認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

アルツハイマー型認知症の発病の予防と脳を活性化させる生活習慣の構築(その1) B-14

2014-06-25 | アルツハイマー型認知症に対する正しい知識

     

   他人は他人 自分は自分 分かれ道

      選べる人は  脳が長生き   By  kinukototadao

 

&1  20年も30年もある「第二の人生」はどのように生きるべきなのか

(1) 他人の顔ばかりを気にして、周りの目ばかりを気にして、世間体ばかりを気にして生きていると、その上、何時も周りと自分とを比較しては傷んで生きていると、身体は長生きするのに脳が長生きできないのです。身体は持つのに、脳が持たないのです。

(2) 分かり易く言うと、こうした生き方を選択する人が「アルツハイマー型認知症」を発病する可能性が高いということなのです。こうした価値観の下で日々を過ごしていたのでは、「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)が活性化できないからです。

(3)「左脳」が主役となる仕事が中心で職場の人間関係を最優先させる必要がある第一の人生とは異なり、「右脳」が主役となる趣味や遊びや人付き合いを自分なりに楽しむことが求められる第二の人生では、自分が主役となあり、(その時間を過ごしている間、自分が楽しかったのかどうかが「前頭葉」にとっては一番大事なこと)なのです。再度そうした時間を過ごしたいと思えるような趣味や遊びや人付き合いの「テーマ」を、再度そうした時間を一緒に過ごしたいと思えるような人達と過ごす、そうした時間の過ごし方があなたの「前頭葉」を活性化させるのです。

「おもてなしの心」で外国の人達を驚嘆させている私達日本人の気持ちと感覚には或る種の違和感を覚えさせるかも知れないのですが、100歳を超えてもなおカクシャクとして生きているお年寄りたちの「脳」の機能データから率直に言うと、そうなのです。

    


&2  「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復・症状の進行の抑制と発病自体の予防が不可欠

(1) 人生60年と言われた一昔前の時代とは違って、超高齢社会の今では、誰でもが80歳とか90歳とかになるまで生きるのです。第二の人生が、20年も30年もある時代を私達は生きているのです。そこまで長く生きる程身体が保つということなのです。超高齢社会を生きている私たち『高齢者』にとっての一番の問題は、「身体が保つ間も、脳を保たせることができるのか」ということなのです。

(2) 厚生労働省が発表している「アルツハイマー型認知症」を発病しているお年寄りの数、皆さんも驚くほどの人数の人達が現に居て、この先さらにその人数は増加の一途をたどると予測されているのです。要介護状態になって以降死ぬまでにかかる介護費用は、一人当たり平均値で言うと、実績ベースで総額4000万円にも上っているのです。

(3) このまま放置していては、介護保険制度自体が財政面から破綻してしまうのです。「アルツハイマー型認知症」の発病を先ずは個人で予防し、更に、市町村の保健師さんが中核となって地域全体で予防する「住民参加型の地域予防活動」の国策化に因る全国展開が不可欠となるのです。

(4) もう一つ、回復/症状の進行を抑制させることが可能な早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階迄)で見つけて、脳の機能レベルに見合った『脳のリハビリ』の継続的な実践により、正常なレベルに回復させる/症状の更なる進行を抑制することが、我が国にとって、持続可能な超高齢社会を維持する上では、不可欠となるのです。

(5) 回復させることも、症状の進行を抑制することも最早困難な「末期の段階」である「重度認知症」(大ボケ)の後期の段階(30点が満点のMMSEの得点が一桁)で見つけることに何の意味があるのか、社会的な使命とその責任という視点からいえば、医療機関及び医師(特に、認知症の診断が専門である精神科医)達自身も反省するところが多いのではと思うのです。「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる「生活習慣病」なのであり、発病自体を予防することも、早期の段階で見つければ治すことも出来る病気だからなのです。

  「軽度認知症」(小ボケ);回復/症状の進行の抑制が可能

  「中等度認知症」(中ボケ):症状の進行の抑制が未だ可能

  「重度認知症」(大ボケ):症状の進行を抑制することも最早困難

    


(6) 前回のブログに載せた「アルツハイマー型認知症」の年代別の発症率(あの数値は、「大ボケ」の人達だけではなくて、「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の全てを含む数値であることに注意してください)を思い起こしてみてください。

長生きすればする程、身体が保てば保つ程、「アルツハイマー型認知症」を発病する率が高くなるということなのです。

しかもその割合は、80歳代で50%、90歳代では75%もの人が発病することになるのです。身体が保たないのを心配するよりは、脳が保たないことを心配すべきなのです。なぜかというと、この「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、症状が何年もかけて徐々にしか進行していかないからです。

(7) 一旦「アルツハイマー型認知症」を発病すると(その段階は、必ず小ボケ」の段階であって、次いで、「中ボケ」の段階があり、最後には「大ボケ」の段階になるという風に、段階的な症状を示すのが特徴なのです)、認知症以外の何らかの病気の発病が原因で死を迎えることになるまで(「アルツハイマー型認知症」が原因で死ぬことはないので、身体が保つ間ずっと)、症状が進行していくことになるのです。

(8)「家族介護」とかが美化されて、社会的に制度化されてしまい、「アルツハイマー型認知症」を発病したあなたの面倒を、その間ずっとあなたの連れ添いや、或いは家族(息子や娘たち)が見ることになるのです。「アルツハイマー型認知症」を発病していても、施設には簡単に入れてもらえない時代が来ているのですから。それで構わないというのですか。

(9) 発病自体を予防したり、最悪の場合でも早期の段階(私たちの区分で言う、「小ボケ」又は「中ボケ」の段階)で見つけると「脳のリハビリ」で正常なレベルに回復・症状の更なる進行を抑制させることができるのが、「アルツハイマー型認知症」の特徴でもあるのです。

但し、早期の段階で見つけて、脳リハビリによって正常なレベルに回復/症状の更なる進行を抑制させる問題は、しばらく脇に置いといて、「発病の予防」というテーマに的を絞って、先ずは説明していきたいと思います。

     

&2 原因不明と言われている「アルツハイマー型認知症」は、廃用型の「生活習慣病」

(1) それでは、本題の「発病自体の予防」というテーマに戻って、説明していきましょう。高齢者の仲間入りをされている皆さんにとって、第二の人生を生きているということは、よほど特別の環境にある場合を除いて、「仕事とは無縁」の日々を生きているというのが通常のケースのはずだと思うのです。そうした日々の生活の中で肝心の『身体が保つ限りは、脳も保たせる」には、「アルツハイマー型認知症」の発病を回避/発病時期の先送りするには、どのような生き方をしたらいいのかに、回答しましょう。

(2) 答えを簡単に言うと、あなたの脳が、脳全体の司令塔の役割を担っている『前頭葉』が生き生きと働くような日々の生き方(脳の使い方としての日々の「生活習慣」)を継続して実践することが、必要条件である「前頭葉の機能を正常なレベルに保ち続ける」為に不可欠の条件となるということなのです。廃用症候群に属する老化・廃用型生活習慣病本態であり、「第二の人生」を生きる高齢者だけが発病の対象となる(老年発症が特徴である)『アルツハイマー型認知症は、前頭葉の機能が正常なレベルに保たれている限りは、発病は起きてこない性質のもの』だからなのです(私たち二段階方式が世界に誇る14689例に上る脳機能データは、『アルツハイマー型認知症』の発病の場合には、『前頭葉』の機能が真っ先に、異常なレベルに衰えが進行して行くことが示されているのです(アミロイドβ仮説は、事象の事実としてのこの脳機能データを、合理的に説明することが不可能なのです(=アミロイドベータ仮説の主張内容は、100%誤りであることの実証データとなるのです!)。

    

(3) 正しい答えは、唯一、このことに尽きるのです。この方法以外に、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する方法は無いというのが、「前頭葉」という脳の司令塔の働きに関する「脳機能データ」の解析から私たち二段階方式が得た結論なのです【世界最先端のデータ!】。

(4) 最近はやりのiPS細胞をもってしても無理、或いは、世界中の製薬会社が開発にしのぎを削っているどんな薬も、『症状の進行の抑制効果が期待できるものは未来永劫開発されることはあり得ない』のです。

更に言えば、「治すことも、発病自体を予防することが出来る薬も、未来永劫開発されることは、有り得ないのです。

何故なら、「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないからです。

(5) 第二の人生を生きる60歳を超える年齢の「高齢者」である(発病の「第一の要件」)あなたの日々の脳の使い方、「前頭葉」の出番がどの程度有るのか/無いのかという意味での「脳の使い方としての生活習慣の在り様」が、「アルツハイマー型認知症」を発病するか/しないかを決定づけるという意味での「生活習慣病」(巷に言う、食生活や、糖尿病の発病とは、無関係のもの)なのです。

(6)「意識」が覚醒した状態下における「脳全体の司令塔の役割」を担っている「前頭葉」の出番が極端に少ない生活、すなわち、「生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標となるものもない」単調な生活習慣の継続、私たち二段階方式の言葉で言う「ナイナイ尽くしの単調な生活習慣」が日々継続される生活習慣が継続されていく状況の下で(発病の「第二の要件」)、廃用性異常な機能低下が進行して行くことによって、即ち、(第一の要件と第二の要件とが同時に充足されることによる「相剰効果」)により、『前頭葉』を含む脳全体の機能が(前頭葉、左脳、右脳、運動の脳の順番に)、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていき、そのことが唯一直接の原因で、発病/症状の重症化が進行して行く病気だからです(認知症の専門家とされる医師や学者が騒いでいる「大ボケ」は、末期の段階の症状であって、「小ボケ」が発病の始まりの段階なのです)。

    


&3 「アルツハイマー型認知症」の症状には、三つの段階がある

(1) 発病の最初の段階である「軽度認知症」(「小ボケ」の段階では、「左脳」も「右脳」も「運動の脳」も、全てが未だ正常なレベルに在って、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能だけが「廃用性の機能低下の進行により、異常なレベルに衰えてきている」ことを、認知症診断のの専門家とされる精神科医達が見逃している(気づいていない)だけなのです。

(2) 言い換えると、三頭立ての馬車の御者である「前頭葉」の機能が正常なレベルに保たれている限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することは、『絶対に起きて来ないこないこと』なのです。

従って、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する方法は、「前頭葉」の出番が多いあなたなりの日々の脳の使い方(暮らし方、生き方)、「生活習慣」を確立して、日々それを実践することに因り、『前頭葉の機能を、正常なレベルに保ち続けていくことに尽きる』のです。

(2) 原因ではなくて結果(副産物)でしかないアミロイド・ベータとかの蓄積による『老人斑の生成』や、タウ・蛋白の蓄積の影響とかによる『神経原線維変化』や、神経細胞の減少とかによる『脳の委縮』ばかりに目が行き(「前頭葉」を含む脳全体の機能について起きて来る、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行をもたらしている『真犯人』には目がいかなくて)、更には、『アルツハイマー型認知症の本態を「神経変性疾患」と早合点し、誤解した上での、「記憶の障害」という要因ばかりに注目している限り、認知症の世界的な権威とか専門家と言われていようとも、「アルツハイマー型認知症」の発病/症状の進行を惹き起こしている真犯人(真の原因)を探り当てることは、何時まで経ってもできない相談だということを指摘しておきたいのです。時間とコストと若い人材の無駄遣いに終わるだけなのです!

    


(3) 認知症の専門家達の間で世界最高の権威とされる米国精神医学会の「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM-Ⅳ」が、例え「記憶の障害」を第一の要因に挙げていようとも、「記憶の障害」は発病を惹き起こしているメイン・ターゲットではないからなのです。私がこのブログを書き始め、様々な問題を提起し、指摘してから既に2年半が経過しようとしているのです。世の中の尊敬と信頼とを得ているはずの皆さんは、いつになったら、専門家とされる期待に応えようとするのですか。

(4) 今も、「東日本大震災」の被災地の高齢者の間では、「アルツハイマー型認知症」を発病する人達がどんどん増えてきていて(最初の段階であり、回復させることが容易な小ボケ」の段階の症状が発現してきている人達のこと)及び症状が徐々に次の段階に進行する人達がどんどん増えてきていて(回復させることが未だ可能な中ボケ」の段階へと症状が進んできている人達のこと)、更には、末期段階の「大ボケ」の症状が発現してきている人達の数も、徐々にではあるものの次第にその数を増してきている筈なのです(中ボケの段階に回復させることは愚か、症状の、更なる進行の抑制さえも最早困難「大ボケ」の段階進んできている人達のこと)。

    

 注)本著作物(このブログB-14に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

エイジングライフ研究所のHPを「クリック」してください)

     脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません

     http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist

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アルツハイマー型認知症は、防げる治せる   (B-13)

2014-06-20 | アルツハイマー型認知症に対する正しい知識

      

   無批判に 信じることの 愚かさよ

           猫さえまたぐ イワシの頭   (13) By kinukototadao 

 

○  「東日本大震災」の被災地の高齢者の動向に関心を向けてください

たくさんの種類がある認知症(「ボケ」とも言います)、中でもその大多数90%以上を占めているのが、「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症なのです。ところがその「アルツハイマー型認知症」は、世の中の(世界中の)認知症を専門とする学者や医師や製薬会社の研究者達からさえ、「原因も分からないし、治すこともできない病気」と言われ続けてきているのです。

一方では「原因が(発病のメカニズムが)不明」と言われながら、他方では世界中の製薬会社が治療薬の開発に巨額の投資をして日夜しのぎを削ってもいるのです。「治すことも出来ないし、予防することも出来ない」とされながら、製薬会社から何種類もの薬が(治すことはできないが、症状の進行を遅くする効果が期待できるという謳い文句の下で)、発売されてもいるのです。「鰯の頭も信心から」とかいう諺のように、信じて飲めば効くとでもいうのでしょうか(ここを「クリック」してください)。

    

私たちは、「アルツハイマー型認知症」は廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であると主張しています。私たちの主張は、私たちが開発した「二段階方式」の手技を活用して集積してきた極めて多数の「脳機能データ」の解析と20年間にわたる市町村での「地域予防活動」の実践の成果に基づいてもいるのです。

更には、2012年3月1日以来100回を超えるブログ記事の中で「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム、早期診断による回復及び個人レベルでの脳を活性化する「生活習慣」の構築による発病の予防並びに市町村の保健師さんを中核とした地域ボランティアとの協働により展開する「地域予防活動」の必要性を呼び掛けてきました。

又、このブログを通じて、あの未曽有の大災害であった「東日本大震災」の被災地の高齢者達の内の極めて多くの人達が、認知症の専門家と称する学者や医師たちが驚くほどの高率で、「アルツハイマー型認知症」を発病していて、且つ症状が段階的に進行して来ていることを予告し警鐘を鳴らし続けてきてもいるのです。権威が有るか無いかではなくて、主張内容の正しさ、内容の有無が問題なのです。皆さんも、市町村の保健師さん達も、早くこのことに気づいて、正しい選択をして欲しいと願うのです(ここを「クリック」してください)。

    

私たちの区分による「軽度認知症」(小ボケ)の段階の人達の数が極めて多人数に上っているだけでなくて、次の段階である「中等度認知症」(中ボケ)の段階の人達も相当数出てきているはずと危惧しているのです。それだけでなく、生活環境及び条件から進行が速い人では、末期の段階であって回復させることが困難な「重度認知症」(大ボケ)の段階の人達もかなりな数出てきていると考えているのです(ここを「クリック」してください)。

「アルツハイマー型認知症」の進行のスピードから考えて、あと2~3年もすると、「東日本大震災」の被災地で、末期段階の「重度認知症」のお年寄り達が町中に溢れ返るような重大な状況が現れてくるようになり、認知症の専門家達が大騒ぎする状況が起きてくると考えているのです。が、いかんせん「重度認知症」の段階で見つけていたのでは回復させる可能性という視点からはもう手遅れ、見つけるのが遅すぎるのです。

「重度認知症」の段階になって見つけていたのでは、どんなに手を尽くそうと回復させることは困難、「介護」の途しか残されていないのです。認知症以外の何らかの病気で死を迎えることになるまで、「介護」し続けるしかなくなるのです。その間、脳の機能レベルが徐々に衰えていく結果の反映として「重度認知症」の段階での症状が徐々に更に重くなっていくだけなのです(「重度認知症」の初期の段階の症状から中期の段階の症状を経て、最後は植物人間のような状態の症状が出てくることになる)(ここを「クリック」してください)。

     

○  症状の進行段階があるのが「アルツハイマー型認知症」の特徴

昨日まで普通に生活できていたお年寄りが、一晩寝たら、突然身の回りのこともできなくなり、ズボンを頭から被ったり、住んでいる家が分からなくて徘徊したり、同居している家族の顔も分からなくなったりすると思いますか。

そんなことは、絶対にないのです。その段階にまで進んだ状態は、最重度の段階の症状、言わば「末期段階の症状」(私たちの区分で言う「重度認知症」の症状)ですから、確かに回復は困難です。しかし、同居して一緒に生活している家族の方々から状況や生活ぶりの変化を詳しく聞いてみると、最初に、「ちょっとおかしいな」と気づいたときから3年以上、時には6~8年もかかって、「軽度認知症」(小ボケ)の段階に始まり、「中等度認知症」(中ボケ)の段階を経て、最後は末期段階の「重度認知症」(大ボケ)の段階へと症状が徐々に進行していくことが分かるのです。

末期の段階の症状が出てきて、どうにも手に負えない状態になってから家族が病院に連れていくので、「アルツハイマー型認知症」は「原因もわからないし、治らない」という認知症の専門家であるべき医師達の誤解が世間の常識にされてしまったのです。見つけている段階が遅すぎるのです。「小ボケ」や「中ボケ」までの段階で見つければ、「脳のリハビリ」で正常な状態に回復させることができるのです。「大ボケ」の段階で見つけることに何の意味があるというのでしょうか。見つけることに何の意味もない「CT」やら「MRI」やらの高額な医療費がかかる高級な機器を使うことで、意味もない膨大な医療費がかかるだけのことなのです。

     

 私たちは、「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)を含む「脳の働き具合」とその結果である症状との関係がどのようになっているかを調べる方法を開発し、早くから「脳の機能」という物指しを使って、全国規模でデータの収集を実施してきました。その結果、「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含めた脳の使い方という視点での「生活習慣」に起因する病気であることをつきとめました。

 活動を開始してからこれまでのこの20年間に、全国440を超える数の市町村で「地域予防活動」の実践を指導し、大きな成果を挙げてきた経験に基づく「生活習慣の改善による脳の活性化」により、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防と早期段階(「軽度認知症」及び「中等度認知症」の段階)の発見による「アルツハイマー型認知症」からの回復が可能であることを、具体的な方法を含めて、指導し啓蒙する活動を行ってきているのです(ここを「クリック」してください)。

 これまでのブログで体系的な説明はほぼ完成されたと考えているので、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム(発病の原因)や症状の進行(段階的に発症する症状)等のテーマにも触れつつ、今後は、脳を活性化する「生活習慣」というテーマに或る程度的を絞りながら、今回のような短文で折々のテーマを取り上げて説明していきたいと考えています。

    

「アルツハイマー型認知症」を発病している人達の人数は、認知症の専門家である学者や医師達が問題にする回復が困難な末期の段階(私たちの区分で言う「重度認知症」の段階)の人達だけでも何百万人という単位での大変な人数になるのですが、私たちが脳のリハビリにより正常なレベルに回復させることが可能であるとして問題提起している段階の人達(私たちの区分で言う「中等度認知症」及び「軽度認知症」の段階の人達)の人数まで加えるとその4倍にもなるのです。

北海道から九州まで私たちが「地域予防活動」を実践指導してきた地域で集積してきたデータを基に推計した「年齢別の発症割合」で言うと、60歳代の人達の12%(「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」のすべての段階を含む。以下、同じ。)、70歳代の人達の30%、80歳代の人達の50%、90歳代の人達の75%、100歳代の人達の97%の人達が「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです。

     

その発病するかしないかを区分ける条件は、「生き甲斐があって、趣味や遊びや人付き合いや運動或いは社会活動を自分なりに楽しむ生活の中に、目標となるものがある」生活、そうした「前頭葉」の出番が多い「生活習慣」が確立されていて、且つ日々それを実践出来ているか否かということだけなのです(ここを「クリック」してください)。

何時までも権威に縋り付いていたい人は、アミロイド・ベータ説やタウ・タンパク説や脳の委縮説を信望していただいていて構わないのですが、見かけよりは中身が大事と考える人は、私たちの説に従って日々の「生活習慣」を工夫して、自分なりに「脳を活性化する生き方」を追及していただきたいのです。とはいえ、そのためには「お金」を或る程度使うことも必要になります。「或る程度お金を使って、脳を活性化する生活習慣を自分なりに楽しみ、身体が持つ限り脳も持たせられる」途か、「お金はしまい込んでいて、且つ脳もしまい込んでいて、アルツハイマー型認知症を発病して、家族介護で家族に多大な負担をかけ、最後は施設でただ死を待つだけ」の途のどちらを選択するのか。それは、あなたの「前頭葉」が決めることになるのです。

    

 注)本著作物(このブログB-13に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

エイジングライフ研究所のHPを「クリック」してください)

     脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません

     http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist

   http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a

  

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アルツハイマー型認知症の発病原因から見る意識の枠組み(その3 B-12)

2014-06-15 | 意識的な行為と脳の働き

    死すべきか 永らうべきか 自我意識

     人間のみが 選択をする (12)  By kinukototadao 

 

○ 「意識の座」の機能部位とその機能(「七つ道具」)の枠組み

私たちが考える「意識の座」とは、その活動により「意識状態」という能動的及び動態的で且つ状態的な認知を生み出す機能部位であり、機能要素として以下の7つの要素を備える「前頭葉」の中枢部位を構成している機能部位(具体的には、「前頭前野」)であると考えているのです。「意識の座」は、「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の三本柱の機能と私たちが名付ける「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能に下支えられながら並びに「前頭葉」の「評価の物差し」と私たちが名付ける評価機能と協働して、更には「左脳」、「右脳」、「運動の脳」及び「記憶の倉庫」など外部の下部機構とも協働し及びそれらをコントロールしながら、「意識的に何かのテーマを実行する」世界を構成し及び支配している「前頭葉の中枢機能部位」だと考えるのです。

① 状況を理解し及び判断する能力としての機能が備わっていること

② 状況判断に基づいて、その判断に沿った「テーマ」を発想し、或いは複数のテーマの中から特定のテーマを主題として選択できる能力としての機能が備わっていること

③ 選択された 個別テーマ毎にそのテーマの実行内容を計画し、ケース・シミュレーションし、最終内容を選択し、その態様を含む実行の方法を組み立てる能力並びに計画、組み立て、選択及び統合するその過程で左脳、右脳及び運動の脳など外部の下部機構と協働し及びそれらを統合する能力としての機能が備わっていること

④  状況の変化が起きたと判断した時は、①~③についてその変化に対応する必要なやり直しを実行できる(修正することができる)能力としての機能が備わっていること

⑤  同時進行しながら並立して存在する複数の個別テーマを認識し、その目的を理解し、内容を把握し、進行状況を監視し、管理し及びコントロールする能力としての機能が備わっていること

⑥複数のテーマを同時に並行して把握し、監視し、処理し、状況の変化に応じてメインテーマの対象を別のものに変更する能力としての機能が備わっていること

➆各個別のテーマ及びその全体の進捗状況の把握及び管理並びに状況の変化に応じて全体を調整し、修正し、統合する能力としての機能が備わっていること

上述する7つの機能を備えていて、意識的に何かをしようとするとき、自分の置かれている状況を判断して、テーマとその内容を企画し、その実行の結果をシミュレーションした上で、どのような内容の行為をどのようにして実行するのかを最終的に選択し、実行の意思決定をし及び全体を統合している機能部位が、脳の最高中枢機能部位である「意識の座」だと考えるのです。

        

 ○ 「睡眠」とサーカディアン・リズムを獲得したその目的とは 

「意識の座」の活動により「意識状態」という能動的及び動態的で且つ状態的な認知が生み出されるとしつつ、そもそも人の生体では「意識の座」を含む「前頭葉」の中枢機能部位は活動する状態に在るのが本来的な機能としてのメカニズムとなっていて、「至上命題」である生存の確保という条件から、その活動が「睡眠」というメカニズムにより一時的に抑制され、或いは休止状態に入るという考え方を提案したいのです。

覚醒により継続的に高度に顕在化した「意識状態」を生じさせていた「意識の座」の活動が、一方で「睡眠」のメカニズムという調節機能が働くことにより潜在的な活動状態に入っていくことにより脳を休ませ(まどろみの状態に在って「意識状態」は生じているが覚醒していない段階を経て)、他方で「睡眠」から覚醒することによって再び高度に顕在化され覚醒した「意識状態」を生じさせる活動状態に入っていくというのが、サーカディアン・リズムのメカニズムの機能目的ではないかと考えるのです。

脳の中に組み込まれているそのメカニズムは、弱者であった人間の祖先が進化の過程で「生存を確保」するために不可欠の条件として獲得したものなのではないかと考えるのです。弱者である哺乳動物、特に身体自体も小さな草食系の哺乳動物が、「睡眠」の時間を極端に短くしていたり、例えば身体の大きな牛でさえ、立ったままで眠るというのも、同じ目的から獲得した似たようなメカニズムなのではないかと考えるのです。野生の動物を動物園で飼育していると、睡眠時間が長くなるというのも、私たちの考えを支持してくれているのではないでしょうか。

     

 私たちは、所謂「意識」とは、「意識状態」という状態的な性質を有する認知(以下、「認知状態」という)であると考えているのです。従って、「意識が有るのか無いのか」ではなくて、「意識状態に在るのか無いのか」というのが正しい視点だと考えるのです。更には「意識の座」の活動により生じてくる「意識状態」は、潜在的な「認知状態」又は顕在的な「認知状態」として人の生体には常に存在していて、「睡眠」により「意識の座」という脳機能が活動を抑制され或いは休止する間だけ、深くは休眠状態から浅くは夢を見る状態までの範囲で「意識状態」の覚醒が無いか又は「意識状態」の覚醒度が低く抑えられている状態に在るのではないかと考えるのです。

「睡眠」の抑制効果により「意識の座」の活動は、ノンレム「睡眠」とレム「睡眠」とを交互に繰り返すリズムの下で、「意識の座」の機能の休息を確保していて、最後のサイクルではノンレム「睡眠」からレム「睡眠」へとリズムを経由することで次第に「意識状態」の覚醒の度合いを高めていき、最終的に「睡眠」から完全に覚醒する時点で(覚醒することにより)高度に覚醒された「意識状態」という認知状態のレベル(「意識の座」の働き具合の程度)を獲得しているのではないかと考えるのです。                                       

言い換えると、「睡眠」から目覚めてくるのに従って、それまで抑制されていた「意識の座」の活動が次第に活性化してくるのに伴い「意識状態」の覚醒度が高まっていき高度な思考や活動が行えるようになる状態が確保されていくというメカニズムが「サーカディアン・リズム」というメカニズムの機能目的の中に存在しているのではないかと考えるのです。「睡眠」状態からの解放に伴う覚醒によって潜在的な機能レベルにあった「意識の座」の活動が顕在化してくること及びそれにつれて、「意識状態」の覚醒度も同時進行的に高まってくると考えるのです。更には、その「意識状態」の覚醒度を下支えする機能が「前頭葉」の三本柱の機能と私たちが名付ける「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能であり、「意識状態」の覚醒度も前回のこのブログで説明した「意識状態」の覚醒の判定基準にみるように、様々な段階があると考えるのです。

      

従って、世の中で所謂「無意識」とされている状態は、上述した「意識状態」が未だ覚醒していない状態の一部を占めていると考えるのです。その意味で、「無意識が全ての意識を支配している」とか「意識に先行する無意識が存在する」とかの議論は、この視点を欠いているが故の議論に過ぎないと考えるのです。

高度に覚醒されている状態下ではフル回転状態に在る脳、特に「意識の座」の活動を休止させるために、「睡眠」という仕組みがサーカディアン・リズムの下に組み込まれている。更には、そのことを確かなものにするために様々な神経伝達物質やホルモンを放出し、或いは分泌する機能機構が確保されている。そうした視点から私たちは、例えばレム睡眠時のように、「意識の座」による活動が抑制されている潜在的な認知状態であっても、「意識状態」は極めて低いレベルながらも創出されていると考えるのです。更に、「意識状態」が顕在化し覚醒されているレベルであっても、「前頭葉」の三本柱の機能の活性化の程度により覚醒度が高くもなり、或いは低くもなると考えるのです。

    

 ○ 「睡眠」のメカニズムとその意味についての雑考

 (私たちは「睡眠」のメカニズムについては門外漢なのですが)種の保存を最優先とした動物の進化の過程を考えてみるとき、種の保存という視点から天敵から生き延びる上で不可欠なのは、十分な「睡眠」をとることではなくて、究極的には24時間常に目覚めていることだと思うのです。しかしながら、「睡眠」を全くとらないと最終的には死んでしまうことになるので、必要最少限度の「睡眠」をとるメカニズムが確立されてきたのではないかと推測するのです。それが、生存の確保を最優先にし、且つ「覚醒」と「睡眠」との最適条件を得るためのメカニズムとしてのサーカディアン・リズムというメカニズムではないかと考えるのです。単に「睡眠」と「覚醒」との繰り返しをコントロールするというのではなくて、(「睡眠」中も、レム「睡眠」とノンレム「睡眠」とを繰り返している)という辺りが、極めてよく工夫されているシステムだと感心させられるのです。あの「忍者ダコ」が天敵から我が身を守るために天敵の天敵に姿や形を七変化させる技を進化の過程で獲得したように、人間もこのサーカディアン・リズムという技を獲得したのではないかと想像を膨らませるのです。

  種の保存というか、天敵から死を逃れる為の出来るだけ有効な手段としては、最低限2つの条件を充足していることが必要となります。1つ目の条件としては、「睡眠」とそれからの「覚醒」とがきちんとしたサイクルの下にコントロールされていること。2つ目の条件としては、より短時間で深い眠りにつくと共に、「睡眠」から出来るだけすばやく、且つきちんと「覚醒」できることがコントロールされていること。一方で「睡眠」は脳の活動の休止として不可欠のものであり、他方で「睡眠」から目覚めて「脳が活動」する時間帯では、食料を見つけたり天敵から我が身と家族とを守ったりする上で、複数のテーマを同時に並行して、且つきちんと処理出来るだけの「意識状態」のより高い「覚醒」が求められることになります。そうした目的を達成するシステムとして、「サーカディアン・リズム」(概日リズム)というシステムは進化の過程で私達人間が獲得した極めて有効なシステムなのではないかと、忍者ダコに或る種共感を覚えつつ考えるのです。

        

○ 「意識状態」の抑制と覚醒のメカニズム

「意識の座」の活動により生じる「意識状態」は、その活動のレベルが一定レベル以下である状態の下では「潜在的な認知状態」として、或いはその活動のレベルが一定レベル以上である状態の下では「顕在的な認知状態」として(「意識状態」が覚醒レベルにはない覚醒度が低い状態及び覚醒レベルにあって覚醒度が高い状態からなる)存在していると私たちは考えているのです。従って「意識状態」は、潜在的な認知状態である二つの段階、ノンレム「睡眠」時(「意識の座」の活動が「睡眠」効果により高度に抑制されて休止の状態に置かれている)及びレム「睡眠」時(「意識の座」の活動が「睡眠」効果により低く緩やかな抑制の状態に置かれているが、極めて低いレベルでの「意識状態」の覚醒が認められる)、或いは、顕在的な認知状態(「意識の座」の活動が「睡眠」の抑制から解放されて、高度に活性化されている状態。この状態下では、ドーパミンやノルアドレナリン等の神経伝達物質の分泌に伴う「前頭葉」の三本柱の機能の活性化の反射的効果により、「意識状態」の覚醒度が一定レベル以上に高くなっている)に区分されると考えているのです。

      

○ 「意識の座」に備わる人間に特有な「統合機能」

 「意識状態」を生み出す源である「意識の座」の機能は、自分の置かれている状況を判断し、その状況判断に基づいて目的となるテーマを発想し、テーマに沿った実行内容を計画し、テーマを実行するために必要となるケース・シミュレーションした上で最終的な実行内容を組み立て及び実行を決定するという機能を備えていて、「前頭葉」内部での情報のやり取り並びに「左脳」、「右脳」、「運動の脳」及び「記憶の倉庫」を含む「前頭葉」外部の機構との情報のやり取りをコントロールし、更には、それら全体の働きを統合し及び実行の指令を脳の各部に出す等、脳全体の「司令塔」としての役割を担っていると考えるのです。

       

○「意識状態」が覚醒した状態下での発現とその 「二段階」構造

言葉を話すときも或いは言葉を聞き取るときも、「左脳」だけでなく「右脳」も働いていて、運動するときだけでなく運動を認識するときも、或いは脳の中で運動をイメージするときも運動の脳が働いているのです。「評価の物差し」の機能部位を含む「意識の座」が核となって、下部機構である「記憶の倉庫」並びに「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」との協働した働きにより、左脳がらみの言葉の表現も、右脳がらみの感情の表出も、運動の脳がらみの動作も全てが先行する「潜在的」な認知状態で形成され、且つ幾つかのケース・シミュレーションが行われて、その上で、「顕在化」した形での認知状態として各種の認知に基づく言葉や行為や行動の発現(例えば言葉の表出がなされ、感情の表出がなされ、動作を伴う運動行為)がなされるという「二段階」の発現構造(発現のシステム)になっているのではないかと考えるのです。

 「意識状態」の覚醒度が極めて低い「潜在的」な認知状態下で形成された認知が「意識状態」の覚醒度が極めて高い「顕在化」した認知状態として発現するまでのタイム・ラグが極めて短く瞬間的なものであるが故に現在開発されている機能レベルの機器ではその前段の「脳の活動による認知状態」が確認されていないだけなのではないかと考えるのです。その意味で私たちは、(「無意識」が全ての「意識」を支配している)という主張には与することができないのです。

       

○ 多重多層のテーマの進行をコントロールし、統合する「意識の座」の機能

「意識の座」の機能の発揮のレベルというか、発揮の度合いを考えるとき、「前頭葉」の三本柱の機能による下支え効果という視点が欠かせないのです。「前頭葉」の三本柱の機能は、「記憶の倉庫」及び「評価の物差し」並びに前頭葉の個別機能である各種の「認知機能」の認知度及び機能の発揮度、更には「意識状態」の覚醒度を左右し下支えする重要な役割を担っていると私たちは考えているからです。「前頭葉」の三本柱によるこの機能が働くことによって、多重多層の「意識状態」の併存が可能となり及び複数のテーマの併存が可能となっているのです。

前回のブログで例示したあの場面、私が、注意を僅かに分配して車を安全運転しながら、メインの注意は「意識」についての私見の第二弾(その2)の最終構成を頭の中で整理することに向けられつつ、更に脳の片隅では私の大好きなMariah CareyBGMを楽しみながら、もう温泉に入っているかのようなルンルン気分で車を運転し、更には、後になって「想起」することができない程の極めて低い認知状態(当該テーマに対し配分された「注意の分配力」が小さく、当該場面での思考と判断に関わる情報の「記銘度」が極めて低いことが原因なのです)の下で信号が赤だと停止するし、三叉路に出会っても正しい道をきちんと私の脳が選択できていたのも、このメカニズムが働いていたからこそなのです。

      

「意識」の構成を考えるというメインのテーマに対しては「注意の分配」機能による注意力が多く配分されていて当該テーマに対する「意識状態」の覚醒度が極めて高いのに対し、「車の運転」という小さなテーマに対しては「注意の分配」機能による注意力が僅かしか配分されていないので当該テーマに対する「意識状態」の覚醒度が極めて低いのです。複数存在するが「評価の物差し」に基づく評価が異なるテーマに対する注意分配機能の配分の仕方を、或いは関心や興味の変化、更には新たな発想による状況の変化に対応して注意分配機能の配分の仕方を、コントロールし、或いは統合する働きをしているのも「意識の座」なのです。

だからこそ、(信号が赤だと停止するし、三叉路に出会っても正しい道をきちんと私の脳が選択できていながらも)、その都度の状況を事務所に着いた後で全く想い出すことができないのです。それらのテーマに対しては、注意分配機能に基づく都度の注意力の配分が極めて少なく、「意識状態」も極めて低かったがために、当該テーマの記銘度が低くなり、その結果として想起することができなかったということなのです。意識というテーマに関わる情報の記憶は長期に保存する価値があり、信号の判断や三叉路の判断に関わる情報の記憶は短期に消滅しても構わないものと「海馬」が判断した訳ではないと私たちは考えるのです(ここを「クリック」してください)。

    

「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の下支え効果が高まることにより上述した各種の個別認知機能の発揮度が高くなるし、「前頭葉」の三本柱の機能の下支え効果が低くなると上述した各種の個別認知機能の発揮度が低くなるという関係になっているのです。「アルツハイマー型認知症」の最初の段階、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、この三本柱の機能が異常なレベルに衰えてきているため、「意識状態」の覚醒度が必要なレベルに高くならなくなったがための様々な症状(単なる老化現象ではなくて、認知症の症状)が発現してくるのです(ここを「クリック」してください)。

最近流行りの「軽度認知障害」という考え方を提唱し、主張し、或いは研究している人達は、「前頭葉」の機能、中でも、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の働きにもっと注意と関心を向ける必要があると言いたいのです。アミロイド・ベータとかタウ・蛋白とか脳の委縮とかにばかり目を向けていたのでは、何時まで経っても「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムに肉薄することは出来ないことを指摘しておきたいのです。

       

私たちが意識的に何かの「テーマ」を発想し、その内容を組み立て、いくつかのケース・シミュレーションを経て、最終内容を決定し、それを実行しようとするとき、テーマを形成する要素が複雑で実行する条件が複雑で難しいものになればなるほど、「意識状態」の覚醒度が高くなることが不可欠の条件となり、それを下支えし可能にしているのが「前頭葉」の三本柱の機能なのです。

猶、詳細については後述するように、「前頭葉」の三本柱の機能には、加齢とともに機能が衰えていくという内因性の「正常老化の性質」があることに留意する必要があります(この性質は、極めて多数の「脳機能データ」の解析により私たちが最初に発見したものなのです)。又、「前頭葉」の三本柱の機能の一角をなす「意欲」の機能は、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の発揮度を左右し、下支えしていることにも注意が必要です。

       

○ 三頭立ての馬車の「御者」の役割を担う「前頭葉」の機能

ところで、意識的に何かの「テーマ」を実行するための行動を起こすには、先ずは、考えることが先決となります。何をどうするのかそのテーマを考えて(色々な可能性のテーマをシミュレーションして)、その考えたテーマの中からこれと思うものを選択して、その選択したテーマの実行計画を立てて、立てた計画のやり方を工夫しつつ行動に移す。それが、私たち人間だけが獲得した特権なのです。

ここで、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能、「意識的な世界」を支配している「前頭葉」の働き方について概説しておきましょう。私達人間だけに備わる「前頭葉」の機能を中核として(わかりやすく表現すると、三頭建ての馬車の「御者」の役割)、私たち人間は、意識的に何かの「テーマ」を考え、その内容を計画し、いくつかのケース・シミュレーションを経て、個々人ごとに異なる「前頭葉」の「評価の物差し」に照らして、最終的な判断による決断をして、左脳や右脳や運動の脳に対し指令を出して実行しているのです。

最終的な判断或いは決断に至る過程では、様々なケース・シミュレーションが必要となるので、「前頭葉」の三本柱の機能(意欲、注意集中力および注意分配力)の中でも「注意分配力」の機能が働くことで、「主題」となっているテーマを保持しつつ同時に、いくつかの選択肢であるシミュレーションの対象となる「副題」に対しても注意を分配し関係する機能を発揮することができるのです。その場合、「注意の分配機能」の分配された度合いに応じて当該副題に対する「認知度」及び「意識度」が高くも低くもなるということなのです(「認知及び意識の多重及び多層構造」の問題)。

       

○ 「前頭葉」の三本柱の機能に潜む「正常老化」の性質

意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、関心、発想、企画、計画、創意、工夫、予見、シミュレーション、比較、修正、整理、機転、抑制、忍耐、感動及び判断等、「前頭葉」を構成している各種の高度な個別の認知機能を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。認知度が一定レベル以下だと、「前頭葉」の各種認知機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした「認知度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「三本柱」の機能なのです(「認知度」と「発揮度」とがともに、「三本柱」の機能レベルと「リンク」しているのです)。

 「前頭葉」を中核の機能として、左脳や右脳や運動の脳も参加して、脳全体で何をどのようにするかを決めるには(テーマを選択し、実行計画を立て、実行に移す)、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠になるのです。様々な状況を考慮し、いくつものケースシミュレーションを経た上で、最終的な内容を決定し、実行に移すには、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の発揮も必要になるのです。上述のようにその「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、脳全体の司令塔としての「前頭葉」と言う脳の一角を担っている「意識の座」及び「評価の物差し」の機能に並ぶ三本目の矢としての機能と言えるのです。 

       

○ 記銘度が仕分ける短期記憶と長期記憶の区分

 短期記憶と長期記憶とを区分けているのは、世の中の識者たちが言うような「海馬」にその選択基準と選択の機能とが備わっているからではないと私たちは考えているのです。私たちが集積してきた「脳機能データ」の解析によると、記銘するときの記銘度が高い情報が長く「保存」され、よく「想起」されるということなのです。例えば、自身が高い関心があるテーマ、強い興味を抱いているようなテーマ、或いは関連する記憶があるテーマ(強い恐怖心を覚えたことがあるテーマやとても辛く悲しい思い出や記憶があるテーマなど)の記銘に際しては、(関係するニューロン群の発火の頻度が高く、活動範囲も広くなるのではないかと想像するのですが)「前頭葉」の三本柱の機能である、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が高度に働くためにその情報の「記銘度」がとても高くなり、その結果として長い期間保存され、時間が経過してもよく想起されることになると私たちは考えているのです(ここを「クリック」してください)。

 私がTadの事務所に向かう途中で体験した、「信号の色の変化に対する認識と判断」や「三叉路での正しい道の選択」の状況を事務所についた後に全く覚えていなかった(想い出せなかった)という前述の例示のことを思い出してください。皆さんにも似たような体験は日常茶飯事だと思うのです。

    

○  「意識の座」の定義構築への挑戦とその動機

ダイニングテーブルを挟んで夫のTadと昼食をとりながら、私の「前頭葉」は、同時に内容が異なる3つの「テーマ」に関心を向けていたのです。1つ目のテーマは、目の先正面にあるテレビの画面で、南極大陸の地底深く氷の中に閉ざされた洞窟に棲む未知の微生物の活動を探っている研究者達の探検と探索の姿を追いかけ(脳の機能面からは、3頭の馬と協働している状態にある)、2つ目のテーマは、右目の右端の視野の先に入っていて私と同じテレビの画面を見ながら昼食をとっているTadの姿を追い(右脳と運動の脳の2頭の馬と協働している状態にある)、そして3つ目のテーマは、左目の左端の視野の先に入っていて柔らかい薄緑色の小さな若葉が伸びている最中でいくつもの枝が重なり合ったブーゲンビリアの細い枝に止まって餌をついばんでいる1羽の山雀(ヤマガラ)の姿を追っている(右脳と運動の脳と協働している状態にある)のです。

但し、目の前に居て餌をついばんでいるこの山雀の姿をどう捉えているのかということについて一言言及しておくと、私のそれとTadのそれとは全く異なるのです。それは、私たちの夫婦関係の在り様の問題でもなく、或いはその主張内容に対して私たちが根本的な疑義を抱く最近流行りの量子力学による意識の揺らぎのせいでもなくて、二人のそれぞれの「評価の物差し」(自分独自の物の見方、感じ方としての脳機能)の差異が原因なのだということを注意喚起しておきたいのです(ここを「クリック」してください)。

勿論のこと,私の味覚は、(時期的にはかなり遅いというか、時季外れなのですが)今日の早朝近くの竹林でTadが掘ってきてくれた、柔らかさの中にも歯ごたえのあるシャキシャキした筍の食感とフレッシュな若竹の香り(?!)と薄めでさっぱりとした醤油味とのハーモニーを十分に味わってもいたのです。私の「前頭葉」は、或るテーマについては左脳、右脳及び運動の脳の3頭の馬と協働しつつ、同時に或るテーマについては右脳という馬だけと協働し、更には、別のテーマについては運動の脳とだけ協働するという曲芸までやってのけるのです。

    

 脳が活性化する自分なりの「生活習慣」を日々それなりに楽しんで暮らしている私にとって、この程度のことなら齢66歳とはいえ、同時に追いかけて楽しむことが未だできるのです。その状況の中で、私の主たる「注意の分配力」の機能は(言い換えると、その時の関心は)、あるときはテレビの画面のほうに、ある時は山雀のほうに、そして稀には、Tadのほうに向けられていたのです。複数のテーマが同時に進行している状況では、その時もっとも「関心」があるテーマへと主たる注意を向けるように私の「注意の分配力」の機能は機能しているのです。関心の対象をこんな風に変えているのは、私の脳の中の誰なのか。この時私は、今まで世の中の(世界中の)誰一人として解明することができていないという、「意識」の定義の構築という特別に難解な「テーマ」に挑戦してみようと思い立ったのです。

 3回に分けて説明してきた「意識」という超難解な「テーマ」への私なりの考えに基づいたその定義の構築という挑戦を終わってみて、内容の稚拙さには、それなりに気恥ずかしさを感じているところなのですが、66歳というこの齢にしてこの「テーマ」に挑戦した意欲とその心意気とに対しては、それなりに拍手を送ってもいいのかなとも思うのです。

 次回からは、私の専門分野である「アルツハイマー型認知症」というテーマに戻ります。また、そこでお目にかかりましょう。

 最後まで読んでいただいて、有難うございました。謝 謝。

       

注)本著作物(このブログB-12に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

   エイジングライフ研究所のHPを「クリック」してください)

    脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません

    http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist

   http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a

   

 

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ブログを書き始めてから、あっというに経ったこの2年間

2014-06-10 | 楽しくて意欲が湧いてくる生活と脳の活性化

この2年間に私のブログに使った写真の中から、「記憶」に残るものをいくつか拾い出してみました。それらは、私の脳を活性化させた生活の記録でもあるのです。

 もう消えてしまって取り戻すことはできない時間とは言え、「忘却の彼方」には未だ行っていなくて、その時々の様々な記憶が懐かしくよみがえってきました。

      

      


      

      


      

      


      

      


      

      


      

      


      

      


      

      



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アルツハイマー型認知症の発病原因から見る意識の枠組み(その2 B-11)

2014-06-01 | 意識的な行為と脳の働き

       

   意識とは 尋ねる先も 我が意識

            何処に居るかを 我が脳に問う     (11) By kinukototadao 

  

○ 複数のテーマを同時に並行して処理できる人間の脳

  昨日は一日中お庭の草取りで疲れ果てていたので、23時過ぎには床に就いたのです。でも熟睡できたせいか、目覚めたときは未だ5時半過ぎだったのです。もう一度眠ろうと思ってはみたのだけど、なんだか目が冴えてきてしまって、それで仕方なく今日の行事予定をあれこれ時系列で考えてみたのです。

 銀行に行ってお金を下ろして、コンビニで自動車税を支払う。ついでに隣のクリエイトで歯間ブラシとトイレットペーパーとTadが気に入っている神戸屋のアンパンを買う。お昼に川添さんのお家にお呼ばれしているので、12時前には伺う。昼食とおしゃべりを楽しんだ後は、話ばかりでご紹介するのが遅れたままになっているJガーデンの石井さんのお家に、川添さんご夫婦を誘って、3時ごろまでには伺う。その後は、Nickさんご夫婦もお誘いして、Tadが挑戦するパスタ料理と白ワインの夕べを我が家で開く。あ、そうそう、Nickさんが大好きなアイスワインも冷やしておこう。あれこれ考えている内に、時計を見たら、6時前になっていたのです。

 そこで、私の脳が素敵な発想をしてくれたのです。「そうだ、赤沢のTadの事務所に行って、朝風呂に入ってこよう!」。実は、私の家にも温泉があって、24時間何時でも入れるのです。ところが、私の家の温泉は、源泉が熱川にあって、そこから延々とパイプで運んでくるのです。そのせいだと思うのだけど、赤沢のマンションの自泉の温泉のほうが泉質がずっと良いように思えるのです。急いで服に着替えると、Tadが目を覚まさないようにそっと寝室を抜け出して、赤沢の事務所へと向かったのです。

       

 6時を過ぎるともうすっかり周りは明るくなっていて、道中目に入ってくる木々の新緑がとても綺麗で、私の脳をいたく刺激してくれるのです。注意をわずかに分配して車を安全運転しながら、メインの注意は明日朝公開する予定の「意識」についての私見の第二弾(その2)の最終構成を頭の中で整理しつつ、更に脳の片隅では私の大好きなMariah CareyBGMを楽しみながら、もう温泉に入っているかのようなルンルン気分で車を運転しているのです。そうした中で、もちろん、信号が赤だと停止するし、三叉路に出会っても正しい道をきちんと私の脳は選択できているのです。

 3つも4つも同時に並行して存在する異なった内容の「テーマ」を、この年になっても私の脳はちゃんと処理できているのです。然もそれ等のテーマの中でどれがメインのテーマであるかもちゃんと判断されていて、そのことが忘れられないでいるのです。それは、私の「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)の働き、中でも、「注意の分配力」の機能が緩やかなカーブを描きつつ衰えてきているとはいえ、未だ相当高いレベルで働いている証拠なのです。言い換えると、私の脳を活性化させる「生活習慣」がそれなりに実践出来ていることの証でもあるのです。

 その注意の分配力を含む「前頭葉の三本柱」と私たちが名付けている機能は、国民全体での高齢化率が25%に達するところまで来てしまった超高齢化社会の我が国で年々増え続けていて、且つ認知症全体の90%以上を占めていながら専門家達から原因が分からないとされている「アルツハイマー型認知症」の発病原因を解明する上でも、更には本稿の主題である「意識」なるものの私たちなりの定義の構築にチャレンジする上でも、極めて重要で不可欠な機能であり、且つ脳の司令塔である「前頭葉」の一角を担う中枢機能でもあるのです。

       

 〇 「意識」はどのようにして、どこで生まれて、何をしているのか

 私たちはマウスを飼ってもいないし、f-MRIやらPETやらSPECTやらも持ち合わせていないので、私が「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能を様々なレベルで発揮して(意欲を高めたり落としてみたり、注意の集中力を高めたり落としてみたり、注意の分配力を高めたり落としてみたり等)、それら各々の機能を単独に及び又は協働させる形で様々なレベルで、且つ内容が異なるいくつかのテーマを発想し、テーマの枠組みとその内容を組み立て、シミュレーションしたうえで最終の内容を決定し、実行の指令を脳の各部に出す等してみたその日常体験に基づいた感覚、更には私たちが集積してきた「脳機能データ」との整合性をも図りながら、所謂「意識」という概念の問題点の指摘とその定義の構築として、私たちなりに到達した全く異なる視点からの考え方と概念を以下に述べてみたいと思うのです。 

所謂「意識」(後に説明する、私たちが言う「意識状態」)は、個々に特化された専門機能を持ちモジュール化されたまとまりをもつ「ニューロン群」の活動が(言い換えると、多層で多重及び並立的で、且つ相互に有機的な機能関係としてシステム化された機能構造体としての脳の活動が)、或る「特定の脳機能部位」(後述する、私たちの言葉で言う「意識の座」、具体的には「前頭前野」のこと)の働きにより統合された結果として生み出されていると考えるのです。そして、「前頭葉」の三本柱の機能が活性化してくるその反射的な効果により、その「特定の脳機能部位」の活動による「意識状態」の覚醒度が次第に高まってくるにつれて、更に働きの対象範囲が拡大され/働きの質と程度が良くなってくると考えるのです。

                          

 「意識」の通常の覚醒レベルの下での働き具合で言えば、「前頭葉」に備わる発想、考察、計画、工夫、推理、洞察、機転等の種々の個別の認知機能(以下、「個別認知機能」という)を発揮する上で、その程度を左右する機能を有する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能(以下、「前頭葉」の三本柱の機能という)、後天的に獲得され自身の思考や行動の在り方を決定する規範としての働きをする「評価の物差し」の機能(ここをクリック」してください)及びこれまでの人生での実体験や伝聞体験に基づく知識や情景など様々な種類及び態様による情報が蓄積された「記憶の倉庫」の機能(私たち独自の命名)並びに「前頭葉」のコントロールのもとにその下部機構としての役割を担う「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」などの機能との相互に有機的な連携の下で、「意識の座」は、その統合機能の発揮により全体状況を把握し、コントロールしながら、他方で同時に目的となる個別「テーマ」毎にその実行を指示しているという多層で多重の機能構造からなっていると考えられるのです。猶、「意識」なるものについては、世界中の心理学者や脳科学者達の誰一人として未だにその正しい概念的な及び機能的な定義を構築することができていないのですが、私たちは「意識状態」という従来のそれとは全く異なる視点からの機能概念を問題提起し、且つ「意識」という言葉及び概念を「意識状態」という言葉及び概念に組み替えることをここで提案したいと考えるのです。 

       

 私たちが市町村における「アルツハイマー型認知症」の「地域予防活動」の実践指導を通じて集積してきた極めて多数の「脳機能データ」の解析結果によると、「前頭葉」の各種個別認知機能の発揮度は「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の発揮度に直結していること及び所謂「意識」の覚醒度も、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度に直結していること並びに「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の発揮度が三者が状態関数的な関係にあるかのような出力状態(状態量)を示すことなどを基礎として、従来型の概念による「意識」と言う瞬間的/刹那的に発生し消失する機能概念ではなくて、状態的な認知としての「意識状態」という視点及び概念を提案したいのです以下、「意識」を私たちの概念と言葉である「意識状態」と言い換えます

この場合、「意欲」という脳の機能の発揮度が高くならないと(状態量が大きくないと)「注意の集中力」も「注意の分配力」の機能の発揮度も高くならないし(状態量が大きくならないし)、「注意の集中力」の機能の発揮度が高くなると「注意の分配力」の機能の発揮度は相呼応して小さくなるという相関関係にあることに注目していただきたいのです(状態的機能である両者の「状態量」の総和が一定の関係にある)。猶、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能のいずれも、状態量と質感とを具有する「状態的な機能」(私たちの命名)であると私たちは考えているのです。

                       

○ 状態的な認知が本質である「意識状態」

 そもそも意識的に何かの「テーマ」を実行するということは、その前提として、右に行くのか左に行くのか、進むのか進まないのかを「選択」することができる「脳機能が備わっている」ということでもあるのです。それは、すなわち本能で動くのではないということが重要なのです。人間だけが、他の動物とは異なった次元の脳機能(具体的には、「前頭葉」の機能)を持っているからなのです。

 どこで(Where)、なにを(What)、いつまでに(When)、どんな理由で(Why)、どの程度(What extent)、どのようにして(How)実行するのか、或いはしないのか、そのことを(5W1Hのいづれをも)、本能ではなく自由意思に基づいて選択し、決定できるのです。人間だけが進化の過程でこのような脳の機能を獲得したからこそ、ここまで進んだ文明を築くことができたと言えるのです。そのもっとも重要な脳の機能要素が、本稿の「主題」となっていてる意識状態」を生み出している「意識の座」なる人間だけに特有の機能だと考えるのです。

 私たちは、脳機能の特性から考えて「意識状態」の本質は、世の中で言われているようなものではないと考えているのです。すなわち、瞬間的に、或いは刹那的に何かをするというのではなくて、或る特定の時間の経過という枠組みの中で、特定の「テーマ」を実行し、または実現していくのに不可欠の脳機能として私たち人間だけが獲得しえたのが、上述の意味での(5W1H)という要素の内容を組みたて、決定している「意識の座」と私たちが命名する脳機能だと考えているのです。世の中の心理学者や脳科学者達が提唱している従来型の所謂「意識」という瞬間的な刹那的な機能概念ではなくて、「意識状態」という状態的な認知概念がその本質的な概念であるべきだと私たちは考えるのです。

       

○ 私たちの定義による「意識状態」という概念及び「睡眠」が果たす役割

 「意識状態」は、「前頭葉」を構成する脳の中枢的な機能部位の有機的な活動により生じてくる認知状態であって、人、時及び所の「見当識」を含む自分の置かれている状況、或いは状態を領識できている認知状態(覚醒されていて顕在化した「意識状態」)又は領識できていない認知状態(覚醒されていなくて潜在的な「意識状態」)の両者を指すと私たちは定義しています。私たち人間が「夢」を見るメカニズムはいまだに不明とされているのですが、実は、この後者の認知状態の中で私たちは「夢」を見ているのです。私たちが解き明かした「夢」を見るメカニズムについては、別途説明したいと思います。      

人の生体には、「前頭葉」を構成する脳の中枢的な機能部位の活動により、「意識状態」を発生させる場所、「意識の座」(私たち独自の命名)ともいうべき機能部位があると私たちは考えるのです。「前頭葉」を構成する脳の中枢的な機能部位である「意識の座」の機能自体が「意識状態」を生じさせるメカニズムを具有していて、完全な「睡眠」状態である熟睡中はその効果により「意識の座」の活動が休止している状態にあると考えるのです。「意識状態」は覚醒されていないがまどろむような軽い睡眠状態下では、その「睡眠」効果により「意識の座」の活動が僅かに活性化しているために「意識状態」が潜在的な認知状態に抑制されていて、「睡眠」による抑制から徐々に開放されてくるのにつれて「意識状態」の覚醒の度合いが次第に高くなり顕在化してくると考えているのです。一方で「睡眠」を一定時間確保して覚醒時に高度に集中された状態で活動し続けている「意識の座」の活動を休ませることで「意識の座」の機能を回復させながら、他方で「睡眠」中もレム「睡眠」とノンレム「睡眠」とを交互に繰り返すことにより天敵から身を守りその生存を確保するという二つの目的のために、進化の過程でこうしたメカニズム、所謂「サーカディアン・リズム」というメカニズムを獲得したのではないかと考えるのです。

「睡眠」の度合いが深いノンレム「睡眠」により活動を休止していた「意識の座」の機能がレム「睡眠」へと睡眠の度合いが徐々に緩やかになってくることにより、休止していた「意識の座」の活動が徐々に再開されることによって、当該機能部位の潜在的な「意識状態」が生じてくると考えるのです。そして、レム「睡眠」とノンレム「睡眠」とを繰り返していた状態から解放され「睡眠」状態からはっきりと目覚めることにより、顕在的な「意識状態」に変化してくることとなり、同時に「意識状態」覚醒度が高まってくると考えているのです。「サーカディアン・リズム」は、レム「睡眠」とノンレム「睡眠」との繰り返しのリズムの中で、一方では天敵に備える万一の防御態勢を準備しておきながら他方では「意識の座」の休息を獲得するという、極めて優れたメカニズムだと思うのです。猶この場合、「意識状態」の覚醒の度合いは、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の発揮度に下支えられている(左右されている)ことに留意しておく必要があります。すなわち、「意識状態」の覚醒度は、「前頭葉」の三本柱の機能の活性度の反射的な効果によると考えられるのです。

       

○ 「意識状態」には三種類の認知状態が存在する

「前頭葉」に備わる発想、考察、企画、計画、工夫、推理、洞察等の種々の「個別認知機能」を発揮する上で、その発揮の程度を左右する働きを有する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能という「前頭葉」の三本柱の機能、後天的に獲得され自身の思考や行動の在り方を決定する規範としての働きを有する「評価の物差し」の機能及びこれまでの人生での実体験や伝聞体験に基づく知識や情景など様々な種類及び態様による情報が蓄積された「記憶の倉庫」の機能並びに「前頭葉」のコントロールのもとにその下部機構として働く「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」などの機能が相互に有機的な連携の下で活動を開始することにより、「意識の座」の統合機能に基づく活動により生じてくる顕在的な認知状態(以下、覚醒された「意識状態」という)が生じることになると私たちは考えているのです。従って、「意識状態」には覚醒されていない潜在的な認知状態と覚醒されている顕在的な認知状態という二種類の認知状態が存在すると考えるのです(猶その詳しい図式は、次回で説明する予定です)。

 更には、「前頭葉」の三本柱の機能と私たちが名付ける「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」の機能が発揮される度合いが高まるにつれて、「意識の座」を中核とする脳の機能が活性化されることとなり、同時に「意識状態の」覚醒度も高まることになるのです。従って、私たちが提起する「意識状態」には様々な段階が含まれていて、概括的な区分で言えば、ノンレム「睡眠」により「意識の座」の活動自体が休止されている状態と(この状態では、「意識状態」は、休眠している)、「意識の座」の活動はあるがノンレム「睡眠」により「意識の座」の活動が抑制されているために「意識状態」自体は未だ覚醒されたレベルではない認知状態(潜在的な認知状態としての「意識状態」にある状態)及び「睡眠」による抑制から解放されて「意識状態」が覚醒されたレベルでの顕在的な認知状態という三つの段階の認知状態が含まれることになると考えるのです。

       

○ 意識の有無ではなくて、「意識状態」の覚醒度という考え方が重要

上述した視点から言えば、世の中の研究者達が課題としている「意識」という命題について、「意識が有るか無いか」(「意識」の有無)というのではなくて、「意識状態が顕在化しているか否か」(「意識状態」の覚醒の程度の問題)という視点でとらえるべきではないかと私たちは考えるのです。 三本柱の機能を含む「前頭葉」を中核とした脳の有機的な機構機能の活性化と「意識状態の覚醒度」とが直結した関係にあることに鑑みて、世の中の心理学者や脳科学者達が言うところの「意識」とは、状態的な性質を特徴とする(「意識状態」)と考えるからです。

 なお、「意識状態が覚醒されている」とする基準は、「前頭葉」を含む脳の機能が廃用性の機能低下により働き具合を低下させていくとき、「人」、「時」及び「所」の見当識の内で最後まで機能が残るのが「人の見当識」であることを根拠として以下の基準を採用することを提案したいのです。すなわち、「意識状態が覚醒されている」と考える最低限度の条件とは、自分がいまここに在るという自覚と最低限度の見当識があること(他者と区別した自身を最低限度認識できている状態にあるというレベルでの「人の見当識」があること、日年月季節昼夜の区別のレベルではなくて、「今」というレベルでの「時の見当識」があること及び此処がどこなのかというレベルではなくて此処に在るというレベルでの「所の見当識」があること) を言うと考えるのです。

       

○「意識状態」の覚醒度合いの高まりを実感する場面

何か一つの「テーマ」に高度に集中出来ているとき、例えばバラの棘が左手の人差し指の腹の部分に刺さっていて、先端部をガスの炎で焼いた針を右手にもってその先を突き立てて四苦八苦しながら棘を取り出そうとして、右手の指先に全神経を集中させているようなとき私たちは、自分の「意識状態」が高度に覚醒されていることを実感します。更にこんな時、注意の集中力と「意識状態の覚醒度」とは直結していることも実感するのです。他方で、何か特定の物や対象に「意識状態」が向けられている訳でもなく、庭の方をただぼんやりと眺めているとき、「意識状態」の覚醒度が低く、注意の集中力も湧いてきていないことを感じるのです。ただこの場合にも、「意識状態」自体は有る(在る)ことを実感するのです。

       

○ 意識と「前頭葉」の機能との関係(前回のこのブログでの問題提起)

 覚醒された状態の意識(以下、顕在化された「意識状態」という。心理学者や脳科学者達が言う所謂「意識」を私たちは、状態的な性質としての「意識状態」として、組み替えて言い換えていることに注意してください)は、脳の活動によって作りだされていることは確であり、その中枢となる機能部位が「前頭葉」の更に中枢機能部位である「前頭前野」だと私たちは考えているのです。機能関係の詳細を次回の(No-112)で説明するように、「前頭前野」を含む「前頭葉」を中核(母体)」とする脳の有機的な機構としての機能の潜在的な活動それ自体が潜在的な認知状態としての「意識状態」を生み出していると考えるのです。

 更には、「意識状態」が覚醒されている状態(顕在的化された「意識状態」)にも、前述したように、その覚醒の程度には様々な段階があるのであって、「意識状態」の覚醒のその程度(度合い)を左右しているのが「前頭葉」の三本柱の機能だと考えているのです。何らかの刺激に対する知覚、或いは何らかの「テーマ」の発想により、「前頭葉」の三本柱の機能が活性化してきて、その反射的な効果として同時に「意識状態」の覚醒の度合い(「意識状態の覚醒度」)も連動して変化していくと考えるのです。

       

○ 私の中に居るもう一人の私(「意識の座」が担う統合及び管理機能)

 「意識の座」は、「前頭葉」の三本柱の機能並びに「評価の物差し」及び「記憶の倉庫」の機能と協働して、自分が置かれている状況の評価に基づいて、主たる「テーマ」の発想、実行内容の組み立て、洞察や推理、ケース・シミュレーション等を経て実行の決定を行うとともに、左脳、右脳及び運動の脳に対して実行の指示を行い、同時に実行内容及び実行状況の把握及びその時系列管理を行うとともに並行して存在しては消える従たる複数のテーマの内容の把握及びその時系列管理を並行して処理する機能を担っていると考えるのです。

 同時に並行して存在し、或いは消滅する個別テーマ毎の全体又は部分の状態、或いは優先順位を把握し、監視し及びコントロールするなど全体を統合する機能を担っているのが「意識の座」の機能、役割なのではないかと考えると私たちの日常体験との辻褄が合うのです。猶この場合、主たる優先「テーマ」には「意識状態」の覚醒の度合いが拡大され(注意の集中)又は従たる複数のテーマには「意識状態」の覚醒の度合いが拡散(注意の分配)されることになるのです。

       

自分が置かれている状況を判断する機能、状況判断に沿って行うべきテーマの枠組みを発想し、発想したテーマの実行内容を計画し、実行内容の実行の仕方(態様や程度)をケース・シミュレーションし、新たな発想や連想や関心や興味の変化などの状況の変化に伴いテーマの枠組みとなる内容を変更し、最終的な実行内容を決定し、実行の決断を下した後に、三頭の馬(左脳、右脳及び運動の脳)に実行の指令を出す御者の役割を担っているのが「意識の座」だと考えるのです。

       

○ 全体状況の把握及び個別テーマの管理と統合機能

「意識の座」の機能には、自分が置かれている状況の判断に加えて、並立して進行する個別テーマごとの内容の把握及びその時系列管理並びに新たな発想が湧く、関心が変化する、或いは思い出すなどを契機として時々刻々変化する個別テーマの優先順位の変化の把握などの機能が有ると考えているのです。

私たちが考える「意識の座」の機能は、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能によって下支えられていて、三本柱の機能の内の注意の集中力又は注意の分配力のいずれかの機能の発揮度が高まるにつれて「意識の座」による活動のアウトプットとしての「意識状態」の覚醒度も高まると考えているのです。

 水面に浮かぶ泡沫のように私たちの脳の中で、次々と現れては消えていき或いは時に復活してきながら、並列して、並行して存在し消えていく「個別のテーマ」の全体あるいはその一部を把握し、監視し、コントロールし及び統合しているのが「意識の座」であると考えると今日の私の行動との辻褄が合うのです。

       

○ 「意識の座」の存在場所

 特定の「テーマ」毎に個別の「意識状態」が生じ、並列して存在する個別テーマ毎に状況が別々に進行していく中で、それらを時系列的に把握し及び監視し、時々の興味や関心や発想が生起する都度「評価の物差し」と「記憶の倉庫」とが連動する形で働く中で、最も優先される主要なテーマが何であるかを「意識の座」が判断し、最優先と判断されたテーマに対して「意識状態」の関心が注がれ、同時に意欲や注意の集中力或いは注意の分配力が「意識状態」に対して強く注がれることになり、「意識状態」の覚醒度が高まるのではないかと考えるのです。

 私たちが集積してきた「脳機能データ」の解析を基礎とする視点からいえば、注意の集中力と注意の分配力の機能とは綱引きの関係にあって、特定の「テーマ」に対する注意の集中力が高まるにつれて他のテーマに配分されている注意の分配力はそれに呼応する形で小さくなるのです。どんなテーマを発想するか、どのテーマに注意を集中するか、或いは複数存在する内のどのテーマにどの程度注意を分配させるかは、「前頭葉」の機能の中の更に特定の部位による機能が担っていて、それこそが意識(私たちの概念で言う「意識状態」)を生み出す機能的な源であり、「前頭葉」の中枢機能部位である「意識の座」(私たちのネーミング)だと考えるのです。私たちが問題提起する「意識の座」は、脳の機能面から見て「前頭前野」ではないかと考えているのです。

      

 鵜の首に巻いた何本もの綱を上手に操って魚を捕獲する漁法で有名なあの「長良川の鵜飼」の漁師さんたちのような機能を有し、且つ役割を担っている特別の存在が「前頭葉」の更にその中の中枢部位として存在する「意識の座」なる部位ではないかと考えるのです。脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能を構成している部位の中に、更にその中枢機能として全体を統合する機能を担う部位が存在していて、それが「意識の座」(「前頭前野」)だと私たちは考えているのです。

更には、これまでにたどってきた人生での体験(実体験と伝聞体験)の蓄積により自分独自の自分なりの「評価の物差し」(見方、感じ方、受け止め方、考え方や表出の程度や態様などの所謂「自我」として確立された評価及び行動の指針)及びこれまでの体験(実体験、伝聞体験及び知識)を基礎として蓄積された情報や情景や知識を記憶している「記憶の倉庫」との協働により、置かれている自分の全体状況及び環境並びにその変化を把握し、評価し及び個別のテーマ毎にそれらを把握し、監視していて、全体を統合し、並立する個別テーマの優先順位の判断を含む自分がその時点でとるべき途とその内容、或いはそのやり方としての態度や程度や態様などを選択し、決定し、実行の指令を出す役割を担っているのが「意識の座」(すなわち、「前頭前野」)だと考えるのです。

 注) 意識については、次回(その3)をもって完結できる予定です。

 注)本著作物(このブログB-11に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

エイジングライフ研究所のHPを「クリック」してください)

   脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません

    http://blog.goo.ne.jp/quantum_pianist

  http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/d4801838dd9872301e0d491cd8900f1a

       

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