認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

脳の機能面から診るアルツハイマー型認知症の正体(B-90)

2017-09-15 | アルツハイマー型認知症発病のメカニズム

今日は、「第二の人生」を送っておられる高齢者である皆さんが最も興味があるテーマについてのお話です。権威ある人達が主張している内容は全て「仮説」です(主張している内容と「アルツハイマー型認知症」の発病との間の因果関係が未だに立証されていないということなのです)が、私たちの主張の内容は、仮説ではありません。 学説としては通説の地位にある「仮説」であり後述するアミロイドベータ説の場合、我が国だけでなくて、欧米の巨大な規模の何社もの製薬会社が当該仮説の考えに立脚して治療薬の開発に挑戦してきていて、且つその全てが失敗に終わっているという厳然たる事実が存在しているのです。それに対し、私たちが主張している説(廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であるとの主張)の場合は、北海道から九州に及ぶ広域にわたる452の市町村での住民参加型の「地域予防活動によりその主張内容が正しいこと及び実践の成果としての実績を確認してきているという「活動の実績」が存在することを書き留め、皆さんの注意を喚起しておきたいと考えるのです。

我が国でも、東京大学や京都大学や理化学研究所と言えば、極めて高いレベルでの研究実績を誇っていて、世間での評価も高く、レスペクトも高く、その様々な研究分野で極めて高い実績と権威を誇っていることを疑う人はいないと思うのです。『ところが、こと「アルツハイマー型認知症」の研究方法及び研究結果についてだけは、全く異なる状況というか、研究レベルが低いと言わざるを得ない』のです。

我が国だけでなくて、世界中の認知症の専門家達の間で、『「アルツハイマー型認知症」は、発病の原因が分からないし、症状を治す方法が見当たらないし、発病を予防する方法も分からない』とされてきているのです。それでいて発病との間の因果関係の立証が未だに為されないままである様々な仮説」の類が主張され続けているのです。アセチルコリン説、アミロイドベータ説、タウ蛋白説、脳の萎縮説と言ったそれらの「仮説」は、まるで澱みに浮かぶ泡沫のように、いつの間にか出てきて、しばらく医学会という波の間に浮かんでいたかと思うと、いつの間にか消えて行ってしまうのです。その結果、彼等の間で取り上げられる「アルツハイマー型認知症」の症状の類型についても、外観から推測した「記憶障害」に起因したらしき症状が挙げられている程度のものに過ぎないのです。その上、「記憶障害」自体も「器質的な病変」が原因で起きてきているとの大前提に立っての仮説としての主張(憶測に基づいた単なる推論)に過ぎないのです。

後述するように、「アルツハイマー型認知症」の症状の発現には(発病、発症)、「器質的な病変」の存在が全くのこと確認されないこと並びに「記憶障害」に起因して発病することも確認されないのです。「アルツハイマー型認知症」の発病と(症状の発現と)器質的な病変の存在(アミロイドベータの蓄積、タウ蛋白の蓄積、或いは、脳の萎縮)との間に並びに「記憶障害」との間には、肝心の因果関係自体が存在していないということなのです。アミロイドベータ説もタウ蛋白説も脳の萎縮説もそれら全ての主張は、『因果関係が存在しているのではないか』との推測や憶測に基づいただけの単なる「仮説の類」に過ぎないことに、主張している側も聞いている側も注意していただきたいのです(『僅かな量でのアミロイドベータの蓄積や、或いは、タウ蛋白の蓄積を検知する方法を開発したからと言って、そのことが、「アルツハイマー型認知症」の早期発見に結び付く訳のものではない』ということを指摘しておきたいのです)。もう少し厳しい言い方をすれば、因果関係の立証が未だに為されない儘での主張であり、疫学的なレベルでの立証さえもなく、医学的な根拠も無く、科学的な根拠も無く、論理的な帰結としての主張の内容でもない、推測に基づいただけの単なる憶測である仮説を何時まで主張し続けるのかと問いたいのです。社会的な影響力がある、発信力が有るということは裏を返せば、社会的な責任があるということでもあるはずなのです。その自覚を持っていただきたいと願うのです。社会的な影響力と社会的な責任と言えば、マスコミも同じことなのです。主張内容をチェックすることも無しに、単に受け売りするだけで、彼らが主張する時々の言い訳じみた主張内容の変更を、重要な内容の発表でもあるかのように、流さないでいただきたいのです。

私たちが独自に開発した極めて精緻な神経心理機能テストである「二段階方式」の手技を活用して集積した、生きた人間の前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状としての14689例にも及ぶ多数の「アルツハイマー型認知症」の症状を解析して得られたもの、『「アルツハイマー型認知症」の場合には、MMSEで判定される脳の後半領域、左脳と右脳の機能の衰え方にも厳密な順番が認められる』こと、『MMSE下位項目の項目困難度』と言う明確で、客観的な指標が存在することからも、これまで主張されてきた全ての「仮説」、アセチルコリン説、アミロイドベータ説、タウ蛋白説、脳の萎縮説等は、それら各々の主張の根拠を失うことになることを強調しておきたいのです。

前頭葉」(「前頭前野」を言うものとする。以下、同じ。)を含む「脳全体の機能レベル」を反映した認知症の症状の発現、言い換えると、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の廃用性の機能低下が最初に単独で開始され、且つそのことを基礎(中核)としつつ、次いで左脳、右脳及び運動の脳という順番で、高度で複雑な機能から順番に衰えてくるという性質が確認される『廃用性の機能低下』の進行という、或る意味で極めて厳格な規則性を保ちつつ、三頭立ての馬車の「御者」の役割を担っている「前頭葉」を含む脳全体としての機能レベルに厳密にリンクした形での症状の発現、すなわち、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを直接、且つ厳密に反映したものとしての認知症の症状、それが、『「アルツハイマー型認知症」の症状として発現してくるもの』なのだということさえも、「アセチルコリン説」を含む上述の仮説の類を主張している専門家達は、未だに気づいてはいないのです。結論から先に言うと、『脳の使い方としての「生活習慣」に起因した、廃用性の加速度的で異常な機能低下が直接の原因となって、様々な程度及び態様での認知症の症状が発現してくる』、『それが、「アルツハイマー型認知症」の症状が発現して来るメカニズム」であり、且つ様々な種類が数有る認知症の内でも、「アルツハイマー型認知症」だけに特有な性質でもある』のです。

&1 「アルツハイマー型認知症」の発病原因に関わる様々な「仮説」

私は、我が国で販売されている「アルツハイマー型認知症」を主題とした書物の全てを、精読してきました。そこに書かれている内容は、推測や憶測に基づいた自己主張であるか、或いは、他人の説の単なる受け売り程度の内容の物ばかりというしかないのです。認知症の、「アルツハイマー型認知症」の専門家とされる人達が著作した書籍を通じて皆さんが知るに至った「アルツハイマー型認知症」の症状についても、実は或る意味で、いい加減なものなのです。その理由はと言うと、「アルツハイマー型認知症」の発病の原因(機序)が何であるのかが分かっていない上に、米国精神医学会が策定し、世界的な権威が有るとされている「アルツハイマー型認知症」の診断基準である「DSM-4」の規定に依拠して観察し、判定し、考察した自己主張の類か、他人の説の単なる受け売りの内容の物ばかりという実態だからなのです。特段の客観的な基準もなしに単に並べ立てているだけだからなのです。

 それらは、「DSM-4」の「第一の要件」で確認が要求されている「記憶障害」の症状と考えられている(記憶障害に起因した症状らしきもの)症状を中核としていて(実は、後述する「小ボケ」の症状の類型に見るとおり、「小ボケ」の段階では、「記憶障害の症状」、或いは「記憶障害に起因した症状」は、その欠片さえも確認されないのです)、その他に、客観的な根拠基準もなしに、見当識障害や判断力の低下等が挙げられていて、更には、「DSM-4」の「第二の要件」で確認が要求されている失語や失認や失行の症状(又は「実行機能」の障害としての症状と規定されている)等が挙げられているのが通常のことだからなのです{失語や失認や失行の症状自体が、廃用性の加速度的で異常な機能低下に直接起因したものとしての「実行機能」の障害を中核とした左脳又は右脳又は運動の脳との総体としての機能レベルを直接、且つ厳密に反映した症状であることさえも知らないで、それらを同一のものとして並列して規定しているのです}。権威と主張内容のレベルとが一致していないもの、はっきり言うと、「支離滅裂」の主張内容なのです。

「DSM-4」が規定する「アルツハイマー型認知症」の診断基準としての第一の要件及び第二の要件に掲げている規定内容自体が重大な誤りであり、『諸悪の根源である』ことは、このブログで具体的で詳細な根拠を示して指摘してきている通りなのです。重大な誤り、基本的な誤解と誤った推測(憶測の類に過ぎない)に基づいた規定内容でありながら、その権威が大きすぎるが為に、世界中の脳科学者や認知症の専門家達の誰もがその規定内容を疑うことをしないで居て、徒に追従しているだけなのです。恥ずべき世界なのです。

規定内容の重大な誤りに気づかないで居て、さも専門家であるかのごとくに、中核症状とか随伴症状とかに区分していたりするのです。中核症状として区分けている症状が発現してくるメカニズム自体について無知なので、随伴症状として区分している症状が発現してくるメカニズムについても無知なのです。自己満足に基づいた区分と言うか、主観的な基準に基づいて区分している以上の意味を有していないのです。そこには、専門家としてのプライドさえないのです。あの誤りだらけの規定である「DSM-4」の規定の「第二の要件」が確認を要求している失語、失認、失行(又は実行機能の障害)と言う規定を鵜呑みにしていて、そのまま並べているという程度のものに過ぎないのです(実行機能とは「前頭葉」機能のこと)。

それでいて実は、脳科学者も、認知症の専門家達も、更には「アルツハイマー型認知症」の専門家達も、世界中の専門家と言われる人達の誰もが、私たち人間の「意識」について未だに無知であり(『「意識」が生じてくるメカニズムを正しく、的確に定義出来たら、それだけで、「ノーベル賞」もの』と言われているのです。)、私たち人間だけに特有な世界である『意識的な世界』を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う脳機能についても無知なのです(「意識」についての私たちの理解するところの詳細について興味のある方は、このブログの「B-09~B12」を参照してください)。「前頭葉」と言う脳機能は、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしていて、左脳、右脳及び運動の脳から構成される三頭立ての馬車の「御者」の約割を担っている、言い換えると、脳全体の司令塔としての役割を担っているのです。脳全体での認知の世界を「前頭葉」が構築し、統括し、支配し、コントロールしている世界、それが私たち人間だけに特有な世界である「意識的な世界」なのです(本能に基づいたものではなくて、「選択」と言う機能要素を有する意識的に何かの「テーマ」を発想し、実行に移す世界のこと)。

このことを言い換えると、「前頭葉」の機能レベル次第で(正常な機能レベルに在るのか、正常下限の機能レベルに在るのか、異常で初期の機能レベルに在るのか、異常で中期の機能レベルに在るのか、異常で末期の機能レベルに在るのか)、私たち人間だけに特有な世界である「意識的な世界」での、脳全体としての機能のアウトプットである症状の構成内容並びに発現の程度及び態様が変わってくることになるのです。その結果、彼等が単に並べているだけの記憶障害、見当識障害や判断力の低下、更には、失語や失認や失行の症状等は全て「前頭葉」を含む脳全体としての機能レベルを直接、且つ厳密に反映したものになるということにさえ気づいてはいないのです。私たち人間だけに特有な世界である「意識的な世界」では、様々な種類と程度と態様とにより発現してくる幾つもの「テーマ」が同時に存在していて、「注意の分配力」の機能の管理の下で、選択という「前頭葉」の個別認知機能による働きにより、同時に並行して、取捨選択されていて、浮かんでは消え、時には消えては浮かんできているのです(BGMでマライア・キャリーの歌声を楽しみながら、移り行く景色も楽しみながら、行き交う車や人の流れに、或いは道路状況や信号にも注意を分配しながら、北朝鮮問題について助手席に乗せている友人と激論を交わしながら、車を運転している私の前頭葉の働き、就中「注意の分配力」の働きぶりを想像してみてください。最近流行りの、「Dual Task」なんて程度のものではないのですけど)。そうした意識の世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う脳機能、脳全体の司令塔としての役割を担っている「前頭葉」という脳機能に忍び寄ってくる二つの要因、一つは、「加齢」に起因した機能低下という要因と、もう一つは、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因した廃用性の機能低下と言う要因、その二つの要因(条件)が「同時に充足される」状況の下で、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していく、その先に、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化の進行が待っているというだけのことなのです。分かってしまえば、コロンブスの卵程度のことに過ぎないのに、何時まで、マウスのお尻を追い掛け回してばかりで居て、迷路をさ迷い歩いているのですか。

二段階方式」の手技を活用して集積した私たちの「脳機能データ」によると、様々な程度及び態様により発現してくる「アルツハイマー型認知症」の症状は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクしたものなのであり(後述する定義を参照してください)、アミロイドベータの蓄積とかタウ蛋白の蓄積とか脳の萎縮とかと言った「器質的な病変」とは無関係のものであり、加えて、「記憶の障害」に起因して発現してくるものでもないことが分かるのです。症状が次第に重いものになっていく世界は、記憶障害が次第に重くなっていくこととは無関係なのであり、アミロイドベータやタウ蛋白の蓄積量が次第に増えていくこととは無関係の世界なのです。

『アミロイドベータの蓄積により生成された老人斑の持つ毒性により、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の大量の細胞死が惹き起こされることに起因した「記憶障害」が原因で「アルツハイマー型認知症」の症状が発現してくる』とするアミロイドベータ説と言う学説は、発病との間の因果関係を未だに立証できてもいない単なる「仮説」と言うか、科学的及び医学的な根拠も無い、憶測に基づいた推測に過ぎないのです。ところが、我が国で言うと、上述の理化学研究所や東京大学や京都大学がその牙城であり並びに米国では、あのハーバード大学がその牙城なのです。

専門家とは口先だけのもので、誰か他の権威の取り上げた内容を無批判に受け売りしているだけのものなのです。米国や我が国を含む世界中の発病者数が5000万人を超えていて、この先さらにその数が増大していくと予測されている超大型の、且つ「超高齢化社会」に特有の病気である「アルツハイマー型認知症」についての世界中の専門家達の理解のレベルがその程度に過ぎないのです。重度の症状を示していた人達の死後の脳の「解剖所見」の内容が類似したものであろうとも、『生まれつき特定の遺伝子に異常が確認される人達だけを対象として発病し、30歳代から50歳代の若い年齢で発病し急速に症状が進んで行き、治すことも予防することも出来ないあの若年性の「アルツハイマー病」と「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」だけを対象として発病し、症状が何年間もかけて緩やかにしか進行していかないで、治すことも予防することも可能であるタイプの認知症、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」(但し、食生活ではなくて、脳の使い方としての生活習慣であることに留意する)に過ぎない老年性の「アルツハイマー型認知症」とを混同していて』、おまけに、両者をまとめて「アルツハイマー病」と呼んでひとくくりにしている人達が何故か我が国では多いのですが、何をもって『専門家』と称しているのか聞いてみたいのです。「権威がある人達が言っている」からと言って、『そのまま信じては、いけない』その典型ともいえるものなのです。

&2 「アルツハイマー型認知症」の三段階に区分される「段階的な症状」の類型 

そこで私たちの基準、私たちが「アルツハイマー型認知症」の発病や症状の重症化の原因を解明する為に独自に開発した精緻な神経心理機能テストである「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも及ぶ「アルツハイマー型認知症」の症状(その症状は、「小ボケ」の段階の症状であれ、「中ボケ」の段階の症状であれ、更には「大ボケ」の段階の症状であれ、全てが生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクしたものなのです)並びに廃用性の機能低下を惹起する基礎に在る脳の使い方としての「生活習慣」に関わる「生活歴」(生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続)の判定と鑑別と聞き取りの結果に基づいて類型化した、これぞ「アルツハイマー型認知症」の症状の典型と考える症状を「三段階」に区分して以下に8種ずつ例示します。「三段階」に区分する理由と根拠は、専門の医師達や学者達から「治すことが出来ない」とされている「アルツハイマー型認知症」は、「脳のリハビリ」(「前頭葉」の活性化を必須として、「前頭葉」を含む脳全体の機能が活性化し、機能レベルが回復してくるような脳の使い方としての「生活習慣」の改善、工夫及び継続的な実践)と言う方法により治すことが出来るものなのであり、その可能性の有無及び程度から、私たちは、以下のように「三段階」に区分しているのです。

〇「小ボケ」(軽度認知症)の段階の典型的な症状の類型

(1)   脳の機能面からの定義

「アルツハイマー型認知症」の初期の段階である「軽度認知症」(小ボケ)は、左脳と右脳と運動の脳は機能レベルが未だ正常レベルなのですが、『脳全体の司令塔である「前頭葉」の働きだけが、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行により異常な機能レベルに衰えてきている』のです(「二段階方式」の手技による判定と鑑別)。

 その為、「前頭葉」の機能の中で最も基礎的で且つ重要な働きであり、意識の構成要素に対する「認知度」及び機能の発揮度を下支えし/左右している「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能(「前頭葉」の三本柱の機能)が的確、且つ十分には働かなくなってきていることが直接の原因なのです。その結果、行為の目的であるテーマ自体とテーマの中身を構築している構成要素に対して、「前頭葉」の個別認知機能が正常な機能レベルで働かないのです。更には、認知している対象である「記憶」の各構成要素の内容についても、「記銘」、「保持」及び「想起」の機能の発揮が不十分なものとなっているのです。簡単に言うと、日常の「社会生活」面で発生してくる種々のテーマを実行するのに必要となるレベルでの「前頭葉」の認知機能が、潜在的な機能レベルの低下により、十分には発揮出来ない機能状態に在るのです。こうした条件下/状態下で行われる為、状況の理解と判断、実行テーマの発想及びテーマに沿った実行内容の計画並びに実行手順の構成、更には、状況の変化に対応する機転や状況の変化の見通しに基づく修正及び実行の決断等が的確には出来なくなってきているのです。こうした事態は、「空気ポンプ」に例をとって説明すれば、空気をチューブに送る役割のゴム管部分に支障があるからではなくて(アミロイドベータ説やタウ蛋白説の考え方:情報を伝達する役割を担っている神経細胞の大量の細胞死が主因だとする考え方)、そもそも、チューブに空気を送り込む働きをする役割のポンプの部分自体の機能がちゃんと働いていないせいなのです(脳全体の司令塔としての役割を担っている「前頭葉」の廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因した機能発揮レベルの低下が主たる要因で関連する情報の伝達及び情報の処理が的確に行われなくなっているに過ぎないのです)。「小ボケ」のイメージは、何かにつけて人を頼ろうとする『指示待ち人』が特徴なのです。

(2) 「軽度認知症」(小ボケ)に特有で、代表的な症状の8項目

□ 発想が乏しくなって、画一的な行動が目立つようになる

□ 何事にも億劫で面倒がり、やろうとする意欲が見られない

□ 一日や一週間の計画が立てられず、なにも思いつかない様子

□ 問いかけに対する反応が遅く、生き生きした笑顔が見られない

□ 根気が続かず中途半端なことを繰り返し、やりかけが目立つ

□ 目の光がどんよりとしていて、普段の顔つきが無表情となる

□ 歩くとき前屈みの姿勢で、小股でトボトボと歩く

□ 自分に自信がなくなり、何かにつけて人を頼ろうとする

注)「アルツハイマー型認知症」の発病としての症状、言い換えると、「小ボケ」の段階の症状が発現してきているお年寄り達の脳の何処にも、「器質的な病変」はその欠片も見当たらないのです。加えて、「記憶障害」に起因したと考えられそうな症状は全くのこと確認できなくて、それらの全てが、「前頭葉」の機能低下に起因したものと考えられる症状ばかりなのです。

〇「中ボケ」(中等度認知症)の段階の典型的な症状の類型

(1)   脳の機能面からの定義

「中ボケ」のイメージは、家庭内の簡単な用事程度のこともちゃんとできないのに、口先だけは一人前、「言い訳のうまい幼稚園児」が特徴です。「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてきているとはいえ、「小ボケ」には、自覚があります。「意欲も湧かないし、根気が続かないし、てきぱき出来ないし、発想も湧かないし、物事に感動することもないし・・・」と感じていて、『以前の自分と比較して、自分のどこかがおかしい』という自覚を明確に持っていて、自分の状態に「不安」を感じているのです。ところが「中ボケ」の段階になると、「前頭葉」の機能レベルが更に異常なレベルに低下してきている上に、左脳及び右脳の機能も異常なレベルに低下してきている為に、そうした自覚を持つこと自体が出来なくなります。自分の状態に対する自覚がないので、不安も全く感じていないのです。逆に、家族が『こんなところが、おかしいと』指摘しても、『そんなことはない。私は、ボケてなんかいない』と言い張り、自分のおかしな行動についての、一端の言い訳(ヘリクツの類)ばかりを並べ立てるのが特徴なのです。ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因した廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行しているが為に、「前頭葉」を含む脳全体の機能が異常なレベルに機能低下してきていて、状況の理解も不十分で、反省することも出来なくて、何をどうしたら良いのかを組み立てることも出来なくて、判断力も低下していて、『それなりの反応が出来るのは、口先だけ』ということになるのです。

(2) 「中等度認知症」(中ボケ)に特有で、代表的な症状の8項目

□ 簡単な計算さえもしなくなり、お札ばかりで買い物をして、やたらと小銭がたまる

□ 家庭内の簡単な用事程度のこともきちんとできない(部屋や洗濯物の整理、食後の片付け、簡単な庭仕事さえもきちんとできない)

□ 自分が飲む2~3種類の服薬管理ができない

□ 服の着方に無頓着で、重ね着が目立つ(セーターの上からシャツを着る。裏表や前後ろに着る)。

□ 入浴時の温度管理が出来ず、体を洗わないとか石鹸がついたまま

□ 料理の味付けが変になる(塩加減が極端に変になる。塩辛すぎて、周りが食べられないようなものを作り、本人だけが平気で食べる)

□ 行き慣れている所に行くのに、スムーズに行けない(行き先の違う乗り物に乗ったり、行き道を間違えたりする)

□ 季節が分からなくなる(夏にセーターなど、季節違いの服を平気で着る)

〇「大ボケ」(重度認知症)の段階の典型的な症状の類型

(1)   脳の機能面からの定義

「中等度認知症」(中ボケ)の段階になっても「老化現象」と勘違いして気づかないまま手をこまねいて居て、相変わらずナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されていると、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の機能低下が更に加速度的に進んでいきます。「アルツハイマー型認知症」の末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)は、「前頭葉」を含む脳全体の働きが「中等度認知症」の段階よりも更に異常なレベルに衰えてきているのです。左脳と右脳の働きも、幼稚なレベルの機能が僅かに残っている程度である上に、脳の司令塔の役割を担っている「前頭葉」は殆ど機能しなくなっています。

「大ボケ」のイメージは、「脳が寝たきり」状態にあるのが特徴なのです。その為、「意識的な世界」における「前頭葉」の個別認知機能の認知度及び機能の発揮度を左右する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能が殆ど働かなくなってきている状態なのです。「重度認知症」(大ボケ)の脳の働きは、3歳児以下(下は、0歳児まで)のレベルと考えて下さい。「前頭葉」、左脳、右脳の機能の衰えが進行していく中で、30点が満点で14点以下から大ボケの段階に入っていくMMSEの得点が一桁の点数になってくるあたりから、運動の脳も異常なレベルに衰えてきて、「DSM-4」の規定の第二の要件が確認を要求している失語や失認や失行などの症状が発現して来ることになるのです。とは言え、「大ボケ」の初期段階であれば(医療現場では、このことを誤って、「アルツハイマー型認知症」の初期という表現を使用しているのですが、回復させることが可能な本当の意味での初期とは、私たちの区分でいう「小ボケ」及び「中ボケ」の段階までのことなのです。「大ボケ」の段階の症状が発現してくるまでに「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが低下してくると、もはや治すことは出来なくなるのです)脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が殆ど寝たきりの状態になっている為、これまでの人生で何度となく体験して身体に浸み込んでいるような「言葉」や「テーマ」、或いは「状況」に対しては或る程度の対応が出来るのですが、折々に直面する新しい状況や身体に浸みこむほどの経験が無いテーマに対しては、理解することも対応することも出来ないのです。精神科医が「アルツハイマー型認知症」であると診断する第一の要件である「重度の記憶障害」の症状は、「認知」能力それ自体の低下の進行と「記銘」、「保持」及び「想起」の機能が極めて不十分にしか働かない為に起きてくるものなのです。脳の司令塔の「前頭葉」が、殆ど働かなくなっている(寝たきり状態に在る)上に、左脳や右脳や運動の脳も極めて不十分にしか働かない「大ボケ」の段階では、自分の身の回りのことをするセルフケア」にも支障が出てきます。食事をしたり、服を着たり脱いだり、お風呂に入ったり、トイレの後始末をしたりといった、身の回りのことも自分で出来なくなり、日常生活面での介護」が不可欠の状態となるのです

(2) 「重度認知症」(大ボケ)に特有で代表的な症状の8項目

□ 着ている服を脱ぎたがらず、便で汚れた下着をそのまま平気で着ている

□ 風呂に入るのを嫌がり、怖がるようになる

□ 服を正しく着られず、ズボンを頭からかぶったり、上着に足を通したりする

□ 家族の名前を間違えたり、子供を配偶者と間違えたりする

□ 自宅に居ても落ちつかず、外に出て行きたがる

□ 大小便を失敗しても、後の処置や始末ができない

□ 今は昼なのか夜なのかがわからなくて、夜中に騒ぐ

□ 痛んだものを平気で食べ、食べ物でないものを口にする

注)これらの症状が「記憶障害」に起因したものだと主張する、その科学的及び医学的な根拠は何なのか。私たちは、意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしていて、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させてきたその直接の結果として、殆ど機能しえないまでに衰えてきた脳の機能レベルを直接反映しているに過ぎないと主張しているのです。それは、推測や憶測ではなくて、14689例もの生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状である「アルツハイマー型認知症」の症状の解析結果に基づいた主張なのです。

私達が服を着るとき、ズオンであるか、上着であるかを判断し、上着であれば裏表がどちらか、ボタンをかけるタイプかどうか、どのような手順で着ればいいか等を的確に見極めた上で、必要な動作を、適切な手順で的確に行っているのです。上掲の『 服を正しく着られず、ズボンを頭からかぶったり、上着に足を通したりする』と言った症状、「アルツハイマー型認知症」としての症状は、「記憶の障害」が原因で服を正しく着ることが出来ない訳ではないのです。上着とはどういうものであり、どのようにして、どのような手順で着るものなのかを忘れたが為に着ることが出来ない訳ではないのです。「前頭葉」の三本柱の機能の中でも最も高度な機能であり最も早く衰えて行く機能である「注意の分配力の機能」(異なった「テーマ」を同時に並行して処理する為の機能)が殆ど機能しないまでに機能低下してきていることが直接及び中核の原因で、加えて、左脳、右脳及び運動の脳までもが廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させてきたことが直接の原因で、『服を正しく着ることが出来ない』だけなのです。『家族の名前を間違えたり、子供を配偶者と間違えたりする』という症状も同じことなのです。「子供を配偶者と間違える」のは、記憶障害に起因している症状ではなくて、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを反映しただけのもの、就中、『注意の分配力の機能が、殆ど働かないレベルにまで、廃用性の機能低下の進行により機能が低下してきている』為なのです。

「DSM-4」の規定が「第二の要件」で確認を要求している失語、失認又は失行の症状(「大ボケ」の段階の更に後半の段階、MMSEの得点が一桁になるまでに「前頭葉」を含む脳全体の機能の機能レベルが衰えてきて初めてこれらの症状の発現が確認される極めて「重度の症状」なのです)も『服を正しく着ることが出来ない』症状の事例で説明したのとまったく同じメカニズムの下で発現してくるものなのであって、『「記憶障害」に起因して、それらの症状が発現してきている』との考え自体が、重大な誤り、誤解に基づく単なる憶測なのです。

「アルツハイマー型認知症」としての症状は、「記憶障害」に起因した症状だとする考えは(典型例で言うと「DSM-4」の規定が、第一の要件としてその確認を要求している訳なのですが)、科学的、医学的及び論理的な根拠があるものなのではなくて、死後の脳の解剖所見に見られる老人斑(アミロイドベータ説神経原線維変化(タウ蛋白説、或いは脳の萎縮(脳の萎縮説を犯人と決めつけていて、加えて、外観から観測し、推測し、憶測しただけの症状らしきものを根拠としているだけの仮説、肩書に物を言わせただけの主張に過ぎないのです。「器質的な病変」とか、「記憶障害に起因」したものとか言うトラウマに凝り固まっていて、肝心要の要件である、『「前頭葉」を含む脳全体の機能低下』と言う視点及び『廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行』と言う要因を見落としてしまっているのです。

&3 三段階に区分される「アルツハイマー型認知症」の症状の特徴

(1)   標語的な表現による全体としての特徴

ⅰ)「小ボケ」の段階の特徴

上掲の症状の類型にも観察されるように、「小ボケ」の段階の特徴を一言、簡潔な表現で語れば、「指示待ち人」なのです。

ⅱ)「中ボケ」の段階の特徴(6~4歳児のレベル)

上掲の症状の類型にも観察されるように、「中ボケ」の段階の特徴を一言、簡潔な表現で語れば、「言い訳のうまい幼稚園児」なのです。

ⅲ)「大ボケ」の段階の特徴(3~0歳児のレベル)

上掲の症状の類型にも観察されるように、「大ボケ」の段階の特徴を一言、簡潔な表現で語れば、セルフケアも出来なくて、日常生活面での介護が不可欠となる状態、「脳が寝たきり」の状態にあるのです。

(2) 症状の回復(症状が治せる)とその可能性

世の中では、「アルツハイマー型認知症」の症状を発病したお年寄りの為の薬として、それらの代表的なものである「アリセプト」を含む4種類の薬が医療現場では処方されています。但し、それらの薬のいずれもの薬が、症状を治す(改善させる)効能は有していなくて、言い換えると、治療薬ではなくて、対症療法薬(すべての患者に効能が期待できるのではなくて、ケースによっては、症状の進行を半年から1年、遅らせることが期待できるものとするのが、製薬会社自体の謳い文句)として製造されているのです。私たちは、&2で取り上げ、説明する「生活要因」の存在から、それらの治療薬は主張する効能との間に要求される因果関係自体が存在しないと考えているのです。それらの治験の評価段階で、私たちが独自に発見した要因である「症状の継続期間と脳の老化のスピード差をもたらす生活要因」の存在について無知であるが為に、「因果関係の不存在」という真実の実態を見落としているだけのことなのです(誤った評価をしている)。

私達が独自に発見し、住民参加型の「地域予防活動」の活動の柱(根拠)として実践してきた「アルツハイマー型認知症」の症状を治す方法である「脳のリハビリ」(「前頭葉」を含む脳全体の機能を活性化する「生活習慣」の改善、工夫及びその実践)による回復(「アルツハイマー型認知症」の症状を治すことを言う)の可能性と言う視点から、「アルツハイマー型認知症」の症状を三段階に区分しているのです。

「小ボケ」の段階 「脳のリハビリ」により治すこと(「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを正常なレベルに回復させることを言う。以下、同じ)が容易

「中ボケ」の段階 「脳のリハビリ」により治すことが未だ可能

「大ボケ」の段階 「脳のリハビリ」により治すことが最早困難

&4 症状の継続期間と脳の老化のスピード差をもたらす要因

下記注)に例示するような「生活状況」の発生が「キッカケ」となり、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まり、半年から1年の経過により(ナイナイ尽くしの単調な生活習慣の内容とその程度及び本人の受け止め方に起因した意欲の喪失の程度並びに周囲の家族の関わり方の程度等の要因により、発病までの期間の差が出てきます)、「アルツハイマー型認知症」を発病することになります。発病してから3年間「小ボケ」の期間、「中ボケ」の期間が23年間続き、発病してから56年経つと「大ボケ」になる」というのが大原則であり、判定の標準的な指標となります。

「大ボケ」のレベルになると、正常レベルへの回復を期待することはもはや困難となります。その「大ボケ」のレベルの中で、運動の脳や右脳を刺激する「生活改善」により或る程度の改善がみられることはありますが、「中ボケ」レベルへの改善の見込みさえも極めて低いものになってしまいます。ここまで「前頭葉」を含む脳全体の機能についての廃用性の機能低下が進行してしまうと、右脳や運動の脳は、「大ボケ」の枠の中での或る程度の改善が未だ期待できるのですが、左脳と肝心の「前頭葉」の機能の機能レベルが改善できなくなってしまうのです。 とはいえ、「大ボケ」レベルで、右脳や運動の脳を刺激する「生活改善」を試みることさえもなく、介護しているだけの状況下では、症状は更に重いものになっていきます。身体が持つ限り認知症の症状が進行していき、最後は寝たきりの植物人間状態にまで脳の機能が衰えて行くことになるのです。同じ「大ボケ」のレベルといっても、大河の幅のようにその幅は極めて広いものなのです。但し、「大ボケ」レベルでも(MMSEの得点が二けたの段階までであれば)、右脳や運動の脳を刺激する「生活改善」を実践していれば、症状の進行はそれだけ緩やかなものになることが期待できるのです。

「小ボケ」や「中ボケ」のレベルの間であれば、脳の使い方としての「生活習慣」の具体的な影響により「前頭葉」の「三本柱」の出番が増えたり減ったりする中で、脳の機能レベルの顕著な「改善」や「低下」が見られるのです。言葉によるコミュニケーションが可能なので、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の改善、工夫と実践)の意味を本人が理解できるので、家族の支えと後押しがあれば、「脳のリハビリ」を続けることができるからです。また、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されているように見えてはいても、実際の生活場面や実態を詳細に聞き取ってみると、それなりに「プラス要因」の生活が入り込んでいたり、逆に「マイナス要因」の生活が入り込んでいたりするものなのです。上述の基準に適合しないケースは、下図に例示する「プラス要因」と「マイナス要因」の「生活習慣」の質と量とが「前頭葉」機能に働いて、「アルツハイマー型認知症」の症状の更なる進行や回復に影響を与えているのです。

私たちが独自に開発した「二段階方式」の手技を活用するときは、定期的に「前頭葉」の機能レベルを「かなひろいテスト」により及び「左脳と右脳」の働き具合をMMSEという神経心理機能テストで測定し、脳全体としての機能レベルを判定した上で、「30項目問診票」により認知症の症状を聞き取ることにより「生活の自立度」を判定し、更には、「キッカケ」の発生を契機として始まったナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」としての「生活実態」の聞き取り(「生活歴」の聞き取り)から、その期間中の脳の使い方としての「生活習慣」を具体的にチェックします。「二段階方式」では、神経心理機能テストによる定期的な脳の働き具合(「前頭葉」を含む脳全体としての機能レベル)の総合的な判定結果を、「改善」、「維持」、「低下」の三段階に区分し判定します。そして、対象期間中の「生活習慣」を脳の機能レベルの判定結果と照らし合わせるのです。「改善」、「維持」、「低下」の各々のケースについて、その人の脳を活性化させるような「生活習慣」としての生活実態があったのか、プラス要因やマイナス要因がどのように入り混じっていたのか、或いは、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続したままだったのか等を詳細にチェックするのです。そうした判定によると、脳の機能レベルの推移(改善、維持、低下)と対象期間中の脳の働き具合を支える「生活習慣」としての生活実態とは、必ず合致していることが分かるのです。それは、「アルツハイマー型認知症」の本態が廃用症候群に属する「生活習慣病」であるからこそ成立することであり、アミロイドベータやタウ蛋白の蓄積とは無縁のものであることの証拠でもあるのです。

そうした極めて多数の事例の分析とデータの積み重ねから、上記「老化のスピード差」の期間が導き出されているので、この「小ボケ」、「中ボケ」の期間は標準的な指標となるのです。ところで、「大ボケ」の期間というものは存在しません。「大ボケ」の段階にまで症状が進行してくると(「前頭葉」を含む脳全体の機能についての廃用性の加速度的で異常な機能低下がそこまで進行してしまうと)、身体がもつ限り(老衰により及び他の何らかの病気が原因で、死を迎えることになるまで)、『「大ボケ」の枠の中で、症状が更に進行していくことになる』だけなのです。その意味で、末期の段階である「大ボケ」の段階の症状が確認されるお年寄りを家族が介護する、所謂「家族介護」は、絶対に制度化すべきではないのです。家族に計り知れない負担(精神的負担、肉体的負担、経済的負担及び自分の人生を脇において介護するだけの人生と言う負担)を強いることとなり、「老々介護」や「認認介護」や「介護離職」と言った「有ってはならない社会現象」を生み出すことになるからなのです。

上述の指標となる標準的な期間と実際の個別ケースの期間との間に差異があるときは、「プラス要因」と「マイナス要因」とが複合して「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの変化に影響を与えているのです。その実態を丁寧に確認する作業がとても重要なのです。こうした多数のデータの積み重ねから、専門家達から原因も分からないし治らない病気とされている「アルツハイマー型認知症」を発病する原因は、「加齢」(「第二の人生」を送っている、60歳を超える年齢の「高齢者」であること)が第一の要因であり、その年齢条件の下での脳の使い方としての「生活習慣」(生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」)の継続が第二の要因であることが分かってきたのです。

この場合、どのような「キッカケ」が「前頭葉」を含む脳全体の機能の廃用性の機能低下をもたらす要因としてのナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」を惹起させることになるのかについては、標準的なものを類型化して導き出すことはできるのですが、絶対的なものはなくて、あくまで相対的なものだということが留意すべき重要なポイントです。「キッカケ」となりそうな出来事の発生や生活状況の変化を個々の本人の「前頭葉」がどのように評価したのかが、「前頭葉」の「三本柱」の意欲、注意の集中力及び注意の分配力の働き具合に直接影響するからなのです。「キッカケ」の発生を契機として意欲を喪失してしまい、ナイナイ尽くしの「単調な日々」としての生活習慣が始まり継続することが、「アルツハイマー型認知症」の発病に直結していくことになるのです。

 更に、「小ボケ」と「中ボケ」のレベルであれば、日々の「生活習慣」の改善により、正常レベルへの脳機能の回復が可能であることが分かったのです。但し、「大ボケ」のレベルにまで脳の機能が衰えてしまった人達は、「中ボケ」レベルへの機能の回復さえも期待できないことも分かったのです。「大ボケ」のレベルに在るお年寄りは、「前頭葉」を含む脳全体の機能が極めて異常なレベルに低下したレベルに在ることに加えて、「前頭葉」及び「左脳」の異常なレベルへの機能低下によりコミュニケーション自体が殆ど機能しないので、本人が「脳リハビリ」の意味も目的も理解できなくて、「脳のリハビリ」自体が実行できないからなのです。従って、「アルツハイマー型認知症」の場合は、早期発見(「小ボケ」及び「中ボケ」の段階での発見)と早期治療(「脳のリハビリ」)が極めて重要だということなのです。猶、ここで言う「治療」とは、「前頭葉」の出番が増えて、脳全体の機能が活性化するような脳の使い方としての「生活習慣」の改善、工夫及びその実践のことを言います。飲む(貼る)だけで「前頭葉」を含む脳全体の働き具合を回復させる効果が期待できるような/症状の進行を抑制し又は防止する効果が期待できるような薬は、この世の中には存在するはずがないし、開発されることも未来永劫有り得ない事なので注意してください。

現在、殆どの医療機関で行われているような、「重度の記憶障害」の症状並びに「失語、失認又は失行」の症状を基準にして診断する方法では、回復困難な「大ボケ」の段階でしか「アルツハイマー型認知症」の発病を見つけることは出来ないのです。回復可能な本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」と「中ボケ」の段階)を見逃してしまうと、回復の見込みはなくなり、「介護するだけ」の対応しか残されていないのです。

 単調な生活が始まる「キッカケ」となる生活状況の類型

既に説明したように、「出来事の発生、或いは、生活状況の変化」に対する受け止め方が人によって違うので、一概には言えないのです。新たなテーマを見つけて、それ迄と変わらず、それなりに生き甲斐や目標がある楽しい生活を続ける人もいれば、立ち上がる「意欲」を喪失してしまい、生き甲斐や目標もない、趣味や遊びや人づきあいも楽しまない、言い換えると「前頭葉」の出番が極端に少ない生活に変わってしまう人も少なからずいるのです。私たちが「脳機能データ」として集積した多数の症例から言えば、「キッカケ」の類型としてまとめたものは、「ナイナイ尽くしの単調な生活」が始まるキッカケ」となる可能性が比較的高いと言えるということなのです(「キッカケ」については、ここを「クリック」して下さい。

但し、こうした具体例のような「生活状況」がそのまま「キッカケ」になるかどうかは人それぞれなので、一概には言えないのです。私たちがまとめてみた「キッカケ」の類型は、ほんの一部であり、これと言った限定されるような性質のものではないのです。そうした「生活状況及び環境の大きな変化」や「生活上の重大な出来事の発生」が、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が開始される「キッカケ」となるかどうかは、そうした変化に遭遇した本人の受け止め方」次第ということなのです。本人にとっての生活に占める重要度と痛手を感じる深さ次第で、影響が変わってくることに注意してください。ある程度重要なものに見えても、本人の痛手が小さければ「キッカケ」にならないし、周りからみてそれ程重要そうでなくても、本人の痛手が大きければ「キッカケ」になるのです。そのことが、「アルツハイマー型認知症」を発病する「お年寄り」の年代別の発症率が高い理由なのであり、高齢になるにしたがって発症する割合が高くなっていく理由でもあると考えられるのです。

&5 アルツハイマー型認知症の正体(発病のメカニズム)

誌面の許されたページ数の都合で、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムについての概略を記すにとどめます。

様々な種類が数有る認知症の内の90%以上の割合を占めているのが「アルツハイマー型認知症」なのです。従って、認知症を発症しているお年寄り達の場合、その大半は、「アルツハイマー型認知症」を発病しているお年寄りと言うことになる訳なのです。ところが、その肝心の「アルツハイマー型認知症」については、『発病のメカニズムが分からないし、発病自体を予防したり、或いは、症状の進行を抑制したり、更には、症状を治すことについて、その方法が全くのこと不明』とされてきているのです。これが、世界中の認知症の専門家とされる人達(学者、研究者、医師達)や権威があるとされる世界中の研究機関や世界的な大手の製薬会社の一致した見解でもあるのです。その見解の内容は、誤ったものであるにもかかわらず、権威があるというだけの理由で、世界中に浸透しているということなのです。それがために、『真実を言うと、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症こそが、発病を予防することが出来るし、治すことが出来る認知症の典型であるにもかかわらず、発病を予防することが出来ないし、治すことが出来ない』とされてきているのです。

そうした状況の中で唯一、私たちだけが、『「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であって、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」に起因した病気であり、発病自体を予防することが出来るし、早期の段階で見つければ治すことが出来る』と主張しているのです。但し、権威があるとされる人達や機関の主張が「因果関係」の立証が為されないままでの、単に「観念的」で「概念的」な主張(仮説)であるのに対して、私たちの主張は、私たちが独自に開発した神経心理機能テストである「二段階方式」という「手技」を活用して集積してきた14689例にも上る極めて精緻な「脳機能データ」の解析結果(発病のメカニズムの裏付けとなるデータ)と北海道から九州に至るまでの全国452を数える市町村での住民参加型の「地域予防活動」と言う、対象を「アルツハイマー型認知症」に特化した『発病自体の予防と早期診断による回復とを明確な目的とした実践型の活動』の成果に基づいた、「実証が伴った主張」でもあるのです。

そして、認知症について権威があるとされる世界中の認知症の専門家達から発病の原因(メカニズム)が分からないとされてきている「アルツハイマー型認知症」について、私たちが定義する発病の第一の要件とは、『「第二の人生」を生きている60歳を超える年齢の「高齢者」』であり、発病の「第二の要件」とは、『脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」という機能の廃用性の機能低下(日々の生活面で、使われる機会が極端に少ない状況の下で本来の機能が衰えていくことを言います)の進行、言い換えると、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続という、脳の使い方としての視点で言う「生活習慣」に起因した廃用性の機能低下』という生活要因なのです。ここに定義した「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足されることにより、その「相乗効果」による結果として、「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくこととなり、その先に待っているのが、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化の進行ということなのです。そこには、認知症の専門家とされる人達が唱える仮説としての主張に基づくアミロイドベータの蓄積やタウ蛋白の蓄積や脳の萎縮とは無関係の世界が厳然と存在しているのです。

「アルツハイマー型認知症」発病の原因は、アミロイド・ベータの蓄積でもなく、タウ蛋白の蓄積でもなくて、脳の使い方としての「生活習慣」、「前頭葉」の出番が極端に少ない、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続ということなのです。「第一の要件」を満たしていても「第二の要件」を満たしていなければ、発病の要件が同時に充足されてはいないので、発病することは無いのです。すなわち、60歳を超える年齢のお年寄りであれば誰でも「アルツハイマー型認知症」を発病する訳ではないということなのです。逆に、「第二の要件」を満たしていても「第一の要件」を満たしていなければ、発病の要件が同時に充足されてはいないので、発病することは無いのです。すなわち、30歳代~50歳代の若い年齢の人達が、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」を日々継続させていても、「アルツハイマー型認知症」を発病することは無いということなのです。

 その最初の段階が、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階であり、次いで、「中等度認知症」(中ボケ)の段階があって、最後に、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階が待っているということなのです。私たちが、「アルツハイマー型認知症」の症状を上述の「三つの段階」に区分するのは、その区分自体に極めて重要な意味があるからなのです。此処で再度問題を提起しておきたいのですが、「小ボケ」の段階で見つければ、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の改善と実践の方法であって、「前頭葉」を含む脳全体の働きが活性化する「生活習慣」への改善とその継続的な実施のことを言います。以下、同じ)により、正常な機能レベルに改善させる(認知症の症状自体を「治す」)ことが容易であり、「中ボケ」の段階で見つければ、「脳のリハビリ」にり治すことが未だ可能であり、「大ボケ」の段階で見つけて居たのでは、見つけてももはや遅すぎる、治すことが最早困難なのです。 

末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけるということは、厳しく糾弾して言えば、医療機関が不条理で高額な売り上げを稼げるという意味以外に何の意味もないのです。私たちの「二段階方式」のような、保険点数が極めて低い(少額の売り上げしか稼ぐことが出来ない)ものの、極めて精緻な判定ができる「手技」を活用して、本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」までの段階で見つけて、「脳のリハビリ」を施せば治すことが出来ることには何の興味も関心も示さないで居て(無関心で居て)、高額の保険点数により高額の売上高を稼げはしても、本当の意味での早期の段階では見つけることが出来ない方法であり、使用自体に意味がないCTやMRIやf-MRIや、果てはPET等の機器を使用して、おまけに、もはや治すことを期待できない(不可能)末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけているのが医療現場の実態なのです。更なる問題点を指摘しておくと、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム及び症状が重症化していくそのメカニズムから言って効くはずもない「」を何種類か処方して、『ケースによっては、症状の進行が緩やかになるかもしれない』とか言って、そもそも効くという根拠自体が極めて疑わしいのに、そのことの根拠を疑うこともしないで、平然と薬を処方してもいるのです。効能についての「因果関係」の確認に関する具体的な問題点を指摘すれば、「アルツハイマー型認知症」の症状が進行するメカニズムについて、「薬」を開発した製薬会社自体が知らない別の要因、私たちが主張する「生活要因」が存在するのです。

ボケる人とボケない人とを区分ける条件とは何なのか。それが、私たちが発病の「第二の要件」として定義しているもの、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因した廃用性の機能低下と言う要因の存在なのです。私たちが定義する「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足される条件下で、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくこととなり、その先に、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化の進行が待ち受けているだけのことなのです。発病の原因としての「器質的な病変」は存在していないし、様々な程度及び態様により発現してくる症状は、「記憶障害」に起因したものでもないのです。加えて幸いなことに、発病自体を予防することが出来るし、治すことも出来るタイプの認知症である、それが、「アルツハイマー型認知症」なのです。

症状を治すには、薬は全く関係が無くて、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で見つけて、「脳のリハビリ」を実行することが唯一の処方箋になる』のです。『発病自体を予防するには、薬は全く関係が無くて(アミロイドベータを脳内から除去したり、脳内で解消させることとは無関係であり)、脳の使い方としての「生活習慣」の改善及び工夫とその実践を目的とした住民参加型の「地域予防活動」の展開が唯一の処方箋になる』のです。我が国の全ての市町村で、且つ、出来るだけ小さな地域単位ごとに、出来るだけ密な形と内容での住民参加型の「地域予防活動」を展開することにより、「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防を徹底し、更には、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で見つけて、「脳のリハビリ」の実行により治すことが出来るようになれば、何等かの理由により早期の段階で見つけられなくて、末期の段階である「大ボケ」の段階にまで症状が進んでしまったお年寄りを「介護保険」の適用で手厚く介護することが出来るようになるのです。そうすれば、「老々介護」と言う状況も「認認介護」と言う状況も、更には、「介護離職」と言う状況も、我が国の社会状況からは消えていくことになるのです。様々な種類が数有る認知症の内の90%以上の割合を占めている『「アルツハイマー型認知症」こそが、発病を予防することが出来るし、早期の段階で見つければ治すことが出来るものである』にも拘わらず、『発病の原因が分からないし、治すことが出来ないし、発病の予防も出来ない』とかのお題目を唱えつつ、CTやらMRIやらSPECTやら、果てはPETまでも持ち出して、極めて高額な診療費を要求するだけで、治すことが困難である末期の段階、私たちの区分で言う「大ボケ」の段階で見つけて居るのです。その上、因果関係の確認がずさんなだけで、効きもしないのに、『治すこと自体は出来ないが、ケースによっては、半年から1年程度、症状の進行を遅らせる効果が期待できる』とかのお題目で効きもしない薬を処方しているのが医療現場での実態なのです。加えて再度指摘し問題提起しておくと、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」が本態である「アルツハイマー型認知症」の場合は、発病自体を予防したり、或いは、症状を治したり/症状の進行を抑制したりする効能がある「薬」の開発は、予防薬であれ、治療薬であれワクチン療法であれ、未来永劫有り得ない事なのです。

注)本著作物「Bー90」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHP左の部分をクリックしてください)

 

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アルツハイマー型認知症の発病のメカニズムと学説の検証(B-89)

2017-09-01 | アルツハイマー型認知症発病のメカニズム

  成人するまでが20年、成人してから「第一の人生」が終わるまでが約40年

 定年退職してからお迎えが来るまでの「第二の人生」が20~30年!!

 これが世界でも稀な「超高齢化社会」を実現した我が国日本における 私たちの一般的な一生の工程表なのです。その第二の人生を謳歌することもなく、早々と「アルツハイマー型認知症」を発病する人達が数多くいるのです。

 様々な種類が数有る認知症の内の90%以上の割合を占めている認知症であり、皆さんが普段よく目にしている認知症であり、「高齢化率」が30%~40%を超えると言った市町村では、毎朝、毎晩のように、家を出たまま行き先が分からなくなったお年寄り(いわゆる、徘徊老人)を探す役場のスピーカーが近隣に呼びかけているのが常態化しているのです。発病の年代別比率はと言うと、60歳代のお年寄りの12%、70歳代のお年寄りの30%、80歳代のお年寄りの50%、90歳代のお年寄りの75%、加齢の極まりである100歳代では97%にもなるのです(但し、この数値は、厚労省が発表している末期の段階の「大ボケ」の段階のお年寄りだけの数値ではなくて、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の全ての段階のお年寄り達の人数の総計であることに注意してください)。このように、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、「超高齢化社会」だけに特有の現象、超高齢化社会特有の「落とし子」と言えるものなのです。ところがその肝心の「アルツハイマー型認知症」については、認知症の専門家と称する研究者も学者も医師も、誰もが皆無知なのです。中に一体何が隠されているのか、或いは何が有るのかも知らなくて、外側から(外観から)、あれこれと類推して、推測や憶測に基づいただけの内容を、如何にも意味ありげに、権威だけを振りかざして、『「アルツハイマー型認知症」は、発病の原因が分からないし、症状を治す方法が分からないし、発病自体を予防する方法もわからないタイプの認知症である』としつつも、その一方では、主張している内容と発病との間の「因果関係」の立証と言う最も重要であるはずのテーマはどこかに置き忘れていて、声高に、様々な「仮説」を主張しているだけなのです。今日は、その化けの皮を一つ一つ、剥がしてみようと思い立ったのです。これは、単なる批判なのではなくて、極めて重要な問題提起なのです。私達には発信力もないし、権威も無いのですが、『主張している内容や根拠は、私たちこそが正しいし、実績もある』のです。

(プロローグ)様々な種類が数有る認知症の内の90%以上の割合を占めていて、世界中の認知症の専門家達(学者、研究者、医師)から、『発病の原因が分からないし、症状を治すことが出来ないし、発病自体を予防する方法が見つからない』とされている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の発病者数が、最近の報道記事によると、世界全体では5000万人近くに上っており、米国では1000万人を超えていて、我が国だけでも600万人近くいるということなのです。

この数字を目にされた皆さんは全員がその数の多さに驚かれると思うのですが、そんなことで腰を抜かさないでいただきたいのです。実はこの数は、「アルツハイマー型認知症」の末期の段階、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階の症状が発症しているお年寄り達の推定値に基づく数なのです。「アルツハイマー型認知症」には、「脳のリハビリ」と言う方法により治せるかどうかと言う区分で言うと、治すことが比較的容易な段階である「小ボケ」(軽度認知症)、治すことが未だ可能な段階である「中ボケ」(中等度認知症)及び治すことが最早困難となる段階である「大ボケ」(重度認知症)と言う「三つの段階」があるのですが、世界中の認知症の専門家と言われる人達(学者、研究者、医師)がそのことに気が付いていない(見落としている)だけなのです。「アルツハイマー型認知症」の専門家とは名ばかりで、生きた人間ではなくてマウスのおしりを追い掛け回していたり、外観からの症状、重度の「記憶障害」に起因したものらしき症状(或いは最近では、Mild Cognitive Impairment「MCI」とか言う概念を持ち出して、軽度の「記憶障害」に起因したらしき症状)ばかりを見つけては、分かってもいないのに肩書に任せてまとめただけのものを発表していたりするのです。ついでのことに言及するのですが、この「MCI」という概念と言うか基準は、「加齢」に起因して発現してくる症状、言い換えると「脳の老化現象」との区分けさえ十分に出来ていないような代物に過ぎないのです。私たちが発病の「第一の要件」として定義しているように、「加齢」という要素は「アルツハイマー型認知症」発病の重要な要素の一つではあるのですが、『年を取れば誰もが「アルツハイマー型認知症」を発病する訳のものではない』ことは、実態面からも世の中の常識という面からも極めて明白な事実なのです。私たちが発病の「第二の要件」として定義している要素、『ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続』に起因した「前頭葉」を含む脳全体の加速度的で異常な機能低下という、脳の使い方としての「生活習慣」に起因した廃用性の機能低下という要件と第一の要件との同時存在(二つの要件を同時に充足すること)が発病には不可欠の要件となるのですから。ところが、「MCI」の基準(規定)には、加齢以外の要素としての発病の要件を規定した客観的な要件/条件が記述されてはいないのです。何処の誰がこのような規定(基準)を言い出したのかは知らないのですが、極めて粗雑な規定内容であるとしか言いようがないのです(腹が立ち、苛立ちを覚えるのですが、この程度にしておきます!)。

ところで本題に戻るとして。驚かないでください!生きた人間の意識的な世界に着目して、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」(「前頭前野」を言うものとする。以下、同じ)を含む脳全体の機能レベルとその機能レベルに厳密にリンクした症状並びに症状が発現してくる源である過去数年間の「生活歴」(脳の使い方としての「生活習慣」)と言う視点から、私たちが独自に開発した神経心理機能テストである「二段階方式」の手技を活用して14689例にも及ぶ精緻な「脳機能データ」を集積し、解析し、理論化し、体系化した私たちの推計では、「脳のリハビリ」により、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを正常なレベルに回復させることが出来る(認知症の症状を治すことが出来る)という意味で言う所の、言い換えると、本当の意味での早期の段階」である「小ボケ」及び「中ボケ」の数を併せると、その数は、「脳のリハビリ」により最早治すことが期待できない、言い換えると、末期の段階である「大ボケ」の数の2倍にもなるのです。専門家と称してはいても、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルと言う「視点」も無ければ、それを精緻なレベルで判定し、鑑別する「手技」を持っていない為に、「小ボケ」の段階に特有な症状及び「中ボケ」の段階に特有な症状が「アルツハイマー型認知症」の症状であることを知らないで(気づかないで、見落としていて)、それぞれを「不活発病」と名付けて満足していたり、「老化現象」と間違え/勘違いしているのです。「脳のリハビリ」により回復させることが可能な「アルツハイマー型認知症」の本当の意味での早期の段階であることに気づかないで居て、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続された儘で放置されていると、「小ボケ」は「中ボケ」に、「中ボケ」は「大ボケ」へと症状が進んで行ってしまうのです。「大ボケ」は、「脳のリハビリ」による回復はもはや困難な段階であり、日常生活面での「介護」が不可欠となるのです。その意味で、「小ボケ」及び「中ボケ」の段階のお年寄りは、「要介護の予備軍」でもあるのです。発病自体を予防することもなく並びに小ボケ及び中ボケの段階で見つければ治せるのに、放置された儘で居るが為に、600万人近くの大ボケの段階の日常生活面での「介護」が不可欠の状態に在る「お年寄り達」が我が国には居るということなのです。

ところで、「アルツハイマー型認知症」については、米国精神医学会が策定した「DSM-4」の規定が世界で最も権威が有る(実は、権威が有るだけで、内容的には間違い)とされていて、我が国だけでなく世界中の認知症の専門家達はその規定の内容を基にして、発病の原因(機序)を考え、或いは、発病の有無を考え、症状の程度を考え、治療や予防薬の開発の方法を考えようとしているのです。この規定の内容が正しいものなのであれば、それらは正しい対応と言えるのですが、実は、この規定こそが“諸悪の根源”なのです。この規定の第一の要件も第二の要件も共に重大な内容の誤りを規定したものだからなのです。第二の要件は、「アルツハイマー型認知症」の発病者であるとの診断を行うに際しては、失語、失認又は失行(規定上は、「又は、実行機能の障害」とある)の内のいずれかの症状が確認されることを要求しているのです。失語、失認、失行の症状は、実は、「末期の段階」であり、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階の中でも更に後半にならないと発現が確認できない症状(30点が満点であり、14点以下になると「大ボケ」の段階と判定されるMMSEの得点が、一桁にならないと発現が確認されない症状)、言い換えると、極めて重度の症状なのです。上述した「アルツハイマー型認知症」の発病者数とは、そうした段階の症状(極めて重度の症状)が確認される人達だけのことを指しているのです。認知症の専門家達とはいっても、「DSM-4」の規定に金縛りにあっていて、その規定の内容を微塵も疑ってはみない人達なのです。この重大な誤りを内包する規定内容の信望者達なのです

私たちは、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の特徴である、『脳が壊れてもいない』のに、言い換えると、『何等の「器質的な病変」が存在してもいない』のに及び『「記憶障害」に起因している訳でもない』のに、私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行しようとする際に様々な程度及び態様での支障が出てきて、自分が置かれている状況の理解と判断、実行内容の計画、実行手順の組み立て、実行結果のシミュレーションとシミュレーションに基づく必要適切な修正、最終的な実行内容及び方法の選択、実行の決定と決断、或いは、手足となって協働する脳の各部(左脳、右脳及び運動の脳)に対する実行の指令等の実行機能の発揮(Executive function)に関わる「前頭葉」を含む脳全体としての認知機能の発揮度に重大な支障が伴うこと(認知症の症状が発現してくること)に着目してきたのです。こうした視点と研究態度は、世界広しと雖も、私達がOnly oneなのです。

 認知症の専門家達とは言っても、我が国を代表する研究機関である理化学研究所、我が国を代表する大学である東京大学や京都大学に所属する研究者や学者達とは言っても、皆さん、マウス(アミロイドベータを注入した「アルツハイマー・マウス」を含む)が餌を探して檻の中を歩き回る行動に関わるマウスの行動の記憶とか、その障害となる物質とかを日夜研究していて、そのデータに基づく推論(憶測)に基づいた「仮説」を組み立て、発病との間の因果関係が未だに実証されてもいないその仮説、推測、推論、或いは憶測に基づいた主張を発信し続けている程度でしかないのです。但し、我が国での権威が極めて高い組織に属する人達でもあるので、その発信力が私たちの組織のそれとは比較にならない程だということなのです。内容的にはそれらを圧倒しているのですが、発信力では、私たちは、負けているのです。内容さえ正しければ良いということにならないところが、こうした医学の世界、病気の解明と言う世界でも存在していることに驚くのです。因果関係を無視したそれらの主張が、世間では、権威を持って罷り通っているのです。それが、現実の社会なのだとは言え。

逆に言うと、それだけの権威が有り、発信力がある訳なのだから、その社会的な責任についてもっと自覚を持っていただきたいのです。何時まで、誤りだらけの情報を発信し続けるのかと言いたいのです。そこで、今日のこのブログでは、権威がある、社会的な発信力が有るとされる人達、「アルツハイマー型認知症」研究の最高権威の人達の主張が、どれだけの根拠も無く声高に主張されただけの空想物語に過ぎないものであるかを、逐一検証して、彼等だけでなくて皆さんに対しても、「問題提起」したいと考えるのです。権威とは名ばかりで、内容のレベルはと言えば、根拠のない推論、空想、憶測の吹き溜まりに過ぎない、その代表格、それが世界的な規模で、且つ、天文学的な規模の人数での発病が危惧されている『アルツハイマー型認知症』の発病原因の究明及び未来永劫達成されることは有り得ない治療薬/予防薬の開発並びに「脳のリハビリ」により回復させることが可能な本当の意味での早期の段階の症状(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階の症状)ではなくて、CTやMRIやSPECTや果てはPET迄持ち出して極めて高額の診察費を稼ぎ出していながら、末期の段階であり回復させることが困難な「大ボケ」の段階の「前半の段階の症状」を見つけることを「早期診断」と称しているのが、医学界の現状であり/製薬業界の現状であり/医療現場の実態なのです。

&1「アルツハイマー型認知症」を発病する対象は、高齢者だけなのです

(1)  働き盛りの若い年齢で「アルツハイマー型認知症」を発病する

昨年の年末の特番を含め過去数年間にNHKが何度も特番を組んで高視聴率を上げてきたテーマである『働き盛りの若い年齢の人達の間で、「アルツハイマー型認知症」を発病する人達が増えてきている』との主張/報道内容が誤りであることの検証です。

(2) 検証

テレビの画面に登場してきたその人達の発言の内容、発言の論理、発言の仕方や態度、表情の変化や感情の発露等には、実は、際立った特徴があります。私たち人間だけに備わっている機能であり、「前頭葉」の機能の内でも最も高度な機能である「注意の分配力の機能」が正常な機能レベルで、且つ高度に発揮されていると言う特徴なのです。言い換えると、『「アルツハイマー型認知症」を発病していて、且つ外観面からだけの評価であるとはいえ、重度の「記憶障害」の症状が確認されるまでに「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えてきている人達のそれとは、次元が異なる』と言える程の大きな相違があるからなのです。

突然取り挙げられた何等かの「テーマ」に対して、僅かな時間の内に、極めて理路整然と自分が語る内容を構成することが出来るのです。例えば、周りの人達からの支援が欲しいことは何かとか、逆に支援を望まない事とは何かなどのテーマに対して、『自分が日々どのような日常の生活状況に置かれているか、どのようなテーマや状況に対してどのような支援や支援の在り方を期待するか、どのような分野、或いは内容の対応を期待しないのか』等について、テレビを見ているお年寄り達が驚く程の内容を、自分なりの語り口で、時には感情を発露させて涙しながら、的確に、且つ簡潔に説明することが出来るのです。このことを脳の機能面から説明すると、左脳、右脳及び運動の脳と言う三頭立ての馬車の「御者」、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私達の意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う脳機能の働き具合が、正常な機能レベルに在ることの証拠に他ならないのです。廃用症候群に属する「生活習慣病」を本態とする「アルツハイマー型認知症」の場合には、「前頭葉」の機能が最初に異常な機能レベルに衰えて行くのです。その中でも、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の中で最も高度な機能である注意の分配力の機能から衰えて行くことが特徴なのです。その上、世界的に最も権威が有るとされていて、世界中の認知症の専門家達(学者、研究者、医師)が判定や診断の際に必ず依拠することになっている判定/診断基準であり、米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断基準である「DSM-4」の規定の「第二の要件」が、失語、失認又は失行の症状の確認を要求しているので、テレビに登場してきた人達(テレビに登場してきた『全員が、「アルツハイマー型認知症」を発病していると診断されている』との紹介が、為されています)は、「重度の記憶障害」の症状が確認されていて、加えて、失語か、失認か、或いは失行の症状が確認されている人達と言うことになる訳なのです。「アルツハイマー型認知症」を発病した人達で、重度の記憶障害の症状が確認されていて、なおかつ、失語か、失認か、失行の症状が確認される人達と言うことになれば、私たちが独自に開発した極めて精緻な神経心理機能テストである「二段階方式」の判定基準で言うと、「前頭葉」の機能レベルが異常な機能レベルに在って(言い換えると、「かなひろいテスト」が不合格であるだけでなくて、「注意の分配力」の機能が殆ど機能しないレベルにまで衰えてきている)、且つ左脳、右脳、又は運動の脳の機能も極めて異常な機能レベルに衰えてきている(30点が満点であり、換算値が14点以下になると末期の段階である「大ボケ」の段階と判定されるMMSEの得点が一桁にしかならないレベル)人達と言うことになるのです。

前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させてきたことにより、上述した機能レベルに在る人達、言い換えると、「アルツハイマー型認知症」を発病していて、且つ末期の段階である「大ボケ」の段階にある人達が、テレビに登場してきて、突然提起されたテーマに対して、上掲のような対応が出来るということは絶対に起こり得ない、有り得ない事なのです。肝心の「前頭葉」の機能、就中、「注意の分配力」の機能が殆ど機能し得ないレベルに在るからなのです(その人達に、「かなひろいテスト」を実施すればすぐにそのことが分かるのです)。そこに登場してきて、「アルツハイマー型認知症」を発病していると診断されていた人達は、実は誤診されていた人達、全く別の病気である「側頭葉性健忘症」(新しく経験した出来事の記憶が全くできないという症状を呈するのが特徴)を発症している人達だったということなのです。

外観上から捉えられる両者の共通点は、極めて重度の「記憶障害」の症状(アルツハイマー型認知症の場合は、外観的な「記憶障害」らしき症状)を呈することなのです。実は、この「記憶障害」と言う点についても、専門家と言われる人達が無知であり、誤解しているのです。「アルツハイマー型認知症」の症状が発現する要因として「記憶障害」と言う要素が必要不可欠とするのが上掲した『DSM-4』の第一の要件なのですが、この要件自体が重大な誤りなのです(後述する、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の典型的な症状の類型を「前頭葉」の機能レベルとリンクさせて判定し、鑑別してみれば、容易に分かることなのです)。「DSM-4」の規定の策定者達自身が、『「前頭葉の機能障害」に起因した』と規定すべきものを『「記憶障害」に起因した』ものと誤解して規定しているのです。「アルツハイマー型認知症」の様々な症状には、外観的に単純にとらえてしまうと「記憶障害」に起因したらしき症状がたくさんあるのですが、その内容を脳の機能と言う側面から厳密に判定し精緻に鑑別してみると、「前頭葉」の機能障害に起因した症状が中核をなしていることが分かるのです(発病の最初の段階である「小ボケ」の段階から「中ボケ」の段階を経て、末期の段階である「大ボケ」の段階へと症状が進行していく過程での「前頭葉」の機能レベルの変化を厳密に判定してみれば、「小ボケ「の段階で既に異常な機能レベルに在る「前頭葉」の機能が加速度的に衰えて行き、末期の段階である「大ボケ」の段階になると、「前頭葉」の「個別認知機能」の機能の発揮度及び認知度を左右し/下支えしている「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能、就中、最も高度な機能である「注意の分配力」の機能が殆ど働かないまでに機能低下してきていることが分かるのです)

他方で、「側頭葉性健忘症」の患者の場合には、重度の記憶障害の症状(脳の変性に起因したものであり、新しく経験した出来事の記憶が全く入って行かないという特徴を有する症状)を呈するものの、『肝心の「前頭葉」の機能が正常な機能レベルに在る』ことが特徴なのです。自分が置かれている状況を的確に理解し、判断することが出来、与えられたテーマ(質問)に対する適切かつ的確な回答を、論理的に組み立て、自分なりの表現で、言葉や態度や感情の発露で、的確に表現できる為には、「前頭葉」の個別認知機能の発揮度及び認知度を左右し/下支えしている機能である「前頭葉」の三本柱の機能、就中、「注意の分配力」の機能が、正常な機能レベルに在って機能していることが不可欠の条件となるのです。

注1)「正常老化の性質」の存在と発病の対象となる年齢とは

廃用症候群に属する「生活習慣病」(但し、脳の使い方としての「生活習慣」に起因する病気であることに留意する)である「アルツハイマー型認知症」の発病の要件は、「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」であることが発病の「第一の要件」であり、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続が、発病の「第二の要件」であり、「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足されることによる相乗効果」により、「前頭葉」を含む脳全体の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくこととなり、その先に「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化の進行が待っているということなのです。私たち人間の「前頭葉」の機能には、「生活習慣」の如何にかかわらず、正常な機能レベルを保ちつつも、「加齢」と共に機能が緩やかに衰えて行くという性質、私たちが「正常老化の性質」と呼称する性質が生まれつき内在されているので、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象者は、加齢と共に機能が緩やかに衰えて行くという「正常老化のカーブ」(65歳くらいになると、最盛期である20歳代前半の頃に比べて、機能レベルが半分くらいにまで衰えてきている)と言う問題の存在と加齢にともなうその機能レベルと言う条件から、「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」に限られることになるのです(50歳代での発病は、皆無と言えるほど極めて稀な事なのです)。他方で、「側頭葉性健忘症」の発病者の年齢は逆に、30歳代から50歳代までと言う若い年齢が発病の対象となるのが基本なのです(但し、60歳代を超えて以降も、それ以前の若い年代に比べて僅かな割合とはなるものの、発病者は依然として出現してくるのが特徴です)。

注2) 専門医と言うのは「肩書」だけなのですか?

上掲したような誤診をしている医師は、「アルツハイマー型認知症」についても「側頭葉性健忘症」についても無知なのです。閣僚に任命する人達に対する事前の身上検査でもないのですが、テレビで放映することの社会的な影響の大きさに鑑み、番組を担当しているディレクターは、採用する医師の専門分野だけでなくて、その人の真の実力の程についても、事前のチェックをしておいていただきたいのです。

 &2「アルツハイマー型認知症」の発病者(「大ボケ」の段階の人)に羞恥心及び自尊心は語れないのです

(1)  アルツハイマー型認知症を発病しても羞恥心も自尊心もある

「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクして様々な程度及び態様での症状、私たちの区分で言う三段階の症状が発現してくるものなのです。その症状は、記憶障害に起因して発現してくるものではなくて(「DSM-4」の規定が「第一の要件」に掲げているものなのですが、これは、未だに因果関係が立証されてもいない単なる「仮説」)、私たちが発病の「第二の要件」として規定する要因、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因して、言い換えると、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に起因して発現してくるものなのです。その中核を形成しているものが、「前頭葉」の廃用性の機能低下と言う要因なのです。私たち人間だけに特有な脳機能であり、マウスは愚かチンパンジーやゴリラにさえも備わってはいない脳機能である「前頭葉」には、「評価の物差し」(自分なりの捉え方、観方、感じ方、考え方の基盤となる脳機能を言います。これを別の言葉で言い換えると、「自我:das Ich」。)と言う機能が備わっていて、知覚表象、記憶表象及び想像表象の全てに関わる機能であり、事象及び現象に関わる自分独自の表象並びにそれらを基とした自分独自の表出の源となる機能であって、自分なりの(自分独自の「評価基準」に基づいて)状況の理解と判断、実行すべきテーマの発想或いは何をどのようにすべきなのかを、選択し、決定しているのです。羞恥心や自尊心は、自我を構成している基礎としての機能、評価の物差しの機能発揮による結果として生じてくるものなのです。従って、「評価の物差し」が働いている根底にある「前頭葉」を含む脳全体の機能レベル、就中、「前頭葉」の三本柱の中核の機能である「注意の分配力」の機能の機能レベルと厳密にリンクして発揮される、言い換えると生じてくる感情なのです。その意味では、『日常の様々な生活状況の場面でのその人らしさが失われていくのが特徴』である「小ボケ」の段階で、既にその発揮のレベルは異常なレベルに在って揺らいでいるのであり、誤りだらけの規定である「DSM-4」の規定を疑うこともなく闇雲に信望している認知症の専門家達が「アルツハイマー型認知症」の発病と認めるレベルである失語や失認や失行の症状が確認されないまでも、医師が「アルツハイマー型認知症」の発病と診断するレベルの人達、私たちの区分で言う「大ボケ」の段階の症状が確認されるお年寄りの場合は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベル、就中、「注意の分配力」の機能の機能レベルに照らしてみれば、羞恥心とか自尊心とかは、もはや無縁のものと言うしかないのです。「アルツハイマー型認知症」の発病者である場合、羞恥心や自尊心が機能しているのは、認知症の専門家達からは見落とされている「小ボケ」及び「中ボケ」の段階(但し、「中ボケ」の場合は、その前半のレベルまでの人達)のお年寄りまでなのです。これは、認知症とは全く別の病気である「側頭葉性健忘症」を発病しているにも拘わらず、「アルツハイマー型認知症」(或いは、「アルツハイマー病」)と誤診されている人達との混同が起きている結果としての社会現象なのです。

(2) 検証1(すべては、「誤診」に端を発しただけのものなのです)

もっとも有名な事例と言うか、この誤った社会現象、言い換えると、誤診に基づいた社会現象を世界中に巻き散らかしてきた人なのですが、オーストラリア人の有名なクリスティーンブライデンさんの例があります。彼女は元が政府高官というプロフェッショナルな女性でしたが46歳の若さで「アルツハイマー病」と誤診されただけのことなのです。そもそも、若年発症を特徴とし、生まれつき特定の遺伝子に異常が確認される人だけしか発病することが無い極めてまれなケースである「アルツハイマー病」と老年発症を特徴とし、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に基づく廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因して発病する極ありふれたタイプの「アルツハイマー型認知症」とは、発病のメカニズムも、症状の進行のスピードも、発病する対象年齢も、症状を治すことが出来る/発病を予防することが出来る可能性の面からしても、両者は全く異なるものなのです。

ところが、そのことについても無知な権威だけの医師が、「アルツハイマー病」と誤診しただけのものなのです(正しい診断が行われていたならば、彼女は、「側頭葉性健忘症」と診断されたはずなのです)。更には、「側頭葉性健忘症」と「アルツハイマー型認知症」との区別を知らないだけでなくて、「アルツハイマー病」と「アルツハイマー型認知症」とを混同して居ることにも気づかない、無知でいる医療現場の「誤った診断」が世界中でまかり通ってきているという実情、加えて、彼女の言動や行動や態度や表情のすばらしさが誤解を更に大きく増幅させてしまったということなのです。「アルツハイマー病」と「アルツハイマー型認知症」とが同じタイプの認知症として誤解されているが為に、更には「側頭葉性健忘症」を「アルツハイマー病」(又は、「アルツハイマー型認知症」)であると誤診しているがが為に、「アルツハイマー病」(又は、「アルツハイマー型認知症」)患者の羞恥心とか自尊心とか言うテーマが、現状のように、大きくクローズアップされてきてしまったのです。その後「私は誰になっていくの―アルツハイマー病者から見た世界」を上梓し、この本が『「アルツハイマー型認知症」(「アルツハイマー病」とは本質的に全くの別物であることに注意)を発病している人達の言葉を聞こう、羞恥心や自尊心と言う問題に関心を深めて対応に気を付けよう』という「誤診」に端を発した、誤った社界的な/世界的な流れと活動とを生み出すことになって行ってしまったのです。
彼女は、世界中で、「アルツハイマー病」(「アルツハイマー型認知症」)の発病者からの発言ということで感動的な講演をし続けてきました。ごく最近の様子ははっきりしませんが、発病後も20年間近く上述の「社会活動」を続けたのです。「アルツハイマー型認知症」の発病により、言い換えると、「DSM-4」が規定する「第二の要件」の症状が確認されている人達、「前頭葉」の機能自体が異常な機能レベルに衰えてきていて、就中、「注意の分配力」の機能が異常なレベルに衰えてきて殆ど機能しえないレベルに脳全体の機能レベルがある人達の発言、態度、言動、或いは行動としては、全くのこと有り得ない事なのだということになる訳なのですが(もちろんのこと、生まれつき特定の遺伝子に異常が存在する人だけを対象として発病する「アルツハイマー病」の場合には、「前頭葉」を含む脳全体の機能、言い換えると、認知機能が極めて急速に衰えて行き、数年のうちに寝たきりになるはずのものなので、発病後もずっと「前頭葉」が、就中、「注意の分配力」の機能が正常な機能レベルを維持していて、上述の書籍を著作したり、或いは、講演活動を世界中で行うことが出来た彼女は、「アルツハイマー病」を発症していた訳でもないのです)、肝心の医学会自体がそのことにさえ気づいていないという状況なのです。私たちが独自に開発した精緻な神経心理機能テストである「二段階方式」の手技を活用して集積した、14689例にも上る「アルツハイマー型認知症」の症状の類型の中から、典型的な症状として取り上げている症状を以下に列記しておきますので、参考にしてよく考えてみてください。

(3) 検証2

一口に「アルツハイマー型認知症」の発病者とはいっても、極めて症状の幅が広く、一律に論じること自体がナンセンス(無知と誤解に基づいた発言が専門家とされる人達に多すぎるのが現状なのです)と言うしかないのです。分かり易くするために、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベル並びに「脳のリハビリ」による回復の可能性の有無とその程度とにより私たちが三段階に区分する「アルツハイマー型認知症」の症状の各段階に特有な類型(8種類づつ)を以下に示します。

ⅰ)「軽度認知症」(小ボケ)に特有で、代表的な症状の8項目

□ 発想が乏しくなって、画一的な行動が目立つようになる

□ 何事にも億劫で面倒がり、やろうとする意欲が見られない

□ 一日や一週間の計画が立てられず、なにも思いつかない様子

□ 問いかけに対する反応が遅く、生き生きした笑顔が見られない

□ 根気が続かず中途半端なことを繰り返し、やりかけが目立つ

□ 目の光がどんよりとしていて、普段の顔つきが無表情となる

□ 歩くとき前屈みの姿勢で、小股でトボトボと歩く

□ 自分に自信がなくなり、何かにつけて人を頼ろうとする

ⅱ)「中等度認知症」(中ボケ)に特有で、代表的な症状の8項目

□ 簡単な計算さえもしなくなり、お札ばかりで買い物をするので、やたらと小銭がたまる

□ 家庭内の簡単な用事程度のこともきちんとできない(部屋や洗濯物の整理、食後の片付け、簡単な庭仕事さえもきちんとできない)

□ 自分が飲む2~3種類の服薬管理ができない

□ 服の着方に無頓着で、重ね着が目立つ(セーターの上からシャツを着る。裏表や前後ろに着る)。

□ 入浴時の温度管理が出来ず、体を洗わないとか石鹸がついたまま

□ 料理の味付けが変になる(塩加減が極端に変になる。塩辛すぎて、周りが食べられないようなものを作り、本人だけが平気で食べる)

□ 行き慣れている所に行くのに、スムーズに行けない(行き先の違う乗り物に乗ったり、行き道を間違えたりする)

□ 季節が分からなくなる(夏にセーターなど、季節違いの服を平気で着る)

ⅲ)「重度認知症」(大ボケ)に特有で、代表的な症状の8項目

□ 着ている服を脱ぎたがらず、便で汚れた下着をそのまま平気で着ている

□ 風呂に入るのを嫌がり、怖がるようになる

□ 服を正しく着られず、ズボンを頭からかぶったり、上着に足を通したりする

□ 家族の名前を間違えたり、子供を配偶者と間違えたりする

□ 自宅に居ても落ちつかず、外に出て行きたがる

□ 大小便を失敗しても、後の処置や始末ができない

□ 今は昼なのか夜なのかがわからなくて、夜中に騒ぐ

□ 痛んだものを平気で食べ、食べ物でないものを口にする

「アルツハイマー病」、「アルツハイマー型認知症」及び「側頭葉性健忘症」についての医療現場での診断について、或いは、それらの病気についての発病のメカニズムや症状の内容についての理解についての医学界(医師の理解)のレベルはと言うと、この程度のものに過ぎないのです。この程度の診断が未だに医療現場では罷り通っているのです。不可侵の権威に対する無抵抗の信頼の恐ろしいところなのです。医療現場に携わる医師は、その社会的使命を自覚すべきなのです。

&3「アルツハイマー型認知症」と発病の予防及び症状回復の可能性の有無

(1)  「アルツハイマー型認知症」は、治すことも予防することも出来ない

「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムについては、アセチルコリン説、アミロイドベータ説、タウ蛋白説、脳の萎縮説等様々な説が提唱されてきてはいるのですが、そのいずれもが「仮説」(主張の内容と発病との間の肝心の因果関係を立証できないでいる)に過ぎないのです。Aなのかもしれないという学者もいれば(学派もあれば)、B なのかもしれないという学者もいれば(学派もあれば)、C  なのかもしれないという学者もいる(学派もある)と言う状態なのです。この20年間の間に、丁度あの澱みに浮かぶ泡沫のように、出て来てはいつの間にか消えていくのです。長らくの間通説の地位にあったあのアミロイドベータ説も、アミロイドベータ説の主張に立脚した治療薬の開発に挑戦した、欧米や我が国の全ての大手製薬メーカーがことごとく治験の段階で失敗を認め、開発をあきらめたと言う状況に在るがために、これまでは少数説の地位にしかなかったタウ蛋白説にその地位がとってかわられようとさえしているのです。

(2) 検証

「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の本態は、廃用症候群に属する単なる生活習慣病(但し、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」であることに留意する)に過ぎないのです。廃用症候群に属する生活習慣病を本態とするものであるが故に、それらの機能には『より高度で複雑な機能から先に、且つより早い段階で、廃用性の機能低下が進行していく』という客観的な基準としての規則性が確認されるのです。「前頭葉」、「左脳」、「右脳」、「運動の脳」という順番での加速度的で異常な機能低下の進行が開始され、加えて、MMSEで判定される左脳と右脳の機能の衰え方についても、「MMSE下位項目の項目困難度」という極めて重要で有益な指標が確認されるのです。私たちが問題提起し、鑑別に活用しているこの指標は、「アルツハイマー型認知症」と他の認知症との鑑別並びに認知症と紛らわしい病気との鑑別を行う上で、極めて有意で、有益で、有効で、重要な指標となっているのです。この「指標」が存在する事実からも、「アルツハイマー型認知症」の症状の発現並びに症状の重症化の進行の直接の原因とアミロイドベータの蓄積とかタウ蛋白の蓄積とか脳の萎縮の進行とかは無関係の関係にあることが分かるのです。『言ってしまえば、それらは、原因ではなくて結果に過ぎない』ということなのです(アミロイドベータの蓄積やタウ蛋白の蓄積や脳の萎縮が原因で、「アルツハイマー型認知症」の様々な症状が発現してくるのではなくて、私たちが主張している発病の第一の要件と発病の第二の要件とが同時に充足される状況下で、「アルツハイマー型認知症」を発病した「お年寄り」が、脳は持たないのに身体が持つがために、末期の段階である大ボケの段階にまで症状が進行していき、その上に猶数年間も生きた(「前頭葉」を含む脳全体の加速度的で異常な機能低下が進行していった)結果として、「老人斑」とか、「神経原線維変化」とか、或いは、「脳の顕著な萎縮」とかが発現し、進行してきただけのものに過ぎないと考えるのです。「小ボケ」及び「中ボケ」までの段階で見つけて、「脳のリハビリ」を実践すれば、「アルツハイマー型認知症」としての症状が改善され、或いは治せる訳なのですから。

私たちは、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状について、「脳のリハビリ」(「前頭葉」が活性化する脳の使い方としての「生活習慣」の改善、工夫及び日々の実践)により正常な機能レベルに「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを回復させることが出来る(「アルツハイマー型認知症」の症状を治すことが出来る)可能性の有無及び程度から、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の三段階に症状を区分しているのです。

小ボケ」の段階:「脳のリハビリ」により、治すことが容易

中ボケ」の段階:「脳のリハビリ」により、治すことが未だ可能

大ボケ」の段階:「脳のリハビリ」により、治すことは最早困難

アミロイドベータ説(やタウ蛋白仮説)が言うように、『アミロイドベータの蓄積により生じた老人斑(タウタンパクの蓄積により生じた神経原線維変化)の持つ毒性が、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の大量の細胞死を惹き起こし、そのことに起因して「記憶障害」が惹起される結果として「アルツハイマー型認知症」の症状が発現してくる』ものだとしたら、上述のような本当の意味での「早期の段階」と私たちが区分し位置付ける「小ボケ」及び「中ボケ」の段階であれば、『「脳のリハビリ」により治すことが出来る』と言う極めて多数例に上る実証例の存在をどのように説明できるというのでしょうか。

アミロイドベータの蓄積により(タウ蛋白の蓄積により)形成された老人斑により(神経原線維変化により)細胞死を惹き起こされた神経細胞が、「脳のリハビリ」により生き返ってくることになるという重大な矛盾を惹き起こしてしまうことになるのです。言い換えると,『私たちの区分で言う「中ボケ」の段階の症状が発現してくるまでに、異常な機能レベルにまで機能が低下してきていた「前頭葉」を含む脳全体の機能が、「脳のリハビリ」により、正常な機能レベルにまで機能が回復してくる』と言うことになるのです。「脳のリハビリ」による回復と言う極めて多数の症例の存在という事実により、アミロイドベータ仮説は(タウタンパ仮説は)完全に破綻しているのです。更には、「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防については、北海道から九州に至る広域の452の市町村で、住民参加型の「地域予防活動」として顕著な成果を挙げてきた実績が私たちには有るのです。

&4「アルツハイマー型認知症」の治療薬/予防薬の開発は、未来永劫不可能な事

(1)  「アルツハイマー型認知症」の治療薬/予防薬の開発は可能

テレビや新聞報道により、『「アルツハイマー型認知症」の治療薬/予防薬の開発は可能』との報道が流されるたびに、出来るだけ早期に、国策として我が国の全国の市町村の津々浦々にまで浸透していくまでに実施すべきものである「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復と発病の予防を明確な目的とした住民参加型の「地域予防活動」の制度化の時期が遠のいていくことになってしまうのです。

病気自体の負担の重大さ(本人の人生、介護が不可欠となるまでに症状が進行した親を抱える家族の精神的、肉体的及び経済的な負担並びに診察、投薬及び介護に関わる天文学的規模となってしまっている介護関連費用の税金による負担の重大さ)及び発病者数自体がこれまた天文学的な人数と言う実態に鑑み、『発病の原因が分からないし、症状を治すことが出来ないし、発病自体を予防する方法が分からない』としつつも、様々な「仮説」を打ち立てていくばかりで何等の貢献をしていない学者達や「脳のリハビリ」による回復の可能性が全くなくなってしまっている末期の段階の更に後半にならないと発現が確認できない極めて重度の症状である失語や失認や失行の症状を判定基準にして「アルツハイマー型認知症」の発病と診断している上に、極めて高額な診察費がかかるCTやMRIやPET迄も総動員しながら、「脳のリハビリ」による回復が期待できる本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)を見落としていて、売上高を稼ぐことだけに邁進している医療現場並びに『「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の本態が廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」である』ことに気づかないで居て、『「器質的な病変」が発病を惹き起こす原因だとか、「記憶障害」に起因して症状が発現してくるとかの重大な誤解』に基づいた前提を維持したままで居るアミロイドベータ説とかタウ蛋白説とかの因果関係の立証が未だに為されない「仮説」を相も変わらず信じた儘で居て、それらの「仮説」に立脚した前提条件の下での「治療薬」や「予防薬」を目指した薬の開発に奔走する製薬業界、そうした製薬業界が発する「株価操作」とも疑われかねないような開発の可能性の高さに関わる紛らわしい発言や言及を受けて、業界が発信するがままの『「アルツハイマー型認知症」の治療薬/予防薬の開発は近いと』言う見出しによる報道等、様々な分野での不条理な行動や言動が、最近特に目立つのです。

(2) 検証

このブログで何度も指摘してきているように、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症を発病するメカニズムそれは、「廃用性の機能低下」と言う要素に起因して発症するということなのです。「アルツハイマー型認知症」は器質的な病変が発病の原因でもなければ、様々な程度及び態様での発現が見られる認知症の症状は、「記憶障害」に起因した物でもないのです。それだからこそ、アミロイドベータ説やタウ蛋白説の主張内容に立脚した下での治療薬/予防薬の開発が悉く失敗してきているのです。それらの仮説が立脚している『器質的な病変が原因である』とか、『「アルツハイマー型認知症」の症状は、「記憶障害」に起因して発現してくるものだ』とする大前提自体が根拠のない「仮説」の類に過ぎない代物だからなのです。

「アルツハイマー型認知症」の発病の第一の要件は、「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」であり、発病の第二の要件は、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続することなのです。『第一の要件と第二の要件とが同時に充足されることにより、「前頭葉」を含む脳全体の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていく、その先に、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化が待っている』ということなのです。様々な種類が数有る認知症の内の大多数、90%以上の割合を占めていて、皆さんが普段見かける認知症である「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないものなのです。

それであるからこそ、脳の使い方としての「生活習慣」の改善、工夫及び実践により、発病自体を予防することが出来るし、本当の意味での早期の段階(「小ボケ」及び「中ボケ」)で見つければ、「脳のリハビリ」により治すことが出来るのです。発病及び重症化のメカニズムからして、どのような方法によるものであろうとも、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防することが出来たり、或いは、症状の進行を抑制/防止することが出来たり、更には、症状を治すことが出来る薬(治療薬/予防薬)が開発されることは、未来永劫有り得ない事だと断言することが出来るのです。その根拠が、私たちが独自に開発した精緻な神経心理機能テストである「二段階方式」の手技を活用して、集積し、解析し、理論的な体系化を成し遂げた基礎である14689例にも上る「脳機能データ」であり、北海道から九州までの広域に亘る452の市町村で展開し、実践してきた住民参加型の「地域予防活動」の顕著な成果の積み重ねと言う実績の存在なのです。それらの全てが、世界中に比類のないものなのです。私たちが集積した「脳機能データ」は、生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の総体としての機能の機能レベルとそれに厳密にリンクした症状(脳全体の機能レベルの反映としての症状)のデータなのです。その上、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの低下に呼応したものとして、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の三段階に区分しているだけでなくて、それぞれの段階の中もさらに細分化されていて、全体が切れ目なく繋がってもいるのです。

&5「アルツハイマー型認知症」は、廃用性の「生活習慣病」に過ぎないのです

(1) 『アミロイドベータを早期に脳内から解消させる方法(EX.ワクチン療法等)により、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防することが出来る』

(2)   検証

これこそが最も最近唱えられるようになった仮説」であり(主張の内容と発病との間の因果関係が立証されていない「仮説」なのです)、その拠点となっているのが米国ハーバード大学であり、我が国では東京大学なのです。相も変わらず、アミロイドベータ説に立脚したものなのですが、その発想自体が極め付きと言ってもいい位の重大な誤りであり、単なる思い付き、発想の転換に過ぎないのです。科学的及び医学的な根拠があるものではないのです。従来のアミロイドベータ説の考え方では、『脳内で造られている(何等かの有用で有益な機能を脳内で発揮する為に脳内で造られているはずのものである)アミロイド・ベータというタンパク質が何等かの機序により脳内に蓄積してきて、その蓄積の程度が大量になってくると「老人斑」が生成されることとなり、その「老人斑」の持つ毒性が脳内での様々な情報を伝達する役割を担っている「神経細胞」の大量の細胞死を惹き起こすこととなる結果、「記憶障害」がらみの支障を惹起させる為に、「記憶障害」に起因したものとしての「認知症の症状」が発現してくることになる、言い換えるとそれが、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムであるという「仮説」が依然として維持されているのです。

欧米更には我が国の製薬会社により従来挑戦されてきた開発行為の試みその意味は、『認知症の症状の発現が確認された後の時期を対象としての「アルツハイマー型認知症」の治療薬としての様々な薬の開発であり、それら全ての開発PRJが失敗に終わってしまった』ものに過ぎず、『失敗の原因は、アミロイドベータ説に立脚していたが為なのではなくて、投薬の対象時期が遅すぎた点にある』とするだけの考えと言うか、発想の転換なのです。従って、新たに唱えられている「仮説」の新機軸とするところは、発病する前の段階、言い換えると認知機能が未だ正常な段階(時期)を対象として、出来るだけ早い段階でアミロイドベータを脳内から除去する(或いは、ワクチン療法により脳内で解消させてしまう)ことが「アルツハイマー型認知症」の発病の予防方法となるとするものなのです。『予防薬開発に成功するその日は近い』とする報道は、『重大な誤りの内容を単に受け売りで報道しているだけのもの』としか言いようがないのです。この新しい考え方は、SF小説まがいの「空想物語」でしか有り得ない事なのです。「アルツハイマー型認知症」の本態が廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」(生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものも無いナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因して発病するだけのもの、脳の使い方としての「生活習慣」に起因して発病し、重症化が進行していくだけの病気)であることに気づかないで居て、憶測に基づいて、想像力を逞しくして発想した程度のものに過ぎないことに早く気づいて欲しいのです。

この新しい考えもまた、『アミロイドベータの蓄積が、「アルツハイマー型認知症」を発現させている直接の真犯人だ』との大前提に立っている訳なのです。実は、アミロイドベータの蓄積が発病の原因なのではなくて(アミロイドベータの蓄積と「アルツハイマー型認知症」の発病との間には肝心の因果関係自体が存在していなくて)、『「アルツハイマー型認知症」の発病の結果として(発病し、末期の段階である「大ボケ」の段階の症状が発現してきて、更には、失語や失認や失行の症状が確認されるようになるまでに「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行により殆どの機能が失われていくまで放置されてきた言い換えると、何年間もの間、症状が更に重症化していく儘に放置されたその結果として)、アミロイドベータが蓄積してきたに過ぎない』、私たちの言葉で言い換えると、『発病の原因ではなくて、発病の結果に過ぎないものを、「順序を誤解している」だけのもの』なのです。この程度と言うか、このとんでもない発想、奇想天外な発想を何をもって新機軸と言うのでしょうか。

こんなとんでもない馬鹿げた空想、夢物語が、世界的にも権威あるとされている機関により提起され、そのことが意味があるかのように大々的に報道されることにより、「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復及び発病自体の予防を明確な目的とした住民参加型の「地域予防活動」が、我が国の全国の市町村の小さな地域単位で密に展開されるという画期的な施策が国策として実施される日が、またしても遠のいていくことになってしまうのです。

 (エピローグ)『和を以て貴しとなす』。古代大和朝廷の時代から我が国の、言い換えると、我が日本民族の基本理念として連綿と受け継がれてきたこの価値観が、日本の社会を、能力主義の導入をかたくなに拒む『肩書社会』を作り上げてきたのです。発病者数の規模やコストの巨額さゆえに、更にはこの先もそれらが増大し続けていくものと予測されているがゆえに、今や、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、超高齢化社会を健全な形で維持していく上で我が国が抱える、我が日本民族の前に立ちはだかる最も危険なモンスター、病気と言えるでしょう。それなのに、我が国の最も権威が有るとされる組織の主張の内容とその程度ときたら、上述したようなレベルに過ぎないのです。そうした権威が、この「アルツハイマー型認知症」の真実の実態を暗闇の中に閉じ込めてしまっているのです。『「廃用症候群」に属する単なる「生活習慣病」であるにすぎない「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」が活性化する「生活習慣の構築」により発病自体を予防することが出来るし、早期の段階で見つければ、「脳のリハビリ」により治すことが出来る』のです。

その権威に属する人達はと言えば、『「アルツハイマー型認知症」は、原因不明で治せないとか予防することが出来ないとか言っている』一方で、『治療薬とか予防薬とかの「薬の開発」が可能であるかのような世迷い事を世間に垂れ流し続けている』のです。あ~!何たる、不条理!!

注)本著作物「Bー89」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHP左の部分をクリックしてください)

 脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)

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