認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

ナイナイ尽くしの『単調な生活習慣』が始まる「キッカケ」の類型と意味(I-08)

2024-02-09 | この先一週間-脳の活性化と私なりのテーマ
(プロローグ)
(1) 様々な種類が数ある認知症の内の90%以上を占めているにも拘らず、 権威ある世界中の専門機関(専門の研究者や精神科医達)から、発病の原因/メカニズムが不明で治らないタイプの認知症とされ、発病の原因/メカニズについて世界的に「通説」とされている『アミロイドβ仮説』を筆頭に、タウ蛋白仮説(少数説)や、アセチルコリン仮説(異説)やらの『仮説』(「主張する原因」と「結果である発病/症状の進行との間の因果関係」の存在を、未だに実証できていない為に、医学界では、今猶「仮説」として扱われていることに注意)しか提示されていないのが、『アルツハイマー(AD)型認知症』というタイプの認知症なのです。
アミロイドβ仮説の提示機関や支持者達は、『(AD型認知症)について、重度の物忘れが特徴の「神経変性疾患」だとする憶測による誤解』から、マウスやらマーモセットやらにアミロイドβを注入し、「記憶の行動」を調べては、憶測ばかりしているのです。

(2) 私たち「KinukoとTadが主宰するエイジングライフ研究所二段階方式)」は、(AD型認知症)が、『意識』が覚醒された意識的(目的的)な世界に於ける脳全体の司令塔の役割を担っている複合機能体としての『前頭葉』の機能レベルを精緻に判定できる手技である『二段階方式』の手技を独自に開発し、北海道から九州に跨る全国的規模450を超える市町村との間で、有償/有期の「二段階方式の使用許諾契約」を締結し、居住地域単位での「脳イキイキ教室」運営を中核とした『住民参加型の地域予防活動』の実践に因る顕著な成果によって、主張内容が正しいことを、疫学的方法により実証して来たのです。

(3) 私たち「二段階方式」が、世界で初めて解明した(AD型認知症)の本態【正体】は、「仕事」とは無縁の日々の暮らしとなる『第二の人生』を生きる「高齢者」の日々の「脳の使い方」としての『生活習慣』、即ち、「第二の人生での日々の生き方が問われる」タイプの認知症なのであり、廃用症候群に属する老化・廃用型の『生活習慣病』に過ぎないのです。
⇒「加齢」の進行に因る『前頭葉機能の正常老化』が発病/症状の進行の『基盤の要因』である為、(AD型認知症)は『老年発症が特徴』となる。

※1 世界的に権威機関から誤解されている『若年性アルツハイマー型認知症』は、この世に実在していない「架空の認知症」なのであり、『若年発症を特徴とし、器質的な病変が原因の/極めて重度の「記銘力障害」に起因した重度の物忘れの症状の発現と海馬の萎縮が確認されるものの、『「前頭葉」の機能が正常なレベルに在ることが特徴である「側頭葉性健忘症」を誤診している』だけなのです。
※2 若年発症が特徴の「側頭葉性健忘症」は、前頭葉の機能が正常なレベルに在る為に、『周りからの支援が有れば、自分らしく生きていける』ことから、
公明党の要求のもとに、厚労省は、若年発症の「側頭葉性健忘症」と老年発症の「アルツハイマー型認知症」とを混同した「若年性アルツハイマー型認知症」という架空の認知症対策を基礎理念とした川下対策としての『ボケても安心な社会作り』を制度化し、23兆円超もの血税を垂れ流す「世紀の愚策」を推進中なのです(世の為、人の為、国の為に極めて有益となる川上対策である『発病自体の予防』対策の国策化を棚上げして、「単年度ベースで23兆円超もの血税を垂れ流す」だけの川下対策を制度化する目的は、厚労省には天文学的な規模での予算の獲得という目的が考えられるのに対し、公明党にはどんな目的があるのか?)。

&2「アルツハイマー型認知症」の発病/重症化の進行の真のメカニズム
(1)「アルツハイマー型認知症」の発病/症状の重症化が進行する原因については、世界的に通説とされている「アミロイドβ仮説」、少数説のタウ蛋白仮説、異説であるアセチルコリン仮説と言った「3つの仮説」(発病/症状の進行との間の因果関係が、未だに実証されていない憶測の類)が世界中の医学会をリードしてきた中で、時間だけが空しく経過するという状況でした(過去30年間で、200種類ものアルツハイマー型認知症の治療薬の開発が、悉く失敗に終わっているのです=エーザイのレカネマブが、失敗の最後の事例となる)。

(2) そうした状況下で、2016年に、世界的に著名な研究機関であるスエーデンのカロリンスカ研究所(ノーベル生理学・医学賞の選考委員会がある)が、「生活習慣」で「アルツハイマー型認知症」の発病リスクを低減することが可能であるとの研究論文を発表し、2017年には、ロンドンに拠点を置くランセット委員会が、生活習慣がアルツハイマー型認知症の危険因子であるとの研究論文を発表し、2018年には、我が国の国立精神・神経医療研究センターが、「生活習慣要因」がアルツハイマー型認知症発病の『リスク因子』と考えられるとする研究論文を発表したのです。但し、私たちがこれまでに発表してきた内容の質と量に比べると、足元にも及ばないと言うしかないのですが、意味不明の仮説の類ばかりを主張し、マウスのお尻ばかりを追い掛け回している医学界にとっては、とても良い刺激だと考えるのです。

(3) 脳が壊れてもいない(器質的な原因病変が存在していない)のに発病し、症状の重症化が進行していく『アルツハイマー型認知症』の発病原因、それは一つには、「加齢」と共に進行する『老化による機能低下=正常老化』が基盤要因(「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の高齢者であることが、「発病の第一要件」)に在り並びに異なるもう一つ別の要因、『キッカケ』の発生と継続を契機に、心が折れてしまい、何事に対しても挑戦する『意欲』を喪失することで開始される単調な生活習慣の繰り返し、即ち、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な日々の暮らし方(ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」)の継続に起因した『廃用性の異常な機能低下の進行』(発病の第二要件)が加重されることにより(異なる二つの要因の同時存在と充足に因る「相剰効果」により)、『前頭葉』を含む脳全体の機能が、廃用性の加速度的異常な機能低下を進行させていくことが、発病/症状の重症化が進行する直接唯一の原因要因なのです(結果、「アルツハイマー型認知症」は、『前頭葉』を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした三段階に区分する「類型的症状」が発現してくるのが、特徴となるのです)。

(4) 簡潔な表現をすれば、『アルツハイマー型認知症の本態は、廃用症候群に属する老化・廃用型の『生活習慣病』に過ぎない』のです。
但し、ここに言う「生活習慣」とは、食生活ではなく、私たち人間だけに特有な意識的な世界(同時に目的的な世界であることに留意する)における『脳の使い方』としての『生活習慣』であることが、極めて重要なポイントなのです(私たち「二段階方式」が、「世界で最初」に解明した)。
※後に詳述するように、脳の使い方としての「生活習慣」の改善及び「前頭葉」を含む脳全体の機能が活性化する「生活習慣」の構築と継続的な実践という方法だけが、『回復、症状の進行の抑制及び発病の予防』の為の『唯一無二の方法、対策』となるのです。『食生活は無関係、薬も効かない』のです。

(5) 認知症の専門家達から、発病の原因が不明とされている「アルツハイマー型認知症」は、超高齢社会/超高齢化社会に特有な産物なのであり(発展途上国は、無関係)、『仕事というテーマ』とは無縁の日々を送ることになる「第二の人生」を送っている、60歳を超える年齢の「高齢者」だけが、発病の対象となるのが特徴なのです。
※1 60歳を超えても猶、仕事の遂行という現職を続けているお年寄りは、『アルツハイマー型認知症』を発病することはないのです。
※2 人生100年時代を俯瞰した政策、『定年年齢の引き上げと働き方の改革』を推進することは、「アルツハイマー型認知症」の新規発病者数の増加の抑制という視点から時宜にあった政策だと評価することが出来るのです。

(6)「アルツハイマー型認知症」の早期診断(回復/症状の進行の抑制が可能な小ボケ又は中ボケの段階で発病を見つけること) と早期治療(回復/症状の進行の抑制が可能である早期段階の発病者を対象とした「脳のリハビリ」の実践)、更には、『発病自体の予防』の為の神経心理学的手法として開発された私たち「二段階方式」の手技は、アミロイドβ仮説を隠れ蓑にした、川下対策に過ぎない「介護の予防措置」の実施を国策化し、市町村での展開を我が国が制度化する以前の時期には、北海道から九州に跨る累計452の市町村に於いて、発病の予防及び地域における高齢者のイキイキ活動展開の為の脳活性化体験並びに生活習慣改善の効果的な手法として、先駆的に実践され顕著な成果を挙げていたのです(発病の予防を棚上げし、 主張内容が100%誤りの「アミロイドβ仮説」の権威に敗れた=権威を利用し/奇禍として、川下対策を実施して、天文学的な規模の予算の獲得に、厚労省が活用!)。

(7) 色々な種類がある認知症の90%以上を占めている「アルツハイマー型認知症」の『発病の予防』を目的とした「脳の使い方としての生活習慣」改善、複合機能体である『前頭葉』が活性化する為の脳活性化訓練並びに早期の段階の発見と回復/進行の抑制の為の『脳リハビリ』の為の実践指導を目的とした有効な諸施策が、導入先市町村の保健師さんが一元的に管理し実行指導する予防教室(脳イキイキ教室)の運営や生活改善指導として実施され、更には、地域全体の活性化やお年寄りの『生き甲斐創造活動』として、我が国の全地域に広まり、定着することを期待して、「二段階方式」の考え方、或いは「手技」が市町村の保健師さん達の間で、全国的に広まっていくよう、今後とも尽力して行きたいと考えているのです。

(8)『DSM-Ⅳ』が発病の診断に際して、「第一要件」として確認を要求する「記憶の障害」という要因と発病とは、無関係なのです(因果関係自体が存在していない)。更に言うと、「DSM-Ⅳ」の「第一要件」が正しいものとして、その条件を前提として構想され主張されている『3つの仮説』、アミロイドベータ仮説、タウ蛋白仮説及びアセチルコリン仮説の全てが、「アルツハイマー型認知症」の発病原因(発病のメカニズム)とは無関係なのです。
※『DSM-Ⅳ』の第一要件の規定内容も、「3つの仮説」も、『アルツハイマー型認知症』が、重度の物忘れを特徴とする神経変性疾患だと誤解していて、(憶測でしかない「記憶障害」を核心要因と想定した)発病/症状進行のメカニズムを構想している誤りの内容なのです。

(9) 「アミロイドβの蓄積と発病/症状の進行」との間には、『因果関係が存在していない』のです。アミロイドβ仮説は、『アミロイドβの蓄積により生じる老人斑の持つ毒性が、情報を伝達する神経細胞の大量死を惹き起こすことにより、「記憶障害」が惹起され、アルツハイマー型認知症を発病/症状が進行することになる』とする憶測がベースの仮説に過ぎないのです。

&3 『キッカケ』の発生と継続が、意欲の喪失を惹き起こす転機
(1)「仕事というテーマ」とは無縁の日々を生きることになる『第二の人生』を送っている60歳を超える年齢の『高齢者』の中の大多数の人達は、自分なりに追求している特定の『テーマ』があり、テーマの遂行に関わる目標の達成の過程及び結果と成果に因り、「楽しみや喜びや、時には、生き甲斐を覚える」といった脳の使い方としての意味で言う『生活習慣』(「食生活」は無関係なので留意する)を日々過ごして居て(「アルツハイマー型認知症」を発病するリスクが極めて低い高齢者群)、他方で、一部の人達は、自分なりに追求している特定のテーマが無くて、これといった目標もなく、楽しみや喜びや生き甲斐を覚えることも無いといった「生活習慣」を、日々継続して居る(「アルツハイマー型認知症」を発病するリスクが極めて高い高齢者群)訳なのですが、いずれの側の生活をしていようとも、どんな「生活習慣」を基盤とした毎日を過ごしていようとも、「高齢者」である限りお年寄りは誰でも、『前頭葉』(「前頭前野」の穹窿部に局在する「複合機能体」を言うものとする=意識が覚醒した目的的な世界で、左脳、右脳及び運動の脳の3頭建ての馬車の運航を支配し、管理する「御者」の役割を担うのが「前頭葉」の機能。以下、同じ)が、『加齢に伴い』前頭葉の機能を次第に老化させてきているという問題を抱えているのです(どのような「生活習慣」の下で生きていようと、65歳ころには誰でも例外なく、20歳代の前半の頃に比べ、私たちが「前頭葉の三本柱」の機能と呼ぶ、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の働きが、半分程度に衰えてきているものなのです=私たち二段階方式の呼称で言う、加齢に潜む『正常老化の性質』の存在であり、私たち二段階方式が提示する「加齢の進行を基礎とした年齢別前頭葉の機能レベルの推移データ」に因る」)。

(2) この「正常老化」の要因こそが、『アルツハイマー型認知症』を発病する為の基盤の要因なのであり、発病の「第一の要因」となるのです(この「正常老化の性質」の要因は、『第二の人生』を生きる全てのお年寄りに「共通」する条件)。発病の原因(メカニズム)としてこの要因が存在するからこそ、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象者は、60歳を超える年齢の「高齢者」に限定される(「老年発症」が特徴)ことになるという訳なのです。

(3) (学者や研究者や精神科医達)認知症研究の専門家と言われる人達は、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象は、(脳の機能が、加齢による「正常老化」のカーブを辿って、一定のレベルにまで衰えてきている年齢の「高齢者」、60歳を超える年齢の「お年寄り」に限られている)という実態に目を向ける必要があるのです(日本全国共通の要因が、実態として確認される)。

(4) それでは、「高齢者」と呼ばれる年齢のお年寄りは、誰でも、「アルツハイマー型認知症」を発病するのかと言うと、そうではありません
「アルツハイマー型認知症」を発病することになるか/ならないか、何が/どのような要因の存在がそれを区分けているのか。それが今日のテーマである、「キッカケ」となる「出来事及び又は、生活状況」の発生と継続に対する、「本人の受け止め方と対応の仕方」が提示する『差異の話』なのです。

(5) (大ボケだけでなくて、権威達が見落としている小ボケと中ボケも加えた『アルツハイマー型認知症』の発病者総数はというと、様々な種類が数ある「認知症全体」の90%以上の割合を占めていて、世界中の認知症の専門家達から発病の原因(メカニズム)が不明とされている「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる「生活習慣病に過ぎないが故に、発病者が極めて多いのです。
然も、私たち「二段階方式」が規定する発病の「第一の要因」(「正常老化」の要因が、発病の基盤の要因である)から、『アルツハイマー型認知症』を発病する対象は、60歳を超える年齢の「高齢者に限られる」のです。

(6) そうした年齢のお年寄りのうちで、発病する人達には、発病を惹き起こす明確な条件、私たちが発病の「第二の要因」として規定する条件である、自分なりに追求する特定のテーマが無くて、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものも無い単調な暮らし方の繰り返し、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続という「条件」が、必ず、確認できるのです。

(7)  「老年発症」を特徴とする『アルツハイマー型認知症』の発病者の場合ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に入って行く上での「キッカケ」となるものがどのようなものであるかについて、典型的な事例を例示しながら、説明していきたいと思います。
但し、「キッカケ」とは何か特別のものという訳のものではなくて、「第二の人生」を送っている「お年寄り」であれば、誰でも遭遇しそうなものばかり
のだということにも、十分に注意を払って頂きたいのです。

※1  猶、例示した状況に対して、遭遇したお年寄りが全員、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に陥っていく訳ではないことが重要なことなので、注意してください。
※2 即ち、「キッカケ」となりそうな出来事や状況の発生と継続に遭遇して、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に陥る人と、そうでない人とを区分ける条件の存在にこそ、注目して頂きたいのです(その出来事や状況が何であれ、『当の本人が、心が折れてしまい、立ち上がる意欲を喪失してしまった時は、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に陥入っていくことになり、結果としてそれが「キッカケ」となったということに注意が必要なのです(当の本人の、第二の人生での生き方が,心が折れて意欲を喪失するか/しないかの命運を左右することになるのが、脳の使い方としての『生活習慣病』であるに過ぎない『アルツハイマー型認知症』の特徴)。

&4 「キッカケ」の例示と意味の説明
(1) 例示事例に拘わらず、これらに代表される様々な事由、状況、態様及び程度があります。要は、『本人がどう受け止めたのかの問題』なのです。
加えて、家族や友人などの「周りからの支え」が必要となるのです):

①  仕事人間が、仕事の第一線を退くこと
 (定年退職、家業の廃止、家業を息子に譲る代替わり、嫁に家事を譲る)
②  地域の世話役を降りること(子供や孫の手離れ、地域の世話役を退く)
③  配偶者の死亡(特に、夫にとっての妻の死亡)
④  兄弟姉妹の死亡(特に、年下の兄弟姉妹の死亡)
⑤  趣味や遊びやお茶飲み会などの「集いの会」の中止
⑥  重大な病気や怪我、身体上の不具合、配偶者の看病が継続する生活
⑦  自然災害を含む重大な災害により、財産や家族や友人や思い出を失うこと
⑧  家庭内のトラブルや心配事の継続
⑨  友人や自分自身の転居で、孤独になること
⑩  周囲との接触もない(孤独な一人暮らし)
⑪  家族関係の悪化の状況下での(心さびしい生活)
⑫  その他

(2)「キッカケ」となることとは、どんなことなのか
前頭葉」の機能の老化を加速させ、「アルツハイマー型認知症」発病の引き金となるナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が始まる「キッカケ」となる「生活上の大きな出来事や生活状況の大きな変化」の発生とは、どんなことを言うのか。次の2つの類型に集約されます。分かりやすくする為に、ここではいくつかの典型的な事例を取り上げて例示的に説明します。

 (3) 第一の類型(「生活状況の大きな変化」の発生)
① 波乱万丈というのは余り無いケースだと思うのですが、私達高齢者が、「第二の人生」を生きていく上でも、自分を取り巻く「生活状況」に、大小様々な変化が何時でも誰にでも起きてくるものなのです。
幸運や不運、幸福や不幸、事故や事件、自身の健康上の問題、家庭内の問題、家族関係の不和、近所隣りとの関係、趣味の会での人間関係の軋轢など、自分を取り巻くそうした「生活状況」の変化や発生という状況が、様々な形で存在し、様々に変化していくものなのです。

② 時には、思いもよらない辛く悲しい、或いは寂しい状況や環境の変化が起きてくる中で、それでも頑張って生きていこうという「意欲」(状況や環境の変化に対する対策や対処の仕方を考え、従来構築してきた自分なりの「楽しみや喜びが得られ、時には生き甲斐を覚える生活習慣』を実践し継続していこうとする意欲)をこれまで支えてくれていた「核となる生活習慣」が維持/継続できなくなってしまうような「生活状況の大きな変化」が起きてくることが、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に入っていくことになるキッカケの一つのパターンなのです。
 
③ 定年退職
現役で働いている頃から、趣味や遊びや人付き合いの機会をそれなりに持ち、「第二の人生」に入ったら、人生を思い切り楽しもうと考えておられる皆さんには意外なことと感じられるかも知れないのですが、『趣味も遊びも人付き合いの交遊も興味が無くて、ひたすら仕事に邁進という仕事人間だった人』にとっては、極めて重大な変化。
※1「第二の人生」が始まったばかりだというのに、はやばやとボケていく、「アルツハイマー型認知症」を発病する人達の典型的なケースなのです。
趣味や遊びや人付き合いや運動を楽しむことに関心も興味も無く、体験や機会も極めて乏しく、世に言う「仕事一筋」の「第一の人生」を送ってきた人(且つ、その「生き方」を良しとする「価値観」の人)にとっては、「定年退職」が「キッカケ」になるのです。
※2  リーマンショックを経験して以降、自分が勤める会社(役所、組織)に対する考えかたや、或いは仕事そのものに対する世の中の考え方自体が大きく変わってきて、現在のわが国では、そうした価値観の人はむしろ少数派だと思うのですが、戦後の我が国の経済復興を支えてきた人達、今まさに「第二の人生」の中核を占めて生きている人達(2025年問題の中核)が現役世代であった頃には、社会の主流を占めていたのです。

※3 「左脳」が中核となる「仕事」中心の生活だけを生き甲斐に、会社(役所、組織)への「滅私奉公」を厭わず「第一の人生」を送ってきた人は、定年退職や家業の廃止或いは家業を息子に譲って仕事がない「第二の人生」という毎日が始まり、日常生活を送る上で「左脳」を使う機会が極端に少なくなってきても、趣味や遊びや人づきあいや運動など、「右脳」や「運動の脳」を使う機会となる「テーマ」への切り替えが出来ないのです。
達成すべき目標を設定したり、目標を達成していく過程で、愉しみや喜びや生き甲斐が得られる対象となることが想像できないのです。その為、時間だけはたっぷりあるのに、することがない毎日、「前頭葉【就中、『注意の分配力』の機能)」の出番が極端に少ない生活習慣、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の繰り返しで日々を過ごすことになるのです。

※4 文字通り「仕事一筋」(「左脳」偏重)の生き方で「第一の人生」を渡ってきて、そうした生き方に自分なりの満足感があり、その一方で、「右脳」(趣味や遊びや人付き合い)がらみの体験にも、「運動の脳」(スポーツや運動)がらみの体験にも極端に乏しかったのです。
 その為、「第二の人生」が始まったとき、「趣味とか遊びとか運動」とかに価値がおけなくて、そのような「些事」に熱中することが出来ないのです。そうした「些事」が、自分が(自分ほどの者が)「第二の人生」を生きていく上でのメーンの「テーマ」となるような日常生活には価値が置けないと感じる(自分は、そんな人生はやってきていないと考える)のです。

※5「第二の人生」に入って行って居ても、「第一の人生」からのそうした考え(「価値観」)を引きずるお年寄りは、やっと出会った(見つかった)趣味や遊びなのに、その「楽しみ方」を知らないのです。「趣味や遊び」なのに、そのやり方がまるで「仕事そのもの」なのです。「第二の人生」での「趣味や遊び」を楽しむそのやり方に、「第一の人生」での「仕事」を遂行するとき使っていた「ルール」を適用しようとしてしまうのです。自分だけならまだしも、周りの人達にもそうしたやり方を強要してしまうのです。
その上、「第一の人生」での肩書(キャリア)を重要視し、「周りの目」とか、「周りが自分のことをどう考えているか」ばかりを気にするのです。

※6  そうした価値観の人達は、たまたま何かの趣味(遊び)の会に入っていっても、趣味(遊び)を楽しむことができないのです。まるで、仕事を遂行するかのように、目標を立てて、その完璧な達成だけが目的となって、趣味(遊び)というテーマを考えたり、それらを遂行する過程自体を楽しむことができないのです。

※7こうした人達は、「左脳」(仕事)偏重の価値観が根底にあるので、「第一の人生」では顧みることもなく見過ごしてきた「テーマ」、結果よりも体験することや経過を楽しむことを価値とするような「テーマ」の設定ができないのです。趣味や遊びや人付き合いや運動も、全てが「仕事」を目的とするときと同じやり方(或いは、同じ「目標」設定のやり方)でしかできないのです。その結果、やっと見つけた「テーマ」も、(体験すること自体や体験する過程)を自分なりに楽しむことができないのです。仕事と同じように結果重視で設定した「目標」を達成できないことで、次第に意欲をなくしていき、途中でやめてしまうのです。
※8  そして、一度失敗を体験すると、失敗を恐れて別の新しい「テーマ」には挑戦しようとはしないのです。終には、有り余る時間を持て余すことになり、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」を日々過ごす中で、出番が極端に少ない「前頭葉」が老化を加速させていくことになるという訳なのです。

④  趣味や遊びの「集いの会」の中止
「趣味」も「遊び」も「運動」も「人付き合い」も、楽しむことが出来にくい生き方の中で、やっと見つけた「趣味」(遊び/運動)だけが生き甲斐の人が、その「趣味(遊び/運動)の会」への参加を中止せざるを得なくなる状況が発生するのです。あなた達なら、別の「趣味」(遊び/運動)の会に入っていって、それを楽しもうとすると思うのですが、それができないのです。

 ⑤ 親や兄弟、子や孫、連れ合い、友人等大事な人との「別離や死別」:
親や兄弟との死別で心が折れて、そのことが契機となり、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に入っていくのは、或る意味で理解ができるのです。
両親が共稼ぎの孫の親代わりとなり、孫の世話を一身に引き受けてやってきて、それが「唯一の生き甲斐」ともなっていた本人にとって、進学を契機に孫が自分から手離れていくと、もう何もしようとしなくなるのです。
気が抜けてしまい、心に空洞ができてしまって、別の「テーマ」を探そうという気にもならないのです。そのまま、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていってしまうのです。連れ合いの死亡の場合は、有り様はそれぞれです。
特に、おじいさんを亡くしたおばあさんは、喪が明けて何ケ月かが経過すると、不死鳥のようによみがえり、趣味や遊びや人付き合いを謳歌するようになる場合が多いのです。

⑥ ペットの死亡
ペットと言えども、大事な家族同様/家族の一員なのです。我が子のように可愛がり、何年間も「第二の人生」を共に生きて、自身が獲得する重要な生き甲斐や喜びの源泉となっていたペットの猫(犬)が死ぬと、立ち上がる気力も意欲も消え失せて、何もかもが手につかなくなってしまうのです。まるで後を追うように、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に陥ってしまうのです。

(4)  第二の類型(「生活上の大きな出来事」の発生と状況の継続)
本人から見て(客観的な評価ではなく、自身の主観的な評価であることが重要)、生きる意欲をなくしてしまうような出来事が発生し、周囲にも言えず、自身では解決の糸口さえも見つけ出せないままに、その状況が継続されることで、心が折れてしまい、意欲を喪失して、拠るべき「テーマ」を探すことも見つけることもできないで居る内に、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が開始され、継続されて行くことになるのです。
 
① 子供の失業や借金問題、孫の不登校など家庭内の「重大な心配事」の発生とその状況の継続:
※1  子供の失業や離婚や借金問題、孫の不登校や非行問題など家庭内の「重大な心配事」が発生し、解決策を見いだせないまま、その状況が継続していると、趣味であれ、遊びであれ、人付き合いであれ、運動であれ、買い物その他の用事であれ、(何をしていても、何時も、何処にいても)、「心は何時も上の空状態」なのです。「心、此処に在らず」の状態のもとでは、脳の働き具合からは、「前頭葉」の三本柱の機能が働いていないのと同じような状態に在るのです。

※2 (何時もそのことが気がかりで、心配で、心にかかっている)ので、何かの「テーマ」をやっていても、そのことに注意の集中力を働かそうにも集中できないのです。頭を回転させようにも注意の分配力が働かないのです。肝心の意欲も湧いてこないのです。外見的には、いろいろな「テーマ」をやっているようでいて、内心面、脳機能の実質面からは、「前頭葉」の三本柱の機能がちゃんと働かない、何もやっていないのと同じような機能状態に在るのです。

※3  こうした他人には言えない「身内の重大な問題」が発生した時、普段の生活状況では、趣味や遊びや人付き合いの集いに参加したり、スポーツや散歩を友人達とやっていたとしても、「心は、いつも上の空状態」で、何かを楽しむ心の余裕などないのです。家庭内の問題を抱える状況が発生し、継続していると、人に会うのも恥ずかしいので、趣味や遊びの集いにも次第に出て行かなくなるのです。だからといって、自分の力ではどうすることもできないため、いわゆる「老人性のうつ状態」と言われるような精神状態に陥りがちなのです(「うつ病」ではなくて、「老人性うつ」状態)。そのうち何かをする気力もなくなり、意欲もなくなってきて、家に閉じこもりがちの生活になっていくのです。生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に陥ち入っていくことになるのです。

② 病気や肉体的悪条件の発生とその進行(自身の重い病気の発病や大きな怪我、激しい痛みを伴う足や腰、膝等の障害の発生と進行、重篤な視力や聴力機能の障害の進行等)

※1  趣味を楽しんだり、人付き合いを楽しんだり、小旅行を楽しんだりする生活があって、それなりに生き甲斐や喜びを得られる機会があり、自分なりの目標や喜びや生き甲斐がある生活を送っていたのに、例えば大きな怪我(ex.骨折)をして長期間入院したり、重篤な病気になって床に臥せるだけの毎日を過ごすようになると、意欲や注意の集中力や注意の分配力が働く「テーマ」が何もない生活を過ごすことになるので(毎日のようにお友達が入れ代わり立ち代わり訪ねてきてくれ、世間話に花を咲かせるというわけにはいかないので)、その生活状況自体がナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」になってしまうのです。
※2 「重大な病気や怪我や痛み等」を抱えたままの生活になれば、その病気や怪我や痛みが継続している間は、それまでのような趣味や遊びや人づきあいを自分なりに楽しむ、生き生きとした日々を送れなくなることは当然のことなのです。

※3 注意しておかなければいけないことは、本人が重大な病気にならなくても「配偶者」が重大な病気になったことが「キッカケ」になることがよくあるのです。二人暮らしでがんばってきた老夫婦の相手が重大な病気にかかってしまった時に、その看病している側の方も看病で外出もままならなくなるし、趣味や遊びを楽しむことも許されなくなってしまうのです。
※4 毎日家に閉じこもって、「看病」をするだけの生活になってしまえば、肝心の自分の「前頭葉」も、出番が極端に少ない単調な生活の下で、老化を速めて行くことになるのです。病気の情報を集め、種々の工夫をして、つれあいの看病をすることに「生き甲斐」を感じることができれば、自分の生活もそれなりに、「前頭葉」が働く場面がそこそこある生活状態を保つことができますが、それは極めて稀なケースというのが現実なのです。

※5 「高齢者」と呼ばれる年齢のお年寄りの場合は、例えば庭先で転んで骨折したり、変形性膝関節炎にかかったり、腰痛がひどくて、歩行が困難な生活状況が発生したりするのです。足が痛いと、ゲートボールや散歩にも行きたくなくなり、家にこもりがちの生活になってしまいます。そんな「閉じこもりの生活」が毎日継続していると、出番が極端に減った「前頭葉」が居眠りし始め、老化を加速させていく結果、「アルツハイマー型認知症」(小ボケ)の症状が出始める(発病する)のです。
※「前頭葉」の機能レベルを含む脳全体の機能レベルを、「二段階方式」のような精緻な「神経心理機能テスト」で調べてみれば、「脳のフレイル」ではなく、「老人性うつ」状態でもなく、或いは「不活発病」でもなくて、「アルツハイマー型認知症」の発病の最初の段階である『小ボケ』の段階であることが、容易に確認できるのです。

 ③ 夫(妻)が「アルツハイマー型認知症」を発病して、末期の段階である「大ボケ」の段階にまで進み、その夫(妻)を、自分一人で介護し、「介護に追われるだけ」の毎日:

※1「前頭葉」は、自分の置かれている状況を判断し、その状況に沿った「テーマ」を考え付き、「テーマ」の実行内容や程度や態様をシミュレーションした上で、最終的な内容を決定し、左脳や右脳や運動の脳に指令を出す司令塔の働きをしているのです。「重度認知症」の段階の症状が出ているということは、その人の「前頭葉」の要の機能である『注意の分配力』の機能は殆ど機能していない状態にあるのです。

※2「大ボケ」の症状が出てくるようになると、脳の機能レベルの面について言うと、「小ボケ」や「中ボケ」のレベルに戻すことは愚か、『前頭葉』を含む脳全体の機能の廃用性の加速度的で異常な更なる進行を抑制することも出来なくなるのです(「大ボケ」の枠の中で、更に重い症状を出すようになっていくだけ)。

※3 「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知種は、『身体がもつのに肝心の脳がもたないのが特徴』なのです。脳全体の司令塔である『前頭葉』だけでなくて「左脳も右脳も運動の脳」の機能も、更に働かなくなる状態(脳の機能レベル)に向かって、同時進行的に更に衰えていくことになるのです。

※4  注意が必要なのは、介護役の配偶者の方が、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるケースが極めて多いということなのです(「認認介護」)。「中ボケ」レベル、或いは「大ボケ」レベルの夫(妻)を抱えて介護している本人自身が「小ボケ」に入っていく(「アルツハイマー型認知症」を発病する)ことがとても多いのです。
⇔ 自身が趣味や遊びの集いに参加することもできず、人付き合いも疎遠になっていく中で、症状が更に重い方向に向かって進行していくだけの「大ボケ」の段階にある夫(妻)の、「介護に追われる」だけの毎日、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が継続していると、出番が極端に減った「前頭葉」が居眠りし始め、老化を加速させていき、介護している本人自身が「アルツハイマー型認知症」を発病することになる(「小ボケ」の段階)のです。

④ 家族との関係が悪く、寂しい生活が継続すること
家族と一緒に暮らしていながら、生活時間のずれや不和で、家族との挨拶も会話もなく、毎日の食事も一人でするような「寂しい生活習慣」のことです。
或いは、家の隅に追いやられ、一人でテレビを見るだけのような暮らしでは、寂しさだけでなく精神的な辛さや侘しさが一層募ります。こんなことなら、はやくお迎えがきて欲しいと思うようになるのです。生きていく意欲さえも喪失していくのです。

⑤ 一人暮らしの生活
「一人暮らしだからこそ、ボケてなんかいられない」という気概を持っている人は、昼間は趣味や遊びで出かけて留守、家にいるときは、お友達がお茶のみや雑談に尋ねてきているような生活を送るものなのです。当然のことながら、こうした生活を継続している「一人暮らし」のお年寄りは、「アルツハイマー型認知症」の発病とは無縁なのです。

趣味も遊びも人付き合いも楽しめない状態で、昼も夜も一人で家に居て、お茶を飲んでは居眠りし、水戸黄門を見ているだけのボンヤリした「単調な暮らし」という生活は、「前頭葉」を居眠りさせ、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです。簡単な足し算や引き算 、平仮名で書かれた文章の音読作業を日課として朝昼晩と一人寂しくやるだけの生活では、肝心の「前頭葉」が老化を加速させていくことになるのです。
明日と言わず今日から、自分なりに楽しめる「テーマ」を求めて、お友達探し、趣味や遊びの集いの場探しの探検に出かけていきましょう。

 (5)「第一の類型」と「第ニの類型」の同時発生
① 東日本大震災(能登半島地震)の発生と発生後の生活状況:
東日本大震災は、世界にも例がない程の未曾有の大震災でした。被災した高齢者は誰でも、「生活上の出来事」としても「生活状況の変化」としても、共に言葉では言い表すこともできない程の衝撃を受けられたと思うのです。
我が身だけでなく、家族や兄弟や親類縁者を含む一族の思い出が詰まった地域全体が被災し、街全体が壊滅的な被害を受けたのです。家族や親族を失った人たちも多く、生活の基礎である家屋や店や勤め先や田畑や船や筏までも失った人も多く、景色も思い出も消失してしまったのです。

その上、被災から5年が経過したというのに、復興は遅々として進んでいないのです。この先の生活自体が未だ見えてこないという状況に置かれているのです。5年という時の経過の中で、被災自体が風化してきて、支援も途切れてきて、日々の生活にさえ大きな不安を抱えている人たちも多い状況なのです。

② 私たち「二段階方式」は、「東日本大震災」の被災地の60歳を超える年齢の「高齢者」達に対する対応処置、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防し及び早期診断による回復という処置を該当市町村で制度化する必要性を指摘し、問題提起しました。
津波による被害並びに地震による土地や建物の被害は甚大で、精神的な面での喪失も極めて大きく、今回発生した「能登半島地震」の被災地の60歳を超える年齢の「高齢者」に対しても、同様の問題の発生が危惧されるので、該当市町村に対して、同様の対応処置の制度化の必要性を指摘し、問題提起しておきたいのです。

⑥ 大地震の被災と復興措置が遅々として進まないという現実(東日本大震災の場合も、今回の能登半島地震の場合も、同じことが繰り返されている状況)の下で、「前頭葉の三本柱」の機能である「意欲や注意の集中力や注意の分配力」を発揮する機会が多い「テーマ」をどのようにして見つけろというのか、被災した「高齢者」に対して、現状では、求められるはずもないのです。

※1 この甚大な被災を「キッカケ」として、心が折れてしまい、『意欲を喪失』することで、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が開始され、継続されていくと、出番が極端に少なくなった『前頭葉』が、廃用性の加速度的で異常な、機能低下の進行を惹き起こしていってしまうことに因り、発病(小ボケ)/症状の更なる進行(小ボケ⇒中ボケ⇒大ボケ)のです。

※2 ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続が原因で発病する認知症、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病が本態である『アルツハイマー型認知症』は、『発病自体を予防』することが出来るし、「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で見つければ、「脳のリハビリ」を施すことによって治す/症状の進行を抑制することが出来るのです。「小ボケ」の段階で見つければ、治す/症状の進行の抑制が可能であり、「中ボケ」の段階で見つけても、症状の進行の抑制は未だ可能なのです。発病の末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけるのでは、遅すぎるのです。

※3  認知症の専門家とされる人達の間で、「アルツハイマー型認知症」は治す/症状の進行を抑制することが出来ないとされているのは、発病を見つけている段階が遅すぎること、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階で、発病を見つけているせいなのです。たまに、「中ボケ」の段階で見つけることがあっても症状の進行を抑制出来ないのは、肝心の「脳のリハビリ」を実施しないで居て、症状の進行を抑制する効能が皆無の「対症療法薬(興奮型のアリセプトが代表)」を投与するだけだからなのです。治す/症状の進行を抑制することができない末期の段階で発病を見つけることに加えて、対症療法薬を投与することに何の意味があるのか。

※4 「治療薬」を開発し販売していると強弁しているエーザイ自体が、「アルツハイマー型認知症」の発病/症状の重症化が進行するメカニズムについても、「アルツハイマー型認知症」の症状を治す/症状の進行を抑制する方法と意味についても、全くの無知というしかないのです。
⇒医療機関は、そうした製薬会社の説明を疑うことなく、鵜呑みにした儘で、単なる「対症療法薬」と知ってか/知らずでか、薬を投与し、大きな利益を稼いでいるのです。

&5 『キッカケ』の受け止め方がKey条件となる
(1)「アルツハイマー型認知症」を発病することになるか・ならないか、それは「キッカケとなりそうな出来事や生活状況」の発生と継続に対する「本人の受け止め方次第」という点は、『発病の予防』という視点からは、或る意味で、救いでもあるのです。例示されたような「キッカケ」となりそうな出来事の発生や生活状況の継続に遭遇した人達の全員が、「アルツハイマー型認知症」を発病することには、必ずしもならないということなのです。

(2) 両者を区分けるものとは:
ⅰ)(「キッカケ」となった人)
 人生の大きな出来ごとの発生や生活環境の大きな変化という「生活状況」の発生に遭遇して「大きな障害」と受け止め、心が折れて負けてしまい、その為に意欲をなくしてしまい、自分なりの生き甲斐や喜びが得られる従来維持してきた「生活習慣」を継続できなくなり、「目標」となるものがなくなって、「前頭葉」を使う場面が極端に減った「生活習慣」に変わってしまった人
ⅱ)(「キッカケ」とはならなかった人)
 「大きな障害」と受け止めても、そのことに負けないで、そのため意欲を失わず、自分なりの生き甲斐や喜びが得られる従来維持してきた「生活習慣」を継続できるので/生活状況の変化に対応した新たな「生活習慣」の構築により、自分なりの生き甲斐や喜びが得られ、「目標」となるものがある生活ができるので、「前頭葉」を使う場面がそれなりにある「生活習慣」を従来通り継続できている人。この二つのグループに区分けされるのです(当の本人が第一ですが、周りからの支援や支えも必要不可欠なのです)。

(3)「アルツハイマー型認知症」を発病するお年寄りは、その「キッカケ」を契機にして、従来継続してきた「生活習慣」、その人なりの目標や生きがいや喜びがある「生活習慣」が維持できなくなり、「前頭葉」の出番が極端に少ないナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が継続することになっていく、即ち、発病の「第二の要件」を充足する生活が始まることになるのです。

(4) これまでの説明で理解していただけていると思いますが、「アルツハイマー型認知症」の発病を回避するには、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣の継続」という発病の「第二の要因」の充足を、回避しなければならないのです。
発病の「第二の要因」の充足を回避するには、上述した事例に見るような「生活状況」が発生した時、その「生活状況」に本人が負けないこと及び周りからの支えが必要不可欠となるのです)

(5)「アルツハイマー型認知症」の発病を左右する直接の原因は、アミロイドβの蓄積でも、やタウタンパクの沈着でも、アセチルコリンの不足でもないのです。その時遭遇した「出来事の発生及び/又は生活状況」の継続を、「キッカケ」として、心が折れてしまい、意欲を喪失することで開始されるナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の開始とその継続が、「アルツハイマー型認知症」を発病/症状の重症化が『真の原因』となるのです。皆さんは、このことを深く心に留めておいて欲しいのです。

(6)「キッカケ」との遭遇に負けてしまい、心が折れて、(「意欲」を掻き立てたり、「注意を集中」したり、或いは「注意を分配」したり)する機会となるべき従来維持してきた「テーマ」を維持できなくなった人/或いは、新たな「テーマ」を再構築できなかった人は、(「前頭葉の三本柱」の機能の出番が極端に少ない「生活習慣」である)ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に入っていくことになるのです。
※「キッカケ」に遭遇して、心が折れそうになったら、このブログに書いてあったことを思い出して欲しいのです。ここで負けたら、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるので、絶対に負けてはいけない、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に陥ることだけは絶対に避けるんだと、頑張って欲しいのです。どんなことでも良いので、何かの「テーマ」を見つけ出して欲しいのです。そんな時、「速足の散歩」は、不可欠の絶対的な「テーマ」なのです(「意欲」の機能の潜在的な機能レベルの拡張に繋がるのです)。

&6「キッカケ」となるかならないかは、本人の受け止め方次第
(1) 例示列挙した「キッカケ」の類型は、「第二の人生」を生きているお年寄り、発病の「第一の要件」を充足しているお年寄りであれば、誰にでも、何時でも起きてきそうなものばかりなのです。

(2) たまたま「キッカケ」となりそうな「生活状況」の変化や出来事の発生に遭遇した時は、その状況に対して自分が取るべき脳の使い方としての「生活習慣」に十分注意して欲しいのです。ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる「キッカケ」とならないよう、「前頭葉」の出番が或る程度は確保されている従来通りの「生活習慣」、自分なりの目標があって、自分なりに生き甲斐や喜びが時には得られる「生活習慣」の維持(或いは、再構築)の為に、是非とも頑張って欲しいのです。
上述したように、第一義的には、本人の頑張り、踏ん張りが必要なのですが、家族からの支えも必要なことは言うまでもありません。

(3) 生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、「前頭葉」の出番が極端に少ない「生活習慣」、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が継続すること(発病の「第二の要因」を充足すること)が、「前頭葉」が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていく唯一の原因となるのです。その結果、「前頭葉」の機能が「正常老化」の曲線から逸脱し、加速度的で異常な機能低下の進行に突入していくことによって、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです。その最初の段階が、私たちが定義する「軽度認知症」(小ボケ)の段階なのです。

&7「キッカケ」に対する本人の受け止め方がポイント 
(1) 同じような「生活状況の変化」(或いは、「生活上の出来事の発生」)しても、生活状況(或いは、出来事の発生)に対する個人一人一人の受け止め方が異なるので、「生活状況の変化(生活上の出来事の発生)」後の「生活習慣」(日々の脳の使い方)は、それぞれに違うのです。

(2) 或る人は、「生活状況の変化(生活上の出来事)」の発生が「キッカケ」となって、気持ちが落ち込み(心が折れてしまい)意欲をなくしていって、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるのに対し、或る人は「生活状況の変化(生活上の出来事)」(出来事)の発生があっても「キッカケ」とはならないで、(心が折れてしまわないで)意欲を取り戻し、何等かの「テーマ」を自分なりに見つけ出し、日々の生活主観を再構していくことが出来るのです。

(3) 次の例示のように、具体的に考えると理解しやすいと思います。(我が国ではよく見かけるケースなのですが)「定年退職」で仕事を取り上げられてすることもなくなり、3年もたつと見る影もなく衰えボケてしまう人もいれば(この段階では、未だ「小ボケ」)、「定年退職」で自由な時間がいっぱいできたのをきっかけに、自分なりに趣味や遊びや人づきあいを楽しんで、生き生きと生活していく人もいるのです。

(4)  或いは、世間でよく言われるように、「夫を亡くしたおばあさん」は半年も経つと、楽しげに生活をエンジョイするようになることが多いのに対し、同じように「妻を亡くしたおじいさん」の多くは次第に元気をなくしていくのです。前者と後者とを区分けるキーポイントは、発生した「生活状況の変化(生活上の出来事)」を当の本人がどのように「受け止めたのか」にあるのです。

(5)「アルツハイマー型認知症」の発病を回避するには、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣の継続」という「第二の要件」の充足を回避しなければならないのです。「第二の要件」の充足を回避するには、上述した事例に見るような「生活状況の変化(生活上の出来事の発生)」した時、その「生活状況の変化(生活上の出来事の発生)」に対して、本人自身が負けないことが必要不可欠となるのです。

(6) 「第二の人生」を送っている高齢者(及びその家族)は、このことを深く心に留めておいて欲しいのです。「生活状況の変化(生活上の出来事の発生)」に遭遇した時、そのことに負けて気持ちが落ち込み、心が折れてしまわないよう頑張って欲しいのです。その状況に対して自分が取るべき脳の使い方(「生活習慣」)に十分注意して欲しいのです。
ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が始まる「キッカケ」とならないよう、是非とも頑張って欲しいのです。本人が頑張り、踏ん張ることが第一なのですが、家族(周囲)からの支えも必要不可欠なのです。 

&8「アルツハイマー型認知症」の発病及び重症化とその期間
(1)「キッカケ」の発生を契機にして、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるのに3ヶ月、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が日々継続することにより、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行により、「前頭葉」が異常な機能レベルに低下する迄に3~4ケ月、「小ボケ」の期間が3年間、「中ボケ」の期間が2~3年間、6年目からは「大ボケ」の段階が始まるというのが、私たちが集積してきた極めて多数の「脳機能データ」に基づく「標準的な滞留期間の大原則」なのです。だからこそ、「東日本大震災」を被災した「高齢者」達だけでなく、「能登半島地震」を被災した「高齢者」達の今後の生活状況を、私たちは、とても心配しているのです。

(2)「東日本大震災」の場合も、「能登半島地震」の場合も、「キッカケ」となる内容自体が余りに厳しく過酷であることから、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」に陥っていくお年寄り達の数と割合とが、言い換えると「アルツハイマー型認知症」を発病するお年寄り達の数と割合とが、他の事由の「キッカケ」の場合とは異なり、極めて多数で且つ、極めて高い割合で起きてくることになると、私たちは考えている(危惧している)のです。

&9 発病自体の予防を明確な目的とした「住民参加型の地域予防活動」
(1) 『発病自体の予防』が出来ないし、治すことが出来ないとされて、対策が打たれず放置されている為に、川下対策に過ぎない介護の予防措置及び介護の為の費用(診察、投薬、介護)並びに発病の末期の段階で初めて発病を見つけている「発病のレッテル貼り(外観的な認知症の症状の分類)でしかない診断」及び症状の進行を抑制する効能は皆無/症状の外観的な発現の仕方を変化させるだけの『対症療法薬』の処方の費用の総額が、単年度ベース(一般会計と特別会計の合計総額)で、23兆円を超える天文学的な規模で、垂れ流されているのです。

(2)「アルツハイマー型認知症」の本態は、廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる『生活習慣病』に過ぎないのです。「意識的(目的的)」な世界に於ける脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が『正常な機能レベルを維持できている限り、「アルツハイマー型認知症の発病は、絶対に起きて来ない」性質のものなのです(発病者は、必ず、「前頭葉⇒左脳⇒右脳⇒運動の脳」の順番に、異常な異常な機能低下が進行して行く=14689例の脳機能データが実証)』。
(3) その確立すべき「生活習慣」とは、「身体の健康」という視点から常に語られる「食生活」ではなく、第二の人生を送る上での「脳の使い方」としての『生活習慣』という考え方が重要となるのです。

(4) 「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する方法とは、『前頭葉』を含む脳全体が活性化するような「生活習慣」の確立とその維持、言い換えると、「右脳」の関与が中核となる「趣味」や「遊び」や「人付き合い」、或いは、「運動の脳」の関与が中核となる「運動」、更には「社会活動」等を「テーマ」にして、達成する過程で/或いは達成したその結果により、自分なりの楽しみや喜びや生き甲斐が得られるような「テーマ」を日々の生活習慣に取り入れ、自助努力することが、必要不可欠となるのです。
(5) こうした活動については、医療行為は関係しないこと及び必要な規模での医療費の売り上げが立たないこと等の理由から、医療機関は無関心なのです。
その意味で、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防を目的とした「地域予防活動」というテーマは、市町村の保健師さんが活動の中核となり、且つ実施地域のボランティアの参画が極めて重要な条件となるのです。市町村の保健師さんと地域のボランティア組織とが積極的に共同して展開することが、活動を活性化させ、成功させる上で不可欠の条件となるのです。

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