認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

前頭葉の異常な機能低下とアルツハイマー型認知症の初期症状 (B-08)

2014-04-15 | アルツハイマー型認知症の初期症状の正体

 意識有り ゆえに我在り 我思う

  意識無くとも 脳は眠らず (8)   By kinukototadao 

    

朝起きると、真っ先に新聞を取りに行くのが私の日課なのです。地下室への脇階段を下りて行こうとして、スイッチを押したのです。ところが階段の電気がつかないのです。どうして電気がつかないのかしらと、不思議に思って、はたと気づいたのです。脇階段の電気をつけるのだから脇階段のスイッチ盤のスイッチを押さないといけないのに、玄関のタタキの壁のスイッチを押していたなんて。

私ぐらいの年齢になると、脳の老化も或る程度進んできているので、自分なりの生き甲斐があり、趣味や遊びや交友を楽しむ生活を送っていても、或いは「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の潜在的な機能自体は正常なレベルにあっても、何か別のテーマに注意がそれていたりすると(「前頭葉」の注意の分配力の顕在的な機能の発揮度が低下した状態が起きてきていると)、老化現象としてのこうした症状が生じてくることになるのです。

それとはまったく別の構造的なメカニズムが原因なのですが、60歳を超えた年齢のお年寄りが、何かを「キッカケ」にして、生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もないナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々繰り返すような生活を速いケースだと半年間遅いケースでも3年間継続していると、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲や注意の集中力や注意の分配力」の機能が異常なレベルに機能低下した構造的な状態が恒常的に続くようになり(潜在的な機能レベルの低下)、間違えたスイッチとも気づかないで押してしまうような老化現象としての私の症状と外観だけから見ると類似したような現象、しかし老化現象ではなくて「認知症の初期症状」が、「何時でも、起きてくるようになる」のです。   

〇 脳全体の司令塔としての「前頭葉」の諸機能とその役割

額のところにある「前頭葉」は、脳の最高次の機能です。運動の脳、左脳及び右脳を統括し、「脳全体の司令塔の役割」を担っています。私達人間だけに特有な機能である識的な自由で選択的な)意思や思考や行為や言動や行動の世界では、「左脳」が「デジタルな情報」の処理を専任的に行なうときも、「右脳」が「アナログな情報」の処理を専任的に行なうときも、「運動の脳」が「身体」を専任的に動かすときも、三頭立ての馬車(左脳、右脳及び運動の脳の「三頭の馬」)の御者の役割をしている「前頭葉」の「評価の物差し」の機能による状況判断とその指示なしには、勝手には動けない仕組みになっているのです。三頭の馬のどれかが働くときには、必ず事前に「前頭葉」によるチェックと指示とが為されるのです。

「前頭葉」が自分の置かれている状況を判断し、その判断に従って、三頭の馬を主導しつつ、「前頭葉」の状況判断に沿う形で同時に協働しながら、三頭の馬が目的となる「テーマ」を実行していくというのが、「意識的な世界」で人間の脳が働くときのメカニズムなのです。但し、本題からはちょっと脇道にそれるのですが,ここで言う意識的な世界には、意識に覚醒されてはいなくても脳機能としては選択的に働いている世界が存在することを注意喚起したいのです。一定の機能レベルにはあるが意識度が低い状況にある、「前頭葉」を含む脳全体の機能状態のことなのです

「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の顕在的な発揮度を意識的に次第に下げて行くとき、(「前頭葉」の機能の発揮度と意識との関わりを調べていけばいく程)意識的な世界でありながら専門家とされる人達から無意識の世界と混同されている世界があることに私たちは気付いているのです。思考、行為、言動、或いは行動のいづれであるかを問わず、それらを一定レベルで行うには、「意識」が一定レベル以上の度合いで覚醒されていることが不可欠であり、その意識の覚醒の度合いは「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の分配力及び注意の集中力の働き具合に左右されていると私たちは考えているのです。その肝心要の「前頭葉」の三本柱の機能には内在的な(生来的な)性質としての「正常老化の性質」が存在していることを私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積してきた極めて多数の「脳機能データ」が証明しており、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象が60歳を超える年齢の「高齢者」に限定されることともリンクしていることを示唆してもいるのです。

(ここで、コーヒー・ブレイク) 私たちがこのブログの中で使用する「意識的」という意味は、「前頭葉」の三本柱の機能である、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能のいづれか及び/又はそのうちの二者/又は全てが一定の機能レベルで機能しているがために(顕在的な機能)、意識が一定レベルで覚醒されている脳の機能状態を言います。心理学の専門家達から「無意識」と呼ばれているものには、潜在的な機能である「前頭葉」の「評価の物差し」としての機能の潜在的な存在の状態(潜在的な機能の状態)と顕在的な機能であるが「意識の覚醒度」が極めて低い状態にあるために意識に覚醒されていない状態(顕在的な機能の状態)とがあるそのこと自体が理解されていないか、或いは両者が混同されていると私たちは考えているのです。

(本題に返って)「脳の機能の顕在的な発揮度とその機能の潜在的な機能レベル」という視点から言えば、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、「左脳」も「右脳」も「運動の脳」も潜在的な機能レベル自体は未だ正常なレベルにあるのです。三頭の馬はどれも未だ正常なレベルにあって、脳全体の司令塔の役割を担っていて「三頭建ての馬車」の御者である「前頭葉」の潜在的な機能レベルとしての働き具合だけが「異常なレベル」に衰えてきている状態なのです。そのため、「前頭葉」の機能の中で最も基礎的で且つ重要な働きであり、発想、計画、創意、工夫、洞察、推理等「前頭葉」の各構成機能によるその「認知度」及び「発揮度」を左右(下支え)している「三本柱」の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の潜在的な機能レベル自体が異常なレベルに衰えてきているが為に、様々な場面で、状況や目的に即しては(又は、状況や目的に十分には)「前頭葉」の各種個別の機能を十分には発揮できなくなっているが故の「認知症の初期症状」が発現してくることになると考えているのです。

  

60歳を超えた年齢の「高齢者」発病の「第一の要件」)が、何かを「キッカケ」としてナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々継続させるで(発病の「第二の要件」)、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の潜在的な機能レベルが加速度的に衰えていくことが「アルツハイマー型認知症」を発病させるのです(発病のメカニズムについては、ここを「クリック」してください)。

「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、自分が置かれている状況の判断も的確には(又は不十分にしか、或いは単に)出来なくなるし、発想が湧いてこないし、見通しも立たないし、何をどうするのかという「テーマの構想と計画や工夫」も出来なくなってくるのです。テーマを実行する上で不可欠である実行の態様や程度、おかれている状況や相手との関係などのシミュレーションも的確には(又は不十分にしか、或いは単に)出来なくなるのです。最終的な決断も足元が揺らいでくるのです。

意識的に何かの「テーマ」を発想し、計画し、決断する上で必要不可欠の働きをしている「意欲」が不十分或いは断続的にしか発揮できなくなってしまうので、毎日をボンヤリと過ごして、居眠りばかりするようにもなります。何かの「テーマ」に取り掛かってみても、「注意の集中力」が続かなくて、「あれも遣り掛け、これも遣り掛け」という風に、中途半端になってしまうのです。「注意の分配力」が十分には働かないので、頭の回転が鈍くなってしまい、かつてのようにテキパキと用事を処理することができないのです。

これまでの本人を特徴づけていたその人らしい物の見方、感じ方、考え方、或いはそれらの表出の程度及び態様を決定する「前頭葉」の評価機能である行動指針の反映としての「生活態度」が大きく変化し、或いは失われていき、「こんな人ではなかったのに」と周りから言われるようにもなるのです。他人に対する応答や対応の仕方を含めて「人柄の本質」自体が変わっていくような特徴的な症状を示してくるのですが、それは、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の潜在的な機能レベル自体が異常なレベルに衰えていることが直接の原因となって「前頭葉」の評価の物差しとしての潜在的な機能が異常なレベルに機能低下していることを反映した認知症の症状なのです。潜在的な機能自体が異常なレベルに衰えているので、日常の生活面での「前頭葉」機能の発揮度それ自体(機能レベルのアウトプットそれ自体)が認知症の初期症状として発現することになるのです。「軽度認知症」(小ボケ)のイメージは、何事も人を頼るようになり、一日や一週間の計画も立てられず、指示してもらわないと動けない「指示待ち人」が特徴なのです。

   

〇 状況を判断し、実行すべき「テーマ」の内容と実行の仕方を規制しているのが「前頭葉」の「評価の物差し」

「前頭葉」の評価の物差し自体は、あくまで後天的に形成されるものなのです。4歳になる以前での幼児期における体験、自分を取り巻く環境、特に「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした家族環境の中での実体験を基礎として「評価の物差し」の「原型」が形成され、4歳児から18歳ごろまでの体験(実体験及び伝聞体験)の積み重ねにより悩み、迷い、或いは拒絶し、挑戦し、好むと好まざるにかかわらずそうしたもろもろの体験の集積が幼児期に獲得したその原型の上に加味され、溶け込んでいく中で、最終的に自分としての独自のものを形成し、確立していくのです。

なお、ここで私たちが言う「評価の物差し」とは、自分独自の物の見方、感じ方、考え方、或いはそれらの表出の程度及び態様を決定する行動指針のことを言います。言い換えると、意識的に何かの「テーマ」を実行していく上での、置かれている状況の判断、状況の判断に沿ったテーマの発想、テーマの実行内容の企画と計画、計画内容の実行結果についてのシミュレーション、或いは計画内容の実行の仕方及びその実行内容の表出である言動や態度を選択するに際しての自分独自のやり方の選択及び決定と決断に非選択的に関わってくることになる「評価規範」のことなのです。なお、「非選択的に関わってくることになる」とは、程度のいかんに拘わらず意識が覚醒された瞬間に「評価の物差し」としての網が「前頭葉」の各種の個別構成機能全体を覆ってしまい、状況の判断も、テーマの発想も、テーマに沿った実行内容の企画や計画も、結果のシミュレーションンも、或いはそれらの表出程度や態度の選択も全て、その「評価の物差し」による非選択的な評価が下された制約の下で実行されることになるという機序の意味なのです。分かり易い別の表現を借りて説明すると、「評価の物差し」の潜在的な機能状態が「人格」或いは「人柄」であり、顕在的な機能状態が「心」或いは「気持ち」であると考えてください。

   

通常のケースとしては、幼児期に形成されたその「原型」を基礎機能として、その色眼鏡をかけた状態で、その後の体験(実体験及び伝聞体験)により加味或いは付加される価値観を自分なりに受け入れる中で、必要な修正や変更がなされていき、最終的には18才頃までに自分なりに確立された独自の「評価の物差し」(価値規範、評価規範、或いは行動指針)を形成していくことになるのです。そうした自分独自の「評価の物差し」が形成され確立されていく過程は、同時に、精神分析学や心理学の専門用語で言う「自我」の形成及び確立の過程でもあると言えるでしょう。

なお、「三つ子の魂百まで」、或いは「頭禿げても浮気はやまぬ/産屋の風邪は一生つく/産屋の癖は八十までなおらぬ/漆剥げても生地は剥げぬ/噛む馬はしまいまで噛む/子供は大人の父親/雀百まで踊り忘れず/痩せは治るが人癖は治らぬ/病は治るが癖は治らぬ」等の古くから言い慣わされてきた諺が示しているように、幼児期に形成された評価の物差しの「原型」は、その後の人生での様々な体験をもってしても容易には変更できないほど、最終的な自分なりの或いは自分独自の評価の物差しを確立していくことに対する影響が極めて大きいのです。

3つ子、4歳以前の幼児というのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした自分を取り巻く家族環境の中での体験に対して、それらを評価したり、批判したり、反発したりする能力を未だ持っていないので、それらの体験を何の疑いもなくそのまま「自分の価値観」として、ただひたすらに受け入れるだけだからなのです。恐ろしいのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」が暗に示す価値観が、そのままその子の「前頭葉」の「評価の物差し」となってしまう、そのまま入り込んで評価の物差しの「原型」を形成してしまうことなのです。幼児を育児中の親は、この点に対する強い認識と自覚を持つ必要があると思うのです。

但し、たとえ双子であっても、先天的に受け継いだ「DNA」と更には、その子が左脳優位に生れついたのか、或いは右脳優位に生れついたのかの差異があるので、その双子が同じ環境で育ち同じ体験をしたとしても、二人の受け止め方が違うことになるのです。その結果、たとえ双子であっても異なった「評価の物差し」を形成していくことになるということについての理解が重要です。

 〇「アルツハイマー型認知症」の段階的症状と脳の機能レベル

「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、他の種類の認知症とは異なり、「前頭葉」を含む脳の機能レベルが「認知症の症状」として直接発現してくること並びに回復させることが可能か否かという視点から見た時、回復させることが容易な「小ボケ」の段階があって、次いで回復させることが未だ可能な「中ボケ」の段階があって、最後に回復させることが困難な「大ボケ」の段階があるという風に、「段階的な症状」を示すのが特徴なのです。

従って、本当の意味での「初期の症状」回復させることが可能な「小ボケ」及び「中ボケ」の段階での症状を的確に判定するには、この「前頭葉」の機能レベルの精緻な測定に基づく判定作業が不可欠のものとなるのです。その場合、極めて高額な費用が掛かるだけで、その割に「前頭葉」の機能レベルの精緻な計測及び判定には不向きなCTやらMRIやらSPECTやらPETやらを使うのではなくて、或いは回復させることが困難な「大ボケ」の段階で見つけるのではなくて、私たちが開発した「二段階方式」のように「前頭葉」の機能レベルを精緻に計測でき及び的確に判定できる上に費用が極めて安価な「神経心理機能テスト」を認知症の診断を専門とする医師達が使うようになってほしいのです。

回復させることが可能な「本当の意味での早期の段階」を見つけるのが医師としての社会的な使命だと思うからです。医療現場の現状は、回復させることが困難な末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけているのです。「大ボケ」の段階で見つけることに何の意義があるというのでしょうか。見つける段階が遅ければ遅いほど、周りの家族の精神的及び経済的負担が増すだけでなくて、介護保険による費用の負担を含め、国が負担する医療費も莫大なコスト増加となるのです。

私たちの主張には未だ権威はありませんが、私たちが2年前のこのブログ A-35で(ここを「クリック」してください)予告した、「東日本大震災」の被災地の高齢者達の間に起きてきていると予告した問題(認知症の専門家と言われる人達の経験値をはるかに超える極めて高い割合による「アルツハイマー型認知症」発病の問題)が確認され、マスコミに取り上げられるようになれば、それなりの権威もついてくるとは思うのですが、私たちの主張にはこれまでの20年間にわたる市町村での「地域予防活動」の実践で示してきた成果による裏付けもあるのです。

「アルツハイマー型認知症」は、脳の使い方とという視点で言うところの廃用症候群に属する「生活習慣病」であり、「前頭葉」を含む脳の活性化を目的とした「生活習慣の改善」により発病を予防することもできるし、本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つけると正常なレベルに脳の機能を回復させることができる(認知症を治すことができる)のです

   

〇「前頭葉」の各種構成機能の発揮レベルを決定する三本柱の機能

意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、関心、感動、発想、企画、計画、創意、工夫、シミュレーション、予見、比較、修正、整理、機転、抑制、忍耐、決定及び決断等、「前頭葉」を構成している各種の高度な認知機能を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。意識的に何かの「テーマ」をそれなりのレベルで実行するには、一定レベルでの「意識」の覚醒が必要不可欠であり、更に一定レベルでの「意識」を覚醒させるには、一定レベルでの「認知度」及び「発揮度」が必要となるのです。

脳が(意識が)未だ十分に覚醒していない状態、例えば「寝ぼけ眼」の状態を考えてみると分かり易いと思うのですが、三本柱の機能の発揮度が一定レベル以下だと、先に例示したような「前頭葉」の各種構成機能であるそれらの「認知機能」自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした「認知度」及び「発揮度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉」の「三本柱」の機能(これは、私たちが独自の見解で命名したものなので、インターネットで検索しても出てきません)なのです。

先に例示したような「前頭葉」の構成機能(私たちは、47に及ぶ構成機能を確認しています)を中核の機能として、その下部機能である「左脳」や「右脳」や「運動の脳」も共同参加して、脳全体で何をどのようにするかを決めるには、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠になります。脳の機能面という視点から、通常の過程でこれを説明すると、(自分の置かれている「状況を判断」し、その状況判断に沿った「テーマ」を発想し且つ選択して、選択したテーマを実行するための計画を立て、実行方法についてのいくつかのシミュレーションを経て、最終的な実行方法を選択し決定して、脳の各部に指令を出して実行に移す)という過程を辿る際に、一定レベルでの「意欲」が継続的に発揮されていることが不可欠なのです。更には、様々な状況を考慮し、いくつものケースシミュレーションを経て、最終的な実行内容とその実行の仕方(程度及び態様)を決定した上で、左脳や右脳や運動の脳に対し実行に移す指令を出すには、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の一定レベルでの継続的な発揮も必要になります。言い換えると、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」という「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度が、「意識度」並びに「前頭葉」の各種構成機能の「認知度」及びその「発揮度」を左右しているという「二重構造」になっていると私たちは考えているのです(この見解自体も、極めて多数の脳機能データの解析に基づく、私たち独自の見解です)。

更に別の視点からの問題として、意識的に何かの「テーマ」を実行する過程における「前頭葉」の働き、各構成機能の関わり方を概説した上述の説明に付け加える必要があるのは、(自分の置かれている「状況を判断」し、その状況判断に沿った「テーマ」を発想し且つ選択して、選択したテーマを実行するための計画を立て、実行方法についてのいくつかのシミュレーションを経て、最終的な実行方法を選択し決定して、脳の各部に指令を出して実行に移す)という過程を辿る際に、その全過程で常に「記憶」の問題が絡んでくるということなのです。何かの「テーマ」を発想するといっても、無から有が生じるわけではないのです。更には、状況判断に沿ったテーマを発想するには、状況判断の結果を記憶しておいて、且つ注意の分配機能を使って様々なシミュレーションを行う必要があるのです。計画した実行内容の実行の結果がどうなるかについての様々なシミュレーションを行うには、計画した実行内容を記憶しておいて、且つ洞察や推理の機能を使って実行結果がどうなるかのシミュレーションを行う必要があるのです。状況判断に沿った「テーマ」の発想や様々なシミュレーションを行う際に必要不可欠となる、「左脳」がらみの言葉や論理や計算、「右脳」がらみの映像、或いは「運動の脳」がらみの身体を動かすイメージ等は全て、それらに関連する過去の記憶が関わることになります。

そもそも記憶は、記銘、保持、そして想起という過程により構成されています。種々の段階における様々なシミュレーションを行う上で、関係する内容に関わる累積され蓄積された過去の記憶並びにシミュレーションの際に記銘した内容の保持想起とがそもそも要求されることになるのです。その上に、次の項目で説明するように、60歳を超える年齢の「高齢者」の場合には、記銘、保持及び想起という脳の機能にも、その発揮度を左右する「前頭葉」の3本柱の機能(意欲、注意の集中力及び注意の分配力)のそれぞれの機能レベル並びにそれを反映した程度及び態様による関わり方の直接的で強い影響があるのです。

 認知症の専門家と言われる人たちでさえ未だ気づいていないことなのですが、「中ボケ」の段階から、様々な「記憶障害」の症状が発現してくる原因は実はここにあるのです(「物忘れ」のメカニズムについては、ここを「クリック」してください)。(注:下記右端の図は、小ボケ、中ボケ及び大ボケの合算数値を示します)。 

    

〇「前頭葉」の三本柱の機能に内在する「正常老化」の性質

上述のようにその「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳の働きの「3本柱」の機能と言えるのです。ところが、私たちが意識的に何かのテーマを思いつき実行しようとするときに、必要とされる各種の認知機能を発揮する上で、必要不可欠の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」には、それらの機能が使われる機会が多い生活習慣が継続されているにもかかわらず、「加齢」とともにその働きが衰えていくという性質、いわば「正常老化の性質」が内在されているのです(この性質は、私たちの発見に基づく私たち独自の命名です)。          

脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の三本柱の機能に「20歳代の半ばを過ぎると、年をとるにつれて100歳に向かって、緩やかではあるが徐々に直線的に働きが衰えていく」という特徴を有する「老化曲線」があること(「正常老化の性質」が内在していること)が、「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを解明する上で不可欠の重要な指標となるのです。私たちが開発した「二段階方式」を活用して集積した極めて多くの脳機能データの解析の結果、私たちが定義する「第一の要件」及び「第二の要件」と「アルツハイマー型認知症」の発病との間の因果関係が証明されたのです。

    

自分なりの生き甲斐があり、趣味や遊びや交友や運動や社会活動など自分なりの目標がある生活を継続していて、それなりに「前頭葉」の出番がある「生活習慣」を維持していても、加齢とともに機能が緩やかではあるが直線的に衰えて行くという性質があるのです。

「高齢者」の入口である65歳頃には、「前頭葉」の「三本柱」の機能レベルが最も高い20歳代の半ば頃にくらべると、そのほぼ半分くらいにまで衰えてきているのです。70歳代、80歳代、90歳代と加齢が進むにつれて更に低空飛行となっていくのです。すなわち、「前頭葉」の三本柱の機能には加齢とともに緩やかではあるが直線的に衰えていく内在的な性質があることに注目すべきなのです(この性質に注目して私たちは、「60歳を超える年齢の高齢者」という要件を「アルツハイマー型認知症」発病の「第一の要件」としているのです)。

実態面からも明らかなように、「アルツハイマー型認知症」は、50歳代以下の年齢で発病する人は極めてまれなケースであり、60歳代以降の年齢の「高齢者」が発病の対象となり、70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と高齢になればなるほど、発病する人の年齢別の割合が、どんどん増えて行くのです。その背景には、「前頭葉」の「老化曲線」のカーブの傾きの度合いが、60歳を過ぎた「高齢者」と呼ばれる年齢になると、日々の生活面での脳の使い方という視点からの「生活習慣」に大きく左右されるようになることがあるのです。

 このことが、アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを理解し解明する上で、極めて重要な要因となるのです。三頭立ての馬車の御者の役割を担っている「前頭葉」の働きは、脳の後半領域の働きである左脳、右脳及び運動の脳から送られてくる情報の質と量次第で、「老化の曲線」の傾き具合が、「緩やかに低下するカーブ」を描き(「正常な老化、或いは、「加速度的に低下するカーブ」を描く(「異常な老化」)ことになるのです。 

    

たくさんの量と質のよい情報が送られてくるような「生活習慣」が継続されているお年寄りは、老化の曲線は緩やかなものとなり、身体が持つ限り脳も保てる、「かくしゃく老人」への道が開けてきます。

生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されていて、量も少なく質も劣る情報しか送られてこない「生活習慣」が継続されているお年寄りは(これが私たちが定義する「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」なのです)、老化の曲線が加速度的な低下の曲線を描いて、急速に低空飛行になっていくことになります。

第一の要件と第二の要件とが重なり合うことにより、言い換えるとその「相乗効果」により、脳全体の司令塔の役割を担っていて三頭立ての馬車の御者の役割をしている「前頭葉」の機能が「加速度的」なカーブを描いて「異常な機能の低下」が進行していくこととなり、その行き着く先には、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているのです

       

「アルツハイマー型認知症」を発病した最初の段階が、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階であり、本人も周りも認知症を専門とする医師さえもがそのことに気付かないで、相変わらずナイナイ尽くしの単調な生活が続いていると、次の段階である「中等度認知症」(中ボケ)の段階が始まり、それでも周りが気付かないで年のせいなどと悠長に構えていて、相も変わらずナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されたままでいると、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階に入っていくことになるのです(「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の各期間の目安については、ここを「クリック」してください)。

繰り返しになりますが、「アルツハイマー型認知症」の本質は、脳の使い方という視点で言うところの廃用症候群に属する「生活習慣病」なのです。本来的な性質として内在している「前頭葉」の「正常老化の曲線」の問題(発病の「第一の要件」)と第二の人生に入って、何かを「キッカケ」にして、「右脳」も「運動の脳」も使う機会が極端に少なくなるような生活、「生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない」ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まり、そうした生活が日々継続していくと(発病の「第二の要件」)、出番が極端に少なくなった「前頭葉」が「第一の要件」と「第二の要件」との「相乗効果」により廃用性の加速度的な機能低下を起こして、異常なレベルに衰えてきたとき、「アルツハイマー型認知症」発病への道を歩みだすことになるのです。 

 〇「小ボケ」の段階における「前頭葉」の機能レベル

私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行しようとする際には、置かれている状況を判断するにも、状況判断に沿ったテーマを発想するにも、発想したテーマの内容を企画し計画するにも、或いはその内容を実行した場合の結果をシミュレーションするにも、自分独自のものとして確立されている自分独自の「前頭葉」の評価の物差しという「網」が必ず先ず全体に覆い被せられた上で、そうした個々の機能が発揮されていく、それが私たち人間だけが獲得した脳のメカニズムなのです。それ故、その人の人格は、その人独自の「評価の物差し」を反映したものとしての物の見方、感じ方、考え方、行為や行動や言動、或いは表情や感情の表出の仕方などに具現化されることになるのです。

「前頭葉」の機能の中核をなしていて、何かの「テーマ」を発想し或いは選択するために不可欠の「状況の判断」並びに選択したテーマをどのように実行するか及びその実行の態様や程度や仕方をどのようにするかのシミュレーションを行う際に不可欠の機能である「評価の物差し」の機能不全を反映した症状を「小ボケ」の症状の類型の中から拾い上げてみましょう。「評価の物差し」の機能不全は、実は、あの「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力


 注)本著作物(このブログB-07に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

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東日本大震災の被災地の高齢者とアルツハイマー型認知症の発病との関係(B-07)

2014-04-01 | アルツハイマー型認知症の早期診断

   

 緩やかに それとは知れず 進みゆく

   老化かボケか おみくじに聞く (7) By kinukototadao  

老化の症状なのか、ボケの症状(「アルツハイマー型認知症」の初期症状)なのか、専門家とされる人達が全く分かっていないので、揶揄して上のように表現してみたのです。

「アルツハイマー型認知症  初期症状」とパソコンに入力して、インターネットで検索してみてください。数えきれないほどたくさんのホームページが開設されているのです。それらの内容を読み進んでいくに連れて、余りのひどさに呆れ果ててしまうのです。そこに載せられている「アルツハイマー型認知症」の発病原因については「仮説」を並べるだけで、他人の説をうのみにしただけのもの、他人(特に、権威があるとされる学者や組織)が主張している内容を、その内容に重大な誤りがあることさえも知らないで単に引用したものばかりなのです。「初期症状」についても、肝心の「前頭葉」の機能レベルを精緻に測定し、判定する手技を持たないだけでなく、症状が段階的に発現してくることさえも知らないで、記憶障害に起因する症状を中心に色々なレベルの症状を言葉の遊びのように、あいまいな表現でランダムにまとめてあるだけなのです。

皆さんは、大学の先生とかお医者さんとか、或いはそれなりに名のある研究機関や団体や製薬会社が発表していることは、どんなことでも正しいことを言っていると思っているでしょう。ところが、このブログの主題である「アルツハイマー型認知症」についていうと、それとは全く逆の状況があるのです。全く信頼できないのですここを「クリック」してください)。

  

「 東日本大震災」の被災地に住む60才を超える年齢の高齢者たちの間、「アルツハイマー型認知症」を発病している人たちの年齢別の割合が、或いはその症状が更に重症化していっているお年寄りたちの人数が、被災していない他のどの地域のお年寄りたちのそれらと比較した場合にも、比較にならないほどの極めて高い発病率を示すこと及び想像を絶するほどの多くの人数となることを私たちは今から2年前のこのブログで明確に指摘し、問題を提起していました(ここを「クリック」してください)。今回のこのブログの中盤で紹介する東北大学の調査チームによる「気仙沼市」の仮設住宅に住む高齢者を対象とした、且つ「簡易な手法」による調査の結果にさえも外観とその概要とが大ざっぱながらも明確に現われてきているように、「東日本大震災」の被災地全域の高齢者を対象としたもっと大規模で、私たちの「二段階方式」に代表されるような神経心理機能テストの活用によるもっと「精緻な調査」が今後実施されるにつれて、私たちの問題提起と「アルツハイマー型認知症」の発病原因についての主張の正しいことが次第に明らかになってくるはずなのです。高齢になるにつれて、発病する割合がどんどん高くなることも確認できるはずなのです。

更には、そこで確認されることになる認知症の殆ど90%以上を占めるのが「アルツハイマー型認知症」であり、且つその症状のレベルは、私たちの区分で言えば最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階の人たちが想像を絶するほどいて、次いで「中等度認知症」(中ボケ)の段階の人たちが極めて多人数いて、最後に末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階の人たちが相当な規模での人数になる、そうした規模での「3つの段階」のひとたちがいるはずなのです(ここを「クリック」してください)。その状況をもっと詳しく言えば、「アルツハイマー型認知症」を新規に発病する人(「軽度認知症」の段階の人)が毎日多数発生してきている状況の下で、「軽度認知症」の段階から次の段階である「中等度認知症」の段階に進んでいく人たちが多数いて、更には、末期の段階である「重度認知症」の段階にまで症状が進行していっている人たちも相当な規模の数出てきているはずなのです。

  

ところが、認知症の専門家とされる人達は、権威はあるが内容に重大な誤りがある米国精神医学会が定義する「アルツハイマー型認知症」の診断基準である「DSM-4」の診断規定に従って診断をおこなうがために、私たちが提唱している本当の意味での早期の段階、回復させることが可能な「軽度認知症」の段階の人たちも、「中等度認知症」の段階の人たちも見落としてしまっているのです。最近は、「軽度認知障害」(MCI)とかいう考え方が提起されてきてはいるのですが、いかんせん肝心要の「前頭葉」の機能の異常な低下という視点を持たないので、どうしても外観症状で目に付きやすい「記憶の障害」が中心になってしまうのです。「DSM-4」が見落としている(より早期の段階の症状)に目が向けられていること自体は評価すべきとは思うのですが、定義があいまいすぎる上に、「前頭葉」を含む脳の機能レベルという考えがないこと及びその働き具合を精緻に計測し判定する手技にも無関心なのでは、いつまで経っても、回復させることが可能な段階である「本当の意味での早期の段階」を見落としてしまうことになるのです。

「東日本大震災」は未曽有の大災害でした。とはいえ、未曽有の大災害で終わらせてしまってはいけないのです。「東日本大震災」の被災地に居住する60歳を超える年齢の全ての「高齢者」を対象として、「前頭葉」の機能レベルを含む脳の働き具合を精緻に計測し判定できる手法を活用して、本格的で専門的な調査を大規模に実施して、「アルツハイマー型認知症」は、(発病原因が、学説が主張しているようなアミロイド・ベータやタウ蛋白や脳の委縮などとは無関係のものであって)、廃用性症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないことを確認していただきたいのです(こうした手法を疫学的証明と言います)。但し、脳の形や萎縮の度合いしか計測できないCTやMRIでは、膨大なコストがかかるにも拘わらず何の役にも立たないのです。たとえ、fーMRIやPETを持ち出してこようとも、私たちの「二段階方式」のような精緻なレベルで、「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)を含む脳の機能レベル、つまりは何かの「テーマ」を意識的に組立て実行しようとする際に確認される「前頭葉の機能レベル」(「前頭葉」の各種構成機能が不活性化しつつある状態、言い換えると、「認知度、或いは意識度、更には機能の発揮度」等の「機能レベル」)並びにそれに直接リンクした認知症の症状とを精緻に計測し判定することはできないのです。米国における最先端の画像処理の報道を見ていても、まだまだ困難だと思うのです。

その調査結果による発病原因の解明と確認を出発点として、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防と早期診断による回復とを国民的な課題として、「市町村」が保健師さんを中核として、地域住民と協働して展開する形態での「地域予防活動」を制度化することができれば、共倒れになりかねない「大ボケ」のお年寄りの家族介護の問題も介護保険制度の財政面からの破たんの問題も共に回避することができるのです。                     

   

〇 意識的な世界を支配する「前頭葉」の働きと生活習慣に基づく廃用性の機能低下

置かれている状況を判断し、その状況の中で判断に見合ったテーマを発想し、発想したテーマの内容を企画し、企画及び計画する過程で様々なシミュレーションを行い、結果の洞察や推理の過程を経て、最終的な実行の内容を計画し、脳の各部に指令を出して、計画した内容をシミュレーションし決定した手順と態様と程度に従って実行していく。これが、私たち人間だけが獲得した脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」という脳の働き方のアウトラインなのです。この司令塔の「前頭葉」の機能が、生き甲斐なく趣味なく交友なく運動もせず目標もないナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続される中で「廃用性」の異常な機能低下を起こしてくることが、言い換えると、私たちが発見した「前頭葉」自体に内在する性質である「正常老化の性質」とナイナイ尽くしの「単調な生活」に起因する「廃用性の機能低下」との相乗効果により、「前頭葉」を含む脳全体の機能の低下が加速度的な機能低下を起こしてくることが直接の原因となり、「前頭葉」を含む脳の機能の異常な機能レベルを直接そのままに反映した症状、すなわち、「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症の症状が発現してくるのです(「アルツハイマー型認知症」を発病するメカニズムについては、ここを「クリック」してください)。

その「前頭葉」には、脳の使い方としての「生活習慣」のいかんにかかわらず、加齢とともに機能が低下していくという性質、言わば「正常老化の性質」私たち独自の命名です)が内在しているがために、「アルツハイマー型認知症」は、60歳を超えた年齢の「高齢者」だけを対象として発病してくることになるのです。「アルツハイマー型認知症」は、認知症全体の90%以上の割合を占めているので、高齢化率が30%を超えた市町村では、「アルツハイマー型認知症」を発病したお年寄りの姿が目に付くようになってくるのです。ほら、町役場のスピーカーが、家族が知らない間に家を抜け出して行き、そのまま行方が知れなくなった「お年寄り」を探す放送を流している場面によく出会うでしょう。専門の医師たちを含めて皆さんは、こんな症状が出てくるようになったお年寄りを、専門的な言葉を使うと、自分が現在住んで居る家がどこにあったのかも分からないで「徘徊」するようになった人たちを捉えて「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症を発病していると考えているのです。それ自体間違いではないのですが、こうした症状が出てくるようになった人たちは、回復させることが困難な末期の段階、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階にまで症状が進んでしまった人たちなのです。

    

〇 「大ボケ」レベルにまで症状が進んでしまうと、回復させる手立てがなくなる

実は、この「大ボケ」の段階にまで「症状」が進んでしまうと、意識的な世界を支配しコントロールしている脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」を含め、左脳も右脳も運動の脳までもが廃用性の異常な機能の低下が原因で機能レベルが極めて低いレベルに衰えてきてしまっているので、せっかく見つけても手遅れということになるのです。特に、脳の司令塔である「前頭葉」の機能が殆ど働かないレベルに衰えてきてしまっていることが最大の問題なのです。脳の機能レベルを改善させるには、「前頭葉」を含む脳の機能の活性化につながるような「テーマ」を、3本柱の機能である「意欲」と「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能が或る程度残存している段階で、且つそれらの機能の出番ができるだけ多くなるような「テーマ」を日々実践させることが必要不可欠なのです。ところが、「大ボケ」のレベルにまで脳の機能が衰えてきてしまっていると、そうしたテーマの実践の意味を理解することも及び活動を支える3本柱の機能自体の発揮も共に困難なレベルになってしまっているので、発病の原因である「前頭葉」を含む脳の機能レベルを元の正常なレベルはおろか、直前の段階である「中ボケ」のレベルにさえ回復させることが困難になるのですこの「大ボケ」の段階にまで認知症の症状が進んできていると、治すことはもはや困難になるのです)。(「大ボケ」の段階にまで衰えてきた脳全体の機能レベルの説明については、ここを「クリック」してください)。

   

〇 「アルツハイマー型認知症」の脳の機能レベルと回復の可能性

3本柱の機能がある程度残存している段階である「中等度認知症」(中ボケ)の段階までに見つけて、脳の使い方としての「生活習慣の改善」、言い換えると「脳のリハビリ」(「前頭葉」を含む脳の活性化を目的とした「テーマ」の実践)を実行しないと、元の正常なレベルに脳の機能を回復させることはできなくなってしまうのです。極めて多数に上る私たちの脳機能データと実践によるその結果から、「アルツハイマー型認知症」の回復には、次のような基準となる「指標」があるのです。

「軽度認知症」(小ボケ)で見つけると、回復させることは容易

「中等度認知症」(中ボケ)で見つけると、回復させることは未だ可能

「重度認知症」(大ボケ)で見つけると、回復させることは困難

   

〇 東北大学の研究チームによる気仙沼市の実態調査とその問題点

 先月の半ばのことなのですが、NHKのテレビ報道によると、東北大学の研究チームが宮城県の気仙沼市の仮設住宅で生活している65才以上の年齢の被災高齢者700人を対象に「簡易なテスト」を活用して実態を調査したところ、その人達のうちの36%を超える人数の人たちに「認知症の可能性が高い症状」が確認されたということでした(但し、肝心の「前頭葉」の機能レベルは計測されていないままでの、やや雑な判定と考えられるのですが)。

 認知症の専門家とされる人達を含めて皆さんは、この36%という発病割合を示す数値に驚くことかと思いますが、実態はもっと厳しい状況にあるはずなのです。テレビ画面で見ただけなので、その「簡易なテスト」の詳細は分からないのですが、その人達は、私たちが有している「二段階方式」のような、精緻に「前頭葉」の機能レベルを計測し判定する手技を持っていないので、私たちが主張している「軽度認知症」(小ボケ)の段階(「前頭葉」の機能レベルが異常値であって、且つMMSの換算値で24点以上の脳の機能レベルの人たち)は見逃しているはずであり、或いは「中等度認知症」(中ボケ)の段階についても前半の部分(「前頭葉」の機能レベルが異常値であって、且つMMSの換算値で23点から20点までの脳の機能レベルの人たち)については見逃している可能性が高いのではと考えるのです。

おそらくは、「中等度認知症」の後半のレベルの人たち(MMSの換算値で、19点~15点の機能レベルの人たち)と「重度認知症」(大ボケ)のレベルの人たち(MMSの換算値で、14点以下の機能レベルの人たち)だけで、それだけの発症割合となっているのではないかと考えているのです。或いは、「軽度認知障害」(MCI)を主張する学説と同じような基準も動員して判定しているとしたら、「中ボケ」の前半までが入っている可能性はあるのですが、以前のこのブログで種々の問題を指摘してあるように、軽度認知障害の基準にはあいまいな要素が多すぎて、いい加減というか、雑多な概念の基準の下で、且つ外観を基礎とした判定になってしまう危険が高いと言わざるを得ないのです。

   

〇 「アルツハイマー型認知症」の正体は、廃用症候群に属する「生活習慣病」

これまでに何度も指摘してきたように、アミロイド・ベータ(アミロイドベータ仮説)やタウ蛋白(タウ蛋白仮説)や脳の委縮(脳の委縮仮説)が「アルツハイマー型認知症」発病の原因ではないのです。それらは、原因ではなくて「結果」に過ぎないのです(発病の副産物)。原因であると誤解して、いつまでもそれらを追いかけ続けている限り、いつまで経っても発病の原因或いは発病のメカニズムを探り当てることはできないのです。時間の無駄であり、コストの無駄であり、有為な才能を活用する機会の無駄になるだけなのです。

「発病の原因もわからないし、治すこともできないし、発病を予防する方法もわからない」と日本だけでなくて世界中の認知症の専門家達から言われ続けてきている「アルツハイマー型認知症」は、私たちが集積した極めて多数例の「脳機能データ」の解析と「地域予防活動」の実践の成果が示しているように、「廃用症候群に属する単なる生活習慣病」に過ぎないのです。これまでに何度も指摘し問題提起してきたように、「東日本大震災」の被災地の60歳を超える年齢の「高齢者」たちの間に現在起きてきていて、これから先も続くことになる極めて高率での「アルツハイマー型認知症」の発病という事実が、私たちの主張が正しいことを、疫学的に証明してくれることになるのです。

  

〇 「アルツハイマー型認知症」の地域予防活動を国民的な課題に

アミロイド・ベータやタウ蛋白や脳の委縮とやら、或いはマウス等を追いかけ回す暇と資金と人の戦力とがあるのなら、気仙沼市だけでなくて「東日本大震災」の被災地の60才以上の年齢の「高齢者」全員を対象として、「簡易版」やらCTやらMRIとかではなくて、「二段階方式」のような精緻な「神経心理機能テスト」を活用して、肝心の「前頭葉」と左脳と右脳の機能レベルを同時に計測し判定してみていただきたいのです。左脳も右脳もま未だ正常な機能レベルにはあるが肝心の「前頭葉」の機能がすでに異常なレベルに衰えてきている人達(私たちの区分で言う「小ボケ」の人たち)及び「前頭葉」だけでなく左脳も右脳も異常なレベルに機能が衰えてきている人達(私たちの区分で言う「中ボケ」の人たち)が、驚くほどの高い割合で発見されることになるはずなのです。その発病の割合は、日本の他のどの地域にも例がない、比較できない程極めて高い割合であって、且つ世界にも例がない極めて高い数値になることが確認されるはずなのです2年前の予告に加えて、今回再度問題を提起しておきたいのです。東日本大震災の被災地に居住する60歳を超える年齢の「高齢者」達に確認された状況は、(年齢別の発病の割合の高さとその絶対数の規模とが異なるとはいえ)、日本全国の市町村の60歳を超える年齢の「高齢者」たちに現実に起きてきている状況に対する「重大な警鐘」でもあるのです。「アルツハイマー型認知症」は、早期の段階(「小ボケ」及び「中ボケ」)で見つけると治すことができるし、発病を予防することもできる、廃用性症候群に属する「生活習慣病」に過ぎないのです。発病の予防のための何等の対策も打たないで、更には回復させることが困難な末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけているだけ、言い換えると「蛇口を開きっぱなしなし」のままに放置していて将来に禍根を残すことにならないのでしょうか。

上述の実態を確認すれば、認知症の専門家とされる人達だけでなくて、厚生労働省を含む政府関係者も、更には国民のみなさんも、膨大な費用が加速し続けていて財政面からの破たんが目に見えている「介護保険制度」を守り、維持する上でも、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防と早期発見による回復というテーマ、特に市町村の保健師さんたちによる「アルツハイマー型認知症」の「地域予防活動」の展開が不可欠という私たちの主張に、目が向くようになる日が来ると思っているのです(「地域予防活動」については、ここを「クリック」してください)。種類ばかりが数多くある認知症の中で、「アルツハイマー型認知症」を発病する人たちの数は、認知症全体の90%を超える割合になるのですから。

  

 東日本大震災の被災地の高齢者たちに早期診断と回復及び発病の予防対策の実施を

被災から3年が経過しているだけなので、通常のケースでは「小ボケ」の期間が終わってそろそろ「中ボケ」の期間に移行している程度の段階のはずなのですが、「東日本大震災」の場合は、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が開始される前提条件としての「キッカケ」となる事象の重層性、輻輳性、或いはその程度や態様や困難さの度合いが他に例がない程の大きさであること等の問題が複雑に折り重なっているがために、「前頭葉」の3本柱の機能である「意欲」を喪失させるマイナス効果が極めて大きかったと考えられるのです。被災後の混沌とした真っ暗な闇の中から立ち上がるために、何かを考えようとしても、何かのテーマを発想して計画しようとしても、肝心の「意欲」自体が出てこないのだと思うのです。それに加えて、復興の足音が全く聞こえてこない、或いは遅々として復興が進んでいかない現実の状況からくる喪失感、或いは絶望感が、立ち上がろうとする意欲を更になえさせてしまうのでしょう。

こうした状況は、「前頭葉」を含む脳の廃用性の異常な機能低下を加速させてしまう大きな要因になってしまうのです(脳の機能にとって、機能レベルを更に低下させる大きな「マイナス効果」がある要因)。その結果、通常のケースで言えば、「キッカケ」の発生から5~6年はかかるはずの「大ボケ」への移行期間が短くなってしまうのです(移行が速くなって、重症化が進んでしまう)。既に、(せっかく見つけても、回復させることが困難な段階である)「大ボケ」の段階にまで症状が進んでしまっている人たちも相当数確認されるのではないかと危惧しているのです(通常のケース事例における発病後の症状の進行具合とその期間については、ここを「クリック」してください)。

     

 (コーヒー・ブレイク)このブログのNー33で例示し、説明した「生活状況」の発生が「キッカケ」となり(ここを「クリック」してください)、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まってから半年から3年の間が「小ボケ」の期間、次いで「中ボケ」の期間が2~3年で、発病から5~6年が経つと「大ボケ」になる」というのが通常の生活環境下での「大原則」であり、判定の標準的な「指標」となります。

 「小ボケ」や「中ボケ」のレベルの間であれば、「前頭葉の三本柱」の機能である「意欲」や「注意の集中力」や「注意の分配力」の働きが異常なレベルに衰えてきているとはいえ未だそれなりに機能することが期待できるのです。「前頭葉の三本柱」の機能の出番が増えたり減ったりする個別の具体的な「生活習慣」の影響により、脳の機能レベルの「改善」や「維持」や「悪化」の状態が見られるのです。ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されているように見えてはいても、実際の生活実態を詳細に聞き取ってみると、個別の生活ではそれなりに「プラス要因」の生活が入り込んでいたり、逆に「マイナス要因」の生活が入り込んでいたりするものなのです。上述の基準に適合しないケースは、そうした「プラス要因」と「マイナス要因」の「生活習慣」の具体的な質と量とが脳に働いて、「アルツハイマー型認知症」の症状の更なる進行やその維持、或いは改善に影響を与えているのです。

     

〇 回復が期待できない「大ボケ」レベルの人たちの「介護」上の注意点

 ところが「大ボケ」の段階になると、正常レベルへの脳機能の回復を期待することはもはや困難となります(とりわけ、「前頭葉」の機能の回復が困難となるのです。施設で、回想法や歌を歌うなどの試みが実践されているのはそれなりの効果と意味があると思うのですが、自分の置かれている状況を判断するのに不可欠な機能である「前頭葉」の機能を回復させることは極めて困難だということの理解が必要だと思うのです)。

その「大ボケ」のレベルの中で、運動の脳や右脳を刺激するテーマの個別的な実践により(「生活改善」)、或る程度の改善或いは症状の維持(進行の停止)がみられることはありますが、「中ボケ」レベルへの改善の見込みさえも極めて低いものになってしまうのです。とはいえ、「大ボケ」レベルで、運動の脳や右脳を刺激する「生活改善」を試みることもなく(但し、左脳の活用は期待できないレベルにあることを理解することが大切であり、必要でもある)、本人の介護をしているだけでは、症状はさらに重いものになっていくだけなので、それなりに「右脳や運動の脳」に対する働きかけを目的とした内容の「脳のリハビリ」(「生活習慣の改善)に取り組む努力をする必要と意味とがあるのです。

「右脳や運動の脳」に対する働きかけさえもせず、いわば何も対策を講じないままでいると、身体が持つ一方で脳の働きは更に衰えていくばかりなのです。実態としては同じ「大ボケ」のレベルといっても、大河の幅のようにその幅は極めて広く症状の発現の程度や態様が次第に複雑なものになっていくのです。「前頭葉」の機能が更に加速度的に衰えていく中で、同時進行的に「左脳」の機能が加速度的に衰えていくにつれて「言葉」を介した相互の意思疎通が次第に困難になっていくのです。また、「右脳」の機能も同時進行的に衰えていくのですが、デジタル機能(左脳)の衰え方よりもアナログ機能(右脳)の衰え方の方が進行が遅いので、介護してくれている人に対する一定のレベルでの感情を抱いたり、或いは一方的な感情を発露したりする機能だけは未だ残っているのです。その結果、何かをきっかけとして介護者に対して悪い感情を抱くようになると、粗暴な行為や不潔な行為などが時として表出してきたりするのです

   

〇 更なる問題の提起

私たちが集積したデータを基礎とした推計によると、「小ボケ」と「中ボケ」とを併せた数は、「大ボケ」の4倍にもなるのです。「二段階方式」のような「前頭葉」を含む脳の機能レベルをもう少し精緻に計測し判定できる神経心理機能テストを活用して、この「小ボケ」と「中ボケ」の前半のレベルの人たちを調査すれば、「アルツハイマー型認知症」を発病している人たちの割合は、実はもっと大きな数値になるはずなのです。                                                                      

最後にもう一度問題を提起し、指摘しておきたいと思います。陸前高田市や山田町や南三陸町などのように、気仙沼市と比較した場合に同等或いはそれ以上に被災の程度が激しく且つ復興が遅々として進んでいない市町村の仮設集宅に住んで居るお年寄りについても調査の範囲を広げ、且つ「二段階方式」のように精緻な「神経心理機能テスト」を活用して「前頭葉」を含む脳の機能レベルとそれにリンクした症状とをより精緻に計測し判定する調査を実施すれば、それら市町村の被災「高齢者」たちが、この気仙沼市の数値よりももっと高い割合で「アルツハイマー型認知症」を発病している事実に遭遇することになるはずなのです。

  

然も、比較的に早期の段階の人たち、具体的には私たちの区分で言う「軽度認知症」及び「中等度認知症」の段階にあると判定される人たちには、アミロイド・ベータの異常な量の蓄積も、タウ蛋白の異常な量の蓄積も、脳の異常な程度の萎縮も確認されないはずなのです。その根拠としては、「前頭葉」を含む脳の活性化という視点からの「生活習慣の改善」という意味での「脳のリハビリ」を実践することにより、「前頭葉」を含む脳の機能を正常な機能レベルに回復させることが可能であることに鑑み、「軽度認知症」及び「中等度認知症」までの段階であれば、「前頭葉」を含む脳の病的で異常な「機能の低下」は起きてきていても、脳の病的で異常な「器質的変化」は未だ起きてきていないと考えられるからです。

「アルツハイマー型認知症」の発病原因について、上述したそれぞれの学説(仮説)を主張している人達は、東日本大震災の被災地のどこか一か所の市町村で十分なので、ここに提起した問題の調査と確認を実行していただきたいと切に願うのです。あなた方には権威があるので、社会に与える影響はとても大きいからです。どこかの大学の先生が、それらの仮説に基づいて、市町村の保健師さんに、「アルツハイマー型認知症」は治すことも予防することもできないなどと声高に言い立てると、それだけで、保健師さんたちは「地域予防活動」の実践や拡大展開を躊躇してしまうことになるのです。

注)本著作物(このブログB-07に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

エイジングライフ研究所のHPを「クリック」してください)

 脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません

 http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist

 http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a

 

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