と呼んでいるのです)が存在しているのです。

この構造の上で更に、注意の分配力の機能が廃用性の機能低下に因り異常な機能レベルに衰えてくると、実行機能の発揮度が異常なレベルのものになってしまうことに直結して行くのです(機能構造の連鎖=廃用性の機能低下の進行の連鎖が起きてくるのであり、最終的には、『前頭葉』の機能障害に繋がること及びその機能構造の関係が、ナイナイ尽くしの単調な生活習慣の継続に起因した廃用性の機能低下が進行する場合に、三段階に区分される症状の発現という直接的な反映という連鎖を生じさせてもいるのです)。※ここに取り上げる機能構造の連鎖及び廃用性の機能低下の進行の連鎖は、マウスにも、マーモセットにも無関係で、私たち人間だけに特有なものなのです(アルツハイマー型認知症の特殊性)。

&5『アルツハイマー型認知症』の発病と「意識の世界」との関わり

(1)世界中の専門家達が未だに気ずいていないことなのですが、『アルツハイマー型認知症』の発病及び症状は、私たち人間だけに特有な『意識』が関わるタイプの認知症なのです。様々な程度及び態様による発現が確認される『アルツハイマー型認知症』の症状は、『前頭葉』を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状、『脳のリハビリ』の実践に因る回復の可能性の有無及び程度により、「三段階に区分」される症状が発現してくるのが特徴なのです。『前頭葉』の構成機能の一つである『実行機能』を下支えていて、支配し、管理している機能である「前頭葉の三本柱」の要の働きをしている機能である『注意の分配力』の機能が、仕事とは無縁の日々となる「第二の人生」を送る上で展開されるナイナイ尽くしの単調な生活習慣の継続に起因した『廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行』により、異常な機能レベルに衰えてきたことに起因した『前頭葉を含む脳全体の機能レベル』の直接的な反映としてのアウトプットが、三段階に区分される『アルツハイマー型認知症』の症状として発現して来るものなのです(14689例の「脳機能データ」が存在=受診の為に、日本中から浜松医療センター脳外科を連れてきた発病患者のデータ)。

(2)『アルツハイマー型認知症』を発病した最初の段階(脳の機能面から定義すると、左脳、右脳及び運動の脳の全てが正常な機能レベルに在って、「意識的な世界」、即ち、「目的的な世界」における脳全体の司令塔である『前頭葉』の機能だけが異常な機能レべルに在るのが特徴)である『小ボケ』の段階では、異常なレベルでの「記憶障害」の症状はその欠片も確認されなくて、『全てが「前頭葉」の機能障害の症状だけ』なのです。「各段階の症状」が発現する基礎となっている『前頭葉』を含む脳全体の機能レベルについて、「二段階方式」の手技のような精緻な神経心理機能テストを活用して確認すれば、一見した限り、「記憶障害」の症状を呈しているのかと誤解しそうな「中ボケ」及び「大ボケ」の段階の症状も、「記憶障害」の症状が「アルツハイマー型認知症」の根幹となる症状であると主張する「権威ある人達」の主張内容が誤りであることを容易に理解することが出来るのです。

(3)「前頭葉」の機能構造や「意識的な世界」の機能構造や「前頭葉」の三本柱の機能と「前頭葉」の個別認知機能群である『実行機能』との機能発揮面での「二重構造」の関係に目が行き、そのことを理解することが出来れば、『アルツハイマー型認知症』の症状の発現のメカニズム(機序)が、私たちが独自に規定した発病の「第二の要件」に掲げている内容、(左脳の出番が極めて多い性質のものである)仕事とは無縁の日々となる『第二の人生』を送る上で展開される単調な生活習慣、追及すべき特別の「テーマ」がなく、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの単調な『生活習慣』の継続に起因したものであることを容易に理解できるのに(分かってしまえば、コロンブスの卵程度のもの)、『器質的な病変が、発病の原因である』との誤った前提に立脚している上、『「記憶障害」の症状が根幹をなす』との誤解に基づいた前提条件だけにしがみついていて、マウスを追いかけていたのでは、発病の真の原因に迫ることは出来ないし、「仮説」の域から脱出することも出来ないのです。

権威を自任する人達は、カロリンスカ研究所がAI技術の駆使による大量の比較データの解析により、交遊や運動などの生活習慣が発病の危険因子と考えられるとの論文を発表すると、(「アミロイドベータ」の蓄積により生成される「老人斑」の持つ毒性により、神経細胞の大量死が惹起されて記憶障害が起きてくることに起因して発病すると主張する)アミロイドベータ仮説を支持していながら、運動や交遊が発病を予防すると主張するのです。仮説によると、運動や交遊が神経細胞の大量死を予防することになるという、非科学的な結論を導くことになるのです。

※1『アルツハイマー型認知症』は、廃用性症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病であり、その症状は、「前頭葉を含む脳全体の機能レベル」に厳密にリンクした三段階に区分される症状(小ボケ、中ボケ、大ボケの症状)が発現して来るのが特徴なのです。末期の段階である「大ボケ」の段階にまで症状が進行して来ると、意識的に何かのテーマを発想し、実行することが出来なくなるのです。記憶障害が原因で起きてくる訳ではないのです。『注意の分配力』の機能が働かないことにリンクして、実行機能が働かないこと、即ち、『前頭葉』を含む脳全体の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に因り異常な機能レベルに在る為に、異常なレベルでしか機能が発揮出来なくなってきていることが、真の原因なのです。

※2様々な種類が数ある認知症の内で、その大多数、90%以上の割合を『アルツハイマー型認知症』が占めているのです(小ボケ、中ボケ及び大ボケの全ての段階を含めた場合のこと)。発病者数が600万人を超えたとしている厚労省の予測数値には、「小ボケ」及び「中ボケ」の人数は含まれていないのです(世界中の専門家機関が、「前頭葉」の機能レベルを精緻に判定することが出来る手技さえ持っていない為に、失語や失認や失行の症状が初期症状であると規定している「DSM-4」の第二要件の規定内容の誤りに気づいていなくて、極めて重度の症状だけにしか注意が行っていない結果、私たち「二段階方式」の区分で言う「小ボケ」と「中ボケ」の段階が見落とされていて、アルツハイマー型認知症の発病者の人数に含まれていないのです)。コロナ下、「三蜜の回避」に徹する生活習慣(脳の使い方の視点で言う単調な生活習慣)が継続する暮らし方が二年間にもわたる状況下で、症状の重症化が進行してきていて、新規の発病者が大幅に増えてきてもいるのです。

※3 権威が主張する内容『アルツハイマー型認知症は、発病の原因が不明で、治すことも発病自体を予防することも困難なタイプの認知症である』を鵜呑みにしていて、失語や失認や失行の症状が「極めて重度の症状である」ことも知らないで、末期の段階で発病を見つけていて、発病のレッテル張りしかしていなくて、症状の進行を抑制する治療の効能も無く、単に、「症状の発現の仕方を抑制させたり、昂進させたりする効能しか有していない」単なる「対症療法薬」であるアリセプトを含む「4種の薬」を処方するだけなのが、医療現場での診断の実態なのです。早期診断による回復(「小ボケ」と「中ボケ」の早期の段階で発病を見つけて、「脳のリハビリ」の実践により回復させる、症状を治すこと)が、対象となっていなくて、発病自体の予防も対象となっていなくて、何時発病したのかも分からないままに放置されていて(本当の意味での「早期診断」が行われていない)、セルフケアにも支障が出てくるようになり、介護が不可欠のお年寄りの介護の為の費用だけでも単年度ベースで10兆円を超える規模(一般会計分と特別会計分との合計)になっているのです。

⇔ 『発病自体の予防が出来る』のに、このまま放置しておいて良いものなのでしょうか。

&6 数年後には、「二段階方式」の主張内容が『世界標準』となるのです

(1) 世界で最も権威があるとして専門家達からも信望されていて、主張内容に対して微塵も疑いがもたれていない米国精神医学会が策定した『DSM-Ⅳ』の第一要件が確認を要求している「記憶障害」に起因して発病するとの設定条件自体が『重大な誤りである』ことも知らないで、権威が憶測により想定しただけの「記憶障害」を発病条件とする規定内容を正しいものと妄信し、「記憶障害」をもたらしそうな条件と憶測により想定しただけの原因事項を未だに追い求めているのです。然も、『前頭葉』という脳機能も、『注意の分配力』の機能も備わっていない、「マウス」(最近流行りのマーモセットとて同じこと)を未だに研究の対象としているという有様なのです。

それが、世界的に通説の地位にある「アミロイドベータ仮説」なのです。ほとんど破綻しかかっている仮説なのに、その仮説の考え方を根拠に開発された「アデュカヌマブ」という正体不明の、訳が分からない薬が、またしても飛び出してきたのです。アルツハイマー型認知症の発病のメカニズムに照らして、私たち「二段階方式」が集積し解析した14689例にも上るアルツハイマー型認知症の発病者の「脳機能データ」(事象の事実)からも、発病を予防したり、症状を治したり、症状の進行を抑制する効能を有する薬、予防薬や治療薬が開発されることは、未来永劫ありえないことなのです。薬の効能を評価する方法や評価結果が杜撰なだけなのです。

(2)私たちは、私たち人間だけに特有な世界である意識的な世界を研究の対象としていて、左脳、右脳及び運動の脳という三頭の馬が牽引する三頭立ての馬車の『御者』、脳全体の司令塔の役割を担っている『前頭葉』(前頭前野に局在している「前頭葉の三本柱」の機能」、「評価の物差し」の機能及び「実行機能」の総合体を総称して言う)に的を絞り、「前頭葉」の個別認知機能群(「実行機能」と総称)の働き具合(機能の発揮度)を左右し/下支えている機能である「意欲」、「注意の集中力」及び『注意の分配力』(重層的、且つ複層して存在している複数で多数の意識の世界を構築し、統合し、統括し、コントロールする要となる機能であり、更には、異なる複数の「テーマ」を同時に並行して処理する上で、不可欠の機能)の機能に焦点を定めて、『私たちが「意識的」に何かのテーマを発想し、実行しようとする際に起きてくる様々な症状』の発現のメカニズム(発病の原因)の解明を主眼としてきたのです。

私たち独自の主張である『二段階方式』の考え方は、北海道から九州に跨る452の市町村で、『アルツハイマー型認知症の早期診断による回復及び発病自体の予防を明確な目的とした住民参加型の『地域予防活動』という先駆的な活動の実践の成果によって、『主張内容が正しいことを疫学的に証明し』、『顕著な成果』を挙げてきているのです。

※1 世界中の認知症研究の専門家達から、発病の原因が不明と言われている「アルツハイマー型認知症」は、『三頭立ての馬車』の御者である「前頭葉」の機能が最初に異常なレベルに衰えてくることから発病するのです(私たちの、区分で言う小ボケの段階では、左脳も右脳も運動の脳もそれら全てが未だ正常な機能レベルに在る状態下で、『前頭葉』の機能だけが、異常な機能レベルに衰えてきているのです。この事象事実一つを例にとっても、『4つの仮説』の主張内容が全て誤りであり、単なる「憶測の類」だと指摘できるのです)。

※2 『仕事』とは無縁の日々となる『第二の人生』を送っている60歳を超える年齢の『高齢者』の皆さん(私たちが規定する、アルツハイマー型認知症発病の第一の要件)、「第一の人生」での「仕事」に相当するような、何等かの追及している自分なりの「テーマ」がありますか。その「テーマ」を実行する上での「目標」がありますか。目標を達成するために様々な創意、工夫が行われていますか。目標を達成する過程で、或いは、目標の達成自体により、自分なりに喜びや生き甲斐を覚えることがありますか。

ここに挙げた質問の内容が、『アルツハイマー型認知症』を発病するか否かが関わる/問われる『核心的な要因であり、条件=脳の使い方としての生活習慣の在り方』なのです。私たちが規定する発病の第二の要件は、『追及すべき自分なりの特別のテーマがなく、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものも無い、単調な日々の暮らし方の継続』、ナイナイ尽くしの単調な『生活習慣』の継続、即ち、『脳の使い方』としての単調な「生活習慣」の継続という要因こそが、『発病のリスク因子』なのです。

※3『アルツハイマー型認知症』を発病することになるか/ならないか、それを区分ける唯一の条件は、『仕事』とは無縁となる第二の人生での「生き方」が問われることになるということなのです。『第二の人生』は、全てが下り坂なのです。身体も脳も下り坂。経済的な条件も下り坂。そうした環境にあらがっても無駄なのです。そうした条件を受け入れた上で、自分なりの『テーマ』を見つけて、自分なりの『目標』を設定して、自分なりに創意・工夫して、『自分なりに、第二の人生を楽しむことが出来る生活』を送る為の『自分なりの生活習慣』を構築し、継続して実践することが、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防に不可欠の条件となるのです。食生活の在り方ではなくて、脳の使い方としての『生活習慣の在り方』が問われることになるのです。再度指摘しておきます。「4つの仮説」が想定する発病原因は、発病との間に直接の因果関係が存在していない、単なる「憶測の類」に過ぎないのです。

(3)私たちが規定する『二つの要因』(①加齢に起因した正常な機能低下の進行及び②単調な生活習慣の継続に起因した廃用性の異常な機能低下の進行)が同時に存在し充足されることに因り、両要因の充足に因る「相乗効果」に因り、『前頭葉を含む脳全体の機能』が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことが、唯一の原因となり、「アルツハイマー型認知症」を発病し、更には、症状の重症化が進行していくことになるのです(疫学的に実証済み)。「4つの仮説」が想定するような、アミロイドベータの蓄積も、タウタンパクの蓄積も脳の萎縮の進行もアセチルコリンの不足も、「アルツハイマー型認知症」の発病原因とは無関係なのであり、「発病との間には、直接の因果関係が存在していない」のです。

(4)  異なった複数の「テーマ」(必然的に、異なった複数の実行機能の働きの関与が起きてくる)を、同時に並行して処理する上で不可欠の機能である『注意の分配力』の機能が、異常なレベルに衰えてきていることの直接の反映が、就中、機能構造の連鎖の結果として、「前頭葉の三本柱」の機能が異常なレベルに衰えてきていることの直接の反映が、「小ボケ」/「中ボケ」/「大ボケ」の段階での、様々な症状が発現してくる核心的な要因(基盤となる要因)なのです。

(5)『前頭葉の三本柱』の機能が異常な機能レベルに衰えてきたことの直接の反映、言い換えると、『前頭葉』を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした機能発揮の結果としての状況の分析、理解、判断、テーマの発想や、実行の計画や、実行結果の洞察や推理やシミュレーションや、機転や感動や抑制或いは決断という「実行機能」の機能の「発揮度」に直接影響する為に、対象となる情報の認知並びに記銘、その保持及び想起、更には、個々の処理の面でも、当該機能の発揮が不的確で不十分であった「小ボケ」の段階を出発点に、「中ボケ」の段階を経由して、最後に、殆ど働かないことの直接の反映としての末期の段階である「大ボケ」の段階の症状が発現してくることになるのです。

これを言い換えると、『前頭葉』を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクし/反映としての三段階に区分される様々な支障が、アルツハイマー型認知症の発病としての症状として、発現してくるのです。最初に社会生活の面(小ボケ:回復させることが容易)に、次いで家庭生活の面(中ボケ:回復させることが未だ可能)に、最後にセルフケアの面(大ボケ:回復させることは、最早困難)における症状の段階的な発現を特徴として、思考、言動或いは行動の面に徐々に緩やかな進行という形で現れてくるのが、「アルツハイマー型認知症」の症状の特徴なのです。

※『脳のリハビリ』の実践により、正常なレベルに回復させることが出来ないケースについても、「中ボケ」に留まらせている限り、『介護の予防』という成果が得られることにもなるのです。

(6) 発病及び症状の重症化が進行していく原因は、記憶障害ではなくて、『4つの仮説』が発病の原因と想定し主張する要因は、誤りなのです(以下が、その根拠)。

一つ目のデータは、「前頭葉」の機能が最初に異常なレベルに衰えていき、次いで、左脳、右脳、運動の脳という順番に機能が異常なレベルに衰えていくという衰えが進行して行く厳密な順番が存在していること及び二つ目のデータは、MMSEテストを実施し、発病者であることが確認された人達(小ボケ、中ボケ、大ボケの全ての段階のお年寄りを含む14689例に及ぶ脳機能データの解析結果)の場合は、且つその場合に限り、MMSEの下位項目について出来なくなっていく厳密な順番である『MMSE下位項目の困難度』を示す客観的な「脳機能データ」が存在していること。その順番は、項目困難度が高い方から、想起、注意と計算、時の見当識、所の見当識、三段階口頭命令、五角形相貫図の模写、文を書く、記銘、書字命令、復唱、命名となるのです。三つ目のデータは、「脳のリハビリ」の実践により正常なレベルに回復させることが出来ることが可能である本当の意味での早期の段階、「二段階方式」の区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階については、標準的な滞留期間が存在していることなのです(「小ボケ」の期間は3年間、「中ボケ」の期間は2~3年間)。

注1)今回のブログは、各回につき3万字以内という字数制限があるために、3回に分けて、このブログ上に公開してあります(前回分と合わせて、1回で読んでください)。

注2)私たち「二段階方式」の主張内容は、根拠となる「脳機能データ」があり、ブログ上にも出来るだけ掲示しているのですが、字数制限の関係で今回は、載せることが出来ていません。

本著作物「G-02ーその3」に掲載され、記載され、表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。このブログ中の内容の一部を引用する際は、必ず、著作権法の規定に則って引用してくださるようお願いします(特に、医学会に身を置く人達に、お願いします)。 

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