認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

臨時掲載

2015-08-27 | アルツハイマー型認知症の予防と脳の活性化

ダイヤランドでは、お知り合いになった方達がまだ数少ないので、伊豆高原や磐田時代のお友達をお呼びしてばかりで、若干接待疲れ気味だったの。

久しぶりに伊豆高原に帰ってきたこともあって、ほっとしたというか、やはり気持ちが落ち着いたの。生気を取り戻す為に、伊東市は伊豆高原の北隣、富戸(フト)にある ”J ガーデン”(ジェイ・ガーデン)に行ってみたの。今回この異空間を飾っていた季節の主役は、カヒリ・ジンジャー( Kahili Ginger)。

香りが良い上に、花の色とその姿に気品があるの。何年か前に、私がハワイ島から持ち帰って、庭に植えたのが根付いて、群生しているその根っ子を、去年何株か持って行ってあげたの。それが、今年、見事に花を咲かせていたという訳。

本来は、もっと大きな花をつけるものなのだけど、鉢に植えて株が大きくなるのを抑えているせいで、我が家の庭に咲いてるのと比べると、やや小ぶりかな。

    

    

    

    

    

    

    

    

    

ところで、以前このブログで、”J ガーデン”(ジェイ・ガーデン)のことを紹介したのだけど、行ってくれたのかしら?!実は、入場は無料なのだけど、(オープン・ガーデンと言うわけではないので)入場料代わりと言うか、ケーキと飲み物(コーヒーか紅茶)付きで1000円必要なの。ご主人も奥様も息子さんまでもが口下手と言うか、商売っ気が無い人達なので、訪ねて見えた方達に、そのことが言えないらしいの。行ったときは、必ず、注文してあげてね。あれだけの異空間を楽しめて、選曲が流石と言うか素敵な音楽も楽しめて、ケーキとお飲物までついて、清々しい「おもてなし」もあって、それで1000円ポッキリなんだから。

 ご主人は、日本でも有数のアイアン作家なの。ダイヤランドにある脳活性化研究所の玄関先に留まって居て、富士山に向かって羽ばたこうとしているあの鳳凰は、この方に造っていただいたものなの。シダについては、本をかける程の大家。下のハウスで販売もしているから観てあげてね。日本の古代史にも一家言ある方だから、話を聞くのも楽しいかも。

    

    

    

    

    

    

 

 不思議なことにと言うか、面白いことに、伊豆高原に帰って来た途端、あのダイヤランドのことが懐かしく思えてくるのよね?!

    

    

    

    

    

    

     

 

つい最近のことなのだけど、友人の小林由香さんから、「あなたの言葉遣いって、時々変なことがあるわよ」って、指摘されたの。ブログを書いてると、問題を提起するだけでなくて厳しく指弾することもあるので(私って、女性だったのか、男性だったのか、分からなくなってくることがあるのよね)。ブログが「kinukototadao」となってるせいで、だんだん混血(混性?)していってるのかもね。 

         長生きすることだけが目的とならないよう、

       自分らしく「第二の人生」を生きよう、

          たった一度の人生なのだから。

                                                                                                サイ・チェン!     



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2015-08-23 | アルツハイマー型認知症の予防と脳の活性化

久しぶりに天気が良くて、今日一日は、各部屋に風を入れてあげるのです。傾斜面に立っている関係で、どうしても湿り気が滞りがちなのです。からっとした部屋の空気にしておきたいのです。

各部屋の窓を開けて風通しを良くする準備をしていたら、百日紅の木に花が増えてきたのに気付いたのです。百日紅の木は、私にとっては、特別な想い出がある木なのです。

      

     

     

     

     

     

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2015-08-20 | 楽しくて意欲が湧いてくる生活と脳の活性化

 待ちに待っていたの。階段わきの3本の百日紅の花が咲きだしたの。

一本は、ピンクの色で、他の二本は白色なの。未だ、咲き出し始めたばかりなのだけど、うれしくて、写真に撮ったの。私には大切な、夏の風物詩なのです。

   

   

   

 

今は夕方の7時前。朝方の富士山も幻想的できれいだけど、夕方の富士山も

心打たれるものがあるのよね。今日は、曇り空のせいで、輪郭が薄ぼんやりとしてるけど、流石というか、これもまた風情があるのね。

   

   

   

   

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アルツハイマー型認知症の予防と脳が活性化する「生活習慣」の構築(B-43)

2015-08-15 | 脳を活性化させる「テーマ」を探して

    死ぬ前に せめて生きたや 自分らしく

   今こそその時 第二の人生 By kinukototadao

    

 

お酒は飲まないけど私は朝風呂が好き。ダイヤランドのこのお風呂からは、富士山が真正面に見える設計になっているのです。今朝は、久方ぶりにその富士山の雄姿が拝めているのです。澄んだ空の色をバックにして、朝方に特有の色である薄墨に藍を混ぜたような色をした富士山に、駿河湾からの雲海がかかってきて、まるで水墨画の世界なの。大好きなMariah CareyのAlways be my baby をBGMに聴き乍ら、至福の時間を満喫しているのです。サー、今日も頑張るぞ。意欲が沸々と湧き起こってくるのです。

 〇 脳(前頭葉)が活性化する「生活習慣」

第二の人生では、自分なりの「テーマ」を見つけて、自分なりの「目標」を掲げて、自分なりの「やり方」で、且つそれを自分自身が「楽しみながら実行する」という生き方、日々の脳の使い方としてのポジティブな「生活習慣」が極めて大事なものとなります。この自分なりにルーティン化された脳の使い方としての生活習慣、テーマに沿った目標を実行する過程及びその達成結果が、「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)の三本柱の機能である意欲や注意の集中力や注意の分配力の機能の出番を多くさせ、且つその働き具合を大きくさせる、そうした日々の生活の積み重ね、継続が、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する条件となる「前頭葉」の働きを正常な機能レベルのままに維持させていく上で、「必要不可欠」であり、且つ「唯一無二」の方法となるのです(ここを「クリック」してください)。

自分なりの「テーマ」を見つけるその際に、仕事とは縁がなくなっている第二の人生では、趣味や遊び、人付き合いや運動、あるいは社会活動などがテーマの対象となります。どれか一つに的を絞って深く追及するのも一つのやり方ですが、いくつかの分野にまたがる小さなテーマを追及するのも有効なやり方です。目標を設定し、それを達成していくための過程自体を楽しみ、目標の達成による喜びや生きがいを覚えることが、脳の活性化、取り分け脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」を活性化させる上で極めて有効であり、且つ重要だからです(ここを「クリック」してください)。

ところで、自分なりに設定したテーマを遂行するには、意欲が必要となります、注意の集中力も必要です、更には注意の分配力も必要です。私たちが「前頭葉」の三本柱と呼ぶこれらの機能には、加齢とともに機能が衰えていくという性正常老化の性質」が内包されているので、脳全体を日々しっかりと使ってやることが必要不可欠なのです。使われる機会が少ないと、あるいは使われる機会が極端に少ないと、脳の機能は衰えていき、あるいは機能退化していくことになるからです。これこそが、世界中の認知症の専門家たちから発病の原因がわからないとされている「アルツハイマー型認知症」の発病の原因である廃用性の機能低下」という問題なのです。「第二の人生」を送っているお年寄り達、60際を超える年齢の「高齢者」が、これといった「テーマ」もなく、日々がナイナイ尽くしの「単調な生活」生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない日々を暮していたのでは、「前頭葉」を含む脳全体の異常で加速度的な機能低下が進行していき、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです。

   

数ある認知症のうちの殆ど、90%以上の割合を占めている「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であり、「前頭葉」の機能が使われる機会が極端に少ない生活、これを標語的に表現すると、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々継続される中で、廃用性の機能低下が原因で異常なレベルに低下した「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの直接のアウトプットそれ自体が「アルツハイマー型認知症」の症状、私たちが三段階に区分する「段階的な症状」となって発現するものなのです。たとえそれらが、社会的に権威があるとされる人達や組織が声高に主張しているものであろうとも、アミロイドベータの蓄積の量とかタウ蛋白の蓄積の量とか脳の萎縮の度合いとかに相応して、認知症の段階的な症状が発現してくる訳のものではないのです。

夜は早くに寝たのに朝は遅くまで床に伏せったままで居て、朝食を済ませた次は新聞をめくるだけ、昼ご飯の後は昼寝して、夕方になったらお待ちかねの水戸黄門と言う風な日々を過ごしていたのでは、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々繰り返すだけの日々を過ごしていたのでは、DHA&EPAをたくさん含んだ青魚をどれだけ食しようと、簡単な足し算や引き算にどれだけ精を出そうと、仮名で書かれた簡単なおとぎ話を朝晩音読しようと、或はどんな薬をどれだけ飲もうと(貼ろうと)、「前頭葉」を含む脳の機能が活性化したり、その機能レベルが改善されたりすることは無いのです。

     

思考や行為や言動や行動など私たちが意識的に何かを実行しようとする世界、私たちの意識的な世界を支配しコントロールしているのは、「前頭葉」と言う脳の機能なのです。「前頭葉」は、左脳、右脳及び運動の脳と協働し、それらを手足として使いながら、私たちの意識的な世界を支配しコントロールしている、脳全体の司令塔、これを分かり易く言えば、三頭立ての馬車の御者の役割を担っているのです。従って、(脳の活性化とは「前頭葉」の活性化のこと)であり、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能(「前頭葉」の三本柱の機能)が「前頭葉」の各種個別機能の発揮度を下支えしている(二重構造」のメカニズム)という視点から言うと、「前頭葉」の三本柱の機能の出番が多い「テーマ」の実行こそが、脳を活性化させることになるのです。脳が活性化するテーマとは、そのテーマを継続して実行することにより、更なる意欲が湧いてきて、注意の集中力が更に高まってきて、注意の分配力の機能が更に活発に働くようになる(頭の回転が速くなる)、そうした結果をもたらすものをいうのです。

 60歳を超える年齢の「高齢者」の皆さんは誰でも、既に脳の機能の「正常老化」が相当程度に進行してきているのです。それまで楽しんでいた趣味や遊びも止めて、楽しんでいた友人たちとの交遊も止めて、散歩やウオーキングも止めて、家に籠って、朝から晩まで、来る日も来る日も、ひたすら、「簡単な足し算や引き算に精を出し、仮名で書かれた簡単なおとぎ話の音読を繰り返す」という日々を過ごしてみてください。そうした日々の繰り返しでは、脳が活性化するどころか、意欲も、注意の集中力も、注意の分配力の機能も衰えて行ってしまうことになるのです。

 主張している学者も企業も、そもそも「脳が活性化される」ということが何を意味しているのかを知らない、もっと厳しく指摘すれば「前頭葉」と言う脳機能についての知識が無いというか、余りにも乏しいがゆえの方法論の提起と言うか、主張でしかないのです。それらの主張は、そもそも因果関係の確認自体が甘すぎるのです。「Aと言う原因(条件)が無ければ、Bと言う結果は存在しない」ことを証明できた時初めて、Aが原因でBと言う結果が発生していると言えるのです。A以外の様々な条件、要因がBと言う結果を起こさせている場合には、Aが原因でBと言う結果が発生しているとは言えないのです。A以外の様々な要因が存在することにも気づかないで、AをBの原因だと主張しているだけなのです。

    

〇 「脳活性化研究所」の立ち上げとその活動の開始

私には、「アルツハイマー型認知症」についての正しい知識を世の中に広めていき、且つ「二段階方式」を活用した「地域予防活動」を市町村に普及させ展開を拡大していくという大きな「テーマ」があります。かつて、「身体の健康」という「テーマ」の達成を主導し実現させたのは、保健師さん達でした。世界に先駆けて超高齢化社会を実現させた今後は「脳の健康」という「テーマ」の達成を主導していただきたいのです。一定規模での売り上げと収益とを必要とする医師や医療機関は、脳の使い方としての「生活習慣」の改善の指導による発病自体の予防を目的とする「地域予防活動」や神経心理機能テストの活用による本当の意味での早期の段階の判定と脳のリハビリの指導による「回復」(「アルツハイマー型認知症」の発病に対する唯一の治療法)は、一定規模での売り上げと収益の獲得が得られないがために、無関心であり、彼等の「テーマ」にはなり得ないのです。なかでも、早期診断による「回復」というテーマは、先駆的な考えを有し社会的な使命に目覚めた「調剤薬局」や「コンビニ」が主導する時代が来ることになるのかもしれないと私たちは期待しているのですが。

「アルツハイマー型認知症」についての理論の整理と体系化並びに「二段階方式」の手技のマニュアル化については、一応の成果を確認できるところまで来ているので、今年の一番の目標は、実体験に基づく脳を活性化させる「生活習慣」についての標準化と言う目標の達成です。その為に、南箱根の地のダイヤランドと言うこの別荘地に「脳活性化研究所」を立ち上げたのです。そうは言っても、Tadは古希を過ぎること早や1年、この私も古希を目前の年齢なので、それなりに正常老化は進んできているのです。いくら世の為人の為と言い聞かせ、お題目を唱えてはみても、肝心の意欲が容易には湧き起こってきてくれないのです。そこで、自分の楽しみたいテーマの実行を先行させておいて、その余勢をかって、本来の「テーマ」を実行するという私なりの工夫をしているのです。

私は一年を大きく前半と後半とに分けます。その上で、春夏秋冬の四季に分けます。更に、月単位、週単位に区分します。一日単位と言う区分の仕方は短かすぎるので、週が「最小の単位」になります。それぞれの単位期間ごとにEvent(自分にとっての楽しい「テーマ」)の実行を計画するのが私流なのです。皆さんも、何か自分なりのこうした基準を手に入れると、日々の過ごし方、ひいては、第二の人生の過ごし方がより良い方向に変わってくると思うのです。

    

 & アルツハイマー型認知症の正体

〇 脳の使い方としての「生活習慣」が発病の主因

世界中の認知症の専門家とされる人達から(根拠は良く分からないのですが、認知症の権威とか認知症の専門家としてテレビに登場し、その発言内容を聞いていて腹立たしくなる程「アルツハイマー型認知症」についての知識が乏しい人達を含む)、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、発病の原因が分からないし(メカニズムが分からない)、発病を予防することも出来ないし(予防する方法が分からない)、治すことも出来ない(治す方法が分からない)とされているのです。そうした権威者とされる人達(自称している人達を含む)の主張に対し、そうした主張は「前頭葉」機能についての無知や誤解に基づくものであり「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であって、発病を予防することも出来るし、早期の段階で見つければ治すことも出来るタイプの認知症であると私たちだけが主張し、理論を展開し、根拠となる「脳機能データ」を公開し、市町村の保健師さんによる「地域予防活動」の実践を指導してきているのです。

 〇「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズム

何かをキッカケとして(きわめて多くの人たちを巻き込み、且つ、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に陥るキッカケとなった典型的な事例が、東日本大震災の被災)意欲が大きく減退し、減衰することが、私たちが「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」として規定している「生活習慣」生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に落ち込んでいく引き金になるからです。

「アルツハイマー型認知症」発病の「第一の要件」は、第二の人生を送っている年齢の皆さん全てに当てはまること、60歳を超える年齢の「高齢者」であることなのです。第一の要件と第二の要件とが充足されること、重なり合うことにより(その「相乗効果」により)、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちの「意識的な世界」を支配し、コントロールしている「前頭葉」という脳機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を起こしていくことになるのです頭葉の機能レベルが正常な閾値を超えて異常な閾値内に入ってきたその時から、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階の症状(私たちの区分で言う「軽度認知症」小ボケの段階の症状)が発現してくることになるのです。「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルのアウトプットそれ自体が、認知症の症状として発現してくるのが特徴なのです。

   

 & 意識的な世界における思考や行為や行動の選択基準

〇 「前頭葉」に備わる「評価の物差し」とその働き

今日も晴天。標高500Mの高さで、樹木が極めて多い好環境に恵まれているというのに、2Fにあるリビングの部屋の温度は、お昼前にはもう30度を示しています。小机の前の小窓を開けているので、駿河湾を横切ってきた風がそれなりに涼しく感じられるとはいえ、30度というのはやはり暑いのです。Tadはというと、もっと可哀想なのです。山中にある函南のこの家とは違って、海岸がすぐ近くにあるとはいえ、伊豆高原の家は、標高が25Mしかないからです。然も、海からの風が湿気を帯びていて生暖かいのです。その暑さの最中に、9月に実施する「二段階方式」の実務研修会用のテキストと資料の編集に余念がないのです。私は、明日の午後、伊豆高原の家に帰って、Tadのお手伝いをと考えているのです。

    

 さて今日の私はというと、特別の用事はないのです。これからの自由な時間をどうしたものか、私の「前頭葉」に問いかけるのです。私の「前頭葉」には、私が置かれていた幼少期の生活環境(幼少期といっても3歳まで、4歳になる前までのことなのですが)の下で、無自覚、無批判、且つ無抵抗に、私の「前頭葉」の各種個別の機能を構成している各種のニューロン群がひたすら吸収することで獲得した「評価の物差し」並びにその後の体験に基づいて「原評価の物差し」の基盤の上に築かれた「評価の物差し」という私たち人間だけに特有な機能があります。

私の「前頭葉」を構成している中核の機能である「現評価の物差し」は、私が現在置かれている環境及び状況を考察し、判断しつつ、当該状況下で行うべき「テーマ」を発想し、「テーマ」に沿った「内容」を企画及び計画し、「前頭葉」の考察や洞察や推理する機能を駆使する為の判定基準の役割を担うことにより、様々な条件と状況の設定に基づいた、ケース・シミュレーションによる計画した内容の実行結果を予測した上で、最終的な実行内容の「選択」に基づくその実行の「決断」を行う基盤となっているのです。

私が今日、私が置かれている状況下で最終的に実行すべきものとして私の「現評価の物差し」が選択したものが 、どのような内容のものであり、その実行結果がどのようであったかは、「国家の機密」に属することなので、ここでその概要さえも明かすことはできません。

いづれにしろ、ここで皆さんに指摘しておきたいのは、私たちの「意識的な世界」で「テーマ」の選択や実行内容の「計画」や実行の仕方や程度態様の在り方の工夫、ケース・シミュレーション及び各ケース・シミュレーションの結果の評価、実行内容及びその程度や態様の最終的な選択」の為の判断の基準となる「評価の物差し」は、後天的に獲得されたものであるということなのです。特に、18歳までの我が身の「人生体験」の過程を通して揺るぎのない評価基準として確立されていくことになるのです。これを言い換えると、自我の確立ということになるのです。「前頭葉」の主要な構成機能であり、様々な思考や行為や行動や言動を選択する基準である「評価の物差し」は、自分のアイデンティティーを構成し、自分が他人とは違う存在であることを主張する根源となるものなのです。

    

〇 「評価の物差し」に刻み込まれたあなた独自の価値観

 あなたの「前頭葉」に備わる「評価の物差し」は、あなたに特有なものなのです。同じ環境下と条件下に置かれようとも、あなたが、発想する「テーマ」もテーマに沿った実行の「内容」も実行の仕方も、更には、実行結果の評価も、その全てがあなたに特有なものでしか在りえないのです。「前頭葉」の評価の物差しには、あなたの人生が凝縮されているからです。辛かったことも楽しかったことも悲しかったことも、喜びも哀しみも 、あなたのすべての体験が、あなただけの体験がそこに凝縮されているからなのです。あなたが何かを意識的に選択しようとするとき、その選択は、あなたにしかできないことなのです。私は私、他人は他人なのです。それが、私たち人間の意識的な世界を支配し、コントロールしている「前頭葉」という脳機能の特徴なのです。この極めて高度な脳機能は人間にしか備わっていないのです。チンパンジーにさえも備わっていないのです。ましてや、マウスなんかに(アルツハイマー・マウスを含む)備わっているはずもないのです(ここを「クリック」してください)。

〇日本人に共通の「ものの見方、考え方、価値観」

それ以前の何千年間、更には、国という形をとって以来2000年ものこの方、我が国は異民族に征服されることは一度もなかったのです。古代からあったのは、大量の難民による植民移住なのです。「帰化」などという形態などあったはずもないのです。

韓半島からの大量の移住難民による植民、次いで多いのが中国大陸からの移住難民による植民、更には、東南アジア諸国からの移住者、それらが混じり合って、この民族を形成してきたのです。そして、それなりに異なる特徴を有しつつも全体的にはほぼ同じ外観を、同じような容貌と同じような容姿とを形成してきたのです。そして、戦後の経済復興の下で、生活レベルにおいても教育レベルにおいてもほぼ同じレベルを達成するという快挙を成し遂げてきたのです。「一億みな中流」という標語が社会を席巻したこともそれほど遠い昔のことではないのです。

 その結果、私たち日本人は、世界的に極めてまれな価値観を獲得し、その価値観から逃れられない民族となっていったのです。一つの価値観は、「仕事が生き甲斐」という価値観であり、もう一つの価値観は、「周りに後れを取ってはならない」という価値観なのです。これこそが、最近我が国が体験した「リーマン・ショック」以前の社会を支えていた規範であり、現在、第二の人生を送っているお年寄り達に共通の評価の物差し、価値観なのです(ここを「クリック」してください)。

    

 〇 第二の人生での在るべき生き方と「評価の物差し」の使い方

私たちがこれまでに集積してきた「脳機能データ」によると、第二の人生での私たち日本人の生き方は、「アルツハイマー型認知症」の発病率の余りの高さという視点から言うと、根本的な見直しが必要となるといっても過言ではないのです。何故なら、「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないからです。第二の人生での生き方、脳の使い方としての生活習慣の在り方が、「アルツハイマー型認知症」を発病するかしないかを決める条件となるからなのです(ここを「クリック」してください)。

 〇「アルツハイマー型認知症」発病の「第一の要件」

発病の第一の要件は、「加齢」です。私たちの意識的な世界を支配しコントロールしている「前頭葉」という脳機能には、生活習慣の如何に拘わらず、加齢とともに働きが衰えていくという性質、私たちが「正常老化の性質」と名付けている「老化のカーブ」が内在しているのです。そのカーブは、加齢とともに緩やかに下降していくのですが、私たちが第二の人生をスタートする65歳という年齢になってくると、最盛期である20代初めの頃の半分くらいにまで衰えてきているのです。

私たちが意識的に何かを行おうとするときの脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」という脳機能の個別機能の中身はと言えば、状況の判断、「テーマ」の発想、実行内容の企画及び計画、実行内容のケース・シミュレーションを行う上で不可欠の機能である考察、洞察、推理更には、ケース・シミュレーションの見通し結果に伴う修正、或いは、実行する際での状況変化に伴う抑制等です。

その「前頭葉」の個別機能の発揮度は、実は、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付ける、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能に下支えられているという構造、三本柱の機能の発揮度が高いと「前頭葉」の個別機能の発揮度も高いものとなり、三本柱の機能の発揮度が低いと「前頭葉」の個別機能の発揮度も低いものとなるという「二重構造」の関係にあるのです。その結果、自分なりの生き甲斐があり、趣味や遊びや運動などを楽しむ生活習慣があり、それなりの達成目標がある日々を過ごしていても、加齢によって、「前頭葉」の三本柱の機能の機能低下が進行していくにつれて、「前頭葉」の機能レベルも正常域の範囲内に在るとは言いつつ、次第に衰えていくことになるのです。

    

& 脳を活性化させる生活習慣を構築する上で障害となるもの

〇 自分なりのテーマを自分なりのやり方で実行し、自分なりに楽しむ

意識的な世界を支配しコントロールしていて脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の個別機能の発揮度を支配し支えている基礎的な機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉」の「三本柱」の機能をより高い機能レベルに維持できる「生活習慣(「脳の使い方」としての「生活習慣」)こそが、「前頭葉」の個別機能の発揮度をより高いレベルに維持させうるということなのです。「二段階方式」の活用により集積した14689例にも及ぶ脳機能データの解析により、私たちが世界で初めて発見したこの「二重構造」という脳機能発揮の構造に鑑みるとき、意欲が湧いてきて、注意の集中力が高まってきて、更には注意の分配力の働きが活発になるようなテーマを選定し、且つ自分なりのやり方を選定し、『周りと自分とをあまり見比べない』ような価値観というか生き方が、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防するうえで必要不可欠のものとなってくるのです。

自分の置かれている状況や環境を是認し、「自分は自分、他人は他人」という明確な価値意識を持ち、自分なりのテーマと達成目標を設定するのです。実は、「前頭葉」の個別機能のうちに困難な状況や環境や出来事や辛い結果に「耐える力」というものがあります。この「耐える力」も、実は、加齢と共に働きが衰えていくという性質を持っているのです。その結果、自分を周りと比較する「意識」が強すぎたり、高すぎる「目標」を設定したりする生き方の下では、同じ「達成結果」に対する自己の評価という視点から言うと、耐える力が劣えてきていることが「意欲」という機能を更に衰えさせてしまうことになるのです。何かをキッカケにして意欲が劣え、萎えてくることが、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に陥っていく引き金になるのです(ここを「クリック」してください)。

     

 

 〇 残り少ない「第二の人生」を、せめて、自分らしく生きよう

  周りを気にせず、自分らしさを前面に出す生き方をしよう。


  思い切りの悪いあなた、今日一日は、これまでの生き方でやり;

  明日からは、「3Y主義」に生まれ変わろう:

  やりたいことを(1Y)やりたい時に(2Y)やりたいように(3Y)やる

  たった一度の残り少ないあなたの人生なのだから

 

    

 

注) 本著作物(このブログ「B-43」に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   

   エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

     脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)

 

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臨時掲載

2015-08-13 | アルツハイマー型認知症に対する正しい知識

  これは、或る独立行政法人の活動に関わっている人からの質問に対して、最近回答したものなのです。

皆さんにも参考になればと思い、このブログに臨時掲載として掲載することにしました。以下は、その返事です(メール文)。



  参考のために、問題となっている「アルツハイマー型認知症」について、一言

 

  「アルツハイマー型認知症」については、米国精神医学会が定める診断基準である

  「DSM-4」と言う規定があり、これが世界最高の権威とされていて、日本人の医師や  

  研究者や学者は皆それを疑うことなく信望しています。


   その規定は、第一の要件として「記憶の障害」の症状の確認を、第二の要件として

  「失語、失認、又は失行」の症状の確認を要求しています。


  失語や失認や失行などの症状は、極めて重度の症状であって、私たちが「三段階」に区分する症状群、

   その中でも、末期の段階に区分される 「重度認知症」(大ボケ)の段階で更に後半にならないと発現して

  こないものなのです。

  これを客観的な脳の機能レベルとしての評価、脳の後半領域、左脳及び右脳の働き具合を判定するMMSと言うテストで言えば、

  30点満点のテストで一桁の得点しか取れないレベルの人達の症状なのです。この人たちの「前頭葉」はと言えば、もはやほとんど

  機能していないレベルにあるのです。そのため、自分が今いる場所がどこなのかも分からないし(自分が長年住んで居る自宅さえも、

  そこに居ても自宅だということが理解できないのです。家を出ると帰るべき我が家が分からないので、体が丈夫な人は、そのまま、

  徘徊につながってしまうのです)、今が昼なのか夜なのかの区別さえも出来なくなっているのです(そのため、夜中に、大声で、騒ぎまわる

  のです)。

  こうした症状は、覚えていないことが原因で起きてきているのではなくて、理解することが出来ない為に起きてきている

 (記憶障害が第一義的な要件なのではなくて前頭葉が正常に働いていないことが、第一義的な要件とされるべきなのです)、

 それがこの人たちの脳の働きの具合(脳の機能レベル)なのです。


  私のブログで、小ボケ、中ボケ、大ボケの「三段階に区分される症状」のところを

  読んでみてください。いかに末期の段階の症状であるかが分かるはずです。


  第一の要件はその程度の記載がなく、記憶障害の症状としか規定されていません。

  しかしながら、第一の要件と第二の要件は、判定時に同じ人に同時に確認されるべき 

  症状なので、「第二の要件」として規定されている症状が確認される人にその時確認  

  されるべき「記憶障害の症状」と言うことになります。

  その結果、第一の要件に規定されている記憶障害の症状も極めて重い症状の確認が

  要求されていることになるわけです。

  そのため、「先ほど食事を摂ったばかりなのにもうそのことさえも忘れている」よう

  な症状が、「第一の要件」を充足するものとして、専門家達からしばしば例示されて 

  いるのです。


   ここまで重い症状が確認されるようになると、もはや治すことは出来ないのです。

  もっと軽い段階、私たちの区分で言う「軽度認知症」」(小ボケ)及び「中等度認知症」(中ボケ)

  までの段階で見つければ、脳のリハビリ(脳の使い方としての生活習慣の改善)によって、

  治すことが出来るのです。

 『DSM-4』の規定が余りにも重い症状の確認を要求しているがために、『DSM-4』の規定に依拠して

 診断していたのでは、見つけても遅すぎる、治すことが出来ない段階でしか見つけることが出来ないだけなのです。

 

  前置きが長くなりましたが、「小ボケ」の段階の症状が確認される人達も「中ボケ」の段階の症状が確認される人達も、

 すでに、「アルツハイマー型認知症」を発病しているのです。この小ボケ及び中ボケの段階の人達を見つけて、正常な機能レベルに

 回復させる(アルツハイマー型認知症を発病している人たちを治してあげる)ことは、既に脳が健康でない人に極めて意義のある手を

 差し伸べることになるのです。個人も家族も自治体も国も救われることになるのです。


 小ボケと中ボケとを合わせた人数は、大ボケの人数の4倍にもなるのです。厚労省が発表している数字、400~ 500万人と言うのは、

 「大ボケ」の段階の症状が確認されていて、介護保険の適用対象となっている人達を基礎とした推定人数ということなのです。

 「DSMー4」が確認することを要求している症状が末期の段階の症状、余りにも重い症状の確認を要求しているがために、

 「小ボケ」や「中ボケ」の段階の症状が確認される人達は、「アルツハイマー型認知症」を発病していながら、その発病自体が

 見逃されてしまっているのです。この見逃されている人達こそが、本当の意味での「アルツハイマー型認知症」の初期の段階の人達

 なのです。脳のリハビリによって、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを正常な状態に回復させることが出来る人たちなのです。

 これらの人達を見逃したままにしていると症状の重症化が進行していき、回復させることが困難な「重度認知症」の段階に

 進んでしまうのです。権威はあっても、規定内容に重大な誤りがある「DSMー4」を盲信し、盲従していることにより、回復させることが

 可能な本当の意味での初期の段階の人達を見逃し、放置している状態こそが、不条理と言うべきではないのでしょうか。




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臨時掲載

2015-08-11 | アルツハイマー型認知症の予防と脳の活性化

夏季になると、駿河湾方向から次々とやってくる雲海が富士山にかかって、箱根方面に次々と去っていくようになります。そのせいで、くっきりとした姿の富士山を拝めなくなってしまうのです。それはそれで、見ていて心楽しいものなのですが。

   今朝は、珍しく雲がかかっていなくて、富士山がくっきりと姿を現しているのです。今は、朝方の6時。「早起きは、3文の得」とは、よく言ったものですね。朝寝坊している皆さんに、おすそわけです。ちなみに、以下の写真は全て、南箱根のダイヤランド別荘地にある脳活性化研究所のリビングから撮ったものです。部屋の温度は今、室内計が24度を表示しています。昼間下界が34度になってもここは、30度を超すことは無いのです。明日からは、伊豆高原のエイジングライフ研究所の方に移ります。海岸近くにあるとはいえ、果たしてどの程度の温度になるのかと、気温が少し気にかかります。

   

   

   

   

                                                   アディオス!

 

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アルツハイマー型認知症は、高齢者なら誰でも、発病の可能性があるのです(B-42)

2015-08-01 | アルツハイマー型認知症の予防が国民的課題

  座して脳の病死を待つのか 第二の人生

     発病するかしないか あなたの生き方脳の使い方次第  By kinukototadao  

        

&「アルツハイマー型認知症」の正体とその段階的症状

〇 高齢化率の増加に比例する「アルツハイマー型認知症」発病者数の増大と言う実態

 第二の人生を送っている人であれば男女を問わず誰でも、一番気にかかることと言えば、認知症(厳密には、「アルツハイマー型認知症」)になることでしょう。国全体での「高齢化率」が25%を超えるに至った超高齢化社会の真っ只中にある我が国では、何処に住んで居ても、「認知症」のお年寄りの姿に接する機会が多いからです。高齢化率が高い市町村や高齢化率が高い都会の地域では、そうした機会に接することが、「日常茶飯事」と言っても過言ではないでしょう。実は、「認知症」と一口に言っても、「認知症」と言う病気には、様々なタイプのものが数あるのです。

〇 「アルツハイマー型認知症」の発病原因に関する学説(全てが、「仮説」)

そうした様々なタイプのものが数ある認知症全体の90%以上を占めているのが「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症なのです。その「アルツハイマー型認知症」についてはこれまで、日本だけでなくて、世界的にも「発病の原因」が分からないし、発病を「予防」する方法が見つからないし、「治す」こともできないタイプの認知症だとされてきているのです。発病のメカニズム自体を解明できていないだけでなく、症状の外観からの観測によって「記憶の障害」が第一義的な要素となる症状だと誤解していること等が、辿るべき道を踏み間違えたそもそもの原因でもあるのです。

「アルツハイマー型認知症」を発病して、その症状が進行していき、失語や失認失行といった極めて重度の症状が確認されるに至った人達、すなわち「アルツハイマー型認知症」の末期の段階であり私たちの区分でいう「重度認知症」(大ボケ)の段階の人達、これを言い換えて「客観的な指標」で示すとMMSの得点が(このテストの満点は、30点)一桁にまで脳の機能が衰えてきた人達の死後の脳の「解剖所見」にみられる老人斑の沈着やら神経原繊維変化やら、或いは脳の委縮の進行などを唯一の観測的な根拠として、それぞれに、アミロイドベータ説、タウタンパク説及び脳の委縮説といった「仮説」が主張されていて、未だに我が国の医学会では幅を利かせているといった状況なのです。

ところが、この3つの学説、アミロイドベータ説、タウタンパク説及び脳の委縮説はともに、「アルツハイマー型認知症」発病との間の因果関係を未だに立証できていないだけでなくて(すなわち、3つの説はすべてが「仮説」の状態)、アミロイドベータの沈着、タウタンパクの蓄積、脳の委縮、それ自体についてのメカニズムさえ未だに解明できないでいるのです。私たちは、「アルツハイマー型認知症」を発病して、さらなる重症化が進行していき、末期の段階であり私たちの区分でいう「重度認知症」(大ボケ)の段階にまで症状が進行した人たち(私たちの主張の視点と理解から言えば、「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)を含む脳全体の機能レベルがそこまでに衰えていった人たち)に共通する症状重症化の副産物であり、それは発病の原因ではなくて発病の結果に過ぎないのではと考えるのです。

〇 権威だけは有るが、肝心の実力が無い

東日本大震災の被災地の60歳を超える年齢の「高齢者」たち全員の「前頭葉」を含む脳の機能レベルを、「二段階方式」のような精緻な神経心理機能テストで判定してみれば、それらの仮説が間違っていることが容易に理解されるにも拘わらず、肝心の「前頭葉」に焦点を当ててみようとしないばかりか、そもそも「前頭葉」と言う脳機能を構造的に持たないマウス(アルツハイマー・マウスを含む)の行動とやらを追いかけ続けているのです。

〇 「誤った考え方」が我が国の隅々にまで浸透している現状

私たちが活動を開始した20年も前から主張されているのにもかかわらず、主張している原因(夫々の仮説)と「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の発病との間の「因果関係」を未だに立証できていないのです。但し、主張している機関(特に、有名大学の医学部や有名な独立行政法人)に権威があるがために、「アルツハイマー型認知症は、発病の原因が分からないし、治すことが出来ないタイプの認知症である」との考え方が、我が国全体に(離島の隅々に至るまで)幅広く流布し、浸透してしまっているのです。「アルツハイマー型認知症」の研究や医療行為(診察と投薬)に関わる大学の医学部も、独立行政法人も、医療機関も、学者も、医師も、その結果一般住民もそれが誤った内容であるとは考えもしないで、「アルツハイマー型認知症」は原因不明で治らない病気だと信じ込んでいるのです。発病の予防ができる病気等とは、想像することさえできないでいるのです。

      

〇 「前頭葉」を含む脳全体の働き方の具合(「脳の機能レベル」)にリンクした症状

私たちはこれまで、生きた人間の脳の「前頭葉」を含む脳全体の働き方の具合(「脳の機能レベル」)と「脳の機能レベル」に厳密に対応した「症状」(正常な状態での病的ではない症状から異常な状態での病的な症状まで)並びにテストの実施前6年間の「生活歴」(脳の使い方としての「生活習慣」)を、私たちが開発した「二段階方式」と呼称する神経心理機能テストの活用により、精緻に計測し、客観的な指標の下に評価し、判定し、認知症としての症状を「三段階に区分」してきました(ここを「クリック」してください)。その精緻な症例数は、14689例にも上るのです。

〇 「アルツハイマー型認知症」の正体

   「アルツハイマー型認知症」というタイプのこの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であり(食生活というようなものではなくて、脳の使い方という意味での「生活習慣」が直接の原因となって発病を惹き起こす病気だと考えているのです)、発病自体を「予防する」こともできるし、「早期の段階」で見つければ「脳のリハビリ」によって「治す」こともできるというのが、「脳機能データ」の解析と440を超える市町村で実践してきた「地域予防活動」の成果に基づく、私たちの結論であり、主張なのです(ここを「クリック」してください)。

  加えて、東日本大震災の被災地の60歳を超える年齢の「高齢者」達の間で起きてきていて潜に(それとは気づかれないで)進行している状況、認知症の専門家とされる人達が、末期の段階の中でも更に重度の症状しか見つけることができない規定内容となっている「DSM-4」(「アルツハイマー型認知症」と診断するための、米国精神医学会の診断規定)の規定に無批判に依拠して診断しているそのせいで、「不活発病」とかの名前を冠されるだけで、或は、単なる「老化現象」だと誤解されたままで、放置されている状況、明確に指摘すると、潜に進行している「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症の発病者数の継続的な増加及びその症状の重症化の進行(発病の最初の段階である「軽度認知症」の段階から次の段階である「中等度認知症」の段階への進行並びに速い人の場合では末期の段階である「重度認知症」の段階への進行)という社会的に極めて重大で、且つセンセーショナルな問題状況があるということについて、警鐘を鳴らし続けているのです(ここを「クリック」してください)。  

     

私たちの区分で言う、「軽度認知症」(小ボケ)は「不活発病」とかのレッテルが張られるだけで放置され、或いは、「中等度認知症」(中ボケ)は「老化現象」と誤診されているのです。どちらも「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを「二段階方式」のような精緻な神経心理機能テストで計測し、判定してみれば容易に分かることなのに、CTやらMRIやらPETやらと言った機器を総動員して、肝心な「脳の機能レベル」を図らないで、判定には何の役にも立たない「脳の形や萎縮の度合い」を計測しているだけなのです。これでは、何時まで経っても、「記憶の障害」が「アルツハイマー型認知症」の第一義的な症状だとする誤解」から抜け出すことは出来ないのです(ここを「クリック」してください)。

 

    

〇 東日本大震災の被災地の60歳を超える年齢の「高齢者」達に起きてきていること

2011年3月の被災から起算して、4年以上の歳月が経過している現在では、日々、発病したばかりの人達(「軽度認知症」の段階の人達)が出てきていて、「中等度認知症」の段階に移行してきている人達が大勢いて、(症状の進行具合が速い人達の場合は)末期の段階である「重度認知症」の段階の人達がそろそろ出てきているはずなのです。認知症の専門家とされる人達は上述した「DSMー4」の規定を金科玉条として信望していて、且つその既定に依拠して診断するので、「軽度認知症」(小ボケ)の段階にある人達や「中等度認知症」(中ボケ)の段階にある人達のことを知らないで見過ごしていて、「アルツハイマー型認知症」の末期の段階の人達、私たちの区分でいう「重度認知症」(大ボケ)の段階の症状が確認されるようになって初めて、認知症の専門家とされる人達が騒ぎ出すことになるということなのです。その時期は、目前に迫ってきているのです(ここを「クリック」してください)。

日本全国の他のどの地域のケースと比較しても異次元といえる程の、そのあまりの人数の多さに驚くことになるのです(ここを「クリック」してください)。ところが、この段階、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の症状が発現してきている「アルツハイマー型認知症」の人達を見つけていたのでは、手遅れなのです(もはや治すことはできないのです)。もっと前の段階、本当の意味での早期の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階及び「中等度認知症」(中ボケ)の段階で見つければ、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の改善)によって治すことができるのです。認知症の専門家とされる人達は、重い症状のことしか関心がなくて(知らなくて)、こうした軽い段階(回復させることが可能な、本当の意味での「早期の段階」)があることを知らない為に見逃してしまっているだけなのです。そうした診断基準の適用による重大な過ちの結果、「発病を予防することも出来るし、早期の段階で見つければ治すことも出来る」病気、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」でしかない「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症を、「発病の原因もわからないし、予防することも治すことも出来ない病気」、モンスターにしてしまっているのです。

     

〇 家族介護ではなくて、発病自体の「予防」と早期発見による「回復」こそを国民的な課題とすべき

 「アルツハイマー型認知症」は認知症全体の90%以上を占めているので、その発病自体を「予防」し、或いは、早期の段階で見つけて「治す」ことができれば、既に年間何十兆円という天文学的な規模にまで膨れ上がっている「アルツハイマー型認知症」がらみの医療費(介護費用を含む)を大幅に削減することができるのです。本人も、家族も、自治体も、国も救われることになるのです。困るのは、医師と医療機関と効きもしない薬を販売している製薬会社だけなのです(ここを「クリック」してください)。 

どんな種類の病気であれ、先ずは「発病の予防」が最優先の課題であり、次いで、早期の段階で見つけて「治す」ことが課題であることに、皆さんは、何の異存もないと思うのです。ところが医療の現場では、「予防は愚か、治すことにも関心が無くて」、治すことが出来ない(「前頭葉」を含む脳全体の機能を正常なレベルに回復させることが期待できなくなってしまう)末期の段階である「重度認知症」の段階で見つけているだけなのです。然も、「アルツハイマー型認知症」の症状が、「三つの段階」(脳のリハビリにより回復させることが容易な「軽度認知症」の段階、脳のリハビリにより回復させることが未だ可能な「中等度認知症」の段階及び回復させることが困難な「重度認知症」の段階)に区分されることも知らないで居る(気づいていない)のです。

 その結果、回復させることが困難な末期の段階で見つけていて、医療機関としての社会的任を放棄していることに何らの罪の意識も感じていないのです。司令塔の役割を担う「前頭葉」を含む脳全体の働き具合(脳の機能レベル)には無関心で、脳の形を計測し判定するだけの意味しかないCTやMRIやPET等の高価な機器を使用して、高額な診療報酬が得られることで満足しているだけなのです。肝心の回復させることが可能か否かという視点をまったく持たず、中核症状だとか周辺症状だとかの意味もない区分をして満足しているのです。

   

〇 アルツハイマー病とアルツハイマー型認知症とは発病のメカニズムも性質も全く異なるもの

「 第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」の皆さん。未だ発病のリスク自体についての知識も懸念さえも無い現状では、他人事のようであっても、やがては、わが身自体に降りかかってくるのが、このブログで取り上げ、様々な視点から皆さんに問題提起してきている「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症なのです。但し、ここで注意していただきたいのは、一部の学者やマスコミが混同しているような、「アルツハイマー型認知症」と「アルツハイマー病」とを混同することがあってはならないということなのです。両者は、発病のメカニズム自体が全く異なるうえに、発病後の症状の進行の度合いと速さとが全く異次元であるし、予防の可能性という面でも或いは治せる可能性という面でも全く異なるものであり、且つ発病の対象年齢も全く異なるし、発病数自体も全く異なるものだからです。 

「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々継続される「生活習慣」(脳の使い方としての「生活習慣」のことを言います。食生活とは無関係なのです)の下で、廃用性の加速度的で異常な脳機能低下が進行していくことにより、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルのアウトプットそれ自体が認知症の症状(三段階に区分される段階的な症状)となるのであり、それ故にこそ、発病する対象は60歳を超える年齢の「高齢者」が対象となり(50歳代の年齢の人で「アルツハイマー型認知症」を発病する人は、皆無とは言わないまでも、極めてまれなのです)、発病後の症状の進行は極めて緩やかにしか進行していかないのです(誤解から、発病のメカニズムが同一視されることがある「アルツハイマー病」は、特定の遺伝子に生まれつき異常がある人のみが対象となり、且つ30歳代から50歳代までの若い人のみが対象となって発病し、発病後の症状の進行も極めて急激なのが特徴なのです。

 両者を混同している人たちは、両者の発病のメカニズムが全く異なるものであることを知らないのです)。「アルツハイマー病」は、発病の対象となる年齢が30代から50代までの若い年齢を対象とし、且つ、生まれつき特定の「遺伝子」に異常がある者しか発病しないし、発病後の症状の進行が極めて急激であるし、現代の医学技術では、発病の予防も治すことも、全く不可能なタイプの認知症だからなのです。但し、「アルツハイマー病」が認知症全体に占める割合は、幸いなことに1%程度にすぎないのです。

「アルツハイマー病」を発病した人達の死後の「脳の解剖所見」と「アルツハイマー型認知症」を発病して重度認知症の後半になって発現してくるような症状(「DSM-4」が第二の要件として規定している失語や失認失行等の症状)が確認されるまでに症状の重症化が進行していた人達の死後の「脳の解剖所見」とが似ているというだけの理由で並びに(「アルツハイマー型認知症」の第一義的な症状が「記憶の障害」の症状であるとの誤解に基づいた)重度の「記憶障害」の症状の発現の確認をその根拠として、この人達は、両者をまとめて「アルツハイマー病」と呼んでいるのです。誤解も甚だしいだけでなくて、その誤解による社会的な悪影響を考えるべきなのです。あー、嘆かわしや。

 

 

     

 & 「アルツハイマー型認知症」は、日々の「脳の使い方」が発病並びに進行の度合いを左右するのです

〇 「前頭葉」の機能に内在する「正常老化の性質」

私たちが「意識的」に何かを実行しようとするとき、自分が置かれている「状況の判断」も、状況の判断に沿ったテーマの「発想」や「選択」も、発想したテーマを実行する内容の「計画」や実行の仕方も、内容通りに実行した場合の結果の「洞察」や「推理」(ケース・シミュレーション)も、ケース・シミュレーションに基づく実行内容及び実行の仕方の「修正」も、最終的に行われる実行の「決定」も、脳全体の司令塔の役割を担っていて私たち人間だけに備わっている「前頭葉」と言う脳機能の働きによるのです。そうした「前頭葉」の機能には、それなりに生き甲斐や、目標があり、趣味や遊びや人付き合いを楽しむ生活習慣の下で日々の生活を継続している状況下であっても、働き方が加齢とともに緩やかながらも衰えていくという性質があるのです(この性質のことを私たちは、「正常老化の性質」と名付けています)。

「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、この「正常老化」が進んできた年齢のお年寄り、60歳を超える年齢の「高齢者」を対象として(発病の「第一の要件」)、且つ、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々継続される「生活習慣」の下で日々を暮らしているだけのお年寄り(発病の「第二の要件」)のみを対象として、「前頭葉」の働きが廃用性の異常な機能低下を起こしてくることにより発症してくるのです。

脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちが意識的に何かをしようとする際になくてはならない働きをしている「前頭葉」を含む脳全体の機能が、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」の継続、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の下で、使われる機会が極端に減ったことに起因した加速度的で異常な廃用性の機能低下の進行により【情報を伝達する神経細胞が、器質的な病態を発現してくること又は廃用性の萎縮を起こすことにより、「記憶機能」が低下することが発病の原因なのではなくて、1つの要因としては加齢による機能の劣化がもう1つの要因としては使われる機会が極端に少ない生活習慣の下で神経細胞の再生が弱まってしまい、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能からなる「前頭葉」の三本柱の機能を中心として、各種の認知機能自体が廃用性の機能低下を起こしてくることの2つの要因が同時に充足される相乗効果により、「前頭葉」を含む脳全体の加速度的で異常な機能の衰えが進むことが発病の原因であると私たちは考えているのです】、60歳を超える年齢の「高齢者」のみを対象として発病するのが、老年性のアルツハイマー型認知症」なのです。

そもそも、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能(私たちは、これを「前頭葉」の三本柱の機能と名付けています)には、上述したように、加齢とともに機能が衰えていくという生来的な性質が内包されているのです(ここを「クリック」してください)。その上、「前頭葉」の三本柱の機能が、上記に列挙したような「前頭葉」の個別機能の機能発揮度を左右する構造になっているために(私たちは、これを「前頭葉」の「二重構造」と呼んでいます)、60歳を超える年齢の「高齢者」が、ナイナイ尽くしの「単調な生活」(生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない生活のことを、私たちはナイナイ尽くしの「単調な生活」と呼んでいます)を日々継続していると、使われる機会が極端に少ないことに起因して、「前頭葉」の機能が異常で加速度的な機能低下、すなわち、廃用性の異常な機能低下を起こして来ることになり、認知症の症状が発現してくることになるのです。

 これこそが、世間で(日本を含めて世界中で)、原因不明で治らないと誤解され続けてきている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の症状発現の「メカニズム」なのです。


      

〇 同じテーマでも、「捉え方」次第で、こんなに「前頭葉」の活性化に影響するのです

そう。実は、Tadが抱え込んでいて、脇に追いやられていた「テーマ」があったのです。このところ、南箱根のダイヤランド(新規に立ち上げた、「脳活性化研究所」)に行くことが多くなって、且つ、そこに滞在する期間も長くなっていて、伊豆高原の家の庭が置き去りにされたままになっていたのです。梅雨が経過した後の本格的な夏の到来による日光の受容量が多くなったせいで、庭の草や樹木がみるみる成長してしまったのです。このままでは、まるで幽霊屋敷になりかねないと、私は潜に心配していたのです。でもこの私、幼いころからの体験と言えば、鉛筆を握ること、包丁を使うこと、それに車のハンドルを操ることくらいしか体験していないのです。それ以外については、私の運動の脳が未発達なのです。そこで、庭の草や樹木の刈り取りや切り落としと言った肉体作業は、Tadの登板と言うことになるのです。それにも拘わらず、Tadが取り掛かろうとする気配さえも示さないまま、この数週間放置されたままで居たのです。

そのTadの行動に突然異変が起きたのです。裏話をするとこういうことなのです。先月、「臨時掲載」で、皆さんにご報告したあの軽食&喫茶「ビブラ ビブレ」のことを覚えていますか。「もう忘れてしまったよ!!なんておっしゃってる方、日々の生活大丈夫ですか?」。ビブラ・ビブレに通うようになって、世間話をしている内に、私たちが「伊豆高原」からダイヤランドの家に通ってきていることが知れて、親しくお話しするようになったのです。皆さんには関心がないかもしれないのですが、この辺りでは、伊豆高原と言うと一端の別荘地なのです。それで、ビブラ・ビブレの人達(Tadの関心は、若い美女たちかな?)が伊豆高原の我が家に見えることになったのです。具体的な日時は、両方の都合を見て決めることにして、8月に入ってから訪問と言うことになったのです。

それが、先々週の木曜日のことだったのです。Tadが急に、伊豆高原に帰ると言い出したのです。勿論私は大賛成。お友達たちが私の帰りを待ってくれているから。Tadが急に帰ろうと言い出したその理由は、放置されたままになっている庭の掃除と言う「テーマ」の為だったのです。ビブラ・ビブレの人達を迎える為には、伸び放題の状態で放置されたままになっている伊豆高原の我が家の庭の草や樹木を刈り取り切り落とすことが「必須の命題」と、Tadの「前頭葉」が考えたということなのです。

   

それからの5日間、毎日30度を超す炎天下の下で、冷やしたお茶を飲み時には水をかぶりながら、Tadが一人で猛然と働いたのです。皆さん想像してみてください。下の玄関から上の玄関まで25段もある階段の両脇はサツキの植え込みになっているのです。それを全部刈り取って処分しました。上下二つある庭の下の庭には、大きなプールがあって、その周囲は花壇になっています。プールの清掃は、高圧の洗浄機を使って、タイルの一目毎に洗ってやるのです。プールの底の面、擁壁面、それに、テーブルや椅子を並べている広い通路面の全部のタイルを、一枚一枚、丁寧に洗浄機を使って洗ってやるのです。それが終わると今度は上の庭。中央には大型のピザ釜があり、その周囲、更には露天風呂の周りにも、樹木やら果樹やらがたくさん植えてあるのです。それらを全部剪定してから、庭一面に生えている草の刈り取り。そして最後は、最も難物である、巨木になっている3本のカナリーヤシの枝の切り落とし作業が待っているのです。これらを切り落として(トータルして、150本もの枝の数になりました)、それを1メートルの長さに切り分け、束にしてから処分するのです。カナリーヤシの枝は、長さが4メートルもあります。根元から1.5メートルくらいは、葉の先の部分がすべて針状になっているのです。長靴を突き抜いてしまうほど鋭利で強靭な代物なのです。どんなに気を付けていても、手や足に何度か突き刺さってしまうのです(幸いなことに、私ではなくて、Tadの手や足に、なのですが)。

そうした炎天下での大変な作業を、その上重労働でもあるのですが、私に対して不平や不満を並べるどころか、Tadはまるで嬉々としてやっていたのです。滝のように汗を流しながら。Tadに何が起きていたのか。これこそが、「前頭葉」の関与、其の在り方の問題なのです。私たちの意識的な世界を支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う機能、脳全体のコントロール・タワーには、実は、私たち人間だけに特有な機能なのですが、「評価の物差し」と私たちが名付けている機能が備わっているのです。伊豆高原の我が家の庭の掃除、伸び放題になっている庭の草の刈り取りと樹木の枝の切り落としと言う「テーマ」を、どのような「目的」の下に、どのように実行するのかを設定し、決めるのが「前頭葉」の働きであり、且つその「目的」の評価の在り方次第で、その「テーマ」の実行が、楽しいものとなり(ケースによっては、「生き甲斐」につながる)、或いは、嫌で辛いものとなる(ケースによっては、「意欲」を引き下げることにつながる)のです。

同じ「テーマ」であっても、「評価の物差し」がその実行目的と状況をプラスに評価すれば、それを実行する意欲が湧いてくるし(今回のTadのケースで言うと、意欲が湧き出てきたみたい )、「評価の物差し」がその実行目的と状況をマイナスに評価すれば、それを実行する意欲が湧いてこなくなるということなのです。Tadがどのような「目的意識」でこのテーマを遂行したのか、Tadの行動を観察すれば明らかでしょう。

時が到来してビブラ・ビブレの人達が伊豆高原の我が家を訪ねてみえたとき、その人達がこの庭を見て、Tadの奮闘ぶりを高く評価しほめたたえた時、その評価が高ければ高い程、Tadは達成感や喜びを覚えることとなり(場合によっては、「生き甲斐」さえも覚えて!)、且つそのことが、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の機能アップと言う結果(効果)へと直結することになるのです。更に言うと、この三本柱の機能の機能アップそれ自体が、「前頭葉」の活性化の現われである「前頭葉」の個別機能の発揮能力のアップ(状況の判断、テーマの発想、テーマを実行する内容の企画、考察及び計画、洞察や推理と言ったシミュレーション能力、或いは関心や感動などの個別機能の発揮能力のアップ)にも直結することになるのです。脳を活性化させる生活、なかんずく、「前頭葉」を活性化させる生活の在り方(「テーマ」を遂行する上での目標の設定の仕方及びその捉え方)についての参考となる具体例として、今回のTadのケースを取り上げた意味を理解していただけたでしょうか(ここを「クリック」してください)。  

注)前回既にこのテーマは取り上げたのですが、脳(Tad)のことが分かり易いので、此処に再度取り上げました。


    

第二の人生を送っている、60歳を超える年齢の「高齢者」の皆さん、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、どこかの独立行政法人がかたくなに信じ込んでいるアミロイドベータが脳内に蓄積することが原因で発病するものではないのです。アミロイドベータの蓄積量が増えていくことによって症状が重症化していく訳でもないのです。脳全体の司令塔の役割を担っていて、意識的な世界を支配しコントロールしている「前頭葉」と言う脳機能が、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々継続されることにより廃用性の異常で加速度的な機能低下を起こしてくることが直接の原因となり、且つそれが異常なレベル(一定の客観的な閾値)に衰えてくることにより、「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症を発症することになるのです(最初の段階であり、私たちの区分でいう「軽度認知症」の段階では、司令塔の「前頭葉」のみが異常な機能レベルに衰えてきているのです。

 この「小ボケ」の段階では、左脳も右脳も運動の脳も未だ正常な機能レベルにあるのですが、思考や行為や言動を含めて私たちのすべての意識的な活動は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」がそれらの脳を主導し、それらの脳と協働し、且つそれらの脳をコントロールする機能構造となっているが為に、「前頭葉」を含む脳全体としてのアウトプットそれ自体は、異常なものとなってしまうことに注意してください。「小ボケ」の症状は、正常下限での症状なのではなくて、認知症の症状だということなのです。)。

廃用症候群に属する生活習慣病である「アルツハイマー型認知症」と言う病気は、「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてきたとき発症するのです(その最初の段階が「軽度認知症」、「小ボケ」の段階)。このことを逆に言えば、「前頭葉」の機能レベルが「正常域」にある限り、「アルツハイマー型認知症」を発病する事態は絶対に起きてこないのです。したがって、あなたの日々の脳の使い方、生活習慣(食生活ではなくて、脳の使い方としての生活習慣であることに注意)を今日すぐにでも見直して、あなたの「前頭葉」が活性化する生活習慣を構築し、明日と言わず今日から実践するのです。あなたの「前頭葉」の機能レベルが高いところにあればあるほど発病のリスクは小さくなる、「アルツハイマー型認知症」を発病するその日は遠ざかっていくことになるのですから(ここを「クリック」してください)。

 注) 本著作物(このブログ「B-42」に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   

   エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

    脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)




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