認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

アルツハイマー型認知症の発病は、第二の人生での生き方が原因(B-74)

2017-01-01 | アルツハイマー型認知症の初期症状の正体

         謹 賀 新 年

  2017年の元旦の今日と言う日に、昨年1年間の過ごし方を振り返り反省しながら、緩やかとは言え衰えつつある吾が「前頭葉」の機能を正常且つ高度な機能レベルに維持していく為に今年はどのようなテーマを中核に、どのような生き方をして行くべきか、「一年の計」を立てているところなのです。近い将来に、住民参加型の「地域予防活動」が、国の基本方針として、我が国の隅々にまで展開されることが制度化されるときに備えて、「二段階方式」の各種マニュアルの改定、「脳機能データ」管理ソフトの改定、小冊子及び基本書の改訂、万年カレンダー及び脳イキイキノート四季版の著作並びにGooブログの継続的な著作等のテーマをそれなりに進めてきてはいるものの、もっと劇的な変化が欲しいと考えていたのです。

その劇的な変化のスタートともなるべき大きな「テーマ」が今まさに動き出そうとしているのです。皆さんには、詳細は未だ内緒のことなのですが。本年は、このテーマを核として、精一杯頑張って行こうと決意を新たにしているのです。

その手始めに、様々な種類がある認知症の大多数、90%以上の割合を占めていながら、世界中の認知症の専門家達(学者、研究者、医師)の間で『発病の原因が分からないし、治すことも発病自体を予防することも出来ない』とされている「アルツハイマー型認知症」についての私たちの主張の要点とその概要を、この元旦のブログで整理してみようと思い立ったのです。このGooブログ上で私たちの主張の概要と根拠となる「脳機能データ」を公開し始めて5年半の時が経過する中で、174回に及ぶ掲載を数えることが出来ました。私たちの主張の根幹となる内容だけでなく、様々な視点から様々な「テーマ」を取り上げて書いてきました。それにも拘らず、174回の掲載内容は、相互に完全に合致したものとなっています。言い換えると、矛盾するところが全くのこと一か所さえも無いのです。「脳機能データ」の中身とその解析結果から言っても、或いは、北海道から九州まで440を超える市町村で実施した住民参加型の「地域予防活動」の成果から言っても、私たちが主張している『「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、廃用症候群に属する脳の使い方としての「生活習慣病」であって、私たちの区分で言う「小ボケ」び「中ボケ」(本当の意味での早期の段階)で見つけて「脳のリハビリ」を実践することにより治すことが出来るし、気心が知れた仲間達と出来るだけ多く交わる機会を持つ生活の中で、考え、従事し、或いは実践することにより、「前頭葉」を含む脳全体が活性化して自分なりの「生き甲斐や喜び」が得られるもので、自分なりに継続できて、打ち込められそうな、趣味や遊びや人付き合いや運動、或いは町興しなどの地域活動といった「テーマ」の中から、自分なりに興味や関心が持てるものを選択して、且つ、達成すべき自分なりの「目標」を立てて、日々それを実行する「生活習慣」を打ち立て実践してさえいれば、発病自体を予防することが出来るタイプの認知症である』という主張内容は、完全に正しいものなのです。

 発病の対象となる60歳を超えた年齢の「高齢者」が、仕事とは無縁の「第二の人生」で、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防するには、「前頭葉」の出番を出来るだけ確保し「自分なりに脳が生き生きと働く」日々を過ごしていることが必要不可欠の条件となるのです。その為には、「家に籠っている」だけの消極的に生きる生活から抜け出て、お年寄り達が集まっている場所に積極的に出かけて行き「お茶仲間」に入れて貰い、様々な「笑いの仲間」に入れて貰うだけでも、「前頭葉」の出番が増えるのです。要は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)を居眠りさせないことが絶対の条件なのです。今年、今月、今週、今日と言う単位で、自分なりのものであって、近くなるほどより具体的な「テーマ」、「目標」がある「生き方」を追求して頂きたいと願うのです。そのチェックポイントは、『自分が、楽しく、生き生きと生きられているか』ということなのです(Yes,I can !).この条件が確保できている限り、貴方が、「アルツハイマー型認知症」を発病することは無いのです。私たちが規定する「発病の第二の条件」である、『生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に陥ることは無いからなのです』。「アルツハイマー型認知症」は、脳の使い方としての「生活習慣病」だからです。私たちのこの主張は、権威不足で現在は未だ社会的にそれほどの評価も注目も得られてはいないのですが、いづれ近い将来に必ず専門家達も社会も同意することになると確信しているのです。

私たちの主張内容は、私たちが独自に開発した「二段階方式」と呼称する神経心理機能テスト(意欲、注意の集中力及び注意の分配力と言う機能と「前頭葉」の個別認知機能の発揮度との相関関係に着目した「二重構造」の問題、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの精緻な判定、脳全体としての機能レベルに厳密に合致した「三段階」に区分する「症状」の類型化、廃用性の機能低下と言う「アルツハイマー型認知症」の発病と重症化の本質に着目した脳の使い方としての「生活習慣」の精査(「キッカケ」に遭遇した以降の脳の使い方としての生活習慣の変化に関する「生活歴」の詳細な聞き取り)並びに「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルと対応する症状に関する「脳機能データ」(個人別、男女別、地域別「脳機能データ」の経年変化の記録を可能にするソフトである「エイジング」は、私たち独自の視点で開発されたもの)及び北海道から九州までの440を超える市町村での実践の成果世間の専門家達の考えとは根本的に考え方が異なる為に、或る意味で、試行的な視点で実践がなされてきたものなので、権威が付与されて、もっと小さな地域単位で、もっと確信犯的な実践が行われるようになれば、その成果が世間を驚かすほどのものになると確信もしているのです。

脳全体の「司令塔」の役割を担っていいて、自分が置かれている状況を理解し、判断して、状況判断に沿ったテーマを発想し、テーマの実行内容を組み立てて、実行結果をシミュ・レーションした上で必要な修正を施し、最終的な実行内容を選択し、決定して、実行の指令を左脳、右脳及び運動の脳の各馬に発する役割、「三頭立ての馬車」の御者の役割を担っているのが「前頭葉」と言う脳機能なのです。生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な生活、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続に起因した廃用性の加速度的で異常な機能低下が発病の原因である「アルツハイマー型認知症」は、脳の機能に衰えていく厳密な順番が存在するのが特徴なのです。最も高度な機能である「前頭葉」の機能、就中「前頭葉」の三本柱の機能、加えて言うと、注意の分配力の機能からその働きが衰えていくものだからなのです。言い換えると、「前頭葉」が正常な機能レベルに在る限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することは絶対に無いのです。皆さんは、アミロイドベータの蓄積による老人斑が原因だとか、或いは、タウ蛋白の蓄積による神経原線維変化が原因だとか言われると、それが正しいものと信じてしまうのでしょうが、それらは発病の原因ではなくて結果に過ぎないのです。権威がある人達や組織が言っているからと言って、その主張内容が正しいものとは限らないのです。「アルツハイマー型認知症」の発病原因については、特にそのことを強調しておきたいのです。

 現在の私たちの主張に足りないのは、唯一権威だけ。そこへ、我が国におけるドキュメンタリー映画の巨匠と目される方が、私たちの活動内容に強い関心を示してくださっていて、市町村による住民参加型の「地域予防活動」がもっと広く住民及び首長たちの関心を呼び起こし、活動が拡大していくよう、『「二段階方式」に基づく、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防を明確な目的とし、且つその目的に特化した住民参加型の「地域予防活動」の展開と言う私たちの活動を映像化し、「ドキュメンタリー映画」として制作したい』と言ってきてくださったのです。

シナリオの構成はこれからのこととなりますが、17年の年内に完成させたいと監督がおっしゃってくださっているのです。これは「初夢」の世界のことではなくて、「現実」の世界のことなのです。全知全能を傾けて、監督に全面的に協力して、Tadともども頑張る所存なのです。併せて、皆様の応援よろしくお願いします。

(プロローグさて、『物忘れは、ボケの始まり』という言い古されてきた諺がありますが、まさかそれを信じているとは思えないのですが、『「記憶の障害」が原因となって、「アルツハイマー型認知症」の様々な症状が発現してくるもの』と世界中の認知症の専門家と言われる人達は考えているのです。その為、「記憶の障害」を惹起してくる原因としての「器質的な病変」ばかりが探し続けられ、求められているのです。そのこと自体が、極めて重大な誤りであることも知らないで居て。

私たちが「アルツハイマー型認知症」の「予防」を明確な目的とした住民参加型の「地域予防活動」の指導を開始したのは、今から丁度20年前の頃のことなのですが、それよりはるか前の時期から今に至るまで、世界中の認知症の専門家と言われる人達の全てが、『アルツハイマー型認知症と言うタイプの認知症は、発病の仕組みが分からないし、治すことが出来ないし、発病自体を予防することも出来ない』と言い続けてきているのです。「記憶の障害」が「アルツハイマー型認知症」の中核症状だとの誤った考えに立脚しているので、情報を伝達する役割を担う神経細胞の器質的な病変が対象となっていて、発病の犯人として主張されている、かつてのアセチルコリン説、今はアミロイド・ベータ説やタウ蛋白説や脳の萎縮説等、それらの全ての主張が発病との間の因果関係の立証が出来ないままの学説(仮説)として主張され続けているのです。

その一方で、発病の原因も仕組みもわからないとしながら、治療薬の開発に製薬会社一社だけの規模で言っても天文学的な規模、何千億円もが投入されているのです。発病の原因(メカニズム)が分からなくて、何故製薬会社各社は、一種類の薬の為だけに何千億円もの開発費用を投入しているのか不思議に思われるでしょう。発病の仕組みが分かっていなくても、「権威」があるとされる人達が主張している様々な「仮説」に基づいた「前提」を立てて、開発費用を惜しみもなく投入して、実験しているのが実情なのです。

 「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症の真の本質は、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な生活の継続、言い換えると、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続、脳の使い方としての「生活習慣が直接の原因となって前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を起こしてくることにより発病する病気、『廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎない』というのが私たちの主張なのです。「人生60年」と言われていた頃、私たちが未だ幼児であった昔は、「アルツハイマー型認知症」を発病するお年寄りの数は極めて少なかったのです。超高齢化社会の今は、高齢化率が高い市町村、或いはお年寄りが集まって住んで居る地域に行けば、「アルツハイマー型認知症」を発病しているお年寄りに遭遇することは極めて容易な状態なのです。このことを言い換えると、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、誰でもが80歳とか90歳とか迄も生きるようになった「超高齢化社会」であるが故の特有の産物、社会現象なのです。従って、我が国の財政が介護の費用面から破綻することなく超高齢化社会をこの先維持していくには、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防、住民参加型の「地域予防活動」の全国展開が必要不可欠のものとなってくるのです。個々人が、日常の生活面での脳の使い方としての「生活習慣」に注意して、更には、地域住民が一体となり、小さな地域単位での「地域予防活動」を展開することが絶対的な命題となるのです。このことに早く皆さんが気付いて問題意識を明確に持った「生活習慣」を実践していただきたいのです。

2015年度の実績ベースで、介護関連の総費用(診断、投薬、介護の総費用)の規模が天文学的な数字、15兆円を超えるに至っていて、この先更に増大の一途を辿るものと予測されているのです。その大半は、認知症全体の90%以上を占めている「アルツハイマー型認知症」の診断、投薬及び発病者の介護に要する費用なのですから。『原因不明で治らない』などと言う誤った考えに安住していていいのは、製薬会社と医療機関及び介護施設の経営者だけなのですから。

加えて、「アルツハイマー型認知症」の段階的且つ様々な症状は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させてきたその直接の結果として、異常なレベルに衰えてきたその「機能レベル」のアウトプットに過ぎないということも併せて指摘しておきたいのです。認知症の専門家とされる人達は、「アルツハイマー型認知症」の症状について、「中核症状」と「周辺症状」とに区分するのが通例なのですが、実は、その区分には何の意味もないのです。私たちの区分に見るように、回復させることの可能性という視点からの区分、「脳のリハビリ」により回復させることが容易な小ボケ」の段階、困難さは増してくるものの、「脳のリハビリ」により回復させることが未だ可能な中ボケ」の段階、そして末期の段階であり回復させることが困難となる大ボケ」の「三段階」に区分することこそが意味の有る区分なのです。

これまでの学説では、アミロイドベータ説が有力説とされていて、アメリカをはじめとして我が国でも、製薬会社がこの仮説に則った治療薬の開発に邁進してきたのです。その基本的な考え方というのは、『アミロイドベータの蓄積を阻害する効能を有する薬を開発することにより、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を抑制/防止することにより、「記憶障害」の症状の発現を防止することで、「アルツハイマー型認知症」の様々な症状の発現を防止し及び症状の重症化を防止する』というものなのです。ところで、そうした考えに立脚して「治療薬を」開発するに際しては、「三つの前提」が基礎になっているのです。私たちに言わせれば、『三つの前提の各々の内容自体に、重大な誤りがある』ということなのです。誤った前提に立脚して開発を行っている限り、どれだけの開発費用を投入しようとも、どれだけの優秀な人材を投入しようとも、どれだけの時間をかけようとも、「アルツハイマー型認知症」の治療薬の開発に成功する日は、未来永劫やってくることは無いのです。有るとしたら、初夢の中ということにしかならないのです。そうした無駄を出来るだけ早く止めさせる為にも、アミロイド・カスケード仮説が正しいものと信じて、且つ、その仮説の考えに則った「アルツハイマー型認知症」の治療薬の開発に従事している、東大、京大及び理化学研究所の研究者の皆さん達に対し、「三つの前提の各々」に含まれる「重大な誤り」が何であるかを以下に具体的に指摘し、解説し、問題提起しておきたいと考えたのです。

   

その「第一の前提」とは、「器質的病変が原因」となって、「アルツハイマー型認知症」の症状が発現してくるというものなのです。生まれつき特定の遺伝子に異常があることが発病の原因となる「アルツハイマー病」、脳に血を送る血管が詰まったり出血したりして、十分な量の血液を脳に送ることが出来なくなることが発病の原因となる「脳血管性認知症」という風に、認知症は「器質的な病変」が原因となって発病するタイプのものが多いのです。そのため、「アルツハイマー型認知症」を発病して、末期の段階にまで症状が重症化して、更に何年間も生きたお年寄りの死後の「脳の解剖所見」に共通の特徴として挙げられる老人斑(アミロイドベータ説が発病の犯人とするもの)、神経原線維変化(タウ蛋白説が発病の犯人とするもの)、或いは脳の顕著な萎縮(萎縮説が根拠とするもの)と言った器質的な病変が「アルツハイマー型認知症」を惹き起こす真犯人だとの「仮説」にそれらの学説は立脚しているのです。

ところが、肝心の「アルツハイマー型認知症」だけは、脳が壊れてもいないのに認知症を発病するのです。言い換えると、「器質的」な病変の存在が原因なのではなくて、単なる「機能」の低下が原因、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続することによる廃用性の機能低下が発病の原因となっていることに気づいていないのです「器質的な病変」こそが発病の真犯人との過度の思い込み(思い違い)から、何等かの「器質的な病変」ばかりを追い求めているが為に、何時まで経っても、廃用性の機能低下という真犯人(原因)を突き止めることが出来ないでいるのです。器質的な病変こそが発病の真犯人との考えに立脚したアミロイド・ベータ説やタウ蛋白説や脳の萎縮説の考えに則っている限り、何時までも、出口の見えない迷路を彷徨い続けることになるのです。

(コーヒー・ブレイク)仮説」や「前提」ばかりを基礎とした主張を繰り返している学会はさておいて、私たちは、「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症発病の真の犯人は、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な生活習慣、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続、脳の使い方としての「生活習慣」が直接の原因となって「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を起こしてくることにより発病する病気、『廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎない』と主張しているのです。「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、第二の人生での生き方、脳の使い方としての日々の「生活習慣」が問われる病気なのです。第二の人生」を送っている60歳を超えた年齢の「高齢者」に警告したいのです。ボケるかボケないか(「アルツハイマー型認知症」を発病するかしないか)、それはあ貴方の脳の使い方、「生き方」次第だということなのです。元旦の今日という日に、自身の脳の使い方としての「生活習慣」を見直していただきたいと願うのです。

お年寄りの皆さん方全員が、このテーマに関心を持つことによって、現在年間15兆円を超える規模となっていて、この先更に増大の一途を辿るものと予測されている介護関連の費用(診断、投薬及び介護の総額)を劇的に削減させることが出来る唯一の処方箋、住民参加型の「地域予防活動」に関心を向けて頂きたいのです。「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の機能低下を本質とするものなので、「発病」を予防する唯一の方法が、「前頭葉を」含む脳全体の活性化を目的とした脳の使い方としての「生活習慣」の見直しと構築であり、「治す」ための唯一の方法が、本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つけて「前頭葉を」含む脳全体の活性化を目的とした「脳のリハビリ」を実践することなのです。このことを言い換えると、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防したり、治したりすることが出来る効能を有する「薬」は、開発することは出来ない、存在し得ないということなのです。飲むだけで(貼るだけで)、居眠りしかけていた「前頭葉」が目を醒まして、自分の置かれている状況を判断し、為すべき「テーマ」を発想し、実行内容を組み立てて、実行結果のシミュレーションをしたうえで、最終的な実行の内容及び程度態様を選択して、脳の各部に実行の指令を出すことが出来る効能を有する「薬」などありえないことなのです。それこそ、神を冒涜することになると言うべきなのです。

医療現場で現在行われていることは、医療費が高額なだけで診断には不必要(無用)であるCTやMRI、果てはPETまでも騒動員して、おまけに回復させることがもはや困難な末期の段階で見つけて、効きもしない薬を何種類か処方しているというのが実態なのです。専門医と称しながら、肝心の「アルツハイマー型認知症」について何もわかっていないし、私たちの意識的な世界を構築し、支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う脳機能についても無知なのです。そうした営利にしか興味がない医療現場の人達が、「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防とか、本当の意味での早期の段階で見つけて治すとか言うことには関心を持つはずがないのです。なぜなら、住民参加型の「地域予防活動」が我が国の通津浦々にまで浸透し、活発に事業展開されることになれば、彼らは現在獲得しこの先更に増大の一途を辿ると予測されている売り上げを失ってしまうことになるからなのです。これは単なる推測や憶測ではないのです。私たちは、これまでに50を超える規模の大きな医療機関と契約を締結して、彼らがことごとく実施をやめていった生々しい体験を有するからなのです。彼らに共通していた理由とは、『「二段階方式」のやり方では、肝心の売上自体が激減してしまう、二段階方式のテストを実施するテスターの給料さえ稼げない』ということだったのです。

更に、「第二の前提」とは、『記憶障害の症状を引き起こすメカニズムは、アミロイドベータが蓄積して、或いは、タウ蛋白が蓄積してその毒性により、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死が惹き起こされてくることである』との仮説を前提としていることなのです(アミロイド・カスケード仮説/タウ蛋白仮説)。

これまでは、アミロイドベータ説が有力説とされていて、アメリカをはじめとして我が国でも、製薬会社がこの仮説に則った治療薬の開発に邁進してきたのです。その基本的な開発のコンセプトというのは、『アミロイドベータの蓄積を阻害する効能を有する薬を開発することにより、「記憶障害」を引き起こすことを防止し、「アルツハイマー型認知症」の様々な症状の発現を防止し及び症状の重症化を防止する』というものなのです。

 そこで、元旦の今日、製薬会社各社が開発の大前提としている上述の三つの前提が「全くの根拠がないものである」ことを取り上げて、発想の転回が不可欠であることを指摘し、問題提起したいと考えた訳なのです。研究者の皆さん、「一年の計は元旦にあり」と言うではないですか。これまでの視点を根本的に見直して、新たな視点からの計を図ってみていただきたいのです。ご飯を食べたばかりなのにそのことさえ思い出せないほどの極めて重度の記憶障害の症状とか、失語や失認や失行と言った末期の段階の症状では無くて、もっと早期の段階の症状、私たちの区分で言う「軽度認知症(小ボケ)の段階や「中等度認知症」(中ボケ)の段階の症状に目を向けていただきたいのです。それにより皆さんがこれまで気にもかけてこなかったというか、気づいては来なかった「意識的」に何かのテーマを実行する世界、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳機能の廃用性の機能低下という視点にたどり着くことが出来るようになるはずなのです。就中、私たちが、「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の廃用性の加速度的で異常な機能低下が惹起されてくるメカニズムというテーマに辿り着くことが出来るはずなのです。

 このテーマにたどり着けない限り、「アルツハイマー型認知症」の発病の仕組み及び症状が重症化していく仕組み、更には、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する方法や症状の進行を抑制する方法や症状を治す方法を見つけることは不可能なことなのです。これらのテーマに辿り着き、それら各々のメカニズムを知ることが出来た時、「アルツハイマー型認知症」の治療薬の開発は、不可能事、夢物語に過ぎないことを知るはずなのです。

アルツハイマー・マウスとやらを追いかけていたのでは、優秀な人材をどれだけ動員しようとも、大事な税金をどれほど投入しようとも、何時まで経っても、得られるものは何もないのです。「アルツハイマー型認知症」の専門家と自負しつつも、「末期の段階の症状」にしか目がいかず、その上「前頭葉」を含む脳全体の機能面と言う視点から捉えたメカニズムではなくて、単なる概観的な症状と「末期の症状」を呈していた患者の死後の「解剖所見」を基礎とした「仮説」に頼っているだけでは、「アルツハイマー型認知症」の本質を解明することは出来ない相談なのです。「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、脳が壊れてもいないのに、言い換えると器質的な病変が存在してもいないのに、意識的に何かのテーマを発想し、実行すべき内容を構築することが出来ないこと、そのことが認知症の症状となって発現してくるものなのだということに気づいていただきたいのです。

最後に、「第三の前提」とは、アミロイドベータの蓄積により(アミロイド・カスケード仮説)、タウ蛋白の蓄積により(タウ蛋白仮説)、脳の萎縮により(萎縮説)、『記憶の障害の症状が発現してくる結果、アルツハイマー型認知症の様々な態様及び程度の認知症の症状が惹き起こされてくる』との仮説を前提としていることなのです。

繰り返し、声を大にして指摘します。アルツハイマー・マウスとやらを追いかけていたのでは、優秀な人材をどれだけ動員しようとも、大事な税金をどれほど投入しようとも、何時まで経っても、得られるものは何もないのです。

 & 回復させることが可能な早期の段階の症状の類型とその特徴

〇「脳のリハビリ」により、回復させることが容易な「軽度認知症」(小ボケ)の段階の症状とその特徴

認知症の専門家とされる人達は、米国精神医学会が定めた「アルツハイマー型認知症」の診断基準である「DSM-4」の規定内容を基礎として「アルツハイマー型認知症」を捉えているので、言い換えると、「末期の段階」の症状である極めて重い症状だけにしか関心がないので、治せないものとの前提に立ってしか考えていないのです。私たちは、「二段階方式」と言う精緻な神経心理機能テストを開発して、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルとその直接のアウトプットとしての症状を正常なレベルから異常なレベルにまで連続したものとして、或いは、軽いほうから重いほうへと並べて類型化し整理しているので、更には、「脳のリハビリ」により治せるかどうかの指標の下に分類しているので、症状自体についても、専門家とされる人達とは整理の仕方や症状の観察の仕方も根本的な相違があるのです。専門家とされる人達は単に外観的な面からしか区分できていないのに対して、私たちは脳の機能レベルとリンクさせていて且つ治せるかどうか及びその困難さの指標も取り入れて類型化し分類し区分しているのです。

私たちの区分で言う「小ボケ」は、脳の働きから言うと五感を通して情報を取り込み「前頭葉」に送る役割の左脳も右脳も運動の脳も正常な機能レベルにあってちゃんと働いているのに、三頭立ての各馬と協働し、且つ、それらを支配しコントロールしながら、状況を判断し、状況判断に沿った「テーマ」を発想し、テーマを実行する為に必要な実行内容の企画や計画を行い、実行結果の推理や予測やシミュレーションの結果に基づく必要な修正を施し、最終的な実行内容とその程度及び態様を選択して決定し、三頭の馬に対して実行の指令を出す役割を担っている脳全体の司令塔、三頭立ての馬車の「御者」である「前頭葉」の機能だけが、廃用性の加速度的で異常な機能低下により、異常な機能レベルに衰えてきている状態を客観的な指標により判定し、捉えて言っているのです。とはいえ、「セルフ・ケア」は自分で何の支障もなく行えるし、「家庭生活」面での支障も何ら起きてきてはいないのです。家の外に出て行って、人と交わり、何かの「テーマ」を実行する「社会生活」面で支障が出てくるようになる、それが「小ボケ」の段階なのです。

脳の働きが「小ボケ」レベルの時、日常の生活面で明瞭に発現する「アルツハイマー型認知症」の症状について、「小ボケ」の段階に特有な類型を参考までに列挙しておきましょう。この段階で見つければ、「脳のリハビリ」(「前頭葉」の出番が増える生活習慣への改善)により治すことが容易なのです。世界的に権威があるとされている米国精神医学会の診断規定である「DSM4」が「アルツハイマー型認知症」診断の「第一の要件」として規定している「記憶障害」の症状はその欠片さえも確認されず、「前頭葉」の機能障害に起因した症状ばかりだということに注意を向けていただきたいのです。家の外に出て行って人と交わり何らかの共通の「テーマ」を実行する場である「社会生活」を送る際に、以前は出来ていたことなのに、今は、出来なくて、様々な支障が起きてくるのです。

○ 眼の光がどんよりしていて、表情に力がなく、無表情、無感動の様子が見て取れる

○ 問いかけに対する反応が遅くて、生き生きした笑顔が見られない

○ 何事に対しても、意欲がなくなる

(何かをしようとする意欲が出てこない様子)

(何をしたいのかを思いつかない様子)

(何をするにも億劫で、面倒がるようになる)

(何事につけても、直ぐに人を頼りにする)

(外出するのを面倒がり、嫌がるようになる)

(おしゃれに関心がなくなる)

(人付き合いを面倒がるようになる)

(新しい道具を使うのを面倒がるようになる)

○ 此処と言うときに、その「テーマ」についての「発想」が湧いてこなくなる

(会議などで、意見やアイデアを思いつかない)

(料理の献立が単調になる)

(いつも同じパターンの食材ばかりを買ってくる)

○ 肝心の「意欲」自体が出てこなくて、自分で「計画」して何かを始めようとしなくなる

(色々なことを自分で計画するのが面倒になる)

(買い物に行くと、お札ばかり使うので、小銭がやたらと貯まるようになる)

(料理の献立を考えるのが面倒になる)

(家人に指示されると、草むしりや洗濯や片付けなど家庭内の用事程度のことはこなせるが、自分から  やろうとはしなくなる)

○ 「根気」が続かなくなり、何かをやり始めても、すぐに投げ出してしまう(テレビを見ていても、同じ番組を続けて見ていられなくてチャンネルを直ぐに変えるようになる)

○ 機敏な動作が出来なくなる(歩く時も前かがみの姿勢となり、小股でトボトボと歩く)

○ 毎日ボンヤリとして過ごし、居眠りばかりするようになる

○ 食事の支度をしていて、鍋を度々焦がすようになる

○ 自動車を運転すると、軽微な自損事故が目立って増えてくる

(歩道に乗り上げる、こする、バックの確認をしないでぶつかる)

(信号無視や右折/左折のウインカーの指示を忘れる)

(流れに乗れなくて、同乗者が怖いほど、スピードが遅い:交通量が多い広い道を、時速30Kmで走り、車の列を従える。「前頭葉」の三本柱の機能である「注意の分配機能」が廃用性の機能低下により異常なレベルにまで衰えてきていることが原因で、道路の状況、車や人の流れや交差点の状況等に目配りや気配りと言う「必要な注意を配る」ことが出来なくなり、真っ直ぐ走らせるのが精いっぱいの状況にある為、道の真ん中寄りを時速30Km程度の速度でノロノロ運転することになるのです)

○ 話の流れに乗れず、話の輪にも入っていけなくて、主題とは関係のない話を自分勝手に唐突に話す

○ オルゴール・シンドローム現象が起きてくるようになる(同じ話を何度も繰り返して話していて、本人はそのことに気付かないでいる)

○ 社会生活に支障が出てくるようになる(人と交わり、コミュニケーションをとりながら何らかの目的に沿った行動が要求される家庭の外での生活、「社会生活」に支障が出てくるようになる)

&「脳のリハビリ」により、回復させることが未だ可能な「中等度認知症」(中ボケ)の症状とその特徴

中ボケ」の段階になってくると、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行しようとする際に、無くてはならない機能である「前頭葉」の働き具合が、廃用性の機能低下によって「小ボケ」の時のそれよりも加速度的に更に衰えてきていて、加えて、「小ボケ」の時には正常な機能レベルにあった、左脳、右脳及び運動の脳までもが、廃用性の機能低下によって異常なレベルに衰えてきているのです。とは言え、この段階で見つければ、「脳のリハビリ」により治すことが未だ可能なのです。

中ボケ」の段階にまで「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えてくると、食事、着衣、大小便、入浴等、身の回りのことは、自分で一応のことが出来るので、セルフ・ケアの面で周りの家族に迷惑をかけることはないのですが、家庭内の用事程度のこと(炊事、洗濯物の整理、掃除、庭の草花の手入れ、簡単な畑仕事など)でさえ、満足にはできなくなるので、「家庭生活」の面での様々な支障が起きてくるようになるのです。

脳の働きが「中ボケ」レベルの時、日常の生活面で明瞭に発現する「中ボケ」の段階での特有な症状について、その類型を列挙しておきましょう。「DSM-4」が「第一の要件」として規定している「記憶障害」の症状は、「中ボケ」段階となっても未だ、その中核となる症状ではないことに気づいていただきたいのです。

○ 抑制が効かなくなり、感情がもろに表に出てくるようになって、「ボンヤリと暮らしている」だけの日々を送るようになる

○「時の見当識」に、順次、以下のような支障が出てくる

(「中ボケ」の初期には、今日が何日か、平成何年なのかが言えなくなります。MMSEの換算後の得点が19点以下となる「中ボケ」の中期になると、今の季節が何時なのかが言えても、今が何月なのかが言えなくなります。「時の見当識」には、衰えていく順番があり、日、年、月、季節、昼夜の順に言えなくなっていきます。)

「脳のリハビリ」による回復の可能性についていうと、MMSEの得点が20点以上であれば(大まかな目安として今何月なのかが言える)、集団の中での「脳リハビリ」メニューが可能なのに対し、20点を切ると、個別での「脳リハビリ」が不可欠となるのです。

○ 箪笥の整理が出来ない、洗濯物の畳方が雑、食器も整理してしまうことが出来ない

○ ガスの消し忘れや水道の蛇口の閉め忘れが、週に数回起きてくるようになる

○ 自分が飲む2~3種類の服薬管理が出来なくなる

○ 簡単な計算もできなくなる

○ 料理の味付けが可笑しくなる(塩辛すぎて食べられないものを作り、本人だけが平気で食べる)

○ 服を自分で着ることはできるが、季節に合ったものを選べなくなり、着方にだらしなさや可笑しさが目立つようになる

(セーターの上からYシャツを着たり、パジャマの上にズボンを履いたり、前後ろに着たり、裏返しに着たりするようになる)

○ 家族のことを正確に言えなくなる(自分の子供が何人か、名前を何と言うか、どこで何をして暮らしているかが正確には言えない)

○ パジャマを着たまま平気で表に出たり、髪の手入れやお化粧を殆どしなくなる

○ 昨日の出来事をすっかり忘れてしまうようになる(昨日の老人会の出来事を忘れているというのではなくて、昨日老人会に行ったこと自体を忘れてしまっている)

○「所の見当識」が衰えてきて、自分が今居る場所が何処だか分からなくなる(自分の家に居るのに、夕方になって「今日は、長いことお邪魔しました。そろそろ帰らせていただきます。」と言い出し、出ていこうとする)

○ お金や持ち物の仕舞い場所を忘れてしまい、「盗まれた」と言って、騒ぐようになる(「物盗られ妄想」は、初めのうちは、通帳、財布、証書類などのことが多いのですが、次の段階では、化粧品や食料品などの日用雑貨に及ぶようになります)

 & 末期の段階であって、回復させることが困難となる「重度認知症」(大ボケ)の症状とその特徴

「中ボケ」の段階が更に進んでくると、「セルフ・ケア」(食事をしたり、服を着たり脱いだり、風呂に入ったり、トイレの後始末をしたりといった身の回りのことを自分で処理すること)にも様々な支障が出てくる、「大ボケ」の段階に入っていきます。廃用性の機能低下に起因して、「前頭葉」を含む脳全体の働きの具合が、「中ボケ」の時のそれよりも更に衰えてくる為なのです。認知症の専門家とされる人達は、この段階の症状が出てくるようになって初めて、「アルツハイマー型認知症」の発病だと考えているのです。「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の機能低下の進行によりここまで衰えてくると、回復させることはもはや困難であり、症状の進行を抑制し、或いは防止することも困難となるのです。この段階で見つけることに何の意味があるというのでしょうか。医師にとって言えば、売り上げを稼げるだけの意味しかないのに。

大ボケ」は、「脳の機能レベル」で言うと、当初は4歳児レベルの幼児のレベルに始まり、次第に低下してきて、3歳児、2歳児、1歳児のレベルとなり、終には、寝たきりの植物状態にまで衰えが進んでいきます(4歳児のレベルから次第に「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えていくのですが、以前には「社会生活」がちゃんとこなせていた生活体験を経由した者としての、言い換えると、成人レベルの脳機能の働きにより暮らしていた当時の様々な知識や体験の断片なり欠片なりが、日常の言動や態度や行動の合間に漏れ出してくることがあるのが特徴なのです)。認知症の専門家とされる人達が「アルツハイマー型認知症」の症状と言っているのがこの段階の症状であり、「DSM-4」の規定がその第二の要件で確認を要求している、失語、失認、失行等の症状は、「大ボケ」の段階の中でも更に末期の段階の症状だということを知ってほしいのです。

なお、「大ボケ」のレベルに特有なもので、日常の生活面で発現して来る症状、行動、或は態度について、類型的なものを列挙すると、以下のようになります。

○ MMSEの得点が14点以下になる「大ボケ」の段階になると、初期の段階でも、「時の見当識」も「所の見当識」も「人の見当識」も全くなくなってきます。「今日が何年何月何日」なのか、「今の季節が何なのか」が分からなくなるだけではなくて、「昼夜の区別」も分からなくなるのです。自分が今何処に居るのかも分からなくなって、自宅に居ても落ち着かなくなるのです。そのうえ、同居している家族の名前も顔も分からなくなるのです。その根底には、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちの意識的な世界を支配しコントロールしている「前頭葉」の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下によって、働き具合が衰えてしまっていて、殆ど働いていないことにあるのです。アミロイド・ベータやタウ・蛋白の蓄積が原因という主張は誤解に過ぎないのです。

○ MMSEの得点が14~10点である「大ボケ」の前半のころは、症状事態は重くて、日常生活面での自立度は低くても(セルフケア自体には様々な支障が起きていても)、或る程度の言語能力が保たれていて、挨拶などの身体に染みついたような日常の会話や内容の簡単な会話は、交わすことが出来るのです(状況や話の流れに沿った会話や質問に対する応答などは、無理になります)

○ MMSEの得点が一桁の得点(9点以下)となる「大ボケ」の後半のころは、時の見当識や所の見当識や人の見当識がないだけでなくて、社会的な存在としての「人間らしさ」そのものが失われてきます(廃用性の機能低下により「前頭葉」も左脳も殆ど働かなくなってきていて、僅かに働きが未だ残っている右脳と運動の脳だけによる反応が見られるだけになります。時間や空間や人の認識が殆どなくなって、感情的、或は本能的に生きているだけの存在となっていきます)。「DSM-4」の規定が「アルツハイマー型認知症」の診断に際して確認を要求している失語や失認や失行といった症状は、この段階になって初めて(「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルがここまで衰えてきて初めて;就中注意の分配機能がほとんど働かなくなってきている状況下で初めて)発現してくる、「脳リハビリ」により回復させることが困難な極めて重い症状なのです。

この段階の症状を基準にして見つけて居たのでは、余りに遅すぎる、見つける意味が全く無いということになるのです。

○ いつも着ている服を脱ぎたがらず、風呂の後も汚れた下着を先ず身に着け、其の上から、新しく出してもらった下着を着たりします

(症状がさらに進んでくると、着衣失行が起きるようになり、服を一人では着ることが出来なくなって、ズボンを頭から被ったりするようになります)

○ 風呂に入れても、ただ入るだけで身体を洗わず、洗髪もしなくなります(脳機能の廃用性の機能低下により症状がさらに進むと、水を怖がり、風呂に入るのを嫌がるようになります)。

○ 「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が殆ど働かなくなっているので、「記銘」自体がきちんと為されない為に、(保持も想起もできないので)直前に起きたことも直ぐに忘れるようになります

○ 幻覚や妄想が出て来ることがあります(誰も居ないのに、「人が居る」と言い張ったりする)

○ 独り言や同じ言葉の繰り返しが多くなる

○ 夜中に起きてきて、「会社に行く」とか「田んぼに行く」とか言って聞かないことがある

○ せん妄、妄想、徘徊、他傷、便コネなどの「問題行動」を起こすことがある

 

 

& 器質的な病変が原因とする専門家達の考えは、根本的に誤り

中核症状と周辺症状とに区分するのが通例である専門家とされる人達の特段の意味のない区分に対して、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の改善)により治すことが可能であるか、且つその程度はどの程度なのかと言う視点から、私たちは上述のような「三つの段階」に区分しているのです。「小ボケ」の段階から、「中ボケ」の段階を経て、末期の段階である「大ボケ」の段階の症状を列記した上述の説明を読めばお分かりのように、「アルツハイマー型認知症」の本質とは、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の廃用性の機能低下を中核として、且つ「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因したもの、言い換えると、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの直接のアウトプットそれ自体が認知症の症状、回復させることの可能性という視点から「三段階」に区分される段階的な症状として発現しているもの、脳の使い方としての「生活習慣病」なのです(但し、食生活ではなくて、脳の使い方としての生活習慣が発病の原因であることに注意する)。

「前頭葉」の働き方の仕組み、機能が異常なレベルに衰えていく仕組み、機能が回復してくる仕組みの根本となる原因(機序)が単なる「機能低下」、或いは「機能回復」によるものであることに気づかないで居て、器質的な原因に違いないとの仮説、前提の下で、マウスやアルツハイマー・マウスの尻を追い掛け回している限り、何時まで経っても、真の原因を解明する日はやってこないことを指摘しておきたいのです。プロであることを自負するが余りに学者や研究者は、発病の原因に器質的な病態を求めたがるのですが、原因不明とされている「アルツハイマー型認知症」の発病は、情報伝達の機能を担う神経細胞の「器質的な病変」が原因なのではなくて、「前頭葉」を含む脳全体の機能の低下、然も、「廃用性の機能の低下」に過ぎないのです。付言すると、「物忘れ」の症状が出てきていようと、「小ボケ」や「中ボケ」の段階の症状が出てきていようと、器質的な病変は起きてきてはいないのです。「脳のリハビリ」で治すことが出来るのですから。回復させることが困難となる「大ボケ」の段階にまで症状が進んで、更に何年間も生きている内に、「老人斑の沈着」やら「神経現線維変化」とやらが起きてきたに過ぎないのであって、「器質的な病変」は発病の原因ではなくて結果に過ぎないと私たちは主張しているのです。脳全体の司令塔の役割を担っていて(三頭立ての馬車の御者)私たちの意識的な世界を構築し、支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う脳機能、就中、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の加齢による機能低下という問題(正常老化の性質)並びに脳の使い方としての「生活習慣」に起因した廃用性の機能低下という命題に目が向かない限り、「アルツハイマー型認知症」の正体にも、発病のメカニズムにも、発病自体を予防する方法にも、早期の段階で見つけて治すという方法にも、気づくことは出来無いのです。

 注)本著作物(Bー74に記載され表現された内容)に係る著作権は、 (有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   

  エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

  脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルツハイマー型認知症の発病と記憶障害の原因との関係(B-36)

2015-05-15 | アルツハイマー型認知症の初期症状の正体

    物忘れ 反省と工夫が効けば 年のせい By kinukototadao   

(プロローグ)

 私は未だ71歳。こうして、ブログを毎月2回は書いているというのに、僅か2~3年前のことなのに、或る日の出来事がはっきりとは思い出せないのです。認知症の専門家とされる人達が記憶障害の原因として憶測だけにより主張する『アミロイドベータ』が蓄積を始めている訳でもなく、或いはタウ蛋白が蓄積を始めている訳でもなく、ましてや脳の委縮が進行し始めている訳でもないのです。

その原因は、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と呼ぶ、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能が、加齢と共に機能低下を進行させてきていることにあるのです(「正常老化」=アルツハイマー型認知症発病の基盤要因)。そこで、私の「前頭葉」を働かせて(工夫して)、当時の写真を頼りに記憶を引き出すことにしてみたのです。

○ 今から1年前の今頃は、何処で何をしていたのかしら

   小布施方面への旅行

 ○ 今から2年前の今頃は、何処で何をしていたのかしら

       独逸方面への旅行

 ○ 今から3年前の今頃は、何処で何をしていたのかしら

               奈良方面への旅行

 &1 MMS下位項目の項目困難度とその根拠となる脳機能データ

       

(1) 昨今の新聞報道によると、「アルツハイマー型認知症」の発症の極く初期の段階を判定する方法として、アミロイドベータの蓄積量であるとか、或いはタウ蛋白の蓄積量であるとかの要因を追跡することが有効な方法として注目され、米国や日本で大掛かりな研究が計画されており、且つそうした方法及び考え方が有望視されているのだそうです。「記憶の障害」を診断の第一の要件に挙げている、あの米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM-Ⅳ」が、そうした考え方の根拠となっているのです。

記憶の障害」の症状(に起因した症状)が、「アルツハイマー型認知症」発病に因る核心をなす症状であると考えられていて、且つ記憶の障害の症状を発現させている真犯人がアミロイドベータの蓄積であったり(アミロイドベータ仮説)、或いはタウ蛋白の蓄積であったり(タウ蛋白仮説)する考え方なのです。それらの考え方は、記憶の障害の症状と言っても程度も態様も多岐にわたるので、アミロイドベータの蓄積量とやらタウ蛋白の蓄積量とやらを調べることで、初期症状を判定できるものと誤解(妄想)しているのです。なぜなら、記憶の障害の症状は、「アルツハイマー型認知症」の核心をなす症状ではないからです。

(2) 本当の意味での初期の段階の症状、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階を私たちが開発した「二段階方式」のような精緻な「神経心理機能テスト」を活用して判定し評価してみれば、そもそも記憶の障害の症状自体が「前頭葉」の機能障害に起因した症状であって、もっと厳密に言うと、「前頭葉」の廃用性の異常な機能低下に起因した症状であることが解明できるのに、そのことに気づいていないことが致命的な誤り(誤解)を招いているのです。

      

(3) 日本を含む世界中の認知症の専門家とされる人達及びそうした人たちが所属し研究に従事しているどの機関も、末期の段階で発現する極めて重度の物忘れの症状と誤解されやすい症状(正しくは、物忘れの症状ではなくて廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行して来た『注意の分配力』の機能が殆ど働かない脳の機能レベルに在ることを直接反映した種々の症状なのです)しか観察しないで、肝心の「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルには見向きもしていないのです。

有効な「手技」を持たないので仕方がないことなのでしょうが、CTとかMRIとかPETとかの「機器」を使用して、脳の形だけしか観察評価していなくて、或いは「アルツハイマー型認知症」を発病して極めて重度の症状が発現し何年も生きた人達の死後の脳の「解剖所見」だけから、あれこれと空想し、想像をたくましくしているだけなのです。その程度のことで、「アルツハイマー型認知症」を理解できているつもりなのです。

前頭葉」を含む脳全体の機能レベルとその異常な機能低下と言う視点を持たない限り、「前頭葉」は愚か左脳さえも持たないアルツハイマー・マウスとか、マーモセットとかを何時まで追い掛け回しても、「アルツハイマー型認知症」を発現させている真犯人を解明することも、その症状が回復の可能性と言う視点から見ると、「三段階」に区分されることを理解することも出来ない相談なのです。

(4) 私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積した、生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下に関する「脳機能データ」14,689例を解析して得られた結論であり、「MMSE下位項目の項目困難度」の指標と呼称する『生きた人間の脳機能データ』は、「前頭葉」を含む脳全体が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくとき、言い換えると「アルツハイマー型認知症」の発病者症状が進行していくとき、「脳機能には、衰えていく明確な順番がある」(MMSEの下位項目には、出来なくなっていく厳密な順番がある)ことを示しているのです。

アミロイドベータの蓄積とか、タウ蛋白の蓄積とか、或いは脳の委縮とかが、「アルツハイマー型認知症」を発病させている真犯人だと主張している人達は、この事実を、どのように説明することが出来るというのでしょうか(⇒合理的で、客観的なデータに基づいた説明が不可能=論理的な結論として、仮説の主張内容は誤り)。      

(5) 発病させている直接の原因(真犯人)はと言うと、一つには「加齢」の要因が基盤要因であり(60歳を超える年齢の「高齢者」であることが、発病の「第一の要件」)、もう一つ別の要因が、「単調な生活」の継続であって(追及する自分なりの「テーマ」も無く、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な暮らし方、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続と言う『脳の使い方』としての「生活習慣」が3~6ヶ月以上継続することが、発病の「第二の要件」)なのです。(異なるこの二つの要件が、同時に充足される)ことによるその「相剰効果」として、すなわちそのことに直接起因して、私たち人間の「意識的な世界」を支配しコントロールしている「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下が惹起され/程度が進行して行くことに因り、「アルツハイマー型認知症」の三段階に区分される「段階的で類型的な症状」を発現させているのです(アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病に過ぎないというのが、私たち二段階方式独自の主張なのです=早期発見と早期治療に因る症状の回復/進行の抑制が可能であり、発病自体の予防が可能)。

(6)三段階の症状、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)は『脳のリハビリ前頭葉が活性化する脳の使い方としての生活習慣への改善と継続的な実践』により回復させることが可能であり、「中等度認知症」(中ボケ)は症状の進行を抑制することが未だ可能であり、「重度認知症」(大ボケ)は症状の進行を抑制することさえも最早困難となるのです。そうした事実も知らないで、末期の段階の(大ボケ)の症状だけを「アルツハイマー型認知症」の症状だと勘違いしていて、「アルツハイマー型認知症」は原因もわからないし、治すことも予防することも出来ない病気だと声高に叫んでいるだけなのです。それでいて、血液中のアミロイドベータやタウ蛋白の蓄積量を測定する方法を開発することによって、「アルツハイマー型認知症」の初期の段階を見つけることが出来るとか騒いでいるのです。治す方法も予防する方法もないというのが正しいとしたら、彼等が主張する初期の段階を見つけることに何の意味があるというのでしょうか。

「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であるというのが、14,000例を超える「脳機能データ」と440を超える市町村での「地域予防活動」の実践指導の成果とに基づく、私たち二段階方式の主張なのです。

(7) 権威があるとされる人達や機関が、アルツハイマー・マウスとかマーモセットとかが餌を求めてうろつく行動の解析を根拠として初期症状の判定方法を探求し、主張の根拠にしているのに対して、権威がない私たちは、生きた人間の「前頭葉」を含む脳機能データ、生のデータの解析を主張の根拠としているのです。

何かの発生と継続を「キッカケ」として、心が折れて、意欲を喪失し、注意の集中力や注意の分配力を発揮する機会が極端に減少して、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が始まり、そうした「単調な生活習慣」が継続されている(脳の使い方としての)「生活習慣」の下では、60歳を超える年齢の「高齢者」の場合は(然も、「高齢者」のみが対象となり)、「前頭葉」を含む脳全体の機能について、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことになるのです(その場合、脳全体の司令塔の役割を担っている『前頭葉の機能から真っ先に加速度的で異常な機能低下が進行して行くことに注意)。

その結果、思考や状況の判断及び意思決定に関わる「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてきて、「アルツハイマー型認知症」の症状が発現し/症状が進行して行くことになるのです。回復/症状の進行の抑制の可能性の有無及び程度と言う視点での「三段階」に区分される「アルツハイマー型認知症」の段階的で類型的な症状の指標(30項目問診票)は、そうした異常なレベルに機能低下した「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの(直接の)アウト・プットに過ぎないのです。

(8) アミロイド・ベータの蓄積やらタウ蛋白の蓄積やら、或いは脳の委縮の進行による情報の伝達の不具合が直接の原因となって、様々な程度態様での「記憶障害」を含む「アルツハイマー型認知症」の症状を発現させている訳ではないのです。

アルツハイマー・マウスやらマーモセットやらの迷路での行動を追う時間と資金と若く有為な人材とがあるのなら、「前頭葉」を含む脳全体の「廃用性の機能低下」と言う視点に、出来るだけ早く注意と関心を向けて欲しいのです。巨額の資金と大勢の若く有為な人材と有り余るほどの時間とを有する巨大で権威もある組織であるからと言って、研究の核心となる視点に関わる大前提自体が根本的な誤りを有する考え方を基礎(根拠)としている限り、どのような規模での研究(例えば、日米で推進されようとしている「DIAN」)を推進しようとも、期待された成果を上げることは未来永劫、「出来ない相談」なのです。       

&2 記憶障害がアルツハイマー型認知症の核心をなす症状とする考えは、根本的な過ちを犯しているのです

(1)「中ボケ」の段階で発現する症状を脳の機能面から見た理解

廃用性の機能低下が「小ボケ」の段階よりも更に加速度的に進行した「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルのアウトプットとしての「中ボケ」の段階の症状を列記すると、以下に「赤字で表記」した症状のようになります。

 この段階になると、脳の機能としては、「前頭葉」の機能の三本柱である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が「小ボケの段階」よりも更に加速度的に衰えてきたことによる「前頭葉」の各種個別機能の発揮度の低下に加えて、左脳や、右脳も異常なレベルに衰えてきています。「中ボケの段階での症状」は、そのトータルの脳機能レベルのアウトプットとしての「症状」を示しているのです。「記憶障害」を第一の要件とし、「失語、失行又は失認」を第二の要件と規定している『DSM-4』には根本的な理解の誤りと定義上の誤りとがあることに専門家達が早く気づいて欲しいのです。

 (2) 「記憶の障害」の症状とみられる症状発現の根底にある「前頭葉」を含む「脳の機能レベル」と言う問題そのものを見落としている

 「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの直接のアウトプットとして私たちが「二段階方式」を駆使して類型化した「中ボケ」の症状を例にとりながら、以下に説明したいと思います。こうした症状は、単なる記憶障害の症状と言うのではなくて、且つそれ以前に、「前頭葉」の機能が「小ボケ」の段階のそれよりも更に異常なレベルに衰えてきていることが直接の原因となって、自分が置かれている状況の判断、状況に沿った「テーマ」の発想、テーマを実行するための計画、計画の構成内容の理解、展開を見通す力、実行した場合の結果のシミュレーション、シミュレーションの結果に基づく修正、実行の決断等の「前頭葉」の各種個別機能自体が、もはやきちんとしたレベルでは働かないことが「中ボケ」の症状(思考や動作や行動等の面に表れてくる正常なレベルのものではなくなったそれらの結果、すなわち、認知症の症状)として発現してきているのです。

(3)「DSM-Ⅳ」の規定が「アルツハイマー型認知症」の診断基準としての「第一の要件」に「記憶の障害」の症状を挙げているために、認知症の診断の医療現場では、「前頭葉」を含む脳の機能レベルを判定していない(或いは、判定できていない)だけでなくて、発現する症状を単に外観面だけから観察して、それらの症状が「記憶の障害」の症状だと早とちり(或いは、勘違い)してもいるのです。

       

(4)以下、「中ボケ」の段階で発現してくる症状の発現のメカニズムについて、「前頭葉」を含む脳の機能レベルと言う物差しを基礎として、2つの症状を代表例として具体的に解説します。

☆ 何度教えても「日付け」があいまいになる

ⅰ)「二段階方式」を活用して私たちが集積したデータによると、「時の見当識」については、日、年、月、季節、昼夜の順番に見当識が衰えていく(正解できなくなっていく)のです。これは、単に思い出せない順番なのではなくて、思い出すことが難しい順番がそうなのだということなのです。思い出すことが難しい順番の原因は、何か。

「今日は何日?」と問われた時、あなたはどのようにして今日の日にちを思い出そうとしますか?日は毎日変化するので、第二の人生を暮しているお年寄りにとって、何か特別な出来事とか行事とかが無いと、今日が何日かを思い出せないものなのです。「12日」が、木曜日で太極拳がある日だとすると、それを起点にして「今日は、13日だ」ということにたどり着けるのですが、来る日も来る日も判で押したように単調な毎日だと、日にちが生活上の特別な意味を持たなくなり、「記銘」されにくいので「想起」できないのです。昨日は木曜日で、習い事の太極拳があって、その時お友達と、「明日は13日の金曜日ね、何か嫌なことが起きないと良いけどねって」話したから、今日は、13日よねと言う風に、生活上の出来事をきっかけにして日にちを思い出すことが出来るものなのです。但し、この作業には正常な機能レベルを有する強力な「前頭葉」の働きが必要となるのです。「今日の日にち」にたどり着くには、あれこれと手掛かりになりそうな出来事の記憶をたどっていくのに、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の継続的な発揮が不可欠となるからです。

ⅱ) 「前頭葉」が異常なレベルに衰えてくると、何かの出来事や行事を手掛かりとして、「日にち」にたどり着くことが出来なくなってしまうのです。単に、「覚えているかいないか」と言うのではなくて、この作業ができる脳の機能レベル(「前頭葉」の働き具合)が確保されているか否かが分岐点となるのです。

日にちにたどり着くことがどうしても出来なくなっているとき、その脳の機能レベルは、「中ボケ」のレベルに入ってきているということになるのです。

 そして、「年と月」とでは、日常生活上、年よりは月の方が使われる機会に接することが多いということなのです。そのため、月の方が「記銘度」が高くてたどり着き易いということなのです。従って、年、月、日については、たどり着きにくい順番(「想起」しにくい順番)が日、年、月となるということなのです。

ⅲ)季節と昼夜の場合では、「今の季節が何時なのか」を考えるよりは、たどり着くための判断要素が少なくて簡単な「今が昼なのか夜なのか」を考える方が容易(要求される「前頭葉」を含む脳の機能レベルが低くて済む)と言うことになるのです。

今の季節が何なのか(春なのか、夏なのか、秋なのか、冬なのか)が分からない時、その人の脳はすでに末期の段階であって回復させることが困難な「重度認知症」(大ボケ)の機能レベルを示しているのです。「覚えているか、いないか」と言うことではないことに注意していただきたいのです。

☆ 簡単な計算ができない(お札ばかりで買い物をし、やたらと小銭がたまる)

ⅰ)私たちの「二段階方式」で採用している「MMS」では、計算の項目の様式が、長谷川式とは明確に異なっていて、「100引く7」の計算の項目については、「前頭葉」が関与した計算の仕方を要求しているのです。「100から7を引いて、次に、その答えからまた7を引いて、その答えから更に7を引くというのを繰り返す」ことを被験者自身の「前頭葉」を含む脳の働きに要求しているのです。つまり、長谷川式のような単純な引き算ではなくて、「前頭葉」が関与した計算、言い換えると、「注意と計算」と言う作業を要求しているのです。

ⅱ) その結果、「前頭葉」を含む脳の機能レベルが「中ボケ」の段階になって来ている人たちは、5点満点で1点の人達が大半を占めることになるのです。つまり、「前頭葉」を含む脳の機能レベルが「中ボケ」のレベルに衰えてきている人達は、買い物に行った時、簡単な計算さえも(自分でする上で必要となるレベルの意欲も注意の集中力も注意の分配力も持ち合わせていないので)できないのです(お札ばかりで買い物をし、やたらと小銭がたまる結果になるのです)。こうした症状は、単なる「記憶障害」の症状の問題ではないということに気づいていただきたいのです。

           

&3 「記憶障害」の症状が発現するそのメカニズム 

(1) 発病して最初の段階が「小ボケ」の段階であり、ナイナイ尽くしの単調な生活習慣が継続されていると、「前頭葉」を含む脳全体の機能が更なる機能低下を加速させていき、「中ボケ」の段階に入っていくことになるのです。「前頭葉」を含む脳全体の機能(この段階からは、左脳、右脳及び運動の脳も異常なレベルに衰えが進行し、末期の段階である「大ボケ」の段階からは、更に廃用性の機能低下が進行して行く)が、「中ボケ」の段階にまで衰えてきていると、要の機能である「注意の分配力」の機能の発揮度が極めて異常なレベルに機能低下している為に、「記銘」する機能自体が極めて低いレベルにしかないことになるのです。

ⅰ) そもそも記憶は、「記銘」したものを「保持」して、それを(そのまま、或いは概要を)「想起」してくると言う経路をたどります。「はっきりと記憶している」とか「すっかり忘れてしまった」とかいうことは、どの程度に記銘され、保持されていて、想起されたのかという、個々の要素の機能レベルが相剰的に影響している(個々の要素の相剰効果による)と私たちは考えています。中でも、対象情報を「記銘」するときの「記銘の度合い」(「記銘度」)が最も重要だと考えています)。海馬に集まってきた対象情報の(認知内容の情報)を記銘するとき、(記銘度が高いもの)であったなら、その記銘度に応じ「長期」に保存されるし、(記銘度が低いもの)であったなら、その記銘度に応じて「短期」にしか保存されないと考えるのです(長期記憶となるか、短期記憶に終わるかは、権威機関が科学的な根拠も無く、注意の分配力の機能が備わらないマウスを対象の観察結果から憶測して主張する「海馬が決定している」訳のものではないと考えるのです)。

ⅱ) 従って、「記銘」する(覚える)ときの「記銘度」が高い(よく記銘される)情報は、よく「保持」され、よく「想起」される(思い出される)のです。このことは、「記銘」した5分後に「想起」できる程度をチェックしてみれば、直ぐに分かります。「記銘度」が高い情報ほど、よく想起されるのです。更に、よく「記銘」された(「記銘度」が高い)情報は、長期に保存され、想、想起され易いのです。

ⅲ)更には、保持/想起されやすいか否かを左右している「記銘度」は、「記銘」するときの状況(三本柱の働きの度合い)に直接左右されます。記憶の対象となる認知情報を記銘する時、「意欲」が強く作用する内容であり、「注意の集中力」が深く作用する内容であり、「注意の分配力」(いくつかの異なったテーマを同時並行して処理する機能のこと)が大きく作用する内容であれば、「記銘度」が高くなるので、長期に保存され、想起しやすく、結果的に「長期記憶」となるのです。逆の場合は、記銘度が低くなるので、短期にしか保存されず、想起しにくく、結果的に「短期記憶」となるのです。もちろん、繰り返し海馬に送り込まれ/刻み込まれた同じような内容は、繰り返された回数が多いほど「記銘度」が高くなるので、其の分、より長期に保存され、想起され易いということになるのです。

           

&4 三本柱の機能に生来的なものとして内在する「正常老化」の性質とその影響

(1) 私たち二段階方式の『生きた人間の脳機能データ』によれば、MMSEの下位項目中、「想起」の機能が最も早く加齢により衰えていく項目なのです。「記銘」自体が「意欲」、「注意の集中力」、「注意の分配力」という「前頭葉」の三本柱の働き具合に直接的に大きな影響を受けるからです。そして、この「三本柱」の各々の機能もまた、上述したように「加齢と共に衰えていく」と言う性質を持っているのです。そのため、年をとるにつれて、「覚える」こと(記銘)自体が難しくなっていき、「思い出す」こと(想起)も難しくなっていくのです。そうした正常老化の下で見られる機能低下に加えて、廃用性の機能低下が中ボケの段階にまで進んできた結果としての前頭葉の機能レベルの直接の発現が、以下に取り上げたような症状を示していると私たちは考えているのです。

☆ 家庭内の簡単な用事程度のこともきちんとできない(部屋や洗濯物の整理、食後の片付け、畑や庭仕事などがきちんとできなくなる)

 説明するまでもなく、これは、「前頭葉」を含む脳の機能レベルの直接のアウトプットとしての症状そのものなのです。これを「記憶障害」の症状だと勘違いするような人は、認知症の専門家とされる人達の中には居ないと思うのですが。

 ☆ 自分が飲む2~3種類の服薬管理ができない

これもまた、「記憶障害」が中核の症状ではないのです。薬を飲むこと自体/或いは飲み方を忘れているという以前に、「中ボケ」の機能レベルにまで衰えてしまった「前頭葉」の機能レベルの問題が中核の症状なのです。「物忘れ、反省と工夫が効けば、年のせい」(ここを「クリック」してください)と言うようなレベルの話では、もはやないのです。 薬を飲むことの意味も目的も理解自体もが不十分な「脳の機能レベル」の下で、服薬管理を自分がしているという状況なのです。飲むことの意味も飲んだことも「記銘度」は低いのです。

  ☆ 服の着方に無頓着で、重ね着が目立つ(セーターの上からシャツを着る。裏表や前後ろに着る。入浴後、着ていた下着の上に新しい下着を着る)

上述したケースと同じように、これを「記憶障害」の症状だと勘違いするような人は、認知症の専門家とされる人達の中には居ないと思うのですが。服の着方を忘れたということではないのです。「前頭葉」を含む脳の機能レベル自体が、服を着ることの意味や目的や状況自体を理解できないレベルにまで衰えてきているということの反映なのです。「三本柱」の機能の廃用性の加速度的で異常な低下が原因となって、「小ボケ」の段階ですでに「根気が続かなくなって、中途半端なことを繰り返すようになり、やりかけの状態が目立つ」症状を示すようになるのです。     

&5 「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状は、「前頭葉」を含む脳全体の「機能レベル」のアウトプットに過ぎないのです

〇 「前頭葉」を含む脳の機能から見る「アルツハイマー型認知症」の症状の段階

私たちは、「前頭葉」を含む脳の機能レベルとそれにリンクした症状を「二段階方式」と呼ぶ神経心理機能テストで判定し、軽いほうから、「小ボケ」、「中ボケ」、「大ボケ」の3つの段階に区分します。「脳のリハビリ」を実行することにより、正常なレベルに回復させることが可能かどうかの視点から、3つの段階に区分しているのです。

三段階に区分される「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルと「二重構造」との関係にあって「前頭葉」を含む脳全体の働き具合を下支えしている「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合との組み合わせによる「相剰効果」としての脳の働き具合のアウトプットに過ぎないのです。それらは、以下のパターンに見るような3通りの組み合わせとなるのです。

 ① 「軽度認知症」(小ボケ):「前頭葉」の機能レベルだけが異常なレベルにあって、左脳も右脳も運動の脳も正常な機能レベル

② 「中等度認知症」(中ボケ):「前頭葉」の機能レベルが小ボケのレベルよりも更に異常なレベルにあって、且つ左脳も右脳も運動の脳も異常な機能レベル

③  「重度認知症」(大ボケ):「前頭葉」の機能レベルが中ボケのレベルよりも更に異常なレベルにあって、且つ左脳も右脳も運動の脳も中ボケのレベルよりも更に異常な機能レベル.。      

&6 症状が段階的に進行していき、重症化していく主たる原因は、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の機能低下にあるのです

(1) 小ボケ、中ボケ、大ボケと症状が進行していく原因は、脳の機能レベルの低下にあるのです

ⅰ)上述した3つの段階の組み合わせに見る「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの低下の中で、全ての脳の機能レベルが段階ごとの症状の発現及び進行に関係しているのですが、最も重要な要素は、追及する自分なりのテーマがなく、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標もないというナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続(私たちが定義する「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」)に起因する脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下、特に、「前頭葉」の加速度的で異常な機能低下の進行にあるということが症状の中身を理解する上で極めて重要なことなのです(加齢要因による正常老化のカーブを、加速度的で異常な機能低下のカーブへと変身させる要因は、記憶障害の要因ではなくて、脳の使い方としての生活習慣に根差した『廃用性の異常な機能低下の進行』という要因なのです)。

ⅱ)意識的に何かの「テーマ」を実行する上で、状況を判断するにも、状況の判断に沿った「テーマ」を発想するにも、「テーマ」の内容を組み立てるにも、実行内容の結果をシミュレーションするにも、シミュレーションの結果に基づいて必要な修正を加えて変更を行うにも、実行の判断及び決断を行うにも、場合によっては必要な抑制を行うにも、全て及び常に、「前頭葉」による全体及び個別のコントロールが不可欠となるのです。

(2)「二段階方式」による「前頭葉」を含む脳全体の働き具合のテスト結果を図示した上記図にみられるように、「小ボケ」から「中ボケ」、中ボケから「大ボケ」へと症状が進行し重症化していく中で、その主たる原因として、「前頭葉」の機能レベルが加速度的に低下して行っていることが分かるのです。

(3)「前頭葉」は、3頭建ての馬車の御者、意識的な/目的的な世界に於ける脳全体の司令塔(コントロールタワー)の役割を担っているのです。その「前頭葉」の働きが加速度的に衰えていくということは、『状況を判断する機能、状況の判断に沿って「テーマ」を発想する機能、「テーマ」の内容を組み立てる機能、実行内容の結果をシミュレーションする機能、シミュレーションの結果に基づいて必要な修正を加えて変更を行う機能、実行の判断及び決断を行う機能、場合によっては必要な抑制を行う機能』と言ったすべての機能の働き具合が、加速度的に低下して行くことを意味しているのです。

(4) 『前頭葉』を含む脳全体の機能を、加速度的で異常な機能低下の進行に引き込む真の正体は、第二の人生を生きる高齢者(アルツハイマー型認知症は、老年発症が特徴=発病の第一要件)の日々の生き方、「脳の使い方」としての生活習慣であり、『追及する自分なりのテーマが無く、生き甲斐無く、趣味無く、交游無く、運動する機会も無い』単調な暮らし方、ナイナイ尽くしの単調な生活習慣の継続という要因なのです(発病の第二要件)。
(5) 状にに挙げた異なる二つの要因が、『同時に存在し、充足されることに因る、相剰効果に因って』発病し、症状が進行して行くのが、『アルツハイマー型認知症』なのです。
(6) 私たち二段階方式は、14689例に上る『アルツハイマー型認知症』発病患者の精緻な「脳機能データ」の解析結果である3種類のデータにより、「アミロイドβ仮説が主張する内容が100%誤りであること」を何時でも実証できるのです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

回復可能なアルツハイマー型認知症の初期の症状とその特徴-その2(中ボケ  B-33)

2015-04-01 | アルツハイマー型認知症の初期症状の正体

 

       未だ戻る やれば戻れる 脳機能

                       脳のリハビリ 家族が支え     By kinukototadao

       

 

&「アルツハイマー型認知症」は治すことが出来るのです

○ 治らないのではなくて、見つけている段階が遅すぎるだけなのです

「アルツハイマー型認知症」は治すことが出来ない(治す方法が見つかっていない)タイプの認知症とするのが世界中の認知症の専門家達の共通の認識です。

このことを言い換えると、世界中の認知症の専門家達が「アルツハイマー型認知症」の症状と捉えている/或いは考えている症状とは、世界的な権威があるとされていて、認知症の専門家達から金科玉条として信望されている「アルツハイマー型認知症」の診断基準、米国精神医学会の診断規定である「DSM-4」が規定する第一の要件を充足する症状(「記憶の障害」の症状)及び第二の要件を充足する症状(失語、失行、又は失認の症状)が確認されないと「アルツハイマー型認知症」の発病とは考えないことが「諸悪の根源」になっているということなのです。

以前このブログでも詳細に説明しましたが、「DSM-4」の「第二の要件」に規定されている「失語、失行、又は失認」の症状は、私たちの区分で言う末期の段階であり回復させることが困難な段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階の中でも更に後半にならないと発現してこない極めて重い症状なのです(「大ボケ」の症状については、ここを「クリック」してください)。 

これらの症状の発現が確認されるということは、「脳の機能面」から言うと、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)が殆ど働かなくなってきているその上に、脳の後半領域の「左脳」及び「右脳」の働きも僅かにしか機能しなくなってきているということなのです。「左脳」及び「右脳」の働き具合を判定する神経心理機能テストであるMMSの点数で言うと、30点満点の9点以下、一桁の点数にならないとこうした症状の発現は確認されないのです。「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、「前頭葉」を含む脳全体の働き具合、その相乗効果として発揮される機能レベルのアウト・プットそれ自体が認知症の症状として発現するのが特徴なのです。MMSの得点が、30点満点の9点以下一桁の点数になるまでに「前頭葉」を含む脳の機能全体が衰えてしまうと、もはや、回復させることは困難になってしまうと言うことなのです。

      


「アルツハイマー型認知症」は、60歳を超える年齢の高齢者だけを対象として発病する廃用症候群に属する単なる生活習慣病であって、本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階までに見つけて、脳の「リハビリ」を地道に実践すれば、「正常なレベル」に脳の機能自体を回復させることが出来る病気なのです(治すことが出来る病気)。これこそが、本当の意味での「早期発見」なのです。

「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、上述したように本当の意味での「早期の段階」で見つけると治すことが出来る病気なのに、医療現場では失語や失認や失行と言った症状(末期の段階である「重度認知症」の段階の症状の中でも更に後半にならないと発現してくることが無い症状)が確認されないと認知症とは診断しない、言い換えると回復させることが可能な早期の段階を見落としていて、回復させることが困難な末期の段階で見つけている、言わば「見つける段階が遅すぎる」、そのことが原因で「治らない病気」にされてしまっているだけなのです。

医療の現場で行われている早期と言う言葉の使用、「重度認知症」の段階で早期と言う言葉を使うのは、既に回復させることは困難な段階に入っているので、早期と言う言葉を使うべきではないのです。発病のメカニズムから見ても、症状の更なる進行を遅らせる効能がある薬など有るはずがないので、そもそも、「重度認知症」の段階を「早期と晩期」とに区分けする意味もないのです。

       

 

&「アルツハイマー型認知症」の症状と脳の機能レベル

生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続する「生活習慣」の下では、左脳も右脳も運動の脳も全てが正常な機能レベルに在ろうとも、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の働きが異常なレベルに衰えてくると、「前頭葉」の機能障害としての症状、言い換えると「軽度認知症」(小ボケ)の症状が発現してくるのです。「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが「段階的な症状」として発現してくるのが、特徴だからです。

「小ボケ」の症状が発現してきていても、それを認知症の症状だとは気づかないで、「不活発病」などと訳の分からない名前を付けるだけで放置して、それまで続いていたナイナイ尽くしの単調な生活を継続させたままで居ると、「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の更なる加速度的な機能低下を進行させていき、私たちの区分で言うところの「中等度認知症」(中ボケ)の段階に入っていくことになります。

 「中ボケ」の段階になると、「前頭葉」の働き具合が「小ボケ」の段階のときよりも更に衰えてきている状態で在る上に、「小ボケ」の段階では未だ正常な機能レベルにあった左脳や右脳の機能までもが異常なレベルに衰えてきているのです。「前頭葉」を含む脳の機能レベルがそこまで衰えてくると、「小ボケ」の段階の症状(社会生活面に支障)よりも更に進んだ重い症状(家庭生活面に支障)を発現するようになるのです。

以前にもこのブログ中で説明したことなのですが、「記憶の障害」の症状が発現してくるのは、「中等度認知症」(中ボケ)の段階からなのですが、「中ボケ」の段階(更には「大ボケ」の段階)での「記憶の障害」の症状とみられている症状の根幹にあるのは、主として、異常なレベルに機能が衰えてしまった「前頭葉」の働き具合に起因した理解力や企画計画力及び洞察力や判断力や決断する力並びに意欲、注意集中力及び注意分配力の機能の低下を基礎として発現する「記憶障害」の症状であることを理解することが、「アルツハイマー型認知症」の発現のメカニズム及びその本質並びに症状を正しく理解する上で極めて重要なことなのです。「覚えていない」というだけの単純なメカニズムとは違うのです。

       

 

&「中ボケ」の段階で発現する症状を脳の機能面から見た理解

廃用性の機能低下が「小ボケ」の段階よりも更に加速度的に進行した、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルのアウトプットとしての「中ボケ」の段階の症状を列記すると、以下に「赤字で表記」したような症状になります。

この段階になると、脳の機能としては、 「前頭葉」の機能の三本柱である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が「小ボケの段階」よりも更に加速度的に衰えてきたことによる「前頭葉」の各種個別機能の発揮度の低下に加えて、左脳や、右脳も異常なレベルに衰えてきています。「中ボケの段階での症状」は、そのトータルの脳機能レベルのアウトプットとしての「症状」を示しているのです。「記憶障害」を第一の要件とし、「失語、失行又は失認」を第二の要件と規定している『DSM-4』には根本的な理解の誤りと定義上の誤りとがあることに専門家達が早く気づいて欲しいのです。

       


○ 「記憶の障害」の症状とみられる症状発現の根底にある「前頭葉」を含む「脳の機能レベル」と言う問題そのものを見落としている

「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの直接のアウトプットとして私たちが「二段階方式」を駆使して類型化した「中ボケ」の症状を例にとりながら、以下に説明したいと思います。こうした症状は、単なる記憶障害の症状と言うのではなくて、且つそれ以前に、「前頭葉」の機能が「小ボケ」の段階のそれよりも更に異常なレベルに衰えてきていることが直接の原因となって、自分が置かれている状況の判断、状況に沿った「テーマ」の発想、テーマを実行するための計画、計画の構成内容の理解、展開を見通す力、実行した場合の結果のシミュレーション、シミュレーションの結果に基づく修正、実行の決断等の「前頭葉」の各種個別機能自体が、もはやきちんとしたレベルでは働かないことが「中ボケ」の症状(思考や動作や行動等の面に表れてくる正常なレベルのものではなくなったそれらの結果、すなわち、認知症の症状)として発現してきているのです。

「DSM-4」の規定が「アルツハイマー型認知症」の診断基準としての「第一の要件」に「記憶の障害」の症状を挙げているために、認知症の診断の医療現場では、「前頭葉」を含む脳の機能レベルを判定していない(或いは、判定できていない)だけでなくて、発現する症状を単に外観面だけから観察して、それらの症状が「記憶の障害」の症状だと早とちり(或いは、勘違い)してもいるのです。

      

以下、「中ボケ」の段階で発現してくる症状の発現のメカニズムについて、「前頭葉」を含む脳の機能レベルと言う物差しを基礎として、具体的に解説します。

☆ 何度教えても日付けがあいまいになる

「二段階方式」を活用して私たちが集積したデータによると、「時の見当識」については、日、年、月、季節、昼夜の順番に見当識が衰えていく(正解できなくなっていく)のです。これは、単に思い出せない順番なのではなくて、思い出すことが難しい順番がそうなのだということなのです。思い出すことが難しい順番の原因は、何か。

 「今日は何日?」と問われた時、あなたはどのようにして今日の日にちを思い出そうとしますか?日は毎日変化するので、第二の人生を暮しているお年寄りにとって、何か特別な出来事とか行事とかが無いと、今日が何日かを思い出せないものなのです。「12日」が、木曜日で太極拳がある日だとすると、それを起点にして「今日は、13日だ」ということにたどり着けるのですが、来る日も来る日も判で押したように単調な毎日だと、日にちが生活上の特別な意味を持たなくなり「記銘」されにくいので、「想起」できないのです。昨日は木曜日で、習い事の太極拳があって、その時お友達と、「明日は13日の金曜日ね、何か嫌なことが起きないと良いけどねって」話したから、今日は、13日よねと言う風に、生活上の出来事をきっかけにして日にちを思い出すことが出来るものなのです。但し、この作業には正常な機能レベルを有する強力な「前頭葉」の働きが必要となるのです。「今日の日にち」にたどり着くには、あれこれと手掛かりになりそうな出来事の記憶をたどっていくのに、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の継続的な発揮が不可欠となるからです。

「前頭葉」が異常なレベルに衰えてくると、何かの出来事や行事を手掛かりとして、「日にち」にたどり着くことが出来なくなってしまうのです。単に、「覚えているかいないか」と言うのではなくて、この作業ができる脳の機能レベル(「前頭葉」の働き具合)が確保されているか否かが分岐点となるのです。

日にちにたどり着くことがどうしても出来なくなっているとき、その脳の機能レベルは、「中ボケ」のレベルに入ってきているということになるのです。

そして、「年と月」とでは、日常生活上、年よりは月の方が使われる機会に接することが多いということなのです。そのため、月の方が「記銘度」が高くてたどり着き易いということなのです。従って、年、月、日については、たどり着きにくい順番(「想起」しにくい順番)が日、年、月となるということなのです。

季節と昼夜の場合では、「今の季節が何時なのか」を考えるよりは、たどり着くための判断要素が少なくて簡単な「今が昼なのか夜なのか」を考える方が容易(要求される「前頭葉」を含む脳の機能レベルが低くて済む)と言うことになるのです。

今の季節が何なのか(春なのか、夏なのか、秋なのか、冬なのか)が分からないとき、その人の脳はすでに末期の段階であって回復させることが困難な「重度認知症」(大ボケ)の機能レベルを示しているのです。「覚えているか、いないか」と言うことではないことに注意していただきたいのです。

       


☆ 簡単な計算ができない(お札ばかりで買い物をし、やたらと小銭がたまる)

私たちの「二段階方式」で採用している「MMS」では、計算の項目の様式が、長谷川式とは明確に異なっていて、「100引く7」の計算の項目については、「前頭葉」が関与した計算の仕方を要求しているのです。「100から7を引いて、次に、その答えからまた7を引いて、その答えから更に7を引くというのを繰り返す」ことを被験者自身の「前頭葉」を含む脳の働きに要求しているのです。つまり、長谷川式のような単純な引き算ではなくて、「前頭葉」が関与した計算、言い換えると、「注意と計算」と言う作業を要求しているのです。

その結果、「前頭葉」を含む脳の機能レベルが「中ボケ」の段階になって来ている人たちは、5点満点で1点の人達が大半を占めることになるのです。つまり、「前頭葉」を含む脳の機能レベルが「中ボケ」のレベルに衰えてきている人達は、買い物に行った時、簡単な計算さえも(自分でする上で必要となるレベルの意欲も注意の集中力も注意の分配力も持ち合わせていないので)できないのです(お札ばかりで買い物をし、やたらと小銭がたまる結果になるのです)。こうした症状は、単なる「記憶障害」の症状の問題ではないということに気づいていただきたいのです。

       


☆ 電気やガスの消し忘れ、水道の蛇口の閉め忘れなどが目立つ

私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能には、加齢とともにその働き具合が衰えていくという性質があります。私たちは、この性質を、「正常老化の性質」と呼んでいます。(ここを「クリック」してください)。

「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であって、何かを「キッカケ」として(「キッカケ」の類型については、ここを「クリック」してください)、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されていると、60歳を超える年齢の「高齢者」である場合は、最盛期の半分以下のレベルにまで衰えてきた正常老化による機能の低下とナイナイ尽くしの単調な生活の継続による廃用性の機能低下との相乗効果により、「前頭葉」を含む脳の機能が加速度的な機能低下を起こしてきて、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症を発病することになるというのが私たちの主張なのです(ここを「クリック」してください)。

発病して最初の段階が「小ボケ」の段階であり、ナイナイ尽くしの単調な生活が継続されていると、「前頭葉」を含む脳の機能が更なる機能低下を加速させていき、「中ボケ」の段階に入っていくことになるのです。「前頭葉」を含む脳の機能が、「中ボケ」の段階にまで衰えてきているとすると、「記銘」する機能自体が極めて低いレベルにしかないことになるのです。

      

そもそも記憶は、「記銘」したものを「保持」して、それを「想起」してくると言う経路をたどります。「はっきりと記憶している」とか「すっかり忘れてしまった」とかいうことは、どの程度に記銘され、保持されていて、想起されたのかという、個々の要素の機能レベルが相乗的に影響している(個々の要素の相乗効果による)と私たちは考えています。

中でも、「記銘」するときの記銘の度合い(「記銘度」)が最も重要だと考えています。海馬に集められた認知内容の情報を記銘するとき、(記銘度が高いもの)であったなら、その記銘度に応じて「長期」に保存されるし、(記銘度が低いもの)であったなら、その記銘度に応じて「短期」にしか保存されないと考えるのです。

従って、「記銘」する(覚える)ときの「記銘度」が高い(よく記銘される)情報は、よく「保持」され、よく「想起」される(思い出される)のです。このことは、「記銘」した5分後に「想起」できる程度をチェックしてみれば、直ぐに分かります。「記銘度」が高い情報ほど、想起することが容易なのです。更に、よく「記銘」された(「記銘度」が高い)情報は、長期に記憶されるのです。

更には、保持/想起されやすいか否かを左右している「記銘度」は、「記銘」するときの状況(三本柱の働きの度合い)に直接左右されます。記憶の対象となる認知情報を記銘する時、「意欲」が強く作用する内容であり、「注意の集中力」が深く作用する内容であり、「注意の分配力」(いくつかの異なったテーマを同時並行して処理する機能のこと)が大きく作用する内容であれば、「記銘度」が高くなるので、長期に保存され、想起しやすく、結果的に「長期記憶」となるのです。逆の場合は、記銘度が低くなるので、短期にしか保存されず、想起しにくく、結果的に「短期記憶」となるのです。もちろん、繰り返し海馬に送り込まれた同じような内容は、繰り返された回数が多いほど「記銘度」が高くなるので、其の分、より長期に記憶されることになるということなのです。

私たちのデータによれば、MMSの下位項目中、「想起」の機能が最も早く加齢により衰えていく項目なのです。「記銘」自体が「意欲」、「注意の集中力」、「注意の分配力」という「前頭葉」の三本柱の働き具合に直接的に大きな影響を受けるからです。そして、この「三本柱」の各々の機能もまた、上述したように「加齢と共に衰えていく」と言う性質を持っているのです。そのため、年をとるにつれて、「覚える」こと(記銘)自体が難しくなっていき、「思い出す」こと(想起)も難しくなっていくのです。そうした正常老化の下で見られる機能低下に加えて、廃用性の機能低下が中ボケの段階にまで進んできた結果としての前頭葉の機能レベルの直接の発現が、此処に取り上げたような症状を示していると私たちは考えているのです。

       


☆ 家庭内の簡単な用事程度のこともきちんとできない(部屋や洗濯物の整理、食後の片付け、畑や庭仕事などがきちんとできなくなる)

説明するまでもなく、これは、「前頭葉」を含む脳の機能レベルの直接のアウトプットとしての症状そのものなのです。これを「記憶障害」の症状だと勘違いするような人は、認知症の専門家とされる人達の中には居ないと思うのですが。

 ☆ お金や持ち物のしまい場所をすっかり忘れてしまい、一日中探している

如何にも「記憶障害」の症状のように見えますが、実は、この症状の原因は、「時の見当識」のところで説明した構造と前述した「ガスや電気の消し忘れ・・・」のところで説明した構造とが重複した原因構造と考えられる問題、症状の発現なのです。

 ☆ 自分が飲む2~3種類の服薬管理ができない

これもまた、「記憶障害」が中核の症状ではないのです。薬を飲むこと自体/或いは飲み方を忘れているという以前に、「中ボケ」の機能レベルにまで衰えてしまった「前頭葉」の機能レベルの問題が中核の症状なのです。「物忘れ、反省と工夫が効けば、年のせい」(ここを「クリック」してください)と言うようなレベルの話では、もはやないのです。 薬を飲むことの意味も目的も理解自体もが不十分な「脳の機能レベル」の下で、服薬管理を自分がしているという状況なのです。飲むことの意味も飲んだことも「記銘度」は低いのです。 

 ☆ 服の着方に無頓着で、重ね着が目立つ(セーターの上からシャツを着る。裏表や前後ろに着る。入浴後、着ていた下着の上に新しい下着を着る)

上述したケースと同じように、これを「記憶障害」の症状だと勘違いするような人は、認知症の専門家とされる人達の中には居ないと思うのですが。服の着方を忘れたということではないのです。「前頭葉」を含む脳の機能レベル自体が、服を着ることの意味や目的自体を理解できないレベルにまで衰えてきているということの反映なのです。

       

 

以下の項目についても同じことが言えるのです。

☆ 入浴時の温度管理が出来ず、体を洗わないとか石鹸がついたままとかする

☆ 周りを汚したり流してないなど、トイレの後始末がきちんとできない

☆ 料理の味付けが変になる(特に、塩加減が極端に変になる。塩辛すぎて、周りが食べられないようなものを作り、本人だけが平気で食べる)

☆ 季節が分からなくなる(夏にセーターなど、季節違いの服を平気で着る)

  これら「中ボケ」の段階で発現してきている症状は全て、「第一次的」には異常なレベルに機能が低下した「前頭葉」の機能障害が及び「第二次的」には異常なレベルに機能が低下した「前頭葉」の三本柱の機能障害に起因する記銘障害が並びに「第三次的」には異常なレベルに機能が低下した「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」の機能障害が、相互に且つ相乗効果的に発現してきているものと考えられるのです。

 意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、批判、想像、理解、了解、興味、関心、執着、発想、連想、空想、妄想、企画、計画、創意、工夫、予測、具象化、抽象化、シミュレーション、予見、比較、修正、整理、機転、抑制、忍耐、感動及び判断等の機能からなる「前頭葉」の認知機能が正常なレベルで機能していることが不可欠なのです。「小ボケ」を通り越して更に「中ボケ」の段階にまで「前頭葉」を含む脳の機能が衰えてきているその直接の反映が「中ボケ」の段階の認知症の症状として発現してきていることに認知症の専門家とされる人達が早く気づくべきなのです。単に、「前頭葉」の三本柱の機能障害に起因する記銘障害のみを原因とした「記憶障害」の症状という訳のものではないことを知るべきなのです。

あー、嘆かわしや!何時になったら、私たち人間だけに特有で脳全体の司令塔の役割を担っているこの「前頭葉」と言う機能に、世界中の認知症の専門家とされる人達の目が向くようになるのかしら?

 注)本著作物(このブログB-33に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

  脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)


 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不活発病と名付けられている症状は、実は認知症の症状なのです(B-29)

2015-02-01 | アルツハイマー型認知症の初期症状の正体

  人として 生きる意味とは

       覚えたり 身体でなしに 脳が保つこと

                                                              By kinukototadao

 & 「脳活性化研究所」の外壁の高圧洗浄機による洗浄

 富士山を正面にみるために山の斜面に建っている研究所の周囲の壁を、梯子を壁に立てかけて、Tadが清掃したのです。Beforeは既にないので、Afterをお目にかけましょう。

    

& 「アルツハイマー型認知症」の症状と脳の機能と言う視点

色々な種類が数多くある認知症の中でも、その90%以上を占めていながら、発病の原因もわからないし、治すことも出来ないし、予防することも出来ない病気として放置されたままになっているのが、「アルツハイマー型認知症」(「老年性」アルツハイマー病とも呼ばれる。発病後の症状の進行が極めて緩やかで、且つ長期に亘るのが特徴。早期の段階であれば、脳リハビリにより回復させることができる。)と言うタイプの認知症なのです。

末期の段階にまで症状が進んでしまった人たちの死後の脳の解剖所見が両者とも似ていると言うだけの理由で、発病の原因が全く異なる「アルツハイマー病」(「若年性」アルツハイマー病とも呼ばれる。生来的に特定の遺伝子に異常がある人だけを対象として、且つそのことが原因で発病するもので、30歳代から50歳代までの若い年齢で発病するのが特徴。発病後の症状の進行が極めて急激なのもその特徴。現代の医学水準では、治療の方法は皆無。)と混同されていて、日本の一部の学者やマスコミが両者をまとめて「アルツハイマー病」と呼んでいたりもするのですが、両者は発病の原因(発病のメカニズム)も発病後の症状の進行も治療の可能性という点でも全く異なるものなので注意が必要です。

私達人間の意識的な世界を支配しコントロールしている「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の働きに早くから着目し、「前頭葉」を含む脳の働き具合(「機能レベル」)とその結果と言う視点から、脳全体の機能レベルとそれに直接にリンクした症状の発現に焦点を当てて、生きた人間の脳の機能レベルとその症状を研究してきたのが私たちエイジングライフ研究所の活動なのです。発病の予防、早期段階の判定と正常な状態への回復を目的とした市町村での「地域予防活動」の実践の成果からも、「アルツハイマー型認知症」は廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であるというのが私たちの考えなのです。

   

 & 人間だけに特有な世界を作り出す「前頭葉」の働き

猛烈に吹き荒れる風の音と激しく降る雨の音を夢うつつに聞きながら、伊豆高原でこうなのでは、南箱根では大変な嵐になっているのでは、、。Tadが切り落とした杉の枝が家の南斜面に放置されたままになっているのが吹き跳ばされないかしら、、。そういえば寝室にする予定の部屋の屋根の瓦が一枚割れているとTadが言っていたけど大丈夫かしら、、。考え事をしているうちに、いつの間にか眠ってしまって、気が付いたら朝。8時をとっくにまわっていたのです、、、。寝室の窓を開けた途端に、晴れ渡った空と降り注ぐ陽光がまぶしく目に飛び込んできたのでした。

 久方ぶりのともいうほどに良い天気、ブログを書いてなんかいられない、どこかに遊びにでかけようか!確か、Jガーデンの石井さんの話では、伊豆高原界隈に自生している珍しい花木を販売するための売店がそろそろ完成するはずだわ。それを見に行って、ついでに、南箱根の家のリフォームの相談をしてこようかしら。Tadに任せておくと暴走しそうなので、石井さんに相談に乗ってもらうのが得策かも、、、。ついでにと言っては何だけど、そのまま一緒に「洗濯船」に夕ご飯を食べに行くよう誘ってみるのも良い案かも、、、。ベッドから起き上がったままの状態で、あれこれと今日の行動テーマやその内容を考えているのが私の「脳」の働きなのです。

自分の置かれている状況を判断し、その判断に沿って、色々な「テーマ」を発想し、テーマの構成内容及び実行の手順を企画及び計画し、更には実行結果のケース・シミュレーションをした上で最終の内容を決定し、その実行を決断する。これこそ、私たち人間にしか備わっていなくて、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳の働きなのです。

   

「意識的」に何かをしようとする際には、必ずこうした脳の働き、脳全体の司令塔である「前頭葉」がちゃんとしたレベルで働くことが不可欠の条件となるのです。自分の置かれている状況を判断し、状況に沿ったテーマを発想し、テーマの内容を組み立てるには、この「前頭葉」の働き具合が、「正常な機能レベル」に保たれていることが必要不可欠の条件となるのです。こうした手順、脳の働きの順番をたどった上で最終的に自分が実行したいと考える内容を私自身が決める(私の「前頭葉」が決定する)訳なのですが、こうした脳の働き、「前頭葉」の働きがちゃんと機能するためには、(このことを脳の構造と機能の面からもう少し詳しく説明すると)「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」と言う「前頭葉」の基礎的な機能であり、個別機能の発揮度及び認知度を左右する機能としての「前頭葉の三本柱」の働きが一定レベル以上の機能レベルを確保していることがその前提となるのです。

或る独立行政法人の医師を含む研究者達から「不活発病」と名付けられている人達の暮らしぶり、何かをしようとする様子もなく、仮設住宅の中で日々ゴロゴロしてばかりで暮らして居るのは、(脳の機能と言う視点からいうと)こうした暮らしぶりをしている人達の「前頭葉」がちゃんと働かなくなってきている(そうした症状を示している人達の「前頭葉」の機能の発揮度を下支えしている「三本柱」の働きが異常なレベルに衰えてきている)証拠なのです。

これは、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルとそれに直結した段階的症状という、世界に誇れるほどの極めて多数に上り、且つ精緻なレベルの「脳機能データ」(「二段階方式」と言う神経心理機能テストを活用して得られたデータ)を解析した結論により導かれた、私たち独自の考えなのです。「アルツハイマー型認知症」の発病原因として、日本では、「アミロイドベータ説」が主流なのですが、『ナイナイ尽くしの単調な生活が継続する生活習慣の下で、「前頭葉」を含む脳の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていった結果として蓄積されてくるにすぎない単なる副産物であって、発病の直接の原因ではない』というのが、このアミロイドベータ説(未だに因果関係の立証がなされていない、単なる仮説)に対する私たちの評価なのです。

    

&「前頭葉」機能の概観

脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」には、自ら様々なことに取り組むための「自発性」、色々なテーマを思いつくための「発想」、実行しようとする内容を組み立てる上で必要な「理解」や「計画」や「工夫」、実行内容をシミュレーションする上で必要な「考察」や「分析」や「予見」、実行した場合の結果の推測に必要な「推理」や「想像」や「洞察」、予期しない状況に対応するための「機転」や「修正」、状況や実行内容の「判断」、感情の高ぶりを抑えるための「抑制」、実施を指令するための「決断」、「指示」、更には「創造」や「感動」といった機能等、私たち人間だけに特有の様々で高度な働きが詰まっています。これら個別機能により構成される「前頭葉」と言う機能は、他の動物には例を見ることができず、私たち人間だけに備わっている極めて高度な機能であり、或る「独立行政法人」が得意としている「マウス」は愚かチンパンジー等の人間以外の霊長類の脳に備わる種々の機能と比較しても異次元と言える程に極めて高度な機能なのです。

     

&「前頭葉」の「個別機能」の発揮度と「二重構造」の問題

 「前頭葉」の機能について語るとき、「前頭葉」の機能レベル(働き具合)と言う視点を持つことが極めて重要です。正常な状態であれ、異常な状態であれ、「前頭葉」が働いている意識的な場面では、「前頭葉」の機能レベルの問題が必ず発生しているからです。「前頭葉」の機能レベルが「意識的な世界」における「認知度」に直結しているからなのです。

然もその認知度には、一つには「前頭葉」の個別機能の機能レベルの反映という側面と、もう一つには「前頭葉」の三本柱の機能と私たちが命名している「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」と言う機能の機能レベルの反映と言う側面の二つの側面があることに注意が必要です。「前頭葉」の個別機能が正常なレベルにあろうとも、三本柱の機能が異常なレベルに衰えてくると、その反映の結果として、「前頭葉」の個別認知機能の発揮自体が異常なレベルのものになってしまうために「認知度」も異常なものになってしまうという「二重構造」の問題があるからなのです。状況判断も、理解も、推理や洞察も、もはや正常なレベルのものではなくて異常なレベルのものになってしまうのです。このことは、多数の症例を対象として、「小ボケ」レベル、「中ボケ」レベル、「大ボケ」レベルでのそれらを比較することで明確に確認できるのです。

     

&「三本柱の機能」に内在している「正常老化」の性質

脳の専門家と言われる人達も認知症の専門家と言われる人達の誰もがこれまで問題にしてきていないのですが、「前頭葉」の基礎的な且つ中核をなす機能である「三本柱」の機能、すなわち、「意欲、注意集中力及び注意分配力」の機能には、「加齢による老化のカーブ」という性質が内在しているのです。これは、生来的に内在している性質なので、(脳の使い方としての「生活習慣」の差異に起因するカーブの緩やかさの相違はあるにしても)、誰でも年を取るにつれて、(正常な機能レベルを保ちつつも)機能のレベルが次第に衰えていくことになるのです(この性質を私たちは、「正常老化」の性質と名付けています)。

脳全体の司令塔で、置かれている状況を判断したり、何かを思いついたり、計画を立てたり、工夫したり、洞察や推理をしたり、機転を利かせたり、感動したり、抑制を働かせたり、各種の高度な働きを担当している「前頭葉」の機能、中でも、個別の認知機能を正常に発揮する上でとりわけ重要な「認知度」を左右しているのが、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の働きなのです。

ところが、「三本柱」の働きには、「加齢と共に老化し衰えていく」という重要なしかし専門家達からは見過ごされている性質があるのです。「前頭葉」の個別認知機能の発揮度及び認知度を左右しているこの「三本柱」の機能には、18歳から20歳代の半ばまでがピークで、20歳代の半ばを過ぎるころから100歳に向かって緩やかではあるが、一直線に衰えていく性質があるのです。 「アルツハイマー型認知症」を発病する人の割合が急に多くなってくる年齢、「高齢者」の仲間入りをしたばかりの60歳代半ばにもなると、脳の使い方としての生活習慣の如何に関わらず、「前頭葉」の三本柱の働き具合(機能レベル)は、ピーク時である18歳から20歳代の半ばの頃に比べて、その半分以下のレベルにまで衰えてきているのです。70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と、年をとればとるほど、「前頭葉」の三本柱の働きが更に衰えていって、正常なレベルを保ちつつもどんどん「低空飛行」になっていくのが特徴なのです(下図の「カーブ」を参照)。

& ナイナイ尽くしの「単調な生活」と廃用性の機能低下

    

「正常老化」が進行してきて働き具合が頂点に在った20歳代の半ばの頃に比べて、その半分以下のレベルにまで機能が衰えてきている(65歳の頃でちょうど半分に衰えてきている)年齢の「高齢者」)が、何かを「キッカケ」にして、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの「単調な生活」(脳の使い方としての「生活習慣」)の下で日々を過ごしていると、「前頭葉」を含む脳の廃用性の機能低下(使われる機会が極端に少ないことが原因となって、機能の低下が異常な速さで進行していくこと)と言う要素が加味されてくるのです(「キッカケ」の説明については、ここを「クリック」してください)。

「正常老化」による機能低下と言う要素に加えて、「廃用性」の機能低下と言う要素が加味されることにより、(その相乗効果による結果として)脳の機能低下が加速度的な速さで進行していくことになるのです(「上記資料」の「小ボケ」、「中ボケ」、「大ボケ」のデータ図にみるとおり、直線的ではなくて、放物線を描いて機能が衰えていく様子が見て取れるのです)。

     

&「アルツハイマー型認知症発病」のメカニズム

極めて多数に上る「脳の働き具合」(「前頭葉」を含む脳全体の機能レベル)とリンクした「症状(私たちが三段階に区分する「段階的症状」)のデータの解析結果から、「アルツハイマー型認知症」は、加齢による脳の老化(「正常老化」)を「第一の要件」とし、「前頭葉」を使う機会が極端に減少するナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続による廃用性の機能低下を「第二の要件」として、両者の相乗効果により、「脳機能の加速度的な機能低下」が惹起され、脳の機能が異常なレベルに低下していく(機能の退化)ことが原因で認知症を発病する病気、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」だと私達は考えているのです。

私達が集積してきた極めて多数の脳機能データの解析によれば、「アルツハイマー型認知症」の場合は、「前頭葉」を含む脳の機能の衰え方の程度にリンクして、脳の異常な機能レベルが「認知症の症状」として発現してくることが分かるのです。発病の原因として「アミロイドベータ」や「タウ蛋白」或いは「脳の委縮」を唱える人達が言うように、神経細胞の変性或いは脱落による脳内での「情報の連絡」の不具合が、認知症の症状となって発現してきている訳ではないのです。私たちが、「二段階方式」と言う精緻な神経心理機能テストを駆使して、極めて多数の脳機能データを集積し、分析し、確認したことにより得られた特別な性質(「アルツハイマー型認知症」の場合には、「前頭葉」を含む脳の機能の衰え方に明確な「規則性」があると言う性質)について、「アミロイドベータ説」も「タウタンパク説」も「脳の委縮説」も、その機序を説明することができないと私たちは考えるのです。

    

& 回復させることがが可能な「早期の段階」で対策を

「アルツハイマー型認知症」は、第二の人生を送っている60歳を超えた年齢の「高齢者」が、日々の生活を送る中での脳の使い方としての「生活習慣」(「前頭葉」を含む脳の出番が極端に少ない「単調な生活」の継続)のために、「廃用性」の異常な機能低下が起きてくることが原因の病気に過ぎないのです。何等の呼びかけも対策も行われないままに放置されていて、時間だけがいたずらに経過していく中で(被災から、既に4年の月日が経とうとしている)、東日本大震災の被災地の60歳を超える年齢の「高齢者」達が、他のどの地域の高齢者達とも異なる「異次元と言える程のはるかに高い割合」で、「アルツハイマー型認知症」を発病している症状を示していることが確認されれば、マスコミも政府も大騒ぎする事態が起きてくることになるはずです。私たちの「脳機能データ」から推測すると、あと1年もすると(『被災から5年が経過』したその時点では)、「中等度認知症」(中ボケ)の後半の症状から、速い人の場合は末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の症状を示すようになるはずなのです。そのとき、(私たちの主張が正しいことが疫学的に証明されることになる結果)「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムと症状の進行についての私達の主張内容に、認知症の専門家と言われている人達の注目が集まることになることを指摘しておきたいのです。

その場合、「アルツハイマー型認知症」は廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないので、「軽度認知症」(小ボケ)の段階で見つけて脳リハビリに励めば容易に治せる(「前頭葉」を含む脳の機能を正常なレベルに回復させることができることにより、認知症の症状が消える)し、「中ボケ」の段階で見つけて脳リハビリに励めば未だ治すことが可能なのですが、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階にまで症状が進んでしまっている人達(「前頭葉」を含む脳の機能レベルが衰えてしまっている人達)については、もはや治すことは出来ない(見つける段階が遅すぎる)ということを併せて指摘しておきたいのです。

     

 &「不活発病」の症状は「軽度認知症」(小ボケ)の症状そのもの

一部の学者や医師達から「不活発病」のレッテルを張られているお年寄り達は、「前頭葉」の個別機能が異常なレベルに衰えている訳ではないのです。「前頭葉」の三本柱の機能レベルが「正常老化」の要因に加えて「廃用性」の機能低下の要因が加味され異常なレベルにまで衰えてきた結果として、「前頭葉」全体としての働き具合がテキパキとは機能しなくなってきている(正常には機能していない)だけなのです(上述した「二重構造」の反映)。その「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルのアウト・プットが「認知症としての症状」となって現れてきているのが、「アルツハイマー型認知症」の重要な特徴なのです。

「前頭葉」を含む脳の機能レベルを判定することもなく、その外観だけから見られる症状だけを基礎として「不活発病」のレッテルを張られているお年寄り達の多くは、「前頭葉」を含む脳の機能レベル自体を私たちが開発した「二段階方式」のような精緻な神経心理機能テストを活用して判定すれば、「左脳」も「右脳」も「運動の脳」も未だ正常な機能レベルにあるが、脳全体の司令塔の役割を担っていて「意識的」な世界を支配しコントロールしている肝心の「前頭葉」の働き具合(更に言えば、「三本柱」の働き具合)だけが「異常なレベル」に衰えてきていることが確認されるはずなのです。

    

その原因はと言うと、誰にでも生来的な性質として備わっている「正常老化」の要因に加えて、もう一つ別の要因、東日本大震災の被災を「キッカケ」として、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない日々(ナイナイ尽くしの単調な生活が始まり、且つそうした単調な日々が継続されている)という「お年寄り」だけを対象として、「廃用性の機能低下」という要因が加味されたことにより、「前頭葉」の三本柱の働き具合が、加速度的に衰えてきて、異常なレベルにまで働らきが衰えてきたことにあるのです。

そうした症状に「不活発病」とかいうレッテルを張って状態を正しく理解したと勘違いしている人達は、症状と言う外観だけから憶測しているだけなのです。「二段階方式」の手技を活用して、「前頭葉」を含む脳の機能レベルとそれに直結した症状の判定と言う視点から、東日本大震災の被災地の高齢者の症状を分析してきた私たちは、そうした症状は、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階の症状なのであって(「小ボケ」の症状については、ここを「クリック」してください)、何等の注意喚起や対策が施されないままにこのままナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されたままで居ると、次の段階である「中等度認知症」(中ボケ)の段階の症状が発現してくることになることを指摘し、警告しておきたいのです(「中ボケ」の症状については、ここを「クリック」してください)。更に言うと、「中ボケ」の段階の症状が発現してきても「老化現象」だなどと言って放置していると、最後は末期の段階である「重度認知症」(「大ボケ」)の段階に進んでいくこととなり、身体が持つ限り(何らかの他の病気が原因で死を迎えることになるときまで)、症状がさらに重くなっていくだけと言う結果になるのです(「大ボケ」の症状については、ここを「クリック」してください)。「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないからです。

     

& 専門家達に対する問題の提起

いろいろな種類が数ある認知症の中で90%以上の割合を占めていながら、原因不明と言われて放置されたままになっている「アルツハイマー型認知症」の発病の直接の原因は、60歳を超える年齢の高齢者(発病の「第一の要件」)が、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を継続すること(発病の「第二の要件」)にあるのであって、アミロイドベータでも、タウ蛋白でも、脳の委縮でもないのです。これらの仮説(原因と結果との間に要求される「因果関係の立証」がなされていない)は、「アルツハイマー型認知症」の第一の要件が「記憶の障害」であると規定している、米国精神医学会の『DSM-4』の誤りをそのまま踏襲しているが故の誤りを犯しているのです。「記憶の障害」こそが「第一の要件」だと盲信しているその人達は、今日も、「迷路」の中でエサを探して歩き回る「ラット」の行動ばかりを追っているのです。

 私たちが発病の最初の段階と定義している「軽度認知症」(小ボケ)の症状を詳細に検討してみれば、「前頭葉」の機能障害こそが「アルツハイマー型認知症」診断の「第一の要件」として「DSM-5」に規定されるべきなのだということに気付くはずなのです。「アルツハイマー型認知症」の最初の段階として私たちが規定する「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、「三本柱の機能」が異常なレベルに衰えてきているが故に、そのことを直接的に反映した症状、言い換えると「前頭葉」の機能障害だけが原因の症状(「三本柱」の機能が異常なレベルに衰えてきたことに起因して、「前頭葉」の個別機能の発揮度及び認知度が異常なレベルにあることを反映した「症状」)を示していることに気づくはずなのです。

      

  &「小ボケ」の治療は、脳のリハビリ

 「軽度認知症」(小ボケ)は、「前頭葉」の三本柱の機能である、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の働きが異常なレベルに衰えているだけなので、その機能を正常なレベルに引き戻してやれば脳全体の機能が正常なレベルに回復するのです(認知症が治る)。「アルツハイマー型認知症」が専門家達の間で「治せない病気」とされているのは、本質的に治らない病気なのではなくて、見つける段階が遅すぎるのです(上述の「大ボケ」の機能データ図を見ればわかるように、「前頭葉」の機能が殆ど働かなくなってきている末期段階の「大ボケ」の段階で見つけているので、治らないだけなのです)。

「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎず、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続される生活習慣の下で、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行してきたことに起因する「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルのアウトプットが認知症の症状となって現れてくるだけの病気なのです。従って、治す薬も進行を遅らせる薬も、発病と症状進行のメカニズムからして、あり得ないのです。どうやれば「前頭葉」の機能を正常なレベルに回復させることができるのか。それは、「三本柱」の機能の出番が多い自分なりの「テーマ」を実行する生活を中核とする日々の過ごし方を考え、そうした「テーマ」の実行を「生活習慣化」することにより、「三本柱」の機能を正常なレベルに回復させることが「唯一、無二の方法」となるのです。

 「アルツハイマー型認知症」も、早期発見、早期治療が大切なのです。早く見つける程、回復する可能性が高いのです。標語的な表現を借りて言えば、「小ボケで見つければ、簡単に治せます(回復容易)」、「中ボケで見つければ、手間はかかり大変だけど、家族の協力があれば、未だ治せます(回復は未だ可能)」、「大ボケで見つけていたのでは、見つけても手遅れ、治らないのです(回復困難)」。世間では、「DSM-4」の規定に準拠した診断をするので、言い換えると末期の段階である「大ボケ」のその後半になってしか確認されない「失語、失行又は失認の症状」を物指しとして、「アルツハイマー型認知症」を見つけようとするので、せっかく見つけても治らない(治すことができない)のです。「大ボケ」の段階になってくると、脳の機能レベルの問題に加えて、実施すべき内容が個別に緻密に計画された「脳リハビリ」を実行することが要求される一方で、「脳リハビリ」の目的や意味を理解することが出来ず、実行する意欲もわかず、必要な注意を集中することも出来ないことが回復への道を閉ざすことになるもう一つの要因でもあるのです。

      

& 「小ボケ」からの回復方法についての基本的な考え方

 「アルツハイマー型認知症」の最初の段階、「軽度認知症」(小ボケ)の症状が出てきているお年寄りの症状を治す(「前頭葉」の働きを正常なレベルに引き戻す)には、「前頭葉」の出番が多い生活に変えて、「前頭葉」の働きを活発にしてやることが必要不可欠、唯一無二の方法なのです。効く薬はないし、薬は効かないのです。「アルツハイマー型認知症」は、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続を第二の要件とする、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」なので、「アルツハイマー型認知症」を治す薬を開発することや、最近流行りの「ips細胞」に頼ることも、不可能なことなのです。

 ところで、脳を使うとか、脳を活性化させる方法というとみなさんは、すぐに読書や計算、つまり、「左脳」を使うことだと考えていませんか。お年寄りと言われる年齢の高齢者にとって、「前頭葉」の働きを活発にするのに最も効果的な方法は、「右脳」をしっかり使う生活、趣味や遊びや人づきあいをしっかり楽しむ機会をできるだけ多く日々の生活の中に取り込むこと、「生活習慣化」することなのです。趣味や遊びや人づきあいなどを楽しむことで、自分なりの目標や喜びや生き甲斐があって、取り組む意欲が湧いてくる、そういった自分なりにやる気が起きてくるような「テーマ」を日々の生活に取り込んで暮らすようにするのです。

      

& 家族の側の注意点

趣味や遊びや人づきあいといった「右脳」中心の生活或いは、運動や散歩や体操などの「運動の脳」を使う生活習慣が、「前頭葉」の出番を増やし、働きを活性化させることになり、「前頭葉」の元気を取り戻させせることになって、「小ボケ」のレベルにあった「前頭葉」を含む脳の機能が正常なレベルに回復してくるのです(「アルツハイマー型認知症」が治る)。

 やるのが楽しくて、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲や注意の集中力や注意の分配力」の出番が多くて、時間があっという間に経って、またやりたくなるような、趣味や遊びや人づきあいを楽しむ生活とその仕方を工夫するのが大切なのです。周りが助けて、本人なりに毎日を楽しめる生活習慣を組み立ててあげるのです。過去の生活習慣にさかのぼって、どんなことに熱中していたのか、どんなことなら意欲を持って取り組めていたのかを調べてあげることも大切です。

趣味も遊びも人づきあいも苦手と言う人には、「運動の脳」からの刺激が意外と効果的なのです。一日一時間の「速足での散歩」が目標(5000歩が目安)となります。その場合も、本人自身が「散歩をするのが楽しくなる」ような工夫が大切です。散歩するのに安全な場所を選び、散歩してみたくなるような場所を探し、家族や友人が談笑しながら一緒に歩いてあげると効果が一層大きくなります。

注)本著作物(このブログB-29に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

  エイジングライフ研究所のHPを「クリック」してください)

    脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前頭葉の異常な機能低下とアルツハイマー型認知症の初期症状 (B-08)

2014-04-15 | アルツハイマー型認知症の初期症状の正体

 意識有り ゆえに我在り 我思う

  意識無くとも 脳は眠らず (8)   By kinukototadao 

    

朝起きると、真っ先に新聞を取りに行くのが私の日課なのです。地下室への脇階段を下りて行こうとして、スイッチを押したのです。ところが階段の電気がつかないのです。どうして電気がつかないのかしらと、不思議に思って、はたと気づいたのです。脇階段の電気をつけるのだから脇階段のスイッチ盤のスイッチを押さないといけないのに、玄関のタタキの壁のスイッチを押していたなんて。

私ぐらいの年齢になると、脳の老化も或る程度進んできているので、自分なりの生き甲斐があり、趣味や遊びや交友を楽しむ生活を送っていても、或いは「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の潜在的な機能自体は正常なレベルにあっても、何か別のテーマに注意がそれていたりすると(「前頭葉」の注意の分配力の顕在的な機能の発揮度が低下した状態が起きてきていると)、老化現象としてのこうした症状が生じてくることになるのです。

それとはまったく別の構造的なメカニズムが原因なのですが、60歳を超えた年齢のお年寄りが、何かを「キッカケ」にして、生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もないナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々繰り返すような生活を速いケースだと半年間遅いケースでも3年間継続していると、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲や注意の集中力や注意の分配力」の機能が異常なレベルに機能低下した構造的な状態が恒常的に続くようになり(潜在的な機能レベルの低下)、間違えたスイッチとも気づかないで押してしまうような老化現象としての私の症状と外観だけから見ると類似したような現象、しかし老化現象ではなくて「認知症の初期症状」が、「何時でも、起きてくるようになる」のです。   

〇 脳全体の司令塔としての「前頭葉」の諸機能とその役割

額のところにある「前頭葉」は、脳の最高次の機能です。運動の脳、左脳及び右脳を統括し、「脳全体の司令塔の役割」を担っています。私達人間だけに特有な機能である識的な自由で選択的な)意思や思考や行為や言動や行動の世界では、「左脳」が「デジタルな情報」の処理を専任的に行なうときも、「右脳」が「アナログな情報」の処理を専任的に行なうときも、「運動の脳」が「身体」を専任的に動かすときも、三頭立ての馬車(左脳、右脳及び運動の脳の「三頭の馬」)の御者の役割をしている「前頭葉」の「評価の物差し」の機能による状況判断とその指示なしには、勝手には動けない仕組みになっているのです。三頭の馬のどれかが働くときには、必ず事前に「前頭葉」によるチェックと指示とが為されるのです。

「前頭葉」が自分の置かれている状況を判断し、その判断に従って、三頭の馬を主導しつつ、「前頭葉」の状況判断に沿う形で同時に協働しながら、三頭の馬が目的となる「テーマ」を実行していくというのが、「意識的な世界」で人間の脳が働くときのメカニズムなのです。但し、本題からはちょっと脇道にそれるのですが,ここで言う意識的な世界には、意識に覚醒されてはいなくても脳機能としては選択的に働いている世界が存在することを注意喚起したいのです。一定の機能レベルにはあるが意識度が低い状況にある、「前頭葉」を含む脳全体の機能状態のことなのです

「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の顕在的な発揮度を意識的に次第に下げて行くとき、(「前頭葉」の機能の発揮度と意識との関わりを調べていけばいく程)意識的な世界でありながら専門家とされる人達から無意識の世界と混同されている世界があることに私たちは気付いているのです。思考、行為、言動、或いは行動のいづれであるかを問わず、それらを一定レベルで行うには、「意識」が一定レベル以上の度合いで覚醒されていることが不可欠であり、その意識の覚醒の度合いは「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の分配力及び注意の集中力の働き具合に左右されていると私たちは考えているのです。その肝心要の「前頭葉」の三本柱の機能には内在的な(生来的な)性質としての「正常老化の性質」が存在していることを私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積してきた極めて多数の「脳機能データ」が証明しており、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象が60歳を超える年齢の「高齢者」に限定されることともリンクしていることを示唆してもいるのです。

(ここで、コーヒー・ブレイク) 私たちがこのブログの中で使用する「意識的」という意味は、「前頭葉」の三本柱の機能である、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能のいづれか及び/又はそのうちの二者/又は全てが一定の機能レベルで機能しているがために(顕在的な機能)、意識が一定レベルで覚醒されている脳の機能状態を言います。心理学の専門家達から「無意識」と呼ばれているものには、潜在的な機能である「前頭葉」の「評価の物差し」としての機能の潜在的な存在の状態(潜在的な機能の状態)と顕在的な機能であるが「意識の覚醒度」が極めて低い状態にあるために意識に覚醒されていない状態(顕在的な機能の状態)とがあるそのこと自体が理解されていないか、或いは両者が混同されていると私たちは考えているのです。

(本題に返って)「脳の機能の顕在的な発揮度とその機能の潜在的な機能レベル」という視点から言えば、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、「左脳」も「右脳」も「運動の脳」も潜在的な機能レベル自体は未だ正常なレベルにあるのです。三頭の馬はどれも未だ正常なレベルにあって、脳全体の司令塔の役割を担っていて「三頭建ての馬車」の御者である「前頭葉」の潜在的な機能レベルとしての働き具合だけが「異常なレベル」に衰えてきている状態なのです。そのため、「前頭葉」の機能の中で最も基礎的で且つ重要な働きであり、発想、計画、創意、工夫、洞察、推理等「前頭葉」の各構成機能によるその「認知度」及び「発揮度」を左右(下支え)している「三本柱」の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の潜在的な機能レベル自体が異常なレベルに衰えてきているが為に、様々な場面で、状況や目的に即しては(又は、状況や目的に十分には)「前頭葉」の各種個別の機能を十分には発揮できなくなっているが故の「認知症の初期症状」が発現してくることになると考えているのです。

  

60歳を超えた年齢の「高齢者」発病の「第一の要件」)が、何かを「キッカケ」としてナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々継続させるで(発病の「第二の要件」)、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の潜在的な機能レベルが加速度的に衰えていくことが「アルツハイマー型認知症」を発病させるのです(発病のメカニズムについては、ここを「クリック」してください)。

「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、自分が置かれている状況の判断も的確には(又は不十分にしか、或いは単に)出来なくなるし、発想が湧いてこないし、見通しも立たないし、何をどうするのかという「テーマの構想と計画や工夫」も出来なくなってくるのです。テーマを実行する上で不可欠である実行の態様や程度、おかれている状況や相手との関係などのシミュレーションも的確には(又は不十分にしか、或いは単に)出来なくなるのです。最終的な決断も足元が揺らいでくるのです。

意識的に何かの「テーマ」を発想し、計画し、決断する上で必要不可欠の働きをしている「意欲」が不十分或いは断続的にしか発揮できなくなってしまうので、毎日をボンヤリと過ごして、居眠りばかりするようにもなります。何かの「テーマ」に取り掛かってみても、「注意の集中力」が続かなくて、「あれも遣り掛け、これも遣り掛け」という風に、中途半端になってしまうのです。「注意の分配力」が十分には働かないので、頭の回転が鈍くなってしまい、かつてのようにテキパキと用事を処理することができないのです。

これまでの本人を特徴づけていたその人らしい物の見方、感じ方、考え方、或いはそれらの表出の程度及び態様を決定する「前頭葉」の評価機能である行動指針の反映としての「生活態度」が大きく変化し、或いは失われていき、「こんな人ではなかったのに」と周りから言われるようにもなるのです。他人に対する応答や対応の仕方を含めて「人柄の本質」自体が変わっていくような特徴的な症状を示してくるのですが、それは、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の潜在的な機能レベル自体が異常なレベルに衰えていることが直接の原因となって「前頭葉」の評価の物差しとしての潜在的な機能が異常なレベルに機能低下していることを反映した認知症の症状なのです。潜在的な機能自体が異常なレベルに衰えているので、日常の生活面での「前頭葉」機能の発揮度それ自体(機能レベルのアウトプットそれ自体)が認知症の初期症状として発現することになるのです。「軽度認知症」(小ボケ)のイメージは、何事も人を頼るようになり、一日や一週間の計画も立てられず、指示してもらわないと動けない「指示待ち人」が特徴なのです。

   

〇 状況を判断し、実行すべき「テーマ」の内容と実行の仕方を規制しているのが「前頭葉」の「評価の物差し」

「前頭葉」の評価の物差し自体は、あくまで後天的に形成されるものなのです。4歳になる以前での幼児期における体験、自分を取り巻く環境、特に「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした家族環境の中での実体験を基礎として「評価の物差し」の「原型」が形成され、4歳児から18歳ごろまでの体験(実体験及び伝聞体験)の積み重ねにより悩み、迷い、或いは拒絶し、挑戦し、好むと好まざるにかかわらずそうしたもろもろの体験の集積が幼児期に獲得したその原型の上に加味され、溶け込んでいく中で、最終的に自分としての独自のものを形成し、確立していくのです。

なお、ここで私たちが言う「評価の物差し」とは、自分独自の物の見方、感じ方、考え方、或いはそれらの表出の程度及び態様を決定する行動指針のことを言います。言い換えると、意識的に何かの「テーマ」を実行していく上での、置かれている状況の判断、状況の判断に沿ったテーマの発想、テーマの実行内容の企画と計画、計画内容の実行結果についてのシミュレーション、或いは計画内容の実行の仕方及びその実行内容の表出である言動や態度を選択するに際しての自分独自のやり方の選択及び決定と決断に非選択的に関わってくることになる「評価規範」のことなのです。なお、「非選択的に関わってくることになる」とは、程度のいかんに拘わらず意識が覚醒された瞬間に「評価の物差し」としての網が「前頭葉」の各種の個別構成機能全体を覆ってしまい、状況の判断も、テーマの発想も、テーマに沿った実行内容の企画や計画も、結果のシミュレーションンも、或いはそれらの表出程度や態度の選択も全て、その「評価の物差し」による非選択的な評価が下された制約の下で実行されることになるという機序の意味なのです。分かり易い別の表現を借りて説明すると、「評価の物差し」の潜在的な機能状態が「人格」或いは「人柄」であり、顕在的な機能状態が「心」或いは「気持ち」であると考えてください。

   

通常のケースとしては、幼児期に形成されたその「原型」を基礎機能として、その色眼鏡をかけた状態で、その後の体験(実体験及び伝聞体験)により加味或いは付加される価値観を自分なりに受け入れる中で、必要な修正や変更がなされていき、最終的には18才頃までに自分なりに確立された独自の「評価の物差し」(価値規範、評価規範、或いは行動指針)を形成していくことになるのです。そうした自分独自の「評価の物差し」が形成され確立されていく過程は、同時に、精神分析学や心理学の専門用語で言う「自我」の形成及び確立の過程でもあると言えるでしょう。

なお、「三つ子の魂百まで」、或いは「頭禿げても浮気はやまぬ/産屋の風邪は一生つく/産屋の癖は八十までなおらぬ/漆剥げても生地は剥げぬ/噛む馬はしまいまで噛む/子供は大人の父親/雀百まで踊り忘れず/痩せは治るが人癖は治らぬ/病は治るが癖は治らぬ」等の古くから言い慣わされてきた諺が示しているように、幼児期に形成された評価の物差しの「原型」は、その後の人生での様々な体験をもってしても容易には変更できないほど、最終的な自分なりの或いは自分独自の評価の物差しを確立していくことに対する影響が極めて大きいのです。

3つ子、4歳以前の幼児というのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした自分を取り巻く家族環境の中での体験に対して、それらを評価したり、批判したり、反発したりする能力を未だ持っていないので、それらの体験を何の疑いもなくそのまま「自分の価値観」として、ただひたすらに受け入れるだけだからなのです。恐ろしいのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」が暗に示す価値観が、そのままその子の「前頭葉」の「評価の物差し」となってしまう、そのまま入り込んで評価の物差しの「原型」を形成してしまうことなのです。幼児を育児中の親は、この点に対する強い認識と自覚を持つ必要があると思うのです。

但し、たとえ双子であっても、先天的に受け継いだ「DNA」と更には、その子が左脳優位に生れついたのか、或いは右脳優位に生れついたのかの差異があるので、その双子が同じ環境で育ち同じ体験をしたとしても、二人の受け止め方が違うことになるのです。その結果、たとえ双子であっても異なった「評価の物差し」を形成していくことになるということについての理解が重要です。

 〇「アルツハイマー型認知症」の段階的症状と脳の機能レベル

「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、他の種類の認知症とは異なり、「前頭葉」を含む脳の機能レベルが「認知症の症状」として直接発現してくること並びに回復させることが可能か否かという視点から見た時、回復させることが容易な「小ボケ」の段階があって、次いで回復させることが未だ可能な「中ボケ」の段階があって、最後に回復させることが困難な「大ボケ」の段階があるという風に、「段階的な症状」を示すのが特徴なのです。

従って、本当の意味での「初期の症状」回復させることが可能な「小ボケ」及び「中ボケ」の段階での症状を的確に判定するには、この「前頭葉」の機能レベルの精緻な測定に基づく判定作業が不可欠のものとなるのです。その場合、極めて高額な費用が掛かるだけで、その割に「前頭葉」の機能レベルの精緻な計測及び判定には不向きなCTやらMRIやらSPECTやらPETやらを使うのではなくて、或いは回復させることが困難な「大ボケ」の段階で見つけるのではなくて、私たちが開発した「二段階方式」のように「前頭葉」の機能レベルを精緻に計測でき及び的確に判定できる上に費用が極めて安価な「神経心理機能テスト」を認知症の診断を専門とする医師達が使うようになってほしいのです。

回復させることが可能な「本当の意味での早期の段階」を見つけるのが医師としての社会的な使命だと思うからです。医療現場の現状は、回復させることが困難な末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけているのです。「大ボケ」の段階で見つけることに何の意義があるというのでしょうか。見つける段階が遅ければ遅いほど、周りの家族の精神的及び経済的負担が増すだけでなくて、介護保険による費用の負担を含め、国が負担する医療費も莫大なコスト増加となるのです。

私たちの主張には未だ権威はありませんが、私たちが2年前のこのブログ A-35で(ここを「クリック」してください)予告した、「東日本大震災」の被災地の高齢者達の間に起きてきていると予告した問題(認知症の専門家と言われる人達の経験値をはるかに超える極めて高い割合による「アルツハイマー型認知症」発病の問題)が確認され、マスコミに取り上げられるようになれば、それなりの権威もついてくるとは思うのですが、私たちの主張にはこれまでの20年間にわたる市町村での「地域予防活動」の実践で示してきた成果による裏付けもあるのです。

「アルツハイマー型認知症」は、脳の使い方とという視点で言うところの廃用症候群に属する「生活習慣病」であり、「前頭葉」を含む脳の活性化を目的とした「生活習慣の改善」により発病を予防することもできるし、本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つけると正常なレベルに脳の機能を回復させることができる(認知症を治すことができる)のです

   

〇「前頭葉」の各種構成機能の発揮レベルを決定する三本柱の機能

意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、関心、感動、発想、企画、計画、創意、工夫、シミュレーション、予見、比較、修正、整理、機転、抑制、忍耐、決定及び決断等、「前頭葉」を構成している各種の高度な認知機能を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。意識的に何かの「テーマ」をそれなりのレベルで実行するには、一定レベルでの「意識」の覚醒が必要不可欠であり、更に一定レベルでの「意識」を覚醒させるには、一定レベルでの「認知度」及び「発揮度」が必要となるのです。

脳が(意識が)未だ十分に覚醒していない状態、例えば「寝ぼけ眼」の状態を考えてみると分かり易いと思うのですが、三本柱の機能の発揮度が一定レベル以下だと、先に例示したような「前頭葉」の各種構成機能であるそれらの「認知機能」自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした「認知度」及び「発揮度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉」の「三本柱」の機能(これは、私たちが独自の見解で命名したものなので、インターネットで検索しても出てきません)なのです。

先に例示したような「前頭葉」の構成機能(私たちは、47に及ぶ構成機能を確認しています)を中核の機能として、その下部機能である「左脳」や「右脳」や「運動の脳」も共同参加して、脳全体で何をどのようにするかを決めるには、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠になります。脳の機能面という視点から、通常の過程でこれを説明すると、(自分の置かれている「状況を判断」し、その状況判断に沿った「テーマ」を発想し且つ選択して、選択したテーマを実行するための計画を立て、実行方法についてのいくつかのシミュレーションを経て、最終的な実行方法を選択し決定して、脳の各部に指令を出して実行に移す)という過程を辿る際に、一定レベルでの「意欲」が継続的に発揮されていることが不可欠なのです。更には、様々な状況を考慮し、いくつものケースシミュレーションを経て、最終的な実行内容とその実行の仕方(程度及び態様)を決定した上で、左脳や右脳や運動の脳に対し実行に移す指令を出すには、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の一定レベルでの継続的な発揮も必要になります。言い換えると、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」という「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度が、「意識度」並びに「前頭葉」の各種構成機能の「認知度」及びその「発揮度」を左右しているという「二重構造」になっていると私たちは考えているのです(この見解自体も、極めて多数の脳機能データの解析に基づく、私たち独自の見解です)。

更に別の視点からの問題として、意識的に何かの「テーマ」を実行する過程における「前頭葉」の働き、各構成機能の関わり方を概説した上述の説明に付け加える必要があるのは、(自分の置かれている「状況を判断」し、その状況判断に沿った「テーマ」を発想し且つ選択して、選択したテーマを実行するための計画を立て、実行方法についてのいくつかのシミュレーションを経て、最終的な実行方法を選択し決定して、脳の各部に指令を出して実行に移す)という過程を辿る際に、その全過程で常に「記憶」の問題が絡んでくるということなのです。何かの「テーマ」を発想するといっても、無から有が生じるわけではないのです。更には、状況判断に沿ったテーマを発想するには、状況判断の結果を記憶しておいて、且つ注意の分配機能を使って様々なシミュレーションを行う必要があるのです。計画した実行内容の実行の結果がどうなるかについての様々なシミュレーションを行うには、計画した実行内容を記憶しておいて、且つ洞察や推理の機能を使って実行結果がどうなるかのシミュレーションを行う必要があるのです。状況判断に沿った「テーマ」の発想や様々なシミュレーションを行う際に必要不可欠となる、「左脳」がらみの言葉や論理や計算、「右脳」がらみの映像、或いは「運動の脳」がらみの身体を動かすイメージ等は全て、それらに関連する過去の記憶が関わることになります。

そもそも記憶は、記銘、保持、そして想起という過程により構成されています。種々の段階における様々なシミュレーションを行う上で、関係する内容に関わる累積され蓄積された過去の記憶並びにシミュレーションの際に記銘した内容の保持想起とがそもそも要求されることになるのです。その上に、次の項目で説明するように、60歳を超える年齢の「高齢者」の場合には、記銘、保持及び想起という脳の機能にも、その発揮度を左右する「前頭葉」の3本柱の機能(意欲、注意の集中力及び注意の分配力)のそれぞれの機能レベル並びにそれを反映した程度及び態様による関わり方の直接的で強い影響があるのです。

 認知症の専門家と言われる人たちでさえ未だ気づいていないことなのですが、「中ボケ」の段階から、様々な「記憶障害」の症状が発現してくる原因は実はここにあるのです(「物忘れ」のメカニズムについては、ここを「クリック」してください)。(注:下記右端の図は、小ボケ、中ボケ及び大ボケの合算数値を示します)。 

    

〇「前頭葉」の三本柱の機能に内在する「正常老化」の性質

上述のようにその「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳の働きの「3本柱」の機能と言えるのです。ところが、私たちが意識的に何かのテーマを思いつき実行しようとするときに、必要とされる各種の認知機能を発揮する上で、必要不可欠の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」には、それらの機能が使われる機会が多い生活習慣が継続されているにもかかわらず、「加齢」とともにその働きが衰えていくという性質、いわば「正常老化の性質」が内在されているのです(この性質は、私たちの発見に基づく私たち独自の命名です)。          

脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の三本柱の機能に「20歳代の半ばを過ぎると、年をとるにつれて100歳に向かって、緩やかではあるが徐々に直線的に働きが衰えていく」という特徴を有する「老化曲線」があること(「正常老化の性質」が内在していること)が、「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを解明する上で不可欠の重要な指標となるのです。私たちが開発した「二段階方式」を活用して集積した極めて多くの脳機能データの解析の結果、私たちが定義する「第一の要件」及び「第二の要件」と「アルツハイマー型認知症」の発病との間の因果関係が証明されたのです。

    

自分なりの生き甲斐があり、趣味や遊びや交友や運動や社会活動など自分なりの目標がある生活を継続していて、それなりに「前頭葉」の出番がある「生活習慣」を維持していても、加齢とともに機能が緩やかではあるが直線的に衰えて行くという性質があるのです。

「高齢者」の入口である65歳頃には、「前頭葉」の「三本柱」の機能レベルが最も高い20歳代の半ば頃にくらべると、そのほぼ半分くらいにまで衰えてきているのです。70歳代、80歳代、90歳代と加齢が進むにつれて更に低空飛行となっていくのです。すなわち、「前頭葉」の三本柱の機能には加齢とともに緩やかではあるが直線的に衰えていく内在的な性質があることに注目すべきなのです(この性質に注目して私たちは、「60歳を超える年齢の高齢者」という要件を「アルツハイマー型認知症」発病の「第一の要件」としているのです)。

実態面からも明らかなように、「アルツハイマー型認知症」は、50歳代以下の年齢で発病する人は極めてまれなケースであり、60歳代以降の年齢の「高齢者」が発病の対象となり、70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と高齢になればなるほど、発病する人の年齢別の割合が、どんどん増えて行くのです。その背景には、「前頭葉」の「老化曲線」のカーブの傾きの度合いが、60歳を過ぎた「高齢者」と呼ばれる年齢になると、日々の生活面での脳の使い方という視点からの「生活習慣」に大きく左右されるようになることがあるのです。

 このことが、アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを理解し解明する上で、極めて重要な要因となるのです。三頭立ての馬車の御者の役割を担っている「前頭葉」の働きは、脳の後半領域の働きである左脳、右脳及び運動の脳から送られてくる情報の質と量次第で、「老化の曲線」の傾き具合が、「緩やかに低下するカーブ」を描き(「正常な老化、或いは、「加速度的に低下するカーブ」を描く(「異常な老化」)ことになるのです。 

    

たくさんの量と質のよい情報が送られてくるような「生活習慣」が継続されているお年寄りは、老化の曲線は緩やかなものとなり、身体が持つ限り脳も保てる、「かくしゃく老人」への道が開けてきます。

生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されていて、量も少なく質も劣る情報しか送られてこない「生活習慣」が継続されているお年寄りは(これが私たちが定義する「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」なのです)、老化の曲線が加速度的な低下の曲線を描いて、急速に低空飛行になっていくことになります。

第一の要件と第二の要件とが重なり合うことにより、言い換えるとその「相乗効果」により、脳全体の司令塔の役割を担っていて三頭立ての馬車の御者の役割をしている「前頭葉」の機能が「加速度的」なカーブを描いて「異常な機能の低下」が進行していくこととなり、その行き着く先には、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているのです

       

「アルツハイマー型認知症」を発病した最初の段階が、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階であり、本人も周りも認知症を専門とする医師さえもがそのことに気付かないで、相変わらずナイナイ尽くしの単調な生活が続いていると、次の段階である「中等度認知症」(中ボケ)の段階が始まり、それでも周りが気付かないで年のせいなどと悠長に構えていて、相も変わらずナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されたままでいると、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階に入っていくことになるのです(「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の各期間の目安については、ここを「クリック」してください)。

繰り返しになりますが、「アルツハイマー型認知症」の本質は、脳の使い方という視点で言うところの廃用症候群に属する「生活習慣病」なのです。本来的な性質として内在している「前頭葉」の「正常老化の曲線」の問題(発病の「第一の要件」)と第二の人生に入って、何かを「キッカケ」にして、「右脳」も「運動の脳」も使う機会が極端に少なくなるような生活、「生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない」ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まり、そうした生活が日々継続していくと(発病の「第二の要件」)、出番が極端に少なくなった「前頭葉」が「第一の要件」と「第二の要件」との「相乗効果」により廃用性の加速度的な機能低下を起こして、異常なレベルに衰えてきたとき、「アルツハイマー型認知症」発病への道を歩みだすことになるのです。 

 〇「小ボケ」の段階における「前頭葉」の機能レベル

私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行しようとする際には、置かれている状況を判断するにも、状況判断に沿ったテーマを発想するにも、発想したテーマの内容を企画し計画するにも、或いはその内容を実行した場合の結果をシミュレーションするにも、自分独自のものとして確立されている自分独自の「前頭葉」の評価の物差しという「網」が必ず先ず全体に覆い被せられた上で、そうした個々の機能が発揮されていく、それが私たち人間だけが獲得した脳のメカニズムなのです。それ故、その人の人格は、その人独自の「評価の物差し」を反映したものとしての物の見方、感じ方、考え方、行為や行動や言動、或いは表情や感情の表出の仕方などに具現化されることになるのです。

「前頭葉」の機能の中核をなしていて、何かの「テーマ」を発想し或いは選択するために不可欠の「状況の判断」並びに選択したテーマをどのように実行するか及びその実行の態様や程度や仕方をどのようにするかのシミュレーションを行う際に不可欠の機能である「評価の物差し」の機能不全を反映した症状を「小ボケ」の症状の類型の中から拾い上げてみましょう。「評価の物差し」の機能不全は、実は、あの「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力


 注)本著作物(このブログB-07に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする