(プロローグ)
私の一日は、お風呂に入ることから始まります。夜、就寝前に入るお風呂は、一日の汗を流す為のもの。私は、朝酒は嗜まないものの、朝風呂が大好きなのです。比較的ぬるめの温度にして、ゆったりと時間をかけて、入浴の時間を楽しむのが、日課の始まりなのです。
お湯はと言えば、何を隠そう、温泉なのです。かの有名な熱川から引いてきていて、24時間何時でも、46度の熱い温泉が使えるのです。
お風呂の窓を開けると、上の庭の景色が目に入ってきます。窓の前には、大人が6人は十分に入れる、大理石造りの大きな温泉露天風呂があります。
露天風呂の石縁に沿って、淡い桃色をした可憐な花をつけたカイドウの木々が植えられて居り、すぐ向こうは、柑橘類の小さな林になっています。すだち、カボス、シークワーサー、花ゆず、キンカンなどが植えてあります。柑橘類の林の向こうは、ちょっとした空間になっていて、その中央に大型のピザ窯が据えられています。煉瓦を積んだ土台は、縦が120cm、横が90cm、高さが80cmの大きさで、その上にピザ窯が据え付けられています。ピザ窯の縦は100cm、横は70cm、高さはドーム状の頂上部までが90cmになっています。このピザ窯は、Tadがお友達と一緒に据え付けた100%の手作りなのです。ちゃんとした、T型の鉄製の煙突も、外方向に開く扉もついているのです。
ピザ窯の中は、二段に構成されており、上下は直径が1cm程もある太い鉄製の棒が数十本も並べられていて、下の段に真っ赤に燃えた火を積んで、その上に鉄製の網の棚を置き、下側から輻射熱だけでピザ生地を瞬時に焼くと言うやり方なのです。外はパリッと焼けていて、中は柔らかに、ジューシーさを保ちつつ、生地が焼けるという仕上がりになる訳なのです。
とはいえ、燃えている木は1本もない発火状態になった炭を大量に積む方式なので、ピザ用のクヌギや楢の木が一度に何十本も必要になるので、お客さんの数が10人を超えるときしかピザ会は行われないのです。ピザ窯で焼いた手羽先と手製のピザを食べながら、シャンパンと白ワインをいただくのが、私たちの何時もの流儀なのです。
そのピザ窯を囲うようにして、右手の奥隅には、季節に紅色の花をつけるブーゲンビリアの木と山桃の巨木が並んで立って居り、その手前には、真っ盛りの新芽群が空に向かって伸びた状態の金木犀の巨木があります。眼を転じた左手奥には、現在は、シダを植え付けてある部分がTadにより丸刈り状態にされたままのカナリーヤシの巨木が2本あって、下の庭へ通じる石の階段の手前には、季節に紫色の花をつけるブーゲンビリアの巨木があります。こちらのブーゲンビリアの巨木は、下の庭のプールサイド側から、我が家の庭の写真を写す場合に決まってアングルに取り入れるものなのです。このブログ中の写真にしばしば登場してくる、あのブーゲンビリアの巨木なのです。それらの巨木の足元を飾っているのは、様々な種類と色のバラの木々なのです。どうですか、皆さん。上の庭の全体構成が大体想像して頂けたでしょうか。
(左は、KinukoとTadの本宅/エイジングライフ研究所)
それぞれが
&1 私たちの眼前に同時存在する内容及び覚醒度が異なる「複数の意識」は、人間だけに特有な「注意の分配力」の機能が操る世界:
お風呂に身を沈めて、ゆったりと朝の入浴を楽しみながら、この庭の景色をぼんやりと眺めているのです。その時、上の庭の全体像を私の目が捉えているのです。その全体像を一つの視野に入れた時、内容及び覚醒度が異なる複数の「意識」と言うか、或いは意識と言う二次元的な性質のものもではなくて、時々刻々と時の流れの変化とともに内容及びテーマが変化して行く世界であり、三次元むしろ四次元的な『意識状態』と言うべきものであり、『内容』及び「意識度」(個々の「意識の覚醒度」)が異なる/『意識的且つ、目的的な世界』が、複数/同時に並行して/存在していることに気付いて頂きたいのです。「主題」となって意識されていない世界も、意識度が「主題」のそれよりは低いものの、(内容及び覚醒度が異なる)/それぞれが別の意識状態の世界として、「複数の意識」の一つとして、存在しているのです。「主題」となる対象を/右奥のブーゲンビリアの木から、庭の中央に据え付けられているピザ窯に移したとき、主題こそ変わっても、同じように視野の中に捉えられている「意識度」が主題よりも低い複数の意識状態の世界が、そこには、同時に並行して存在しているのです。私たちの『意識』の世界は、基本的には、このような、「内容及び覚醒度が異なる/複数の意識の世界」の同時並行存在と言う形で/構築されているのです(=By Tad)。それを可能にしている脳機能が、今日のテーマである、世界中の権威(機関)が未だに無知である『注意の分配力』の機能と言うことなのです。
思考や発言することであれ、行為や行動、或いは言動であれ、意識的/目的的に行われるそれらの世界は、この「注意の分配力」の機能の関与無くしては、一瞬たりとも、存在し得ないのです!!
私が語っている、こうした「意識の世界」とそれを可能にしている「注意の分配力」の機能の働きについては、日本はおろか、世界中の哲学者も心理学者も脳科学者も、誰一人として、問題提起したことが無い、世界初の話なのです。この先、「意識」が覚醒した/目的的な世界に於ける/脳全体の司令塔の役割を担いながら、専門家達による研究が遅れていて、未知の領域に近い、『前頭葉機能』(前頭前野の穹窿部に局在する/①「前頭葉の三本柱」の機能(=意欲/注意の集中力/注意の分配力の機能の総称)/②「評価の物差し」の機能(=自我=意識の首座=脳の中のホムンクルス)/及び③「実行機能」(Executive Function)/と言う/3つの機能により構成されている複複合機能体の働きやそのメカが明らかになるにつれて、今日の私(Tad)の問題提起と説明が注目されることになるのです。私たち人間だけに特有な世界である、意識的/目的的な世界と「AD型認知症」の発病/症状の重症化の進行の世界とは切っても切れない関係にあるのですから!!!
私/Tadがこのテーマを今日持ち出すのは、「AD型認知症」の発病のメカを理解する(解明する)上で、早期発見と早期治療による回復(治療)の方法を解明する上で、或いは発病自体を予防する方法を解明する上で、「前頭葉機能」、及び「前頭葉の三本柱」の機能(私たち独自の命名)、就中、「注意の分配力」の機能の理解が、必要不可欠のものとなるからなのです。
アミロイドβを注入したアミロイド・マウスも、アミロイドβを吸収させたアミロイド・米も、「AD型認知症」の発病のメカの解明に、とりわけ、「AD型認知症」の治療薬/予防薬の開発に無関係だということを指摘しておきたいのです。何故なら、(3つの仮説)が主張の根拠にしている、①アミロイドβの蓄積/タウ蛋白の沈着/アセチルコリンの不足と②「AD型認知症」の発病/症状の重症化の進行との間には、「因果関係」自体が、存在していない」からなのです。「AD型認知症」と言うタイプの認知症の発病及び症状の重症化の進行は、 『前頭葉機能』を含む/脳全体の機能の『①器質的な病変が、惹き起こしている訳ではなくて、②廃用性の/加速度的で/異常な機能低下の進行と言う要因、仕事と言うテーマとは無縁の『第二の人生』を上での、『ナイナイ尽くしの単調な生活習慣』の継続と言う要因が、引き金となり、発病し/症状の重症化が進行して行くタイプの認知症、廃用症候群に属する/老化・廃用型の/『生活習慣病』が真の正体なのです。
早期発見(私たち「二段階方式」の区分で言う「軽度認知症(小ボケ)」及び「中等度認知症(中ボケ)」迄の段階で発病に気付いて、早期治療(「脳のリハビリ」を実践させる)により/回復させることが出来るし(治すことが出来る)及び/又は症状の重症化の進行を抑制することが出来るし、更には、『前頭葉機能が活性化する生活習慣の構築と継続的な実践の自助努力』により、『発病自体を予防することが出来る(脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫に基づく、「前頭葉」を含む脳全体を活性化させる生活の実践が不可欠の条件)』認知症なのです!!!
世界中の権威のある人達や組織、学者や研究者や医師達は、(権威だけは凄いが、誤りダラケの内容でしかない)米国精神医学会が策定した「DSM-Ⅳ」の規定内容に惑わされて、「AD型認知症」を、『重度の記憶障害が特徴の神経変性疾患であると、憶測に因り、誤解していて』、発病を惹き起こす原因要因が、「記憶の障害」(第一の要件として規定されている)であると誤解し、第二の要件が規定し確認を要求している失語(紛い)、又は失認(紛い)、若しくは失行(紛い)と言った/「極めて重度の症状」(私たち「二段階方式」の区分で言う末期の段階、「重度認知症(大ボケ)」の段階でも、更にその後期の段階、(30点が満点のMMSEの得点が、一桁にならないと発現して来ることが無い/極めて重度の症状)が発現して来ていないと、「AD型認知症」の発病とは考えようとは、しないのです。「DSM-Ⅳ」の基準に依拠した診断が常態化している医療の現場では、余りにも遅い段階、『極めて重度の症状』の確認を要求している診断基準に基づく/発病の有無の診断であるが故に、本当の意味での早期の段階、私たち「二段階方式」の区分で言う「軽度認知症(小ボケ)」の段階で発病を見つけて、「脳のリハビリ」を施せば/治すことが出来るタイプの認知症であるにも拘わらず、(極めて重度の物忘れの症状に起因した)症状であると誤解している『失語(紛い)、又は失認(紛い)、若しくは失行(紛い)の症状の発現を確認して初めて、「AD型認知症の発病だと診断している」のです(発病の「レッテル貼り」をするだけの、意味不明で、不条理な診断が、横行している』のです!!その結果として、『「AD型認知症」は、「治すことが出来ないタイプの認知症」にされてしまっている』のです!!!私たち「二段階方式」の立場、レベルから言わせて貰うと、『「AD型認知症」は、性質それ自体として、治すことが出来ないタイプの認知症}ではなくて、精神科医が、見つけている段階が遅すぎるが為に、治せないだけ』のことなのです!!!
脳の使い方としての視点と意味で言う「生活習慣」、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続こそが、「AD型認知症」の発病及び症状進行(重症化の進行)の真の原因なのです。猶、ここで私たち「二段階方式」が言う「単調な生活習慣」の継続とは、自分なりに追及する特定のテーマが無く、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続のことであり、こうした「生活習慣」こそが、発病を惹き起こし及び症状の重症化の進行の真犯人なのです。それ故に、廃用症候群に属する老化・廃用型の「生活習慣病」であるというその本質から(発病のメカ)、症状の進行を遅らせる効能を有する薬も、治療の効能を有する薬も、発病自体を予防する効能を有する薬も、未来永劫開発されることは有り得ないことなのだということを指摘し、強調しておきたいのです。脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫こそが、発病を予防する唯一の方法となるのであり、「脳のリハビリ」こそが、症状の進行を防止し及び症状を改善させる唯一の方法となるのです。
アミロイドβ仮説は世界的には、否定され破綻した仮説であるにも拘らず、何故か、我が国だけ、アミロイド・マウスとか アミロイド・米とか、肝心の因果関係の存在の実証が為されない儘に、意味不明の材料とデータを基礎にして、意味不明の主張が有力視されていて(その「アミロイドβ仮説」は、我が国を代表する東大及び京大、更には、理化学研究所が、追従していて、その三者機関が、我が国での「アミロイドβ仮説」の牙城なのです。権威だけを笠に着た、出鱈目な仮説を維持して行くだけの為に、税金と若い人材と時間とが、無駄に使用されているのが現状なのです)。
アミロイドβの蓄積による(老人斑)の出現も、タウ蛋白の蓄積による(神経原線維変化)の出現も、共に、「AD型認知症」の症状の発現の原因とは、無関係なのです。一番肝心である『因果関係の存在の実証が出来ない儘に、時間だけがむなしく経過している状況に在るのです。三者が、我が国では権威があるが故に、有力な主張であるかのような誤解を世間に与えているのです。こんな意味もない仮説に、大事な税金を投入するなどもっての他だと思うのです。
&2 重層的な意識の存在と注意の分配機能との関係
○ 意識的/目的的な世界と「前頭葉」機能の個別認知機能によるその認知度及び機能の発揮度の仕組み
意識的/目的的に何等かの「テーマ」を実行する場面では、観察、分析、考察、洞察、推理、想像、理解、判断、発想、連想、企画、計画、創意、工夫、予見、予測、ケース・シミュレーション、比較、修正、選択、整理、機転、抑制、感動及び決断等、複合機能体である「前頭葉機能」を構成している各種の高度な認知機能を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。認知度が一定レベル以下だと、例示した「前頭葉機能」の各種個別の認知機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした個別の認知機能によるその「認知度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉の三本柱」の機能なのです(「認知度」と「発揮度」とが共に、「前頭葉の三本柱」の機能レベルと「リンク」している/私たち「二段階方式」が、世界で初めて解明した「機能発揮上の二重構造」のメカの存在!!)。
「意識」が覚醒した/目的的な世界に於ける/脳全体の(司令塔の役割)を担っている「前頭葉機能」を核心の機能として、有機的な連携のもとに/「左脳」や「右脳」や「運動の脳」も参加して、脳全体で/何を/どのように/実行するのかを組み立てるには(自分が置かれているその状況を理解し、判断して、判断に沿って実行すべき「テーマ」をいくつか発想し、その中から1つを選択し、その実行内容及び実行の程度と態様とを組み立てるには)、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠となるのです。自分が現在置かれている状況と環境の判断をベースとして、様々な状況の変化を予測して考慮しつつ、いく通りかのケース・シミュレーションを経た上で最終的な実行内容及び実行の程度と態様とを決定し、最終的に実行に移すには、「注意の集中力」、就中、『注意の分配力』の機能の継続的な発揮が不可欠となるのです。
上述のように、私たち「二段階方式」が「前頭葉の三本柱」の機能と名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び『注意の分配力』の機能は、左脳/右脳/運動の脳の(三頭の馬が牽引する)/「三頭立ての馬車」の「御者」の役割、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉機能」の構成要素である「個別の認知機能」によるその認知度及び機能の発揮度を左右し、下支えする働きを担っていて、個別の認知機能を発揮するに際しての「機能発揮上の二重構造」の『大本の機能』としての役割を担っているのです。
世界中の脳科学者や認知症の専門家とされる人達の誰もが未だ気づいてはいないその「テーマ」である、「AD型認知症」の発病のメカが解明され、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」という脳機能の働き方のメカにも注目が集まることにより、やがては、「内容及び各制度がそれぞれに異なる複数の意識」が同時に並行して、同時に並行して存在している世界、即ち、「重層的な意識」の同時存在とそれらの「覚醒度」の差異という「テーマ」が、専門家達に注目される時代がやって来ることになるのです。「前頭葉の三本柱」の機能が、就中、『注意の分配力』の機能が担う担う重要不可欠のものとして、覚醒度が異なる複数の「意識」が重層的に、且つ同時に並存する状況下での/全体の及び/又は個別の「意識」の覚醒度を支配し、コントロールする機能を有しているという、脳の機能構造面からの問題を提起しておきたいと思うのです(『意識』は、人類最大の難問とされていて、此処で、私たち「二段階方式」が提示し、提起している諸問題は、世界初のものばかりなのです)。
「意識」が存在している世界と言っても、その「意識」の覚醒度が様々に異なる世界、対象となる特定の「主題」に絞り込まない限り/基本的には、『常に、内容及び覚醒度が異なる/複数の重層的な「意識」が構築されて/存在している』という、私たち人間だけに特有である「意識」の世界に、脳科学者達が未だ気付いていないのです。
或る特定の「主題」に「意識」を集中させて、一定レベルでの機能を発揮させるには、大本の機能である「意欲」の機能と/意欲の機能に下支えられた「注意の集中力」の機能の発揮が不可欠となるのです。又、複数の「主題」について、「意識」を同時に並存する形で構築させて、一定レベルでの機能を同時に発揮させるには、「意欲」と「注意の集中力」の機能に加えて、「注意の集中力」の機能に下支えられた、『注意の分配力』の機能の発揮が、不可欠となるのです。
但し、我が身が置かれている状況下での「主題」を選択し/特定の内容に意識を集中させる機能は、「前頭葉の三本柱」の機能ではなくて、別の機能である「状況を判断する機能」、即ち、私たち「二段階方式」が、世界で初めて提示し、提起する『評価の物差し』の機能(=意識の首座=自我=脳の中のホムンクルス)ではないかと私たちは考えているのです。「評価の物差し」の機能、「実行機能」及び『注意の分配力』の機能の三者が、協働して/関与することによって、同時に並行して存在する形で、「内容及び覚醒度が異なる/複数の意識」の世界が出現することになるのです。「前頭葉機能」と言う機能部位には、カメラのレンズの焦点を/特定の主題に選択的に切り変えるかのような機能が備わっているのです。『ナイナイ尽くしの単調な生活習慣』の継続に起因する/①廃用性の/②加速度的で/③異常な/機能低下の進行を本質の原因とする/「AD型認知症」の発病及び症状の重症化の進行については、脳の機能に衰えて行く明確で/厳密な順番があり、「前頭葉の三本柱」の機能については、最も高度な機能である「注意の分配力」の機能から、「注意の分配力の機能⇒注意の集中力の機能⇒意欲の機能」の順に、異常なレベルに衰えて行くのです。
私たち「二段階方式」の区分で言う、本当の意味での早期の段階であり、発病の最初の段階である、「軽度認知症(小ボケ)」の段階では、上述したような「意識が覚醒した/目的的な世界」では、脳の機能面から説明すると、自分が置かれている状況の理解と判断も、テーマの発想も、テーマに沿った実行内容の企画や計画も、実行結果についてのケース・シミュレーションも、最終的な決断も、「前頭葉の三本柱」の機能、就中、『注意の分配力』の機能の発揮が、不十分/不的にしか発揮出来ないレベルに迄、機能低下が進行して来ていることを根底とした世界、「機能の発揮度/意識度/認知度」の世界にあることを知るのです。
&3「軽度認知症(小ボケ)」の症状が発現するメカニズム
上記に列挙した本当の意味での初期段階の症状、すなわち「AD型認知症」の最初の段階の症状(「小ボケ」の症状)は、実は、「記憶の障害」とは関係がないのです。私たちが何かのテーマについて文章で考えを表現するとしましょう。どのようなテーマについて、どのような筋を展開し、どのような内容で表現内容を構成するか、或は、どのような言葉の表現方法を使用するか、全ては、①「前頭葉の三本柱」の機能/②「評価の物差し」の機能及び③「実行機能」の/複合機能体としての「前頭葉機能」の構成要素である/各機能の適切なレベルでの働き無しには、実行することが困難となるのです。
言葉を介して、何かのテーマについて、相手とコミュニケーションを適切に実行するにも、同様に、注意の分配力の機能が適切なレベルで働くことが不可欠となるのです。自分が置かれている現在の状況を理解して、其の上で、様々な対応の仕方(テーマの発想、実行内容の企画と計画、実行の程度と態様)をシミュレーションして、適切な選択を行い、最終的な実行内容を判断し決定しようにも、「注意の分配力」の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させて来ている「軽度認知症(小ボケ)」の段階における機能レベルの下では、もはや期待困難なことなのです。この「小ボケ」の段階で、上述したあらゆる場面で、『その人らしさは、失われている』ことにも、気付いて欲しいのです。
アミロイドβの蓄積による(老人斑)の沈着やら、タウ蛋白の蓄積による(神経原線維変化)等による神経細胞の脱落や滅失とやらが原因となって、「記憶障害」の症状を発現させ、且つそのことが、先に列挙した「小ボケ」の症状を発現させている訳ではないことを知るべきなのです。アミロイドβ仮説にこだわる学者や研究者の皆さん、何時まで、アミロイドβの蓄積とやらに執着し続けるつもりなのですか。
「AD型認知症」の発病の最初の段階である「軽度認知症(小ボケ)」の段階では、左脳も右脳も運動の脳も/全ての機能が、正常な機能レベルにあるのに対して、「意識」が覚醒した/目的的な世界に於ける/脳全体の司令塔の役割を担っている/『前頭葉機能』だけが、異常なレベルに衰えて来ているといいました。異常なレベルに衰えて来ているその機能とは、「注意の分配力」の機能を核心とした「前頭葉の三本柱」の機能のことなのです。「前頭葉の三本柱」の機能には、誰にでも確認される、生来的な性質としての「正常老化の性質」(私たち「二段階方式」が、世界で初めて発見した性質)が、内包されているのです。日々の暮らしの中で、「前頭葉機能」の出番が十分に確保されている脳の使い方としての「生活習慣」を構築し、実行していても、「加齢」の進行と共に衰えて行くという性質があるのです。20歳の前半を折り返し点として、100歳に向かって、緩やかではあるが/直線的に衰えて行くという性質のことなのです。『第二の人生』が始まったばかりの60歳頃には、最盛期の20歳の前半のころの半分くらいに迄、機能が衰えて来ているのです。従って、加齢と共に「正常老化の性質」という条件が進行してきた60歳を超える年齢の「高齢者」が(私たちが定義する、「AD型認知症」発病の「第一の要因/基盤の要因」)、何かを「キッカケ」にして、心が折れて、何事に対しても、「意欲」を喪失してしまい、自分なりに追及する特定のテーマが無く、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものが無い単調な日々の暮らし方、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が日々継続していると(私たち「二段階方式」が定義する、「AAD型認知症」発病の「第二の要因/加重要因」)、第一の要因と第二の要因と言う/異なる二つの要因が、『同時に並行して存在し、重なり合う』ことによるその『相剰効果』に因り、①「前頭葉の三本柱」の機能が/②「評価の物差し」の機能が/③「実行機能」が、「機能発揮上の二重構造」の下で/「機能の発揮及び発揮度の連鎖構造」に因り、加速度的で異常な機能低下を進行させて行くことになる、その行き着く先に、「AD型認知症」の発病/症状の重症化の進行が待っているという訳なのです。
発病の最初の段階が、「脳のリハビリ」により正常なレベルに回復させることが可能な段階であり(私たち「二段階方式」の区分で言う、「軽度認知症(小ボケ)」の段階)があって、次いで、症状の重症化の進行の抑制が、未だ可能な段階であり(私たち「二段階方式」の区分で言う、「中等度認知症(中ボケ)」の段階となり、最後に、為す術が何も残されていなくて、『介護』の対象となる末期の段階(私たち「二段階方式」の区分で言う、「重度認知症(大ボケ)」の段階があるのです。認知症の専門家とされる人たちは、『権威だけが世界一流で、内容的には、誤りダラケである/「DSM-Ⅳ」』の規定が確認を要求している/失語(紛い)、又は失認(紛い)、若しくは、失行(紛い)の症状とか言う、極めて重度の発病を確認できないと、発病とは考えない為に、「小ボケ」の段階も、「中ボケ」の段階も見落としていて、末期の段階である「大ボケ」の段階で、発病を見つけている為に、『「AD型認知症」は、治すことが出来ないタイプの認知症だと、誤解による確信を抱いている』ということなのです。
&4 『AD型認知症』の発病者の症状が進行して行く順番(「改訂版30項目問診票」)
&5 「前頭葉機能」という脳機能について、学者や研究者や医師達は無知
私たち「二段階方式」は、様々な種類が数ある認知症全体の90%以上の割合を占めている、「AD型認知症」と言うタイプの認知症に特化して、早期診断による回復と発病自体の予防を目的とした「住民参加型の地域予防活動」の実施を市町村の保健師さんを通じて、且つ地域のボランティア組織の協力を得ながら、小さな地域単位で展開し、市町村全体に拡大する活動を1995年以来、北海道から九州に跨る全国的規模、452の市町村で展開し、早期診断による「回復」及び発病の「予防」の両面で、顕著な実践の成果を挙げて来ていたのです。
世界中の専門家達の間では、「AD型認知症」は治すことも予防することも出来ないタイプの認知症とされて来ているのです。その根本的な原因は、認知症の専門家とされる人達が、脳全体の司令塔の役割を担い、私たち人間の意識的な世界を支配し、コントロールしている「前頭葉機能」と言う脳機能について、無知・無関心である上に、「意識」についても、無知・無知なことにあるのです。
私たちのように、「二段階方式」と言う神経心理機能テストを活用して、生きた人間の「前頭葉機能」を含む/脳全体の機能レベルを精緻なレベルで判定し、同時にその脳機能レベルに厳密にリンクした「症状」と脳の使い方としての「生活習慣」と言う「生活歴」を詳細に調べ、正常なレベルから始めて、正常下限、「小ボケ」、「中ボケ」の前半、「中ボケ」の後半、「大ボケ」と言う風に、段階を追って、順を追って、極めて精緻なレベルで客観的に判定し、鑑別して行けば、「AD型認知症」と言うタイプの認知症は、脳の器質的な変化が原因で発病してくるのではなくて、機能的な変化、「前頭葉機能」を含む/脳全体の機能についての、『廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行』が、真の原因(加齢の進行に因る「正常老化の性質」に加重する形での、発病を惹き起こす原因要因に因り、発病し・症状の重症化が進行して来るという「AD型認知症の発病の/真のメカ」を容易に解明することが出来るのです。
「AD型認知症」の発病の原因を/器質的な変化に求めて、「前頭葉機能」/を含む/脳全体の機能の機能的な変化(廃用性の加速度的で異常な機能低下)という視点に気づかない限り、脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫/「脳のリハビリ」という方法によって発病の予防も、早期診断による回復も可能である、廃用症候群に属する/老化・廃用型の単なる「生活習慣病」であるに過ぎない病気を、発病の原因も分からないし、発病を予防することも治すことも出来ない病気、マンモスに仕立て上げ、症状の進行の抑制については、効きもしない薬(症状の発現の仕方を亢進/又は抑制するだけのものでしかない「対症療法薬」を、治療薬と称して処方する不条理なやり方(制度化)を容認して来た最大の成果として、発病の予防と言う川上対策に背を向けて、末期医療と末期介護と言う川下対策に血道を上げて、天文学的な額の規模での血税の垂れ流しに、しているのが、厚労省なのです。その背景には、どんな種類の、族議員が群がっていると言うのか。
&6 (総まとめ)
認知症全体の90%以上の割合を占めていて、世界中の学者や研究者や精神科医達から、「発病の原因が分からないし、治すことが出来ないし、発病を予防する方法もわからない」とされている「AD型認知症」と言うタイプの認知症は、廃用症候群に属する/老化・廃用型の/単なる「生活習慣病」に過ぎないのです。
脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫を実践することにより/『発病自体を予防』することが出来るし、早期の段階で発病を見つけて(私たち「二段階方式」の区分で言う小ボケ及び中ボケの段階)、脳の使い方としての生活習慣の改善(「脳のリハビリ」)を実践することにより、治すこと及び/又は、症状の重症化の進行の抑制が出来るタイプの認知症なのです。
一部の学者が主張し拘泥している/アミロイドβの蓄積も、タウ蛋白の沈着も、アセチルコリンの不足も、「AD型認知症」の発病とも、症状の進行(重症化)とも無関係(主張する原因と発病との間には、肝心要の因果関係自体が存在していなくて、「無関係の関係」に在る!!!)のです。
注)本著作物(Bー04)に記載され表現された内容に係る著作権は、 (有)エイジングライフ研究所に帰属しています。