認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

臨時掲載

2015-09-23 | アルツハイマー型認知症の予防と脳の活性化

 今日は、南箱根のダイヤランドにある脳活性化研究所のリビングからとらえた朝方の雲海に浮かぶ富士山の景色です。駿河湾とお隣のきれいになった庭も一緒に。

  

       

      

        

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脳が活性化するメカニズムと脳の使い方としての生活習慣(B-45)

2015-09-15 | アルツハイマー型認知症の予防と脳の活性化

 ○  実務研修会前の「一仕事」

今月は、「二段階方式」の実務研修会の開催で、磐田市に来ています。会場は、浜松市にある浜松市文化振興財団アクトシティーの研修棟の研修交流センターを使うのですが、お泊りは、あの「ジュビロ磐田」の活動拠点がある磐田市にある我が家(厳密に言うと、Tadが36歳の時に建てた家)なのです。来てみたら、夏場を越したせいもあって、庭中草だらけ、その草の丈が伸びて、まるで幽霊屋敷状態になってしまっていたのです。いつもの通りというか、我が家の慣習法(しきたり)により、草刈り、木の枝の切り落とし、後処理といった力仕事はTadが担当することになるので、私は、その間旧友の家を訪問という訳なの。それにこの時期は、藪蚊が多く、肌が弱い私には、「到底無理」な話なの。こんな時、Tadって、とても理解があるの。嫌な顔もしないで、弱いとはいえ小雨が降っているというのに、もうとりかかっているの。幼児期に大人に負けないほど働いた人って、やはり違うのね。私はというと、何もしないのではなくて、実務研修会では丸々二日間、立ちっぱなしで、しゃべりっぱなしなの。これこそ、適材適所の役割分担というべきもの。お昼過ぎに着いて、そのまま作業にとりかかったとはいえ、庭の東半分は殆ど終わっているみたい。

このお家、庭の広さが200坪あって、庭中に大きな木が何本も植えてあり、その上、庭の周囲を植込みがぎっしりと取り囲んでいるの。Tadの一心不乱な働きぶりの凄さが、想像できるでしょ。ちょうど1年前の今頃もこの家をBefore/ Afterの写真付きでお見せした記憶があるのですけど、今回は、それにもまして見事に掃除されているのです。何事にも、「プライドにかけて~」との意気込みで取り組むTadの面目躍如といったところなのです。付言しておきますけど、私は、純粋の「右脳タイプ」なので、「プライドにかけて~」とかいう物差しは、持ち合わせていないのです。

 その日の 夜、Tadが体中が痒いというので、よく見たら、なんと両腕が全般的に、そのうえ両足も下半身が全般的に、漆でかぶれていたのです。持ってきていた酵素を塗ってあげたので、しばらくすると痒み自体はだいぶ収まったようなのですが、実は、Tadの体力と免疫力とを奪い去るほど大変なことが起きていたとは、思いもつかなかったのです。翌日の金曜日は晴れていたので、働き者のTadは早朝から庭の草刈りと木々の枝の刈り落としの作業に取りかかっていたのです。朝食も採らないで、一心不乱に働いて、昼過ぎには全部やり終えたのです。2時過ぎには、実務研修会でのお手伝いに来てくれた女性二人を車で駅に迎えに行ってもくれたのです。夕方6時過ぎからは、イタリアンレストランに4人で一緒に夕食に出かけて会話も楽しんでいたし、夕食から帰った後は、実務研修会の準備もしていたのです。その後、珍しく早々と寝たのは、明日のことを考えてのことくらいにしか考えていなかったのです。その夜Tadは、一晩中40度を超える高熱を出し続け、汗を流し続け、肌着を取り換え続け、挙句の果てに、睡眠をほとんどとることもできなかったそうなのです。

不死身のTadの身に何が起きてきていたのか、不覚にも私は朝方になっても、気づかなかったのです。会話の時に、普段のTadらしさが無くて、何か変とは思ったのですが、未だ気づかなかったのです。実務研修会が始まって、Tadが、脳の働きから見た「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムについて語りだしても、未だこの私は気づかなかったのです。終盤になってやっと、構成がいつもとは異なるし、話の流れがTadらしくなくて、やや行きつ戻りつしたり、部分的には重複したようなところがあったと感じた程度だったのです。Tadの講話が終わった後、調べてみたら、なんとその時未だTadの体温は40度を維持したままだったのです。憤怒に近い憤り、極度の不安感、深酒、高熱、重度の過労、睡眠不足は、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)にとっての大敵なのです。40度を超える高熱、漆により体力を奪われた状況下での重労働による重度の過労、殆ど眠りもしないで夜を過ごしたことによる睡眠不足という「三重苦」が原因で、Tadの「前頭葉」機能は、異常なレベルとは言わないまでも相当程度に低下した状態にあったようなのです。普段のTadの脳の機能レベルと比較すれば、「小ボケ」に近いレベルにあったようなものなのです。

○  そんな内容で、表紙にまで「第一人者」と紹介されているの

書店で探してみると、「脳の活性化」と題する書物をたくさん見つけることができます。立ち読み程度なのですが、書店で平積みにされているものを含め、それらの本を読んでみると、そもそも脳が活性化する「メカニズム」についての知識が殆どない人が書いていることがわかります。脳の活性化というときに不可欠の要素である肝心の「前頭葉」について、その働き具合を左右しているものがなになのか、脳が活性化するということがどのようなメカニズムによるものなのか、そうした知識がない人が書いているという不思議さに驚くのです。そこに書かれている内容から推測するに、そうした人達は、脳の機能が衰えていくメカニズムについても恐らく無知なのではと思うのです。 出版社は、何を考えて、その人にそうした本を書いてもらっているのか、或は、そうした題名をつけているのか、理解に苦しむのです。売れているからと言って、その本に書かれた内容が正しいとか、世の中のためになるとかとは無関係、売れさえすれば良いと思っているのではと勘繰りたくもなるのです。「前頭葉」の機能については、私たちを除いて、世界的に未だ殆ど分かっていないのです。三本柱の機能と「二重構造」のことも、「評価の物差し」のことも、「記憶の倉庫」のことも、「長期記憶」と「短期記憶」が生じるメカニズムについても、更に言うと、「意識」が生じるメカニズムについても、意識と無意識の差異、或は、心理学者たちから無意識と呼ばれている概念中に実在する覚醒度(意識度)が低い意識状態という問題についても、未だほとんど解明されてはいない(殆ど知られていない)のです(ここを「クリック」してください)。

& 「前頭葉」について、専門家とされる人達が世界的に無知なのです

○「意識的な世界」を支配しコントロールしている脳の機能

無意識の世界、意識は覚醒してはいないが意識度が低い世界、或は条件反射の世界は置いておいて、覚醒された意識的な世界、私たちが意識的に何かを、或は何かの「テーマ」を実行しようとする世界は、「前頭葉」という脳の機能が脳全体の「司令塔」の役割を担いつつ活動しているのです。「前頭葉」が左脳、右脳及び運動の脳と協働しつつ、且つそれらを支配し、コントロールしながら思考や思索、言動や行動などを行っているのです。何かについての思考も、行為も、何かの「テーマ」についての言動も、行動も、或はその程度や態様も、その全てが「前頭葉」の支配とコントロールの下に、且つ「前頭葉」を介して行われているのです。意識的に何かを行う/行おうとするときに、言わば、「三頭立ての馬車」の御者の役割を担っているのが「前頭葉」なのです。従って、「脳が活性化」するということについても、或は、「脳の機能が衰えていく」ということについても、「前頭葉」が必ずかかわっていることになるのです。脳の活性化と言うとき、テーマの発想から計画した内容の実行に至る過程での、「前頭葉」の関与の仕方/或いはその度合いがどのようであるかが極めて重要なのです。「前頭葉」が関わっているというだけでは不十分なのです。後で、車を運転するときの関わり具合について説明するその場面を良く理解しておいてください。

 然も、老馬を若い馬に取り換えたからと言って、御者の腕前が良くなることには直結しないことが重要なのです。日常の生活面で「左脳」を使う場面が少しばかり多くなったからと言って、そのことが「前頭葉」の機能レベルの上昇には直結しないということなのです。日々の生活の中に簡単な足し算や引き算をする時間を組み込むこと、或は、ひらがなで書かれたおとぎ話を読む時間を取り入れたからと言って、そのことが「前頭葉」機能の上昇には直結しないということなのです。「物忘れ」の症状の軽減くらいのことを、「前頭葉」機能の上昇の指標などにしないで欲しいのです。MMSEで計測し判定できるのは、左脳と右脳の働き具合の変化に過ぎないのです。脳の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の働き具合の変化は、MMSEでは計測することも判定することも不可能だということにさえ気づいていないのです。PET(での神経活動が高まるとその部位での血液流量が増大するので、捉えたい指標に合わせたトレーサーを選ぶことで、間接的に脳内で活動が活発になっている部位を特定することができる機器)を活用して、テーマを処理している脳機能部位の血流を計測する程度のことでは、脳の使い方としての意味で言う「生活習慣」の継続とその程度の変化に直接に起因して起きる「前頭葉」の働き具合の変化を精緻に計測することは出来ないことも知らないでいるのです。PETの権威と言いながら、「前頭葉」をどのように使う「生活」をしているのかがカギになるとも知らないで、且つ「前頭葉」の機能については専門家とは言えない人達なので、そうした視点さえ持ち合わせていないのです。PETは極めて高額な機器ですが、機能はその程度に過ぎないのです。

 私たちは、権威には乏しいのですが、「二段階方式」と言う神経心理機能テストを開発して、その手技を活用して、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルとそれに厳密にリンクした14689例にも上る症状の類型を集積し、解析してきたのです。私たちの「二段階方式」の手技の方が、PETを使用した方法よりはるかに精緻なのです。且つ、それゆえにこそ、「前頭葉」機能の働き方のメカニズム、衰え方のメカニズム、活性化するメカニズムについて、更には、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化のメカニズムについて、或いは、発病の予防及び早期段階の判定による回復の方法等についても理論面でも実態の把握と理解の面でも、実際の活動の展開面でも比較にならないほど精緻で、詳しく、且つ市町村での実態指導の経験も多いので、それらの「テーマ」について、その人達と何時でも議論を戦わせてみたいと思っているのです。

「物忘れ」が改善されるには、「意欲や注意の集中力や注意の分配力」の機能が上昇することが不可欠の条件というのが、エイジングライフ研究所の脳機能データの解析結果です。 毎日毎日、朝も昼も夕方も、上記のテーマ≪作業≫を継続する生活をお年寄りが行うことは、逆の効果をもたらすはずというのがエイジングライフ研究所の見方です。上記作業を、教室や施設などで仲間とやるのではなくて、家で一人でやらせた場合と比較すれば明らかになると思うのですが、そうした生活の継続(生活習慣化)が「前頭葉」を含む脳全体の活性化に有効だと主張している人達は、脳の使い方としての「生活習慣」が「前頭葉」を含む脳の活性化に与える影響という視点も資料も持っていないので、短絡的に結論付けているものと思われます。左脳が担っている仕事とは無縁の第二の人生を送っているお年寄りの「前頭葉」を含む脳全体の活性化と言うテーマにとっては、右脳や運動の脳を主体に働かせる「テーマ」、趣味や遊びや人付き合いや運動を自分なりに「楽しむ」と言う生活の継続こそが、「前頭葉」の活性化に直結するのです。

その人達(機関)は、エイジングライフ研究所のように、「前頭葉」の機能レベルの変化を評価する手技や物差しを持たないので、因果関係の評価自体がずさんなことにも気づいていないのだと思います。「アルツハイマー型認知症」は、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の機能が、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々繰り返される「生活習慣」の下で、異常で加速度的な機能低下を進行させていくことが発病の原因なのです。脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が、廃用性の異常で加速度的な機能低下を進行させていくその先に「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているのです。「廃用性」というのは、使われる機会が極端に少ない脳の使い方としての生活習慣≪「前頭葉」の出番が極端に少ない生活習慣≫に問題があるがために、「前頭葉」を含む脳全体の機能が加速度的に低下していき、異常なレベルに衰えていくことを言います。

  そんな「テーマ」を脳の活性化に役立つと信じて日々の生活に取り込んでいるお年寄り達に一言忠告しておくと、趣味も遊びも人付き合いも運動も中断して、朝も昼も夕方も家に籠って、独りだけでその「テーマ」をやり続けるだけの生活を3ケ月間実行し継続してみれば、「前頭葉」が活性化するどころか、「意欲が衰え、注意の集中力も衰え、注意の分配力の機能も衰え」てきて、且つ「物忘れ」をすることが増えてきていることを知ることになるのです。

「二段階方式」の場合は、「前頭葉」機能の上昇それ自体を直接、然も客観的な基準で評価することができるのです。ボケ予防教室に参加しているお年寄りの「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの変化を「二段階方式」という神経心理機能テストを活用し、客観的な基準に従って評価しているのです。「二段階方式」の手技による「前頭葉」の働き具合の変化の判定は、PETによる判定などとは比べ物にならないほど、精緻で詳細なレベルでできるのです。「地域予防教室」を長期にわたり継続して実践している市町村の場合、個人別及び地域別、更には男女別の脳機能データ、個人単位での「前頭葉」を含む脳機能の改善、維持、悪化にかかわる経時変化のデータが取得され保管されているのです。

ボケ予防、具体的には「アルツハイマー型認知症」の発病の予防を明確な目的とした「地域予防教室」は、小さな単位ごとに運営が行われています。それらの教室の「脳機能データ」の推移を比較してみると、教室が長期に経って運営され維持されている地域予防教室に参加しているお年寄りの方が教室の運営存続期間がそれよりも短い地域予防教室のお年寄りの場合よりも、脳機能の改善効果が大きいという明確なデータが存在しているのです。要介護認定者の割合を比較してみても、同様の結果が確認されているのです。

○  「前頭葉」の諸機能の概観

一口に「前頭葉」の機能といっても様々なものがあり、私たちが確認しているものだけでも、40を超える数になるのです。以下に皆さんもご存知の代表的なものをいくつか挙げてみることにしましょう。自分が置かれている状況の判断、状況の判断に沿った「テーマ」の発想と選択、選択したテーマの実行に係わる内容の企画と計画、計画した内容を実行した場合の結果の予測、考察、洞察、推理、想像、創造、ケース・シミュレーション、ケース・シミュレーションに基づく修正、最終的な実行内容及びその程度態様の決定、実行の決断と実行の指示。言動や行動や感情の発露の行き過ぎに抑制をかけるのも「前頭葉」の機能なのです。或は、何かに感動するのも「前頭葉」の重要な機能なのです。更には、これらの認知機能が発揮されるときの機能の発揮度の問題があるのです。そして、「前頭葉」の個別認知機能の発揮度を左右しているのが、後で詳説する私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名づけている意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能なのです。注意の分配力の機能というのは、複数の異なった「テーマ」を同時に並行して実行する際に不可欠の機能なのです。「一を聞いて十を知る」とか、「頭の回転が速い」とかいうのが、まさにこの「注意の分配」機能の働きが良いということになるのです。

 認知症の専門家とされる人達への忠告として付言すれば、私たちが小ボケ、中ボケ及び大ボケの三段階に区分する各段階の症状、「アルツハイマー型認知症」の各段階の諸症状は、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」についての廃用性の異常で加速度的な機能低下の進行を直接的に反映したものなのです。一例として挙げると、「中ボケ」の段階の症状を発現する基礎としての「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルについては、ここを「クリック」してみると、その定義が書いてあります。

&「前頭葉」の三本柱の機能に内在する「正常老化」の性質

 脳全体の司令塔で、置かれている状況を判断したり、何かを思いついたり、計画を立てたり、工夫したり、洞察や推理をしたり、機転を利かせたり、各種の高度な働きを担当している「前頭葉」の機能、中でも、その個別の認知機能を正常に発揮する上でとりわけ重要であって、「前頭葉」の個別認知機能の「発揮度」や「認知度」の高さ、或は低さを直接左右している「前頭葉」の三本柱の機能である、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能には、以下に説明するように、趣味や遊びや交遊や運動を仲間と自分なりに楽しむ生活があり、自分なりの目標や生き甲斐がある生活(それなりに「前頭葉」の出番がある生活)を送っていても、「加齢とともに、機能が老化し、衰えていく」という重要な性質があるのです(私たちは、これを「正常老化の性質」と呼んでいます)。

○  「正常老化」の曲線

私たちが集積してきた年齢別の「脳機能データ」を基にして簡潔に説明すると、「三本柱」の機能には、18歳から20代の半ばまでがピークで、20代の半ばを過ぎる頃から100歳に向かって、緩やかではあるけれど、一直線に衰えていくという性質があるのです。60代後半にもなると、「三本柱」の働き具合は、ピーク時の18歳から20代の半ばの頃に比べ、働きが半分以下になっているのです。70代、80代、90代、100歳代と、年をとればとる程、「三本柱」の働きが更に衰えていって、どんどん低空飛行になっていくという性質なのです。

 認知症の大多数90%以上を占めていて、高齢化率が高い市町村や高齢化率が高い地域等で、皆さんが普段よく目にし、或は耳にしている「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、その発病のメカニズムを考えるとき、「前頭葉」の三本柱の機能に「正常老化」という問題が内在しているという理解が重要になるのです。「脳の正常老化」という問題が基本にあるから、「アルツハイマー型認知症」は、若者には関係なくて、「60歳代以降のお年寄りだけが対象になる」のです。脳の司令塔は「前頭葉」であり、その「前頭葉」の三本柱の機能に加齢と共に働きが衰えていくという性質、「正常老化の性質」が内在していることが「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを解明する上で不可欠の重要な要件となるのです。脳の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う機能の性質や働き方のメカニズムを知らないで/着目さえしないで、何時までアルツハイマーマウスとやらを追いかけて、或はアミロイドベータの蓄積であるとか、タウタンパクの蓄積であるとか、脳の委縮であるとかのデータを追い続けていたのでは、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムも、発病を予防する方法も、治療する方法も解明することはできないのです。

 世界中の認知症の専門家とされる人達から、発病の原因さえも分からないとされている「アルツハイマー型認知症」について、発病のメカニズム自体を解明し並びに発病の予防の方法及び早期診断による回復の方法を手技及び理論面から体系化したのは、私たちが世界で初めてなのです。その発病のメカニズムを解明する上で極めて重要な要素、それは、「前頭葉」の三本柱の機能には、「20歳を過ぎると、年をとるにつれて100歳に向かって、緩やかではあるが徐々に働きが衰えていく」という特徴を有する老化曲線、言い換えると「正常老化の曲線」が存在することなのです「前頭葉」の出番がそれなりにある「生活習慣」を日々維持していても、「加齢とともに、機能が緩やかにではあるが直線的に衰えて行く」という性質があるのです。「高齢者」の入口である65歳頃には、「前頭葉」の「三本柱」の機能レベルが最も高い20歳頃のほぼ半分くらいにまで衰えてきていることが注目すべき要因なのです。「二段階方式」の活用により、「前頭葉」を含む脳の機能の加齢による老化という要素を発見し、且つこの要因に着目して、60歳を超える年齢の「高齢者」であることと言う要件を「アルツハイマー型認知症」の発病の「第一の要件」として私たちは規定しているのです。

 ○  老化のカーブを左右する重要な要素は、脳の使い方としての「生活習慣」

自分なりの生き甲斐や達成すべき目標があり、趣味や遊びや交遊や運動を楽しむ生活があるお年寄り、日々の生活の中でたくさんの量と質のよい情報が送られてくるような「生活習慣」が継続されているお年寄りは、老化の曲線は緩やかなものとなり、身体が持つ限り脳も保てる、いわゆる「かくしゃく老人」への道が開けてきます。

「アルツハイマー型認知症」は、晩発型アルツハイマー病とも別称されているように、発病する対象は60歳を超える年齢の高齢者であり、60歳代よりは70歳代の方が、70歳代よりは80歳代の方が、80歳代よりは90歳代の方が、発病率が高くなっていくのです。年齢が上がれば上がるほど発病するリスクが高くなっていくという特徴を有するのが「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症なのです。そうだからと言って、60歳を超える年齢の「高齢者」(私たちが規定する「発病の第一の要件」)であれば、誰でも「アルツハイマー型認知症」を発病するわけではないのです。そこには、もう一つ別の明確な条件があるのです。それこそが、発病の「第二の要件」として私たちが規定する条件、脳の使い方としての「生活習慣」なのです。

私たちが規定する発病の「第二の要件」とは、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されている生活習慣のことなのです。ナイナイ尽くしの単調な生活が継続されていて、量も少なく質も劣る情報しか送られてこない「生活習慣」が継続されているお年寄りは、発病の「第一の要件」(正常老化による機能低下)と「第二の要件」(廃用性による機能低下)とが同時に充足される相乗効果によって、老化の曲線が加速度的な低下の曲線を描いて、急速に低空飛行になっていくことになります。「前頭葉」を含む脳全体の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていき、その行き着く先には、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているということなのです。その最初の段階が、「軽度認知症」(小ボケ)の段階であり、次いで、「中等度認知症」(中ボケ)の段階があって、最後に、「重度認知症」(大ボケ)の段階があって、何等かの他の病気(老衰を含む)が原因で死を迎えることになるその時まで続いていくことになるのです(ここを「クリック」してください)。

お昼にはココアを飲んで、夕食時には赤ワインを飲んで、出来るだけ青魚を多く食するようにし、その上「サプリメント」とかをたくさん摂ってDHA&EPAを補おうとも、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々続けていたのでは、「アルツハイマー型認知症」の発病を回避することは出来ないのです。「前頭葉」機能を活性化する生活習慣の確立こそが、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防し及び/又は早期の段階(小ボケ及び中ボケの段階)から正常なレベルに回復させることができる唯一無二の方法なのです。食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」こそが、発病を予防する決め手になるのです。

極めて重要なことなのでここで付言しておくと、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防したり、又は症状を治癒させたり、若しくは症状の進行を遅らせたりする効能を有する薬が開発されることは、未来永劫有り得ないことなのです。何故なら、「アルツハイマー型認知症」の中核となる症状は、今日でもなお認知症の専門家達の間で世界的に権威があるとされる「DSMー4」が診断の第一の要件に規定している「記憶の障害」の症状ではなくて、廃用性の機能低下を原因とした「前頭葉」の機能障害に起因する症状だからなのです(更に、「記憶の障害」の症状を第一の要件とする誤解が続く限り、側頭葉性健忘症を「アルツハイマー型認知症」と誤診したり、働き盛りの若い年齢で「アルツハイマー型認知症」を発病する人が増えてきているとかの誤った報道が続くことにもなるのです)。ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されている状態(私たちが規定する発病の「第二の要件」)で、(薬を飲むだけで/貼るだけで)発病を予防できたり、症状の進行を遅らせたり、或いは、治癒させることができるなどということは、「前頭葉」を含む脳の働き方/衰え方のメカニズムからして、有り得ないことなのです。世界中の研究者や学者達が、「前頭葉」のことを知らなさ過ぎるのです。

「アルツハイマー型認知症」の発病原因について、認知症の専門家とされる人達により主張されてきた様々な学説、アセチルコリン説、アミロイドベータ説、タウ蛋白説の全ての学説が「仮説」にすぎないのです。発病の原因としてそれらの学説が主張しているものと「アルツハイマー型認知症」の発病との間の因果関係は、未だに立証されないままで居るのです。

 &「記銘度」が高まることによる「物忘れの症状」の軽減効果

○  「認知症予防講座」とかいうのを覗いてみたの

ところで、私たちはこの20年間ずっと、「二段階方式」の実務修会の会場に財団アクトシティー浜松の研修交流センターを使用してきました。今回初めて、私たちの向かいの教室でなんと「認知症予防講座」なるものが開催されていたのです。時代が変わってきたのだなーと感心していたのです。ところが、たまたまドアが開いているときにのぞいてみたところ、講師さんと思われる方が、参加者たちに向かって「グー、パー」と大きな声を発しながら両腕を前方に突き出す動作をしながら、グー、パーをやって見せていて、参加者たちは、男女込みで大勢の参加者たちが、声を発しもしないで、黙ってグー・パーの動作をやっていたのです。一種異様な光景を目撃したのでした。

グーという掛け声の時にパーを出し、パーという掛け声の時にグーを出すとしても、或は、掛け声を出している人がグーとパーの順序をランダムにしても、それだけの動作で、「注意の分配機能」が向上する程甘いものではないのです。正常老化のカーブの傾きは、もっと大きいものだからです。脳が活性化するということは、脳の構造上から言って、とりもなおさず脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能の活性化ということなのです。「前頭葉」の機能が活性化されるためには、単なる思考や動作ということではなくて、脳の使い方という視点からの「生活習慣」そのものを変えていき且つそれを日々の生活に組み込んで実践するということ、「生活習慣」化することが不可欠の条件となるのです。 異なった複数の「テーマ」を実行しさえしていれば、注意の分配機能の鍛錬になっていると考えるのは、注意の分配機能のことを良く知らないからなのです。

車を運転される人であれば誰でも経験したことがあると思うのですが、大きな心配事を抱えていて何時もそのテーマが心を占めているような状態で車を運転して、例えば何キロか先に在る近所のスーパーに買い物に行ったとしましょう。家を出てからしばらくして途中の狭い道から交差点を曲がって広い通りに出て、更には取り付け道路を迂回してスーパーについた時、交差点で信号をきちんと認識していたのか、取り付け道路に入るときどんな状況でその道に入ったのか、全く想い出すことが出来ないのです。事故を起こしてもいないし、道を間違えてもいないので、交差点での信号が赤だったのか青だったのかもちゃんと認識した行動をしてきているはずだし、取り付け道路で人をはねてもいないし道を外して溝にタイヤを落としてもいないということは、道路の状況も適切に判断した運転をしてきた証拠と言えるでしょう。運転する上で必要となる認知機能は十分且つ適切に働いていたということなのです。運転するというテーマと心配事についてあれこれと対策を考えるという異なった二つのテーマを同時に並行して実行してきているのです。それでいて、運転がらみのことは全く想い出すことが出来ないのです。それは、記銘するときの記銘度が低いからなのです。心配事を考えるというテーマの方にほとんどの注意が分配されていたからと言うことなのです。お分かりいただけたでしょうか。

 注意の分配機能を効果的に刺激する上で最も重要な条件とは、相反する方向での処理を担当させること、すなわち、一方を出力型のテーマで構成し、他方を入力型のテーマで構成し、その上で、両者の困難度を出来るだけ等価に近いものにして競わせることなのです。私たちが開発した「二段階方式」の手技で、「前頭葉」の機能レベル(「三本柱」の機能レベル)を判定するに際して行っている、「かなひろい」テストは、まさしくこの点に注目したテストなのです。この点に着目したストーリー性のあるゲームを開発すれば、お年寄りが楽しみながら脳を活性化させることが出来るようにもなるのです。ストーリー性のある物語が展開される中で、随時、この二つの相反する方向での注意の分配機能の発揮が要求されるような構成にするのです。

 「前頭葉」の各種個別認知機能の認知度及び発揮度を左右している「前頭葉」の三本柱の機能、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能について言うと、注意の分配力の機能の源は注意の集中力の機能であり、注意の集中力の機能の源は意欲なのです。更には、脳の機能が廃用性の機能低下を起こしてきたとき、「前頭葉」が最初に衰え始めていき、その機能レベルが異常なレベルに達した時から同時に並行して左脳、右脳及び運動の脳の順に機能が衰えていくのです。こうした「脳機能」データが示す特徴を加味して、脳を活性化する自分なりのテーマを選択し、目標を設定し、実践の過程自体を楽しむ「生活習慣」を組み立てることが大切なのです。脳の活性化に役立ち、お年寄りが楽しめるゲームも当然のことながら、上述した「脳機能」データが示す特徴を加味したものを開発すべきなのです。左脳も右脳も運動の脳までもが関与するには、ましてや種々の場面での理解や選択を要求される場面で「前頭葉」が十分に関与し、絡むためには、スピードを要求することは逆効果となることを知るべきなのです。

 ○  「注意分配機能」の衰えと「物忘れの症状」の発現

夕ご飯の支度をしていて、ニンジンが残っていたことに気付くのです。(そうだ、ニンジンがまだ残っているから夕食のおかずに入れて片づけてしまおう)と思うのです。そのときたまたま、「おーい、夕刊はどこにあるんだ?」と隣の部屋の夫から声がかかるのです。玄関に行って、タタキのところの本立てから新聞をとってきて夫に渡すのです。「はい、あなた、夕刊はここよ!」。台所に立ち帰って、再び冷蔵庫の前に立つのです。扉を開けながら、「あれ?私って、何をとろうとしてたんだっけ」。注意の大半を主題に向けているところに、突然、「その注意を一瞬他に振り向ける」状況が降って湧いたように起きてくるのです。主題に対する注意の分配を一瞬止めて、脇から、突然入った別のテーマの処理に注意を向けていて、元の状況に戻った時、最初の主命題がなんであったのかを想い出すことができないのです。注意を後の命題に分配した時、元の主命題に対する注意の分配力の量が必要以上に少ないものになってしまった結果、記銘度が低いものとなって、その結果、想起することができなくなるという訳なのです。

注意の分配力の機能は、注意の集中力の分化したものなのです。注意の集中力の働きは、意欲の機能が下支えをしているのです。「記銘度」の高さは、記銘するときの「意欲」の高さ(大きさ)に左右されているのです。注意の分配力の機能だけではなくて、注意の集中力も意欲も使うような生活を組立て実行することが、記銘する力を増大させ、「物忘れ」の症状が減ることにもつながるということなのです。 上述した「認知症予防講座」なるものの主催者は、脳の活性化ということの意味や仕組みが全く分かっていないでいて、有償の講座を開催していることに、驚くというより、何か悲しさを覚えずには居られなかったのです。

講座は、午前中の2時間だけでした。お年寄りたちに、グー・パーの動作を一日中やり続けさせることは、元々無理な注文と、主催者自身が考えているからなのでしょう。何かのテーマに打ち込んでいるとき、時間があっという間に立ってしまうことに、みなさん気付いていると思うのです。「一日さえもがこんなに速く経ってしまうのか」と思われた経験も数多いと思うのです。そんな時こそ、「前頭葉」が活性化しているときなのです。それは、どんな時ですか。

 ○  「注意の分配」機能を鍛錬することの意味

Walkingをしながらクイズに答える、Walkingをしながら簡単な足し算や引き算の計算の暗算をする、「注意の分配機能」の活性化が「物忘れの症状」を軽減させるのに効果があるとかの触れ込みで、こうした運動が推奨され盛んに試みられているのです。「記憶」という機能は、「記銘」した情報を「保持」して、それを「想起」するという3つの工程から構成されているのです。想起されるか想起されないかに最も大きな影響を与える要素は、記銘する際の「記銘度」の高さ、或は低さなのです。よく保持されよく想起されるには、記銘する際の記銘度が高いことが絶対の要件となるのです。

 「右脳」の感情の発露を激しく揺さぶったような情報、思い出す際に涙なしには語れないような辛く悲しかった出来事の情報の記銘は、記銘度が高くなるのです。記憶を確かなものにしようと、繰り返し繰り返し書いては覚え声に出しては覚えたような歴史上の事件、例えば(昔は大化の改新、今は乙巳の変)の記憶。海馬という脳の機能が対象となる情報を長期に記憶するのか、或は短期記憶にするのかを区分けしている訳ではないのです。そうした条件の下で、記銘する際の意欲、注意の集中力の機能の発揮度が高いことが「記銘度」を高くしているのです。

 私たちの意識的な世界では、常に何らかの複数の「テーマ」の処理が「前頭葉」をコントローラーとして処理されているという脳の構造上の帰結として、注意の分配機能を使う場面では、「意欲」も「注意の集中力」の機能も同時に出番があるので、それらの機能も同時に使ってやっているということになるのです。皆さんの「日常体験」に照らしてみると理解し易いことと思うのですが、何か一点に集中した思考や動作を行うことは、「前頭葉」を使うという側面からは、むしろ困難なことになるのです。

 ○  物忘れの症状の発現が軽減されるメカニズム

脳の働き方の構造上の帰結として、注意の分配機能の出番がある思考や動作の下では同時に「意欲」や「注意の集中力」の出番もあるので、そうした機能が強化されることになるのです。つまり、注意の分配機能を使っている場面では、注意の集中力の機能も意欲の機能もともに使われているので、使われる機会が多くなることにより機能が強化されているということなのです。そして、「意欲と注意の集中力」の機能が高まったことにより記銘する際の「記銘度」が高くなるので、「物忘れの症状」が軽減される効果となっているということなのです。

 & 脳の使い方としての「生活習慣」の改善

○  「前頭葉」の出番が足りない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」

60歳を超える年齢の「高齢者」にとって、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々繰り替えされ、継続される下では、出番が極端に少なくなった脳の機能(「前頭葉」を含む脳全体の機能)が、異常で加速度的な機能低下を進行させていくことになるのです。

 ○ 「アルツハイマー型認知症」を予防するための五箇条

一、熱中し、夢中になれる趣味や遊びをできるだけたくさん持つ

二、気心が知れた関係の友達と交わる機会をできるだけ多く持つ

三、自分なりの生き甲斐や喜び、目標となるものを見つける

四、精神的な張りと適度に緊張感のある毎日を過ごす

五、散歩程度でも良いから、運動する機会を出来るだけ多く持つ

 ○ 「アルツハイマー型認知症」とは無縁で、自分らしくいきいきと生きる為に不可欠な「生活習慣」を打ち立てるための「指針」

「左脳」中心、仕事偏重だった第一の人生とは生き方を変えて、第二の人生では、「右脳」重視の生き方への転換を図り、周囲の目を気にせず、自分らしさが前面に出るような生き方をして、自分がイキイキしていると感じられる脳の使い方(「生活習慣」)を毎日の生活の中に打ち立てることが「必要不可欠の条件」となるのです。

「左脳」を中心に据えて、「周りの人達に負けまいと頑張って生きてきた」第一の人生での「生き方」に大きく舵を切って、「右脳」を中心に据えて、「他人は他人として、自分なりの生活の楽しみ方」を追求すること、「自分の置かれた状況を肯定して、自分なりに人生を楽しむ生き方」が、第二の人生では要求されるのです。

 「自分が生きている心地を楽しめる生き方」、その生き方こそ、「アルツハイマー型認知症」を予防する唯一無二の「特効薬」なのです。「キッカケ」となる状況に遭遇したときに、特にこの考え方、生き方が必要となるのです。

「意欲」が自然と湧いて来るような自分なりのテーマ、「注意を集中」したり「注意を分配」したりする(複数の異なったテーマを同時並行して実行する「前頭葉」の機能 )ことができるだけ多いテーマ、テーマ自体や実行内容を企画したり計画するだけで意欲が湧き、楽しくなるようなテーマ、実行することが或いはそれが継続されて生活習慣化することが楽しくて、時には喜びや生き甲斐さえも覚えるような、自分なりの「テーマ」を見つけるのです。そうした幾種類かのテーマに取り組む中で、自分らしい「生き方」、自分らしい「生活の楽しみ方」を追及し、そうした暮らし方(「生活の仕方」)が「生活習慣」化するよう努力して欲しいのです。

「アルツハイマー型認知症」は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が廃用性の機能低下により異常なレベルに衰えてくることが発病の最初の段階(「小ボケ」)なのです。逆に言えば、「前頭葉」が正常に働いている(正常レベルにある)限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないのです。 その「前頭葉」が生き生きと働いている状態を保つには、人生を自分なりに楽しむ「生活習慣」を組み立てて、「前頭葉」の出番が多い生活を心がけることが不可欠なのです。趣味や遊びや人づきあいといった「右脳」重視の生活が、「前頭葉」の働きを活性化させ、或いは「前頭葉」の元気を取り戻させるのに最も効果的なのです。

 注)本著作物(このブログ「B-45」に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   

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臨時掲載

2015-09-12 | アルツハイマー型認知症の予防と脳の活性化

 台風一過で、久しぶりに富士山が拝めました。

  

      

         

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アルツハイマー型認知症の発病の予防と早期診断とを国民的な課題に(Bー44)

2015-09-01 | アルツハイマー型認知症の予防と脳の活性化

 早くして もう待てないの 瀬戸際よ

   最後の打つ手 誰が担うの By kinukototadao

 

     

○ 「アルツハイマー型認知症」を発病する対象者とその年齢

世間から(日本だけではなくて、世界中の学者や研究者や医師達など、いわゆる認知症の専門家達から)発病の原因が分からないし、発病を治す手立ても分からないし、発病を予防する方法も分らないとされている、「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、晩発型アルツハイマー病」とも別称されているように、発病する対象はお年寄りばかりなのです。私たちのデータでいうと、60歳を超える年齢の「高齢者」だけなのです。50歳代で発病する人は皆無とは言わないまでも、極めて稀なことを知っていただきたいのです。

 一部のマスコミが、一時期、働き盛りの年齢の50歳代で、「アルツハイマー型認知症」を発病する人達が増えてきていると報道して、世間を騒がせたことがありますが、あれは、大間違いなのです。最も肝心な要件であり、且つ不可欠の要件である「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)の機能レベル(その人の「前頭葉」が正常な機能レベルにあるのか、異常な機能レベルにあるのか)を確認することさえもしないで、重度の「記憶障害」の症状さえ確認されると、「アルツハイマー型認知症」の発病だと誤解(考え違い)しているだけのことなのです。

 ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続する中で廃用性の機能低下が起きてくるとき脳全体の機能の中で、最初に衰えていくのは、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちの意識的な世界を支配し、コントロールしている「前頭葉」の機能なのです。従って、「前頭葉」の機能が正常な機能レベルにあることが確認される限り、その人たちは、どんなに重度の記憶障害の症状を示そうとも、「アルツハイマー型認知症」を発病してはいないのです。「新しい記憶」が全く入っていかないというタイプの重度の「記憶障害」の症状を示すのが特徴である「側頭葉性健忘症」は、その一例なのです(ここを「クリック」してください)。

      

& アルツハイマー型認知症の正体は、脳の使い方としての「生活習慣病」

これまでにこのブログで詳細に説明してきているように、「アルツハイマー型認知症」は廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であり(ただしそれは、脳の使い方という視点での生活習慣が発病を左右する要素ということに注意してください、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルそのものがそのまま認知症の症状となって発現する、言い換えると、私たちが「回復の可能性」という視点から「三段階」に区分する認知症の症状、脳のリハビリにより回復させることが容易な「軽度認知症」(小ボケ)、次いで、脳のリハビリにより回復させることが未だ可能な「中等度認知症」(中ボケ)、最後に末期の段階であり回復させることが困難な「重度認知症」(大ボケ)の症状として発現するものなのです(ここを「クリック」してください)。

 その際、「小ボケ」、「中ボケ」、「大ボケ」へと症状が進行していく(重症化していく)原因(条件)となるのは、「加齢」以外の要件としては、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されていること(それだけ)なのです。分かりやすく説明すると、「前頭葉」を含む脳全体の出番が極端に少ない「単調な生活」が日々繰り返され、継続されていること、それだけが、発病及び症状が重症化していく原因となるのです。

     

「アルツハイマー型認知症」の症状が進行していく際に、この重症化の順序が、逆転することはないし、「小ボケ」の段階から一気に「大ボケ」の段階に症状が進行することもないのです。特定の遺伝子に生まれつき異常が認められる人達だけが発病する狭義の「アルツハイマー病」(若年性「アルツハイマー病」とも別称されます)の場合の症状の進行過程(極めて急激に症状が進行していってしまうのが特徴であり、且つ回復させる方法は、現代の医学水準の下では皆無)とは全く異なっていて、日々の脳の使い方としての活性化が期待できるような「生活習慣」の有無並びにその程度及び態様の影響を直接受ける「アルツハイマー型認知症」の場合の症状の進行は、極めて緩やかなものであって、私たちの言う早期の段階(「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つけて、脳のリハビリ(脳の使い方としての「生活習慣」の改善)を実行させることにより、正常なレベルに「前頭葉」を含む脳全体の機能を回復させることができるのです。

しかし乍ら、「大ボケ」の段階にまで症状が進行してしまうと(末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけていたのでは)、正常なレベルは愚か、「中ボケ」の段階に回復させることさえも困難になってしまうのです。「大ボケ」の段階にまで症状が進んでしまうと(「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルがそこまで衰えて行ってしまうと)、回復への道は閉ざされてしまうのです。「大ボケ」の段階に区分される中での症状の更なる進行、即ち、身体が持つ限り(命がある限り)症状が緩やかながらも重症化して行き続けるということになるのです。

   

& アルツハイマー型認知症のお年寄りの「家族介護」の問題

「小ボケ」や「中ボケ」の段階であれば、「家族介護」に重要な意味があるのです。要求される「脳のリハビリ」の実行自体を家族が支えることが不可欠ではあるのですが、脳の機能レベルに対応した脳のリハビリ(脳の使い方としての生活習慣の改善)が要求されるだけなので、それ自体はそれほど家族の負担にはならないだけでなくて、脳のリハビリの実践を家族が支えることによって、正常なレベルに回復させることができるからです。家族にとっても大きな達成感が得られることになるのです。

これに対して、「大ボケ」の段階にあるお年寄りを家族が支えるということは、症状がさらに進んでいくという困難な状況の拡大下で、家族が本人のセルフケアを支えることだけが要求されるという内容となってしまうのです。「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルがそこまで衰えてきてしまっているので(ここを「クリック」してください)、脳のリハビリは効果が期待できなくなり、そこには介護しかないのです。

  

同じ「大ボケ」の段階に区分される症状と言ってもその幅はとても広く、「前頭葉」を含む脳全体の機能が更に衰えていく中で、「前頭葉」自体が次第に機能しなくなっていきつつ同時に並行して、「左脳」が次第に機能しなくなっていき(左脳の認知機能障害が進行していくので、言葉による理解が次第に難しくなり、コミュニケーションの道が次第に閉ざされていき、「失語」の症状が出てくるようにもなる)、次いで、右脳が次第に機能しなくなっていき(併せて、右脳の認知機能障害も進行していくようになり、物の形や空間の理解も、音の理解も、知人の顔や家族の顔や自分の顔の理解さえも次第にできなくなっていき、自分が住んでいる家さえも自分の家と理解できなくなっていく等といった「失認」の症状が出てくるようにもなる)、最後は、運動の脳が次第に機能しなくなっていく(更に併せて、運動の脳の機能障害も進行していくようになり、着衣失行と呼ばれる症状「服を自分で着ることができなくなる症状」、或いは構成失行と呼ばれる症状「使い慣れた鋏や歯ブラシなどが使えなくなる」等といった「失行」の症状が出てくるようにもなる)ことになるのです。

「大ボケ」レベルのお年寄りを家族が介護する中核となると、介護する側の家族の自由な生活の道は閉ざされていき、介護する側の家族も共倒れとなってしまうのです。

       

 このような政策、「大ボケ」のレベルに衰えてきているお年寄りを家族が介護するという政策を制度化することは絶対にとってはならないのです。「大ボケ」の段階での介護こそ、介護保険で対応すべきなのです。現状は、蛇口を開きっぱなしにしたままでいるので(発病の「予防」にも無関心で、早期診断による「回復」にも無関心なままで、回復させることが困難になる末期の段階の症状を基準にして見つけているだけなので、医療費も介護保険の費用も増大する一方の状況なのです)、介護保険の財政的な破綻が心配になるのです。それなら、発病自体を予防する「地域予防活動」を制度化し及び「脳のリハビリ」により回復させることが可能な本当の意味での早期の段階(私たちの区分でいう、「小ボケ」及び「中ボケ」)で見つけて回復させる「早期診断」を制度化すべきなのです。これは医学的な可能性の問題なのではなくて、単に、政策的な課題に過ぎないのです。

 

     

& 「前頭葉」を含む脳全体の機能の衰え方に厳格な「規則性」が存在

なお、特筆すべき特徴として、「アルツハイマー型認知症」の場合には、脳の機能が衰えていく場合に明確な順番(規則性)があるのです。アミロイドベータの蓄積でもなく、タウタンパクの蓄積でもなく、脳の委縮でもなくて、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベル(脳の働き具合)が廃用性の異常で加速度的な機能低下を進行させていくその進行具合に対応しつつ、症状の重症化が進行していくので、MMSで測定する際の下位項目に、衰えていく明確な順番(厳格な規則性)が確認されるということなのです。私たちが開発した「二段階方式」を活用して得られた精緻な「アルツハイマー型認知症」の症例14689例を解析して得られた特徴なのです。

 

       

○ 「アルツハイマー型認知症」を発病する年齢別の発症率

私たちのデータによると、「アルツハイマー型認知症」を発病する「年齢別」の発症率は、「第二の人生」が始まったばかりの60歳代で12%もの高い割合を示します。更にその割合は、年齢が上がるにつれて高くなっていき、70歳代で30%、80歳代で50%、90歳代で75%、100歳代で97%にもなるのです。ただし、ここで言う「発症率」を示す数値は、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の段階にいる人達の全てを含んだ数値だということに注意してください。

 厚生労働省が発表している、「我が国には現在、450万人を超える認知症患者がいる」とする推計値は、「大ボケ」の段階の人達だけの人数なのです。私たちのデータによると、「小ボケ」と「中ボケ」とを併せた人数は、「大ボケ」の人数の4倍にもなるのです。しかも、一口に認知症といってもその種類は数多いのですが、その大半、90%以上を「アルツハイマー型認知症」の発病者達が占めるのです。

「脳血管性認知症」の診断が極めてずさんであることや「小ボケ」と「中ボケ」の段階の人達が見逃されていて、発病者総数や種類ごとの発症割合の人数に含まれていないことにも注意していただきたいのです。

 

    

&「アルツハイマー型認知症」の地域予防活動を国民的な課題に

○ 高齢化率25%が「二段階方式」導入の目安となる

私たちが市町村における「アルツハイマー型認知症」を対象とした「地域予防活動」を開始したのが1995年、今からちょうど20年前のことになります。それから「平成の大合併」が起きるまでの間は、「二段階方式」の導入先市町村(市の規模、大規模な市での導入は例外的)の数はうなぎのぼりに増えていきました。但し、それらの大半は、人口数が少ない市町村でした。そうした「二段階方式」の導入を急いだ市町村は、「高齢化率」が25%を超えているのが通常のケースでした。「高齢化率」が25%を超えてくると、徘徊する人達が増えてきて、対策に困った首長が注意を向けるテーマとなったものでした。ところが、現在では、我が国全体ベースで、「高齢化率」が25%を超えるところまで来ているのです。発病の予防というテーマを考えることもなく、早期診断による回復の道を考えることもなく、蛇口を開きっぱなしにしたままで居て、思いつく対策はといえば、介護保険料率を上げたり、果ては、「大ボケ」のお年寄り達の徘徊を地域で見守る程度のことしか考えないで良いというのでしょうか。

 

    

○ 予防にも早期発見による回復にも、医療機関は無関心

我が国は、今や、国全体での高齢化率が25%を超えるところまで来ているのです。どこに行っても、お年寄りが溢れているのです。この先、認知症を発病するお年寄りの数は(然も、その大半、90%以上を「アルツハイマー型認知症」の発病者が占めるのです)、増えていくばかりなのです。医療の現場で行われていることと言えば、発病自体の「予防」活動を考えもしないで、早期の段階で見つけて「治す」ことにも無関心で、回復させることが困難な末期の段階で見つけるだけの「医療行為」しか行われていないのです。

高額な診療報酬が得られるだけで、本当の意味での早期の段階を判定するには何の役にも立たないCTやMRIやPETを使用して、回復させることが困難な末期の段階で見つけて、その上、効きもしない薬を何種類も処方するだけで、医療機関(医師)としての社会的使命を放棄しているのです。1000兆円を超える累積債務を抱えていながら、こんなことがなぜ我が国では許されるのでしょうか。

      

○ 税金の無駄遣い、垂れ流しを許していてもいいのか

企業でのお勤めの経験がなく、世事に疎い私には、どうしても理解も納得もいかないことなのです。1万円札の新札を束にして、100万円の束で1㎝の厚さになります。この基準で計算すると、1000兆円という金額は、1万円札の新札を束にして、1万キロの高さになってしまうのです。基準自体の規定内容に重大な誤りがある「DSM-4」の規定をある意味で逆手にとって、錦の御旗に掲げて、「アルツハイマー型認知症」を、発病の予防もできないし、治すこともできないタイプの認知症であるとしたままで居て、年間20兆円を超える血税からの医療費(介護費用を含む)が投入されているはずなのです。然もこの金額は、この先増大する一方だと試算されてもいるのです。

○ 「アルツハイマー型認知症」の予防と早期診断による回復

「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」でしかないのです。発病自体の予防も(脳を活性化させる「生活習慣」の構築とその実践というテーマを、市町村の保健師さんが中核となり地域と協働して実践する形での「地域予防活動」のシステム化及び制度化)、本当の意味での早期の段階である「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で見つけて(調剤薬局やコンビニが主体となって実践する早期診断)による脳のリハビリ(脳の使い方としての「生活習慣」の改善)により、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを正常なレベルに改善させる(治す)ことも、できるのです。これを国民的な課題として、全ての市町村で、全ての地域で、60歳を超える年齢の全ての「高齢者」を対象にして、国民的な課題として取り組むのです。徘徊する老人を地域全体で見守るというシステムの制度化は、やっても構わないこととは思いますが、順番を間違えた本末転倒の政策なのです。発病の予防に全力を挙げて、早期診断により回復させることに注力して、その上で余力があるのであれば考えるべきことなのです。

    

○ 地域予防活動及び早期診断の担い手は、医療機関ではない

「地域予防活動」は、市町村の保健師さんが主導しつつ地域と共同して実践し、早期診断は調剤薬局やコンビニが主体となって指導することをシステム化する(実践企業には、何らかの税制上の優遇措置を講じる)のです。こうしたシステム化によって、発病自体を予防し、早期の段階で見つけて治すことができれば、現在投入されている20兆円を超える規模での血税の投入は、その大半が不要となって、子育て支援を含む他の有効な政策の実行に投入することができるのです。言わば、「蛇口を開きっぱなしにしたままでいる」のでは、発病者が増え続けるのは当たり前のことなのです。

「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、症状が緩やかにしか進行していかないことと身体が持つのが特徴なのです。何らかの他の病気が原因で、死を迎えることになるその時まで、症状が進行し続けていくだけなのです。すなわち、現状の制度のままでは、医療機関や製薬会社への血税の垂れ流しが続いてしまうということなのです。

    

○ 平成の大合併による「地域予防活動」継続への大打撃

ところが、人口数が大きい市や町(言い換えると、高齢化率が低い)が、人口数が小さい町や村(言い換えると、高齢化率が高い)を、吸収合併した平成の大合併により、吸収合併された側の町や村が行っていた「地域予防活動」の大半が中断されてしまったのです。

 企業の合併では、合併の効果をできるだけ早期に達成することが最大の目的であり急務となるのですが、市町村の合併の場合は、合併の効果として何を達成すべきなのかが明白でなく、効果の達成も急がれず、吸収した市や町が吸収された町や村で先駆的な活動として行っていた「地域予防活動」を、業務の突合せと見直しという作業により、自分たちが行っていないというだけの理由で、事業内容の検討も成果の確認も為されないままに、不要不急の事業であるかの如くに扱われ、大半が中断されてしまったのです。

 

    

○  市町村による「地域予防活動」と調剤薬局及びコンビニによる「早期診断」を国民的な政策課題に

国全体での高齢化率が25%を超えるに至った現在では、国は、どのように対応しようと考えているのでしょうか。発病の予防も、早期の段階(私たちの区分でいう、「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つけて治すにも、脳の使い方としての「生活習慣」の改善という方法しかないのです。

「アルツハイマー型認知症」の正体が廃用性の「生活習慣病」であるという、発病のメカニズム自体に鑑みるとき、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防できたり、症状の進行を抑制できたり、或は治すことができる効能がある薬など存在するはずもないのです(ここを「クリック」してください)。結果を生じさせている要因を詳細に観察し、精査し、厳密に判定してみれば、症状の進行が遅くなる(進行が緩やかになる)という結果に対して影響を与えていると考えられる種々の要因と症状の進行が遅くなったという結果との間の因果関係を厳密にチェックし、評価してみれば、薬が効いた結果でないことが分かるのです。研究者たちはそこのところをまだ知らないだけで、薬(治す効果は期待できないが、症状の進行を緩やかにする効果が期待できると銘打った販売がなされている薬のこと)が効いているかのように誤解しているだけなのです(ここを「クリック」してください)。私のこのブログ「アルツハイマー型認知症の(症状)の進行と段階的症状の各期間(A-67)で取り上げている、「脳を活性化させる生活要因」と言う諸条件を排除して、因果関係を判定すべきなのに、そのことにさえ気づいていないのです。因果関係の検討と評価の過程が雑なだけなのです。

    

○ 予防活動と早期診断の担い手は、医療機関には期待できない

一方で、医療機関は、高額の医療費が稼げるだけで(回復させることが可能な本当の意味での)早期の段階の発見には何の役にも立たないCTやらMRIやらPET等の機器を使用することにばかり関心があって、(回復させることが可能なのに)必要な規模での売り上げを期待できない「二段階方式」のような精緻な神経心理機能テストの活用には,全くのところ無関心なのです。

私たちが活動を開始してから間がない或る時期、老人保健施設や特別養護老人ホームを傘下に持つ50を超える大型の医療機関が「二段階方式」の導入契約を締結し、中には、中核となる医師自身が「二段階方式」の実務研修を受講するなどの動きも見られたのですが、その大半が、「二段階方式」がいかに精緻なものであっても、神経心理機能テストに対する保険点数が極めて低いがために、必要な売り上げが得られないというだけの理由で、「二段階方式」の実践を中断してしまい、今なお実践している医療機関は、ほんの僅かでしかない状況というのが実情なのです。

   

○ 米国精神医学会が定める診断規定「DSM-4」への盲従

日本だけでなくて世界中の認知症の専門家とされる人達(学者や研究者や医師達)が、「アルツハイマー型認知症」は、治すことができないタイプの認知症だと主張しているわけなのです。それは、「DSM-4」という権威だけは世界的ながら、中身が無い、もっと正確に言えば規定内容自体に重大な誤りがあるにも拘らず、専門家とされる人達が規定内容(診断基準としての確認が要求されている「第一の要件」と「第二の要件」の確認)を全く疑うこともなく、心から信望し、全面的に依拠してしまっている(専門家とされるが故に反って権威に盲従しがちともいえるのですが)ことが原因での主張に過ぎないのです。

 「第二の要件」に規定された失語や失認や失行等といった末期の段階の症状が発現してきて初めて、「アルツハイマー型認知症」の発病だと勘違いしている医療機関の医師達では、本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つけて治すことにも無関心なのです。権威にしがみつき、それに盲従して診断を行ってさえいれば、CTやらMRIやらPETやらといった極めて高額の診療報酬が得られる機器を無制限に使用できる上に、効きもしない何種類かの薬をできるだけたくさん処方して、更なる売り上げを上積みすることさえ自由に行える制度になっているところに重大な問題があるというべきなのです。

 回復させることが困難と分かっている末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけることに、何の意味があるというのでしょうか。インターネットで検索してみると、早期診断を呼び掛けている医療機関のブログやホームページが驚くほどたくさんありますが、それらの医療機関が早期診断と銘打っているのは、私たちが言う本当の意味での早期の段階(脳の「リハビリ」によって、回復させることが容易である「小ボケ」の段階及び回復させることが未だ可能である「中ボケ」の段階)を見つけるという意味ではないのです。回復させることが困難な「大ボケ」の中での早い段階を意味しているだけなのです。この段階で見つけて、薬を処方することが、そこで言う早期診断の意味であり目的なのです。

 

    

○  家族介護の制度化は、家族を崩壊させることにつながる

こうした状況を黙認したままで、家族介護に舵を切るのは、あるべき政策ではないのです。「アルツハイマー型認知症」を発病して、末期の段階にまで症状が進行したお年寄りを「家族」が介護するということは、「美談」では済まないのです。家族も共倒れになり、家族の人生が、破たんしてしまうことにつながるからです。家族介護を国策とするのではなくて、発病自体の予防となる地域予防活動並びに本当の意味での早期の段階である「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で見つけて治すことこそを国策とすべきなのです(ここを「クリック」してください)。

東日本大震災の被災地の高齢者たちの間で、我が国の他のどの地域とも異なる、異次元といえるレベルでの「アルツハイマー型認知症」の発病及びその重症化の進行という事態が確認され、回復させることが困難な末期の段階である「大ボケ」の段階の人達の他地域に例のないほどの大量の出現が確認され、マスコミが騒ぎ立てるようになるその日の到来を、指をくわえてただ待っているだけの状況なのです。あー、嘆かわしや!

注)本著作物(このブログ「B-44」に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   

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