認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

アルツハイマー型認知症の発病とあなたのリスク度を考える(A-92)

2013-08-15 | 発病の引き金となる生活習慣とそのキッカケ

○アルツハイマー型認知症発病との因果関係を証明できない学説

種類が数多くある認知症、その大多数90%以上を占めているのが今日の主題である「アルツハイマー型認知症」です。ところが認知症の専門家達(学者、研究者、医師達)からは、「アルツハイマー型認知症は発病の原因もわからないし、治すこともできないし、予防することもできないタイプの認知症である」とされているのです。

発病の原因については、アミロイド・ベータが犯人とする説、タウ・タンパクが犯人とする説、脳の委縮が犯人とする説が現在生き残っている学説なのですが、いずれの説も、原因と結果との間に存在するべき因果関係を証明できていないのです。つまりは、いずれの説も、単なる推測に基づいた説にすぎないのです。何年間もの間「アルツハイマー型認知症」の末期の段階にあった「高齢者」「脳の解剖所見」で取り上げられる「3つの特徴」の内の老人班に目をつける人達は「アミロイドベータ」が、神経原線維変化に目をつける人達は「タウタンパク」が、脳の委縮に目をつける人達は「脳の委縮」が、「アルツハイマー型認知症」を発病させている犯人だという「仮説」を立てているそれだけのことなのです。

最近では、「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の機能レベルを判定することもなく単に「記憶の障害」を主とする症状ベースでの「軽度認知障害」という概念が提起されてきています。その説によると、「軽度認知障害」と認定された人達の約1割の人達が、3年後には「アルツハイマー型認知症」を発病することになると主張されているのですが、これまた、「群盲象を撫でる」の域を出ていないレベルの学説と言わざるを得ないのです。

ところで私たちがここまで言い切るのには、それだけの理由と根拠があるからです。私達は、生きている人間の脳の働き具合、脳全体の司令塔である「前頭葉」の働きを含む脳全体の働き具合(機能レベル)とその機能レベルのもとで発現してくる具体的な症状(正常なレベルの症状と認知症の症状)を、「二段階方式」と呼称する神経心理機能テストを実施することにより、明確で客観的な基準に基づいて鑑別し、区分けしているのです。

○「アルツハイマー型認知症」だけに確認される特徴

発病のメカニズムについて後述するように、「アルツハイマー型認知症」は毎日の脳の使い方という視点からの「生活習慣」が、発病あるいは進行と回復並びに予防を左右する直接の原因である病気、廃用症候群に属する「生活習慣病」であると私たちは考えています。「加齢による脳の老化」(第一の要件)と「ナイナイ尽くしの単調な生活の継続」(第二の要件)という二つの要因が重なり合うことにより、その相乗効果として、「前頭葉」を柱とする脳の機能が加速度的に衰えて行く結果発病する「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症には、脳の機能の「衰え方」にも特徴があるのです(機能の「老化の明確な順番」とその「パターン」)。

その特徴を要約すると、次のようになります。

※ 脳の機能が廃用性の加速度的な機能低下を起こしていく時、最初に、脳全体の司令塔である「前頭葉」の働きだけが異常なレベルに衰えていくこと(「軽度認知症」のレベル)及びこのレベルでは、左脳も右脳も運動の脳も正常な機能レベルにあること;

※ 「前頭葉」機能の更なる機能低下が進んでいく中、「左脳」と「右脳」と「運動の脳」の働きが順次異常なレベルに衰えていくことにより、脳機能レベルの低下に対応する形で認知症の症状の重症化が進んでいくこと(「中等度認知症」及び「重度認知症」のレベル);

注) 「加齢による脳の老化」とナイナイ尽くしの「単調な生活の継続」とによる相乗効果により機能が異常なレベルに衰えていくので、衰え方は加速度的であり、脳の機能が衰えていくにつれ、その機能のレベルに対応する「段階的な症状」が現れてくることが、「アルツハイマー型認知症」の特徴なのです。

※ 神経心理機能テストである「MMS」で測定される左脳と右脳の機能には「衰えていく下位項目の明確な順番とそのパターンがある」こと。

エイジングライフ研究所が提唱する「二段階方式」の手技は、御者の役割を担う「前頭葉」の働き具合を「かなひろい」テストで、馬の役割を担う「左脳と右脳」の働き具合を「MMS」テストで測定します。そして、脳の機能がどこまで衰えているのか及びその脳の機能レベルでは、どんな症状を特徴的に示すのかをリンクさせて、客観的な指標と総合的な判定により、「アルツハイマー型認知症」の有無及び「重症度」を判定します(回復が容易な軽度認知症「小ボケ」、回復が未だ可能な中等度認知症「中ボケ」及び回復が困難な重度認知症「大ボケ」の三段階に区分します)。

また、テスト結果について、集積された多数のデータの分析と解析とに基づき確立された「客観的な指標」により、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続する「生活習慣」の下で加速度的に衰えていく、「前頭葉」を含む脳の機能のレベル、MMS下位項目の機能低下の順番とそのパターン及び「三段階」に区分され発現してくる「認知症の症状」を判定すること並びに「キッカケ」を契機とするナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続期間を確認することができるので、「アルツハイマー型認知症」以外のタイプの認知症との鑑別及び認知症と紛らわしい病気との鑑別が客観的な指標に基づいて行えるのです。

「二段階方式」では、「脳の機能レベル」と直接リンクさせた症状の指標に基づいて、回復が困難で介護するだけのレベルである「重度認知症」(大ボケ)と回復させることが未だ可能な「中等度認知症」(中ボケ)と回復させることが容易な「軽度認知症」(小ボケ)とを区別して判定することができます。これにより、「脳の機能レベル」毎に策定実施される「生活改善」の指導により適切な脳の活性化が図られ、正常レベルへの脳機能の回復と更なる重症化の防止を目的とする適切な対策がとれるように工夫されているのです。

このブログでたびたび指摘しているように、認知症の専門家達が、「アルツハイマー型認知症」は、(発病の原因が分からないし、治すことができないし、予防することもできない)タイプの認知症と考えているのは、米国精神医学会が定める「DSM-4」(現在は、DSM-5として改訂されている)という誤った診断基準(回復させることが困難な「末期段階の症状」を診断基準に採用している)に依拠して診断するために、回復させることが困難な末期段階の「重度認知症」(大ボケ)の段階でしか見つけることができないでいるせいなのです。

加えて、その本質はナイナイ尽くしの「単調な生活」を継続することが発病の「第二の要件」(私達が規定する「判定要件」)である廃用性の単なる「生活習慣病」に過ぎない「アルツハイマー型認知症」は、脳を活性化する自分なりの「生活習慣」を構築することによって、発病を「予防」することができるのです。天文学的な規模に達していて、このままでは「介護保険制度」自体を経済面から破綻させてしまいかねない「アルツハイマー型認知症」患者の「介護費用」の規模を考える時、私達がこれまで実践指導し展開してきた「市町村」を主体とし地域単位で展開する「地域予防活動」を「国民的な喫緊の課題」として全市町村レベルで及び地域単位で取り組むべきだと私たちは考えているのです。

○ 「前頭葉」の三本柱の機能に内在する「正常老化の性質」

脳の専門家と言われる人達も認知症の専門家達もがこれまで問題にしてきていないのですが(或いは、その性質自体に気付いていないのかも知れないのですが)、「前頭葉」の基礎的なつ中核をなす機能である「三本柱」の機能、すなわち、「意欲、注意集中力及び注意分配力」の機能には、「加齢による老化のカーブ」という性質が内在しているのです。これは、本来的に内在している性質なので、(脳の使い方としての「生活習慣」の差異に起因するカーブの緩やかさの相違はあるにしても)、誰でも年を取るにつれて、(正常な機能範囲を保ちつつも)機能のレベルが次第に衰えていくことになるのです。  

その「三本柱」の機能の働き具合は(或いは、衰え方というか)、18歳から20歳代の半ばまでが「ピーク」で、20歳代の半ばを過ぎる頃から100歳に向かって、緩やかではあるけれど、一直線に衰えていくのです。私達がこれまでに集積してきた「脳機能データ」によると、「アルツハイマー型認知症」を発病する人の割合が急に多くなってくる60歳代後半にもなると、「前頭葉」の「三本柱」の働き具合は、ピーク時の頃に比べて、「働き」が半分以下に衰えてきているのです(このことが、「アルツハイマー型認知症」発病の実質的な「第一の要件」)。

それだからこそ、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象は、60歳以上の年齢の「高齢者」だけなのであり、且つ高齢になればなるほど発病する割合が高くなっていくのです。70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と、年をとればとるほど、前頭葉の働きがさらに衰えていって、正常なレベルを保ちつつもどんどん「低空飛行」の状態になっていくので、年齢が高くなるにつれて「アルツハイマー型認知症」を発病する発病率も高くなっていくという訳なのです。

○私たちが考える「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズム

(ここでいきなりコーヒー・ブレイク) 「意識」とか「無意識」とかいう言葉を皆さんご存知でしょう。実は、脳科学の専門家とされる人達でさえ、意識と無意識との境界或いは、そもそも意識を構成するメカニズムについてさえもよく分かっていない状況なのです。磁気共鳴画像装置(MRI)で脳の活動状態を測定し、所謂「ぼーっとした状態」(言い換えると、脳の「認知度」或いは、「意識度」が低い状態)で観察される、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼称される脳の活動状態下での、脳機能データの解釈或いは理解についての最新の研究発表の内容を見ても、「前頭葉」のことがよく分かっていないとしか考えられないレベルの解釈或いは理解がなされているのです。

こうした脳の機能についての専門家(脳科学者)と世間で言われている人達でさえ未だ気づいていないことなのですが、「前頭葉」の基礎的な機能である「三本柱」の機能の問題を理解しておくことが、意識と無意識との境界及び「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムを理解する上で極めて重要で、必要不可欠のことなのです。

「意識的な世界」における「前頭葉」の働き方を概説すると、私達人間だけが有する「前頭葉」の機能を中核として、私たち人間は、意識的に何かの「テーマ」を考え、その内容を計画し、いくつかのケース・シミュレーションを経て、個々人ごとに異なる「前頭葉」の「評価の物差し」に照らして、最終的な判断による決断をして、左脳や右脳や運動の脳に対し指令を出して実行しているのです。最終的な判断或いは決断に至る過程では、様々なケース・シミュレーションが必要となるので、「前頭葉」の「注意分配力」の機能が「主題」となっているテーマを保持しつつ同時に、いくつかの選択肢であるシミュレーションの対象となる「副題」に対しても注意を分配している状態にあるのです。その場合、「注意の分配機能」の分配された度合いに応じて当該副題に対する「認知度」及び「意識度」が高くも低くもなるということなのです(「認知及び意識の多重及び多層構造」の問題)。

そうした状態を「MRI」という機器で捉えて、その状態下での「副題」に対する脳の活動を「無意識」或いは「DMN」だと誤解しているだけなのです。現在開発されているMRIと言う機器の性能では、注意分配された脳の機能レベル(その時発揮されている「認知度」及び「意識度」のレベル)を十分に捉えることができていないだけのことなのですが、「前頭葉」の機能のメカニズムをよく知らない(「脳機能データ」を持ち合わせていない)専門家達は、そのMRIで十分に捉えきれていない脳の機能レベル(「認知度」及び「意識度」)の世界を「無意識」の世界(或いは、「DMN」)のことだと誤解しているのです。

その結果、「すべての意識的な行為は、無意識に左右されている」などと意味不明の学説が飛び出してきて、マスコミに取り上げられることになるのです。私たちに言わせると、単に「認知度」或いは「意識度」が、MRIという機器で測れる機器の能力レベルを超えた世界で行われているのであって、機器で測れないレベルのものを無意識のもとでの脳の活動と誤解しているだけなのです。いつもの表現を借りて言わしてもらうと、これまた、「群盲象を撫でる」のレベルの理解と言うしかないのです。

(コーヒー・ブレイク)上述の意識・無意識の世界のことは、脳科学の専門家と言われる人達もよく分かっていない世界のことなので、私たちの独善と揶揄されないよう、分かり易い事例を(「無意識」が「意識」を支配しているとの主張の根拠とされた実験のこと)一つ取り上げて、追加説明をしておくことにしましょう。その実験とは、「秒針が6を通過するたびに、計測機器のボタンを押す」という動作を人間に課して、脳の活動する状態を調べたものなのです。秒針が6を通過する直前に、言い換えると被験者が計測器のボタンを押すという意識的な動作に先行して、脳内の血流の変化を機器が捉えていることが問題となり、それを無意識(ボタンを押す動作に先行する脳内の血流の変化を惹き起こしている原因)が意識(計測器のボタンを押す動作)を支配していると誤解し、学会で発表したのです。

被験者の脳は(意識的な世界)、「秒針が6を通過するときに計測器のボタンを押すこと」という主命題を保持しつつ、秒針の動きを目で追っているのです。この主命題を保持し続けていないと(「注意」がほかのテーマにそれてしまうと)、しかるべきタイミングでしかるべき動作をすることができないので、その主命題に意識的に「注意を分配」している状態なのです。ところが、主命題に注意を分配し保持し続けている状態の下で、秒針を目で追っていて、秒針が6を通過する直前に(一瞬前の文字通り瞬間的なことなのですが)、「秒針が6を通過するその瞬間に、このボタンを押さないといけない」という副命題が更に脳裏をよぎる(これにも「注意が分配される」)からこそ、秒針が6をよぎるその瞬間に「前頭葉」が「運動の脳」に指令を出して、ボタンを押す動作を実行することができるのです。

実はその副命題が生起した時(それに「注意が分配」された時)、「前頭葉」と共に「運動の脳」が働くのです。「その一瞬前の出来事である副命題の生起という脳内の意識的な反応があるからこそ、被験者は、秒針が6を通過するその瞬間に意識的にボタンを押すことができている」というメカニズムなのです。一瞬前の脳の反応の際にも、「前頭葉と運動の脳」とが働くので、(然も明確な「意識」のもとで働くので)、当然のことながら明確な血流の変化が認められることになるわけです。血流の変化を生み出した一瞬前の脳の反応が無意識によるもので、ボタンを押した動作が意識によるものだという解釈は、間違いなのです。「前頭葉」の重層的な「注意の分配」と言う機能の問題と「注意を分配」したその分配度に応じて意識度が異なる(つまりは、生起される「血流の量」が異なる)ことを知らないだけなのです。

「運動の脳」は、実際に何かの「動作をする」ときだけでなくて、脳で何かの「動作を考える」ときにも、「前頭葉」と共に「運動の脳」が働くのが「脳のメカニズム」なのです。実はこれは、「意識的な動作」に先行する「無意識による反応」なのではなくて、「意識的な脳の反応」そのものなのです。その機能レベルの「意識」では、現在開発されているMRIの性能レベルが捉えることができないという別次元の問題なのです。但し、権威ある学者が、「無意識がすべての意識を支配している」という説を発表すると、それが世間の常識になってしまうところが恐ろしいのです。「アルツハイマー型認知症は、発病の原因も分からないし、治すことも出来ないし、予防することも出来ないタイプの認知症だ」と世界的な権威がある米国精神医学会が発表すると、(そのことが間違っているにもかかわらず)、世界の常識になってしまうのです。

ここで本題に戻ることにしましょう。発想、企画、計画、工夫、機転、洞察、推理、感動、判断といった人間だけが具有している高度な「前頭葉」の各種の機能の「認知度」及び「意識度」を左右している機能が、実は、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」という「前頭葉」の「三本柱」の働きなのです。そして、正常な老化の過程とはいえ、加齢による老化により「前頭葉」の機能が低空飛行状態に入ってきている60歳を超えた高齢者と呼ばれる年代の「お年寄り」(「第一の要件」)が、脳を積極的には使わない生活、生き甲斐や目標もなく、趣味や遊びや人付きあいもなく、運動もしない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々続けていると(ナイナイ尽くしの単調な生活の継続という生活習慣が「第二の要件」)、出番が少ないために使われることが極端に減った「前頭葉」の「三本柱」の機能自体が廃用性の機能低下を起こしてきて、「第一の要件」と「第二の要件」とが重なり合うことの「相乗効果」により、「前頭葉」の機能の低下(衰え)が加速されていくのです。

「前頭葉」の働きが加速度的に衰えていくその先に、「アルツハイマー型認知症」(晩発型アルツハイマー病とも言います)の発病が待っているのです。第一の要件と第二の要件との相乗効果により、廃用性の機能低下が進むときは、直線的ではなくて放物線を描いて加速度的に脳の機能が衰えていくのが重要な特徴です。

その場合、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」が最初に異常なレベルに衰えていき、次いで、「左脳や右脳や運動の脳」が異常なレベルに衰えていきます。「廃用性の機能低下」による脳の機能レベルの更なる低下に対応して、順次症状が重くなっていく中で、私達の区分である「軽度認知症」(小ボケ)、「中等度認知症」(中ボケ)及び「重度認知症」(大ボケ)の三段階に区分される認知症の症状が発現してくるのです。

○発病を決定づけるナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続(生活習慣化)

ところで、「前頭葉」の機能だけが異常なレベルであって、左脳も右脳も機能が未だ正常レベルである「軽度認知症」(小ボケ)の段階で発現してくる認知症の症状は、この「三本柱」の機能低下のアウト・プットそのものなのです(ここを「クリック」してください)。 

このメカニズムのもとでは、「第一の要件」は高齢者にとっては誰しも共通であって、「第二の要件」こそが「アルツハイマー型認知症」を発病するかしないかを決定づける要件となります。

生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない日々、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続という「第二の要件」を充足することが、「アルツハイマー型認知症」の発病に直結しているのです。そして今日の主題である、「アルツハイマー型認知症」発病のリスクの度合いは、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まることになる「キッカケ」についての「本人の受け止め方と周囲を含む対応の仕方」とに左右されるということなのです。

そこであなたを取り巻く種々の環境を考慮して、あなたのリスクの度合いを自己評価していただきたいのです。その上で、危険度を低下させるために必要と考える自分なりの対策を実行していただきたいのです。あなたの「前頭葉」は、それを可能にする機能レベルに在るはずなのですから。

○ナイナイ尽くしの「単調な生活」の始まりとその「キッカケ」

「高齢者」であるということは、「第二の人生」を送っているというのが通常のことでしょう。「脳の機能」との関係で言えば、「左脳」の主たる出番である「仕事」とは無関係の生活を送っているということになります。言い換えると、「右脳」や「運動の脳」の主たる出番である「趣味や遊びや人付き合いや運動」を或いはそれらのいづれかを、自分なりに楽しむ生活を送っていて、それなりに「生き甲斐」や「目標」があり、時には「喜び」が得られる「生活」を送っているというのが、日常でしょう。

そうした「生活習慣」の下では、「前頭葉」の機能は加齢とともに衰えていくとは言え、「正常な老化のカーブ」を描きながら緩やかに低下していくものなので、「異常なレベル」に衰えてくることはないのです。「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてくることから始まるものなので、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が、(衰えていきつつあるとは言え)「正常な老化のカーブ」を描いていっている限りは、「アルツハイマー型認知症」を発病することは絶対にないのです。1995年の活動開始以来、私達が集積してきた極めて多数の「脳機能データ」が明確にそのことを証明してくれているのです。

「左脳偏重」(或いは、「仕事中心」)の生き方(価値観)を第二の人生が始まっても変えることができない人達の場合は、「右脳や運動の脳」の出番である趣味や遊びや運動などには生き甲斐を覚える事が難しいので、「アルツハイマー型認知症」を発病する(リスクが高い)とデータ的に言えるのですが、生き方に対する考え方(価値観)に特別の問題がない人でも、「キッカケ」に遭遇することによって、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことが「アルツハイマー型認知症」の発病との関連でとても重要であり、且つ怖いところでもあるのです。生き方に対する考え方(価値観)に特別の問題がない人でも、「安心することは危険」ということなのです。第二の人生を生きる私達「高齢者」にとっては、例示してあるような「キッカケ」となりそうな状況や事象が、いつ何時襲ってくるか分からない、そうしたことを避ける術はないというべきでしょう。ついでに付言しておくと、「アルツハイマー型認知症」発病との因果関係で言えば、学歴も社会的な地位も無関係なのです。たばこを吸うとか、赤ワインが好きだとか、青い魚をよくたべるとかの食生活も関係ないのです。ときどきマスコミで取り上げられる「糖尿病」とも無関係なのです。

更に言うと、「アルツハイマー型認知症」を発病するかどうかを決める直接的な要因であるナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるかどうかの分岐点は、「キッカケ」となりそうな状況や事象に遭遇するかどうかが核心となるのではないのです。遭遇した「キッカケ」となりそうな状況や事象に自身が負けて心が折れてしまい、状況を打開する為の「テーマ」を見つけてそれに取り組もうとする意欲をなくしてしまうこと、そのことこそが核心となるのです。

(コーヒー・ブレイク) 私たちはこのブログで度々、東日本大震災の被災地の「高齢者」達の間で、「アルツハイマー型認知症」を発病してくる人達の数が極めて多数に上ることになることを警告してきました。但し注意していただきたいのは、東日本大震災の被災地の高齢者たちの全員が「アルツハイマー型認知症」を発病することになる訳ではないということなのです。東日本大震災の被災という「キッカケ」となりそうな出来事及び状況の発生に対して、その出来事及び状況の発生に負けないで、何かのテーマを見つけて立ち上がれた人達は、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないのです。廃墟の中から自分なりの「テーマ」を見つけ出して、その「テーマ」を実行する上での「目標」があるので、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことはないからです。

 ○ナイナイ尽くしの「単調な生活」の始まりと「前頭葉」の三本柱の機能

ところで私達が「意識的」に何かの「テーマ」を実行しようとするとき、先ずは、「意欲」が必要になるのです。意識的な思考や行為の世界が動き出すためには、一定の機能レベル以上の「意欲」が働くことが必要不可欠なのです。加えて、「テーマ」の中身をあれこれ考え付いたり工夫したりするには、一定の機能レベル以上の「注意の集中力」と「注意の分配力」とが働くことが必要になるのです。

つまり、意識的に何かの「テーマ」を適切に(置かれた状況の中で、それなりに)実行するには、「前頭葉」の三本柱の機能である、「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」の機能が一定のレベル以上で働くことが不可欠になるのです。日常生活を送るうえで、「意識的」に何かの「テーマ」を実行しようとするときは、この「三本柱」の機能が十分に働いているかどうか(一定レベル以上の機能レベルであるかどうか)によって、「前頭葉」の各種機能の「認知度」及び「発揮度」が変わってしまうからなのです(「二重構造の仕組み」)。言い換えると、考える工程の質および実行内容の程度及び態様が、「三本柱」の機能レベルによって変わってしまうのです。

その構造的な帰結として、「正常老化の性質」を持つこの「前頭葉」の「三本柱」の機能が「加齢」とともに衰えていくにつれ、いろいろな場面でいろいろな「テーマ」を処理する際に、「前頭葉」の各種機能の「認知度」及び「発揮度」が必要且つ十分なレベルのものでなくなるために、何の「テーマ」をどのように実行するのかについての、計画内容も実行の仕方の工夫も、シミュレーションの程度も態様も、だんだん尻すぼみのものになっていくことになるのです。このことは、「高齢者」と呼ばれる年齢にある人なら誰にでも例外なく起きてきていることなのです。  

そうした「前頭葉」の「三本柱」の機能が「正常な機能範囲」を保ちつつも「加齢」とともに徐々に低下していく中で、或る日「キッカケ」となりそうな「生活状況の変化」や「生活上の出来事」に遭遇することになるのです。「キッカケ」となりそうな状況や事象に遭遇したことにより、その生活状況の変化(或いは、生活上の出来事)に負けてしまい、心が折れて、立ち上がる意欲が出てこなくて、状況に対応するために不可欠の新たな「テーマ」を見つけることができない人が、「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」であるナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるのです。

生活状況の大きな変化(或いは、生活上の大きな出来事)に負けてしまった人(然も、高齢者なのです)は、何かの「テーマ」を考えついたり実行したりしようとする「意欲」を衰えさせてしまうことになるのです。そうでなくても、「正常老化の性質」により年を重ねるごとに衰えを見せてきている「意欲」という脳の機能が、「生活状況の大きな変化」や「生活上の大きな出来事」に遭遇したことで、心が折れてしまい、「意欲」を掻き立てたり、「注意を集中」したり、或いは、「注意を分配」したりする機会が得られることになる「テーマ」が日常生活面から次第に消えて無くなっていく生活を送るようになっていくのです。結果として、生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を送るようになってしまうのです。

そうした生活状況が徐々に進行していく(「継続」されていく)中で、「前頭葉」の「三本柱」の機能(意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能)が次第に「正常老化」のカーブを離れていき、「加速度的な老化のカーブ」をたどるようになっていき、終には、異常なレベルに衰えていくことになるのです。そこに待ち受けているのが、「アルツハイマー型認知症」の発病なのです。その最初の段階が、私達の区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階なのです。

○ 「単調な生活」が始まる「キッカケ」となるか否かは、本人の受け止め方次第

ところで、私達が開発した「二段階方式」の手技を活用するときは、「アルツハイマー型認知症」を発病した全てのお年寄りを対象として、「キッカケ」発生の時期から判定時に至るまでの間の脳の使い方としての「生活習慣」(「生活歴」)について、本人及び同居の家族から詳細な聞き取りを行います(「二段階方式」の手技を活用すると、判定時の脳の機能レベルと下位項目の得点とを基礎として「キッカケ」の発生時期が推定できる)。「アルツハイマー型認知症」を発病した極めて多数のお年寄りを対象とする「生活歴」の聞き取りの結果、「前頭葉」を含む脳の老化を加速させる原因となるナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるには、発病した全員について、「キッカケ」となる「生活状況の大きな変化」(或いは、「生活上の大きな出来事」)の発生が必ず存在することが確認されているのです(「キッカケ」の類型については、ここを「クリック」してください)。

但し、「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)に遭遇したとき、そのことがそのままナイナイ尽くしの「単調な生活」に直結することになる訳ではないことに注意が必要です。その発生が「キッカケ」となるか否かは、遭遇した「生活状況の変化」(或は、「生活上の出来事」の発生)に対する「本人の受け止め方」及び「対応の仕方」が極めて重要となるからなのです。

或る「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)に遭遇したとき、その発生に対処する自分自身の気持ち自体が負けて、心が折れてしまい、そこから立ち上がっていこうとする「意欲」をなくしてしまい、新たな「テーマ」を見つけられない人が、そのままナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるのです。

その意味で、「本人の受け止め方」及び「対応の仕方」という側面が極めて重要な要素となるということなのです。つまり、この「大きな」という要素は、客観的なものではなくて、あくまで本人の主観的な評価によるものだということが重要なのです。本人の評価として、その衝撃が余りにも大きいが故に、「意欲をなくしていく」(再起できなくなっていく)のであって、周りの目から見た客観的な評価としてのものではないという点が極めて重要なのです。つまり、「本人の受け止め方」及び「対応の仕方」次第で、「キッカケ」となるかどうかが決まってしまうということなのです。

○「キッカケ」となりそうな事象は、何処にでも転がっている

「キッカケ」となりそうな事象に遭遇したとき、その状況に負けてしまい、心が折れて、何か他の「テーマ」に取り掛かる意欲を喪失してしまうのは、年が年だけに致し方のないことなのです。本人も周囲の人たちもそう考えて、そのような発言を繰り返し、そのように対応するのです。「この年で、こんなことに遭遇してしまったのだから、仕方がないよね」と理解を示して、同情してくれさえするのです。

その生ぬるい、或る意味で心地よい環境に身を浸していると、いつの間にか(気が付いた時には)、ナイナイ尽くしの「単調な生活」という日々の経過に身を置いている自分の姿があるのです。その単調な生活が継続する中で、前頭葉を含む脳の機能が廃用性の機能低下を起こしてきて、高齢者という条件との相乗効果によって、加速度的に脳の機能が低下していくその先に、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っていることになるのです(その最初の段階が、小ボケの段階ということなのです)。

では、どうしたら、「アルツハイマー型認知症」の発病を回避できるのか。

家族の一員のように長年可愛がっていた「飼い猫」が死んだことが「キッカケ」で、意欲をなくしてしまい、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくお年寄り;

共稼ぎの若夫婦に代わって、自分が何から何まで世話を焼いて育ててきた孫が小学校に上がって手離れていったことが「キッカケ」で、意欲をなくしてしまい、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくお年寄り;

もともと人付き合いが苦手だったのに、仲のいい友達に誘われて入った習字の会でのごたごたが嫌で退会したのを「キッカケ」に、意欲をなくしてしまい、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくお年寄り;

膝に痛みがあり外に出ていく機会が少ない生活だったのに、雨の日に玄関先で転んで骨折して寝込んだのを「キッカケ」に、意欲をなくしてしまい、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくお年寄り。

○「キッカケ」から立ち直る手段を持たない身ほど、「リスク」が高くなる

上述の例示に見るように、年を取ってくると誰でも、「キッカケ」となりそうな状況や事象に遭遇するものなのです。「キッカケ」となった事例を見ると分かるように、何処でも、誰にでも、何時でも、起きてきそうなものばかりなのです。そのうえ年が年だけに、「キッカケ」となりそうな状況や事象に遭遇したとき、その状況や事象に負けてしまい、心が折れてしまうのも致し方がないことだと思うのです。そうは言っても、「ボケ」たくはないし、どうしたらいいのか。

「キッカケ」となりそうな事象に遭遇したとき、立ち直れないほどに意欲をなくしてしまうと、ナイナイ尽くしの単調な生活に入って行ってしまうことになります。わが身を防衛する為に、どのような手段をどれくらい持っているかどうかが、勝負の分かれ道になります。

落ち込んでいる気持を分かち合え、支えてくれる家族や友人がいるかどうか;

気持ちを切り替えて目標とできるような趣味や遊びや運動など何か別の「テーマ」を見つけることができるかどうか;

それさえも無いという場合は、実は「速足での散歩」に挑戦することを勧めます。「速足での散歩」自体が「前頭葉」の三本柱の機能の一つである意欲を活性化させる効果があるからです(ここを「クリック」してください)。

このブログで取り上げてある「キッカケ」の例示を自分に起きてきた事象と仮定してみて、自分なりの対応策がありそうかどうか、その「リスク度」を自分なりに評価してみてください。

注)本著作物(このブログA-92に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHPここを「クリック」してください。

 機能からみた認知症の見わけ方(IEでないとうまく表示されません)

 

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物忘れの多発は、アルツハイマー型認知症の前駆症状なのか(A-91)

2013-08-01 | 物忘れの正体とそのメカニズム

&1正常な老化現象の代表格である「物忘れ」の症状が起きてくるメカニズム

(1) 二階の部屋に用事があって階段を上っていく途中、雑誌が階段に置き忘れられているのを見つけて、階段下の書籍戸棚に片付ける。そして、階段を上っていこうとした時、自分が何をしに二階の部屋に行こうとしていたのかが分からないのです。とっさには、思い出せない(想起できない)のです。

(2)  今日の主役、私Kinuko は、Tadが大好きな、フランスは「ブルゴーニュの郷土料理」、“ブッフ・ブルギニオン”をつくって、一緒に赤ワインを楽しもうと、夕御飯の支度をしていて、冷蔵庫を開けた時のことなのです。何を取ろうとしていたのかが分からないのです。思い出せないのです。

(3) コミュニティーセンターで、別荘地の清掃管理についての会合があったのです。会議の重要な議題となるテーマや問題点とか提案内容とかが詳細に書かれたメモが送られてきていたので、忘れないようにと、わざわざ玄関の下駄箱の上に昨晩置いておいたのです。コミ・センに着いたら、持ってくるのを忘れていたことに気づいたのです。

(4)「物忘れは、ボケの始まり」と、格言として昔から言われてきたことや、米国精神医学会が定める「アルツハイマー型認知症」の診断基準であった「DSM-Ⅳ」(現在は、改定されて「DSM-Ⅴ」となり診断基準が変更されている)の「第一の要件」として、『記憶の障害』の確認が規定上要求されていること、或いは、「MCI(軽度認知障害)」という因果関係の確認がないままの憶測を根拠とする学説等の主張とも相まって、「物忘れ」の症状が日常的に増えてきたり、症状が次第に重いものになってきたりすると、「アルツハイマー型認知症」が始まったのではないかと、皆さんは不安を覚えてしまうようなのです。

(5) そうした「物忘れの症状」の発現に対して皆さんが不安を覚えるのは、認知症の専門家とされる人達(学者や研究者や精神科医達)の誰一人として、「アルツハイマー型認知症」の発病原因と発病のメカニズムを突き止めることができていないこと及び「アルツハイマー型認知症」及び「軽度認知障害」等の診断基準自体が「外観的な症状」を基本的なベースにしていて、「脳の機能面」、就中、『前頭葉を含む脳全体の機能レベル』に厳密にリンクした症状という心に欠けていて、或る意味で、「群盲象を撫でる」のに似た状況があるからだと言っても過言ではないでしょう。

(6) ところで、「忘れる」という症状は、脳の機能レベルのアウトプット、もう少し正確に言うと、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」(前頭前野の穹窿部に局在する「複合機能体」のことを言うものとする。以下、同じ)の三本柱の機能である、「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」(二段階方式が命名)の機能の『加齢による正常な衰え』を含む、脳の機能レベルのアウトプットなのです。

(7) アルツハイマーガタ認知症の発病者でない人達に起きてくる、所謂、加齢に起因しての「老化の物忘れ」は、「軽度認知症」(小ボケ)のレベルであれ、「中等度認知症」(中ボケ)のレベルであれ、或いは「重度認知症」(大ボケ)のレベルであれ、「アルツハイマー型認知症」を発病している人達の『物忘れの症状』(権威が憶測だけで主張している「記憶の障害」ではなくて、『前頭葉の三本柱の機能』の廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に起因したものであることに留意する)と比較したとき、「脳の機能レベル」という視点/基準からの『根本的な相違がある』のです。

(8) 認知症の専門家とされる人達は、「脳の機能レベル」という視点、特に、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能とその機能レベルという視点/或いは判定のための手技欠けているが為に、単なる「加齢現象」(正常な老化現象)としての「物忘れの症状」と「アルツハイマー型認知症」の発病者に確認される「異常な物忘れの症状」とを、「症状の程度と態様の差」くらいにしか考えていないのです。症状を発現させている根源である『前頭葉の機能レベル』の精緻な判定に関わる『脳の働きという物差し』を使わないのです(使うとしても、左脳と右脳の機能レベルの判定用のMMSE又は、長谷川式程度なのです)。

(9) 最初に私のケースとして取り上げた3つの例に見られるような症状は、所謂、加齢現象としての「正常な物忘れ」の症状であって、高齢者の仲間入りをされている皆さんであれば、誰でも日常茶飯事のことなのです。「アルツハイマー型認知症」を患っていなくても、言い換えると、「前頭葉」を含む脳全体の機能が「正常なレベル」にあっても誰にでもよく起きてくる現象なのです

(10)「アルツハイマー型認知症」を発病した人にみられる重度の物忘れの症状(「アルツハイマー型認知症」の症状としての『前頭葉』の機能障害に起因した「記憶の障害」の症状)と単なる「老化現象としての物忘れの症状」とを区別する(客観的に見極める)第一の要件は、「前頭葉」の機能が異常なレベルにあるか(この場合は、アルツハイマー型認知症としての症状)、それとも正常なレベルにあるか(この場合は、加齢に起因した正常な老化現象としての症状)なのです。「前頭葉」の機能が正常なレベルにあって、高度の物忘れの症状(この場合は、「新しい記憶」だけが入っていかない、極めて重度の記銘力障害が原因で、起きて来るタイプ)が認められるのは、「側頭葉性健忘症」という症例自体が極めて稀な病気場合だけなのです(但し、「側頭葉性健忘症」のことをよく知らない医師が、「アルツハイマー型認知症」と誤診するケースが、世界的にもよくあります。「二段階方式」のような神経心理機能テストで、その人の「前頭葉」の機能レベルを精緻に判定出来れば、容易に両者を鑑別することが出来るのですが。)。

(11) こうした「加齢に起因した正常な物忘れの症状」は、実は、30歳代後半に入ると、誰にでも起きてくる、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」機能の正常な老化現象に直接起因する症状なのです。「前頭葉の機能」の基礎的な機能である、「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」という「三本柱の機能」のうちの注意の分配力」の機能の機能レベルが、30歳代に入ると機能低下が始まってきて、加齢とともに機能低下を更に進行させていき、高齢者の入り口の65歳くらいになると機能レベルが最高時の20歳代の頃に比べて半分以下のレベルになってきていることが主たる原因なのです(私たち二段階方式が世界に誇る脳機能データ。、それでも、「正常な機能レベル」と言えるのですが)。

&2  認知症の専門家達には、「前頭葉」の機能という視点が欠けている

(1) そもそも「記憶」という機能には、対象となる情報内容を「記銘」して、「保持」して、「想起」するという三段階の経路があります。思い出せない、つまり、「想起」できないということは、「保持」に原因があるか、「記銘」に原因があるということになります。

脳血管に問題があるような特殊な場合を除いて、一般的には、言い換えると加齢による老化現象としての「物忘れの症状」の場合には、最初の段階である(認知した情報を覚え込む為の「記銘」の機能レベル=記銘度の深さ/浅さ)が「想起」出来るレベルを直接左右する構造になっているとTadは考えるのです。そこのところを、私達が開発した「二段階方式」の手技の活用により蓄積してきた「脳機能データ」に基づいて、概説しておきたいと思います。

(2) その前に、「意識的な世界」を支配している脳の司令塔としての「前頭葉」の働きについて、その概要を説明しておきましょう。

頭のてっぺんの所には、身体を動かす指令を出す「運動の脳」があり、「運動の脳」の左の部分が右半身を動かし、右の部分が左半身を動かしているのです。

脳の後ろの左側部分には、勉強や仕事などをする為の「左脳」があり、左脳は、言葉や計算や論理や場合分けなど「デジタルな情報」を処理しているのです。

脳の後ろの右側部分には、趣味や遊びや人付きあいなどを楽しむ為の「右脳」があり、右脳は、色や形や空間や感情など「アナログな情報」を処理しているのです。

額のところには、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」(但し、単体ではなくて、複合機能体であることに留意する)があります。その『前頭葉』には、分析、理解、判断、発想、企画、計画、創意工夫、推理、憶測、忖度やら洞察をしたりする為の様々な働きが詰まっています。更には、自分の置かれている状況を判断し、種々ケースワークした上で、実行テーマの内容や実行の仕方を比較し、選択して、最終的に決定し、実行の決断をする為に必要不可欠な「評価の物差し(意識の首座=自我)」という私たち人間だけに特有な大事な働きがあります。

&3  意識的な思考や行為の世界と「前頭葉」の機能レベルとの関係

(1) 今日のテーマは、無意識ではなくて「意識的(目的的)」な世界のことです。

私達が意識的に何かの「テーマ」を実行しようとするとき、どのような「テーマ」をどのように実行するか、「運動の脳」をどのような目的のためにどのように働かせるか」(身体を動かす「テーマ」)、「左脳」をどのような目的のためにどのように働かせるか」(言葉や計算や論理や場合分けなどデジタル情報を処理する「テーマ」)、「右脳」をどのような目的のためにどのように働かせるか」(色や形や空間認知や感情などアナログ情報を処理する「テーマ」)、全ては司令塔の「前頭葉」が周りの状況を判断して決定し、「左脳、右脳及び運動の脳」に対し必要な指令を出して実行しているのです。

(2) これが、意識的(目的的)な思考や施策や行為や行動、或いは、言動の実行の際に見られる『脳の働き方の全体像』なのです。言い換えれば、運動の脳、左脳、右脳という三頭建ての馬車をあやつる「御者の役割」をしているのが、複合機能体としての『前頭葉』の機能なのです。三頭の馬を十分に働かせられるのも、不十分にしか働かせられないのも、「前頭葉」の働き次第ということなのです。

今日のテーマである、何かを思い出そうとする場合にも、脳の機能或いは機能レベルという視点から言えば、同じメカニズムが働いているのです。


&4 加齢とともに誰でも脳の機能が衰えてくる「正常老化」の性質

(1) 脳全体の司令塔で、置かれている状況を判断したり、何かを思いついたり、計画を立てたり、工夫したり、洞察や推理をしたり、機転を利かせたり、感動したり、抑制を働かせたり、各種の高度な働きを担当している『前頭葉』の機能、中でも、その認知機能を正常な機能レベルの下で発揮する上で、とりわけ重要な「認知度」を左右しているのが、「前頭葉の三本柱」の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の働きなのです。ところが、それらの働きには加齢と共に老化し衰えていく」という重要なしかし専門家達からは見過ごされている性質があるのです。

(2)「前頭葉」の各種認知機能の発揮度を左右しているこの「三本柱の機能]には、18歳から20歳代半ばまでがピークで、20歳代半ばを過ぎるころから100歳に向かって緩やかではあるが、一直線に衰えていく性質があるのです。 

「アルツハイマー型認知症」を発病する人の割合が急に多くなってくる年齢、第二の人生の入り口である「高齢者」の仲間入りをしたばかりの60歳代半ば、ともなると、脳の使い方としての「生活習慣」の如何に関わらず、「前頭葉の三本柱」の機能の働き具合は、ピーク時の18歳から20歳代半ばの頃に比べて、半分以下のレベルにまで衰えてきているのです。70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と、年をとればとるほど、「前頭葉の三本柱」の機能の働きが更に衰えていって、正常なレベルを保ちつつもどんどん「低空飛行」になっていくのが特徴なのです。

&5「記銘度」と「想起」の機能(思い出す働き)との関係

(1) 上述したように、  『記憶とは、「記銘」したものを「保持」して、それを「想起」してくる』と言う経路をたどります。「はっきりと記憶している」とか「すっかり忘れてしまった」とかいうことは、どの程度に記銘された情報内容が、どの程度保持されていて、どの程度想起されたのかという、個々の要素の機能レベルが相剰的に影響している(個々の要素が絡み合った複合的な相剰効果による)とTadは考えています。

(2) その中でも、記銘の対象となる対象情報を「記銘」するときの記銘の度合い(「記銘度」)最も重要だと考えています。海馬集められた認知の対象となる情報の内容を『記銘』するとき、(記銘度が高いもの)であったなら、その記銘度に応じて「長期」に保存されるし、(記銘度が低いもの)であったなら、その記銘度に応じて「短期にしか保存されないとTadは考えるのです。

「記銘」する(覚える)ときの「記銘度」が高い(よく記銘される)情報は、よく「保持」され、よく「想起」される(思い出される)ことになると考えるのです。

 このことは、「記銘」した5分後に「想起」できる程度をチェックしてみれば、直ぐに分かります。「記銘度」が高い情報ほど想起することが容易なのです。

更に、よく「記銘」された(「記銘度」が高い)情報は、長期に記憶される(長期に保存され、長期にわたり、よく想起される)のです。

専門家が言うような、(海馬が「選択」して、短期記憶と長期記憶とに区別して記憶している)からなどとは、考えられないのです。

&6  何かに気を取られている(注意が分配されている)ときの「記銘度」

(1) 保持/想起されやすいか否かを左右している「記銘度」は、「記銘」するときの状況(三本柱の働きの度合い)に直接左右されるのです

記憶の対象となる認知の対象となる情報を記銘する時、「意欲」が強く作用する内容であり、「注意の集中力」が深く/長続きしつつ作用する内容であり、「注意の分配力」(異なる複数のテーマを同時並行して処理する機能のこと/咄嗟の判断と処理にも不可欠の機能)が大きく作用する内容であれば、「記銘度」が高くなるので、長期に保存され、長期にわたって想起しやすく、結果的に、「長期記憶」となるのです。逆の場合は記銘度が低くなるので、短期にしか保存されず、想起しにくく、結果的に「短期記憶」となるのです。もちろん、繰り返し海馬に送り込まれた同じような内容は、繰り返された回数が多いほど「記銘度」が高くなるので、其の分、より長期に記憶されることになるということなのです。

(2) 更に付け加えると、私たちのデータによれば、14689例の発病患者のMMSEの下位項目中、「想起」の機能が、最も早くに衰えていく項目なのです。

そもそも、「記銘」自体が「意欲」、「注意の集中力」、「注意の分配力」という「前頭葉の三本柱」の機能の働き具合に、直接的に大きな影響を受けるからです。そして、この「三本柱の機能」の各々の機能もまた、上述したように「加齢と共に衰えていく」と言う性質を持っているのです。そのため、年をとるにつれて、「覚える」こと(記銘)自体が難しくなっていき、「思い出す」こと(想起)も難しくなっていくことは、皆さん経験済みのことでしょう。加齢により衰えていくという「三本柱の機能」の性質が、高齢者である皆さんが日常的に体験している「物忘れ」と密接な関係があるということなのです。


&7 高齢者の仲間入りをしてくれば、「物忘れ」なんて日常茶飯事

(1) 私達の日常生活では、特に「高齢者」の仲間入りをした年齢である場合には、尚更のことなのですが、何か「特定のテーマに集中」、「一点に集中」する時間は、きわめて稀というべきでしょう。8月の下旬に、「二段階方式」の実務研修会を開催するので、その準備に追われていたのです。「マニュアル使用の手引き」を印刷して製本する作業を、Kinukoが一人でやっていたのです。

(2) 見かねた友人が、Kinukoと私の二人を昨晩の夕食に招待してくれたのです。メイン・ディッシュはなんと、北海道産の「毛ガニ」ということでした。製本作業に追われているはずのKinukoの脳裏には、「肝心の仕事とは関係のない様々なテーマ」が浮かんでは消えていった筈なのです。

「どんな洋服を着ていこうかしら?」、「メインが毛ガニだから、先週、山形県のK町に講演に行った際買ってきた、こだわりの原酒樽平をおもちしようかしら?」といった具合でした。

(3) このように、「何かのテーマ」を記銘しようとする時、その時の状況の中で、心に浮かんでくる「他のテーマ」(心配事や関心事や恐怖感を覚える事など、その時気になっていること)に注意がそれていたりする(脳の機能面から説明すると、注意の分配力の機能の分配量が、他のテーマに偏って配分されている時)と(この状態は、異なる二つ以上のテーマに対して「注意の分配機能」が働いている状態なのです)、注意の分配力の機能の分配量が少なくなってしまっていた肝心のテーマの「記銘度」が低くなってしまうのです。

年齢が66歳であるあなたのその時の注意の集中力の機能レベルが例えば66だったとしましょう。心に気にかかっている「他のテーマ」に46が配分されていると、「肝心のテーマ」に配分できるのは、20しか残っていないのです。その20で「肝心のテーマ」の内容を記銘するので、その「記銘度」自体が低くなってしまっているのです。「記銘度」が低くなってしまった結果として、「想起」するのが難しくなる(思い出せない)、つまりは「忘れる」ことになるのです

 製本作業に追われていて、時間に間に合わなくなりそうな状況で家を飛び出したKinukoは、案の定こだわりの原酒「樽平」を持参するのを失念していたのでした。(4) これが、「正常な老化の物忘れ」のメカニズムなのです。「前頭葉の3本柱」の機能は、加齢とともに働きが衰えていく性質を持っているので(脳をそれなりに使って機能を活性化させている正常な日常生活を送っている過程でも緩やかで、ぞじょにではあるが、機能が衰えていくのです)。

「記銘」する時によほどそのことに集中できていないと(他のテーマに、注意がそれていたりすると)、当該内容の「記銘度」自体が低くなってしまい、「想起」することが難しくなるのです(即ち、忘れる)。そのメカニズムのもとで、年をとればとるほど、「物忘れ」が増えてくるのです。それこそが、高齢者であれば誰にでも起きてくる、「正常な老化の物忘れ」の症状なのです。

&8 反省と工夫が効けば、年のせいなのです(「老化現象」としての物忘れ)

(1)「前頭葉」は、自分の置かれている状況を判断し、何(目的となる「テーマ」とその内容)をどのようにするか(実行計画)を組み立てて対応する働きを持った脳全体の司令塔です。「アルツハイマー型認知症」になるのではと不安に悩む時間があるなら、「前頭葉」を活用して、物忘れが頻繁に起きてくることへの対応策を考え出す工夫をすれば良いのです。「物忘れ」が増えてきて、心配になったり、日常に支障が出てきたら、「忘れたらいけない大事なことは、メモする」という生活習慣を身につければ良いだけのことなのです。「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、その「前頭葉の機能」が異常な機能レベルに衰えてきている(機能が、正常に働かないレベル)ことを知って、且つそのことを覚えておいてください。

(2) その「前頭葉」が、正常レベルにあれば、自分の置かれている状況(度々物忘れすることで、支障が起きる)を判断して、そのことを反省したうえで、適切な工夫をする(大事なことはメモをする)ことが出来るはずなのです。これさえ出来るのであれば、物忘れがあっても、「認知症の物忘れ」ではなくて、単なる「老化の物忘れ」にすぎないのです。


&9 脳機能データが語る「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズム

(1) 詳細については、後述しますが、「正常老化の性質」により脳の機能がそもそも老化してきている「高齢者」と呼ばれる年齢のお年寄りが、使われる機会が極端に少ない生活、「生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない」、ナイナイ尽くしの単調な生活が継続する日々の中で、「前頭葉」を含む脳の機能が、廃用性の機能低下を加速させていく結果として、異常なレベルに機能低下した「前頭葉」を含む脳の機能レベルのアウトプットそれ自体が、「アルツハイマー型認知症」の症状として発現してくるのに過ぎないのです。

(2) 言い換えると、「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる生活習慣病にすぎないのです。因果関係の立証データを追及することもなく単なる仮説にすぎないアミロイド・ベータやタウ・タンパクや脳の委縮等を追い続けている限り、認知症の専門家或いは権威者達の間では、いつまでたっても「アルツハイマー型認知症は、原因不明で治らないタイプの認知症」の汚名を着せられ続けることになるのです。

(3)「アルツハイマー型認知症」発病の原因は、一部の学者が推測しているようなアミロイド・ベータやタウ・タンパクや脳の委縮ではないのです。

それらの説では、「アルツハイマー型認知症」の発病との間の因果関係についての、医学的なデータ面からの立証が全くなされていないのです。「殺人現場にいたというだけの理由で、その人が真犯人だと主張しているようなもの」なのです。「前頭葉」を含む脳の機能レベルとその直接のアウトプットとしての症状との関係について、私達が開発した「二段階方式」と呼称する神経心理機能テストのテスト結果に基づいた、3万例を超える脳機能データの解析に基づく私達の見解の概要を次に述べておきますので、参考にしてください。あと2~3年もすれば、東日本大震災の被災地の「高齢者」たちの間に起きてくる事象の「疫学的な証明」によって、この私達の見解が「アルツハイマー型認知症」についての世界標準となると確信しているのです。


&10「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する「生活習慣病」

(1) 世間で認知症の専門家達から原因不明と言われている「アルツハイマー型認知症」は、上述したように、「加齢とともに脳の老化が進む」という(発病の「第一の要件」)と「ナイナイ尽くしの単調な生活の継続」という(発病の「第二の要件」)の二つの条件が同時に充足されることによる『相乗効果』によって、廃用性の加速度的な機能低下を起こしてくることにより発病するのです。

(2) 正常な老化の過程とはいえ、加齢による老化により「前頭葉」の機能が低空飛行状態に入ってきている60歳を超えた高齢者と呼ばれる年代の「お年寄り」(年齢が「第一の要件」)が、脳を積極的には使わない生活、生き甲斐や目標もなく、趣味や遊びや人付きあいもなく、運動もしない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々続けていると(単調な生活の継続が「第二の要件」)、出番が少ないために使われることが極端に減った「前頭葉」が廃用性の機能低下を起こしてきて、第一の要件と第二の要件とが重なり合うことの相乗効果により、「前頭葉」を含む脳の老化が加速されていくことになるのです。

(3) 廃用性の機能低下により「前頭葉」の働きが加速度的に衰えていくその先に、「アルツハイマー型認知症」(晩発型アルツハイマー病とも言います)の発病が待っているのです。その場合、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が最初に異常なレベルに衰えていき次いで、左脳、右脳、運動の脳の順番に異常なレベルに衰えていくのが、「アルツハイマー型認知症」の特徴なのです。

更には、「アルツハイマー型認知症」の場合は、MMSEテストで判定される「11の下位項目」(「左脳及び右脳」の機能に関する項目)の衰え方にも、厳密な規則性があることが重要な特徴なのです(衰えていく脳機能について、明確な順番とそのパターンとが確認されることが、「アルツハイマー型認知症」の特徴)。

(4) 脳全体の司令塔で、置かれている状況を判断したり、何かを思いついたり、計画を立てたり、工夫したり、洞察や推理をしたり、機転を利かせたり、各種の高度な働きを担当しているのが「前頭葉」なのです。中でも、意識的に何かの「テーマ」を実行をする場面で、「前頭葉」の各種の機能を発揮する上で不可欠で基礎的な働きをする「認知機能」を正常に発揮するには、一定レベル以上の「認知度」が確保されていることが必要となります。

(5) 脳の機能についての専門家と世間で言われている人達でさえ未だ気づいていないのですが、その「認知度」を左右する機能の三本柱が、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の働きなのです(「前頭葉」の各種機能の発揮度に関わる「機能発揮上の二重構造」の問題)。

認知症の大多数90%以上を占めていて、専門家達からは原因も分からないし治らないし、予防することもできないと言われている「アルツハイマー型認知症」の正体は、加齢による脳の老化という性質(正常老化の性質)が基本に存在するのです。「加齢による脳の老化」という問題が基本にあるからこそ、「アルツハイマー型認知症」は、若者には関係なくて(若年性アルツハイマー型認知症は、側頭葉性健忘症の誤診に因る架空の病気なのであり)、仕事とは無縁の日々の暮らし方となる、『第二の人生』を生きる「60歳代以降のお年寄りだけが発病の対象になる(老年発症が特徴)」のです。


&11 「前頭葉」の諸機能の発揮度と「二重構造」との関係

(1)意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では(例えば、外国に単身赴任している夫が、1週間の帰国で、帰省してくる場合の夫婦の過ごし方を計画するというテーマを考えてみてください)、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、発想、企画、計画、創意、工夫、予見、シミュレーション、修正、整理、機転、抑制、忍耐、感動及び判断等、「前頭葉」を構成している各種の高度な機能を発揮する上で不可欠の働きをする「認知機能」を正常に発揮するに際して、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが必要となるのです。

認知度が低いと、「前頭葉」の各種機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるからです。その「認知度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力と注意の分配力という「三本柱」の機能なのです(「認知度」と「発揮度」とがともに、「三本柱」の機能レベルと「リンク」している)。ところが、この「三本柱」の機能自体に、「加齢と共に老化し衰えていく」という重要な性質があることは、前述したとおりなのです。

(2) 生き甲斐となることも、これといった目標となるものもなく、その上、趣味や遊びや人付きあいを楽しむ機会もなく、運動もしない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を送っていると言うことは、脳の機能面から言うと、「前頭葉」の機能の中でも最も基本的で不可欠な機能であり、「認知度」を左右する働きをしている意欲、注意の集中力と注意の分配力という「三本柱」の機能の出番が極端に少ない生活を送っているということになるのです。ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々送っている中で、もともと加齢により機能が衰えていく性質を持っている「三本柱」の働き(その反映としての「前頭葉」の働き)が、膝の筋肉と同じように、廃用性の機能低下を起こしてきて、更には加速度的に働きが衰えていくのです。

(3)「三本柱」の働きが、廃用性の加速度的な機能低下を起こしていくということは同時に、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、発想、企画、計画、創意、工夫、予見、シミュレーション、修正、整理、機転、抑制、感動及び判断といった「前頭葉」全体の機能の構成要素としての各種の高度な機能の「発揮度」も同時に加速度的に低下していくということなのです(上述した『二重構造」の仕組み』の問題)。「前頭葉」の各種の機能が異常なレベルに低下した下でそのアウトプット自体が、「アルツハイマー型認知症」の症状として発現してくるのです。


&12 「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である(「小ボケ」)の症状

(1)「アルツハイマー型認知症」を発病すると、その最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、左脳、右脳及び運動の脳は未だ正常な機能レベルながら司令塔の「前頭葉」の働きだけが異常なレベルに衰えた「脳全体の機能レベル」のアウトプットとしての症状が発現してきます。

(2) 脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の基礎的な機能である「三本柱」の機能(意欲、注意集中力及び注意分配力)が異常なレベルに機能低下してきたことにより発現してくる症状(より詳細に説明すると、「三本柱」の機能が異常なレベルに衰えてくることに連動して、「前頭葉」の構成要素としての各種機能の機能発揮度も衰えてくる結果として発現してくる症状)、言い換えると「前頭葉」の機能障害としての認知症の症状について、最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の症状として例示してあるものの中から、いくつか取り上げて、症状を具体的に説明してみることにしましょう。

(3) 高齢者であればだれでも、以下のような症状が確認されるわけではないのです。このような症状が確認される人には必ず、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続という「生活習慣」が確認されるものなのです。(但し、下記項目中4つ以上の項目に該当するときは、「二段階方式」のような神経心理機能テストで、「前頭葉」の機能レベルをきちんと調べてもらったほうがいいでしょう。CTやMRIでは、測ることができないので念のため注記しておきます)。

□ 複数のことに注意が分配できなくて、3つの用事が同時にさばけない(「注意分配力」の機能の機能障害としての症状)

□ 機転がきかなくて、状況に応じた創意工夫ができない(「機転及び創意工夫」の機能の機能障害としての症状)

□ 発想が乏しくて、画一的な行動が目立つ(「発想」の機能の機能障害としての症状)

□ 何事をするにも億劫で面倒がり、何かをやってみようという意欲が見られない(「意欲」の機能の機能障害としての症状)

□ 一日や一週間の計画が自分で立てられず、なにも思いつかない様子(「計画」の機能の機能障害としての症状)

□ これまでなら感動していたことに対して感動しない(「感動」の機能の機能障害としての症状)

□ ぼんやりしていることが多く、自分から何もしないが指示されるとできる(「自発性」の機能の機能障害としての症状)

□ 根気が続かず中途半端なことを繰り返し、やりかけの家事が目立つ(「注意集中力」の機能の機能障害としての症状)


 注)本著作物(このブログA-91に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHPここを「クリック」してください)

 脳機能からみた認知症の初期の見わけ方(IEでないとうまく表示されません)

 

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