認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

AD型認知症の発病が関わる『意識的(目的的)な世界」の構築と『注意分配力』の機能(I-06)

2024-02-02 | 意識的な行為と脳の働き

&1 (AD型認知症)について、権威機関は「意識との関わり」を何故か避ける

(1) アルツハイマー病、脳血管性認知症、二次性認知症、アルツハイマー型認知症等、様々な種類が数ある認知症全体の90%以上を占めていて、日頃皆さんが、よく耳にし目にしている認知症である『アルツハイマー(AD)型認知症』の発病/症状が進行するメカニズムについて、世界中の権威有る研究機関が、生きた人間の『意識』並びに複合機能体である『前頭葉』の機能レベル及び機能の発揮度との重要な関わりについて、無知で無関心な状況が継続されている中で、種々の『問題提起』を行いつつ、私たち「二段階方式」が、独自に世界で初めて解き明かした『AD型認知症の発病/症状の重症化が進行する真のメカニズム』について、能登半島地震の被災高齢者及びその家族の為に『再度このテーマを取り上げる』ことにしたのです。

(2)(AD型認知症)を発病するか/しないか及び症状の重症化が進行するか/しないかを決定づけ/区分けている真の原因要因は、『仕事というテーマとは無縁の日々」を送ることとなる『第二の人生』での生き方、脳の使い方としての生活習慣の在り方、『意識が覚醒した目的的な世界」における脳全体の司令塔の役割りを担っている『前頭葉活性化させる』/『前頭葉の機能レベルを正常なレベルに保ち続ける』ことが出来るか/出来ないかなのであり、キッカケとなる出来事/状況の発生と継続に対し、それまで維持できていた生活習慣、今日も明日も明後日も継続されていくことに自身が納得できていた『脳の使い方としての生活習慣』の維持/継続が阻害され、取り戻せる道筋が見えてこない状況が継続して、心が折れてしまい、意欲を喪失して、注意の集中力が続かなくなり、注意の分配力が出番を失っていく『ナイナイ尽くしの単調な生活習慣』が半年も継続すると、そのことに起因して、「複合機能体」である『前頭葉』の機能の廃用性加速度的で異常な機能低下が進行して行くことに因り、『前頭葉の機能が/から、真っ先に異常なレベルに機能が衰えて来て、(AD型認知症の発病=発病の最初の段階である「小ボケ」の段階)の症状が、発現してくるのです。

※1 米国精神医学会が策定したAD型認知症の診断基準である『DSM-Ⅳ』の第一要件及び第二要件の規定内容も、『「DSM-Ⅳ」の第一要件の内容を正しいものと想定して構想されただけの学説』である【アミロイドβ仮説】の主張内容も、共に重大な誤りを犯しているのです。
※2 それらの誤りの原因は、『認知機能の障害』が大本の要素/要因である』にも拘わらず、『意識との関わりを避けて、重度の物忘れの症状という誤った要因に的を定めて』、(AD型認知症)を『重度の物忘れの症状が特徴の「神経変性疾患」だと誤解している』のです。
※3 『DSM—Ⅳ』の内容も、『アミロイドβ仮説』の内容も、共に、重大な誤りの内容であり乍ら、我が国では、東大、京大、理化学研究所(MIT研究室―利根川進)が、アミロイドβ仮説の牙城である為、その権威に負けた厚労省が、アミロイドβ仮説を錦の御旗に掲げていて(「認知症ケアパス作成の手引き」)、世紀の愚策であり、23兆円超もの血税を垂れ流すだけの(ボケても安心な社会づくり)という川下対策を制度化し、全国の市町村で、強制的に展開させているのです。

&2  覚醒した意識と前頭葉の働きとの関係を探るのが特徴の『二段階方式』

講演の為の巡業でKinukoが昨日から東北方面に行って居ないので、You Tube から流れる、大好きなMariah Careyの歌をバックミュージックに、私Tadは、一人で、遅い朝食を楽しんでいるところなのです。

時期的には未だ少しばかり早いのですが、”All I Want For Christmas Is You “が流れているのです。あ~、幸せ。誤解しないでください! Kinukoが居ないから幸せと言ってる訳ではないんです。私Tadの五感を通じて感じさせてくれている今の状況とこの時間が、至高の幸せを感じさせてくれてるという意味なのです。

脳の機能面で言うと、意識的/目的的に何等かの「テーマ」を実行する世界での、「前頭葉」{前頭前野の穹窿部に局在する、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能から構成される「前頭葉の三本柱」の機能、評価の物差しの機能(意識の首座=自我)及び実行機能(Executive Function)により構成されている複合機能体を言うものとする=By Tad。以下、同じ}の働きのことなのです。


&3意識的な世界で中核的な働きをしている「注意の分配力」の機能

(1) 私は今、遅い朝食をいただいているところ、ダイニングに居ると言ったでしょう。8人掛けの、特注したイタリア製の大理石の丸いテーブルで、椅子は、インドネシアからのお取り寄せの手造りで、紫檀製の豪華なもの。目の前は、一枚板の大きなガラスのWindow。その窓から、音楽を聴きながら、外の景色を眺めているというのが、今の私の状況という訳なのです。

(2) 窓の外の景色の概観はというと、いつもお友達をお呼びして一緒にバーべキュウを楽しんだり、お茶を飲んで楽しむ大きな大理石の丸いテーブルが置かれている檜製の広いデッキの横には、花壇があり、その真ん中には、葉が紅く紅葉した花水木の木が一本立っていて、その右横の上の庭へと通じる石造りの階段脇には、樹上一杯に赤紫色の花をつけたブーゲンビリアの大木があり、その二本の木の枝越には大きなプールが、更にその向こうには、枝を切ろうとして7mの高さからTadが落ちた例の鼠モチノ樹が2本立っている(あ、びっくりしないで!奇跡的なことに、Tadは何ともなかったんです。アルミの梯子が先に落ちて、その上に背中から落ちて、落ちた下はサツキの樹林だったのです。軽い打撲程度で済んだのです)。

※1    ちなみに、モチノキは、本州四国九州南西諸島台湾中国中南部に分布する雌雄異株常緑高木。開花期は春で、花弁はうすい黄色でごく短い枝に束になって咲く。雄花には4本の雄蕊、雌花には緑色の大きな円柱形の子房と退化した雄蕊がある。晩秋には、赤い果実をつけるのだけど、その実をヒヨが好んで食する為に、階段の掃除がことのほか大仕事となっているんです。糞が、階段に重なって落ちてきて定着してしまい、強力な大型の高圧洗浄機をもってしても、なかなか落ちないのが、階段の掃除を担当しているTadの頭痛の種となっているのです。

※2 その樹皮から鳥黐(トリモチ)を作ることができ、これが名前の由来ともなったそうなんです。まず春から夏にかけて樹皮を採取し、目の粗い袋に入れて秋まで流水につけておく。この間に不必要な木質は徐々に腐敗して除去され、水に不溶性の鳥黐成分だけが残ることになる。水から取り出したら繊維質がなくなるまで細かく砕き、軟らかい塊になったものを流水で洗って細かい残渣を取り除くと鳥黐が得られるということのよう)。その向こうには、お隣との境界を構成しているサンゴ樹の生け垣が連なっている。イメージが湧いてきましたか?

※3  「注意の分配力」の機能とは、『3つ以上の、異なった複数の「意識」を同時に並行して、構築し、管理し、統合し、分離し、コントロールしている機能であり、3つ以上の、異なった複数の「テーマ」を同時に並行して、且つ、重層的に処理する上で必要不可欠の機能であり、更には、(あの人は、頭の回転が速い人)という風に、咄嗟の処理/判断に不可欠の機能』なのです。

(3) 私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の中でも最も高度な機能であり、「加齢」に起因して(私たち人間の誰にでも生来的に内在する性質であり、私たちが「正常老化の性質」と名付けているもの)、或いは、「廃用性の異常な機能低下の進行」に起因して(日々の生活面で、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続により、言い換えると、使われる機会が極端に少ないことが原因となり、本来の機能が低下して衰えていくこと)、最も早くから、その機能が衰えていく性質を有するものなのです。「アルツハイマー型認知症」発病の仕組みを解明する上で、この「正常老化の性質」(老年発症が特徴のAD型認知症を発病する基盤要因)の存在に気が付くことが極めて重要な手掛かりとなるのです。

(4) そこで、『3つ以上の異なった複数の「テーマ」を同時に並行して、且つ、重要的に処理する』とはどのようなことを言うのか、目の前の具体的な事象で、説明しましょう。  

 今私Tadは、ダイニングでテーブルの椅子に深く腰を落として掛け、窓の方を向いて座っていて、窓越しに庭の景色を楽しんでいる状態、且つ、遅い朝食を摂っているところだと言いました。

①  朝食のオカズに今食べている紅サケの昆布巻きの味に舌つづみを打ちながら、②花水木の木の下で餌をついばんでいる可愛い四十雀の親子連れの姿を、私の感情を豊かにしてくれる刺激を伴った情景として、目で追いつつ、記憶の倉庫に貯蔵していきながら、更には、③You Tube から流れてくるMriah Careyの歌に合わせてその歌詞を鼻歌で追いかけながら、楽しんでいるという、3つ以上の異なった複数の「テーマ」を同時に並行して、且つ、重層的に処理してくれているのが、私の「前頭葉」の機能、就中、「前頭葉の三本柱」の中核をなす機能である「注意の分配力」の機能なのです。

この『注意の分配力』の機能は、私たちが意識的/目的的に何等かの「テーマ」を実行しようとする際に、なくてはならない機能なのです。基本的に私たち人間の脳機能の働きはと言うと、何か一点に「集中する」機能である「注意の集中力」の機能を発揮する際にはそれなりの困難が伴い、「注意の分配力」の機能の発揮、異なる複数のテーマを同時に並行して実行することの方が、容易に出来るものなのです(皆さんが、大学の受験勉強時代に、体験済みのものである、あの「ながら勉強」)。

(5) 皆さんの日常の行動に際して機能している、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の有り様について考えてみてください。更に言うと、意識的/目的的に何かを考え、発言し、或いは、何等かの行為や行動を行うには、一定レベルでの「意欲」という機能の発揮が要求されることにもなるのです。

日常の生活面での、どんな時であれ、ふと気が付いてみれば、3つ以上の異なった複数のテーマを同時に並行して、且つ、重層的に処理できている貴方の『前頭葉』(単体ではなくて、複合機能体であることに留意する)と言う機能の存在に気付くはずなのです。私たち人間だけに具有されているこの機能は、か弱い動物としての存在に過ぎなかった私たち人間の祖先が、困難な生存環境の中で我が種の生存と存続とを確保するために必要不可欠の機能として、進化の過程で獲得したものに違いないと思うのです。眼前の様々な対象をそれと認知して、その形象に感動さえ覚えながら、同時に、今日の「テーマ」をあれこれと考える等、不思議でもなんでもなく、当たり前のように出来ている貴方の日常があるはずなのです。但し、大前提として、「前頭葉の三本柱」の機能、就中、「注意の分配力」の機能、ひいては、それらの複合機能体である『前頭葉』の機能が、「正常な機能レベル」に在る/維持出来ていることが要求されることになるのです。

(6) 別の面から私たちの日常生活面での「注意の分配力」(意欲⇒注意の集中力の機能の発揮度に下支えられた)の機能を説明すると、例えば、TadとKinukoとの会話は、「注意の分配力」の働き無しには成り立たないのです(介護施設で働いている方であれば、日常的に経験することなのですが、日常会話レベルでも、「大ボケ」の段階に在るお年寄りとの会話に重大な支障があるのは、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行により、「注意の分配力(注意の集中力も意欲も)」の働きが極めて異常なレベルに機能低下していて、働き難くなってきているせいなのです。「記憶の障害」が原因で、そうした症状が発現してきている訳ではないことを理解して頂きたいのです)。

Kinukoが、お友達に対して説明している古希の祝いの旅行の案、オーストラリアのケアンズに10日間行って楽しんでくるその案を様々な資料を手渡しながら、成田空港での出発から、ケアンズ空港を発つまでの間の日々の旅やイベントを楽しむその日程について、言葉で説明する内容をとりあえず聞き取り理解し、その概要を保持しつつ、同時に並行して、提示されるイベントにする私なりの想像力を働かせて、メタ認知機能を働かせることに因り、具体的な場面を(あれこれと、シミュレーションして、頭に描きながら、且つ、私なりの理解に立っての質問や、案の一部修正を唱えるには、この「注意の分配力」の機能が、正常な機能レベルで働いていることが、必要不可欠の条件となるのです。

(7) 脳の機能面からの状況としては、まさしく、『3つ以上の異なった複数のテーマ』を同時に並行して処理している状況にあるからなのです。然も上述したように、「前頭葉の三本柱」の機能、即ち、『意欲⇒注意の集中力⇒注意の分配力』の(3層の機能構造)を背景/反映している「注意の分配力」の機能が「正常な機能レベル」にあることが、要求されることになるのです(このことを更に、言い換えれば、それらの機能の複合機能体である『前頭葉』の機能が、「正常な機能レベル」にあることが、要求されることになるのです)。

(8) 左脳が専管する仕事というテーマとは無縁の日々を送ることになる『第二の人生』を生きる上で、『追求することが自分なりに納得がいくテーマ』が無く、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの単調な生活習慣」が継続される中で、この「前頭葉の三本柱」の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていき、且つ、異常なレベルにまで衰えたことの直接のアウト・プットそれ自体が、「アルツハイマー型認知症」発病としての最初の段階である『小ボケ』の段階の症状であり、「前頭葉の三本柱」の機能の更なる機能低下の進行と左脳、右脳及び運動の脳の機能が異常な機能レベルにまで衰えたことの直接のアウト・プットそれ自体が、『中ボケ』の段階の症状であり、そして、「前頭葉の三本柱」の機能の更なる機能低下の進行(この段階になると、「注意の分配力」の機能が、殆ど働かなくなっている機能レベルに在ることに注意)と左脳、右脳及び運動の脳の機能が更に異常な機能レベルにまで衰えたことの直接のアウト・プットそれ自体が、発病の「末期の段階」である『大ボケ』(身体がもつ限り、大ボケの枠の中で、症状が更に重いものになっていく)の段階の症状となる

(9)「アルツハイマー型認知症」の発病/症状の進行を惹き起こす原因(仕組み)については、世界中の専門家達から不明であるとされていて、一部の学者が主張している、アミロイドβの蓄積(老人斑)が原因であるとか(アミロイドβ仮説)、タウ蛋白の蓄積(神経原線維変化)が原因であるとか(タウ蛋白仮説)、或いは、アセチルコリンの不足が原因であるとか(アセチルコリン仮説)言った「仮説」(「発病/症状の進行」の原因要因として主張されているものと発病/症状の進行との間の『原因と結果の関係である因果関係が、未だに実証できていない』為に、仮説とされている)が主張されているだけ。

※1 私たちの意識的/目的的な世界を構築し、支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う脳機能の働き方のメカニズム、或いは衰え方のメカニズム等について、専門家と言うには、権威は余りに無知。

※2権威の主張態度/内容は、「木を見て森を見ず」の典型的な事例。

&4  『DSM-Ⅳ』の規定内容も、「アミロイドβ仮説の主張内容も、「主張する内容と発病との間の(因果関係)の実証に無知で、無頓着」

(1)「アルツハイマー型認知症」について、重度の物忘れを特徴とする神経変性疾患だと見誤り、勘違いし、誤解して、発病の有無の診断に際し、失語や失認や失行(紛い)の症状の確認を要求している『DSM-Ⅳ』が規定する「第二の要件」だけでなくて、「記憶の障害」の要因の確認を要求している「第一の要件」も、共に、重大な誤りであることに早く気づいて欲しいのです。

(2) 私たち「二段階方式」(エイジングライフ研究所)は、「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも及ぶ「アルツハイマー型認知症」発病患者(被検者の99%が発病者で、1%が正常下限)の『前頭葉を含む脳全体の機能レベル』に関わる精緻な「脳機能データ」の解析と、北海道から九州に跨る、全国的規模440を超える市町村の各地域で実践してきた住民参加型の「地域予防活動」の実践の顕著な成果を根拠として『60歳を超えた年齢の「高齢者」だけが発病の対象となるのが特徴である「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる「生活習慣病」なのであり、治すことも/症状の更なる進行を抑制することも、発病自体を予防することも出来るタイプの認知症である』と主張し、主張内容が正しいことを「疫学的方法」に因り実証済みなのです。

(3) アルツハイマー型認知症」は、日々の生活習慣、脳の使い方としての「生活習慣」要因が、発病の原因要因なのです。私たちの意識的(目的的)な世界を構築し、支配し、コントロールしている「前頭葉」と呼称されている複合機能体(就中、「前頭葉の三本柱」の機能)の出番が極端に少ない生活習慣の継続、言い換えると、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が日々継続されている状況の下で、「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくこととなりそのことに直接起因して「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているということなのです。

※1  「アルツハイマー型認知症」は、『前頭葉を含む』脳全体の機能レベルに厳密にリンクした「三段階に区分される類型的症状」が発現してくるのが特徴であり、その『最初の段階』が、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ:社会生活面に支障)の段階であり、次いで、「中等度認知症」(中ボケ:家庭生活面にも支障)の段階があり、最後に末期の段階である「重度認知症」(大ボケ:セルフケアにも支障)の段階があるのです。私たちが、「アルツハイマー型認知症」の症状を「三つの段階」に区分する理由は、「脳のリハビリ」(その人の日常生活を、「前頭葉」の出番が多い生活、脳が活性化される生活へと改善すること)を実践することにより、「小ボケ」の段階で見つければ、正常な機能レベルに改善させる及び/又は、症状の更なる進行を抑制することが可能であり、「中ボケ」の段階で見つければ、症状の更なる進行の抑制治が未だ可能であり、「大ボケ」の段階で見つけて居たのでは、症状の更なる進行を抑制することも最早困難となるからなのです。

※2 認知症の専門家とされる医師達から『アルツハイマー型認知症は、治らない』とされている本当の理由は、『発病を見つけている段階が遅すぎる』だけ、発病の末期の段階である「大ボケ」の段階の症状が確認されないと「アルツハイマー型認知症」とは診断しない「診断基準の誤り」にあるのです。その上、効きもしない「薬」(興奮型の単なる対症療法薬に過ぎないエーザイのアリセプトに代表される薬であり、治療の効能は有していなくて、単なる対症療法薬でしかない薬を処方して平気で金もうけだけに走っているのが、医療現場の実態なのです

※3「アルツハイマー型認知症」が発現してくるそのメカニズムからいって、飲むだけで(貼るだけで)、症状の進行(重症化)を抑制したり、症状を改善させたり、更には、発病自体を予防できる効能がある「薬」など開発されることは絶対に無いと断言できるのです

(コーヒーブレイク)st-medicaには、「着衣失行」について次のような説明が載っています。『運動麻痺や観念性失行を認めず、半側空間無視や半側身体失認構成障害によらない着衣障害を着衣失行といいます。着衣の方法を口頭で説明することはできますが、上着やシャツを着る際にその裏表、上下、左右を逆にしてしまい、上手く着ることができなかったり、ボタンを掛け違えたりします。

ところが、これはあくまで、「器質的な病変」の存在が原因で起きる後遺症としての着衣失行の場合についての説明に過ぎないのです。「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる「生活習慣病」なのであり、器質的な病変が発病の原因ではなくて、「前頭葉を含む脳全体の機能について生じてくる廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行」が発病の原因に過ぎないのです。すなわち、私たちの区分で言う「大ボケ」の段階の症状が発現してくるまでに「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えてきていること、言い換えると、「前頭葉の三本柱」の機能が衰えてきていること、就中、「前頭葉の三本柱」の機能の中でも核心的な機能であり最も高度な機能である「注意の分配力」の機能が衰えてきて殆ど働かない機能レベルに在ることが直接の原因となって、「上着の袖に頭を突っ込んでみたり、ズボンに腕を突っ込んでみたりする」と言った症状が発現してきているだけなのです

器質的な病変が原因で単なる後遺症としての着衣失行の症状が発現している場合は、肝心の「前頭葉」が働いているので、着衣の仕方の説明をすることが出来るのですが、「大ボケ」の症状としての着衣失行の症状が発現しているお年寄りの場合は、「前頭葉」の機能(特に注意の分配力の機能)が殆ど機能しないレベルに在るので、上掲のst-medicaの説明に見られるような、「着衣の方法を口頭で説明することは出来ますが・・・」のようなことは不可能なことになるのです。

「アルツハイマー型認知症」発病の真の原因は器質的な病変による記憶障害が原因要因ではなくて、廃用性の異常な機能低下の進行が原因要因だということに専門家達が気付いていないだけのことなのです。

器質的な病変が発病の原因で/重度の物忘れの症状の発現が特徴の/神経変性疾患に違いないとの過度の思い込み/誤りから視野が狭くなってしまっていて、アミロイドβの蓄積であるとか、タウ蛋白の沈着であるとか言った『器質的な病変及び記憶障害を惹き起こす犯人捜し』の深い森に迷い込んでしまっているのです。

&5  脳の機能面から見た対象物の認知に関わる注意の分配力の働き

(1) 窓越しに、視野の対象範囲内に在る目に入ってくる対象を全体としてとらえた時、認知の対象となる各々の対象物(範囲)が、どのように認知されているのかを詳細に分析していくと、面白いことが分かってくるのです。丁度、カメラの焦点を拡大したり収縮させて自分が写したい景色を、あれこれとシミュレーションしている時と似た状態が、貴方の脳でも起きていることに気がつくことでしょう。

眼前の窓とその枠、花水木の木と紅葉色に色づいた葉、満々と水をたたえて表面が風に揺れているプールの水面、天高く伸びた枝々を覆うように紅色の花を樹上一杯に折り重なってつけているブーゲンビリアの樹、真っ赤な小粒の実を鈴なり状態に枝先につけて重そうに垂れている枝を風に揺らしている鼠モチノキの大木、その向こうに隣家との境界を形作る垣根として植えられているサンゴ樹の樹海、更には、その遥か向こうに在る雲一つなく晴れ渡った晩秋の空の色。

これらの情景を全体として一度に認識している状態と特定の物に注意を集中しつつ全体を認識している状態、更にはその中間の状態という風に、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の各々の発揮度をカメラの焦点を絞るように様々に変え、対象の認知度の差異を観測してみるのです。

(2) 眼前の景色を全体として意識して認知し、認識し、意識しようとすると様々なレベルでの「意欲」と言う脳機能の発揮が要求されていることに気づくのです。花水木の木と紅葉色に色づいた葉に注意を向けてみると、それ以外の周りの対象物に対する認知度が下がるのです。花水木の木と紅葉色に色づいた葉の濃淡だけでなく、葉脈までもがはっきりと認識出来るほどに注意を集中すると(「注意の集中力」の発揮度を上げてみると)、鼠モチノキも、ブーゲンビリアの樹も、輪郭はそれなりに認知できてはいるものの細部の認知が出来ていないことに気づくのです。

(3) そして、花水木の樹に対する注意の集中の程度を次第に下げていくと、それに反比例するかのように、鼠モチノキも、ブーゲンビリアの樹も認知の度合いが上がってきて、例えば、ブーゲンビリアの花の色が浮かび上がってくる、次第にはっきりとしたものになってくることに気づく自分が居るのです。三者の関係はと言うと、「意欲」が湧いてこない状態下では「注意の集中力」が高まってこないのです。「注意の集中力」が高まってこないと、「注意の分配力」の機能の発揮度が上がってこないのです。言い換えると、「意欲」を源として「注意の集中力」の機能の発揮度が顕在化され、「注意の集中力」の機能の発揮度が「注意の分配力」の機能の発揮度を下支える『3層の機能構造』が存在するということなのです(By Tad)。

(4) 「注意の分配力」の機能の発揮度は、『注意の集中力の機能の発揮の度合いと意欲の機能の発揮の度合いに左右されていて、更には、「注意の集中力」の機能の発揮度は、意欲の機能の発揮の度合いに左右されているという機能構造が在るということなのです。言い換えると、意欲の発揮度が小さいと注意の集中力の発揮度も下がるのです。注意の集中力の発揮度が小さいと注意の分配力の発揮度も下がるのです。

(5) 脳の機能構造面から説明すると、「キッカケ」となりそうな状況の変化や出来事の発生に遭遇して、そこから這い上がって行くことが出来なくて、キッカケ前の状況が回復される道筋が見えてこなくて、そのことに心が折れてしまい、『意欲』自体がしぼんでしまうと、『注意の集中力』の機能も、果ては、『注意の分配力』の機能も、『連鎖的に発揮度が下がってしまう』という、機能発揮上の連鎖構造になっているのです。その結果、『注意の分配力の機能が、実行機能を駆使するメタ認知も、実体験認知も、正常な機能レベルでは出来なくなってしまう』ということなのです。

更に重要なことは、「前頭葉」の個別の認知機能群である『実行機能(Executive Function)』の働き具合自体が、「前頭葉の三本柱」の機能の働き具合にリンクしているという構造問題、『機能発揮上の二重構造の問題」が存在しているということなのです(By Tad)。機能発揮上の「二重構造の問題」と言うテーマに気が付いたのも、私Tad自身のこうした体験が出発点になっているのです。

&6  機能発揮上の二重構造と(AD型認知症)の発病/重症化の進行との関係

(1)   皆さんは気が付いていないことだと思うのですが、「加齢」による機能の低下、私たち「二段階方式」が「正常老化の性質」と呼ぶその性質に起因して「前頭葉」の三本柱の機能の潜在的な機能発揮能力のレベルが低下していくにつれて、認知できる「対象範囲」が狭くなっていき、認知の度合いも低くなっていくのです。自動車を運転されているお年寄りなら体験的にお分かりだと思うのですが、年を取るにつれて、自分では十分気を付けている筈なのに、ガムテープ等を張って対応しようとする程度の小さなかすり傷や、小さなへこみを付ける程度の、小さな自損事故が増えてくるのです。そうした我が身の状況に気付いていて、気になっている方は、お友達と一緒に『1日1時間の「速足の散歩」を楽しんでください』。

都会に住んでおられる方であれば、テレビ局が取り上げているような、或る「テーマ」の下での色々な街を歩きながら散歩するというのが良いのではないでしょうか。「加齢」による正常老化の進行に加えて、脳の使い方としての単調な「生活習慣」に起因した「廃用性の機能低下」が加わることにより、「前頭葉」を含む脳全体の機能について、加速度的で異常な機能低下が進行して行く先に「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているのです。

(2) 医療の現場では私たちの区分で言う末期の段階であり「大ボケ」の段階の症状が確認できないと「アルツハイマー型認知症」の発病とは考えないので、「小ボケ」又は「中ボケ」の前半の段階に在るお年寄りは、それとは知らないで車の運転をしているのです。免許の更新時には、私たちの「二段階方式」のような、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベル(就中、『注意の分配力』の機能レベル)を精緻に判定できる「客観的な物差し」を使って判定し、不合格者には免許を更新させないことが必要不可欠のこととなるのです。

 従って、廃用症候群に属する「生活習慣病」が本質である「アルツハイマー型認知症」の発病を予防するには、が活性化する生活、言い換えると「前頭葉」が活性化する生活、就中、「前頭葉」の三本柱の機能が活性化する「生活習慣」、すなわち、「前頭葉」の三本柱の機能の出番が出来るだけ多い「生活習慣」の構築と継続的な実践とが不可欠になるということなのです。     

(3) 老婆心ながら、読書好きのお年寄りに一言注意を喚起しておきたいと思うのですが、読書と言う作業も当然のことながら、意識的(目的的)な世界のことなのです。従って、読書するという作業環境下では、「前頭葉」の三本柱の機能が関与していて、且つ、その内容を理解し、課題となっているテーマの筋を把握し、感動し、記憶するという脳機能の働きの度合いは、その時の貴方の「前頭葉」の三本柱の機能の働きの度合いに左右されているということなのです。「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベルをそれなりの高さに維持するには、一人で本を読むのではなくて、出来れば、気心の合うお友達の輪の中で一緒に読んで議論し或いは、お話ししていただきたいのです。

(自分のそれとは異なる)お友達の読後感を聞いて理解するにも、自分なりの考えを披露し、或いは、自説を展開するにも、一人で読書する場合に比べて、「前頭葉」の三本柱の機能の出番がはるかに増え、更には、それらの機能の発揮レベルが要求される度合いもはるかに上がることになるので、所謂脳の活性化、「前頭葉」の機能の活性化により貢献することになるからなのです。気心が知れたお友達の輪の中で、色々な「テーマ」について、自分なりの意見を生々しく表明し、或いは相手の異なった考えの表明を受け入れる場を持つことは、「前頭葉」の三本柱の出番が増えるので、「前頭葉」を含む脳全体が活性化することになるのです。

「お友達と交わる機会」を出来るだけ多く持って、おしゃべり程度でもいいので、楽しく語り合う場を出来るだけ多く持つようにして頂きたいのです。「前頭葉」の機能が活性化される場面が多い生活程、貴方の「前頭葉」の機能レベルを正常で且つ、高いレベルで維持するのに貢献してくれることになるはずなのです。

(4) 更に付言すると、家に籠って、或いは図書館で、一人で読書するのではなくて、気心が知れた仲間たちと読書すれば、読書以外の話題について、貴方の「前頭葉」の出番が増えることにもなるのです。トランプが大統領になった先のアメリカの政治および経済界の変革による変動が、場合によっては激震が、我が国や中国に対してどのような政治的及び経済的な変革或いは激震を呼ぶことになるかの議論は、一人で家に籠って読書していたのでは、到底得ることが出来ない程の極めて大きく且つ大量の脳への刺激を貴方に与えてくれることになるはずなのです。

何事につけ、老若男女を問わず、他人と交わる機会が多い生活、出来れば気心が知れた仲間と交わる機会が多い生活が貴方の「前頭葉」が活躍し活性化する出番を多くすることとなり、その必然の結果として、貴方の「前頭葉」を正常な機能レベルに保ち続ける効果を生み、言い換えると、「アルツハイマー型認知症」の発病とは無縁で、「第二の人生」を完走することにもつながるということなのです。

(5) 更に重要なことであり、世界中の脳科学者達の誰もが及び世界中の認知症の専門家達の誰もが未だに気が付いていないテーマ、それが、『前頭葉の個別認知機能の発揮度と前頭葉の三本柱の機能との関係』として私たちが発見した、『機能発揮上の二重構造』という問題の存在なのです。状況の理解と判断、判断に沿ったテーマの発想、発想テーマに沿った発言、行為或いは行動内容の企画と計画、実行結果についての洞察、推理及びシミュレーション、シミュレーション結果に基づく修正、実行内容並びにその程度及び態様の選択、実行の決定と脳の各部に対する実行の指示その他抑制や感動や共感等の「前頭葉」の個別の認知機能は、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮の度合いにリンクして、その機能の発揮度が形成されるメカニズムになっているという問題のことなのです。

(6) そのことに加えて、この「前頭葉」の三本柱の機能には、「正常老化の性質」と私たちが名付けている生来的な性質があるのです。「前頭葉」が生き生きと働くような「テーマ」を日々追求して生活していようとも、「加齢」とともに働き具合が次第に低下していくという(生まれながらに備わっている)生来的な性質が誰にでも備わっているということなのです。

私たちが、「60歳を超える年齢の高齢者」という条件を、「アルツハイマー型認知症」発病の「第一の要件」として定義している根拠がここに在るのです。我が国で「第二の人生」が始まる65歳くらいの年齢になると、「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合が、最盛期である20歳代の前半の頃のそれに比べて半分くらいに衰えてきていることを「脳機能データ」が示しているのです。

(7) 脳の使い方としての生活習慣とは無関係に、20歳代の前半をピークとして、その後は、100歳に向かって緩やかに直線的に衰えていくという性質、「正常老化の性質」に起因して「前頭葉」の三本柱の機能レベルが或るレベル以下に低下してきて居り、且つ「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」が(私たちが定義する発病の「第一の要件」)、何かを「キッカケ」として、その人がその時遭遇した精神的、肉体的及び/又は経済的な逆境に対して、立ち上がり、這い上がって行こうとする意欲を喪失してしまった結果、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まり継続されていくとき(私たちが定義する発病の「第二の要件」)、第一の要件と第二の要件とが同時に充足されることの相乗効果によって、「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性加速度的異常機能低下を進行させていくこととなり、その先に「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているということなのです。

(8) 「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムを理解し、解明する上で不可欠の「テーマ」である、状況の理解と判断、状況の判断に沿ったテーマの発想、テーマを実行する上で必要となる実行内容の企画と計画、実行内容の実施結果を予測するための推理、洞察、シミュ・レーション、シミュ・レーションに従った実行内容の修正、最終的な実行の内容、その程度及び態様の選択、実行の意思決定、左脳や右脳や運動の脳と言った脳の各部に対する実行の指令、更には、抑制や感動や共感等「前頭葉」の「個別の認知機能」の発揮度を左右しているのが、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能なのだということに気が付いたのです。

(9) この理解を出発点にして、私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも及ぶ精緻な「脳機能データ」の解析によりアルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる「生活習慣病」であるとの結論に達したのです。私たちが意識的に何かを行おうとするときは、状況を判断し、状況の判断に沿った行為や行動や発言をするものなのです。その要となるのが、「前頭葉」の機能であり、就中、「前頭葉」の三本柱の機能であり、更に言うと、「注意の分配力」の機能なのです。

(10) これらの脳機能が、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続する下で、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくこととなるのですが、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、そうした「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの直接のアウトプットそれ自体が、認知症の症状として発現してくるところに特徴があるのです。言い換えると、「アルツハイマー型認知症」の症状が発現するメカニズムも症状が重症化していくメカニズムも、アミロイド・ベータの蓄積や、タウ蛋白の蓄積や、脳の顕著な萎縮とは、全くの無関係だということなのです。これらの仮説に拘泥している限り、何時まで経っても、「アルツハイマー型認知症」の本質に迫ることは出来ない相談なのです。

&7  アルツハイマー型認知症の発病を予防(発病時期の先送り)する生活習慣とは

(1)「前頭葉」の出番が多い「生活習慣」を打ち立て、実践すること:

『アルツハイマー型認知症の発病とは無縁』で、第二の人生を完走するには、どうしたら良いのか。

様々な種類が数ある「認知症」という病気の大半、90%以上は「アルツハイマー型認知症」なのです。その「アルツハイマー型認知症」の発病を予防(発病時期を先送り)するには、どうすれば良いのか。その答えは、神の恵みと言うべきなのか、誰もが同一の条件として要求される絶対的な要件ではなくて、貴方なりの条件として要求される相対的な要件と言うことなのです。

(2) 私たちの意識的な世界を構築し、支配し、コントロールしていて、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の出番が多い生活、就中、機能発揮上の二重構造の視点からは、「前頭葉の三本柱」の機能の出番が多い生活習慣、さらに言うと、「注意の分配力」の機能が働く機会が出来るだけ多い、あなたなりの「テーマ」を継続的に実践する生活習慣が、発病の引き金となる要因、ナイナイ尽くしの単調な生活習慣の継続に起因した廃用性の異常な機能低下の進行の問題を回避することに因り、「加齢」という要因(「正常老化」の進行の性質)だけにより、緩やかなカーブを描きつつも、正常な機能レベルを維持させてくれることになるのです。

(3) 私たち「二段階方式」の14689例にも上る被験者の極めて精緻な脳機能データ」が示唆し、証明しているように、「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、脳全体の機能の中で『前頭葉』の機能(から真っ先に)だけが、最初に異常なレベルに衰えてくることから発症する(「小ボケ」の段階)という厳然たる機序が存在するものであり、言い換えると「前頭葉」の機能が正常な機能レベルに保たれている限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することは絶対に無いからなのです(「小ボケ」の段階では、「前頭葉」の機能だけが異常なレベルに在って、左脳も右脳も運動の脳も未だ正常な機能レベルに在るのです)。

 注)本著作物(Iー06に記載され表現された内容)に係る著作権は、 (有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   


 

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アルツハイマー型認知症の発病原因から見る意識の枠組み(その3 B-12)

2014-06-15 | 意識的な行為と脳の働き

    死すべきか 永らうべきか 自我意識

     人間のみが 選択をする (12)  By kinukototadao 

 

○ 「意識の座」の機能部位とその機能(「七つ道具」)の枠組み

私たちが考える「意識の座」とは、その活動により「意識状態」という能動的及び動態的で且つ状態的な認知を生み出す機能部位であり、機能要素として以下の7つの要素を備える「前頭葉」の中枢部位を構成している機能部位(具体的には、「前頭前野」)であると考えているのです。「意識の座」は、「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の三本柱の機能と私たちが名付ける「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能に下支えられながら並びに「前頭葉」の「評価の物差し」と私たちが名付ける評価機能と協働して、更には「左脳」、「右脳」、「運動の脳」及び「記憶の倉庫」など外部の下部機構とも協働し及びそれらをコントロールしながら、「意識的に何かのテーマを実行する」世界を構成し及び支配している「前頭葉の中枢機能部位」だと考えるのです。

① 状況を理解し及び判断する能力としての機能が備わっていること

② 状況判断に基づいて、その判断に沿った「テーマ」を発想し、或いは複数のテーマの中から特定のテーマを主題として選択できる能力としての機能が備わっていること

③ 選択された 個別テーマ毎にそのテーマの実行内容を計画し、ケース・シミュレーションし、最終内容を選択し、その態様を含む実行の方法を組み立てる能力並びに計画、組み立て、選択及び統合するその過程で左脳、右脳及び運動の脳など外部の下部機構と協働し及びそれらを統合する能力としての機能が備わっていること

④  状況の変化が起きたと判断した時は、①~③についてその変化に対応する必要なやり直しを実行できる(修正することができる)能力としての機能が備わっていること

⑤  同時進行しながら並立して存在する複数の個別テーマを認識し、その目的を理解し、内容を把握し、進行状況を監視し、管理し及びコントロールする能力としての機能が備わっていること

⑥複数のテーマを同時に並行して把握し、監視し、処理し、状況の変化に応じてメインテーマの対象を別のものに変更する能力としての機能が備わっていること

➆各個別のテーマ及びその全体の進捗状況の把握及び管理並びに状況の変化に応じて全体を調整し、修正し、統合する能力としての機能が備わっていること

上述する7つの機能を備えていて、意識的に何かをしようとするとき、自分の置かれている状況を判断して、テーマとその内容を企画し、その実行の結果をシミュレーションした上で、どのような内容の行為をどのようにして実行するのかを最終的に選択し、実行の意思決定をし及び全体を統合している機能部位が、脳の最高中枢機能部位である「意識の座」だと考えるのです。

        

 ○ 「睡眠」とサーカディアン・リズムを獲得したその目的とは 

「意識の座」の活動により「意識状態」という能動的及び動態的で且つ状態的な認知が生み出されるとしつつ、そもそも人の生体では「意識の座」を含む「前頭葉」の中枢機能部位は活動する状態に在るのが本来的な機能としてのメカニズムとなっていて、「至上命題」である生存の確保という条件から、その活動が「睡眠」というメカニズムにより一時的に抑制され、或いは休止状態に入るという考え方を提案したいのです。

覚醒により継続的に高度に顕在化した「意識状態」を生じさせていた「意識の座」の活動が、一方で「睡眠」のメカニズムという調節機能が働くことにより潜在的な活動状態に入っていくことにより脳を休ませ(まどろみの状態に在って「意識状態」は生じているが覚醒していない段階を経て)、他方で「睡眠」から覚醒することによって再び高度に顕在化され覚醒した「意識状態」を生じさせる活動状態に入っていくというのが、サーカディアン・リズムのメカニズムの機能目的ではないかと考えるのです。

脳の中に組み込まれているそのメカニズムは、弱者であった人間の祖先が進化の過程で「生存を確保」するために不可欠の条件として獲得したものなのではないかと考えるのです。弱者である哺乳動物、特に身体自体も小さな草食系の哺乳動物が、「睡眠」の時間を極端に短くしていたり、例えば身体の大きな牛でさえ、立ったままで眠るというのも、同じ目的から獲得した似たようなメカニズムなのではないかと考えるのです。野生の動物を動物園で飼育していると、睡眠時間が長くなるというのも、私たちの考えを支持してくれているのではないでしょうか。

     

 私たちは、所謂「意識」とは、「意識状態」という状態的な性質を有する認知(以下、「認知状態」という)であると考えているのです。従って、「意識が有るのか無いのか」ではなくて、「意識状態に在るのか無いのか」というのが正しい視点だと考えるのです。更には「意識の座」の活動により生じてくる「意識状態」は、潜在的な「認知状態」又は顕在的な「認知状態」として人の生体には常に存在していて、「睡眠」により「意識の座」という脳機能が活動を抑制され或いは休止する間だけ、深くは休眠状態から浅くは夢を見る状態までの範囲で「意識状態」の覚醒が無いか又は「意識状態」の覚醒度が低く抑えられている状態に在るのではないかと考えるのです。

「睡眠」の抑制効果により「意識の座」の活動は、ノンレム「睡眠」とレム「睡眠」とを交互に繰り返すリズムの下で、「意識の座」の機能の休息を確保していて、最後のサイクルではノンレム「睡眠」からレム「睡眠」へとリズムを経由することで次第に「意識状態」の覚醒の度合いを高めていき、最終的に「睡眠」から完全に覚醒する時点で(覚醒することにより)高度に覚醒された「意識状態」という認知状態のレベル(「意識の座」の働き具合の程度)を獲得しているのではないかと考えるのです。                                       

言い換えると、「睡眠」から目覚めてくるのに従って、それまで抑制されていた「意識の座」の活動が次第に活性化してくるのに伴い「意識状態」の覚醒度が高まっていき高度な思考や活動が行えるようになる状態が確保されていくというメカニズムが「サーカディアン・リズム」というメカニズムの機能目的の中に存在しているのではないかと考えるのです。「睡眠」状態からの解放に伴う覚醒によって潜在的な機能レベルにあった「意識の座」の活動が顕在化してくること及びそれにつれて、「意識状態」の覚醒度も同時進行的に高まってくると考えるのです。更には、その「意識状態」の覚醒度を下支えする機能が「前頭葉」の三本柱の機能と私たちが名付ける「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能であり、「意識状態」の覚醒度も前回のこのブログで説明した「意識状態」の覚醒の判定基準にみるように、様々な段階があると考えるのです。

      

従って、世の中で所謂「無意識」とされている状態は、上述した「意識状態」が未だ覚醒していない状態の一部を占めていると考えるのです。その意味で、「無意識が全ての意識を支配している」とか「意識に先行する無意識が存在する」とかの議論は、この視点を欠いているが故の議論に過ぎないと考えるのです。

高度に覚醒されている状態下ではフル回転状態に在る脳、特に「意識の座」の活動を休止させるために、「睡眠」という仕組みがサーカディアン・リズムの下に組み込まれている。更には、そのことを確かなものにするために様々な神経伝達物質やホルモンを放出し、或いは分泌する機能機構が確保されている。そうした視点から私たちは、例えばレム睡眠時のように、「意識の座」による活動が抑制されている潜在的な認知状態であっても、「意識状態」は極めて低いレベルながらも創出されていると考えるのです。更に、「意識状態」が顕在化し覚醒されているレベルであっても、「前頭葉」の三本柱の機能の活性化の程度により覚醒度が高くもなり、或いは低くもなると考えるのです。

    

 ○ 「睡眠」のメカニズムとその意味についての雑考

 (私たちは「睡眠」のメカニズムについては門外漢なのですが)種の保存を最優先とした動物の進化の過程を考えてみるとき、種の保存という視点から天敵から生き延びる上で不可欠なのは、十分な「睡眠」をとることではなくて、究極的には24時間常に目覚めていることだと思うのです。しかしながら、「睡眠」を全くとらないと最終的には死んでしまうことになるので、必要最少限度の「睡眠」をとるメカニズムが確立されてきたのではないかと推測するのです。それが、生存の確保を最優先にし、且つ「覚醒」と「睡眠」との最適条件を得るためのメカニズムとしてのサーカディアン・リズムというメカニズムではないかと考えるのです。単に「睡眠」と「覚醒」との繰り返しをコントロールするというのではなくて、(「睡眠」中も、レム「睡眠」とノンレム「睡眠」とを繰り返している)という辺りが、極めてよく工夫されているシステムだと感心させられるのです。あの「忍者ダコ」が天敵から我が身を守るために天敵の天敵に姿や形を七変化させる技を進化の過程で獲得したように、人間もこのサーカディアン・リズムという技を獲得したのではないかと想像を膨らませるのです。

  種の保存というか、天敵から死を逃れる為の出来るだけ有効な手段としては、最低限2つの条件を充足していることが必要となります。1つ目の条件としては、「睡眠」とそれからの「覚醒」とがきちんとしたサイクルの下にコントロールされていること。2つ目の条件としては、より短時間で深い眠りにつくと共に、「睡眠」から出来るだけすばやく、且つきちんと「覚醒」できることがコントロールされていること。一方で「睡眠」は脳の活動の休止として不可欠のものであり、他方で「睡眠」から目覚めて「脳が活動」する時間帯では、食料を見つけたり天敵から我が身と家族とを守ったりする上で、複数のテーマを同時に並行して、且つきちんと処理出来るだけの「意識状態」のより高い「覚醒」が求められることになります。そうした目的を達成するシステムとして、「サーカディアン・リズム」(概日リズム)というシステムは進化の過程で私達人間が獲得した極めて有効なシステムなのではないかと、忍者ダコに或る種共感を覚えつつ考えるのです。

        

○ 「意識状態」の抑制と覚醒のメカニズム

「意識の座」の活動により生じる「意識状態」は、その活動のレベルが一定レベル以下である状態の下では「潜在的な認知状態」として、或いはその活動のレベルが一定レベル以上である状態の下では「顕在的な認知状態」として(「意識状態」が覚醒レベルにはない覚醒度が低い状態及び覚醒レベルにあって覚醒度が高い状態からなる)存在していると私たちは考えているのです。従って「意識状態」は、潜在的な認知状態である二つの段階、ノンレム「睡眠」時(「意識の座」の活動が「睡眠」効果により高度に抑制されて休止の状態に置かれている)及びレム「睡眠」時(「意識の座」の活動が「睡眠」効果により低く緩やかな抑制の状態に置かれているが、極めて低いレベルでの「意識状態」の覚醒が認められる)、或いは、顕在的な認知状態(「意識の座」の活動が「睡眠」の抑制から解放されて、高度に活性化されている状態。この状態下では、ドーパミンやノルアドレナリン等の神経伝達物質の分泌に伴う「前頭葉」の三本柱の機能の活性化の反射的効果により、「意識状態」の覚醒度が一定レベル以上に高くなっている)に区分されると考えているのです。

      

○ 「意識の座」に備わる人間に特有な「統合機能」

 「意識状態」を生み出す源である「意識の座」の機能は、自分の置かれている状況を判断し、その状況判断に基づいて目的となるテーマを発想し、テーマに沿った実行内容を計画し、テーマを実行するために必要となるケース・シミュレーションした上で最終的な実行内容を組み立て及び実行を決定するという機能を備えていて、「前頭葉」内部での情報のやり取り並びに「左脳」、「右脳」、「運動の脳」及び「記憶の倉庫」を含む「前頭葉」外部の機構との情報のやり取りをコントロールし、更には、それら全体の働きを統合し及び実行の指令を脳の各部に出す等、脳全体の「司令塔」としての役割を担っていると考えるのです。

       

○「意識状態」が覚醒した状態下での発現とその 「二段階」構造

言葉を話すときも或いは言葉を聞き取るときも、「左脳」だけでなく「右脳」も働いていて、運動するときだけでなく運動を認識するときも、或いは脳の中で運動をイメージするときも運動の脳が働いているのです。「評価の物差し」の機能部位を含む「意識の座」が核となって、下部機構である「記憶の倉庫」並びに「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」との協働した働きにより、左脳がらみの言葉の表現も、右脳がらみの感情の表出も、運動の脳がらみの動作も全てが先行する「潜在的」な認知状態で形成され、且つ幾つかのケース・シミュレーションが行われて、その上で、「顕在化」した形での認知状態として各種の認知に基づく言葉や行為や行動の発現(例えば言葉の表出がなされ、感情の表出がなされ、動作を伴う運動行為)がなされるという「二段階」の発現構造(発現のシステム)になっているのではないかと考えるのです。

 「意識状態」の覚醒度が極めて低い「潜在的」な認知状態下で形成された認知が「意識状態」の覚醒度が極めて高い「顕在化」した認知状態として発現するまでのタイム・ラグが極めて短く瞬間的なものであるが故に現在開発されている機能レベルの機器ではその前段の「脳の活動による認知状態」が確認されていないだけなのではないかと考えるのです。その意味で私たちは、(「無意識」が全ての「意識」を支配している)という主張には与することができないのです。

       

○ 多重多層のテーマの進行をコントロールし、統合する「意識の座」の機能

「意識の座」の機能の発揮のレベルというか、発揮の度合いを考えるとき、「前頭葉」の三本柱の機能による下支え効果という視点が欠かせないのです。「前頭葉」の三本柱の機能は、「記憶の倉庫」及び「評価の物差し」並びに前頭葉の個別機能である各種の「認知機能」の認知度及び機能の発揮度、更には「意識状態」の覚醒度を左右し下支えする重要な役割を担っていると私たちは考えているからです。「前頭葉」の三本柱によるこの機能が働くことによって、多重多層の「意識状態」の併存が可能となり及び複数のテーマの併存が可能となっているのです。

前回のブログで例示したあの場面、私が、注意を僅かに分配して車を安全運転しながら、メインの注意は「意識」についての私見の第二弾(その2)の最終構成を頭の中で整理することに向けられつつ、更に脳の片隅では私の大好きなMariah CareyBGMを楽しみながら、もう温泉に入っているかのようなルンルン気分で車を運転し、更には、後になって「想起」することができない程の極めて低い認知状態(当該テーマに対し配分された「注意の分配力」が小さく、当該場面での思考と判断に関わる情報の「記銘度」が極めて低いことが原因なのです)の下で信号が赤だと停止するし、三叉路に出会っても正しい道をきちんと私の脳が選択できていたのも、このメカニズムが働いていたからこそなのです。

      

「意識」の構成を考えるというメインのテーマに対しては「注意の分配」機能による注意力が多く配分されていて当該テーマに対する「意識状態」の覚醒度が極めて高いのに対し、「車の運転」という小さなテーマに対しては「注意の分配」機能による注意力が僅かしか配分されていないので当該テーマに対する「意識状態」の覚醒度が極めて低いのです。複数存在するが「評価の物差し」に基づく評価が異なるテーマに対する注意分配機能の配分の仕方を、或いは関心や興味の変化、更には新たな発想による状況の変化に対応して注意分配機能の配分の仕方を、コントロールし、或いは統合する働きをしているのも「意識の座」なのです。

だからこそ、(信号が赤だと停止するし、三叉路に出会っても正しい道をきちんと私の脳が選択できていながらも)、その都度の状況を事務所に着いた後で全く想い出すことができないのです。それらのテーマに対しては、注意分配機能に基づく都度の注意力の配分が極めて少なく、「意識状態」も極めて低かったがために、当該テーマの記銘度が低くなり、その結果として想起することができなかったということなのです。意識というテーマに関わる情報の記憶は長期に保存する価値があり、信号の判断や三叉路の判断に関わる情報の記憶は短期に消滅しても構わないものと「海馬」が判断した訳ではないと私たちは考えるのです(ここを「クリック」してください)。

    

「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の下支え効果が高まることにより上述した各種の個別認知機能の発揮度が高くなるし、「前頭葉」の三本柱の機能の下支え効果が低くなると上述した各種の個別認知機能の発揮度が低くなるという関係になっているのです。「アルツハイマー型認知症」の最初の段階、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、この三本柱の機能が異常なレベルに衰えてきているため、「意識状態」の覚醒度が必要なレベルに高くならなくなったがための様々な症状(単なる老化現象ではなくて、認知症の症状)が発現してくるのです(ここを「クリック」してください)。

最近流行りの「軽度認知障害」という考え方を提唱し、主張し、或いは研究している人達は、「前頭葉」の機能、中でも、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の働きにもっと注意と関心を向ける必要があると言いたいのです。アミロイド・ベータとかタウ・蛋白とか脳の委縮とかにばかり目を向けていたのでは、何時まで経っても「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムに肉薄することは出来ないことを指摘しておきたいのです。

       

私たちが意識的に何かの「テーマ」を発想し、その内容を組み立て、いくつかのケース・シミュレーションを経て、最終内容を決定し、それを実行しようとするとき、テーマを形成する要素が複雑で実行する条件が複雑で難しいものになればなるほど、「意識状態」の覚醒度が高くなることが不可欠の条件となり、それを下支えし可能にしているのが「前頭葉」の三本柱の機能なのです。

猶、詳細については後述するように、「前頭葉」の三本柱の機能には、加齢とともに機能が衰えていくという内因性の「正常老化の性質」があることに留意する必要があります(この性質は、極めて多数の「脳機能データ」の解析により私たちが最初に発見したものなのです)。又、「前頭葉」の三本柱の機能の一角をなす「意欲」の機能は、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の発揮度を左右し、下支えしていることにも注意が必要です。

       

○ 三頭立ての馬車の「御者」の役割を担う「前頭葉」の機能

ところで、意識的に何かの「テーマ」を実行するための行動を起こすには、先ずは、考えることが先決となります。何をどうするのかそのテーマを考えて(色々な可能性のテーマをシミュレーションして)、その考えたテーマの中からこれと思うものを選択して、その選択したテーマの実行計画を立てて、立てた計画のやり方を工夫しつつ行動に移す。それが、私たち人間だけが獲得した特権なのです。

ここで、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能、「意識的な世界」を支配している「前頭葉」の働き方について概説しておきましょう。私達人間だけに備わる「前頭葉」の機能を中核として(わかりやすく表現すると、三頭建ての馬車の「御者」の役割)、私たち人間は、意識的に何かの「テーマ」を考え、その内容を計画し、いくつかのケース・シミュレーションを経て、個々人ごとに異なる「前頭葉」の「評価の物差し」に照らして、最終的な判断による決断をして、左脳や右脳や運動の脳に対し指令を出して実行しているのです。

最終的な判断或いは決断に至る過程では、様々なケース・シミュレーションが必要となるので、「前頭葉」の三本柱の機能(意欲、注意集中力および注意分配力)の中でも「注意分配力」の機能が働くことで、「主題」となっているテーマを保持しつつ同時に、いくつかの選択肢であるシミュレーションの対象となる「副題」に対しても注意を分配し関係する機能を発揮することができるのです。その場合、「注意の分配機能」の分配された度合いに応じて当該副題に対する「認知度」及び「意識度」が高くも低くもなるということなのです(「認知及び意識の多重及び多層構造」の問題)。

       

○ 「前頭葉」の三本柱の機能に潜む「正常老化」の性質

意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、関心、発想、企画、計画、創意、工夫、予見、シミュレーション、比較、修正、整理、機転、抑制、忍耐、感動及び判断等、「前頭葉」を構成している各種の高度な個別の認知機能を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。認知度が一定レベル以下だと、「前頭葉」の各種認知機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした「認知度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「三本柱」の機能なのです(「認知度」と「発揮度」とがともに、「三本柱」の機能レベルと「リンク」しているのです)。

 「前頭葉」を中核の機能として、左脳や右脳や運動の脳も参加して、脳全体で何をどのようにするかを決めるには(テーマを選択し、実行計画を立て、実行に移す)、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠になるのです。様々な状況を考慮し、いくつものケースシミュレーションを経た上で、最終的な内容を決定し、実行に移すには、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の発揮も必要になるのです。上述のようにその「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、脳全体の司令塔としての「前頭葉」と言う脳の一角を担っている「意識の座」及び「評価の物差し」の機能に並ぶ三本目の矢としての機能と言えるのです。 

       

○ 記銘度が仕分ける短期記憶と長期記憶の区分

 短期記憶と長期記憶とを区分けているのは、世の中の識者たちが言うような「海馬」にその選択基準と選択の機能とが備わっているからではないと私たちは考えているのです。私たちが集積してきた「脳機能データ」の解析によると、記銘するときの記銘度が高い情報が長く「保存」され、よく「想起」されるということなのです。例えば、自身が高い関心があるテーマ、強い興味を抱いているようなテーマ、或いは関連する記憶があるテーマ(強い恐怖心を覚えたことがあるテーマやとても辛く悲しい思い出や記憶があるテーマなど)の記銘に際しては、(関係するニューロン群の発火の頻度が高く、活動範囲も広くなるのではないかと想像するのですが)「前頭葉」の三本柱の機能である、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が高度に働くためにその情報の「記銘度」がとても高くなり、その結果として長い期間保存され、時間が経過してもよく想起されることになると私たちは考えているのです(ここを「クリック」してください)。

 私がTadの事務所に向かう途中で体験した、「信号の色の変化に対する認識と判断」や「三叉路での正しい道の選択」の状況を事務所についた後に全く覚えていなかった(想い出せなかった)という前述の例示のことを思い出してください。皆さんにも似たような体験は日常茶飯事だと思うのです。

    

○  「意識の座」の定義構築への挑戦とその動機

ダイニングテーブルを挟んで夫のTadと昼食をとりながら、私の「前頭葉」は、同時に内容が異なる3つの「テーマ」に関心を向けていたのです。1つ目のテーマは、目の先正面にあるテレビの画面で、南極大陸の地底深く氷の中に閉ざされた洞窟に棲む未知の微生物の活動を探っている研究者達の探検と探索の姿を追いかけ(脳の機能面からは、3頭の馬と協働している状態にある)、2つ目のテーマは、右目の右端の視野の先に入っていて私と同じテレビの画面を見ながら昼食をとっているTadの姿を追い(右脳と運動の脳の2頭の馬と協働している状態にある)、そして3つ目のテーマは、左目の左端の視野の先に入っていて柔らかい薄緑色の小さな若葉が伸びている最中でいくつもの枝が重なり合ったブーゲンビリアの細い枝に止まって餌をついばんでいる1羽の山雀(ヤマガラ)の姿を追っている(右脳と運動の脳と協働している状態にある)のです。

但し、目の前に居て餌をついばんでいるこの山雀の姿をどう捉えているのかということについて一言言及しておくと、私のそれとTadのそれとは全く異なるのです。それは、私たちの夫婦関係の在り様の問題でもなく、或いはその主張内容に対して私たちが根本的な疑義を抱く最近流行りの量子力学による意識の揺らぎのせいでもなくて、二人のそれぞれの「評価の物差し」(自分独自の物の見方、感じ方としての脳機能)の差異が原因なのだということを注意喚起しておきたいのです(ここを「クリック」してください)。

勿論のこと,私の味覚は、(時期的にはかなり遅いというか、時季外れなのですが)今日の早朝近くの竹林でTadが掘ってきてくれた、柔らかさの中にも歯ごたえのあるシャキシャキした筍の食感とフレッシュな若竹の香り(?!)と薄めでさっぱりとした醤油味とのハーモニーを十分に味わってもいたのです。私の「前頭葉」は、或るテーマについては左脳、右脳及び運動の脳の3頭の馬と協働しつつ、同時に或るテーマについては右脳という馬だけと協働し、更には、別のテーマについては運動の脳とだけ協働するという曲芸までやってのけるのです。

    

 脳が活性化する自分なりの「生活習慣」を日々それなりに楽しんで暮らしている私にとって、この程度のことなら齢66歳とはいえ、同時に追いかけて楽しむことが未だできるのです。その状況の中で、私の主たる「注意の分配力」の機能は(言い換えると、その時の関心は)、あるときはテレビの画面のほうに、ある時は山雀のほうに、そして稀には、Tadのほうに向けられていたのです。複数のテーマが同時に進行している状況では、その時もっとも「関心」があるテーマへと主たる注意を向けるように私の「注意の分配力」の機能は機能しているのです。関心の対象をこんな風に変えているのは、私の脳の中の誰なのか。この時私は、今まで世の中の(世界中の)誰一人として解明することができていないという、「意識」の定義の構築という特別に難解な「テーマ」に挑戦してみようと思い立ったのです。

 3回に分けて説明してきた「意識」という超難解な「テーマ」への私なりの考えに基づいたその定義の構築という挑戦を終わってみて、内容の稚拙さには、それなりに気恥ずかしさを感じているところなのですが、66歳というこの齢にしてこの「テーマ」に挑戦した意欲とその心意気とに対しては、それなりに拍手を送ってもいいのかなとも思うのです。

 次回からは、私の専門分野である「アルツハイマー型認知症」というテーマに戻ります。また、そこでお目にかかりましょう。

 最後まで読んでいただいて、有難うございました。謝 謝。

       

注)本著作物(このブログB-12に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

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アルツハイマー型認知症の発病原因から見る意識の枠組み(その2 B-11)

2014-06-01 | 意識的な行為と脳の働き

       

   意識とは 尋ねる先も 我が意識

            何処に居るかを 我が脳に問う     (11) By kinukototadao 

  

○ 複数のテーマを同時に並行して処理できる人間の脳

  昨日は一日中お庭の草取りで疲れ果てていたので、23時過ぎには床に就いたのです。でも熟睡できたせいか、目覚めたときは未だ5時半過ぎだったのです。もう一度眠ろうと思ってはみたのだけど、なんだか目が冴えてきてしまって、それで仕方なく今日の行事予定をあれこれ時系列で考えてみたのです。

 銀行に行ってお金を下ろして、コンビニで自動車税を支払う。ついでに隣のクリエイトで歯間ブラシとトイレットペーパーとTadが気に入っている神戸屋のアンパンを買う。お昼に川添さんのお家にお呼ばれしているので、12時前には伺う。昼食とおしゃべりを楽しんだ後は、話ばかりでご紹介するのが遅れたままになっているJガーデンの石井さんのお家に、川添さんご夫婦を誘って、3時ごろまでには伺う。その後は、Nickさんご夫婦もお誘いして、Tadが挑戦するパスタ料理と白ワインの夕べを我が家で開く。あ、そうそう、Nickさんが大好きなアイスワインも冷やしておこう。あれこれ考えている内に、時計を見たら、6時前になっていたのです。

 そこで、私の脳が素敵な発想をしてくれたのです。「そうだ、赤沢のTadの事務所に行って、朝風呂に入ってこよう!」。実は、私の家にも温泉があって、24時間何時でも入れるのです。ところが、私の家の温泉は、源泉が熱川にあって、そこから延々とパイプで運んでくるのです。そのせいだと思うのだけど、赤沢のマンションの自泉の温泉のほうが泉質がずっと良いように思えるのです。急いで服に着替えると、Tadが目を覚まさないようにそっと寝室を抜け出して、赤沢の事務所へと向かったのです。

       

 6時を過ぎるともうすっかり周りは明るくなっていて、道中目に入ってくる木々の新緑がとても綺麗で、私の脳をいたく刺激してくれるのです。注意をわずかに分配して車を安全運転しながら、メインの注意は明日朝公開する予定の「意識」についての私見の第二弾(その2)の最終構成を頭の中で整理しつつ、更に脳の片隅では私の大好きなMariah CareyBGMを楽しみながら、もう温泉に入っているかのようなルンルン気分で車を運転しているのです。そうした中で、もちろん、信号が赤だと停止するし、三叉路に出会っても正しい道をきちんと私の脳は選択できているのです。

 3つも4つも同時に並行して存在する異なった内容の「テーマ」を、この年になっても私の脳はちゃんと処理できているのです。然もそれ等のテーマの中でどれがメインのテーマであるかもちゃんと判断されていて、そのことが忘れられないでいるのです。それは、私の「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の働き、中でも、「注意の分配力」の機能が緩やかなカーブを描きつつ衰えてきているとはいえ、未だ相当高いレベルで働いている証拠なのです。言い換えると、私の脳を活性化させる「生活習慣」がそれなりに実践出来ていることの証でもあるのです。

 その注意の分配力を含む「前頭葉の三本柱」と私たちが名付けている機能は、国民全体での高齢化率が25%に達するところまで来てしまった超高齢化社会の我が国で年々増え続けていて、且つ認知症全体の90%以上を占めていながら専門家達から原因が分からないとされている「アルツハイマー型認知症」の発病原因を解明する上でも、更には本稿の主題である「意識」なるものの私たちなりの定義の構築にチャレンジする上でも、極めて重要で不可欠な機能であり、且つ脳の司令塔である「前頭葉」の一角を担う中枢機能でもあるのです。

       

 〇 「意識」はどのようにして、どこで生まれて、何をしているのか

 私たちはマウスを飼ってもいないし、f-MRIやらPETやらSPECTやらも持ち合わせていないので、私が「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能を様々なレベルで発揮して(意欲を高めたり落としてみたり、注意の集中力を高めたり落としてみたり、注意の分配力を高めたり落としてみたり等)、それら各々の機能を単独に及び又は協働させる形で様々なレベルで、且つ内容が異なるいくつかのテーマを発想し、テーマの枠組みとその内容を組み立て、シミュレーションしたうえで最終の内容を決定し、実行の指令を脳の各部に出す等してみたその日常体験に基づいた感覚、更には私たちが集積してきた「脳機能データ」との整合性をも図りながら、所謂「意識」という概念の問題点の指摘とその定義の構築として、私たちなりに到達した全く異なる視点からの考え方と概念を以下に述べてみたいと思うのです。 

所謂「意識」(後に説明する、私たちが言う「意識状態」)は、個々に特化された専門機能を持ちモジュール化されたまとまりをもつ「ニューロン群」の活動が(言い換えると、多層で多重及び並立的で、且つ相互に有機的な機能関係としてシステム化された機能構造体としての脳の活動が)、或る「特定の脳機能部位」(後述する、私たちの言葉で言う「意識の座」、具体的には「前頭前野」のこと)の働きにより統合された結果として生み出されていると考えるのです。そして、「前頭葉」の三本柱の機能が活性化してくるその反射的な効果により、その「特定の脳機能部位」の活動による「意識状態」の覚醒度が次第に高まってくるにつれて、更に働きの対象範囲が拡大され/働きの質と程度が良くなってくると考えるのです。

                          

 「意識」の通常の覚醒レベルの下での働き具合で言えば、「前頭葉」に備わる発想、考察、計画、工夫、推理、洞察、機転等の種々の個別の認知機能(以下、「個別認知機能」という)を発揮する上で、その程度を左右する機能を有する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能(以下、「前頭葉」の三本柱の機能という)、後天的に獲得され自身の思考や行動の在り方を決定する規範としての働きをする「評価の物差し」の機能(ここをクリック」してください)及びこれまでの人生での実体験や伝聞体験に基づく知識や情景など様々な種類及び態様による情報が蓄積された「記憶の倉庫」の機能(私たち独自の命名)並びに「前頭葉」のコントロールのもとにその下部機構としての役割を担う「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」などの機能との相互に有機的な連携の下で、「意識の座」は、その統合機能の発揮により全体状況を把握し、コントロールしながら、他方で同時に目的となる個別「テーマ」毎にその実行を指示しているという多層で多重の機能構造からなっていると考えられるのです。猶、「意識」なるものについては、世界中の心理学者や脳科学者達の誰一人として未だにその正しい概念的な及び機能的な定義を構築することができていないのですが、私たちは「意識状態」という従来のそれとは全く異なる視点からの機能概念を問題提起し、且つ「意識」という言葉及び概念を「意識状態」という言葉及び概念に組み替えることをここで提案したいと考えるのです。 

       

 私たちが市町村における「アルツハイマー型認知症」の「地域予防活動」の実践指導を通じて集積してきた極めて多数の「脳機能データ」の解析結果によると、「前頭葉」の各種個別認知機能の発揮度は「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の発揮度に直結していること及び所謂「意識」の覚醒度も、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度に直結していること並びに「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の発揮度が三者が状態関数的な関係にあるかのような出力状態(状態量)を示すことなどを基礎として、従来型の概念による「意識」と言う瞬間的/刹那的に発生し消失する機能概念ではなくて、状態的な認知としての「意識状態」という視点及び概念を提案したいのです以下、「意識」を私たちの概念と言葉である「意識状態」と言い換えます

この場合、「意欲」という脳の機能の発揮度が高くならないと(状態量が大きくないと)「注意の集中力」も「注意の分配力」の機能の発揮度も高くならないし(状態量が大きくならないし)、「注意の集中力」の機能の発揮度が高くなると「注意の分配力」の機能の発揮度は相呼応して小さくなるという相関関係にあることに注目していただきたいのです(状態的機能である両者の「状態量」の総和が一定の関係にある)。猶、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能のいずれも、状態量と質感とを具有する「状態的な機能」(私たちの命名)であると私たちは考えているのです。

                       

○ 状態的な認知が本質である「意識状態」

 そもそも意識的に何かの「テーマ」を実行するということは、その前提として、右に行くのか左に行くのか、進むのか進まないのかを「選択」することができる「脳機能が備わっている」ということでもあるのです。それは、すなわち本能で動くのではないということが重要なのです。人間だけが、他の動物とは異なった次元の脳機能(具体的には、「前頭葉」の機能)を持っているからなのです。

 どこで(Where)、なにを(What)、いつまでに(When)、どんな理由で(Why)、どの程度(What extent)、どのようにして(How)実行するのか、或いはしないのか、そのことを(5W1Hのいづれをも)、本能ではなく自由意思に基づいて選択し、決定できるのです。人間だけが進化の過程でこのような脳の機能を獲得したからこそ、ここまで進んだ文明を築くことができたと言えるのです。そのもっとも重要な脳の機能要素が、本稿の「主題」となっていてる意識状態」を生み出している「意識の座」なる人間だけに特有の機能だと考えるのです。

 私たちは、脳機能の特性から考えて「意識状態」の本質は、世の中で言われているようなものではないと考えているのです。すなわち、瞬間的に、或いは刹那的に何かをするというのではなくて、或る特定の時間の経過という枠組みの中で、特定の「テーマ」を実行し、または実現していくのに不可欠の脳機能として私たち人間だけが獲得しえたのが、上述の意味での(5W1H)という要素の内容を組みたて、決定している「意識の座」と私たちが命名する脳機能だと考えているのです。世の中の心理学者や脳科学者達が提唱している従来型の所謂「意識」という瞬間的な刹那的な機能概念ではなくて、「意識状態」という状態的な認知概念がその本質的な概念であるべきだと私たちは考えるのです。

       

○ 私たちの定義による「意識状態」という概念及び「睡眠」が果たす役割

 「意識状態」は、「前頭葉」を構成する脳の中枢的な機能部位の有機的な活動により生じてくる認知状態であって、人、時及び所の「見当識」を含む自分の置かれている状況、或いは状態を領識できている認知状態(覚醒されていて顕在化した「意識状態」)又は領識できていない認知状態(覚醒されていなくて潜在的な「意識状態」)の両者を指すと私たちは定義しています。私たち人間が「夢」を見るメカニズムはいまだに不明とされているのですが、実は、この後者の認知状態の中で私たちは「夢」を見ているのです。私たちが解き明かした「夢」を見るメカニズムについては、別途説明したいと思います。      

人の生体には、「前頭葉」を構成する脳の中枢的な機能部位の活動により、「意識状態」を発生させる場所、「意識の座」(私たち独自の命名)ともいうべき機能部位があると私たちは考えるのです。「前頭葉」を構成する脳の中枢的な機能部位である「意識の座」の機能自体が「意識状態」を生じさせるメカニズムを具有していて、完全な「睡眠」状態である熟睡中はその効果により「意識の座」の活動が休止している状態にあると考えるのです。「意識状態」は覚醒されていないがまどろむような軽い睡眠状態下では、その「睡眠」効果により「意識の座」の活動が僅かに活性化しているために「意識状態」が潜在的な認知状態に抑制されていて、「睡眠」による抑制から徐々に開放されてくるのにつれて「意識状態」の覚醒の度合いが次第に高くなり顕在化してくると考えているのです。一方で「睡眠」を一定時間確保して覚醒時に高度に集中された状態で活動し続けている「意識の座」の活動を休ませることで「意識の座」の機能を回復させながら、他方で「睡眠」中もレム「睡眠」とノンレム「睡眠」とを交互に繰り返すことにより天敵から身を守りその生存を確保するという二つの目的のために、進化の過程でこうしたメカニズム、所謂「サーカディアン・リズム」というメカニズムを獲得したのではないかと考えるのです。

「睡眠」の度合いが深いノンレム「睡眠」により活動を休止していた「意識の座」の機能がレム「睡眠」へと睡眠の度合いが徐々に緩やかになってくることにより、休止していた「意識の座」の活動が徐々に再開されることによって、当該機能部位の潜在的な「意識状態」が生じてくると考えるのです。そして、レム「睡眠」とノンレム「睡眠」とを繰り返していた状態から解放され「睡眠」状態からはっきりと目覚めることにより、顕在的な「意識状態」に変化してくることとなり、同時に「意識状態」覚醒度が高まってくると考えているのです。「サーカディアン・リズム」は、レム「睡眠」とノンレム「睡眠」との繰り返しのリズムの中で、一方では天敵に備える万一の防御態勢を準備しておきながら他方では「意識の座」の休息を獲得するという、極めて優れたメカニズムだと思うのです。猶この場合、「意識状態」の覚醒の度合いは、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の発揮度に下支えられている(左右されている)ことに留意しておく必要があります。すなわち、「意識状態」の覚醒度は、「前頭葉」の三本柱の機能の活性度の反射的な効果によると考えられるのです。

       

○ 「意識状態」には三種類の認知状態が存在する

「前頭葉」に備わる発想、考察、企画、計画、工夫、推理、洞察等の種々の「個別認知機能」を発揮する上で、その発揮の程度を左右する働きを有する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能という「前頭葉」の三本柱の機能、後天的に獲得され自身の思考や行動の在り方を決定する規範としての働きを有する「評価の物差し」の機能及びこれまでの人生での実体験や伝聞体験に基づく知識や情景など様々な種類及び態様による情報が蓄積された「記憶の倉庫」の機能並びに「前頭葉」のコントロールのもとにその下部機構として働く「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」などの機能が相互に有機的な連携の下で活動を開始することにより、「意識の座」の統合機能に基づく活動により生じてくる顕在的な認知状態(以下、覚醒された「意識状態」という)が生じることになると私たちは考えているのです。従って、「意識状態」には覚醒されていない潜在的な認知状態と覚醒されている顕在的な認知状態という二種類の認知状態が存在すると考えるのです(猶その詳しい図式は、次回で説明する予定です)。

 更には、「前頭葉」の三本柱の機能と私たちが名付ける「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」の機能が発揮される度合いが高まるにつれて、「意識の座」を中核とする脳の機能が活性化されることとなり、同時に「意識状態の」覚醒度も高まることになるのです。従って、私たちが提起する「意識状態」には様々な段階が含まれていて、概括的な区分で言えば、ノンレム「睡眠」により「意識の座」の活動自体が休止されている状態と(この状態では、「意識状態」は、休眠している)、「意識の座」の活動はあるがノンレム「睡眠」により「意識の座」の活動が抑制されているために「意識状態」自体は未だ覚醒されたレベルではない認知状態(潜在的な認知状態としての「意識状態」にある状態)及び「睡眠」による抑制から解放されて「意識状態」が覚醒されたレベルでの顕在的な認知状態という三つの段階の認知状態が含まれることになると考えるのです。

       

○ 意識の有無ではなくて、「意識状態」の覚醒度という考え方が重要

上述した視点から言えば、世の中の研究者達が課題としている「意識」という命題について、「意識が有るか無いか」(「意識」の有無)というのではなくて、「意識状態が顕在化しているか否か」(「意識状態」の覚醒の程度の問題)という視点でとらえるべきではないかと私たちは考えるのです。 三本柱の機能を含む「前頭葉」を中核とした脳の有機的な機構機能の活性化と「意識状態の覚醒度」とが直結した関係にあることに鑑みて、世の中の心理学者や脳科学者達が言うところの「意識」とは、状態的な性質を特徴とする(「意識状態」)と考えるからです。

 なお、「意識状態が覚醒されている」とする基準は、「前頭葉」を含む脳の機能が廃用性の機能低下により働き具合を低下させていくとき、「人」、「時」及び「所」の見当識の内で最後まで機能が残るのが「人の見当識」であることを根拠として以下の基準を採用することを提案したいのです。すなわち、「意識状態が覚醒されている」と考える最低限度の条件とは、自分がいまここに在るという自覚と最低限度の見当識があること(他者と区別した自身を最低限度認識できている状態にあるというレベルでの「人の見当識」があること、日年月季節昼夜の区別のレベルではなくて、「今」というレベルでの「時の見当識」があること及び此処がどこなのかというレベルではなくて此処に在るというレベルでの「所の見当識」があること) を言うと考えるのです。

       

○「意識状態」の覚醒度合いの高まりを実感する場面

何か一つの「テーマ」に高度に集中出来ているとき、例えばバラの棘が左手の人差し指の腹の部分に刺さっていて、先端部をガスの炎で焼いた針を右手にもってその先を突き立てて四苦八苦しながら棘を取り出そうとして、右手の指先に全神経を集中させているようなとき私たちは、自分の「意識状態」が高度に覚醒されていることを実感します。更にこんな時、注意の集中力と「意識状態の覚醒度」とは直結していることも実感するのです。他方で、何か特定の物や対象に「意識状態」が向けられている訳でもなく、庭の方をただぼんやりと眺めているとき、「意識状態」の覚醒度が低く、注意の集中力も湧いてきていないことを感じるのです。ただこの場合にも、「意識状態」自体は有る(在る)ことを実感するのです。

       

○ 意識と「前頭葉」の機能との関係(前回のこのブログでの問題提起)

 覚醒された状態の意識(以下、顕在化された「意識状態」という。心理学者や脳科学者達が言う所謂「意識」を私たちは、状態的な性質としての「意識状態」として、組み替えて言い換えていることに注意してください)は、脳の活動によって作りだされていることは確であり、その中枢となる機能部位が「前頭葉」の更に中枢機能部位である「前頭前野」だと私たちは考えているのです。機能関係の詳細を次回の(No-112)で説明するように、「前頭前野」を含む「前頭葉」を中核(母体)」とする脳の有機的な機構としての機能の潜在的な活動それ自体が潜在的な認知状態としての「意識状態」を生み出していると考えるのです。

 更には、「意識状態」が覚醒されている状態(顕在的化された「意識状態」)にも、前述したように、その覚醒の程度には様々な段階があるのであって、「意識状態」の覚醒のその程度(度合い)を左右しているのが「前頭葉」の三本柱の機能だと考えているのです。何らかの刺激に対する知覚、或いは何らかの「テーマ」の発想により、「前頭葉」の三本柱の機能が活性化してきて、その反射的な効果として同時に「意識状態」の覚醒の度合い(「意識状態の覚醒度」)も連動して変化していくと考えるのです。

       

○ 私の中に居るもう一人の私(「意識の座」が担う統合及び管理機能)

 「意識の座」は、「前頭葉」の三本柱の機能並びに「評価の物差し」及び「記憶の倉庫」の機能と協働して、自分が置かれている状況の評価に基づいて、主たる「テーマ」の発想、実行内容の組み立て、洞察や推理、ケース・シミュレーション等を経て実行の決定を行うとともに、左脳、右脳及び運動の脳に対して実行の指示を行い、同時に実行内容及び実行状況の把握及びその時系列管理を行うとともに並行して存在しては消える従たる複数のテーマの内容の把握及びその時系列管理を並行して処理する機能を担っていると考えるのです。

 同時に並行して存在し、或いは消滅する個別テーマ毎の全体又は部分の状態、或いは優先順位を把握し、監視し及びコントロールするなど全体を統合する機能を担っているのが「意識の座」の機能、役割なのではないかと考えると私たちの日常体験との辻褄が合うのです。猶この場合、主たる優先「テーマ」には「意識状態」の覚醒の度合いが拡大され(注意の集中)又は従たる複数のテーマには「意識状態」の覚醒の度合いが拡散(注意の分配)されることになるのです。

       

自分が置かれている状況を判断する機能、状況判断に沿って行うべきテーマの枠組みを発想し、発想したテーマの実行内容を計画し、実行内容の実行の仕方(態様や程度)をケース・シミュレーションし、新たな発想や連想や関心や興味の変化などの状況の変化に伴いテーマの枠組みとなる内容を変更し、最終的な実行内容を決定し、実行の決断を下した後に、三頭の馬(左脳、右脳及び運動の脳)に実行の指令を出す御者の役割を担っているのが「意識の座」だと考えるのです。

       

○ 全体状況の把握及び個別テーマの管理と統合機能

「意識の座」の機能には、自分が置かれている状況の判断に加えて、並立して進行する個別テーマごとの内容の把握及びその時系列管理並びに新たな発想が湧く、関心が変化する、或いは思い出すなどを契機として時々刻々変化する個別テーマの優先順位の変化の把握などの機能が有ると考えているのです。

私たちが考える「意識の座」の機能は、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能によって下支えられていて、三本柱の機能の内の注意の集中力又は注意の分配力のいずれかの機能の発揮度が高まるにつれて「意識の座」による活動のアウトプットとしての「意識状態」の覚醒度も高まると考えているのです。

 水面に浮かぶ泡沫のように私たちの脳の中で、次々と現れては消えていき或いは時に復活してきながら、並列して、並行して存在し消えていく「個別のテーマ」の全体あるいはその一部を把握し、監視し、コントロールし及び統合しているのが「意識の座」であると考えると今日の私の行動との辻褄が合うのです。

       

○ 「意識の座」の存在場所

 特定の「テーマ」毎に個別の「意識状態」が生じ、並列して存在する個別テーマ毎に状況が別々に進行していく中で、それらを時系列的に把握し及び監視し、時々の興味や関心や発想が生起する都度「評価の物差し」と「記憶の倉庫」とが連動する形で働く中で、最も優先される主要なテーマが何であるかを「意識の座」が判断し、最優先と判断されたテーマに対して「意識状態」の関心が注がれ、同時に意欲や注意の集中力或いは注意の分配力が「意識状態」に対して強く注がれることになり、「意識状態」の覚醒度が高まるのではないかと考えるのです。

 私たちが集積してきた「脳機能データ」の解析を基礎とする視点からいえば、注意の集中力と注意の分配力の機能とは綱引きの関係にあって、特定の「テーマ」に対する注意の集中力が高まるにつれて他のテーマに配分されている注意の分配力はそれに呼応する形で小さくなるのです。どんなテーマを発想するか、どのテーマに注意を集中するか、或いは複数存在する内のどのテーマにどの程度注意を分配させるかは、「前頭葉」の機能の中の更に特定の部位による機能が担っていて、それこそが意識(私たちの概念で言う「意識状態」)を生み出す機能的な源であり、「前頭葉」の中枢機能部位である「意識の座」(私たちのネーミング)だと考えるのです。私たちが問題提起する「意識の座」は、脳の機能面から見て「前頭前野」ではないかと考えているのです。

      

 鵜の首に巻いた何本もの綱を上手に操って魚を捕獲する漁法で有名なあの「長良川の鵜飼」の漁師さんたちのような機能を有し、且つ役割を担っている特別の存在が「前頭葉」の更にその中の中枢部位として存在する「意識の座」なる部位ではないかと考えるのです。脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能を構成している部位の中に、更にその中枢機能として全体を統合する機能を担う部位が存在していて、それが「意識の座」(「前頭前野」)だと私たちは考えているのです。

更には、これまでにたどってきた人生での体験(実体験と伝聞体験)の蓄積により自分独自の自分なりの「評価の物差し」(見方、感じ方、受け止め方、考え方や表出の程度や態様などの所謂「自我」として確立された評価及び行動の指針)及びこれまでの体験(実体験、伝聞体験及び知識)を基礎として蓄積された情報や情景や知識を記憶している「記憶の倉庫」との協働により、置かれている自分の全体状況及び環境並びにその変化を把握し、評価し及び個別のテーマ毎にそれらを把握し、監視していて、全体を統合し、並立する個別テーマの優先順位の判断を含む自分がその時点でとるべき途とその内容、或いはそのやり方としての態度や程度や態様などを選択し、決定し、実行の指令を出す役割を担っているのが「意識の座」(すなわち、「前頭前野」)だと考えるのです。

 注) 意識については、次回(その3)をもって完結できる予定です。

 注)本著作物(このブログB-11に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

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睡眠のメカニズムの不可思議

2014-05-28 | 意識的な行為と脳の働き

「意識」の定義を構築する過程で、「睡眠」について調べてみたのだけど、誰が考え付いたのか本当に不思議な世界が有るんだなって、感心してしまいました。

 「睡眠」と言えば「夢」でしょ。私って、見た夢をしっかりと記憶しているタイプらしいんです。「夢」を見ることと「脳の働き」との関係についてはいろんな説(全て、「仮説」)が展開されているのだけど、私の体験による分析からいうと、全ての説が間違っていると思うのです。

 そのうち、夢についての私の仮説を披露してみたいと思っているのですが、何せ今は難解極まりない「意識」の定義の構築の真っ最中なので、脳の疲れが取れてからということにしておきたいと思います。

 私って、論理の組み立てとか文章を書くのが得意だったはずなのだけど、それも遠い昔の話だということがよく分かったの。年を取るっていうことは、本当に大変なことね。

 夫のTadが冬に髭剃りしてあげたカナリー・ヤシの幹にとりつけたシダが、すっかり新芽を吹いて青々と茂ってきたきた庭のデッキで、脳を休めるためにコーヒーを飲む機会が多くなり、なんだかお腹の周りが太くなってきた感じなんだけど、大丈夫かしら。

 泣き言はそれくらいにしておいてと・・・。世の中の専門家と言われる心理学者や脳科学者達が、ニューロンの働きを基礎とした方向から「意識」にアプローチしているのを知って、逆の方向からのアプローチをしてみようと、或る日夢の中で思ったのです。

私たちが専門にしていて得意にしている 「脳の働き」という大局的な視点からニューロンの活動とその働きを見れば、「意識」の解明はそれほど難しくはないのではと思ったのが、軽はずみというか、運のつきというか、大変な迷路に迷い込む結果となったようなのです。

 とはいえ、6月1日(その2)と6月15日(その3)とで、私たちが考える「意識」の定義をご披露できる見通しとなりました。まずは、その予告まで。

      

      


        

        


       

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アルツハイマー型認知症の発病原因から見る意識の枠組み (その1)  B-10

2014-05-15 | 意識的な行為と脳の働き

 20年前(1995年)から私たちは、「アルツハイマー型認知症」の「地域予防活動」というテーマに取り組んできました。「前頭葉」を含む脳の機能レベルを私たちが開発した「二段階方式」と呼称する神経心理機能テストを中核的な手技として活用し、市町村の保健師さんが活動の中核となって地域のボランティア組織を取り込み協働しつつ展開する地域予防活動を通じて、私たちは膨大な脳機能データを集積し、解析してきました{「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)を含む脳の機能レベルに対応する脳機能のアウトプットとしての正常な範囲から異常な範囲にわたる段階的な症状の特徴とその発現の原因との因果関係etc.}。

 今日は、それらの脳機能データの解析を基礎として私たちが獲得した知見(「前頭葉」を含む脳の機能とそのレベルの変化、その変化に対応する症状の段階的な変化及び発病原因に関わる因果関係に関する知見)を基礎として、私たちなりに考える「意識」のメカニズムについての私見をまとめてみました。これまで世界中の研究者たちの誰一人として解明することができていない所謂「意識」について、その構造の解明の一助になればと、意識についての枠組みの構想に私たちもチャレンジしてみることにしたのです。

       

 

 これはなに 夢か現か 幻か     

         夢の話は 支離で滅裂 (10)By kinukototadao  

 

○  夢の中での出来事

行ってみればわかるのだけど、湯河原町のオーベルジュ「エルルカン・ビス」に車で行くには、しかも大型のランクルで行くには、相当高い運転技術だけでなくて、若さも要求されるのです。山際に沿って狭く曲がりくねった道を車との離合を恐れながら喘ぐように登って行くのは、本当心身ともに疲れる上に、恐怖心さえも覚えるのです。この2~3年で、なんだか急に運転が下手になってきたみたいというか、左端の空間認知能力が衰えてきたみたいなのです。ハンドルが右側にあるので、座席から遠い左側の空間認知能力が、衰えてきているのが分かるのです。車の左端と道端の樹木や塀などとの距離感がきちんと取れなくなってきているのです。「前頭葉」の3本柱の機能である意欲、注意の集中力と注意の分配力の機能が加齢とともに衰えてきていることの証拠なのです。

 翌朝午前5時過ぎの出来事だったのです。その山道を運転してやっとのこと目的地にたどり着いたのだけど、そこからもう一つ大仕事が残っていたのです。皆さんを門の前で下してから駐車場に駐車しに行こうとしたのです。法学部出のTadから、道際に止めておけばいいと声がかかったのだけど、私は遵法精神がきちんとあるので、駐車場に車を止めに行こうとしたのです。そこへの道が特別狭いのです。その上というか、30度以上も傾斜した急な坂を下りて行って、坂道から右に直角に曲げて駐車場に入るようになっているのです。坂道の勾配が急で、スピードが出てしまい、恐怖心を覚えて思わずブレーキを踏んだのです。正確にいうと、ブレーキを踏もうとしたのです。ところがいくら踏もうとしても、肝心のペダルがどこなのか分からないのです。必死でブレーキペダルを足で探すのに見つからない、ブレーキのペダルの上に私の足が乗らないのです。「あ~!!」とかなんとか、大きな叫び声で目が覚めたのです。夢うつつに私の脳が追っていたのは、こんな風なシーンだったのです。

       

○  意識的な行為の世界と個別機能によるその認知度及び機能の発揮度

意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、批判、想像、理解、了解、興味、関心、発想、連想、妄想、企画、計画、創意、工夫、予測、具象化、抽象化、シミュレー・ション、予見、比較、修正、整理、機転、抑制、忍耐、感動及び判断等、「前頭葉」の機能を構成している各種の高度な認知機能を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。認知度が一定レベル以下だと、例示した「前頭葉」の各種個別の認知機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした個別の認知機能によるその「認知度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉の三本柱」の機能なのです(「認知度」と「発揮度」とがともに、「三本柱」の機能レベルと「リンク」している)。

「前頭葉」を中核の機能として、有機的な連携のもとに左脳や右脳や運動の脳も参加して、脳全体で何をどのように実行するのかを組み立てるには(実行すべきテーマをいくつか発想し、その中から1つを選択し、その実行内容を組み立てるには)、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠になるのです。自分が現在置かれている状況と環境の判断をベースとして、様々な状況の変化を予測して考慮し、いく通りかのケース・シミュレーションを経た上で最終的な内容を決定し、実行に移すには、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の継続的な発揮も必要になるのです。上述のようにその「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能の構成要素である「個別機能」によるその認知度及び機能の発揮度を左右し、下支えする働きを担っていて、個別機能を十分に発揮するに際しての「二重構造」の関係(私たちのネーミング)が存在しているのです。 

     

○  注意の分配機能の衰えが示す日常生活での諸現象

私たち伊豆高原で第二の人生を送っている仲間内で「女子会」と称する脳の活性化を目的とする非定期的なダべリングの会を持っているのです。女子会なので男性は参加できないのが原則(本音は、男性が入ると話が難しい話ばかりになって楽しくないので、男性諸氏を外すために女子会と名付けているのです)。その女子会の集まりがメンバーの一人である芳子さんの家で開かれていたので、たまたま今開催されている「伊豆高原アートフェスティバル」の1つの会場を見てきた帰りに、NickさんとTadも連れて立ち寄ったのです。ところが案に相違して、話がとても盛り上がったのです。NickさんとTadが女子会の話の内容に興味津々で、時々質問することが的外れなことが多かったせいもあってか、いつもとは違う盛り上がり方というか、盛り上がり過ぎな程だったのです。

そんな時、芳子さんが私たちにおいしいコーヒーを入れてくれることになって、立ち上がったのはいいけど、コーヒーカップを揃え乍ら脇から話に割り込みして、しゃべっている内に肝心のコーヒーを私たちに入れてくれることを忘れて、カップを手にしたまま話に夢中になってしまったのです。私たちはコーヒーを入れていただく側なので、お湯が沸騰しているなどと注意することもできなくて、当の本人が気付くまでただ待つしかなかったのです。結果的には、随分と待たされることになったのです。私たちくらいの年齢になるとこうしたことは日常茶飯事になってしまうのです。「前頭葉」の三本柱の機能の一角を占めている「注意の分配機能」が、加齢によって衰えてきたことがその原因なのです。いくつかのテーマを同時に並行して実行するときに、この「注意の分配」機能がちゃんと働いていないと、こうしたことが起きてくるのです。そう、脳の「老化現象」による症状なのです。

     

○  3本柱の機能に内在する「正常老化の性質」

嗚呼、齢を重ねることのなんと哀しいことかな!私たちが意識的に何かのテーマを思いつき実行しようとするときに、必要とされる各種の認知機能を発揮する上で、必要不可欠の機能である「前頭葉の三本柱」とも言うべき、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能には、加齢とともにその働きが衰えていくという「正常老化の性質」(私たちのネーミングです)が内在されているのです。私たちが世の中の専門家たちに先駆けて発見したそのカーブの存在は、私たちが「二段階方式」に基づく「かなひろいテスト」と「MMS」テスト及び生活歴の聞き取りの実施により集積した年齢別の脳機能レベルの推移を示す膨大な量の脳機能データにより証明されているのです(20歳代の内に早くも緩やかではあるものの下向きのカーブとなり、60歳を超えた高齢者と呼ばれる年代になると急速に下降するカーブを描いていくようになるのです)。

脳の司令塔は「前頭葉」であり、その「前頭葉」の三本柱の機能に加齢と共に働きが衰えていくという性質、「正常老化の性質」が内在していることが、「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを解明する上で不可欠の視点となるのです。それなりに「前頭葉」の出番がある「生活習慣」を維持していても、加齢とともに機能が緩やかに衰えて行くという性質があるということなのです。

この「前頭葉」の正常老化曲線のカーブの傾きの度合いは、60歳を過ぎた高齢者と言われる年齢になると、脳の使い方という視点からの「生活習慣」に大きく左右されるようになります。脳の後半領域の働きであり、「前頭葉」と協働して意識的な世界でのテーマを実行するための下部機構として機能している左脳、右脳及び運動の脳とのやり取りの中で処理される情報の質と量次第で、「前頭葉」の老化の曲線は、「緩やかに低下するカーブ」(正常な老化)を描き、或いは、「加速度的に低下するカーブ」(異常な老化)を描くことになるのです。

(ここで、コーヒー・ブレイク)実態面に目を向けた時、「アルツハイマー型認知症」を発病するその対象が60歳を超える年齢の「高齢者」に限られていて、然も、70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と高齢になるほど発症率が高くなっていく原因は、この「正常老化のカーブ」の存在にあるのです。「働き盛りの50歳代で、アルツハイマー型認知症を発症する人たちが増えてきている」などとマスコミが取り上げ騒ぐことがあるのですが、「アルツハイマー型認知症」を50歳代という若い年齢で発症するケースは皆無とは言わないまでも極めて稀なことなのです。「アルツハイマー型認知症で」はなくて、側頭葉性健忘症とか緩徐進行性失語とか緩徐進行性失行などの認知症と紛らわしい病気であることを知らない(見抜く為の手技を持たない)医師達が誤診している結果に過ぎないのです。「アルツハイマー病」と「アルツハイマー型認知症」とは全く別物である(発病のメカニズムも発病後の症状の進行速度も治療による回復の可能性の有無も全く異なるのです)ことを含めて、マスコミも早くこのことに気付いてほしいと願うのです。

    

○  「アルツハイマー型認知症」発病の2つの要件 

生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されている日々(これも私たちのネーミングです)、三頭建ての馬車の御者の役割を担う「前頭葉」と三頭の馬である「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」との間で量も少なく質も劣る情報しかやり取りされない「生活習慣」が継続されていて、時間は余るほど有るのにすることが無い毎日を送っているお年寄りは、「前頭葉」の老化曲線が加速度的に低下していく曲線を描いて、急速に低空飛行になっていくことになります。その行き着く先には、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているということなのです。

本来的な性質として内在している「前頭葉」の「正常老化の曲線」の問題(発病の「第一の要件」)と第二の人生に入って、何かを「キッカケ」にして(ここを「クリック」してください)、「右脳」も「運動の脳」も「左脳」をも使う機会が極端に少なくなるような生活、「生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない」ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まり、そうした生活が日々継続していると(私たちが定義する発病の「第二の要件」)、出番が極端に少なくなった「前頭葉」が(「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足されるその「相乗効果」により)廃用性の機能低下を起こしてきて、老化を加速させていき、「アルツハイマー型認知症」発病への道を歩みだすことになるのです。

     

○  「アルツハイマー型認知症」の発病の予防策

高齢になったお年寄りが、足腰の重い痛みの継続や転んで複雑骨折して何週間か寝込んだままで居たりするなど、何かをキッカケにして歩行する機会が極端に少なくなると、膝の筋肉が廃用性の機能低下を起こして来て歩けなくなります。「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムは、高齢者の膝の筋肉が廃用性の加速度的な機能低下を起こしていくのと似たようなメカニズムではないかと考えるのです。その意味で、廃用症候群に属する「生活習慣病」がその本質と考えられる「アルツハイマー型認知症」の発病を予防するには、脳をしっかりと使う自分なりの「生活習慣」の構築と維持が不可欠だと言うことなのです。

「アルツハイマー型認知症」の発病を予防するには、日常生活のいろいろな場面で、「前頭葉」を含む脳全体を「しっかりと使ってやる」ことが必要不可欠の条件となるのです。脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」には、そもそも、「加齢」とともに働きが衰えていくという性質が内在しているからです。「アルツハイマー型認知症」を発病しない(発病を予防する)為には、老化のカーブ(上述した「正常老化」のカーブ)を支えていくこと(下支えする「生活習慣」を構築し、維持すること)が不可欠の条件となるのです。自分なりの「目標」がある生活、その「目標」を達成することで「生き甲斐」や「喜び」や「感動」が得られることが、その過程での「意欲」や「注意の集中力」や「注意の分配力」という「前頭葉」の三本柱の出番を多くすることになり、「脳を活性化」させ、廃用性の異常な老化を防止することになるのです。

 そうした「前頭葉」の三本柱の出番が多い「生活習慣」の下では、発想、創意、企画、構成、計画、工夫、観察、分析、理解、把握、考察、洞察、推理、予見、シミュレーション、組み換え、修正、変更、整理、機転、興味、創造、感動、評価、判断、抑制及び決断等の「前頭葉」の高度な諸機能が、それなりに働く機会が与えられることで、緩やかに衰えては行きつつも「年齢相応」の自分なりの「正常な機能のレベル」を維持することが出来ることになるのです。

「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状は、廃用性の異常な機能低下に起因した「前頭葉」を含む脳全体の働き具合の衰えの直接のアウトプットに過ぎないのです。世の中の専門家達から原因が分からないと言われている「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳の機能が、廃用性の機能低下により(使われる機会が極端に少ないために、機能が衰えてくることにより)、加速度的に異常なレベルに衰えてくることが直接の原因で発病し、認知症の症状が発現してくるだけなのです。従って、「前頭葉」の出番が多い「生活習慣」を維持することにより「前頭葉」の機能が正常なレベルに保たれている限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することはないのです。「アルツハイマー型認知症」の本質は、脳の使い方という視点から見た日々の生活習慣に起因する病気、「廃用症候群に属する生活習慣病である」というのが膨大な量の「脳機能データ」の解析と市町村での「地域予防活動」実践の成果を基礎とする私たちの主張(見解)なのです。

    

○  再度、脳活性化小旅行

「アルツハイマー型認知症」は、脳血管性認知症とは異なり、脳が壊れてもいないのに認知症の症状が発現してくるのです。認知症の専門家たちが騒ぎ出すのは末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階に入ってからの症状が発現してきてからなのですが、発症の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階でさえ、日常的な生活のレベルで意識的に何かをしようとしても(例えば、夕食のための食材を人数分買ってくる程度のこと)、きちんとできなくなるのです。口はそれなりに達者な口をきいてはいても、参加した人たちが口をそろえて褒めたり驚いたりするようなプラニングは愚か、小旅行のプラニングをすること自体が全くのこと無理なのです。

前回のこのブログ〈No-109〉でその概要を明らかにしてあるように、先月は二度にわたる「脳活性化旅行」を楽しんだのです。振り返ってみれば、年相応ではなくてやや強行軍であったとはいえ、今思い出してもとても楽しく思い出に残る小旅行だったのです。その最初の旅(4月21日~23日)にかけてご一緒していただいた旅仲間のうちの一組のご夫婦、Nickさんご夫婦と、今週の日と月、一泊二日で熱海泊を楽しんできたのです。Nickさんと夫のTadがともに古希を迎えたそのお祝い旅行なのです。お泊りは、新築されて間もないできたての東急ハーヴェストクラブ熱海伊豆山です(ここを「クリック」してください)。日程を組み立てたのは、言うまでもなく私です。前回の小旅行のプラニングが皆さんから大好評だったので(いつも辛口のTadにまで褒められたのです)、私の「前頭葉」が張り切ってフル回転してくれたのです。 日曜日のお昼をとプランに入れたのは、湯河原町のオーベルジュ「エルルカン・ビス」です(ここを「クリック」してください)。

     

○  「アルツハイマー型認知症」の小ボケの症状と脳の機能との関係

「アルツハイマー型認知症」としての「認知症の症状」が現れてくる最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階で認められるそれらの症状は、「DSM-4」が言うようなレベルの「重度の記憶障害」の症状とは全く関係が無いのです。「意欲や注意の集中力や注意の分配力」など、「前頭葉」の機能の根幹(基礎)をなしていて、「前頭葉」の各種の高度な個別機能の「認知度」及び「発揮度」を左右している「三本柱の機能」が異常なレベルに衰えていることの直接の反映が、認知症の症状として現れてくるだけなのです。つまり、「小ボケ」の段階では、「三本柱」の機能障害を反映した症状が「認知症の症状」として現れてくるのです。勿論この段階では、「DSM-4」で第二の要件として規定されている「失語や失行や失認」などの重い症状は、そのカケラさえも認められないのです。

 「アルツハイマー型認知症」の初期(最初)の段階であり、私達の区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階は、左脳と右脳と運動の脳は未だ正常なレベルにあるのですが、脳全体の司令塔である「前頭葉」の働きだけが異常なレベルに衰えてきているのです。そのため、「前頭葉」の機能のうち最も重要な「三本柱」の機能である「意欲」、「注意集中力」及び「注意分配力」が的確に発揮されなくなります。この「三本柱」の機能の衰え具合の相乗効果としての働き具合いが、様々な情報や思考の処理に関わる個別認知機能の「認知度」及び「発揮度」を左右しているのです。その結果、「小ボケ」の段階では、この「三本柱」の機能が異常なレベルに衰えてきていることの機能障害を反映した症状が「小ボケの症状」として特徴的に現れてくるということなのです。

 「三本柱」の機能が異常なレベルに衰えたその反映が、状況の判断や、発想や企画や計画や洞察やシミュレーションや機転や感動や決定や抑制といった「前頭葉」の様々な個別機能の「認知度」及び「発揮度」に直接影響してくるために、対象となる情報や思考の認知及び関連する様々な情報の記憶(記銘やその保持や想起)並びに処理の面でも、機能の発揮が不的確で不十分なものとなるのです。そのため、的確な状況の判断、発想、計画、創意、工夫、機転といった機能、状況により必要となる感情の抑制、或いは的確な見通しや意思決定などが要求される、「社会生活」の面で、程度や態様を含む種々の支障が出てくるようになります。「社会生活」面での種々のトラブルが生じてくるようになるのです。勿論、この段階では、「家庭生活」の面にも「セルフケア」の面にも何の支障も起きてはきません。それぞれの段階で必要とされる「前頭葉を含む脳の機能レベル」が全く異なる次元にあるからです。

     

○「前頭葉」が把握し、監視し、処理する対象となる「テーマ」

 私たちは、道を究めた武道家でも宗教家でも修験者でもない平凡な人間なので、何か一点に意識を集中するということはとても難しいのです。むしろ、2つや3つ、複数のテーマが同時に並行して意識に上っている状態で、様々なテーマを遂行しているのが普通なのです。朝ご飯の支度をしながら洗濯機を回して衣服を選択しつつ、お部屋の掃除も同時進行でこなすのです。玄関のほうでピンポ~ンとチャイムが鳴れば、何か荷物が届いたのかと,慌てることもなく認め印を手に持って玄関に走ってもいけるのです。そしてちゃんと台所に戻って煮物が焦げ付くこともなく、いい塩梅に煮立っているのを確認することができるのです。私たち、女子会でのおしゃべりを楽しんだり、脳活旅行に励んだりしていて外見の割には「前頭葉」が若いので、これくらいのことって簡単にできるのです。たまには、おしゃべりに夢中になってコーヒーを入れるのを忘れることはあるのだけど。

複数のテーマを同時に並行して把握し、監視し、処理し、状況の変化に応じてメインテーマの対象を別のものに変更することもできるのです。どうしてこんなことができるのでしょう。芳子さんが飼っている猫も、賢いとされるNickさんの家の犬もできないのに。一体脳の中の誰がこんなに高度で複雑な役割を担っているのでしょうか。私達の脳の中に存在を未だ知られていない誰かが居るとでもいうのでしょうか。前述した芳子さんがコーヒーを入れてくれようとした場面でのメインテーマの失念、或いはこのブログに関心を持たれている年齢のあなたに日常茶飯事のように起きてきているはずの物忘れなど、そうした症状が脳の「老化現象」として私たちの年齢になると日常的に現われてくるようになることからして、「前頭葉」の三本柱の機能が脳の中の正体不明の誰かさんの働きと関わっていることは間違いないことだと私たちは考えるのです。

     

○ 意識と「前頭葉」の機能との関係

 覚醒された状態の意識(以下、「意識状態」という)は、脳の活動によって作りだされていることは確であり、その中枢となる機能部位が「前頭葉」だと私たちは考えるのです。「前頭葉」を中核(母体)」とする脳の有機的な機構としての機能の潜在的な能力それ自体が潜在的なレベルとしての意識状態を生み出す源だと考えているのです。更には、意識状態が覚醒されている状態(顕在的なレベルとしての状態意識)にもその覚醒の程度には種々な段階があるのであって、意識状態の覚醒のその程度(度合い)を左右しているのも「前頭葉」の三本柱の機能だと考えているのです。そうした視点からいえば、世の中の研究者たちが問題にしている「意識」という命題について、「意識が有るか無いか」(意識の有無)というのではなくて、「意識状態に有るか無いか」(意識状態の有無)という視点でとらえるべきではないかと考えるのです。「前頭葉」を中核とした脳の有機的な活動機構の活性化と「意識状態の覚醒度」とが直結した関係にあることに鑑みて、心理学者や脳科学者たちが言う所謂「意識」の本質は、状態的な機能(「意識状態」を生み出す機能)であると私たちは考えるからです。

なお、「意識状態が覚醒されている」とする基準は、「前頭葉」を含む脳の機能が廃用性の機能低下により働き具合を低下させていくとき、「人」、「時」及び「所」の見当識の内で最後まで機能が残るのが「人の見当識」であることを根拠として以下の基準を採用することを提案したいのです。この場合、意識状態が覚醒されているとは、自分がいまここに在るという最低限度の見当識があること(他者と区別した自身を最低限度認識できている状態にあるというレベルでの「人の見当識」があること、日年月季節昼夜の区別のレベルではなくて、「今」というレベルでの「時の見当識」があること及び此処がどこなのかというレベルではなくて此処に在るというレベルでの「所の見当識」があること) を言うと考えるのです。

    

○ 脳の中に居るもう一人の「あなた」

また、注意の集中力と注意の分配力の機能とは綱引きの関係にあって、特定のテーマに対する注意の集中力が高まるにつれて他のテーマに配分されている注意の分配力はそれに呼応する形で小さくなると考えられるのです。どんなテーマを発想するか、どのテーマに注意を集中するか、或いは複数存在する内のどのテーマにどの程度注意を分配させるかは、「前頭葉」の機能の中の更に特定の部位による機能が担っていて、それが「意識の座」(私たちのネーミング)だと考えているのです。鵜の首に巻いた何本もの綱を上手に操って魚を捕獲する漁法で有名なあの「長良川の鵜飼」の漁師さんたちのような機能を有し、且つ役割を担っている特別の存在が脳全体の中枢機能である「前頭葉」の中にあるのではないかと考えるのです。「前頭葉」の機能部位の中に、更にその中枢機能として全体を統合する機能を担う部位が存在していて、それが「意識の座」だと私たちは考えるのです。

更には、これまでにたどってきた人生での体験(実体験と伝聞体験)の蓄積により自分独自の自分なりの「評価の物差し」(見方、感じ方、受け止め方、考え方や表出の程度や態様などの所謂「自我」として確立された評価及び行動の指針)及びこれまでの体験(実体験、伝聞体験及び知識)を基礎として蓄積された情報や情景や知識を記憶している「記憶の倉庫」との協働により、置かれている自分の全体状況及び環境を把握し、評価し及び個別のテーマごとにそれらを把握し、監視していて、自分がその時点でとるべき途、或いはそのやり方としての態度や程度や態様などを選択し、実行の指令を出す役割を担っているのが「意識の座」だと考えるのです。こうした視点を敷衍した時、様々な態様と程度とで発現してくる所謂「統合失調症」に挙げられる類の症状は全て、この「意識の座」の機能の機能不全が原因で生じてくるのではないかと私たちは考えているのです。

注)今回のテーマは、内容量が多いため、二回に分けて掲載します。意識に関する私たちの構想(見解)の主要な部分は、次回(Noー111)で述べる予定です。

       

 注)本著作物(このブログB-10に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

エイジングライフ研究所のHPを「クリック」してください)

  脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません

   http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist

 http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a


 

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アルツハイマー型認知症の発病原因から見た意識の枠組みとの関係(B-09)

2014-05-01 | 意識的な行為と脳の働き

    

  哀れかな 疲れ知らずの わが妹も

     寄る年波に 抗えもせず   (9) By  kinukototadao

私のブログの正式なタイトルは、「認知症の早期診断、介護並びに回復と予防のシステム」と言うの。これまでに108回の記事を公開しているの。毎回、字数がとても多いのだけど、「アルツハイマー型認知症」のことが世の中にほとんど知られていないので(もっと正確に言えば、世界中の認知症の専門家とされる人達や認知症を専門的に研究している機関の人たちにも「アルツハイマー型認知症」の発病原因や治療の方法と回復の可能性、更には発病の予防についてもほとんど知られていない)、どうしても都度のテーマで詳しく書きたい思いが強いがために字数が多くなってしまうの。追加される新しい記事の内容は、毎月1日と15日とに公開しているの。認知症の専門家(学者や研究者や医師)と将来の「地域予防活動」の主役を担っていただきたい保健師さんを念頭に置いて書いているので、内容が極めて高度で一回当たりのページ数もとても多いのにもかかわらず、一般の人たちも読んでくれている関係か、毎日の読者の数がとても多く、感謝しているの。毎回新しい記事を書くとき、そのことに感謝して、気を入れて書いているのよ。

ところが、今回(5月1日)は記事のタイトルの表示があるだけで中身はないの。お休みなの。理由は、長旅の疲れが蓄積しているうえに、風邪をひいて寝込んでいるからなの。ブログを書くときは、公開日の朝早くから起きて、具体的には「朝飯前」に、集中して書くのが習慣なの。もちろん記事を書く前に、頭の中でいろいろ構成する作業があって、それは何日間かかけてやっているのだけど。今回のテーマは、世界中の誰もが未だ解明できていないというか、構成することができていない、「意識」について、私なりに考える「意識」の正体とその枠組み及び「アルツハイマー型認知症」の発病原因との関係を詳しく書こうと張り切っていたの。何しろ、「意識」の正体を解き明かしただけで、あの「ノーベル賞」の受賞は確実と言われているほどのテーマなので、私なりに張り切って構成をあれこれ考えていたの。

  

ところが、ほらあの「脳を活性化する生活習慣の実践」というテーマを世の中に問題提起し、且つ自身としても日々追及しているわが身としては、部屋に閉じこもってブログ内容の構成を考えるというのはできないことなのよ。それで、「一石二鳥の秘策」を考え付いたのが運のつきだったのね。4月21日からのゴールデン・ウイークが始まる前に、日ごろ密なお付き合いをさせて頂いている仲の良いお友達と一緒に、「脳の活性化」のための国内旅行を思う存分楽しもうと思ったの。しかも2回もなのよ。その2回の旅行の大まかな旅程と行軍の概要だけを記しておくわね。

1回目2泊3日の旅は、ここ伊豆高原を朝早くに出発して、沼津から新東名に乗り、富士ICで降りて、西富士道路を北上し、河口湖でおしゃれな喫茶店に寄ってお茶と休憩を取り、一之宮御坂から中央高速に乗り松本で下車。松本では初めての人がいたので一応松本城にも行ったのだけど、メインは、「ヒカリヤ西」での食事。西が洋食で東が和食のレストランなの。今回は、西で洋食のフレンチをいただいたの。6人が私たち今回の旅仲間だったのだけど、6人が全員言葉にならないくらい感動したのよ。スパークリング・ワインを1本、プレゼントされたからではないのよ。建物の雰囲気も、料理の内容も、サービスの質も、最高なうえに、料金も極めてりーぞなぶるなの。ぜひ行ってみてね(ヒカリヤ西については、ここを「クリック」してみて)。

昼食を済ませてから松本城を見学した後は、その日の宿である国民宿舎松代荘まで、寄り道なしに一直線に車を走らせたの。松代荘は、以前私が近くの町に講演に来た時泊まった宿で、源泉かけ流しの温泉が売りなの。お友達にこのお湯を味わってほしくて私が推薦したのよ(ここを「クリック」してみて)。そうそう、料理もみなさんの評判がよかったわよ。

    

翌朝は、少し早めに宿を出発して、小布施町に行ったの。小布施町は10年前から私たちが「アルツハイマー型認知症」の地域予防活動を請負で実践している町なの。街並み全体が統制されていて、江戸時代からの雰囲気を残した古い建物と現代風の新しい建物とが見事に調和していて、とても落ち着いた雰囲気の中で、それぞれに際立った特徴がある建物や庭があり、美術館やお店があり、レストランや酒蔵がある、そんな街中を散策していて気持ちがとても和むのよ。そうそう、小布施町は、各家庭がガーデニングを楽しんでいて、オープン・ガーデンでも有名よ。保健師さんを中核として町の様々なボランティア組織との協働により小地域単位で活動する「地域予防活動」は、今では町の全域に広がっているのよ。「アルツハイマー型認知症」の予防を目的とする「地域予防活動」を立ち上げる上で不可欠の「ボケは防げる治せる」と題する講演活動で私たちは、北海道から九州まで、いろいろな町を訪ねているのだけど、その中でも小布施町は出色だと思うわ。お昼は、「鈴花」で和食を、小布施の保健師さんOBも参加してくれて旧交を温めつつ楽しんだの(小布施町の観光と文化の案内については、ここを「クリック」してみて)。

小布施を楽しんだ後は、上信越自動車道を使って北上し、斑尾高原にある東急ハーベストクラブの斑尾に泊まったの。ゲレンデには未だかなり厚い層の残雪があって、周りの緑とも相まって、思わず声が出るほどにきれいだったの。夕食にも感動してもらって、推薦した私に皆さんから賛辞が寄せられて少し鼻が高かったわ。ここは、美しい自然が広がる複合リゾート・タングラム斑尾東急リゾートが隣接していて、スキーだけでなくゴルフも楽しめるのよ(ここを「クリック」してみて)。

    

翌日は、もう一度小布施を堪能した後は、車を走らせて小淵沢まで行き、昼食は、「長坂翁」でそばを食べたの。1時過ぎに着いたというのに、30人くらいが待っている状態だったのよ。お友達のうちの一人がそば好きだというので、待つことにしたの。私は、そば通ではないので、山菜そばか天ぷらそばにしたかったのだけど、こういう名店では庶民好みのメニューなんてないのね。大盛りさえもなくて、お腹が空いていた私には少しばかり不満が残ったわ。昼食を済ませた後は、時々休憩を取っただけで、一直線に帰路に着いたの。

ところで、この2泊3日間の旅では、私が一人で運転したの。私たち夫婦に加えて、伊豆高原でのお友達2家族を含めた3家族総勢6人だったので、8人乗りの大型のランクルで行ったの。今回はご高齢のみなさんばかり、ビップばかりを乗せていたので、運転中は神経を集中させている必要があるので、とても疲れたの。そのうえ、夜は夜でと言うか、就寝中も夢の中でまで、「意識」の構成というテーマが脳の中を駆け回って、そのことが余計に私の神経を疲れさせたのよね。普通はこれで終わりにするでしょ。

それはさておいて、今回の旅で気づいた素敵なことがあったの。伊豆高原に帰ってきたときは、桜は山桜も含めてとっくに終わりを告げていて、つつじやサツキが満開の状態になっていたのよ。ところが河口湖を過ぎるあたりから北上するにつれて、桜がどこでも真っ盛りの状態だったの。標高が上がるにつれて桜が満開になる時期がズレて遅くなっていて、満開の桜を追って北上するのを実感できて、季節の境目にはこうした行程で巡ってみるのも趣味深いものだなと感じたの。来年は、あなたも試してみたら、いかが。但し、強行軍にならない日程でね。

    

ところが、2泊3日の旅を終えて伊豆高原の我が家に帰ってきたその次の日から、またまた1泊2日の旅程で2回目の「脳を活性化するテーマ」が入っていたの。今度は、東京のお友達二人が河口湖まで電車でやってきて、河口湖で2人を私たちの車に乗せて、私たち夫婦と合わせて4人で、1泊2日の旅を楽しんだの。今度は、4人だったので、小型の乗用車にしたので、その分運転に気を遣わなくてよかったとはいえ、この強行軍では、年取った私の脳にはとても大きな負担となったという訳なのよね。この年になると、気持ちだけではもう無理なのよね。ちょっと泣き言が多いみたいだけど、実際には、とても楽しかったのよ。誤解しないでね。

河口湖には、イタリアンのカーザ・オサノというレストランがあって、いつも感動して、涙が出てくるので、お友達をよく誘って行くの(ここを「クリック」してみて)。今回もお昼をそこで楽しんでから、宿泊先の山中湖にあるエクシブの山中湖に行ったの。普段は本館のほうに泊まるのだけど、東京のお友達の関係で、今回はサンクチュアリー・ビラのほうに泊まることができたの(ここを「クリック」してみて)。本館のほうは満室状態だったけど、サンクチュアリー・ビラのほうは私たちの独占に近い状態だったの。内風呂の1枚ガラスの窓枠の中に富士山の正面がすっぽり入っていて、外の景色を楽しみながら、ゆっくりと温泉入浴を楽しめるようになっているのよ。夕食は「翠陽」で懐石中華を心行くまで楽しんだの。もちろん年代物の紹興酒も熱燗で楽しんだわ。そのあとは、館内のカラオケルームで私たち4人だけの独占状態で、歌いまくったの。そのうえ、夜遅くまで会話を楽しんだと言うか、楽しすぎて、時間が経つのも忘れて女3人で喋り捲ったの。私の夫のTadは、別室で一人でテレビを見て、早々と寝てしまったらしいけど。

    

翌朝は、やや遅めにチェック・アウトした後、「久保田一竹」美術館を訪ねたの。この美術館の感想を私が書くよりも、美術館の映像案内を見てもらったほうが説得力があるわね。(ここを「クリック」してみて。とても素晴らしいから)。美術館で久保田一竹の作品群を堪能したあとは、近くのホテルで満開の桜を眺めながら昼食を取った後、人形の美術館「与勇輝館」を訪ねたの(ここを「クリック」してみて)。人形の顔立ちや表情や仕草、身体の動きを感じさせる姿勢や形、そして色使い、世の中には才能がある人がいるのよね。女性群だけでなくTadもとても感動したのよ。最後は、滝が好きなお友達のために「白糸の滝」に立ち寄ってから(ここを「クリック」してみて)、新幹線の三島駅までお友達二人を送って行ったの。時間が遅かったので、伊豆長岡でお寿司屋さんに寄って夕食を済ませてから伊豆高原の我が家へと帰路に着いたの。それが、4月25日のことだったの。

ところがその翌日26日の午後になって、近くにある異空間「Jガーデン」(ここを「クリック」してみて)のオーナーの石井さんが、フジサンケイ・レディース・クラシックの観戦チケットを2枚くださったので、お友達のニックさんと27日の決勝戦を急遽見に行くことになったの(川奈ホテルGCについては、ここを「クリック」してみて)。それで、27日は、朝の8時30分から午後の3時過ぎの終了まで全部見て回ったものだから、歩き疲れた上に、厚着をしていたせいで逆に風邪をひいてしまったの。汗が冷えたせいよね。見て回ってる途中から、もう咳が始まっていたの。

    

5日間の旅で車を運転した心身の疲れの蓄積とその間就寝中も「意識」を構成する夢まで見る生活の上での神経の疲れとゴルフの観戦でコース内を歩き回った身体の疲労とに加えて風邪を引いたことによる疲れとが累積してしまい、そのあと3日間寝込んでしまったの。こんなことって、実は、私の人生で始めてのことなのよ。言い訳が長くなってしまいましたが、そういう訳で、今日に予定していた「新しいテーマ」でのブログの公開はお休みにさせていただきます。この程度の文章なら今の状態でも書けるのだけど、ブログの内容、特に「意識」について書くには、神経を高度に集中させないときちんと書けないので、今日はお休みすることにしたのです。しっかり静養して、身も心も生き返った状態にして、気を入れて書くつもりです。構成はもう私の脳の中で整理されて完了しているの。5月15日には、このブログで、「意識」についての私たちの考えをお目にかけることができると思います。お待ちください。   謝 謝 

  追伸        何事も 過ぎたるは 及ばざるがごとし    なのよね

    

注)本著作物(このブログB-09に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

エイジングライフ研究所のHPを「クリック」してください)

 脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません

  http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist

 http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a

 

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意識的な行為と脳の働き方(A-24)

2012-04-06 | 意識的な行為と脳の働き

これまでの報告で詳しく説明してきたように、いろいろな程度と態様の「症状」を評価の基準があいまいなままに並べてみたり、いろいろな程度と態様の「脳の萎縮」の度合いを計測するだけの方法では、「アルツハイマー型認知症」の原因を見つけることも、更には、回復可能な軽い段階(「小ボケ」や「中ボケ」)を見つけることも出来ないのです。

どんな程度と態様のものであれ、(「症状」は、脳の働き具合のアウトプット)なのだから、「脳の働き具合」と症状とをリンクさせて計測することが不可欠になるのです。そのためには、脳を解剖してみるのではなくて、働いてる脳の「働き具合」を計る物差しの開発が不可欠となります。「二段階方式」と呼ばれる「神経心理機能テスト」は、協働して働いている前頭葉と左脳及び右脳との働き具合を客観的に計測できる優れた手技なのです。

「二段階方式」により私たちが計測したデータの詳細な説明に入る前に、脳の機能について、ここで概観しておきたいと思います。頭のてっぺんの所には、身体を動かす指令を出す「運動の脳」があります。脳卒中で、半身麻痺になる人がいます。運動の脳の左の部分が壊れると、右半身麻痺が起きます。右の部分が壊れると、左半身麻痺が起きます。運動の脳の左の部分が右半身を動かしていて、右の部分が左半身を動かしているのです。

 脳の後ろの左側部分には、勉強や仕事などをする為の「左脳」があります。左脳は、言葉や計算や論理や場合分けなど「デジタルな情報」を処理しているのです。

 脳の後ろの右側部分には、趣味や遊びや人付きあいなどを楽しむ為の「右脳」があります。右脳は、色や形や空間や感情など「アナログな情報」を処理しているのです。

額のところには、脳全体の司令塔の「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)があります。私たちが意識的に何かのテーマを実行しようとするとき、どのようなテーマをどのように実行するか、「運動の脳」をどのような目的のためにどのように働かせるか」(体を動かすテーマ)、「左脳」をどのような目的のためにどのように働かせるか」(言葉や計算や論理や場合分けなどのテーマ)、「右脳」をどのような目的のためにどのように働かせるか」(色や形や空間認識や感情などのテーマ)、全ては司令塔の「前頭葉」が周りの状況を判断して決定し、指令を出しているのです。

その前頭葉には、発想したり、計画したり、工夫したり、推理やら洞察をしたりするための様々な働きが詰まっています。更には、自分の置かれている状況を判断し、種々ケースワークしたうえで、実行テーマの内容や実行の仕方を選別して、最終的に決定するために必要な「評価の物差し」という大事な働きがあります。

 老人会でゲートボールを楽しむ時も、お茶を飲みながら友達と趣味や遊びや家庭の問題など世間話に花を咲かせる時も、友達を家にお呼びして得意の手料理でもてなす時も、家の周りに樹木を植えたり草花を咲かせて楽しむ時も、脳全体の司令塔の前頭葉が、「周りの状況を判断して、テーマを企画して、何をどのようにするかをケースワークした上で決定し、必要な指令を出して、実行させている」のです。

これが、意識的な行為における脳の働き方の全体像なのです。言い換えれば、運動の脳、左脳、右脳という三頭建ての馬車をあやつる御者の役割をしているのが、「前頭葉」なのです。 三頭の馬を十分に働かせられるのも、不十分にしか働かせられないのも、前頭葉の働き次第ということなのです。御者が馬をあやつれなくなったら、どうなりますか? 馬はどこへ行ったらいいのか分からなくなってしまうでしょう。

 脳の働きが異常なレベルに衰えてきて、そのために社会生活や、家庭生活やセルフ・ケアにも支障が起きてくるのが、「アルツハイマー型認知症」という病気なのです。脳の司令塔の「前頭葉」がちゃんと働かなくなった時点で、ほんの少し前に食事をしたばかりなのに、そのことさえ思い出せないような「重度の記憶障害」が出てくるようになるはるか前の段階で、「アルツハイマー型認知症」はもう始まっているのです。

 「アルツハイマー型認知症」の原因を見つけるにも、小ボケや中ボケの軽い段階で見つけて治すにも、適切な介護をするにも、更には予防するにも、「脳の働きという物差し」が不可欠になるのです。

 注)本著作物(このブログA-24に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHP(ここをクリックしてください)

 

 

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