認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

アルツハイマー型認知症の発病と記憶障害の原因との関係(B-36)

2015-05-15 | アルツハイマー型認知症の初期症状の正体

    物忘れ 反省と工夫が効けば 年のせい By kinukototadao   

(プロローグ)

 私は未だ71歳。こうして、ブログを毎月2回は書いているというのに、僅か2~3年前のことなのに、或る日の出来事がはっきりとは思い出せないのです。認知症の専門家とされる人達が記憶障害の原因として憶測だけにより主張する『アミロイドベータ』が蓄積を始めている訳でもなく、或いはタウ蛋白が蓄積を始めている訳でもなく、ましてや脳の委縮が進行し始めている訳でもないのです。

その原因は、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と呼ぶ、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能が、加齢と共に機能低下を進行させてきていることにあるのです(「正常老化」=アルツハイマー型認知症発病の基盤要因)。そこで、私の「前頭葉」を働かせて(工夫して)、当時の写真を頼りに記憶を引き出すことにしてみたのです。

○ 今から1年前の今頃は、何処で何をしていたのかしら

   小布施方面への旅行

 ○ 今から2年前の今頃は、何処で何をしていたのかしら

       独逸方面への旅行

 ○ 今から3年前の今頃は、何処で何をしていたのかしら

               奈良方面への旅行

 &1 MMS下位項目の項目困難度とその根拠となる脳機能データ

       

(1) 昨今の新聞報道によると、「アルツハイマー型認知症」の発症の極く初期の段階を判定する方法として、アミロイドベータの蓄積量であるとか、或いはタウ蛋白の蓄積量であるとかの要因を追跡することが有効な方法として注目され、米国や日本で大掛かりな研究が計画されており、且つそうした方法及び考え方が有望視されているのだそうです。「記憶の障害」を診断の第一の要件に挙げている、あの米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM-Ⅳ」が、そうした考え方の根拠となっているのです。

記憶の障害」の症状(に起因した症状)が、「アルツハイマー型認知症」発病に因る核心をなす症状であると考えられていて、且つ記憶の障害の症状を発現させている真犯人がアミロイドベータの蓄積であったり(アミロイドベータ仮説)、或いはタウ蛋白の蓄積であったり(タウ蛋白仮説)する考え方なのです。それらの考え方は、記憶の障害の症状と言っても程度も態様も多岐にわたるので、アミロイドベータの蓄積量とやらタウ蛋白の蓄積量とやらを調べることで、初期症状を判定できるものと誤解(妄想)しているのです。なぜなら、記憶の障害の症状は、「アルツハイマー型認知症」の核心をなす症状ではないからです。

(2) 本当の意味での初期の段階の症状、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階を私たちが開発した「二段階方式」のような精緻な「神経心理機能テスト」を活用して判定し評価してみれば、そもそも記憶の障害の症状自体が「前頭葉」の機能障害に起因した症状であって、もっと厳密に言うと、「前頭葉」の廃用性の異常な機能低下に起因した症状であることが解明できるのに、そのことに気づいていないことが致命的な誤り(誤解)を招いているのです。

      

(3) 日本を含む世界中の認知症の専門家とされる人達及びそうした人たちが所属し研究に従事しているどの機関も、末期の段階で発現する極めて重度の物忘れの症状と誤解されやすい症状(正しくは、物忘れの症状ではなくて廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行して来た『注意の分配力』の機能が殆ど働かない脳の機能レベルに在ることを直接反映した種々の症状なのです)しか観察しないで、肝心の「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルには見向きもしていないのです。

有効な「手技」を持たないので仕方がないことなのでしょうが、CTとかMRIとかPETとかの「機器」を使用して、脳の形だけしか観察評価していなくて、或いは「アルツハイマー型認知症」を発病して極めて重度の症状が発現し何年も生きた人達の死後の脳の「解剖所見」だけから、あれこれと空想し、想像をたくましくしているだけなのです。その程度のことで、「アルツハイマー型認知症」を理解できているつもりなのです。

前頭葉」を含む脳全体の機能レベルとその異常な機能低下と言う視点を持たない限り、「前頭葉」は愚か左脳さえも持たないアルツハイマー・マウスとか、マーモセットとかを何時まで追い掛け回しても、「アルツハイマー型認知症」を発現させている真犯人を解明することも、その症状が回復の可能性と言う視点から見ると、「三段階」に区分されることを理解することも出来ない相談なのです。

(4) 私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積した、生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下に関する「脳機能データ」14,689例を解析して得られた結論であり、「MMSE下位項目の項目困難度」の指標と呼称する『生きた人間の脳機能データ』は、「前頭葉」を含む脳全体が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくとき、言い換えると「アルツハイマー型認知症」の発病者症状が進行していくとき、「脳機能には、衰えていく明確な順番がある」(MMSEの下位項目には、出来なくなっていく厳密な順番がある)ことを示しているのです。

アミロイドベータの蓄積とか、タウ蛋白の蓄積とか、或いは脳の委縮とかが、「アルツハイマー型認知症」を発病させている真犯人だと主張している人達は、この事実を、どのように説明することが出来るというのでしょうか(⇒合理的で、客観的なデータに基づいた説明が不可能=論理的な結論として、仮説の主張内容は誤り)。      

(5) 発病させている直接の原因(真犯人)はと言うと、一つには「加齢」の要因が基盤要因であり(60歳を超える年齢の「高齢者」であることが、発病の「第一の要件」)、もう一つ別の要因が、「単調な生活」の継続であって(追及する自分なりの「テーマ」も無く、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な暮らし方、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続と言う『脳の使い方』としての「生活習慣」が3~6ヶ月以上継続することが、発病の「第二の要件」)なのです。(異なるこの二つの要件が、同時に充足される)ことによるその「相剰効果」として、すなわちそのことに直接起因して、私たち人間の「意識的な世界」を支配しコントロールしている「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下が惹起され/程度が進行して行くことに因り、「アルツハイマー型認知症」の三段階に区分される「段階的で類型的な症状」を発現させているのです(アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病に過ぎないというのが、私たち二段階方式独自の主張なのです=早期発見と早期治療に因る症状の回復/進行の抑制が可能であり、発病自体の予防が可能)。

(6)三段階の症状、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)は『脳のリハビリ前頭葉が活性化する脳の使い方としての生活習慣への改善と継続的な実践』により回復させることが可能であり、「中等度認知症」(中ボケ)は症状の進行を抑制することが未だ可能であり、「重度認知症」(大ボケ)は症状の進行を抑制することさえも最早困難となるのです。そうした事実も知らないで、末期の段階の(大ボケ)の症状だけを「アルツハイマー型認知症」の症状だと勘違いしていて、「アルツハイマー型認知症」は原因もわからないし、治すことも予防することも出来ない病気だと声高に叫んでいるだけなのです。それでいて、血液中のアミロイドベータやタウ蛋白の蓄積量を測定する方法を開発することによって、「アルツハイマー型認知症」の初期の段階を見つけることが出来るとか騒いでいるのです。治す方法も予防する方法もないというのが正しいとしたら、彼等が主張する初期の段階を見つけることに何の意味があるというのでしょうか。

「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であるというのが、14,000例を超える「脳機能データ」と440を超える市町村での「地域予防活動」の実践指導の成果とに基づく、私たち二段階方式の主張なのです。

(7) 権威があるとされる人達や機関が、アルツハイマー・マウスとかマーモセットとかが餌を求めてうろつく行動の解析を根拠として初期症状の判定方法を探求し、主張の根拠にしているのに対して、権威がない私たちは、生きた人間の「前頭葉」を含む脳機能データ、生のデータの解析を主張の根拠としているのです。

何かの発生と継続を「キッカケ」として、心が折れて、意欲を喪失し、注意の集中力や注意の分配力を発揮する機会が極端に減少して、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が始まり、そうした「単調な生活習慣」が継続されている(脳の使い方としての)「生活習慣」の下では、60歳を超える年齢の「高齢者」の場合は(然も、「高齢者」のみが対象となり)、「前頭葉」を含む脳全体の機能について、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことになるのです(その場合、脳全体の司令塔の役割を担っている『前頭葉の機能から真っ先に加速度的で異常な機能低下が進行して行くことに注意)。

その結果、思考や状況の判断及び意思決定に関わる「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてきて、「アルツハイマー型認知症」の症状が発現し/症状が進行して行くことになるのです。回復/症状の進行の抑制の可能性の有無及び程度と言う視点での「三段階」に区分される「アルツハイマー型認知症」の段階的で類型的な症状の指標(30項目問診票)は、そうした異常なレベルに機能低下した「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの(直接の)アウト・プットに過ぎないのです。

(8) アミロイド・ベータの蓄積やらタウ蛋白の蓄積やら、或いは脳の委縮の進行による情報の伝達の不具合が直接の原因となって、様々な程度態様での「記憶障害」を含む「アルツハイマー型認知症」の症状を発現させている訳ではないのです。

アルツハイマー・マウスやらマーモセットやらの迷路での行動を追う時間と資金と若く有為な人材とがあるのなら、「前頭葉」を含む脳全体の「廃用性の機能低下」と言う視点に、出来るだけ早く注意と関心を向けて欲しいのです。巨額の資金と大勢の若く有為な人材と有り余るほどの時間とを有する巨大で権威もある組織であるからと言って、研究の核心となる視点に関わる大前提自体が根本的な誤りを有する考え方を基礎(根拠)としている限り、どのような規模での研究(例えば、日米で推進されようとしている「DIAN」)を推進しようとも、期待された成果を上げることは未来永劫、「出来ない相談」なのです。       

&2 記憶障害がアルツハイマー型認知症の核心をなす症状とする考えは、根本的な過ちを犯しているのです

(1)「中ボケ」の段階で発現する症状を脳の機能面から見た理解

廃用性の機能低下が「小ボケ」の段階よりも更に加速度的に進行した「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルのアウトプットとしての「中ボケ」の段階の症状を列記すると、以下に「赤字で表記」した症状のようになります。

 この段階になると、脳の機能としては、「前頭葉」の機能の三本柱である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が「小ボケの段階」よりも更に加速度的に衰えてきたことによる「前頭葉」の各種個別機能の発揮度の低下に加えて、左脳や、右脳も異常なレベルに衰えてきています。「中ボケの段階での症状」は、そのトータルの脳機能レベルのアウトプットとしての「症状」を示しているのです。「記憶障害」を第一の要件とし、「失語、失行又は失認」を第二の要件と規定している『DSM-4』には根本的な理解の誤りと定義上の誤りとがあることに専門家達が早く気づいて欲しいのです。

 (2) 「記憶の障害」の症状とみられる症状発現の根底にある「前頭葉」を含む「脳の機能レベル」と言う問題そのものを見落としている

 「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの直接のアウトプットとして私たちが「二段階方式」を駆使して類型化した「中ボケ」の症状を例にとりながら、以下に説明したいと思います。こうした症状は、単なる記憶障害の症状と言うのではなくて、且つそれ以前に、「前頭葉」の機能が「小ボケ」の段階のそれよりも更に異常なレベルに衰えてきていることが直接の原因となって、自分が置かれている状況の判断、状況に沿った「テーマ」の発想、テーマを実行するための計画、計画の構成内容の理解、展開を見通す力、実行した場合の結果のシミュレーション、シミュレーションの結果に基づく修正、実行の決断等の「前頭葉」の各種個別機能自体が、もはやきちんとしたレベルでは働かないことが「中ボケ」の症状(思考や動作や行動等の面に表れてくる正常なレベルのものではなくなったそれらの結果、すなわち、認知症の症状)として発現してきているのです。

(3)「DSM-Ⅳ」の規定が「アルツハイマー型認知症」の診断基準としての「第一の要件」に「記憶の障害」の症状を挙げているために、認知症の診断の医療現場では、「前頭葉」を含む脳の機能レベルを判定していない(或いは、判定できていない)だけでなくて、発現する症状を単に外観面だけから観察して、それらの症状が「記憶の障害」の症状だと早とちり(或いは、勘違い)してもいるのです。

       

(4)以下、「中ボケ」の段階で発現してくる症状の発現のメカニズムについて、「前頭葉」を含む脳の機能レベルと言う物差しを基礎として、2つの症状を代表例として具体的に解説します。

☆ 何度教えても「日付け」があいまいになる

ⅰ)「二段階方式」を活用して私たちが集積したデータによると、「時の見当識」については、日、年、月、季節、昼夜の順番に見当識が衰えていく(正解できなくなっていく)のです。これは、単に思い出せない順番なのではなくて、思い出すことが難しい順番がそうなのだということなのです。思い出すことが難しい順番の原因は、何か。

「今日は何日?」と問われた時、あなたはどのようにして今日の日にちを思い出そうとしますか?日は毎日変化するので、第二の人生を暮しているお年寄りにとって、何か特別な出来事とか行事とかが無いと、今日が何日かを思い出せないものなのです。「12日」が、木曜日で太極拳がある日だとすると、それを起点にして「今日は、13日だ」ということにたどり着けるのですが、来る日も来る日も判で押したように単調な毎日だと、日にちが生活上の特別な意味を持たなくなり、「記銘」されにくいので「想起」できないのです。昨日は木曜日で、習い事の太極拳があって、その時お友達と、「明日は13日の金曜日ね、何か嫌なことが起きないと良いけどねって」話したから、今日は、13日よねと言う風に、生活上の出来事をきっかけにして日にちを思い出すことが出来るものなのです。但し、この作業には正常な機能レベルを有する強力な「前頭葉」の働きが必要となるのです。「今日の日にち」にたどり着くには、あれこれと手掛かりになりそうな出来事の記憶をたどっていくのに、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の継続的な発揮が不可欠となるからです。

ⅱ) 「前頭葉」が異常なレベルに衰えてくると、何かの出来事や行事を手掛かりとして、「日にち」にたどり着くことが出来なくなってしまうのです。単に、「覚えているかいないか」と言うのではなくて、この作業ができる脳の機能レベル(「前頭葉」の働き具合)が確保されているか否かが分岐点となるのです。

日にちにたどり着くことがどうしても出来なくなっているとき、その脳の機能レベルは、「中ボケ」のレベルに入ってきているということになるのです。

 そして、「年と月」とでは、日常生活上、年よりは月の方が使われる機会に接することが多いということなのです。そのため、月の方が「記銘度」が高くてたどり着き易いということなのです。従って、年、月、日については、たどり着きにくい順番(「想起」しにくい順番)が日、年、月となるということなのです。

ⅲ)季節と昼夜の場合では、「今の季節が何時なのか」を考えるよりは、たどり着くための判断要素が少なくて簡単な「今が昼なのか夜なのか」を考える方が容易(要求される「前頭葉」を含む脳の機能レベルが低くて済む)と言うことになるのです。

今の季節が何なのか(春なのか、夏なのか、秋なのか、冬なのか)が分からない時、その人の脳はすでに末期の段階であって回復させることが困難な「重度認知症」(大ボケ)の機能レベルを示しているのです。「覚えているか、いないか」と言うことではないことに注意していただきたいのです。

☆ 簡単な計算ができない(お札ばかりで買い物をし、やたらと小銭がたまる)

ⅰ)私たちの「二段階方式」で採用している「MMS」では、計算の項目の様式が、長谷川式とは明確に異なっていて、「100引く7」の計算の項目については、「前頭葉」が関与した計算の仕方を要求しているのです。「100から7を引いて、次に、その答えからまた7を引いて、その答えから更に7を引くというのを繰り返す」ことを被験者自身の「前頭葉」を含む脳の働きに要求しているのです。つまり、長谷川式のような単純な引き算ではなくて、「前頭葉」が関与した計算、言い換えると、「注意と計算」と言う作業を要求しているのです。

ⅱ) その結果、「前頭葉」を含む脳の機能レベルが「中ボケ」の段階になって来ている人たちは、5点満点で1点の人達が大半を占めることになるのです。つまり、「前頭葉」を含む脳の機能レベルが「中ボケ」のレベルに衰えてきている人達は、買い物に行った時、簡単な計算さえも(自分でする上で必要となるレベルの意欲も注意の集中力も注意の分配力も持ち合わせていないので)できないのです(お札ばかりで買い物をし、やたらと小銭がたまる結果になるのです)。こうした症状は、単なる「記憶障害」の症状の問題ではないということに気づいていただきたいのです。

           

&3 「記憶障害」の症状が発現するそのメカニズム 

(1) 発病して最初の段階が「小ボケ」の段階であり、ナイナイ尽くしの単調な生活習慣が継続されていると、「前頭葉」を含む脳全体の機能が更なる機能低下を加速させていき、「中ボケ」の段階に入っていくことになるのです。「前頭葉」を含む脳全体の機能(この段階からは、左脳、右脳及び運動の脳も異常なレベルに衰えが進行し、末期の段階である「大ボケ」の段階からは、更に廃用性の機能低下が進行して行く)が、「中ボケ」の段階にまで衰えてきていると、要の機能である「注意の分配力」の機能の発揮度が極めて異常なレベルに機能低下している為に、「記銘」する機能自体が極めて低いレベルにしかないことになるのです。

ⅰ) そもそも記憶は、「記銘」したものを「保持」して、それを(そのまま、或いは概要を)「想起」してくると言う経路をたどります。「はっきりと記憶している」とか「すっかり忘れてしまった」とかいうことは、どの程度に記銘され、保持されていて、想起されたのかという、個々の要素の機能レベルが相剰的に影響している(個々の要素の相剰効果による)と私たちは考えています。中でも、対象情報を「記銘」するときの「記銘の度合い」(「記銘度」)が最も重要だと考えています)。海馬に集まってきた対象情報の(認知内容の情報)を記銘するとき、(記銘度が高いもの)であったなら、その記銘度に応じ「長期」に保存されるし、(記銘度が低いもの)であったなら、その記銘度に応じて「短期」にしか保存されないと考えるのです(長期記憶となるか、短期記憶に終わるかは、権威機関が科学的な根拠も無く、注意の分配力の機能が備わらないマウスを対象の観察結果から憶測して主張する「海馬が決定している」訳のものではないと考えるのです)。

ⅱ) 従って、「記銘」する(覚える)ときの「記銘度」が高い(よく記銘される)情報は、よく「保持」され、よく「想起」される(思い出される)のです。このことは、「記銘」した5分後に「想起」できる程度をチェックしてみれば、直ぐに分かります。「記銘度」が高い情報ほど、よく想起されるのです。更に、よく「記銘」された(「記銘度」が高い)情報は、長期に保存され、想、想起され易いのです。

ⅲ)更には、保持/想起されやすいか否かを左右している「記銘度」は、「記銘」するときの状況(三本柱の働きの度合い)に直接左右されます。記憶の対象となる認知情報を記銘する時、「意欲」が強く作用する内容であり、「注意の集中力」が深く作用する内容であり、「注意の分配力」(いくつかの異なったテーマを同時並行して処理する機能のこと)が大きく作用する内容であれば、「記銘度」が高くなるので、長期に保存され、想起しやすく、結果的に「長期記憶」となるのです。逆の場合は、記銘度が低くなるので、短期にしか保存されず、想起しにくく、結果的に「短期記憶」となるのです。もちろん、繰り返し海馬に送り込まれ/刻み込まれた同じような内容は、繰り返された回数が多いほど「記銘度」が高くなるので、其の分、より長期に保存され、想起され易いということになるのです。

           

&4 三本柱の機能に生来的なものとして内在する「正常老化」の性質とその影響

(1) 私たち二段階方式の『生きた人間の脳機能データ』によれば、MMSEの下位項目中、「想起」の機能が最も早く加齢により衰えていく項目なのです。「記銘」自体が「意欲」、「注意の集中力」、「注意の分配力」という「前頭葉」の三本柱の働き具合に直接的に大きな影響を受けるからです。そして、この「三本柱」の各々の機能もまた、上述したように「加齢と共に衰えていく」と言う性質を持っているのです。そのため、年をとるにつれて、「覚える」こと(記銘)自体が難しくなっていき、「思い出す」こと(想起)も難しくなっていくのです。そうした正常老化の下で見られる機能低下に加えて、廃用性の機能低下が中ボケの段階にまで進んできた結果としての前頭葉の機能レベルの直接の発現が、以下に取り上げたような症状を示していると私たちは考えているのです。

☆ 家庭内の簡単な用事程度のこともきちんとできない(部屋や洗濯物の整理、食後の片付け、畑や庭仕事などがきちんとできなくなる)

 説明するまでもなく、これは、「前頭葉」を含む脳の機能レベルの直接のアウトプットとしての症状そのものなのです。これを「記憶障害」の症状だと勘違いするような人は、認知症の専門家とされる人達の中には居ないと思うのですが。

 ☆ 自分が飲む2~3種類の服薬管理ができない

これもまた、「記憶障害」が中核の症状ではないのです。薬を飲むこと自体/或いは飲み方を忘れているという以前に、「中ボケ」の機能レベルにまで衰えてしまった「前頭葉」の機能レベルの問題が中核の症状なのです。「物忘れ、反省と工夫が効けば、年のせい」(ここを「クリック」してください)と言うようなレベルの話では、もはやないのです。 薬を飲むことの意味も目的も理解自体もが不十分な「脳の機能レベル」の下で、服薬管理を自分がしているという状況なのです。飲むことの意味も飲んだことも「記銘度」は低いのです。

  ☆ 服の着方に無頓着で、重ね着が目立つ(セーターの上からシャツを着る。裏表や前後ろに着る。入浴後、着ていた下着の上に新しい下着を着る)

上述したケースと同じように、これを「記憶障害」の症状だと勘違いするような人は、認知症の専門家とされる人達の中には居ないと思うのですが。服の着方を忘れたということではないのです。「前頭葉」を含む脳の機能レベル自体が、服を着ることの意味や目的や状況自体を理解できないレベルにまで衰えてきているということの反映なのです。「三本柱」の機能の廃用性の加速度的で異常な低下が原因となって、「小ボケ」の段階ですでに「根気が続かなくなって、中途半端なことを繰り返すようになり、やりかけの状態が目立つ」症状を示すようになるのです。     

&5 「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状は、「前頭葉」を含む脳全体の「機能レベル」のアウトプットに過ぎないのです

〇 「前頭葉」を含む脳の機能から見る「アルツハイマー型認知症」の症状の段階

私たちは、「前頭葉」を含む脳の機能レベルとそれにリンクした症状を「二段階方式」と呼ぶ神経心理機能テストで判定し、軽いほうから、「小ボケ」、「中ボケ」、「大ボケ」の3つの段階に区分します。「脳のリハビリ」を実行することにより、正常なレベルに回復させることが可能かどうかの視点から、3つの段階に区分しているのです。

三段階に区分される「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルと「二重構造」との関係にあって「前頭葉」を含む脳全体の働き具合を下支えしている「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合との組み合わせによる「相剰効果」としての脳の働き具合のアウトプットに過ぎないのです。それらは、以下のパターンに見るような3通りの組み合わせとなるのです。

 ① 「軽度認知症」(小ボケ):「前頭葉」の機能レベルだけが異常なレベルにあって、左脳も右脳も運動の脳も正常な機能レベル

② 「中等度認知症」(中ボケ):「前頭葉」の機能レベルが小ボケのレベルよりも更に異常なレベルにあって、且つ左脳も右脳も運動の脳も異常な機能レベル

③  「重度認知症」(大ボケ):「前頭葉」の機能レベルが中ボケのレベルよりも更に異常なレベルにあって、且つ左脳も右脳も運動の脳も中ボケのレベルよりも更に異常な機能レベル.。      

&6 症状が段階的に進行していき、重症化していく主たる原因は、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の機能低下にあるのです

(1) 小ボケ、中ボケ、大ボケと症状が進行していく原因は、脳の機能レベルの低下にあるのです

ⅰ)上述した3つの段階の組み合わせに見る「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの低下の中で、全ての脳の機能レベルが段階ごとの症状の発現及び進行に関係しているのですが、最も重要な要素は、追及する自分なりのテーマがなく、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標もないというナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続(私たちが定義する「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」)に起因する脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下、特に、「前頭葉」の加速度的で異常な機能低下の進行にあるということが症状の中身を理解する上で極めて重要なことなのです(加齢要因による正常老化のカーブを、加速度的で異常な機能低下のカーブへと変身させる要因は、記憶障害の要因ではなくて、脳の使い方としての生活習慣に根差した『廃用性の異常な機能低下の進行』という要因なのです)。

ⅱ)意識的に何かの「テーマ」を実行する上で、状況を判断するにも、状況の判断に沿った「テーマ」を発想するにも、「テーマ」の内容を組み立てるにも、実行内容の結果をシミュレーションするにも、シミュレーションの結果に基づいて必要な修正を加えて変更を行うにも、実行の判断及び決断を行うにも、場合によっては必要な抑制を行うにも、全て及び常に、「前頭葉」による全体及び個別のコントロールが不可欠となるのです。

(2)「二段階方式」による「前頭葉」を含む脳全体の働き具合のテスト結果を図示した上記図にみられるように、「小ボケ」から「中ボケ」、中ボケから「大ボケ」へと症状が進行し重症化していく中で、その主たる原因として、「前頭葉」の機能レベルが加速度的に低下して行っていることが分かるのです。

(3)「前頭葉」は、3頭建ての馬車の御者、意識的な/目的的な世界に於ける脳全体の司令塔(コントロールタワー)の役割を担っているのです。その「前頭葉」の働きが加速度的に衰えていくということは、『状況を判断する機能、状況の判断に沿って「テーマ」を発想する機能、「テーマ」の内容を組み立てる機能、実行内容の結果をシミュレーションする機能、シミュレーションの結果に基づいて必要な修正を加えて変更を行う機能、実行の判断及び決断を行う機能、場合によっては必要な抑制を行う機能』と言ったすべての機能の働き具合が、加速度的に低下して行くことを意味しているのです。

(4) 『前頭葉』を含む脳全体の機能を、加速度的で異常な機能低下の進行に引き込む真の正体は、第二の人生を生きる高齢者(アルツハイマー型認知症は、老年発症が特徴=発病の第一要件)の日々の生き方、「脳の使い方」としての生活習慣であり、『追及する自分なりのテーマが無く、生き甲斐無く、趣味無く、交游無く、運動する機会も無い』単調な暮らし方、ナイナイ尽くしの単調な生活習慣の継続という要因なのです(発病の第二要件)。
(5) 状にに挙げた異なる二つの要因が、『同時に存在し、充足されることに因る、相剰効果に因って』発病し、症状が進行して行くのが、『アルツハイマー型認知症』なのです。
(6) 私たち二段階方式は、14689例に上る『アルツハイマー型認知症』発病患者の精緻な「脳機能データ」の解析結果である3種類のデータにより、「アミロイドβ仮説が主張する内容が100%誤りであること」を何時でも実証できるのです。



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新緑の季節だよ

2015-05-02 | 脳を活性化させる「テーマ」を探して

  桜の次は、新緑。

        

ブーゲンビリアの新芽が出てきて、バラも咲き出す準備をしているよう。

バラの季節が来ると、我が家は、バラの館と近所の人達から呼ばれるほど、上の庭にも下の庭にも、車庫の壁にも、バラが咲き誇るのです。バラは、管理がとても難しいと言われているようなのですが、Tadに言わせると、とても簡単なのだそうです。扱いの秘訣はと言うと、固形の油粕を根元に富士山のように盛ってやることだそうです。剪定の後と、花が咲き終わった後の、年たったの2回だけで良いのだそうです。あとは何もせず、ほっといてOK!! 

        

バラの話は未だ早いので、新緑の話に戻ろうかな。家の周りは、すっかり、新緑に衣替え。季節感を感じるとともに、大事に生きなくてはと思うのです。私たちの年齢になると、考えるにも、行動するにも、語らうにも、なくてはならない働きをしていて、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」は、日々働きのレベルが衰えてきているからです。

さあ、お友達も誘って、散歩に出かけよう。「速足の散歩」は、たったの1時間程度でも、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」を牽きだし、強化してくれる効果が絶大なのです(ここを「クリック」してください)。

        

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 「脳の活性化」。 特別なことは必要なくて、この程度のことで十分なのです (B-35)

2015-05-01 | 楽しくて意欲が湧いてくる生活と脳の活性化

 

    他人は他人 自分は自分と 思い切る

                 脳のイキイキ 意欲が要   By kinukototadao

 

     


 一日中家に籠っていて、新聞を広げたり、昼寝したり、水戸黄門を見るだけの生活を日々繰り返していても、60歳を超える年齢の「高齢者」の「第二の人生」は、それなりに成り立ちます。第一の人生とは異なり、毎日が「仕事」とは無縁の生活なので、何時までに何をどの程度仕上げておくとか、何時どこで誰と会って何か特定の「テーマ」についての打ち合わせをするとか、「達成目標」はどうなっているのかとか、進捗状況はどうなっているのかとか、我が身や我が時間が他人から拘束されることが無いからです。

自発的に何かのテーマを設定し、達成すべき目標を掲げた生活環境を自分が用意しない限り、誰からも、何時なんどきであっても、何等の指示も要求もこない、全くの「自由の身」なのです。成り立たないのは、「意識的」な世界を支配しコントロールしている、「前頭葉」と言う脳の司令塔の働き方、働き具合だけなのです。

そのような単調な「生活習慣」の下で日々を過ごしていたのでは、身体は丈夫で長持ちしても、肝心の「前頭葉」を含む脳の働きが、「廃用性」の加速度的で異常な機能低下をきたしてしまうことになるのです。生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、来る日も来る日もナイナイ尽くしの「単調な生活」が繰り返される、そうした状態(使い方としての「生活習慣」)が継続していると、60歳を超えた年齢の「高齢者」の場合は(厳密に言うと、60歳を超えた年齢の「高齢者」である場合に限り)、「前頭葉」を含む脳全体が廃用性の加速度的で異常な機能低下を起こしてきて「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです。

    


最近、認知症を発症させるリスク要因として生活習慣が取り上げられるようになってきました。そうした説で取り上げられているのが、運動、食生活、社会参加などのテーマなのですが、これらは「味噌も糞も一緒くた」と言った類の推測に過ぎないのです。かって、ココアや赤ワインが予防に効くといった説が主張されたことがありますが、あれと同じ程度のものに過ぎないのです。「脳血管性認知症」は、脳を養う血管に重篤な支障が出てきて(重篤な脳梗塞や脳出血)、そのことが直接の原因となって認知症を発症するものなのです。運動の機会が少ないことや食生活の偏りと言ったことは、重篤な脳梗塞や脳出血を発生させる一つの重要なリスク要因と考えられるのですが、「社会参加」の機会が少ないことは「脳血管性認知症」を発病するリスク要因ではないのです。

これは、正しくは「アルツハイマー型認知症」である症例なのにそのことを知らないで、誤って「脳血管性認知症」であると診断していること、「脳血管性認知症」の診断に関わる重要な過ちとして私が問題提起していることにもかかわる問題なのです(ここを「クリック」してください)。また、運動の機会が少ないことや社会参加の機会が無いことなどは、「アルツハイマー型認知症」の発病のリスク要因の一つではあるのですが、「食生活」と発病とは無関係なのです。認知症の90%以上を占めている「アルツハイマー型認知症」は、60歳を超える年齢の「高齢者」であることが発病の「第一の要件」であり、脳の使い方としての「生活習慣」(生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの単調な生活の継続)が発病の「第二の要件」である、廃用症候群に属する「生活習慣病」なのです(ここを「クリック」してください)。再度ここで注意を喚起しておきたいのは、廃用症候群である「アルツハイマー型認知症」の場合は、「前頭葉」の出番が極端に少ない生活習慣、すなわち脳の使い方としての「生活習慣」がリスク要因なのであり、食生活とは無関係と言うことなのです。「アルツハイマー型認知症」の発病の「予防」という点でも、或いは「改善」(治癒)と言う点からも、「食生活」というのは「テーマ」とはならないのです。

     

世界中の認知症の専門家とされる人達から、(「アルツハイマー型認知症」は、発病の原因が不明なうえに、治す方法も見当たらない病気とされてきている)のですが、「前頭葉」の働き具合とそれにリンクした症状の変化と言う視点から、何万例にも及ぶ生きた人間の「脳機能データ」の集積とその解析結果から、私たちは、(「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎない)との結論に到達し、更には、1995年2月からこれまでの20年間に推進してきた、440を超える市町村での「地域予防活動」の実践の成果としてその結論が正しいことを確認し、証明してきたのです。

  このブログでたびたびこれまでにも指摘し問題提起してきた様に、「東日本大震災」の被災地の高齢者たちが、被災を「キッカケ」として「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)の出番が極端に少ない「単調な生活」(生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの単調な生活のこと)に陥りそうした生活が継続されていると、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです(ここを「クリック」してください)。ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続される状況の下では、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の出番が極端に少ない(使われる機会が極端に少ない)ことになり、廃用性の機能低下が起きて、「前頭葉」の個別の機能の発揮度自体が異常なレベルに衰えていくことになるからです。

60歳を超える年齢の「高齢者」の場合は、そもそも「正常老化」(脳全体をしっかりと使う生活習慣が継続されている下でも、加齢を条件として「前頭葉」の機能低下が進行していくことを、私たちはこのように呼んでいます)が進行してきているので、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が半年間以上も続くと、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が、廃用性の機能低下をきたしてくることになるのです。正常老化の進行と言う条件と廃用性の機能低下と言う条件とが重なり合うことによって、その相乗効果により、加速度的で異常な脳機能低下が進行してくることになるからです(ここを「クリック」してください)。

    


 その「アルツハイマー型認知症」を発病してから最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の期間が約3年間続いた後は(世間で「不活発病」とかいう名前を付けられているのが、実はその小ボケのことなのですが)、次の段階である「中等度認知症」(「中ボケ」)の段階に進むことになるのです。小ボケの段階では社会生活面に支障が出てくるだけなのに対して、「中ボケ」の段階になると家庭生活面にも支障が出てくるので、家族や周りが騒ぐようになるのです(「中ボケ」は、「前頭葉」の機能年齢で言えば、「4~6歳児」程度のレベルとなります)。

この中ボケの段階が約2年間続いた後はセルフケアにも支障が出てきて介護が必要になる段階であり末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階に進むことになるのです。中ボケの後半の段階(MMSの換算点で19点以下の段階)から大ボケの前半の段階(MMSの換算点で14点~10点の段階)になってくると、認知症の専門家もそれが単なる「老化現象」ではないことに気づくことになるのです(大ボケは、脳の機能年齢で言えば、「3歳児」以下のレベルとなります)。東日本大震災の被災地の60歳を超える年齢の「高齢者」について、脳の形(萎縮の度合い)とやらアミロイドベータの蓄積とやらタウ蛋白の蓄積とやらではなく、「前頭葉」を含む脳全体の働き具合(機能レベルとそれにリンクした症状)を、「二段階方式」のような精緻な「神経心理機能テスト」を活用して評価し判定してみれば、そうした段階の人達が、日本全国の他のどの地域の高齢者と比較しても、異次元と言われるほどの高い割合で、且つ極めて多人数で、「アルツハイマー型認知症」を発病していることに気づいてきて、学者やマスコミだけでなくて社会全体が大騒ぎすることになるのです。世間全体が大騒ぎすることになるその日は、刻々と近づいてきているのです(ここを「クリック」してください)。

 生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」60歳を超えた年齢の「高齢者」がそうした単調な生活習慣を継続していると脳の使い方と言う視点での「生活習慣」が直接の原因となり「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下が惹起されて、「アルツハイマー型認知症」を発病することになることを(アミロイドベータの蓄積やタウ蛋白の蓄積や脳の委縮等は、発病の直接の原因ではなくて、発病とその継続による重症化の進行に起因した「副産物」に過ぎないということを)このブログを公開することにより、3年前から指摘し且つ世の中に問題提起してきているのです。第二の人生に入っている60歳を超える年齢の「高齢者」だけでなくて、若い人にもこのブログを読んでいただきたいのです。仕事だけでなく、趣味や遊びや交遊や社会活動等にも大事な時間を費やすような「生活習慣」を、今から構築しておくことが、「第二の人生」に入ってからも、「前頭葉」が活性化する生活習慣を維持しやすいからなのです。

    


「アルツハイマー型認知症」の発病を回避するためには、「前頭葉」を含む脳の活性化が必要不可欠と問題提起しても、「働くことにしか興味(関心)が無くて、人生を楽しむという視点が欠けているというしかない価値観を後生大事に抱え込んでいる」お年寄りが、我が国にはとても多いのです。脳を活性化させるにはどうしたらいいのか分からないというお年寄りが多いのです。「時間は有り余っているのに、することが無い」と嘆きながら、「単調な日々」を過ごしているのです(ここを「クリック」してください)。「仕事」が大事の価値観のままで第二の人生を送っているお年寄りたちは、せっかく「絵画教室」に通うようになっても、或いはせっかく「ゴルフの地域同好会」に入ってはみても、周りと自分とを比較してしまうのです。周りと比較して自分が劣っていると分かると、継続する意欲をそがれてしまうのです。趣味とか遊びのはずなのに、まるで「仕事」をしているみたいに、周りと自分とを比較ばかりして、自分なりに楽しむことが出来ないのです。アー!哀しいかな。

    


& 自分に見合った「テーマ」を見つけて、「自分なりに楽しめる」ことが大切

  たとえ小さな「テーマ」であっても、やっていて喜びが得られる、或いは楽しめる、更には時間の経つのが速く感じられる、そうした「テーマ」を選んでいただきたいのです。「千里の道も、一歩から」なのです。とにもかくにも、あれこれ考えるよりは、先ず始めてみてください。出来れば、気が合う友達を見つけて、ご一緒に。

 継続は、力なり 

最初から、大きな或いは高い目標を設定しないこと、生き甲斐とか達成感とかを求めないことです。継続すること、生活習慣化することが最も重要なことなのです。最初は小さな「テーマ」で良いのです。自分が置かれている生活環境及び生活状況の下で、 自分なりに関心や興味があり、自分なりに楽しめそうで、実行できそうなことから始めることが大切なのです。そうした積み重ねが、「継続の意欲」を引き出してくれるので、重要なのです。

 ところで、脳を活性化させる上で、「交遊」は極めて重要なテーマです。だからと言って、人との交遊の機会を単に増やせばいいというわけのものではないのです。この場合に大事なことは、「気の合ったお友達」と交遊することが大事なのです。第一の人生とは異なり、第二の人生では、なんとなく気が合わない人や価値観が合わない人との交遊は、出来るだけ避けることが、「脳の活性化」と言う視点からは重要な条件になります。

 あれこれと気遣う必要が無くて、お互いに言いたいことを自由に言えて、気安く、気軽に付き合うことが出来、一緒に居て談笑することが楽しくなるような人を意識的に選ぶのです。

    


「意識的」な世界を支配しコントロールしている「前頭葉」の各種個別の機能の認知度及び発揮度を下支えしている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」と言う「三本柱」の機能には、加齢とともに働きが衰えていくという性質が生来的に内在しているのです(「正常老化」の性質)。特に、65歳を超える年齢の「高齢者」の場合は、誰であろうと、正常老化の過程にある場合と言えども、「前頭葉」の「三本柱」の機能がその人の最盛期の半分以下のレベルにまで機能低下してきているのです。

そうした年齢に到達して第二の人生を送っている状況にあるお年寄りの場合は、少しでも脳に負担となるような条件を回避してやることが極めて大切なのです。ちょっとしたイサカイが原因で外に出ていく「意欲」を損なわれると、何事にもやる気がなくなっていき、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていく「キッカケ」になる危険があるからなのです(ここを「クリック」してください)。危険の芽は、出来るだけ回避し、或いは、できるだけ早めに摘み取ることが大切なのです。

    


 明日は、晴天の予報。日頃密なお付き合いを楽しませていただいているNickさんと淳子さんご夫婦、寡婦乍ら頑張って生活を楽しみながら暮らされている美子さんを誘って、もちろん夫のTadも一緒で、「山桜」を求めて西伊豆にドライブに行くことにしたのです。ふと、思い立ってのことなのでした。

楽しみの「お昼」は、先日テレビで放映されていた、下田漁港の近くにあるお店で、サザエのつぼ焼きとイセエビ一匹の丸焼きを(但し、大きさは不問にしてください)いただくという私の提案が採択されて即決。

    


 気心の知れた仲のいいお友達との会話であれば、何をどのようにしゃべっていても心楽しいものなのですが、ドライブがてら山桜を訪ね、ついでに、おいしいお昼の食事を楽しんで来ようというのです。そうでなくても喧しい右脳中心の我ら女性陣3人にとっては、しゃべりだしたら話が止まらなくなってしまうのです。出かける前から、口がフル回転の状態になっていたのでした。

    


 西伊豆を先に回るのか、東伊豆から南伊豆方面に下っていくのか、男性陣がケース・ワークに余念がない中、女性陣の心はとっくに決まっていました。だって、「花より団子」って言うじゃあありませんか。

と言うことで、女性陣の意見が通って、お昼を先に楽しんだ後で、西伊豆に回っての山桜を楽しむことになりました。ところが、お昼の量が多すぎて、此処だけの話なのですが、道中「睡魔」が何度も襲ってきて、運転するのが大変だったのです。今度Tadが私のために買ってくれた車(ベンツGLA250,4matic,4WD )は、D1~D7まで自動変速してくれるので、乗り心地がとてもいいと皆さんから褒められたのでした。ラッキー!

 遊びで出かけるとき私はいつも、愛用の小型カメラを持参します。道中で撮った写真を、私のブログに使う為です。ところが、私はメカ音痴なので、残念ながら、動画をこのブログに組み込むことが出来ないのです。いつものことなのですが、その時摂った写真を組み込みましたので、車の内外を問わず喋り捲っている私たち一行の「弥次喜多道中ぶり」を想像しながら、皆さんも、お楽しみください。

    

    

 

    


    

 

 注)本著作物(このブログB-35に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

  エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

   脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)


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