認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

アルツハイマー型認知症の進行、段階的症状と治療の可能性(A-83)

2013-04-21 | アルツハイマー型認知症に対する正しい知識

「アルツハイマー型認知症」は、日本だけでなくて世界中の医師や学者や研究者など認知症の専門家と言われる人達が、「原因もわからないし、治すこともできないし、予防することもできない」病気と主張しています。そうした主張の中核に「米国精神医学会」という特別な権威があり信望が厚い組織の存在があるが故に、誰もがその主張内容に疑問を抱こうとはしないのです。パソコンで「アルツハイマー型認知症」を検索すると、団体や医療機関や大学などにより開設されている驚くほどたくさんの「ブログ」が出てきます。そうしたブログの殆どが、「米国精神医学会」が定める「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM-4」の診断基準を金科玉条として引用したり、主張や説明の根拠にしているのです。

「DSM-4」の基準には、重大な過ちがあり、そのために、回復が可能な「早期の段階」を見落としていて、回復が困難な「末期の段階」でしか「アルツハイマー型認知症」を見つけられないでいることに、認知症の専門家とされる人達の誰一人として気がついていないのです(ここを「クリック」してください)。「アルツハイマー型認知症」の症状とされているものが「末期の段階」の症状であることに気づかないで且つ、「末期の段階」でしか見つけられていないことが原因で、「アルツハイマー型認知症は、原因不明で治らない病気」にされてしまっているのです。

私達は、「二段階方式」と呼称する神経心理機能テストを開発し、その活用により、早くから脳の司令塔である「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の働きに焦点を当ててきました。その結果、「脳の機能レベル」とその直接のアウトプットである「症状」との関係に関する極めて多数の「脳の機能データ」を集積し、解析してきました。「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であり、早期の段階で見つけて、脳の使い方としての「生活習慣」を改善することにより脳の機能を正常なレベルに回復させることで「治せる」し、脳を活性化する生活習慣の構築とその維持により発病を「予防」することもできる病気だという結論に到達したのです。

その結論に基づいて、1995年から市町村における「地域予防」活動の展開を主張し、440を超える市町村での実践を主導してきたのです。今日は、これまでの主張の集大成として、「アルツハイマー型認知症」の症状の進行と三つの段階に区分される段階的症状及びそれに直結している脳機能のメカニズムについて、順を追って説明したいと思います。

(コーヒー・ブレイク) 但し、私達の主張の内容に重大な関心を抱きつつも権威が不足していることに不安を覚える人が居るとしたらその方達は、東日本大震災の被災地の「高齢者」達の、今後3~5年年後(震災の被災から起算すると、5~7年後)の動向に関するマスコミ報道に注目しておいていただければと思うのです。我が国の他のどの地域の高齢者達の間にも見られない割合と規模での大量の「アルツハイマー型認知症」の発病者達の出現が、マスコミを賑わせ、世間を驚かせ、認知症の専門家と呼ばれる人達を仰天させることになるはずだからです(但し、マスコミや認知症の専門家とされる研究者や医師達が騒ぎ出すその段階は、末期段階の「重度認知症」の段階のことなのですが)。

さらに、「重度認知症」の人達の数の多さに注目するだけでなくて、「重度認知症」の段階の人達の数の4倍にも上るそれより軽い段階であり、「重度認知症」の予備軍である「軽度認知症」及び「中等度認知症」の段階の人達の存在が認知症の専門家達から見落とされていることも問題なのです。その極めて不幸な事実が「疫学的証明」となり、私達の主張が正しいことを証明してくれることになるのです。その不幸な証明を未然に防ぐには、関連する市町村の保健師さん達が中核となって展開する、地域密着型の「地域予防活動」を直ちに密に展開するしか方法がないことを注意喚起しておきたいと思います。

更に一言付け加えることがあります。それは、「アルツハイマー型認知症」の治療薬のことです。世界中の製薬会社が治療薬の開発にしのぎを削っていて、時々新薬なるものが世の中に出てきます。「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズム及び「前頭葉」を含む脳の構造と機能とに関する私達の知見からすれば、飲んだり貼ったりするだけで「アルツハイマー型認知症」を治す効能を有する薬が開発できるとは考えられないのです。どこまで行っても、どんなに手を尽くしても、出口を見つけることができない、迷路にはまり込んでいる、前途ある研究者達に、警鐘を鳴らしたいのです。既に市販されている薬が3種あります。治療の効能はないが、症状の進行を遅らせる効果があるとの触れ込みですが、私たちはその薬の服用による効能に関する因果関係自体に疑問があると考えています。当該服用の効果とされる周辺条件の中から、脳機能に関するデータの解析に基づいて脳を活性化させる要因として私達が例示的に取り上げている要素が排除されていないから(これらの要因は、脳を活性化させるので、症状の進行を遅らせ或いは僅かとはいえ回復させる効果があるからです。介護施設に居る認知症のお年寄りに、皆んな輪になり手拍子をつけながら唱歌を歌わせたり、簡単な炊事の手伝いをさせたり、遊戯をさせたり、運動をさせたりして賑やかに楽しませている事例を思い起こしてください)なのです(ここを「クリック」してください)。

○ 意識的な世界を支配している「前頭葉」の働き

頭のてっぺんの所には、身体を動かす指令を出す「運動の脳」があります。脳卒中で、半身麻痺になる人がいます。運動の脳の左の部分が壊れると、右半身麻痺が起きます。右の部分が壊れると、左半身麻痺が起きます。運動の脳の左の部分が右半身を動かしていて、右の部分が左半身を動かしているのです。脳の後ろの左側部分には、勉強や仕事などをする為の「左脳」があります。左脳は、言葉や計算や論理や場合分けなど「デジタルな情報」を処理しているのです。脳の後ろの右側部分には、趣味や遊びや人付きあいなどを楽しむ為の「右脳」があります。右脳は、色や形や空間や感情など「アナログな情報」を処理しているのです。

額のところには、脳全体の司令塔の「前頭葉」があります。その前頭葉には、発想したり、計画したり、工夫したり、推理やら洞察をしたりするための様々な働きが詰まっています。更には、自分の置かれている状況を判断し、種々ケースワークしたうえで、実行テーマの内容や実行の仕方を選別して、最終的に決定するために必要な「評価の物差し」という大事な働きがあります。

私達が意識的に何かの「テーマ」を実行しようとするとき、どのような「テーマ」をどのように実行するか、「運動の脳」をどのような目的のためにどのように働かせるか」(身体を動かす「テーマ」)、「左脳」をどのような目的のためにどのように働かせるか」(言葉や計算や論理や場合分けなどデジタル情報を処理する「テーマ」)、「右脳」をどのような目的のためにどのように働かせるか」(色や形や空間認知や感情などアナログ情報を処理する「テーマ」)、全ては司令塔の「前頭葉」が周りの状況を判断して決定し、「左脳、右脳及び運動の脳」に対し必要な指令を出して実行しているのです。

これが、意識的な行為或いは思考の実行における脳の働き方の全体像なのです。言い換えれば、運動の脳、左脳、右脳という三頭建ての馬車をあやつる御者の役割をしているのが、「前頭葉」なのです。三頭の馬を十分に働かせられるのも、不十分にしか働かせられないのも、前頭葉の働き次第ということなのです。御者が馬をあやつれなくなったら、どうなりますか? 馬はどこへ行ったらいいのか分からなくなってしまうでしょう。

意欲、注意集中力及び注意分配力の加齢に伴う衰え方

○ 加齢とともに誰でも脳の機能が衰えてくる「正常老化」の性質

脳全体の司令塔で、置かれている状況を判断したり、何かを思いついたり、計画を立てたり、工夫したり、洞察や推理をしたり、機転を利かせたり、感動したり、抑制を働かせたり、各種の高度な働きを担当している「前頭葉」の機能、中でも、その認知機能を正常に発揮する上でとりわけ重要な「認知度」を左右する「前頭葉」の三本柱の機能、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の働きには、上記「意欲、注意集中力及び注意分配力 」のグラフにみられるように、「加齢と共に老化し衰えていく」という重要なしかし専門家達からは見過ごされている性質があるのです

「前頭葉」の各種認知機能の認知度及び発揮度を左右しているこの「三本柱」の機能には、上図のグラフが示すように、18歳から20歳代までがピークで、20歳代を過ぎるころから100歳に向かって緩やかではあるが、一直線に衰えていく性質があるのです。 「アルツハイマー型認知症」を発病する人の割合が急に多くなってくる60代後半にもなると、脳の使い方としての生活習慣の如何に関わらず、「前頭葉」の三本柱の働き具合は、ピーク時の18歳から20歳代の頃に比べて、半分以下のレベルにまで衰えてきているのです。70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と、年をとればとるほど、「前頭葉」の三本柱の働きがさらに衰えていって、正常なレベルを保ちつつもどんどん「低空飛行」になっていくのが特徴なのです。

認知症の大多数90%以上を占めていて、専門家達からは原因も分からないし治らないし、予防することもできないと言われている「アルツハイマー型認知症」の正体は、加齢による脳の老化という性質(正常老化の性質)が基本に存在するのです。「加齢による脳の老化」という問題が基本にあるからこそ、「アルツハイマー型認知症」は、若者には関係なくて、「60歳代以降のお年寄りだけが発病の対象になる」のです。

  

正常な老化の過程とはいえ、加齢による老化により「前頭葉」の機能が低空飛行状態に入ってきている60歳を超えた高齢者と呼ばれる年代の「お年寄り」(年齢が「第一の要件」)が、脳を積極的には使わない生活、生き甲斐や目標もなく、趣味や遊びや人付きあいもなく、運動もしない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々続けていると(単調な生活の継続が「第二の要件」)、出番が少ないために使われることが極端に減った「前頭葉」が廃用性の機能低下を起こしてきて、第一の要件と第二の要件とが重なり合うことの相乗効果により、「前頭葉」を含む脳の老化が加速されていくことになるのです。

廃用性の機能低下により「前頭葉」の働きが加速度的に衰えていくその先に、「アルツハイマー型認知症」(晩発型アルツハイマー病とも言います)の発病が待っているのです。(注)第一の要件と第二の要件との相乗効果により廃用性の機能低下が進むときは、直線的ではなくて放物線を描いて加速度的に脳の機能が衰えていくのが特徴です(脳機能の加速度的な低下を示す下図を参照)。

 

その場合、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が最初に異常なレベルに衰えていき、次いで、左脳や右脳が異常なレベルに衰えていくのです。更には、「アルツハイマー型認知症」の場合は、MMSテストで判定される下位項目(「左脳及び右脳」の機能に関する項目)の衰え方にも、明確な規則性があることが重要な特徴なのです(衰えていく明確な順番とそのパターンがある)。「前頭葉」と「左脳及び右脳」のそれぞれの衰え方が、他の種類の認知症或いは認知症と紛らわしい病気(側頭葉性健忘症、感覚性失語症、一過性全健忘、老年期うつ病、緩徐進行性失行など)との鑑別の上で、極めて重要且つ客観的な指標としての役割を果たしてくれるのです(ここを「クリック」してください)。 

 脳全体の司令塔で、置かれている状況を判断したり、何かを思いついたり、計画を立てたり、工夫したり、洞察や推理をしたり、機転を利かせたり、各種の高度な働きを担当しているのが「前頭葉」なのです。中でも、意識的に何かの「テーマ」を実行をする場面で、「前頭葉」の各種の機能を発揮する上で不可欠で基礎的な働きをする「認知機能」を正常に発揮するには、一定レベル以上の「認知度」が確保されていることが必要となります。脳の機能についての専門家と世間で言われている人達でさえ未だ気づいていないのですが、その「認知度」を左右する機能の三本柱が、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の働きなのです(「前頭葉」の各種機能の発揮度に関わる「二重構造」の問題)

然もこの三本柱には、上述したとおり、「加齢と共に老化し衰えていく」という重要な性質があるのです。生き甲斐や目標もなく、趣味や遊びや人付きあいもなく、運動もしない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を送っていると言うことは、脳の機能面から言うと、「前頭葉」の機能の中でも最も基本的で不可欠な機能であり、「認知度」を左右する働きをしている「三本柱」の機能の出番が極端に少ない生活を送っているということになるのです。言い換えると、内在する「正常老化」の性質によって、もともと加齢により機能が衰えていく性質を持つ「前頭葉」の三本柱の働きが、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を送っている中で、膝の筋肉と同じように、廃用性の加速度的な機能低下を起こしてくることになるのです。 

(またまた、コーヒーブレイク) 意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では(例えば、ゴルフ仲間を家に招待して、男の手料理でもてなすという「テーマ」を考えてみてください)、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、発想、企画、計画、創意、工夫、予見、シミュレーション、修正、整理、機転、抑制、忍耐、感動及び判断等、「前頭葉」を構成している各種の高度な機能を発揮する上で不可欠の働きをする「認知機能」を正常に発揮するには、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠なのです。認知度が一定レベル以下だと、「前頭葉」の各種機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。「認知度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「三本柱」の機能なのです(「認知度」と「発揮度」とがともに、「三本柱」の機能レベルと「リンク」している)。ところが、この「三本柱」の機能自体に、「加齢と共に老化し衰えていく」という重要な性質があることは、前述したとおりなのです。脳の司令塔は「前頭葉」であり、その「前頭葉」の三本柱の機能に加齢と共に働きが衰えていくという性質、「正常老化の性質」が内在していることがミソなのです。このことに誰もが気づいていないことが、「アルツハイマー型認知症は、原因不明で治らないし、予防することもできない病気」などと勘違いさせてしまう主犯だったのです。

世間で認知症の専門家達から原因不明と言われている「アルツハイマー型認知症」は、上述したように、「加齢とともに脳の老化が進む」という(「第一の要件」)「ナイナイ尽くしの単調な生活の継続」という(「第二の要件」)の二つの条件の「相乗効果」によって、廃用性の機能低下というメカニズムにより、脳の老化が更に「加速」されことにより発病するというのが脳機能データに裏付けされた私達の結論なのです。

このメカニズムのもとでは、「第一の要件」は誰しも共通であって、「第二の要件」こそが「アルツハイマー型認知症」を発病するかしないかを決定づける条件ということになります。言い換えると、認知症の大多数90%以上を占める「アルツハイマー型認知症」は、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続という、第二の人生での「生活習慣」と密接不可分の関係がある病気なのです。「原因も分からないし治せないし、発病を予防することもできない」病気と言われ放置されたままになっている「アルツハイマー型認知症」という病気は、廃用症候群に属する単なる生活習慣病」に過ぎないというのが私達の見解(主張)です。

(ここで、コーヒー・ブレイク) 高齢になればなるほど、「アルツハイマー型認知症」を発病する人の割合が増えていきます。実態がそうであるとはいえ、どんな年齢の高齢者であろうと、年をとっているだけ(「第一の要件」の充足だけ)では、「アルツハイマー型認知症」を発病しないのです。他方で、「アルツハイマー型認知症」を発病する人達は高齢者に限られていて、年齢の若い人達がナイナイ尽くしの「単調な生活」を継続して送っていても(「第二の要件」の充足だけ)、発病することはないのです。

(注) 働き盛りの50歳代で「アルツハイマー型認知症」になる人が増えているなどとテレビで放映されることがありますが、認知症ではなくて認知症と紛らわしい病気である「側頭葉性健忘症」や「感覚性失語症」、或いは「緩徐進行性失行」等の病気とまちがえている場合が相当あるので、注意が必要です。これらは、若年性の認知症と誤診されるケースが多いのです。重度の「記憶障害」の症状や記憶障害と誤診されやすい「感覚性失語」による症状、或いは「緩徐進行性失行」の症状があっても、前頭葉」の機能レベルが正常な場合は、認知症ではないのです。

 ○ 脳の機能レベルのアウトプットとリンクした段階的症状

脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能だけが異常なレベルに衰えてきている段階、私達の区分に言う「軽度認知症」(「小ボケ)の段階では、左脳も右脳も未だ正常なレベルにあるのです。そもそも、「脳の働き具合」のアウトプット自体が、「症状」となって現れるのが「アルツハイマー型認知症」の特徴なのです。

左脳や右脳や運動の脳と協働しつつ、それらをコントロールしている脳の司令塔の「前頭葉」が異常なレベルとなり正常に機能しなくなった段階で、その働き具合のアウトプットも同時に異常なレベルのものになってしまうのです。つまり、この段階で既に、思考や行為の面で認知症の「症状」が発現してくるのです。この「小ボケ」の段階では、「社会生活面」に支障が出てきます。

(注) 脳の働きが異常なレベルに衰えてきて、そのために社会生活や、家庭生活やセルフ・ケア等に支障が起きてくるのが、「アルツハイマー型認知症」という病気なのです。脳の司令塔の「前頭葉」が正常に機能できなくなった段階で、ほんの少し前に食事をしたばかりなのに、そのことさえ思い出せないような「重度の記憶障害」の症状が出てくるようになるはるか前の段階で、「アルツハイマー型認知症」はもう始まっていることに、認知症の専門家と言われる人達が気づいていないのです。                                                                                                                                                                           

(再度コーヒー・ブレイク) 私達は、この始まりの段階を「軽度認知症」として区分しており、「軽度認知症」の次の段階、セルフケアには未だ支障が出てきていないが、 家庭生活に支障が出てくる段階を「中等度認知症」(中ボケ)の段階として、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階と区分しているのです。(注)「アルツハイマー型認知症」は、前頭葉を含む脳の機能レベルが認知症の症状として発現してくるものなのです。従って、上記三つの区分は、脳の機能レベルの三つの区分(「小ボケ」、「中ボケ」、「大ボケ」の各レベルごとの脳の機能レベル)に対応した症状の三つの区分(「小ボケ」、「中ボケ」、「大ボケ」の各レベルごとの症状)として区分し定義されていて、それらは全て極めて多数の「脳機能データ」により裏付けられているのが特徴です。                                                  

世間で認知症の専門家と言われる人達は、世界的に権威がある米国精神医学会の診断規定であるDSM-4」の規定の影響を強く受けているので、「重度の記憶障害」の症状を認知症診断の「第一の要件」と考えています。そのため、私達の区分である「重度認知症」(大ボケ)の段階になって初めて出てくる「重度の記憶障害」の症状が現れるようにならないと、「アルツハイマー型認知症」とは診断しないのです。つまり、世間では、私たちが「アルツハイマー型認知症」の始まりの段階と考えている「軽度認知症」(「小ボケ)を単なる「不活発病」として、「中等度認知症」(「中ボケ)を「老化現象」としてしかとらえていなくて、見逃してしまっているのです。

(注)廃用症候群に属する生活習慣病である「アルツハイマー型認知症」は、脳の機能レベルのアウトプットが認知症の症状として現れてくるので、専門家達が騒ぎ出す末期の段階の症状(私達の区分で言う「重度認知症」の段階の症状)が現れてくるまでに、回復が容易な「軽度認知症」(小ボケ)の段階と回復が未だ可能な「中等度認知症」(中ボケ)の段階があるのです。 DSM-4」は、「アルツハイマー型認知症」の要件について、「記憶の障害」(程度についての規定が欠けている)を第一の要件とし、失語、失行、失認又は実行機能の障害を第二の要件としているので(最後の項目に挙げられている実行機能というのが「前頭葉」の機能のことです)回復可能な「早期の段階」を見逃してしまうことになるのです。定義に掲げてある要件自体に重大な誤りがあることをここで指摘しておきたいと思います。

 ○ アルツハイマー型認知症の症状の進行とその期間

60歳代以降の「高齢者」と呼ばれる年齢の人達の仲間入りをしたお年寄りが、趣味や遊びも知らない、友達づきあいもない、運動もしない、目標や生き甲斐もない生活、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を継続していると、左脳、右脳、運動の脳のどこからも十分な情報がこなくなった脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」が、働く機会が極端に少ないために居眠りし始め、そのうち「寝たきり状態」になって、間違いなく「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです(この場合、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階が回復が容易な「軽度認知症」(小ボケ)の段階で、次が回復が未だ可能な「中等度認知症」(中ボケ)の段階で、最後の末期の段階が回復が困難な「重度認知症」(大ボケ)という3つの段階の症状を示すのです)。 

                                                                                                                                                                                                                                                     

「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)では、「社会生活面」で支障が出てきているとはいっても、家庭生活面にもセルフケアの面にも特別の支障は起きてこないので、本人も家族も「意欲が少し衰えてきたのかな」くらいに軽く考えて、そのままナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されていくことになります(ここを「クリック」してください)。

その状態が3年間も続くと、左脳や右脳も老化を加速し機能が異常なレベルに低下していくので(使われる機会が少なすぎることに起因する廃用性の加速度的な機能低下)、症状が更に進んで「中等度認知症」(中ボケ)の段階になります。「中ボケ」のレベルになると、「家庭生活面」でも支障が出てくるようになります(ここを「クリック」してください)。なお、「中ボケ」の期間は、短い人で2年、通常は3年が基準となります。

それでも、セルフケアには特別支障がないし、言い訳をする時の口先だけは未だ達者なので、家族も「年のせいかな」くらいに考えて、そのままの単調な生活を続けていると、脳全体の老化が更に加速されるので、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の症状が発現してくることになります(「大ボケ」の期間は、身体がもつ期間、言い換えると何らかの病名で死亡するまでの期間続くことになります。「大ボケ」の段階にまで脳の機能が衰えてしまうと、回復する可能性がなくなるのです。)。「重度認知症」(大ボケ)の段階になってくると、「セルフケアの面」にも支障が出てくるので、日常生活面での全面的な介助または介護が不可欠となります(ここを「クリック」してください)。

○ 「アルツハイマー型認知症」の進行と段階的症状

「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳の機能レベルが症状として現れてくるのが特徴です。「小ボケ」の脳機能レベルに対応する「小ボケ」の症状を示し、「中ボケ」の脳機能レベルに対応する「中ボケ」の症状を示し、「大ボケ」の脳機能レベルに対応する「大ボケ」の症状を必ず示すのです。私達は、「二段階方式」による神経心理機能テストを全ての被験者に実施して、各人の前頭葉を含む「脳の機能レベル」を三段階に区分して判定するとともに、定型フォームによる各人の生活実態を調査して認知症の症状の有無、個別の症状及び三段階に区分される「症状の段階」を判定します。その膨大なデータを解析し整理したものが標準化され様式化されています。従って私達の様式では、各段階ごとに軽い症状から重い症状へと症状が列記されているのです。皆さんは、表面に現れた症状しか観察することができないわけですが、私たちの区分と順番に照らしてみれば、発病者がどのレベルにいて、この先どのように症状が進行していくのかの大まかな参考資料にできると思いますので、活用してみてください(各段階ごとの「症状」を参照するには、ここを「クリック」してください)。

  注)本著作物(このブログA-83に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHPここを「クリック」してください)

 脳機能からみた認知症の初期の見わけ方(IEでないとうまく表示されません)

   http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist

 http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a

 


 

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アルツハイマー型認知症の予防と脳を活性化させる生活習慣(A-82)

2013-04-11 | 脳を活性化する生活習慣を考える

一口に認知症と言っても、いろんな種類があります。インターネットを操れる貴方なら、「認知症の種類」と打ち込んで検索してみてください。こんなにもあるのかと驚くほどたくさんの種類があるのです。驚くほどたくさんの種類がある認知症のうちの大多数、90%以上を占めているのがこのブログの主題である「アルツハイマー型認知症」なのです。(ここを「クリック」してください)

ところがその肝心の「アルツハイマー型認知症」については、日本だけでなくて世界中の医師や学者や研究者などの専門家と言われる人達が、「原因もわからないし、治すこともできないし、予防することもできない病気」だと主張しているのです。そうした主張がなされている原因を作り出している(張本人)は、「DSM-4」という米国精神医学会が定める「アルツハイマー型認知症」に関する診断規定なのです。その「DSM-4」の診断基準自体に重大な間違いがあり、そのため「アルツハイマー型認知症」については、末期段階の「重度認知症」の段階しか見つけられないのです。そして、末期の段階であるその「重度認知症」の段階の症状だけを取り上げて(それだけが、「アルツハイマー型認知症」の症状だと誤解し、それより軽い段階である「中等度認知症」や「軽度認知症」の段階で発現してくる症状を見落としていて)、治すことも予防することもできない病気だと誤解しているだけなのです。(ここを「クリック」してください)。

私達の大事な「ノウハウ」及びその裏付けとなっている「脳機能データ」について、その概要(使用するには、有償の「使用許諾契約」の締結が必要となる「ノウハウ」の一部分)であるとは言え、このブログを通じて公開している目的の1つは、そうした専門家とされる人達の主張が誤りであることを指摘することにあるのです。専門家達が誤った主張を続けているために、早期診断で正常なレベルに「回復」させることもなく、更には、発病の「予防」に取り組むこともなく、ただ「介護」を提案することだけが医療機関の役割になってしまっている現状を憂えているのです。専門家達や国民全体に「問題を提起」することにより、「地域予防」という正しい方向に向けてのコンセンサスを形成したいと考えているのです。

末期の段階である「重度認知症」の段階にまで症状が進んでしまうと、もはや回復の可能性はなくなり、「介護」するしか方法がなくなるのです。「介護」というテーマについても、際限もなく膨らみ続ける「介護のための費用」に抗しきれなくて、「家族介護」を柱に据えようという誤った方向に向かいつつある政府の対応ぶりについても、このブログを通じて問題提起したいと考えているのです。概要であるとは言え、私達の見解と根拠となるデータの一部分を開示することにより、(「アルツハイマー型認知症」は、原因もわからないし、治すこともできないし、予防することもできない病気である)とする誤った主張(見解)が世の中に浸透しきっている状況をできるだけ早く、転換させたいと考えているのです。

「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であり、早期の段階で見つけて(私たちの区分で言うところの「軽度認知症」と「中等度認知症」までの段階)脳の使い方としての生活習慣を改善することにより治せるし、脳を活性化する生活習慣の構築により発病を予防することもできるという私達の主張(見解)が我が国の離島の隅々にまでも深く浸透していくよう頑張っていきたいと考えているのです(エイジングライフ研究所は、「アルツハイマー型認知症」の地域予防活動の普及という目的に特化した小さな会社にすぎないのですが、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム及び性質に関する主張についてのコペルニクス的な転換を世の中に惹き起こしたいと考えているのです。このブログは、kinukototadao と入力すると検索できますので、周りの人たちにも教えてあげてください)。

我が国は、世界でも例を見ない「超高齢化社会」を実現し、誰でもが80歳や90歳まで生きられる「身体の健康づくり」を市町村の活動を通じて制度的に達成している一方で、「脳の健康づくり」とその機能レベルの維持及び改善については、手探りをする市町村の活動が少し動きだした程度で、制度化とかその定着には未だほど遠い状態なのです。そうした状況の一方で、高齢者の人口がどんどん増えていく中で、認知症のお年寄りの数も増え続けているのです。回復させることが困難で「介護」の対象でしかない末期段階の「重度認知症」(大ボケ)の段階にあるお年寄りの数が、我が国全体では300万人にもなっていて、この先その数は増加の一途をたどることになると予想されてもいるのです。

その上、私達のデータによる推計では、「軽度認知症」(小ボケ)のお年寄りの数と「中等度認知症」(中ボケ)のお年寄りの数とを併せた数は、「重度認知症」(大ボケ)のお年寄りの数の4倍にもなるのです。従って、できるだけ早く市町村を中核とする「地域予防活動」を制度化し、全国的な規模で展開しないと、「介護費用」が天文学的な額になってきて、超高齢化社会を維持していくうえで不可欠である「介護保険制度」の存続自体が怪しくなってくる勢いなのです。

(コーヒー・ブレイク) 昨年の3月にこのブログを開始してほぼ1年。おかげで、大勢の皆さんに読んでいただけるようになりました。Gooブログを利用しているブログの数だけで185万を超えるブログが公開されているのですが、そうしたブログの中でこのブログを読んでいただいている人達の一日当たりの総人数が上位から数えて2000番代に入ってきました。

他のブログとは内容自体が異質な上に、文章の量もきわめて多く、その上文章が読みずらいにもかかわらず、毎日多くの人達が読んでくださっていることに感謝し、勇気づけられています。「アルツハイマー型認知症」の早期診断による「回復」とその「予防」とが、市町村の重要な業務として制度化され、全国的な規模で、且つ地域に密着した事業として展開され、定着するようになる日まで、kinukototadao は、頑張っていきたいと思っています。

 

ところで、「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、毎日の脳の使い方という視点からの「生活習慣」が、発病あるいは進行回復並びに予防を直接に左右する性質のものである廃用症候群に属する「生活習慣病」であると私たちは考えているのです(ここを「クリック」してください)。私達の主張は、「二段階方式」という神経心理機能テストの活用による「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)を含めた「脳の働き具合のレベル」と脳の機能レベルとの間の因果関係がデータ的にきちんと確認されている「段階的な症状」に関する極めて多数の脳機能データに裏付けられています。更にそうしたデータは、北海道から九州まで幅広い地域に渡る400を超える市町村での「地域予防活動」の実践の成果にも裏づけられています。

 

「加齢による脳の老化」(第一の要件)と生き甲斐いなく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もないというあの「ナイナイ尽くしの単調な生活の継続」(第二の要件)という二つの要因が重なることにより、その相乗効果として、「前頭葉」を柱とする脳の機能が加速度的に衰えて行く結果発病する「アルツハイマー型認知症」という病気は、脳の機能の「衰え方」にも(他のどの種類の認知症にも認められない)重要な特徴があるのです(「機能老化の順番」とその「パターン」)。 その「特徴」となるのは、次の4つの項目に掲げる内容です。

最初に、脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」の働きが衰えていくこと;

次いで、「前頭葉」を支え協働して働く機能特化した「左脳」と「右脳」と「運動の脳」の働きが衰えていくこと

「加齢による脳の老化」とナイナイ尽くしの「単調な生活の継続」とによる相乗効果により機能が衰えていくとき、衰え方は加速度的であり、そのことが重度化していくにつれて症状に現れてくること

更に、「MMS」で測定される「左脳及び右脳」の機能の衰え方には「衰えていく下位項目の順番と特異なパターンがある」こと

達が開発した「二段階方式」の手技は、「三頭建ての馬車」の御者の役割を担う「前頭葉」の働き具合を「かなひろい」テストで測定し、馬の役割を担う「左脳と右脳」の働き具合を「MMS」テストで測定します。そして、脳の機能がどこまで衰えているのか及びその脳の機能レベルではどんな症状を特徴的に示すのかをリンクさせ、客観的な指標と総合的な判定により、認知症の有無の判定、「アルツハイマー型認知症」であるか否かの判定並びに認知症の重症度の判定をします(認知症の重症度は、回復が容易な軽度認知症「小ボケ」、回復が未だ可能な中等度認知症「中ボケ」、回復が困難な重度認知症「大ボケ」の3つの段階に区分)。(ここを「クリック」してください)

また、「前頭葉」を含む脳の働き具合のテスト結果について、集積された多数のデータの分析に基き確立された「指標」により、衰えていく脳の機能の順番とそのパターンを判定すること及び「キッカケ」を契機とするナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続期間中の「生活習慣」についての具体的な内容とその特徴を確認することができるので、「アルツハイマー型認知症」以外のタイプの認知症との鑑別及び認知症と紛らわしい病気との鑑別を客観的な指標に基づいて確たる精度の下に行うことができるのです。

世間では、「アルツハイマー型認知症」の症状についての段階的な区分やその評価の基準はなく、或る意味で「ドンブリ勘定」の基準による診断しか行われていないのです。私達は、「前頭葉を含む脳の機能レベル」と直接リンクさせた「認知症の症状」の指標に基づいて、回復が困難で介護するだけのレベルである「重度認知症」(大ボケ)と回復が容易な「軽度認知症」(小ボケ)及び回復が未だ可能な「中等度認知症」(中ボケ)を各々区別して正確に判定することができます。これにより、脳の機能レベルとその人の生活歴の特徴に基づき個別に策定される「生活改善」の指導により、適切な脳の活性化が図られ、正常レベルへの脳機能の回復と更なる重症化の防止を目的とする個別の具体的な対策がとれるように工夫されているのです。

 

上述したように世間では、症状の重症度区分の判定もなく、「アルツハイマー型認知症」であるか否かの判定しか行いません。然も、「重度の記憶障害」の症状を中核的な指標とする診断であるため、末期段階の「重度認知症」(大ボケ)の段階でしか「アルツハイマー型認知症」を見つけることが出来ないでいるのです。そのため、「アルツハイマー型認知症」であると診断された場合の対策は「介護」しかなく、「回復」の方法は全く考えられていないのです。その上、専門家達の間では、「発病のメカニズムも発病の原因も不明で、治すこともできない病気」と考えられているので、「アルツハイマー型認知症の予防」という「テーマ」は頭の片隅にもないのです。(「予防」というテーマは、全く無視されたまま)と言っても過言ではないのです。

私達が開発した「二段階方式」の手技を活用することによって、認知症の専門家達から「原因不明で治らない病気」と言われている「アルツハイマー型認知症」の早期診断と回復が可能となり、更なる重症化の防止や発病の予防自体までもが可能となるのです。一般住民は、医師を尊敬し専門家として信頼しているので、事業(ビジネス)としてペイしさえすれば、医療機関が「二段階方式」に代表される神経心理機能テストを活用して早期診断を実施することが、回復と更なる進行の防止の実績を挙げるには、一番効果的なのです。そうなれば、「アルツハイマー型認知症」は「生活習慣病」であるとの認識が一般住民の間に幅広く且つ急速に浸透していくことが期待でき、「予防」が現実のテーマとなるはずなのです。

ところが現状では、医療機関が事業(ビジネス)として実践するには、「神経心理機能テスト」の保険点数が低すぎ、アルツハイマー型認知症の診断に「神経心理機能テスト」を採用しても、事業としてペイしないことが最大のネックとなっているのです。従って現状では、事業展開上の採算を大前提としないで済む市町村の職員(保健福祉課、健康課などや在宅介護支援センターや地域包括支援センターなどの職員)と地域住民との共同による自主的な「地域予防活動」の展開に期待するしかないのです。但し、そのことを可能とするには、活動を展開する地域住民の「アルツハイマー型認知症」に対する正しい理解と認識(発病のメカニズム、早期発見による回復及び発病の予防法etc.)が不可欠となります。そのための啓蒙活動の一環として、このブログの公開という途を選択したのです。

 

(コーヒー・ブレイク) CTやMRIは、「脳の委縮の度合い」を形から判定するだけで、「脳の機能レベル」を判定することはできません。従って「アルツハイマー型認知症」の診断にCTやMRIによる画像はまったく役立たないはずなのですが、実際の診断場面では相当使用されているのです。CTやMRIによる画像診断と「物忘れ」などを中心とした「重度の記憶障害」による症状の判定とにより、「アルツハイマー型認知症」の形式的な診断が医療機関では行われているのです。

更に、「アルツハイマー型認知症」であると診断されると、「原因不明で治らない病気」と考えているので、「治す効果はないが、ケースによっては症状の進行を抑える効果がある」と開発した当の製薬会社自身がコメントしているだけの薬が何種類か処方されることになるのです。その結果、認知症の大多数90%以上を占める「アルツハイマー型認知症」は回復の可能性はなくなり、症状が更に進行していくだけで、「介護費用」が膨大なものとなっているのです。そうした状況の下で、「介護保険制度」が財政面から破綻していくリスクを抱えることになってしまっているという訳なのです。

個人の問題としてはもちろん重要なのですが、自治体や国の財政面からも、「予防対策」を考え制度化することが不可欠なのです。理由は、「アルツハイマー型認知症」は早期に見つければ治せるし予防することもできる病気、廃用性症候群に属する「生活習慣病」に過ぎない病気だからです。

 前3回のブログでその詳細を説明してあるように、高齢者の仲間入りをした年代のお年寄りが、趣味もない、友達づきあいもない、運動もしない、目標や生き甲斐もない生活、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を継続していると、左脳、右脳、運動の脳のどこからも十分な情報がこなくなった脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」が、働く機会が極端に少ないために居眠りし始め、そのうち「寝たきり状態」になって、間違いなくボケの花が咲くことになるのです。この場合、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階が回復が容易な「軽度認知症」(小ボケ)の段階で、次が回復が未だ可能な「中等度認知症」(中ボケ)の段階で、最後の末期の段階が回復が困難な「重度認知症」(大ボケ)という3つの段階の症状を示すのです。      

最初の段階の「軽度認知症」(小ボケ)では、「社会生活面」で支障が出てきているとはいっても、家庭生活面にもセルフケアの面にも特別の支障は起きてこないので、本人も家族も「意欲が少し衰えてきたのかな」くらいに軽く考えて、そのままナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されていくことになります。その状態が0.5~3年も続くと、左脳や右脳も老化を加速し機能が異常なレベルに低下していくので(使われる機会が少なすぎることに起因する廃用性の加速度的な機能低下を起こすのです)、今度は花が少し大きくなって「中等度認知症」(中ボケ)の花になります。「中ボケ」のレベルになると、「家庭生活面」でも支障が出てくるようになります。 それでも、セルフケアには特別支障がないし、言い訳をする時の口先だけは未だ達者なので、家族も「年のせいかな」くらいに考えて、そのままの単調な生活を続けていると、脳全体の老化が更に加速されるので、最後は「重度認知症」(大ボケ)の花になります。(ここを「クリック」してください)

 

「重度認知症」(大ボケ)の段階になってくると、「セルフケアの面」にも支障が出てくるので、日常生活面での介護が不可欠となります。さすがに家族の方も大変なので、認知症を専門とする精神科医のところへ駆け込むことになります。すると、「アルツハイマー型認知症は、原因も分からないし、治すこともできない病気」として、特別の治療や指導を受けることもなく帰されることになります。或いは、「治すことはできないが、症状の進行が遅くなる効果があるかもしれない」として、薬を出してくれる時もあります。

従って、この先の対応としては「家族による介護」が期待されていて、それがいよいよ無理となったところで「施設での介護」ということになります。「アルツハイマー型認知症」のお年寄りを抱えた「家族による介護」の現実はどうなのでしょうか。家族による介護が、書籍やテレビの報道などで美化されていることが多いのです。

このブログで何度となく指摘してきたように、医師がアルツハイマー型認知症であると診断したお年寄りは回復困難な末期段階の「重度認知症」(大ボケ)のレベルにあるのです。処方される薬と言っても、そもそも「治す効果はないが、ケースによっては症状の進行が少し遅れることがある」と開発した等の製薬会社自身がコメントを出している薬でしかないのです。

(ここで、コーヒー・ブレイク) 私達はその因果関係自体にも疑問を抱いているのです。その「薬」を服用した後の、薬の効果以外の要因に起因する「症状の進行を抑制する効果」が排除されていないからです。このブログの「老化のスピード差」というテーマで取り上げている「プラス要因」として例示的に取り上げてある要因が、脳機能の低下の進行を抑制しているはずだからです(ここを「クリック」してください)。

(本題に戻ります) 家族が介護して「アルツハイマー型認知症」の病気が治るのであれば、どんなに大変な苦労を伴おうとも、介護に従事した家族には苦労にも増して喜びがあると思いませんか。私達は、「重度認知症」(大ボケ)のレベルのお年寄りを抱えた家族が介護する様子を、日本全国でたくさん見てきました。

現職を辞めて、自分の人生を途中で投げ捨てて、年老いた「アルツハイマー型認知症」の親を長期にわたって介護する娘さんや息子さん達。年老いた「アルツハイマー型認知症」の夫(妻)を介護する妻(夫)。「原因が分からないし、治る可能性もない」と医師から宣告され、末期段階の「重度認知症」の症状を発現している「アルツハイマー型認知症」のお年寄りの家族による介護。「重度認知症」の段階にまで脳の機能が衰えてしまうと、もはや回復の可能性はなく、どんなに心を尽くして介護しても(脳の機能は更に低下していくだけなので)症状が重いほうに向かって更に進行していくだけなのです(身体がもつ間は、症状が重症化し続けるのです)。そうした介護に来る日も来る日も従事する家族の苦労は、筆舌に尽くしがたいとしか言いようがないのです。

                                                                                                                                                                                                                                     

○  (前置きが随分と長くなりましたが、ここからが今日のメインテーマです) 

専門家とされる人達(医師や学者や研究者)は未だに、「アルツハイマー型認知症は、原因も分からないし、治らない病気」と考えています。そのため、認知症の専門の医師達でさえ、「アルツハイマー型認知症」と診断しても、何らの説明も指導もアドバイスもできないのです。

私達は、上述した脳の機能データの分析から、「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する「生活習慣病」であり、早期段階(「小ボケ」及び「中ボケ」)で見つけて「生活習慣」の改善により「脳を活性化」することができれば、治すことが出来る(脳の機能を正常レベルに回復させることが出来る)と考えています。更には、「アルツハイマー型認知症」は、脳を活性化する「生活習慣」を心がけ構築することにより「予防」することもできると考えています。

 

○ 第二の人生を、「アルツハイマー型認知症」とは無縁で、自分らしくいきいきと生きるために不可欠な「生活習慣」を打ち立てるための「大原則」

「左脳」中心、仕事偏重だった第一の人生とは生き方を変えて、第二の人生では、「右脳」重視の生き方への転換を図り、周囲の目を気にせず、自分らしさが前面に出るような生き方をして、自分がイキイキしていると感じられる脳の使い方(「生活習慣」)を毎日の生活の中に打ち立てることが「必要不可欠の条件」となるのです。

 「左脳」を中心に据えて、「周りの人達に負けまいと頑張って生きてきた」第一の人生での「生き方」に大きく舵を切って、「右脳」を中心に据えて、「他人は他人として、自分なりの生活の楽しみ方」を追求すること、「自分の置かれた状況を肯定して、自分なりに人生を楽しむ生き方」が、第二の人生では要求されるのです。(ここを「クリック」してください)

 

「この生き方」こそ、「アルツハイマー型認知症」を予防する唯一無二の「特効薬」なのです。「キッカケ」となる状況が起きたときに、とくにこの考え方、生き方が必要となるのです。(その「キッカケ」となる状況の説明については、前回及び前々回のブログを参照してください)。

「意欲」が自然と湧いて来るような自分なりのテーマ、「注意を集中」したり「注意を分配」したりする(複数の異なったテーマを同時並行して実行する前頭葉の機能 )ことができるだけ多い「テーマ」に取り組む中で、自分らしい「生き方」、自分らしい「生活の楽しみ方」を追及し、そうした暮らし方(「生活の仕方」)が「生活習慣化」するよう努力して欲しいのです。

○ 「アルツハイマー型認知症」を予防するための五箇条

一、熱中し、夢中になれる趣味や遊びをできるだけたくさん持つ

二、たくさんの友達とできるだけ親しく交わる

三、自分なりの生き甲斐や喜び、目標となるものを見つける

四、精神的な張りと適度に緊張感のある毎日を過ごす

五、散歩程度でも良いから、運動する機会を出来るだけ多く持つ

         

「アルツハイマー型認知症」は、脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」が異常なレベルに衰えてくることが発病の最初の段階(「小ボケ」)なのです。逆に言えば、「前頭葉」が正常に働いている(正常レベルにある)限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないのです。 その「前頭葉」が生き生きと働いている状態を保つには、人生を自分なりに楽しむ「生活習慣」を組み立てて、「前頭葉」の出番が多い生活を心がけることが不可欠なのです。趣味や遊びや人づきあいといった「右脳」重視の生活が、「前頭葉」の働きを活性化させ、或いは前頭葉の元気を取り戻させるのに最も効果的なのです。

第一の人生を送っているとき、会社勤めをして肩書きが高かった人、公務員で肩書きが高かった人達のうちで未だに(「偉かった」と自負している人)は、趣味や遊びを「テーマ」とする集団の中には入っていけないのです。そうした人達は、地域のボランティア活動に目を向けると仕事をするのと同じ価値観で参加しやすいかもしれません。

 趣味も遊びも人づきあいも苦手と言う人には、「運動の脳」からの刺激が意外と効果的です。一日一時間の速足での散歩が目標(5000歩が目安)となります(ここを「クリック」してください)。

 注)本著作物(このブログA-82に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

  エイジングライフ研究所のHPここを「クリック」してください)

  脳機能からみた認知症の初期の見わけ方(IEでないとうまく表示されません)

 

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ナイナイ尽くしの単調な生活が始まるキッカケとその類型 (A-81)

2013-04-01 | 発病の引き金となる生活習慣とそのキッカケ

「アルツハイマー型認知症」を発病する直接の原因となる「第二の要因」とは、(生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない)という、あのナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続することなのです。ところで、「発病の第二の要因」であるナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるには、その「キッカケ」となる「生活状況の大きな変化」(或いは、「生活上の大きな出来事」)の発生というもう一つの関門があるのです。

 (一方で)、「左脳偏重」(或いは、「仕事中心」)の生き方(価値観)を第二の人生に入っても変えることができない人達は「アルツハイマー型認知症」を発病するリスクが高いのですが、(他方で)、生き方に対する考え方(価値観)に特別の問題がない人でも(或いは、趣味や遊びや人付き合いや運動など、自分なりの「テーマ」や目標や生き甲斐がある人でも)、「キッカケ」に遭遇することによって、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことが、「アルツハイマー型認知症」の発病との関連で極めて重要なのです。

 ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる分岐点は、2つあります。(1つは)、「キッカケ」に遭遇するかどうか、(そしてもう1つは)、遭遇した「キッカケ」に負けて、心が折れてしまうことになるかどうかなのです。「キッカケ」との遭遇に負けてしまい、心が折れて、(「意欲」を掻き立てたり、「注意を集中」したり、或いは「注意を分配」したり)する機会となるべき「テーマ」を見つけ出すことができない人は、(「前頭葉」の「三本柱」の出番が極端に少ない)あのナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるのです。

「前頭葉」の脳の老化を加速させ、「アルツハイマー型認知症」発病の引き金となるナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる「キッカケ」となる「生活状況の大きな変化」の発生(或いは、「生活上の大きな出来事」の発生)とは、どんなことを言うのか。それを要約すると、次の2つの類型に集約されます。分かりやすくするために、ここでは典型的な事例を取り上げて例示的に説明しておきます。

  第一の類型(「生活状況の大きな変化」の発生)

波乱万丈というのは余りないケースだと思うのですが、私達が「第二の人生」を生きていく上でも、自分を取り巻く「生活状況」に、様々な変化が誰でも起きてくるものなのです。運や不運、幸福や不幸、事故や事件、家庭内の問題、様々な人間関係の軋轢など、自分を取り巻くそうした「生活状況(環境)」が様々に変化していくものなのです。

時には、思いもよらない状況や環境の変化が起きてくる中で、それでも頑張って生きていこうという「意欲」(状況や環境の変化に対する対策や対処の仕方を考え、自分なりの「生き方」を実践していこうとする意欲)をこれまで支えてくれてきた「核となる生活」を継続できなくなってしまうような「生活状況の大きな変化」が起きてくること、それが、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになる「キッカケ」の一つのパターンなのです。以下に、具体例をいくつか示して説明しましょう。

☆ 趣味や遊びや人付き合いや運動を楽しむ体験というものがほとんどなく、言わば「仕事一筋」の人生を送ってきた人(且つ、その生き方を良しとする価値観の人)にとっての「定年退職」

「左脳」(仕事)中心の生活だけを生き甲斐に第一の人生を送ってきた人は、定年退職や家業の廃止や家業を息子に譲って仕事がない毎日が始まり、「左脳」を使う機会が極端に少なくなっても、趣味や遊びや人づきあいや運動など、「右脳」や「運動の脳」を使う機会となる「テーマ」への切り替えが出来ないのです。そのため、(時間だけはたっぷりあるのにすることがない)毎日、{「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の出番が極端に少ない}ナイナイ尽くしの「単調な生活」で日々を過ごすことになるのです。

文字通り「仕事一筋」(左脳偏重)の生き方で第一の人生を渡ってきて、そうした生き方に私なりの満足感があり、その一方で、右脳(趣味や遊びや人付き合い)がらみの体験にも、運動の脳(スポーツや運動)がらみの体験にも乏しかったのです。そのため、「趣味とか遊びとか運動とか」に価値がおけなくて、そのような「些事」に)熱中することが出来ないのです。そうした「些事」が、自分が(自分ほどの者が)第二の人生を生きていく上でのメーンの「テーマ」となる日常などには価値が置けないと感じるのです。そうした「価値観」を引きずっている限り、第二の人生に入っても、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」や「注意の集中力」や「注意の分配力」を使う機会となる「テーマ」自体を見つけることができないのです。

そうした考え(価値観)を引きずるお年寄りは、やっと出会った(見つかった)趣味や遊びなのに、その「楽しみ方」を知らないのです。「趣味や遊び」なのに、そのやり方がまるで「仕事そのもの」なのです。「第二の人生」での「趣味や遊び」のやり方に、第一の人生での「仕事」を遂行するとき使っていた「ルール」を適用しようとしてしまうのです。そのうえ、「周りの目」とか、「周りが自分のことをどう考えているか」ばかりを気にするのです。

こうした「左脳」(仕事)偏重の価値観が根底にあるので、第一の人生では顧みることもなく見過ごしてきた「テーマ」、結果よりも体験することや経過を楽しむことだけを価値とするような「テーマ」の設定ができないのです。趣味や遊びや人付き合いや運動も、全てが「仕事」を目的とするときと同じやり方(或いは、同じ「目標」設定のやり方)でしかできないのです。その結果、やっと見つけた「テーマ」も、(体験すること自体や体験する過程)を自分なりに楽しむことができないのです。

仕事と同じように結果重視で設定した「目標」を達成できないことで次第に意欲をなくしていき、途中でやめてしまうのです。そして、一度失敗を体験すると、失敗を恐れて他の新しい「テーマ」には挑戦しようとしないのです。終いには、有り余る時間を持て余すことになり、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々過ごす中で、出番が極端に少ない「前頭葉」が老化を加速させていくことになるのです(廃用性の加速度的な機能低下)。

 ☆ 「遊び」も、「運動」も、「人付き合い」も楽しむことがなく、やっと見つけた「特定の趣味」だけが生き甲斐の人が、その「趣味の会への参加を中止」せざるを得なくなること: 

もともと人付き合いが苦手だった私が、誘われて行き始めた「趣味」にのめり込んで、第二の人生を送るうえでの大きな「生き甲斐」となっていたのです。ところが、「趣味の会」の先生が高齢を理由にその会を中止されてしまったのです。普通なら、他の会に参加することや、他の趣味を見つけることを考える筈なのに、私にはそれができないのです。その特定の「趣味の会」が中止されたら、他の「テーマ」を見つけることができなくて、そのままナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるのです。

 ☆ 親や兄弟、子や孫、友人、ペットなど大事な人や動物との「別離や死別」:

親や兄弟との死別で心が折れて、そのことが契機となり、ナイナイ尽くしの単調な生活に入っていくのは或る意味で理解ができるのです。両親が共稼ぎの孫の親代わりとなって、孫の世話を一身に引き受けてやってきて、それが「唯一の生き甲斐」になっていた私にとって、進学を契機に孫が自分から手離れていくと、もう何もしようとしなくなるのです。気が抜けてしまい、心に空洞ができてしまって、別の「テーマ」を探そうという気にもならないのです。そのまま、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていってしまうのです。

※ 第二の類型(「生活上の大きな出来事」の発生)

本人から見て(客観的な評価ではなくて、主観的な評価であることが重要)、生きる意欲をなくしてしまうような「出来事」が発生し、解決の糸口さえも見つけ出せないままに、その状況が継続されることで心が折れてしまい、拠るべき「テーマ」を探すことも見つけることもできないで居るうちに、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるのです。

☆ 自身の重い病気の発病や大きな怪我など:

趣味を楽しんだり、人付き合いを楽しんだり、小旅行を楽しんだりする生活があって、それなりに生き甲斐や喜びを得られる機会があり、自分なりの目標や喜びや生き甲斐がある生活を送っていたのに、大きな怪我(ex.骨折)をして長期間入院したり、病気になって床に臥せるだけの毎日を過ごすようになると、意欲や注意の集中力や注意の分配力が働く「テーマ」が何もない生活になるので(毎日のようにお友達が入れ代わり立ち代わり訪ねてきてくれ、世間話に花を咲かせるというわけにはいかないので)、その状況自体がナイナイ尽くしの「単調な生活」になってしまうのです。

 ☆ 子供の失業や借金問題、孫の不登校など家庭内の「重大な心配事」の発生とその状況の継続:

子供の失業や借金問題、孫の不登校など家庭内の「重大な心配事」が発生し、解決策を見いだせないまま、その状況が継続していると、趣味であれ、遊びであれ、人付き合いであれ、運動であれ、買い物その他の用事であれ、(何をしていても、何時も、何処にいても)、心は上の空状態」なのです。「心、此処に在らず」の状態のもとでは、「前頭葉」の三本柱の機能の働く機会がないのです。

(いつもそのことが、気がかりで、心配で、心にかかっている)ので、何かの「テーマ」をやっていてもそのことに注意の集中力を働かそうにも集中できないのです。頭を回転させようにも注意の分配力が働かないのです。意欲も湧いてこないのです。形の上では、いろいろな「テーマ」をやっているようでいて、脳機能の実質面からは、「前頭葉」の三本柱の機能がちゃんと働かない、つまり何もやっていないのと同じような状態なのです。

 こうした他人には言えない「身内の重大な問題」が発生した時、普段の生活状況では、たとえ趣味や遊びや人付き合いの集いに参加していたり、スポーツや散歩を友人たちとやっていても、「心はいつも上の空状態」で、何かを楽しむ心の余裕もないのです。家庭内の問題を抱える状況が発生し、継続していると、人に会うのも恥ずかしいので、趣味や遊びの集いにも次第に出て行かなくなるのです。だからといって、自分の力ではどうすることもできないため、いわゆる「うつ状態」と言われるような精神状態に陥りがちなのです(「うつ病」ではなくて、「老人性うつ」)。そのうち何かをする気力もなくなり、意欲もなくなって、家に閉じこもりがちの生活になっていくのです。生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていくことになるのです。

☆ 夫(妻)が重度の認知症や重い病気を患い、「介護に追われるだけ」の毎日:

「前頭葉」は、自分の置かれている状況を判断し、その状況に沿った「テーマ」を考え付き、「テーマ」の実行内容や程度や態様をシミュレーションした上で、最終的な内容を決定し、左脳や右脳や運動の脳に指令を出す司令塔の働きをしているのです。「重度認知症」の段階の症状が出ているということは、その人の「前頭葉」は殆ど機能していないレベルにあるのです。「大ボケ」の症状が出てくるようになると、脳の機能を「中ボケ」のレベルにもどすことさえも、「小ボケ」のレベルに戻すことも、元の正常なレベルに戻すこともできないのです。「大ボケ」のレベルの中で、更に重い症状を出すようになっていくだけなのです(ここを「クリック」してください)。

(脳の働きがもたない一方で身体がもつことがその特徴である)「アルツハイマー型認知症」の「重度認知症」(大ボケ)の段階の症状を発現しているということは、言い換えると、脳の機能の更なる衰えが同時に進行しているということでもあるのです。「前頭葉」だけでなくて「左脳も右脳も運動の脳」の機能も、全く働かなくなる状態に向かって、同時進行的に衰えていっているのです。(市町村での多数例に基づく助言)なのですが、妻(夫)が「中ボケ」(或いは、「大ボケ」)レベルの夫(妻)を世話するだけの生活を続けていると、高齢者であるその人(妻又は夫)もやがて「アルツハイマー型認知症」を発病して、「小ボケ」のレベルに入っていくケースが相当多いことを警告しておきたいのです。

※ 第二の類型と第一の類型の同時発生

☆ 東日本大震災の発生と発生後の生活状況:

東日本大震災は、世界にも例がないほどの未曾有の大震災でした。被災した高齢者は誰でも、「生活上の出来事」としても「生活状況の変化」としても、共に言葉では言い表すこともできない程の衝撃を受けられたと思うのです。我が身だけでなくて、家族や兄弟や親類縁者を含む一族の思い出が詰まった地域全体が被災し、街全体が壊滅的な被害を受けたのです。家族や親族を失った人たちも多く、生活の基礎である家屋や店や勤め先や田畑や船や筏までもを失った人も多く、景色も思い出も消失してしまったのです。その上、被災から2年が経過したというのに、復興が遅々として進んでいないのです。この先の生活自体が全く見えないという状況に置かれているのです。支援も途切れてきて、日々の生活にさえ大きな不安を抱えている状況なのです。

こうした現実の中で、「前頭葉」の三本柱である「意欲や注意の集中力や注意の分配力」を発揮する機会が多い「テーマ」をどのようにして見つけろというのか、被災した高齢者に求められるはずもないのです。とはいえ、ナイナイ尽くしの「単調な生活」のもとでは、出番が極端に少ない「前頭葉」が、廃用性の機能低下、加速度的な機能低下を必ず起こしていってしまうことになるのです「キッカケ」を契機にして、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々継続するようになって、「小ボケ」の期間が「キッカケ」の発生時から0.5~3年、「中ボケ」の期間が4~5年、6年経つと「大ボケ」になるのが大原則なのです。だからこそ、東日本大震災を被災した「高齢者」の今後の生活状況を、私たちはとても心配しているのです。

○ 「キッカケ」の受け止め方がポイント 

(本題に戻って)同じような「生活状況の変化」(或いは、「生活上の出来事」)が発生しても、生活状況(或いは、出来事)の発生に対する個人ひとりひとりの受け止め方が異なるので、「生活状況の変化(生活上の出来事)」発生後の「生活習慣」(日々の脳の使い方)は、それぞれに違うのです。或る人は、「生活状況の変化(生活上の出来事)」の発生が「キッカケ」となって、気持ちが落ち込み(心が折れてしまい)意欲をなくしていって、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるのに対し、或る人は「生活状況の変化(生活上の出来事)」(出来事)の発生があっても「キッカケ」とはならないで、(心が折れてしまわないで)意欲を取り戻し、何かの「テーマ」を自分なりに見つけ出して、日々の生活をそれなりに楽しんでいくことができるのです。

このことは、次の例示のように、具体的に考えると理解しやすいと思います。(我が国ではよく見かけるケースなのですが)「定年退職」で仕事を取り上げられてすることもなくなり、3年もたつと見る影もなく衰えボケてしまう人もいれば(この段階では、未だ「小ボケ」)、「定年退職」で自由な時間がいっぱいできたのをきっかけに、自分なりに趣味や遊びや人づきあいを楽しんで、生き生きと生活していく人もいるのです。或いは、世間でよく言われるように、「夫を亡くしたおばあさん」は半年もたつと楽しげに生活をエンジョイするようになることが多いのに対し、同じように「妻を亡くしたおじいさん」の多くは次第に元気をなくしていくのです。

前者と後者とを区分けるキーポイントは、発生した「生活状況の変化(生活上の出来事)」を当の本人がどのように「受け止めたのか」にあるのです。「アルツハイマー型認知症」を発病することになるかならないか、それは「生活状況の変化(生活上の出来事)」の発生に対する「本人の受け止め方」次第ということになるのです。その結果、本人の心が折れてしまい、意欲を喪失してしまったかどうかがキーとなるのです。

「アルツハイマー型認知症」の発病を回避するには、ナイナイ尽くしの「単調な生活の継続」という「第二の要件」の充足を回避しなければならないのです。「第二の要件」の充足を回避するには、上述した事例に見るような「生活状況の変化(生活上の出来事)」が発生した時、その「生活状況の変化(生活上の出来事)」に本人自身が負けないことが必要不可欠となるのです。「アルツハイマー型認知症」の発病を左右する直接の原因は、アセチルコリンでも、アミロイドベータでも、タウタンパクでも、脳の委縮でもないのです。その時遭遇した「生活状況の変化(生活上の出来事)」を「キッカケ」として、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に入っていったこと(及びその継続)が直接の原因となるのです。

第二の人生を送っているお年寄り(及びその家族)は、このことを深く心に留めておいて欲しいのです。「生活状況の変化(生活上の出来事)」の発生に遭遇した時は、そのことに負けて気持ちが落ち込み、心が折れてしまわないよう頑張って欲しいのです。その状況に対して自分が取るべき脳の使い方(「生活習慣」)に十分注意して欲しいのです。ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まる「キッカケ」とならないよう、是非とも頑張って欲しいのです。その時、本人が頑張り、踏ん張ることが第一なのですが、家族からの支えも必要なことは言うまでもありません。 

  

 ○ 「キッカケ」の例示(例示事例に拘わらず、様々な事由、態様及び程度があります):

□ 仕事の第一線を退くこと

 (定年退職、家業の廃止、家業を息子に譲る、嫁に家事を譲る)

□ 世話役を降りること(子供や孫の手離れ、地域の世話役を退く)

□ 配偶者の死亡(特に、妻が死亡したときの夫)

□ 趣味や遊びやお茶飲み会などの「集いの会」の中止

□ 重大な病気や怪我、身体上の不具合、配偶者の看病生活

□ 重大な災害により、財産や家族や友人や思い出を失うこと

□ 家庭内のトラブルや心配事

□ 友人や自分自身の転居

□ ペットの死亡

 □ 兄弟姉妹の死

 □ 周囲との接触もない孤独な一人暮らし

 注)本著作物(このブログA-81に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHPここを「クリック」してください)

脳機能からみた認知症の初期の見わけ方(IEでないとうまく表示されません)

 

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