認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

睡眠のメカニズムの不可思議

2014-05-28 | 意識的な行為と脳の働き

「意識」の定義を構築する過程で、「睡眠」について調べてみたのだけど、誰が考え付いたのか本当に不思議な世界が有るんだなって、感心してしまいました。

 「睡眠」と言えば「夢」でしょ。私って、見た夢をしっかりと記憶しているタイプらしいんです。「夢」を見ることと「脳の働き」との関係についてはいろんな説(全て、「仮説」)が展開されているのだけど、私の体験による分析からいうと、全ての説が間違っていると思うのです。

 そのうち、夢についての私の仮説を披露してみたいと思っているのですが、何せ今は難解極まりない「意識」の定義の構築の真っ最中なので、脳の疲れが取れてからということにしておきたいと思います。

 私って、論理の組み立てとか文章を書くのが得意だったはずなのだけど、それも遠い昔の話だということがよく分かったの。年を取るっていうことは、本当に大変なことね。

 夫のTadが冬に髭剃りしてあげたカナリー・ヤシの幹にとりつけたシダが、すっかり新芽を吹いて青々と茂ってきたきた庭のデッキで、脳を休めるためにコーヒーを飲む機会が多くなり、なんだかお腹の周りが太くなってきた感じなんだけど、大丈夫かしら。

 泣き言はそれくらいにしておいてと・・・。世の中の専門家と言われる心理学者や脳科学者達が、ニューロンの働きを基礎とした方向から「意識」にアプローチしているのを知って、逆の方向からのアプローチをしてみようと、或る日夢の中で思ったのです。

私たちが専門にしていて得意にしている 「脳の働き」という大局的な視点からニューロンの活動とその働きを見れば、「意識」の解明はそれほど難しくはないのではと思ったのが、軽はずみというか、運のつきというか、大変な迷路に迷い込む結果となったようなのです。

 とはいえ、6月1日(その2)と6月15日(その3)とで、私たちが考える「意識」の定義をご披露できる見通しとなりました。まずは、その予告まで。

      

      


        

        


       

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プロが造ったバラのお庭から

2014-05-26 | 楽しくて意欲が湧いてくる生活と脳の活性化

 我が家のお庭のバラが終わりを告げたので、昨日はお友達と二家族で、プロが造成したバラのお庭を楽しみに出かけたのです。「花より団子」という訳ではないのですが、お友達は未だ初めてだったので、お昼をあのエルルカン・ビスで楽しむことにしたのです。

11:30分から始まって、食事が終わったのが13:30。たっぷり2時間かけて、お昼のコース料理を堪能させていただきました。お友達もとても気に入ってくださって、恐縮するほどのお褒めの言葉をいただきました。

訪れたのは、アカオ・ハーブ&ローズガーデン(ここを「クリック」してください)。山間の谷間を利用してプロが造成した広大なバラ園。見事さに圧倒されること請け合いです。裾に在るレストラン前からバスで頂上まで登って行き、後は歩いて降りてきながら、谷間に咲きほこる数えきれないほどの種類のバラを楽しむという趣向です。あ、そうそう。途中の休憩所で食べた、バラジャムをかけたアイスが、香りもさることながら言葉を思いつかないほど美味しかったので、是非トライしてみてください。

          

         

 

         

         

 

         

         

 

         

         

 

         

         

 

         

         

       

 エイジングライフ研究所のHPを「クリック」してください)

  脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません

   http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist

 http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a

 

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また逢う日までさようならー我が家のバラたち

2014-05-24 | 楽しくて意欲が湧いてくる生活と脳の活性化

 去年の5月は、月の初めごろには韓国に行き、終わりごろにはドイツに行っていたのです。そのせいで、「伊豆高原ふぇすてぃばる」を殆ど楽しめなかったばかりか、我が家の庭のバラも楽しむ時間がなかったのです。そこで、今年はどこへも出かけていかないことにして、「伊豆高原フェスティバル」と我が家の庭のバラとをたっぷりと楽しむつもりだったのです。

 あ~!、でも、年を取ってくると、どうしてこんなに時のたつのが速くなってしまうのでしょう。庭のあちらこちらでバラが咲き始めたなと思っていたら、もうどれも終わりに近づこうとしているのです。花の命は短くて、その終わりに近づいた我が家の庭のバラを写真に残しておくことにしたのです。来年また逢う日まで、さようなら~!

          

         

         

 

         

         

         

 

         

         

         

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バラに続いてブーゲンビリアが咲き始めた我が家の庭から

2014-05-23 | 脳を活性化する生活習慣を考える

 前回、Hiroko,s Gardenに続いて、「我が家のバラ」と題するテーマでご紹介した庭に挿入したあのバラたちがどこかに行ってしまったのです。バラたちが逃げて行ったのではなくて、私のパソコンを操る技術が稚拙なせいなのですが。今日は、あのバラたちを呼び戻せないので、別の角度から撮り直した我が家のバラたちをご紹介したいと思います。 

その前に一言。

我が家の庭は、最初はとてもきれいに仕上がっていたのです。上の庭も下の庭も、その間をつなぐ斜面も全て丁寧に仕上げられた芝生の庭だったのです。庭の東側と南側には、姫沙羅の木やネズミモチの木、その上カナリーヤシの巨木が3本も植えられているなど、背の高い木々が家の周りにびっしりと植えられ、背の高い木々の間には、シャクナゲ、ツバキ、きんもくせい、ソテツ、ヤマモモなどが建物の雰囲気とマッチするように植えられていたのです。

ところがある日Tadが急に、背の高い木々の上ではなくて下側をバッサリと切り落としてしまったのです。背の高い木々が上にも横にも大きくなってしまって、家から外の景色が見えないというのが理由でした。

それはそれでまだよかったのですが、今度は下の庭をハワイ風にするとか言って、自分でやり替えを敢行して、現在の雑然とした庭が出来上がったのです。我が家を訪れてくださる方達は、(その方たちは大人なので)、「これはこれで、いいんじゃあないの」とか言ってくださるので、Tadによる庭の景色替えは留まることを知らないのです。そう言えば、このブーゲンビリアもハワイ島から持ち帰ったものなのです。あの小さかった苗木が今ではこんな巨木になっているのです。

泣き言はこれくらいにして、我が家のバラたちをご紹介します。ワン・クリックして、アップで見てください。

      

      

       


         

         

         

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やさしい心がこもった手作りの小さなお庭

2014-05-22 | 楽しくて意欲が湧いてくる生活と脳の活性化

やさしい心がこもった手作りの小さなお庭

 お住まいが都会にある方は土地という制約があるのですが、「ガーデニング」という「テーマ」は、自分だけに与えられた空間の中で、自分なりの美的な価値観を、自分なりの工夫と努力で表現することができ、脳の活性化にはとても有効なのです。このお庭は、オープンにされてはいないのですが、特別にオープンされた日に行き合わせて見せていただけたのです。おうちの前に、Hiroko,s Garden とあるのが目印です。あなたの運が良ければ、見せていただけるかもしれません。

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我が家の庭の新緑とバラ

2014-05-21 | 楽しくて意欲が湧いてくる生活と脳の活性化

我が家の庭の新緑とバラ

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アルツハイマー型認知症の発病原因から見る意識の枠組み (その1)  B-10

2014-05-15 | 意識的な行為と脳の働き

 20年前(1995年)から私たちは、「アルツハイマー型認知症」の「地域予防活動」というテーマに取り組んできました。「前頭葉」を含む脳の機能レベルを私たちが開発した「二段階方式」と呼称する神経心理機能テストを中核的な手技として活用し、市町村の保健師さんが活動の中核となって地域のボランティア組織を取り込み協働しつつ展開する地域予防活動を通じて、私たちは膨大な脳機能データを集積し、解析してきました{「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)を含む脳の機能レベルに対応する脳機能のアウトプットとしての正常な範囲から異常な範囲にわたる段階的な症状の特徴とその発現の原因との因果関係etc.}。

 今日は、それらの脳機能データの解析を基礎として私たちが獲得した知見(「前頭葉」を含む脳の機能とそのレベルの変化、その変化に対応する症状の段階的な変化及び発病原因に関わる因果関係に関する知見)を基礎として、私たちなりに考える「意識」のメカニズムについての私見をまとめてみました。これまで世界中の研究者たちの誰一人として解明することができていない所謂「意識」について、その構造の解明の一助になればと、意識についての枠組みの構想に私たちもチャレンジしてみることにしたのです。

       

 

 これはなに 夢か現か 幻か     

         夢の話は 支離で滅裂 (10)By kinukototadao  

 

○  夢の中での出来事

行ってみればわかるのだけど、湯河原町のオーベルジュ「エルルカン・ビス」に車で行くには、しかも大型のランクルで行くには、相当高い運転技術だけでなくて、若さも要求されるのです。山際に沿って狭く曲がりくねった道を車との離合を恐れながら喘ぐように登って行くのは、本当心身ともに疲れる上に、恐怖心さえも覚えるのです。この2~3年で、なんだか急に運転が下手になってきたみたいというか、左端の空間認知能力が衰えてきたみたいなのです。ハンドルが右側にあるので、座席から遠い左側の空間認知能力が、衰えてきているのが分かるのです。車の左端と道端の樹木や塀などとの距離感がきちんと取れなくなってきているのです。「前頭葉」の3本柱の機能である意欲、注意の集中力と注意の分配力の機能が加齢とともに衰えてきていることの証拠なのです。

 翌朝午前5時過ぎの出来事だったのです。その山道を運転してやっとのこと目的地にたどり着いたのだけど、そこからもう一つ大仕事が残っていたのです。皆さんを門の前で下してから駐車場に駐車しに行こうとしたのです。法学部出のTadから、道際に止めておけばいいと声がかかったのだけど、私は遵法精神がきちんとあるので、駐車場に車を止めに行こうとしたのです。そこへの道が特別狭いのです。その上というか、30度以上も傾斜した急な坂を下りて行って、坂道から右に直角に曲げて駐車場に入るようになっているのです。坂道の勾配が急で、スピードが出てしまい、恐怖心を覚えて思わずブレーキを踏んだのです。正確にいうと、ブレーキを踏もうとしたのです。ところがいくら踏もうとしても、肝心のペダルがどこなのか分からないのです。必死でブレーキペダルを足で探すのに見つからない、ブレーキのペダルの上に私の足が乗らないのです。「あ~!!」とかなんとか、大きな叫び声で目が覚めたのです。夢うつつに私の脳が追っていたのは、こんな風なシーンだったのです。

       

○  意識的な行為の世界と個別機能によるその認知度及び機能の発揮度

意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、批判、想像、理解、了解、興味、関心、発想、連想、妄想、企画、計画、創意、工夫、予測、具象化、抽象化、シミュレー・ション、予見、比較、修正、整理、機転、抑制、忍耐、感動及び判断等、「前頭葉」の機能を構成している各種の高度な認知機能を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。認知度が一定レベル以下だと、例示した「前頭葉」の各種個別の認知機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした個別の認知機能によるその「認知度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉の三本柱」の機能なのです(「認知度」と「発揮度」とがともに、「三本柱」の機能レベルと「リンク」している)。

「前頭葉」を中核の機能として、有機的な連携のもとに左脳や右脳や運動の脳も参加して、脳全体で何をどのように実行するのかを組み立てるには(実行すべきテーマをいくつか発想し、その中から1つを選択し、その実行内容を組み立てるには)、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠になるのです。自分が現在置かれている状況と環境の判断をベースとして、様々な状況の変化を予測して考慮し、いく通りかのケース・シミュレーションを経た上で最終的な内容を決定し、実行に移すには、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の継続的な発揮も必要になるのです。上述のようにその「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能の構成要素である「個別機能」によるその認知度及び機能の発揮度を左右し、下支えする働きを担っていて、個別機能を十分に発揮するに際しての「二重構造」の関係(私たちのネーミング)が存在しているのです。 

     

○  注意の分配機能の衰えが示す日常生活での諸現象

私たち伊豆高原で第二の人生を送っている仲間内で「女子会」と称する脳の活性化を目的とする非定期的なダべリングの会を持っているのです。女子会なので男性は参加できないのが原則(本音は、男性が入ると話が難しい話ばかりになって楽しくないので、男性諸氏を外すために女子会と名付けているのです)。その女子会の集まりがメンバーの一人である芳子さんの家で開かれていたので、たまたま今開催されている「伊豆高原アートフェスティバル」の1つの会場を見てきた帰りに、NickさんとTadも連れて立ち寄ったのです。ところが案に相違して、話がとても盛り上がったのです。NickさんとTadが女子会の話の内容に興味津々で、時々質問することが的外れなことが多かったせいもあってか、いつもとは違う盛り上がり方というか、盛り上がり過ぎな程だったのです。

そんな時、芳子さんが私たちにおいしいコーヒーを入れてくれることになって、立ち上がったのはいいけど、コーヒーカップを揃え乍ら脇から話に割り込みして、しゃべっている内に肝心のコーヒーを私たちに入れてくれることを忘れて、カップを手にしたまま話に夢中になってしまったのです。私たちはコーヒーを入れていただく側なので、お湯が沸騰しているなどと注意することもできなくて、当の本人が気付くまでただ待つしかなかったのです。結果的には、随分と待たされることになったのです。私たちくらいの年齢になるとこうしたことは日常茶飯事になってしまうのです。「前頭葉」の三本柱の機能の一角を占めている「注意の分配機能」が、加齢によって衰えてきたことがその原因なのです。いくつかのテーマを同時に並行して実行するときに、この「注意の分配」機能がちゃんと働いていないと、こうしたことが起きてくるのです。そう、脳の「老化現象」による症状なのです。

     

○  3本柱の機能に内在する「正常老化の性質」

嗚呼、齢を重ねることのなんと哀しいことかな!私たちが意識的に何かのテーマを思いつき実行しようとするときに、必要とされる各種の認知機能を発揮する上で、必要不可欠の機能である「前頭葉の三本柱」とも言うべき、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能には、加齢とともにその働きが衰えていくという「正常老化の性質」(私たちのネーミングです)が内在されているのです。私たちが世の中の専門家たちに先駆けて発見したそのカーブの存在は、私たちが「二段階方式」に基づく「かなひろいテスト」と「MMS」テスト及び生活歴の聞き取りの実施により集積した年齢別の脳機能レベルの推移を示す膨大な量の脳機能データにより証明されているのです(20歳代の内に早くも緩やかではあるものの下向きのカーブとなり、60歳を超えた高齢者と呼ばれる年代になると急速に下降するカーブを描いていくようになるのです)。

脳の司令塔は「前頭葉」であり、その「前頭葉」の三本柱の機能に加齢と共に働きが衰えていくという性質、「正常老化の性質」が内在していることが、「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを解明する上で不可欠の視点となるのです。それなりに「前頭葉」の出番がある「生活習慣」を維持していても、加齢とともに機能が緩やかに衰えて行くという性質があるということなのです。

この「前頭葉」の正常老化曲線のカーブの傾きの度合いは、60歳を過ぎた高齢者と言われる年齢になると、脳の使い方という視点からの「生活習慣」に大きく左右されるようになります。脳の後半領域の働きであり、「前頭葉」と協働して意識的な世界でのテーマを実行するための下部機構として機能している左脳、右脳及び運動の脳とのやり取りの中で処理される情報の質と量次第で、「前頭葉」の老化の曲線は、「緩やかに低下するカーブ」(正常な老化)を描き、或いは、「加速度的に低下するカーブ」(異常な老化)を描くことになるのです。

(ここで、コーヒー・ブレイク)実態面に目を向けた時、「アルツハイマー型認知症」を発病するその対象が60歳を超える年齢の「高齢者」に限られていて、然も、70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と高齢になるほど発症率が高くなっていく原因は、この「正常老化のカーブ」の存在にあるのです。「働き盛りの50歳代で、アルツハイマー型認知症を発症する人たちが増えてきている」などとマスコミが取り上げ騒ぐことがあるのですが、「アルツハイマー型認知症」を50歳代という若い年齢で発症するケースは皆無とは言わないまでも極めて稀なことなのです。「アルツハイマー型認知症で」はなくて、側頭葉性健忘症とか緩徐進行性失語とか緩徐進行性失行などの認知症と紛らわしい病気であることを知らない(見抜く為の手技を持たない)医師達が誤診している結果に過ぎないのです。「アルツハイマー病」と「アルツハイマー型認知症」とは全く別物である(発病のメカニズムも発病後の症状の進行速度も治療による回復の可能性の有無も全く異なるのです)ことを含めて、マスコミも早くこのことに気付いてほしいと願うのです。

    

○  「アルツハイマー型認知症」発病の2つの要件 

生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されている日々(これも私たちのネーミングです)、三頭建ての馬車の御者の役割を担う「前頭葉」と三頭の馬である「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」との間で量も少なく質も劣る情報しかやり取りされない「生活習慣」が継続されていて、時間は余るほど有るのにすることが無い毎日を送っているお年寄りは、「前頭葉」の老化曲線が加速度的に低下していく曲線を描いて、急速に低空飛行になっていくことになります。その行き着く先には、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているということなのです。

本来的な性質として内在している「前頭葉」の「正常老化の曲線」の問題(発病の「第一の要件」)と第二の人生に入って、何かを「キッカケ」にして(ここを「クリック」してください)、「右脳」も「運動の脳」も「左脳」をも使う機会が極端に少なくなるような生活、「生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない」ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まり、そうした生活が日々継続していると(私たちが定義する発病の「第二の要件」)、出番が極端に少なくなった「前頭葉」が(「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足されるその「相乗効果」により)廃用性の機能低下を起こしてきて、老化を加速させていき、「アルツハイマー型認知症」発病への道を歩みだすことになるのです。

     

○  「アルツハイマー型認知症」の発病の予防策

高齢になったお年寄りが、足腰の重い痛みの継続や転んで複雑骨折して何週間か寝込んだままで居たりするなど、何かをキッカケにして歩行する機会が極端に少なくなると、膝の筋肉が廃用性の機能低下を起こして来て歩けなくなります。「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムは、高齢者の膝の筋肉が廃用性の加速度的な機能低下を起こしていくのと似たようなメカニズムではないかと考えるのです。その意味で、廃用症候群に属する「生活習慣病」がその本質と考えられる「アルツハイマー型認知症」の発病を予防するには、脳をしっかりと使う自分なりの「生活習慣」の構築と維持が不可欠だと言うことなのです。

「アルツハイマー型認知症」の発病を予防するには、日常生活のいろいろな場面で、「前頭葉」を含む脳全体を「しっかりと使ってやる」ことが必要不可欠の条件となるのです。脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」には、そもそも、「加齢」とともに働きが衰えていくという性質が内在しているからです。「アルツハイマー型認知症」を発病しない(発病を予防する)為には、老化のカーブ(上述した「正常老化」のカーブ)を支えていくこと(下支えする「生活習慣」を構築し、維持すること)が不可欠の条件となるのです。自分なりの「目標」がある生活、その「目標」を達成することで「生き甲斐」や「喜び」や「感動」が得られることが、その過程での「意欲」や「注意の集中力」や「注意の分配力」という「前頭葉」の三本柱の出番を多くすることになり、「脳を活性化」させ、廃用性の異常な老化を防止することになるのです。

 そうした「前頭葉」の三本柱の出番が多い「生活習慣」の下では、発想、創意、企画、構成、計画、工夫、観察、分析、理解、把握、考察、洞察、推理、予見、シミュレーション、組み換え、修正、変更、整理、機転、興味、創造、感動、評価、判断、抑制及び決断等の「前頭葉」の高度な諸機能が、それなりに働く機会が与えられることで、緩やかに衰えては行きつつも「年齢相応」の自分なりの「正常な機能のレベル」を維持することが出来ることになるのです。

「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状は、廃用性の異常な機能低下に起因した「前頭葉」を含む脳全体の働き具合の衰えの直接のアウトプットに過ぎないのです。世の中の専門家達から原因が分からないと言われている「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳の機能が、廃用性の機能低下により(使われる機会が極端に少ないために、機能が衰えてくることにより)、加速度的に異常なレベルに衰えてくることが直接の原因で発病し、認知症の症状が発現してくるだけなのです。従って、「前頭葉」の出番が多い「生活習慣」を維持することにより「前頭葉」の機能が正常なレベルに保たれている限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することはないのです。「アルツハイマー型認知症」の本質は、脳の使い方という視点から見た日々の生活習慣に起因する病気、「廃用症候群に属する生活習慣病である」というのが膨大な量の「脳機能データ」の解析と市町村での「地域予防活動」実践の成果を基礎とする私たちの主張(見解)なのです。

    

○  再度、脳活性化小旅行

「アルツハイマー型認知症」は、脳血管性認知症とは異なり、脳が壊れてもいないのに認知症の症状が発現してくるのです。認知症の専門家たちが騒ぎ出すのは末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階に入ってからの症状が発現してきてからなのですが、発症の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階でさえ、日常的な生活のレベルで意識的に何かをしようとしても(例えば、夕食のための食材を人数分買ってくる程度のこと)、きちんとできなくなるのです。口はそれなりに達者な口をきいてはいても、参加した人たちが口をそろえて褒めたり驚いたりするようなプラニングは愚か、小旅行のプラニングをすること自体が全くのこと無理なのです。

前回のこのブログ〈No-109〉でその概要を明らかにしてあるように、先月は二度にわたる「脳活性化旅行」を楽しんだのです。振り返ってみれば、年相応ではなくてやや強行軍であったとはいえ、今思い出してもとても楽しく思い出に残る小旅行だったのです。その最初の旅(4月21日~23日)にかけてご一緒していただいた旅仲間のうちの一組のご夫婦、Nickさんご夫婦と、今週の日と月、一泊二日で熱海泊を楽しんできたのです。Nickさんと夫のTadがともに古希を迎えたそのお祝い旅行なのです。お泊りは、新築されて間もないできたての東急ハーヴェストクラブ熱海伊豆山です(ここを「クリック」してください)。日程を組み立てたのは、言うまでもなく私です。前回の小旅行のプラニングが皆さんから大好評だったので(いつも辛口のTadにまで褒められたのです)、私の「前頭葉」が張り切ってフル回転してくれたのです。 日曜日のお昼をとプランに入れたのは、湯河原町のオーベルジュ「エルルカン・ビス」です(ここを「クリック」してください)。

     

○  「アルツハイマー型認知症」の小ボケの症状と脳の機能との関係

「アルツハイマー型認知症」としての「認知症の症状」が現れてくる最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階で認められるそれらの症状は、「DSM-4」が言うようなレベルの「重度の記憶障害」の症状とは全く関係が無いのです。「意欲や注意の集中力や注意の分配力」など、「前頭葉」の機能の根幹(基礎)をなしていて、「前頭葉」の各種の高度な個別機能の「認知度」及び「発揮度」を左右している「三本柱の機能」が異常なレベルに衰えていることの直接の反映が、認知症の症状として現れてくるだけなのです。つまり、「小ボケ」の段階では、「三本柱」の機能障害を反映した症状が「認知症の症状」として現れてくるのです。勿論この段階では、「DSM-4」で第二の要件として規定されている「失語や失行や失認」などの重い症状は、そのカケラさえも認められないのです。

 「アルツハイマー型認知症」の初期(最初)の段階であり、私達の区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階は、左脳と右脳と運動の脳は未だ正常なレベルにあるのですが、脳全体の司令塔である「前頭葉」の働きだけが異常なレベルに衰えてきているのです。そのため、「前頭葉」の機能のうち最も重要な「三本柱」の機能である「意欲」、「注意集中力」及び「注意分配力」が的確に発揮されなくなります。この「三本柱」の機能の衰え具合の相乗効果としての働き具合いが、様々な情報や思考の処理に関わる個別認知機能の「認知度」及び「発揮度」を左右しているのです。その結果、「小ボケ」の段階では、この「三本柱」の機能が異常なレベルに衰えてきていることの機能障害を反映した症状が「小ボケの症状」として特徴的に現れてくるということなのです。

 「三本柱」の機能が異常なレベルに衰えたその反映が、状況の判断や、発想や企画や計画や洞察やシミュレーションや機転や感動や決定や抑制といった「前頭葉」の様々な個別機能の「認知度」及び「発揮度」に直接影響してくるために、対象となる情報や思考の認知及び関連する様々な情報の記憶(記銘やその保持や想起)並びに処理の面でも、機能の発揮が不的確で不十分なものとなるのです。そのため、的確な状況の判断、発想、計画、創意、工夫、機転といった機能、状況により必要となる感情の抑制、或いは的確な見通しや意思決定などが要求される、「社会生活」の面で、程度や態様を含む種々の支障が出てくるようになります。「社会生活」面での種々のトラブルが生じてくるようになるのです。勿論、この段階では、「家庭生活」の面にも「セルフケア」の面にも何の支障も起きてはきません。それぞれの段階で必要とされる「前頭葉を含む脳の機能レベル」が全く異なる次元にあるからです。

     

○「前頭葉」が把握し、監視し、処理する対象となる「テーマ」

 私たちは、道を究めた武道家でも宗教家でも修験者でもない平凡な人間なので、何か一点に意識を集中するということはとても難しいのです。むしろ、2つや3つ、複数のテーマが同時に並行して意識に上っている状態で、様々なテーマを遂行しているのが普通なのです。朝ご飯の支度をしながら洗濯機を回して衣服を選択しつつ、お部屋の掃除も同時進行でこなすのです。玄関のほうでピンポ~ンとチャイムが鳴れば、何か荷物が届いたのかと,慌てることもなく認め印を手に持って玄関に走ってもいけるのです。そしてちゃんと台所に戻って煮物が焦げ付くこともなく、いい塩梅に煮立っているのを確認することができるのです。私たち、女子会でのおしゃべりを楽しんだり、脳活旅行に励んだりしていて外見の割には「前頭葉」が若いので、これくらいのことって簡単にできるのです。たまには、おしゃべりに夢中になってコーヒーを入れるのを忘れることはあるのだけど。

複数のテーマを同時に並行して把握し、監視し、処理し、状況の変化に応じてメインテーマの対象を別のものに変更することもできるのです。どうしてこんなことができるのでしょう。芳子さんが飼っている猫も、賢いとされるNickさんの家の犬もできないのに。一体脳の中の誰がこんなに高度で複雑な役割を担っているのでしょうか。私達の脳の中に存在を未だ知られていない誰かが居るとでもいうのでしょうか。前述した芳子さんがコーヒーを入れてくれようとした場面でのメインテーマの失念、或いはこのブログに関心を持たれている年齢のあなたに日常茶飯事のように起きてきているはずの物忘れなど、そうした症状が脳の「老化現象」として私たちの年齢になると日常的に現われてくるようになることからして、「前頭葉」の三本柱の機能が脳の中の正体不明の誰かさんの働きと関わっていることは間違いないことだと私たちは考えるのです。

     

○ 意識と「前頭葉」の機能との関係

 覚醒された状態の意識(以下、「意識状態」という)は、脳の活動によって作りだされていることは確であり、その中枢となる機能部位が「前頭葉」だと私たちは考えるのです。「前頭葉」を中核(母体)」とする脳の有機的な機構としての機能の潜在的な能力それ自体が潜在的なレベルとしての意識状態を生み出す源だと考えているのです。更には、意識状態が覚醒されている状態(顕在的なレベルとしての状態意識)にもその覚醒の程度には種々な段階があるのであって、意識状態の覚醒のその程度(度合い)を左右しているのも「前頭葉」の三本柱の機能だと考えているのです。そうした視点からいえば、世の中の研究者たちが問題にしている「意識」という命題について、「意識が有るか無いか」(意識の有無)というのではなくて、「意識状態に有るか無いか」(意識状態の有無)という視点でとらえるべきではないかと考えるのです。「前頭葉」を中核とした脳の有機的な活動機構の活性化と「意識状態の覚醒度」とが直結した関係にあることに鑑みて、心理学者や脳科学者たちが言う所謂「意識」の本質は、状態的な機能(「意識状態」を生み出す機能)であると私たちは考えるからです。

なお、「意識状態が覚醒されている」とする基準は、「前頭葉」を含む脳の機能が廃用性の機能低下により働き具合を低下させていくとき、「人」、「時」及び「所」の見当識の内で最後まで機能が残るのが「人の見当識」であることを根拠として以下の基準を採用することを提案したいのです。この場合、意識状態が覚醒されているとは、自分がいまここに在るという最低限度の見当識があること(他者と区別した自身を最低限度認識できている状態にあるというレベルでの「人の見当識」があること、日年月季節昼夜の区別のレベルではなくて、「今」というレベルでの「時の見当識」があること及び此処がどこなのかというレベルではなくて此処に在るというレベルでの「所の見当識」があること) を言うと考えるのです。

    

○ 脳の中に居るもう一人の「あなた」

また、注意の集中力と注意の分配力の機能とは綱引きの関係にあって、特定のテーマに対する注意の集中力が高まるにつれて他のテーマに配分されている注意の分配力はそれに呼応する形で小さくなると考えられるのです。どんなテーマを発想するか、どのテーマに注意を集中するか、或いは複数存在する内のどのテーマにどの程度注意を分配させるかは、「前頭葉」の機能の中の更に特定の部位による機能が担っていて、それが「意識の座」(私たちのネーミング)だと考えているのです。鵜の首に巻いた何本もの綱を上手に操って魚を捕獲する漁法で有名なあの「長良川の鵜飼」の漁師さんたちのような機能を有し、且つ役割を担っている特別の存在が脳全体の中枢機能である「前頭葉」の中にあるのではないかと考えるのです。「前頭葉」の機能部位の中に、更にその中枢機能として全体を統合する機能を担う部位が存在していて、それが「意識の座」だと私たちは考えるのです。

更には、これまでにたどってきた人生での体験(実体験と伝聞体験)の蓄積により自分独自の自分なりの「評価の物差し」(見方、感じ方、受け止め方、考え方や表出の程度や態様などの所謂「自我」として確立された評価及び行動の指針)及びこれまでの体験(実体験、伝聞体験及び知識)を基礎として蓄積された情報や情景や知識を記憶している「記憶の倉庫」との協働により、置かれている自分の全体状況及び環境を把握し、評価し及び個別のテーマごとにそれらを把握し、監視していて、自分がその時点でとるべき途、或いはそのやり方としての態度や程度や態様などを選択し、実行の指令を出す役割を担っているのが「意識の座」だと考えるのです。こうした視点を敷衍した時、様々な態様と程度とで発現してくる所謂「統合失調症」に挙げられる類の症状は全て、この「意識の座」の機能の機能不全が原因で生じてくるのではないかと私たちは考えているのです。

注)今回のテーマは、内容量が多いため、二回に分けて掲載します。意識に関する私たちの構想(見解)の主要な部分は、次回(Noー111)で述べる予定です。

       

 注)本著作物(このブログB-10に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

エイジングライフ研究所のHPを「クリック」してください)

  脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません

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アルツハイマー型認知症の発病原因から見た意識の枠組みとの関係(B-09)

2014-05-01 | 意識的な行為と脳の働き

    

  哀れかな 疲れ知らずの わが妹も

     寄る年波に 抗えもせず   (9) By  kinukototadao

私のブログの正式なタイトルは、「認知症の早期診断、介護並びに回復と予防のシステム」と言うの。これまでに108回の記事を公開しているの。毎回、字数がとても多いのだけど、「アルツハイマー型認知症」のことが世の中にほとんど知られていないので(もっと正確に言えば、世界中の認知症の専門家とされる人達や認知症を専門的に研究している機関の人たちにも「アルツハイマー型認知症」の発病原因や治療の方法と回復の可能性、更には発病の予防についてもほとんど知られていない)、どうしても都度のテーマで詳しく書きたい思いが強いがために字数が多くなってしまうの。追加される新しい記事の内容は、毎月1日と15日とに公開しているの。認知症の専門家(学者や研究者や医師)と将来の「地域予防活動」の主役を担っていただきたい保健師さんを念頭に置いて書いているので、内容が極めて高度で一回当たりのページ数もとても多いのにもかかわらず、一般の人たちも読んでくれている関係か、毎日の読者の数がとても多く、感謝しているの。毎回新しい記事を書くとき、そのことに感謝して、気を入れて書いているのよ。

ところが、今回(5月1日)は記事のタイトルの表示があるだけで中身はないの。お休みなの。理由は、長旅の疲れが蓄積しているうえに、風邪をひいて寝込んでいるからなの。ブログを書くときは、公開日の朝早くから起きて、具体的には「朝飯前」に、集中して書くのが習慣なの。もちろん記事を書く前に、頭の中でいろいろ構成する作業があって、それは何日間かかけてやっているのだけど。今回のテーマは、世界中の誰もが未だ解明できていないというか、構成することができていない、「意識」について、私なりに考える「意識」の正体とその枠組み及び「アルツハイマー型認知症」の発病原因との関係を詳しく書こうと張り切っていたの。何しろ、「意識」の正体を解き明かしただけで、あの「ノーベル賞」の受賞は確実と言われているほどのテーマなので、私なりに張り切って構成をあれこれ考えていたの。

  

ところが、ほらあの「脳を活性化する生活習慣の実践」というテーマを世の中に問題提起し、且つ自身としても日々追及しているわが身としては、部屋に閉じこもってブログ内容の構成を考えるというのはできないことなのよ。それで、「一石二鳥の秘策」を考え付いたのが運のつきだったのね。4月21日からのゴールデン・ウイークが始まる前に、日ごろ密なお付き合いをさせて頂いている仲の良いお友達と一緒に、「脳の活性化」のための国内旅行を思う存分楽しもうと思ったの。しかも2回もなのよ。その2回の旅行の大まかな旅程と行軍の概要だけを記しておくわね。

1回目2泊3日の旅は、ここ伊豆高原を朝早くに出発して、沼津から新東名に乗り、富士ICで降りて、西富士道路を北上し、河口湖でおしゃれな喫茶店に寄ってお茶と休憩を取り、一之宮御坂から中央高速に乗り松本で下車。松本では初めての人がいたので一応松本城にも行ったのだけど、メインは、「ヒカリヤ西」での食事。西が洋食で東が和食のレストランなの。今回は、西で洋食のフレンチをいただいたの。6人が私たち今回の旅仲間だったのだけど、6人が全員言葉にならないくらい感動したのよ。スパークリング・ワインを1本、プレゼントされたからではないのよ。建物の雰囲気も、料理の内容も、サービスの質も、最高なうえに、料金も極めてりーぞなぶるなの。ぜひ行ってみてね(ヒカリヤ西については、ここを「クリック」してみて)。

昼食を済ませてから松本城を見学した後は、その日の宿である国民宿舎松代荘まで、寄り道なしに一直線に車を走らせたの。松代荘は、以前私が近くの町に講演に来た時泊まった宿で、源泉かけ流しの温泉が売りなの。お友達にこのお湯を味わってほしくて私が推薦したのよ(ここを「クリック」してみて)。そうそう、料理もみなさんの評判がよかったわよ。

    

翌朝は、少し早めに宿を出発して、小布施町に行ったの。小布施町は10年前から私たちが「アルツハイマー型認知症」の地域予防活動を請負で実践している町なの。街並み全体が統制されていて、江戸時代からの雰囲気を残した古い建物と現代風の新しい建物とが見事に調和していて、とても落ち着いた雰囲気の中で、それぞれに際立った特徴がある建物や庭があり、美術館やお店があり、レストランや酒蔵がある、そんな街中を散策していて気持ちがとても和むのよ。そうそう、小布施町は、各家庭がガーデニングを楽しんでいて、オープン・ガーデンでも有名よ。保健師さんを中核として町の様々なボランティア組織との協働により小地域単位で活動する「地域予防活動」は、今では町の全域に広がっているのよ。「アルツハイマー型認知症」の予防を目的とする「地域予防活動」を立ち上げる上で不可欠の「ボケは防げる治せる」と題する講演活動で私たちは、北海道から九州まで、いろいろな町を訪ねているのだけど、その中でも小布施町は出色だと思うわ。お昼は、「鈴花」で和食を、小布施の保健師さんOBも参加してくれて旧交を温めつつ楽しんだの(小布施町の観光と文化の案内については、ここを「クリック」してみて)。

小布施を楽しんだ後は、上信越自動車道を使って北上し、斑尾高原にある東急ハーベストクラブの斑尾に泊まったの。ゲレンデには未だかなり厚い層の残雪があって、周りの緑とも相まって、思わず声が出るほどにきれいだったの。夕食にも感動してもらって、推薦した私に皆さんから賛辞が寄せられて少し鼻が高かったわ。ここは、美しい自然が広がる複合リゾート・タングラム斑尾東急リゾートが隣接していて、スキーだけでなくゴルフも楽しめるのよ(ここを「クリック」してみて)。

    

翌日は、もう一度小布施を堪能した後は、車を走らせて小淵沢まで行き、昼食は、「長坂翁」でそばを食べたの。1時過ぎに着いたというのに、30人くらいが待っている状態だったのよ。お友達のうちの一人がそば好きだというので、待つことにしたの。私は、そば通ではないので、山菜そばか天ぷらそばにしたかったのだけど、こういう名店では庶民好みのメニューなんてないのね。大盛りさえもなくて、お腹が空いていた私には少しばかり不満が残ったわ。昼食を済ませた後は、時々休憩を取っただけで、一直線に帰路に着いたの。

ところで、この2泊3日間の旅では、私が一人で運転したの。私たち夫婦に加えて、伊豆高原でのお友達2家族を含めた3家族総勢6人だったので、8人乗りの大型のランクルで行ったの。今回はご高齢のみなさんばかり、ビップばかりを乗せていたので、運転中は神経を集中させている必要があるので、とても疲れたの。そのうえ、夜は夜でと言うか、就寝中も夢の中でまで、「意識」の構成というテーマが脳の中を駆け回って、そのことが余計に私の神経を疲れさせたのよね。普通はこれで終わりにするでしょ。

それはさておいて、今回の旅で気づいた素敵なことがあったの。伊豆高原に帰ってきたときは、桜は山桜も含めてとっくに終わりを告げていて、つつじやサツキが満開の状態になっていたのよ。ところが河口湖を過ぎるあたりから北上するにつれて、桜がどこでも真っ盛りの状態だったの。標高が上がるにつれて桜が満開になる時期がズレて遅くなっていて、満開の桜を追って北上するのを実感できて、季節の境目にはこうした行程で巡ってみるのも趣味深いものだなと感じたの。来年は、あなたも試してみたら、いかが。但し、強行軍にならない日程でね。

    

ところが、2泊3日の旅を終えて伊豆高原の我が家に帰ってきたその次の日から、またまた1泊2日の旅程で2回目の「脳を活性化するテーマ」が入っていたの。今度は、東京のお友達二人が河口湖まで電車でやってきて、河口湖で2人を私たちの車に乗せて、私たち夫婦と合わせて4人で、1泊2日の旅を楽しんだの。今度は、4人だったので、小型の乗用車にしたので、その分運転に気を遣わなくてよかったとはいえ、この強行軍では、年取った私の脳にはとても大きな負担となったという訳なのよね。この年になると、気持ちだけではもう無理なのよね。ちょっと泣き言が多いみたいだけど、実際には、とても楽しかったのよ。誤解しないでね。

河口湖には、イタリアンのカーザ・オサノというレストランがあって、いつも感動して、涙が出てくるので、お友達をよく誘って行くの(ここを「クリック」してみて)。今回もお昼をそこで楽しんでから、宿泊先の山中湖にあるエクシブの山中湖に行ったの。普段は本館のほうに泊まるのだけど、東京のお友達の関係で、今回はサンクチュアリー・ビラのほうに泊まることができたの(ここを「クリック」してみて)。本館のほうは満室状態だったけど、サンクチュアリー・ビラのほうは私たちの独占に近い状態だったの。内風呂の1枚ガラスの窓枠の中に富士山の正面がすっぽり入っていて、外の景色を楽しみながら、ゆっくりと温泉入浴を楽しめるようになっているのよ。夕食は「翠陽」で懐石中華を心行くまで楽しんだの。もちろん年代物の紹興酒も熱燗で楽しんだわ。そのあとは、館内のカラオケルームで私たち4人だけの独占状態で、歌いまくったの。そのうえ、夜遅くまで会話を楽しんだと言うか、楽しすぎて、時間が経つのも忘れて女3人で喋り捲ったの。私の夫のTadは、別室で一人でテレビを見て、早々と寝てしまったらしいけど。

    

翌朝は、やや遅めにチェック・アウトした後、「久保田一竹」美術館を訪ねたの。この美術館の感想を私が書くよりも、美術館の映像案内を見てもらったほうが説得力があるわね。(ここを「クリック」してみて。とても素晴らしいから)。美術館で久保田一竹の作品群を堪能したあとは、近くのホテルで満開の桜を眺めながら昼食を取った後、人形の美術館「与勇輝館」を訪ねたの(ここを「クリック」してみて)。人形の顔立ちや表情や仕草、身体の動きを感じさせる姿勢や形、そして色使い、世の中には才能がある人がいるのよね。女性群だけでなくTadもとても感動したのよ。最後は、滝が好きなお友達のために「白糸の滝」に立ち寄ってから(ここを「クリック」してみて)、新幹線の三島駅までお友達二人を送って行ったの。時間が遅かったので、伊豆長岡でお寿司屋さんに寄って夕食を済ませてから伊豆高原の我が家へと帰路に着いたの。それが、4月25日のことだったの。

ところがその翌日26日の午後になって、近くにある異空間「Jガーデン」(ここを「クリック」してみて)のオーナーの石井さんが、フジサンケイ・レディース・クラシックの観戦チケットを2枚くださったので、お友達のニックさんと27日の決勝戦を急遽見に行くことになったの(川奈ホテルGCについては、ここを「クリック」してみて)。それで、27日は、朝の8時30分から午後の3時過ぎの終了まで全部見て回ったものだから、歩き疲れた上に、厚着をしていたせいで逆に風邪をひいてしまったの。汗が冷えたせいよね。見て回ってる途中から、もう咳が始まっていたの。

    

5日間の旅で車を運転した心身の疲れの蓄積とその間就寝中も「意識」を構成する夢まで見る生活の上での神経の疲れとゴルフの観戦でコース内を歩き回った身体の疲労とに加えて風邪を引いたことによる疲れとが累積してしまい、そのあと3日間寝込んでしまったの。こんなことって、実は、私の人生で始めてのことなのよ。言い訳が長くなってしまいましたが、そういう訳で、今日に予定していた「新しいテーマ」でのブログの公開はお休みにさせていただきます。この程度の文章なら今の状態でも書けるのだけど、ブログの内容、特に「意識」について書くには、神経を高度に集中させないときちんと書けないので、今日はお休みすることにしたのです。しっかり静養して、身も心も生き返った状態にして、気を入れて書くつもりです。構成はもう私の脳の中で整理されて完了しているの。5月15日には、このブログで、「意識」についての私たちの考えをお目にかけることができると思います。お待ちください。   謝 謝 

  追伸        何事も 過ぎたるは 及ばざるがごとし    なのよね

    

注)本著作物(このブログB-09に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

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