認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

『意識的な世界』の認知を支える「評価の物差し」という機能(B-83)

2017-06-01 | 前頭葉の働きとその重要性を知ろう

(プロローグ)

(1)手許に在る引用文献「健康用語辞典」によると、『「認知機能」とは、理解、判断、論理などの知的機能のこと。

認知とは理解、判断、論理などの知的機能指し精神医学的には知能類似した意味であり、心理学では知覚中心とした概念です。心理学的には知覚、判断、想像、推論、決定、記憶、言語理解といったさまざまな要素が含まれますが、これらを包括して認知呼ばれるようになりました。

しかし、一般的には認知機能は主に認知症における障害程度を表す場合に用いられることが多いようです認知症では物忘れみられるような記憶障害のほか、判断、計算、理解、学習、思考、言語などを含む脳の高次機能障害がみられますが、その障害みられる脳の機能として認知機能と表現されます』と説明されています。但し、この説明を読んだだけでは、「分かったようで、分からない」という印象を皆さん持たれるのではないでしょうか。何故なのでしょうか。その一番の理由は、「認知」が行われる脳のメカニズムについての説明が全くないからなのではないでしょうか。

認知」と言うのは、私たちの意識的な世界で起きてきていることなのですが、実は、意識の構造については、『人類最大の難問』とされ、未だに殆ど何も分かってはいないのが実情だからなのです。

(2)認知症全体の90%以上を占めていて、末期の段階に在る発病者数が我が国や米国では天文学的な規模に膨れ上がっているという問題が世界的にも注目されている「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化のメカニズム(機序)を解明する研究の方法として、我が国を代表する研究機関である理化学研究所や我が国の最高レベルの大学である東大や京大が、「檻の中で餌を探して回るマウスの行動(「記憶」に関わる行動)」を対象にしている理由は、生きている人間の「意識」について、或いは意識が構成されるメカニズム、意識の機能が加齢により低下していくメカニズム及び意識の機能が廃用性の機能低下を起こしていくメカニズム等について分かっていない、十分な知見を有していないこと、更に言えば、米国精神医学会が策定したアルツハイマー型認知症の診断規定である「DSM-Ⅳ」が「アルツハイマー型認知症」の発病と診断する上での「第一の要件」として確認を要求している『「記憶障害」に起因した症状であること』との規定内容を疑うこともなく盲信(権威の言うことを疑おうともしない)していて、『極めて重度の発病者の外観的な観察と憶測』だけに基づいて、器質的な病変としての「記憶障害」が発病の原因との想定等が最大の理由なのです。

様々な程度及び態様の下で発現してくる「アルツハイマー型認知症」の諸症状は、マウスに発症してきているものではなくて、人間を対象として発症してきている訳なのだから、そのメカニズムについては、人間の「意識」が覚醒下での前頭葉を核心とする『脳の機能という物差し』を介しての症状をダイレクトに研究すべきなのに、その手技を持たないので、マウスで代用した憶測に基づく主張(「仮説」)を展開しているという訳なのです。

(3)ところが、「意識」が構築される脳機能/機能構造は極めて高度であり、極めて多層/多重の構造から成り立っているものであり、その世界は、それほど単純なものではないので、何時までマウスを研究してみたところで、全てが「憶測」の域を出られないという意味で、「極めて重大な欠陥」が存する「研究方法」というしかないのです。

その上、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状が重症化する原因が「記憶障害」に起因しているとの憶測に基づいた前提、言い換えると、アミロイドベータやらタウ蛋白やらのタンパク質が脳内に蓄積して、そのことが直接の原因で情報を伝達している(神経細胞の大量死を惹起させる)ことにより「記憶障害」に起因した症状が発現してくることが、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状進行の直接の原因であるとの大前提(これまた「憶測」)に立脚した主張を展開しているだけなのです(理化学研究所及び京大並びに東大が我が国では、「アミロイドβ仮説」の牙城なのです)。

(4)自慢するわけではないのですが、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化のメカニズム並びに発病を予防する方法及び症状を治す方法に関する私たち二段階方式の研究及び主張並びに市町村での実践の基礎となっている14689例にも及ぶ極めて精緻で、且つ、極めて多数の「脳機能データ」は、生きた人間の「前頭葉」(「前頭前野」の穹窿部に局在する複合機能体を言うものとする。以下、同じ)を含む脳全体の機能レベルとそれに厳密にリンクした症状を対象として、私たち二案開放式が独自に開発した神経心理機能テストである『二段階方式の手技』を活用して集積したものなのです。

それらは、事象の事実生活習慣の実態に基づいたものであり、「単なる憶測」による主張とは主張の質と程度が根本的に異なるのです。

& 1「アルツハイマー型認知症」に関する権威が主張する重大な誤解と誤認

(1)「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の直接の原因は、『第二の人生』を送る高齢者の「前頭葉」を含む脳全体の機能についての廃用性の異常な機能低下の要因、就中、追及するテーマがなくて、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない日々の暮らし方、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因した、廃用性の異常な機能低下の進行という要因が基幹となっているというのが私たちの主張なのです。それに対して、我が国で最も権威があるとされていて通説の地位にある学説としてのアミロイドβ仮説が主張の重要な根拠としている『「記憶障害」が「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の直接の原因である』とするその内容は、根本的な誤解と誤認に基づいた「誤った主張」というしかないのです。

(2)何故なら、アミロイドβ仮説の主張の根拠となるデータの基礎とされている「マウス」(アミロイドβを注入したアルツハイマー・マウスであろうとも同じことなのですが)の「記憶」に関わる行動の基礎データを構成しているマウスの脳機能には、私達人間だけに特有の機能であり、私達の意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしていて、意識が覚醒した状態下での脳全体の司令塔の役割を担っている『前頭葉』と言う脳機能は、そもそも存在していないものであるし、「記憶」の働きとその機能レベルについて語るとき不可欠の要素となる「前頭葉」の三本柱の機能の中核を担う機能である「注意の分配力」の機能も、マウスには備わっていないのです。

(3)マウスと私たち人間とでは、「記憶」のメカニズム(記銘、保持及び想起に関わる脳機能とそのメカニズム)が根本的に異なるものなのです。

その上、私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも上る精緻な脳機能データ、「アルツハイマー型認知症」の三段階に区分される症状の解析結果から言うと、それらの症状は全て、『「記憶障害」に起因した(記憶障害を基幹とした)ものではなくて、「前頭葉」の機能障害、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行という要因に起因した(廃用性の異常な機能低下の進行を基幹とした)ものばかりなのです。

注)末期の段階であり、私たち二段階方式の区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階の場合には、外観的には一見「記憶障害」に起因した症状であるかと誤認し易いものが発現してくる(正しくは、「注意の分配力」の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に因り、極めて異常なレベルに在って殆ど働かない)のですが、初期の段階であり、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、「前頭葉」を含む脳全体の機能面からだけでなくて、外観的にも、「記憶障害」に起因した症状はその欠片さえも確認することが出来ないのです。 

(4) 世界中の認知症の専門家達から原因不明とされている「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム、症状が重症化するメカニズム、発病自体を予防する方法及び症状の進行を防止し/抑制し、更には症状を治す方法の解明が、国にとっても、避けて通れない「テーマ」、必要不可欠で喫緊の課題となっているのです。何しろ、厚労省の発表数字だけでも、言い換えると、「アルツハイマー型認知症」を発病してセルフケアにも支障があって介護の道しか残されていない「末期の段階」の症状を呈しているお年寄り(私たちの区分で言う「大ボケ」の段階のお年寄り)の数だけでも既に600万人にも上る上に、その数値自体、この先増加の一途を辿ると予測されているからなのです。

)ここで皆さんに注意を喚起しておきたいのは、世界中の認知症の専門家とされる人達(学者、研究者、医師達)から見過ごされ、見落とされている本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う、「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)のお年寄りの合計数は、「大ボケ」の段階に在るお年寄りの数とほぼ同数に達する筈ということなのです。

(5)その一方で、「アルツハイマー型認知症」が数有る認知症の内の90%以上の割合を占めているというのに、『「アルツハイマー型認知症」は、発病を「予防」することが出来ないし、症状を「治す」ことが出来ないタイプの認知症である』とする医学会の「重大な誤解に基づいた誤った主張」(「憶測」にすぎないが、権威があるが為に、世間ではそれを疑うことなく信じている)が我が国の隅々にまで浸透していて、何等の対策が実施されないままに放置されている現状に対して、対応策を具体的に示すことにより、専門家達だけでなくて皆さん方にも、問題提起したいと考えるのです。

(6)実際には、私たち二段階方式が北海道から九州に跨る全国的規模452の市町村に於いて、有償/有期の使用許諾契約の締結の下で、住民参加型の「地域予防活動」の展開により、「前頭葉」を含む脳全体を活性化させる「脳の使い方としての生活習慣」の構築とその継続的実践により、発病自体を予防することが出来るし、「二段階方式」と称する精緻な神経心理機能テストの活用により、本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)を見つけて、日々「脳のリハビリ」(脳の使い方としての生活習慣の改善と工夫)に励めば、治すことも/症状の進行の抑制も出来ることを実証してきたのが「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症なのです(私たちの主張は、残念なことに権威がないのですが、主張の内容自体は極めて正しいし、そのことを疫学的方法により実証してきても居るのです)。東大、京大、理化学研究所が我が国での牙城である『アミロイドベータ仮説』の登場に因り、誤りの主張であるとも気付かないで、我が国政府が、(ボケても安心な社会作り)の政策の下、川下対策である「介護の予防」を市町村が展開する制度化の進行の下で、住民参加型の地域予防活動」という極めて有効で有益な川上対策としての市町村の活動、二段階方式の導入先が急速に消えて行ってしまったという訳なのです。

(7)ところが医学会や医療の現場では、『「アルツハイマー型認知症」は、発病の原因が分からないし、発病を予防することが出来ないし、症状を治すことが出来ない』という、権威は有るものの内容自体に重大な誤りがある学説(米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM-Ⅳ」の規定がその最悪の筆頭)及びその考えを踏襲する『アミロイドベータ仮説』等による誤ったメッセージが拡散され、世間に流布しているということなのです。このブログを読まれている皆さんも、恐らく、それらの『権威の主張』をそのままに信じていることと思うのです。

(8)「アルツハイマー型認知症」は、様々な種類が数有る認知症全体の90%以上もの割合を占めているのです。このまま放置しておくわけにはいかないのです(「国士連」を標榜する私たちとしては、誤ったメッセージをこのまま放置して居る訳にはいかないのです。このまま放置しておいた方が得策と考えるのは、2015年度ベースで15兆円と言う天文学的な規模に上っていて、この先も増大の一途を辿ると予測されている「関連の費用」(ここでは、診断、投薬及び介護関連の総費用を言う)の維持と増加に期待している業界、即ち、副作用が認められるだけで効きもしない薬の製造及び販売に従事している製薬業界、「脳のリハビリ」により回復させることが可能な本当の意味での早期の段階の発見には何の役にも立たないで診断費用だけが高額なCTやMRIやSPECTや果てはPETまで使用して、『為す術が何もない末期の段階で、発病を見つけて居る=発病のレッテル貼りの診察』(売り上げを稼ぐだけの診断)上に、症状の進行を抑制出来る治療の効能は無くて、単なる対症療法薬(症状の発現の仕方を昂進させたり、抑制させるだけのもの=興奮型のアリセプトが代表)という効きもしない薬を処方しているだけの医療機関、身体が持つ限り「前頭葉」を含む脳全体の機能が更に衰えていくことに起因して症状が更に重症化していくお年寄りを単に『介護』するだけの介護業界は、現状の維持を望むだけでなくて、現状の変革による費用の大幅な削減というテーマに対しては抵抗勢力となるのです。

(9)現状の変革という視点では、予防や治療に効能が認められる「薬」の開発というテーマがあり、製薬業界の一部では、他社に先駆けて薬を開発しようとしのぎを削っている現状が在るとは言うものの、『「アルツハイマー型認知症」の本態は、日々の脳の使い方としての「生活習慣」に起因して発病する病気、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないのであり、発病/症状が進行するメカニズムに照らして、予防や治療の効能を有する薬が開発されることは、未来永劫有り得ない』事なのです。このまま放置して居ると、介護保険制度が財政面から早晩崩壊してしまうことになりかねないのです。

(10)介護保険制度が財政面から破綻してしまったら、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが末期の段階にまで衰えてきている結果として、回復させることが困難な「末期の段階の症状」が発現してきていて、セルフケアにも重大な支障が出てきて日常生活面での「介護」が不可欠となっているお年寄りを自費で、24時間介護せざるを得なくなるのです。老老介護「認知症を発病した夫(妻)を年老いた妻(夫)が介護する」とか、認認介護「認知症を発病して症状が重い夫(妻)を認知症を発病して症状が未だ軽い妻(夫)が介護する」とか、介護離職「認知症を発病した両親を子供が介護するために已む無く離職する」等の社会現象が常態化してしまうことになるのです。その意味で、皆さんにとっても、「他人事ではない」のです。

&2 「評価の物差し」の原型(雛形)となるもの

(1)私たち人間の意識的な世界を構築する上で、「前頭葉」の重要で不可欠な機能要素の一つである「評価の物差し」としての機能自体は、DNAで受け継がれる性質のものではなくて、あくまで後天的に形成されるものなのです(これに対して、「前頭葉」の三本柱の機能と私たちが名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の潜在的な能力は、先天的な能力、即ち、DNAで引き継がれ受け継がれてくる能力なのです)。

(2)4歳になる以前での幼児期における体験、自分を取り巻く環境、特に「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした家族及び家庭環境の下での実体験のみを基礎として「評価の物差し」の「原型」が形成され(非選択的にそのままに吸収されることにより形成されたもの)、4歳児から18歳ごろまでの体験(実体験及び伝聞体験)の積み重ねにより、言わば好むと好まざるとにかかわらず(悩み、迷い、挑戦し、或いは拒絶し、或いは選択して、最終的には自分なりに受け入れることにより)、そうした種々の体験の集積が、生まれつきの機能としての「本能」だけで生き、行動し、生活し、生存している3歳児までの世界とは異なり、3歳児までに形成された「前頭葉」の「原型」(雛形)の影響を強く受けながらも並びに原型(雛形)の上に加重され、加味され、溶け込んでいくことにより、基本的には 18歳に至るまでの過程で、「最終的な自分独自の物差し」を形成し確立していくことになると私たちは考えているのです。

(3)なお、ここで私たちが言う「評価の物差し」とは、自分独自の物の見方、捉え方、感じ方、考え方、選択の仕方、或いはそれらの表現や表出の程度及び態様を決定する評価基準、観察基準、選択基準並びに価値規範、行動規範及び行動指針のことを言います。私たちの意識的な世界を構築し統括し、支配し、コントロールしていて、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳機能は、多重で多層の機能構造をしているので、私たちの意識的な世界における認知は、必ずこの「評価の物差し」を通して形成されることにより、「前頭葉」の個別認知機能群(=Executive Functionと総称されているもの)が各々の機能を発揮することになる構造になっていると考えられるのです。言い換えると、意識的に何かの「テーマ」を実行していく上での、置かれている状況の理解と判断、状況の判断に沿ったテーマの発想、テーマの実行内容の企画と計画、計画内容の実行結果についてのシミュレーションと修正、或いは、計画内容の実行の仕方及びその実行内容の表現や表出としての言動や態度や行動を選択するに際しての自分独自のやり方の選択及び決定と決断に意識的には非選択的に関わってくる「評価、関心、選択及び行動の規範」のことなのです。また

(4)また、「非選択的に関わってくることになる」とは、程度の如何に拘わらず意識が覚醒された瞬間に「評価の物差し」としての網が「前頭葉」の各種の個別認知機能全体を覆ってしまい(意識しているとの自己認識はないものの、きちんと機能する程度の意識「意識状態」の覚醒度の下で、「評価の物差し」が働いていている、言い換えると、先ずは、或るレベルの意識の覚醒度の下で「評価の物差し」の機能が働き、その上で、意識の覚醒度がよりそれよりも高いレベルで、評価の物差しが機能することに因り捉える対象の認知が行われていると私たちは考えているのです)、状況の理解と判断も、テーマの発想も、テーマに沿った実行内容の企画や計画も、結果のシミュレーションンによる修正も、或いは、それらの表出程度や態度の選択も全て、その「評価の物差し」による選択を通しての認知が行われるという制約条件の下で発揮されることになるという『機能の作用機序』の機能構造的な存在を言うのです。分かり易い別の表現を借りて説明すると、「評価の物差し」の潜在的な機能状態が構成しているのが「人格」、或いは「人柄」であり、顕在的な機能状態が構成しているのが「心」、或いは「気持ち」であると考えているのです。

(5) 通常のケースとしては、3歳児に至るまでの幼児期に形成された親の背中を基礎とした「評価の物差し」の「原型」(雛形)を根源として、その色眼鏡をかけた状態で、その後の体験(実体験及び伝聞体験)により加味、加重、或いは付加された価値規範を自分なりに受け入れる中で、必要な修正や変更がなされていき、最終的には18才頃までに、自分なりに確立された独自の「評価の物差し」(価値規範、評価規範、或いは行動規範)を完成させていくことになると私たちは考えているのです。そうした自分独自の「評価の物差し」が形成され確立されていく過程は、或いは、精神分析学や心理学の専門用語で言う「自我」の形成及び確立の過程でもあると言い換えることが出来るでしょう。

(6)なお、「三つ子の魂百まで」、或いは「頭禿げても浮気はやまぬ/産屋の風邪は一生つく/産屋の癖は八十までなおらぬ/漆剥げても生地は剥げぬ/噛む馬はしまいまで噛む/子供は大人の父親/雀百まで踊り忘れず/痩せは治るが人癖は治らぬ/病は治るが癖は治らぬ」等の古くから言い慣わされてきた諺が示しているように、3歳児に至る迄の幼児期に形成された評価の物差しの「原型」(雛形)を基礎とし、その後18歳ごろまでに完成された評価の物差しは、それ以降の人生での様々な体験をもってしても容易には変更できない程に、最終的な自分なりの或いは自分独自の「評価の物差し」を形成し、確立し、完成されてしまうと考えるのです。

(7)3つ児、4歳児前の幼児というのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした自分を取り巻く家族及び生活環境の下での体験に対して、「前頭葉」の機能がそこまでは発達していない機能レベルに在ることの反映として、それらを評価したり、批判したり、反発したり、選択したりする能力を未だ持っていないので、それらの体験を何の疑いもなくそのまま「自分の価値観、評価規範及び行動規範」として、ただひたすらに、非選択的に受け入れ、取り込むだけなのです。恐ろしいのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」が暗に示す価値観/規範が、そのままその子の「前頭葉」の「評価の物差し」となってしまい、そのまま入り込んで、「評価の物差し」の「原型」を形成してしまうことなのです。

(8)但し、たとえ双子であっても、先天的に受け継いだ「DNA」の資質の差に加えて、その子が(左脳優位=言葉、計算、論理、場合分け等のデジタル情報の処理に特化した機能)に生れついたのか、或いは(右脳優位=感情、感覚、感性などのアナログ情報の処理に特化した機能)に生れついたのかの差異の影響が強くあるので、更には、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能から構成される「前頭葉」の三本柱の機能の潜在的な能力の機能差という問題があるので、その双子が同じ環境で育ち同じ体験をしたとしても、二人の受け止め方が違うことになるのです。その結果、たとえ双子であっても異なった「評価の物差し」を形成していくことになることについての理解も重要なことなのです。

& 3   状況を理解した上で判断し、実行すべき「テーマ」の内容と実行内容の組み立て及び実行の仕方を規制している規範が、「前頭葉」の「評価の物差し」なのです:

(1)今年は、桜の開花も筍の収穫も例年に比べて随分と遅かったせいで、5月に入った先月も、近所の竹やぶで何度も雨後の「筍狩り」を体験することが出来ました。ところが、“先の穂”が地面から大きく突き出している状態(これは、筍としては収穫が遅くて、果肉が固くなってきている)であれば、この私でもすぐに気が付くのですけど、筍の“先の穂”が未だ地面に隠れている状態(この状態で掘りあげると、果肉が未だやわらかくて、上物)である場合は、私が目を皿のようにして竹林の中をあちこち眺めまわして、歩き回ってみても、何処に筍が在るのかが全くのこと分からないのです。

(2)その場合に、見つけ方を幼児期から体験していて筍堀りの名人であるTadに教わると、地面の下に未だ隠れていて、私には今まで見えていなかった筍の在り処が分かるようになるのです。他の地面とは異なり、よく眺めて観察してみると、其れとは直ぐには分からない程ではあるものの「地面が僅かに盛り上がって、少しヒビが入っている」所を見つけることが出来るのです。そこを掘ってみると、地面を割って今にも地上に出てこようとしている状態の筍が隠れているのです。

(3)それを一度体験してしまうと、竹林の中のあちこちに、同じような個所(筍が隠れている場所)が私の目でも確認できるようになってくるから不思議なのです。Tadから教わった、筍が隠れて居そうな地面の見方を実体験したことによって、私の「前頭葉」の「評価の物差し」に、単に眺めていただけでは発見することが出来ない竹林の中の地面に隠れている筍の在り処の発見の仕方という「新たな物差し」が加わったことになり、竹林の地面の状況を的確に判断できるようになったということなのです。

(4)今日は、近所のお庭(花のお庭)を見に行くつもりだったのだけど、あいにくのこと朝方から雨が降り続いていて、おまけに昼過ぎからは風も強くなってきている状態なのです。已むを得ずというか、仕方がないので、ぼんやりと庭の景色を眺めながら物思いにふけっているのが今の私の状況なのです(実は、こんな時こそ、SPECTやPETをもってしても容易に知ることが出来ない、「前頭葉」という脳の機能構造についての極めて有益な実体験をすることが出来るのです)。

(5)とは言え、目に物理的に映ったものがそのまま認知されて見えているという訳のものではないということを、皆さんにも知っておいて頂きたいのです。夫に対しては何事につけて厳しい目を向けて、口調も厳しく、内容も厳しく、声の響きも厳しい妻が、他人に対しては全く逆の態度をとるのも、「評価の物差し」が常に被った状態で、意識的な世界が展開されるが故のことなのです。覚醒された意識状態の下では、あらゆる種類、程度及び態様の下で行われる認知(「前頭葉」の個別認知機能による認知)というものは、必ず、「評価の物差し」という傘を被った状態/条件下で行われているという機能構造になっているというのが私たち独自の見解なのです(意識の覚醒度が最も浅いところ、言い換えると、所謂、意識の覚醒度がより低いところで「評価の物差し」がその機能の傘を広げていて、「評価の物差し」が傘を広げているそれよりも意識の覚醒度が高いところで、且つ、『「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮により生じる「当該認知」に関わる意識の「覚醒度」が低いものから意識の「覚醒度」が高いものへと順番に積み上げられていく』という機能の発揮状態/機構のイメージを私自身は想像しているのです:そこには、「意識」の形成及び機能の発揮に関わる「多重で多層の機能構造」という問題が横たわっているということなのです)。

 &4 「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮面に関わる二重構造の問題

(1)「前頭葉」の三本柱の機能である、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の機能発揮レベルが上昇してくるにつれて、「意識」(その本態的な性質について、「意識」という静態的なものではなくて、「意識状態」という動態的なものであると私は考えているのです)の「覚醒度」(単純に、意識とか無意識と言う概念を用いるのではなくて意識の「覚醒度」という概念が必要だと考えているのです。

(2)『「無意識」が「意識」を支配している』という概念は根本的に誤った概念であって、「意識(状態)」の覚醒度が低くなっていってその極限に近づいた状態が「無意識」と表現されている概念に相当しているのであり、多層、多重の機能構造を有している意識の覚醒状態下では、意識の覚醒度が相当程度低い状態下であっても、「前頭葉」の個別の認知機能がそれなりに機能している状態があることを知るべきなのです(その詳細については、B-09からB-12迄を読んでみてください)。機能発揮のメカニズムについて言うと、「前頭葉」の三本柱の機能がより高いレベルで発揮されるのにリンクして「前頭葉」の個別認知機能の機能の発揮度自体が高まり、且つ意識の「覚醒度」が上昇してくると言う機能構造にあるものと、私たちは考えているのです。

(3)大きな緑の塊のように見えるブウゲンビリアの巨木を眺めていると、天に向かって勢い良く伸びている先の部分に一群の花が、赤紫色をした花が咲き出してきていて、下の方に目を転じると、注意を凝らしてみないとよくは分からない程に小さな花が無数に咲き出してきているのが分かるのです。実は、そうした認知自体がすでに、「評価の物差し」と言う機構を介してしか存在しない意識的な世界のことなのだということを皆さんに理解して頂きたいのです。ブーゲンビリアの樹の捉え方、姿や形や雰囲気など、見えるかどうかは勿論のこと、どのように見えるか、或いはどのように感じられているか、それらの全てが、「評価の物差し」と言う機構を介して初めて、覚醒されたレベルとしての「意識(意識状態)」に上ってきて、現実化し、具体化してきているものなのです。今にも赤紫色の花が樹全体に上から下まで咲きだしてきそうな様子の以下の写真を元にして、分かり易く説明をしてみたいと思います。

(4) 上掲の写真をもとにして、且つ皆さんの想像力をたくましくして、先ず、庭全体の景色をぼんやりとした気分で眺めてみてください。何処か特定の場所や、特定の木や花に焦点を当てる、意識を集中させることはしないでください。そう、なんとなく、然も、「意欲」も「注意の集中力」も「注意の分配力」の機能も機能レベルが極力低い状態、意識状態の覚醒度が極力落ちている状態にして、その状態で庭全体の景色をぼんやりと眺めている気分になってみてください。そして、意欲と注意の集中力と注意の分配力の機能の機能レベルを、しばらくの間、順次上げてみたり、下げてみたりして、準備運動をしてみてください。庭の景色全体の捉え方や見え方や特定の木の葉の色の濃淡の度合いが、その都度、変化して見えることに気づいて頂けたでしょうか。

(5)この変化を体感し、実感できたら、今度は、葉の色が濃くなってきたその天に近い場所から今まさに赤紫色の花が咲きだしてきている、ブーゲンビリアの樹の写真をターゲットにして、同じ現象を体感してみてください。「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベルを上げる、即ち、「意識状態の覚醒度」を上げて行って、ブーゲンビリアの樹の「特定の一点」に意識を集中させて見つめていると、葉の形や花の形までもがくっきりと浮かび上がって見えるでしょう。逆にそこから、「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベルを次第に下げていくことにより「意識」の覚醒度を下げていくと、ブーゲンビリアの樹の個々の葉の形や花の形は見えなくなっていき、全体が一つになって、単に緑色の塊としか映らなくなってくることに気づくでしょう。上の写真では、十分にはその変化を実感できなかった方は、今度はご自分の家の庭の実物の木で体験してみてください。もっとよく実感できることでしょう。景色の捉え方、見え方、感じ方が変化するということは、言い換えると、都度、認知機能を発揮している「前頭葉」の個別認知機能の機能の発揮度自体が、「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベルに厳密にリンクして変化していることを意味しているということなのです。

(6)「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムとの関連で言うと、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが「前頭葉」の三本柱の機能の機能低下、一つには「加齢」に起因した「正常老化の性質」の影響により、もう一つには、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因した廃用性の機能低下により、両者が「同時に充足される」条件下で、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行することにより、「アルツハイマー型認知症」が発病してきて、症状が重症化していく世界、言い換えると、意識的な世界における「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの低下を直接に反映した「アルツハイマー型認知症」の症状の世界があることに気づかれることと思うのです。

(7)後述するように、世界中の認知症の専門家(学者、研究者、医師達)から発病の原因が不明とされている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、私たちが意識的に何かを感じ、捉え、考え、発言し、行為し、或いは行動しようとする際に、脳が壊れてもいないのに(器質的な病変が脳内の何処にも見当たらないのに)、社会生活や家庭生活やセルフケアなどの面で様々な支障が出てくる病気なのです。その発病の原因について私たちは、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下こそが真の犯人(原因)だと主張しているのです。その根拠となるデータは、マウス(アルツハイマー病マウスを含む)が檻の中で餌を探して動き回ることから憶測して得られているもの(マウスの「記憶」に関わるデータとされている)とは、質的に全く異次元のものなのです(生きた人間の、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状を集積して得られた14689例もの精緻な「脳機能データ」なのです)。

 &5 「アルツハイマー型認知症」の本態の理解と捉え方に関する学説の誤り

(1)「アルツハイマー型認知症」の発病の原因については、アセチルコリン説、アミロイドベータ説、タウ蛋白説、或いは脳の萎縮説などの様々な「仮説」が、これまで唱えられてきているところなのですが、発病及び症状重症化のメカニズム(機序)については、米国精神医学会の診断規定である「DSM-4」の規定が主張する「器質的な病変」としての「記憶障害」が基礎(基幹となっているとなっている)との誤解が世界を席巻しているのです。上述したアセチルコリン説、アミロイドベータ説、タウ蛋白説、或いは脳の萎縮説の全てが「器質的な病変」としての「記憶障害」に起因して、「アルツハイマー型認知症」の症状が発現し及び症状の重症化が進行するとの誤解に基づいた様々な主張を展開しているのです。

(2)驚くなかれ、世界中の名だたる研究機関や大学や製薬会社で主張されている/治療薬の開発の根拠とされている全ての「学説」が、科学的に根拠のある客観的なデータではなくて、主張の内容と発病との間の「因果関係の立証」が未だに為されていないままに(単なる「仮説」のままに)、「憶測」に基づいた「誤った内容」の主張を展開し、繰り返しているというのが、「アルツハイマー型認知症」の世界なのです。我が国もその例外にもれず、東大も京大も理化学研究所も、未だに「仮説」としての主張、単なる憶測の域を出られてはいない主張であるアミロイドベータ説を標榜していて、それが我が国での通説の地位を占めているのです。

(3)とは言え、アミロイドベータ説の主張の考えに依拠して治療薬の開発というテーマにに挑んだ世界的に大規模な欧米の製薬会社をはじめとして、我が国を代表する製薬会社も含めてその全ての企業が、治験の段階で開発に失敗したと表明しているのが現状、実態なのです。上場している企業は、開発の見込みがないと表明するとたちまち株価の下落に見舞われることになるので、開発中の治療薬に期待が持てるかのような発言をするのが常なのですが、その本態が、廃用症候群に属する単なる生活習慣病であるにすぎない「アルツハイマー型認知症」の場合は、発病を予防したり、症状の進行を抑制/防止したり、或いは、症状を治す効能を有する『薬が開発されること』は、未来永劫有り得ない事なのです。既に市販されている薬の中で、『症状自体を治す効能は有していないが、ケースによっては、症状の進行を或る程度は遅らせることが期待できる』とされている薬は、実は、当該薬の服用と症状の進行を遅らせる効能との間に要求される因果関係の把握及び評価がずさんなだけのことなのです。

(4)「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、私たちが、意識的に何かを考え、発言し、行為し、或いは行動しようとする際に、「前頭葉」を含む脳全体の機能について「器質的な病変」が何等見当たらないにもかかわらず、様々な支障(認知症の症状)が出てくること、具体的には、状況の理解と判断、実行すべき「テーマ」の発想、実行内容の組み立て、実行結果のシミュレーション、シミュレーションに基づく修正、最終的な実行内容の決定及び実行の決断、脳の各部に対する実行の指令等の「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮面での様々な支障が出てくる病気であり、私たちは、その原因は、「器質的な病変」としての「記憶障害」に起因したものではなくて、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な生活、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続に起因した廃用性の機能低下、「前頭葉」の三本柱の機能を基幹とした「前頭葉」を含む脳全体の機能の廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行が発病及び症状重症化の直接の原因だと主張しているのです。

(5)私たち人間の「意識的な世界」における「前頭葉」の個別認知機能の機能の発揮度が「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベルに直接にリンクして変化するという機能発揮上の構造、「二重構造の関係」にあるということを理解しない限り、何時まで経っても、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化のメカニズムを解明することは出来ないことを問題提起したいのです。その肝心の「前頭葉」の三本柱の機能には、誰の脳にも生来的な性質としての「正常老化の性質」が宿っている、これを言い換えると、『脳の使い方としての「生活習慣」の如何に拘わらず、正常な機能レベルを保ちつつも、加齢と共に、緩やかなカーブを描きながら次第に働き具合が衰えていくという性質が存在している』という、14689例にも及ぶ生きた人間の脳機能データ、私たち独自の「脳機能データ」の解析結果から問題提起しておきたいのです。

&6 「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化のメカニズムとは

(1)加齢に従い機能が緩やかに衰えていくという「前頭葉」の三本柱に生来的に宿る性質、「正常老化の性質」により、正常な機能レベルを保っているとはいいながらも、最盛期の20歳代前半の頃の半分程度にまで「前頭葉」の三本柱の機能が衰えてきている『60歳を超えた年齢の「高齢者」』(私たちが主張する「発病の第一の要件」)が、「キッカケ」を契機として開始された脳の使い方としての生活習慣、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」を日々継続していると(私たちが主張する「発病の第二の要件」)、「前頭葉」の三本柱の機能が、出番が極端に少ない生活条件下で、廃用性の機能低下を進行させていくこととなり、第一の要件と第二の要件とが同時に充足される結果として、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくこととなる、その先に「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化の進行が待っているということなのです(器質的な病変が原因ではなくて、機能低下、就中、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行により「前頭葉」の三本柱の機能が衰えていくことの反射的な効果として、「前頭葉」の個別認知機能の機能の発揮度自体が同様に衰えていくことになるのです

(2)自分が置かれている状況の理解と判断、状況の判断に沿った実行「テーマ」の発想、実行内容の企画と計画、実行の結果のシミュレーションによる修正、実行の程度及び態様の決定、実行の決断と脳の各部に対する実行の指示等の全ての個別認知機能の機能の発揮度が、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行という上述のメカニズムの影響を受けることになるのです。その結果が、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクする形での「アルツハイマー型認知症」の症状として発現してくると言うことなのです。

(3)ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されている生活条件の下で、「前頭葉」を含む脳全体の機能について、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことにより、「前頭葉」が異常な機能レベルにまで衰えてくることにより「アルツハイマー型認知症」の症状が発現してきて(「小ボケ」の段階:社会生活の面で様々な支障が起きてくる)、且つ「前頭葉」が更なる廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていきつつ同時に左脳、右脳及び運動の脳も廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことにより、症状の重症化が進んで行くことになり、「中ボケ」の段階(家庭生活面での様々な支障が起きてくる)を経て、最後は末期の段階である「大ボケ」の段階(セルフケアの面でも様々な支障が起きてきて、日常生活面で介護が不可欠のものとなる)に至ることになるのです。「アルツハイマー型認知症」の発病及び私たちが回復の可能性の有無及び程度という視点から「三段階」に区分する認知症の症状の重症化は、全てこのメカニズム(機序)の枠組みの下で、認知症としての症状が発現し、更には、症状が重症化していくものなのです。

(4)私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている脳全体の司令塔の役割を担っている脳機能、左脳、右脳及び運動の脳により構成されている三頭立ての馬車の御者の役割を担っている「前頭葉」という脳機能の働きについて、言い換えると、意識的に何かの「テーマ」を実行していく上での、置かれている状況の理解と判断、状況の判断に沿ったテーマの発想、テーマの実行内容の企画と計画、計画内容の実行結果についてのシミュレーションによる修正、或いは計画内容の実行の仕方及びその実行内容の表出である言動や表情や態度の選択、最終的な実行内容の決定と決断及び脳の各部に対する実行の指示について、上述のメカニズム(機序)に起因した廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことが直接の原因で、「アルツハイマー型認知症」の様々な程度及び態様による症状が発現してきているということなのです。

(5)「前頭葉」は、左脳、右脳及び運動の脳との情報のやり取りを行うことにより、個別認知機能を発揮させているので、左脳、右脳及び運動の脳の全てが正常な機能レベルに在ろうとも、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」が異常な機能レベルに衰えてきたその時から、言い換えると、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階のアウトプットは既に異常なものとなっている、言い換えると、認知症の症状、「アルツハイマー型認知症」としての症状が発現しているということになるのです。

(6)認知症の専門家とされる人達(学者、研究者、医師)は、因果関係の立証が為されないままに主張されてきた単なる「仮説」でありながらも、拘泥し、疑うこともなく信じてきた『「記憶障害」が、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の基礎となり、基幹をなしている』とする憶測と思い込みによる視点からではなくて、『生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」の継続、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」に起因した「前頭葉」と言う脳機能の廃用性の加速度的で異常な機能低下が、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の基礎となる(基幹を構成している)』という視点に立脚して、私たちが区分し類型化している「三段階」の各症状について、観察しなおし、鑑別し、判定し、診断して頂きたいと切に願うのです。

(7) 発病自体も症状の重症化の進行も、そもそも器質的な病変が原因ではないし、言い換えると、アセチルコリンの不足が原因ではないし、アミロイドベータの蓄積が原因ではないし、タウ蛋白の蓄積が原因ではないし、脳の萎縮が原因でもないのです。そして、私たちが三段階に区分して類型化している「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の各段階の様々な症状発現の核となっているのは、世界的に権威があるとされている「DSM-4」の規定や我が国では未だに有力な学説として主張されている仮説である「アミロイドベータ説」(東大、京大及び理化学研究所がその牙城)や同じく仮説である「タウ蛋白説」が主張しているような「記憶の障害」ではなくて(情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死が原因となって「記憶障害」に起因した認知症の症状を発現させている訳ではなくて)、「前頭葉」の機能障害なのだ(「前頭葉」をその中核として、且つ「前頭葉」を含む脳全体の機能について、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続が原因で廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことに起因して認知症の症状が発現してきているのだ)ということを理解していただけたでしょうか。

(8)「アルツハイマー型認知症」の末期の段階、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階で発現してくる症状である「便で便器の縁を汚しても、後始末が出来ない」とか、「同居している家族の名前も顔も分からない」とか、「風呂に入っても、身体を洗おうとはしない」とか、「昼と夜の区別がつかなくなり、夜中に畑に行くと言い張って騒ぐ」などと言った症状は全て、「記憶の障害」に起因した症状なのではなくて、「前頭葉」の機能障害を骨格とした症状、言い換えると、『前頭葉を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下をそこまで進行させてきているその直接の結果として発現している症状であり、且つ、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状なのです。

&7 予防も早期発見による回復も出来ない(誤り)とする現状を放置したままで良いのか

(1)器質的な病変が「アルツハイマー型認知症」発病の原因であるとの大前提、そして、「記憶障害」の症状が「アルツハイマー型認知症」の症状の基幹となっているとの前提、この二つの「重大な誤り」に気づかないで居て、更には、その二つの前提に拘泥して研究や治療薬の開発を行っている限り、「アルツハイマー型認知症」の本質が、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」(但し、此処に言う「生活習慣」とは、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」であることに留意する)であるという正解に辿り着くことは、何時まで経っても出来ない相談だということを明確に指摘しておきたいのです。

(2)時間の無駄遣い、若い有能な人材の無駄遣い、コストの無駄遣いであり、税金の無駄遣いでもあるのです(認知症研究の専門家とか、認知症診断の専門家といいながら、「前頭葉」と言う脳機能の欠片さえも備わってはいないマウスを追い掛け回していたり、器質的な病変に起因した「記憶障害」の症状が「アルツハイマー型認知症」の基礎をなすとの仮説に拘泥したままで居たり、末期の段階の症状ばかりに目が向いたままで居て、発病自体を予防することが出来ることに気づかないで居て、早期の段階で見つけることにより治すことが出来ることにも気づかないで居て、効きもしない薬を処方し投与していて、日常の生活面、セルフケア面での介護が必要不可欠となる末期の段階にまで症状が進んで行くことが放置されたままで居ることにより、年間で15兆円を超える税金が垂れ流しの状態で放置されたままなのです。

(3)何時になったら、私たちの主張と450を超える市町村で展開してきた住民参加型の「地域予防活動」の実績とその成果とに陽が当たり、陽の目を見て、政治家や官僚や国民全体が「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防と早期の段階で見つけて治すという「テーマ」に真剣に取り組む日が来ることになるのでしょうか。垂れ流しのままに放置されて、現在すでにその規模が天文学的な金額に膨れ上がっていて、この先さらに増大の一途を辿るものと予測されている上記費用の1%、或いは2%でも使って、住民参加型の「地域予防活動」に人材(専門職としての指導者となるべきは、社会進出が未だ不十分な女性を積極的に活用する)と費用とを投入し、我が国の隅々に至るまで、出来るだけ小さな地域単位で、密に展開しさえすれば、高齢化が急激に進行しつつ疲弊していく一方の地方住民と地方経済は活性化を取り戻し(具体的な方法の提案内容については、このブログの「B-61」~「B-65」を参照してください)、上述した天文学的な規模に膨れ上がっている費用、税金を驚異的で劇的なスピードと規模とで、大幅に削減することが可能なのです!!

注)本著作物「Bー83」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 

 

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脳の活性化の意味と前頭葉の機能との関係(B-80)

2017-04-15 | 前頭葉の働きとその重要性を知ろう

  陽が沈む 時が経つのも 忘れ果て

      遊びに夢中 脳が活き活き  By kinukototadao   

& 脳の機能面から観た「脳が活性化」している状態とは

最近になってのことなのですけど、「アルツハイマー型認知症」の「予防」という「テーマ」で、脳の活性化とか「前頭葉」の機能とかの言葉がテレビの報道番組で、時々聞かれたりするのです。以下の内容は、3月末の番組での放送だったのです。脳の活性化とか「前頭葉」の機能とかの言葉が、テレビの報道番組で、時々聞かれるようになっているとは言え、中身については余りに底が浅いレベルのものでしかないので、今日は、脳の活性化の意味と「前頭葉」の機能との関係というテーマを取り上げてみることにしたのです。その番組では、「アルツハイマー型認知症」の「予防」と銘打ちながら、いくつかの市町村で実践されているとして「脳を活性化」させる方法として紹介されていた「回想法」なるものやデュアル・タスクという言葉だけを引用して語られる『散歩しながら、尻取りゲームをする』等の方法が、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防に効果的だと説明しつつ、他方では、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムについて、『アミロイド・ベータというタンパク質の蓄積により形成される「老人斑」の持つ毒性が、情報を伝達する機能を持つ神経細胞の細胞死をもたらすことが原因で「記憶障害」の症状が発現してくることが「アルツハイマー型認知症」の発病であり、且つ、その「記憶障害」の症状の進行により「アルツハイマー型認知症」の症状の程度が重くなっていく』との学説である「アミロイドベータ」説の主張内容(但し、当該主張の内容と「アルツハイマー型認知症」の発病との間の因果関係の立証が出来ていない「仮説」にすぎないのですが)をそのままを引用するという天衣無縫と言うか無神経で支離滅裂な論理を展開していたのです。

『「アルツハイマー型認知症」の発病の原因は不明であり、発病を予防することも症状を治すことも出来ないタイプの認知症である』というのが、アミロイドベータ説を主張する学者や研究者達の共通の理解でもあるからなのです。然も、そこで挙げられていた脳を活性化する方法とかにより、アミロイドベータの蓄積が排除されることになるはずというそのメカニズムについては、メインの解説者であったその人が(地方の大学の医学部の教授という触れ込みでした)、どのような立証データをお持ちなのか、伺ってみたいとも思わない程粗雑な説明(深い内容は知らないで、学説の単なる受け売りで、アミロイドベータ説を紹介しているだけというのが明白)をしていたのには、ただ驚くばかりだったのです。14689例の精緻な「脳機能データ」を基礎に論理的な議論を展開することを信条としている私としては、論理に無関心で支離滅裂な話を得意げに語る人がいるなど思いもよらず、開いた口が塞がらない状態だったのです。

私のこのブログは、2012年の3月から書き始め、我が国だけでなく、世界中の「アルツハイマー型認知症」の専門家とか権威とされる人達や大学、或いは研究機関を含む組織の主張の重大な誤りを正すべく、世の中に対して問題提起する目的で公開を開始し、A01100まで及びB0180までの合計180回も掲載しているその殆どが、「アルツハイマー型認知症」と言うテーマについて書かれていて、且つ「前頭葉」(「前頭前野」のことを言うものとする。以下、同じ)という脳機能との関係で発病のメカニズムや症状重症化のメカニズムや発病自体を予防する方法や早期の段階で見つけて治す方法を具体的に取り上げていて、詳細な説明とその根拠となる「脳機能データ」とを公開してきているのです。少なくとも、「アルツハイマー型認知症」と「前頭葉」という脳機能との関係について語らせるのであれば、世界広しと言えど、この私の右に出る者はいないはずとの自負があるのです。そう、肝心の「権威」が足りないのが、「玉に瑕」というところなのですけれど。「前頭葉」という言葉を持ち出すのであれば、「意識」の機能構造についての知識が不可欠であり、「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮面における「前頭葉」の三本柱の機能との二重構造の関係、更には、「前頭葉」の三本柱の機能の「正常老化の性質」等についての或る程度の知見を得てからにして欲しいのです。

様々な種類が数有る認知症の内で、その全体の90%以上の割合を占めていて、世界中の認知症の専門家達から『発病の原因自体が不明であり、発病を予防することも、症状を治すことも出来ない』とされている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の本質は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないのです(但し、此処で言う「生活習慣」とは食生活を言うのではなく、脳の使い方としての「生活習慣」であることに留意する)。「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム(機序)は、「第一の要件」が『「第二の人生」を送っている60歳を超えた年齢の「高齢者」であること』であり、「第二の要件」が『生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続』であり、第一の要件と第二の要件とが同時に充足されることにより「前頭葉」を含む脳全体の機能が加速度的で異常な機能低下を進行させていき、「前頭葉」が異常な機能レベルに衰えてきた時から認知症の症状が発現してくることになるのです。世の中で言われている種々の「学説」(仮説)が主張しているような、アミロイドベータの蓄積が原因でもなければ、タウ蛋白の蓄積が原因でもなければ、脳の萎縮が原因でもないのです(発病のメカニズムの詳細な説明については、このブログの「B-71」を参照してください)。   

私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている脳機能、脳全体の司令塔の役割を担っていて、三頭立ての馬車の「御者」である「前頭葉」の出番が極端に少ない「生活習慣」、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されることにより、「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことが原因で「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです。その最初の段階であり私たちが「軽度認知症」(小ボケ)と名付ける段階では、左脳も右脳も運動の脳も正常な機能レベルに在って、「前頭葉」の機能だけが異常なレベルに衰えてきているのです。そして、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されることが原因で更なる廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくこととなる結果、私たちの区分で言う、「中等度認知症」(中ボケ)の段階になると、「前頭葉」の機能が「小ボケ」の段階よりも更にその機能レベルが衰えてきている上に、「小ボケ」の段階では未だ正常な機能レベルに在った左脳、右脳及び運動の脳も異常なレベルに衰えてきているのです。加えて、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が更に継続されることが原因で「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を更に進行させていくことにより、そのことを直接反映した症状の重症化が進行していき、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階へと進んで行くことになるのです。

このことを脳の機能面から逆に言い換えると、『「前頭葉」が正常な機能レベルに在る限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することは絶対に起きては来ない』ということなのです。すなわち、「アルツハイマー型認知症」を発病しない方法、予防する方法とは、「前頭葉」の機能レベルを正常なままに維持することに尽きるということなのです。その具体的な方法とは、以下に説明するように、「前頭葉」を含む脳全体の機能をしっかりと使ってやること、就中、「前頭葉」の三本柱の機能の出番が出来るだけ多くなるような「生活習慣」を組み立てて、継続して実践することに尽きるのです。生活習慣化するということは、そうした脳の使い方としての「生活習慣」を何年間も継続することが出来るほどに長続きさせるということなのです。

何年間も長続きさせるには、「やっていて、楽しい」こと、「またやりたくなる」こと、「その時間を過ごすことが楽しい」こと、「そのことに従事していると、時間があっという間に経ってしまうと感じられる」ことが必須の条件となるのです。そうした「生活」を繰り返し継続して実践する「生活習慣」が、喜びや生き甲斐を生み出す源となるときは、「アルツハイマー型認知症」と言う病気に対する万全の備えが出来た難攻不落の堅固な城が築かれていることを意味することになり、『ボケ(「アルツハイマー型認知症」の発病)とは無縁の「第二の人生」を完走することが出来る』大きな保証となるのです。

我が国で最も権威があるとされているのは、東大や京大や理化学研究所が主張している「アミロイドベータ説」という仮説です。アミロイドベータ説には大きく、仮説としての6つの前提条件が主張されています。第一に、「アルツハイマー型認知症」の発病は、「器質的な病変」が原因であるとする主張です。第二に、アミロイドベータの蓄積により形成される「老人斑」の蓄積が発病の原因であり、第三にアミロイドベータの蓄積量の増加が症状進行(重症化)の原因だとする主張です。第四に、アミロイドベータの蓄積量の増加が「記憶障害」の症状の原因であり、第五に記憶障害の症状の進行により「アルツハイマー型認知症」の症状の重症化が進行していくとの主張なのです。第六に、アミロイドベータの蓄積を予防し、又は蓄積量を抑制し、或いは、蓄積量を消滅させることが、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防、又は症状重症化の防止、或いは症状を治す方法だとする主張です。実は、これら六つの主張(仮説としての前提となる理解)の全てが重大な誤解、重大な誤りなのです。

アミロイドベータというタンパク質の蓄積により「老人斑」なるものが形成され、その毒性が情報を伝達する機能である神経細胞の細胞死を招来させて「記憶障害」の症状が発現してくることにより「アルツハイマー型認知症」が発症するとする「仮説」であるアミロイドベータ説の主張内容は、誤りなのです。アミロイドベータというタンパク質の蓄積量が少量の段階を見つけたからと言って、そのことが、アルツハイマー型認知症の本当の意味での早期の段階を見つけることにはつながらないし、アミロイドベータというタンパク質の蓄積を防止したり、抑制したり、排除したりしたからと言って、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防することは出来ないし、症状の重症化を防止することも抑制することも、症状を治すことも出来ないのです。アミロイドベータの蓄積(その結果としての老人斑の形成)と「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化との間には肝心の因果関係が存在していないからなのです。アミロイドベータの蓄積による「老人斑」の形成は、「アルツハイマー型認知症」の発病の原因ではなくて結果に過ぎないのです(「アルツハイマー型認知症」を発病して、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されている生活状況下で、「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていき、「末期の段階」である「大ボケ」の段階にまで症状が進行していき、更にその状態が何年間も継続された結果に過ぎないのです)。

何故なら、「小ボケ」や「中ボケ」までの本当の意味での早期の段階で見つけて、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の適切な改善)を密に実践すれば、治すことが出来る(「前頭葉」を含む脳全体の機能が正常なレベルに改善されることにより、認知症の症状が消滅する)からなのです。このことはすなわち、「アルツハイマー型認知症」の発病の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階及び次の段階である「中等度認知症」(中ボケ)の段階までの間では、当該の「仮説」が主張する不可逆的な性質としての老人斑の形成と言った「器質的な病変(病態)」は起きてきていなかったことの証拠でもあるからなのです。米国精神医学会の診断規定である「DSM4」の規定が「第二の要件」での確認を要求している失語や失行や失認と言った症状が発現してくる段階、具体的には私たちの区分で言う末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階の更に後半の段階(30点が満点であるMMSEの得点で言うと一桁の得点にしかならないまでに「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが衰えてきている段階)という「極めて重度の症状」にしか関心がないが為に、逆にそうした重度の症状が本態であると見誤っているだけのことなのです。

 今は過去のものではあるものの皆さんの誰もが体験してきた「第一の人生」では、「仕事」と言うテーマがあるので、毎週、毎月或いは毎年、遂行すべき大きな/それなりの「命題」があり、達成すべき「目標」があり、そうした状況の下では、自分が置かれている状況の判断や状況判断に沿った「テーマ」の発想や発想したテーマの適切な実行内容及び実行手段の組み立て等について、「時間を忘れて」考察し、考え抜き、独創的な考えや様々な工夫を思いつく為に、「意欲」を掻き立て、「注意の集中力」を高度に発揮させ、更には「注意の分配力」を活用してあれこれと様々な条件や状況を想定してシミュレーションすることに全力で取り組むことになるので、その過程では、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」という脳機能が、フルに働く状態(「活性化」された状態)が生まれてくることになるのです。脳が活性化されている状態とは、脳の機能の面からは、「前頭葉」の機能がフルに働いている状態を言うのです。世の中では、というか日本だけでなくてこの世界中でという訳なのですが、「前頭葉」という脳機能については未だに殆ど分かっていないので、「脳が活性化する」という言葉が横行したり、流行したりしてはいても、「脳が活性化する」ということが、言い換えると、「前頭葉」を含む脳全体のいかなるかかわりの中でどのように活性化する機能構造に在るのかが、「脳が活性化する」という言葉を使用している本人にさえも、実のところ良く分かってはいないのです。

 私たちは、「アルツハイマー型認知症」の予防と早期診断による回復という目的に特化した住民参加型の「地域予防活動」を北海道から九州までの全国的に広範囲な地域にわたる440を超える数の市町村で指導してきた中で、予防教室に参加しているお年寄り全員について、「前頭葉」を含む脳全体の機能の機能レベルの変化について並びに脳の機能レベルの変化(「二段階方式」の手技を活用して、客観的な基準に基づいて改善、維持、低下の三区分に判定)を招来することとなった直接の要因である脳の使い方としての具体的な「生活習慣」の内容についての聞き取り(判定前数か月間/数年間の具体的な「生活歴」の聞き取り)を定期的に精密診断してきたその「脳機能データ」があるのです(「アルツハイマー型認知症」の症状の悪化/改善に関わる類型化された「生活要因」としての「脳機能データ」については、このブログの「A-34」を参照してください)。  

脳科学の分野の第一人者であるとか、認知症の専門家であるとか言いながら、或いはPETを扱う第一人者だと自称していながらも、極めて浅く、初歩的な程度のことしか分かっていないのです。その為、以前と比べて「物忘れの症状」が少しばかり減ってきたことくらいのことを「鬼の首でも取った」みたいに大げさに取り上げて、脳が活性化された証だとか、果ては「アルツハイマー型認知症」の発病の予防につながるとか騒ぎ立てたりするのです。前回のこのブログ「B-79」で取り上げ、脳の機能面からのメカニズムについて詳しく説明してあるように、「物忘れの症状」は「前頭葉」の三本柱の機能レベルの直接的な反映を示す症状であり、一つには「正常老化の性質」に起因して並びにもう一つには記銘時の状況下での記銘度に起因してその頻度、程度及び態様が発現してくるものなのです。従って、『物忘れの症状が常態として改善した』と言える為には、脳の使い方としての「生活習慣」の改善という根拠の存在が不可欠となるのであり、脳の使い方としての「生活習慣」の改善という「生活歴」の証拠データが必要不可欠のものとなるのです。

 今日は、そこに焦点を当てて、「脳が活性化する」とは、そもどのようなことを言うのか、脳の機能という視点から、就中「前頭葉」を含む脳全体の機能という視点から、ひいては、世界中の認知症の専門家達から発病の予防は困難とされてきている「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する為の唯一の方法である「前頭葉」を含む脳全体が活性化する「生活習慣」の構築とその実践という「テーマ」についても(これは、私たち独自の主張であり、見解なのですが、住民参加型の「地域予防活動」の実践では、当たり前の「テーマ」であり、実証されて来てもいるものなのです)、詳しくお話ししてみたいと思うのです。なお、「アルツハイマー型認知症」の発病自体の「予防」と早期診断による「回復」を明確な活動目的とした市町村による住民参加型の「地域予防活動」の実践展開という「テーマ」は、私たちの「二段階方式」の手技だけが為し得てきたものなのです。「アルツハイマー型認知症」の本質は、廃用症候群に属する生活習慣病であり、「前頭葉」を含む脳全体が活性化する「生活習慣」の構築と実践とにより発病自体を「予防」し並びに「脳のリハビリ」(「前頭葉」を含む脳全体が活性化する「生活習慣」の改善と実践)により認知症の症状を改善させる/治す(但し、本当の意味での早期の段階である「小ボケ」及び「中ボケ」の段階までが対象となる)ことを明確な目的とした住民参加型の「地域予防活動」では、「二段階方式」の手技を活用することにより、予防教室に参加しているお年寄りの「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの変化とその基礎となった「生活歴」の聞き取りにより、改善、維持又は低下の判定を担当する保健師さんの必須の業務として行っているのです。その場合、私たちの「二段階方式」の手技では、「前頭葉」の機能レベルの変化については「かなひろいテスト」を使用し、脳の後半領域の変化については「MMSE」を使用し並びに脳の使い方としての「生活習慣」の具体的な中身を聞き取り(「生活歴」の聞き取り)、客観的な基準に基づいて三者を総合的に判定しているのです。

この場合の特徴として、脳の後半領域の機能は、当該対象期間中の「生活習慣」の内容次第で容易に、且つ大きく変化するものなのですが、肝心の「前頭葉」の機能レベルについて一定のレベルでの改善という変化が認められる為には、当該対象期間中の「生活習慣」について密度の濃い改善内容と不断の実践という二つの重要な要素が確認される場合に限られるということなのです。特に、様々な種類が数ある認知症の内の大多数、その90%以上を占めていながら、未だに「発病のメカニズムが分からないし、症状を治すことも出来ないし、発病自体を予防する方法も分からない」とされてきている「アルツハイマー型認知症」を発病するその対象となる世代、「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」の方達にとっては、左脳が専管する「仕事」とは無縁の毎日を過ごすしかない生活状況に置かれているが為に、脳を活性化させるとか、「前頭葉」を含む脳全体が活性化する「生活習慣」とか言われても、「何をどのようにしたら良いのか皆目見当もつかない」という方達が大半だと思うのです。そうしたお年寄りの疑問に答え、且つ一定の指針となるものを提供したいと考えて、今日のこのテーマを選んでみたのです。

我が国日本は、高度経済成長期を謳歌していた時代の残滓が未だ残っているのか、或いは当時働き盛りの年齢だった方達が現在「第二の人生」を送っている中枢を構成しているためなのか、「学歴社会」というものが過去の遺物のはずでありながら、第二の人生を送っているお年寄りの日常生活面においてさえも残存しているように思えるのです。その「学歴社会」の価値基準からすれば、「脳」というのは、まさしく「左脳」のことを言うことになるのです。左脳は、言葉や論理や計算や場合分けなどのデジタルな情報の処理に機能特化した脳なのです。それは、勉強や仕事を遂行する上で必要不可欠の機能でもあるのです。そうであるが故に、学歴社会と揶揄される価値観を特徴とした我が国の高度経済成長期には、左脳だけに光が当てられ、右脳や運動の脳には、誰もが関心を寄せてこなかったのです。ところが、仕事や勉強とは基本的に無縁となるのが、「第二の人生」を送るということなのです。

「アルツハイマー型認知症」の本質は、使われる機会が極端に少ないことに直接起因して「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていく結果として、認知症の症状が発現し/症状が重症化していくところの廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないのです。米国精神医学会の診断規定である「DSM4」の規定が第一の要件として確認を要求している「記憶障害」の症状は、「アルツハイマー型認知症」の根幹をなす(基礎となる)症状ではないのです。「前頭葉」の機能障害に起因した症状こそが、「アルツハイマー型認知症」の根幹をなす(基礎となる)症状なのです。そして、「アミロイドベータ」の蓄積による老人斑の形成により/「タウ蛋白」の蓄積による神経原線維変化の形成により、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死が惹起され「記憶障害」の症状が発現してくることにより「アルツハイマー型認知症」を発症すると言う「仮説」は、発病の原因ではなくて、発病の結果を原因だと勘違いしているだけのものなのです(「アルツハイマー型認知症」を発病して、早期の段階があるとも医師達が知らないがままに症状が進行し重症化していき、末期の段階である「大ボケ」の段階の更に後半になって初めて発現が確認されることになる失語や失行や失認の症状が確認されたお年寄りの死後の「脳の解剖所見」の外観的な所見である老人斑やら神経原線維変化等と言う「器質的な病変」が発病の原因だと思い込んでいる学者達の単なる勘違いを根拠に主張されているだけのもの)。アミロイドベータ説やタウ蛋白説を主張している人達や機関に権威があるが為に、主張され出してから20数年が過ぎた現在でも、主張の根拠とされるものと発病との間の因果関係の立証が出来ないままでの「仮説」として、未だに学会や医療の現場でその権威が保たれているという不可思議極まりない現象を目の当たりにするのです。

 ところで、色や形や音や空間、或いは感情や感性と言ったアナログな情報の処理は「右脳」が専管しているのです。絵をかくのが並外れて上手い人達とか、歌を歌わせたら右に出る者はいないとか評されている人達は、その右脳の働き具合が並外れているのです。サッカーや野球やゴルフなど運動の分野で並外れた技量を発揮している人達はというと、「運動の脳」の働き具合が並外れて優れている人達と言うことなのです。頭がいい、優れた脳をしているということは、左脳だけでなくて、右脳が優れた人にも当てはまるし、運動の脳が優れた人にも当てはまる言葉なのです。然も、「第二の人生」を生きていく上では、仕事とは無縁の日々を生きていくということでもあるのです。脳をしっかり使ってやるとか、脳を活性化させるとか言う言葉を、「第二の人生」を生きている貴方達に対して使うときは、その主役は左脳ではなくて、「右脳(人と場合によっては、運動の脳)」のことを言っているのだということを理解して頂きたいのです。

私たちが日常生活を送るに際して脳を使うということは、「本能」と言うレベルではなくて、「意識的」に何かを考え、行為し、行動するということなのです。その意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている脳機能、それが「前頭葉」と言う機能なのです。私たち人間の脳を理解するには、「三頭立ての馬車」をイメージしてみて頂くと理解しやすいと思うのです。言葉や計算や論理、或いは、場合分けといった「デジタルな情報」の処理を専管している機能が「左脳」という機能なのです。色や形や音や空間や時間や感情といった「アナログな情報」の処理を専管している機能が「右脳」という機能なのです。身体を動かすための「アナログな情報」を専ら処理している機能が、「運動の脳」という機能なのです。それら三頭の馬を制御しているのが、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」という脳機能、「三頭立ての馬車」の御者の役割を担っているのが「前頭葉」という脳機能だと覚えておいてください。私たちが意識的に何かを考え、行おうとする世界を構築し、統合し、統括し、支配し、コントロールしているのが、この「前頭葉」という脳機能なのです。

前回のブログで取り上げ詳細に説明したように、「記憶」も意識的な世界での脳の働きによるものであり、「前頭葉」が、特に前頭葉の三本柱の機能が深く関与するものなのです。そして「前頭葉」という脳機能は、実は「マウス」には備わってはいないのです。ところが、何故だかは知らないのですが、「アミロイドベータ説」の牙城である京大や理化学研究所は、檻の中で餌を探して彷徨するマウスの行動から、「記憶」に関わるデータを収集して、主張の根拠にしているのです。その解析に基づいて、「アミロイドベータ」の蓄積量が記憶障害の症状の有無や程度に深く関係しているとの仮説を展開しているのです。アミロイドベータの蓄積を抑制したり、或いは蓄積を阻害する効能を有する薬を開発することにより、記憶障害の症状の発現を抑制し、或いは防止することとなり、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防したり、症状の進行を抑制したり、症状を治すことが出来るはずとの前提(仮説)に立った主張なのです。つまりは、その前提自体が崩れると、言い換えると、『「アミロイドベータ」の蓄積量と記憶障害の症状の発現又は症状の重症化との間に因果関係が存在しない時及び/又は、記憶障害の症状が「アルツハイマー型認知症」の根幹(基礎)となる症状ではないことが明らかとなった時、単なる誤解に基づく「仮説」だったということになる』訳なのです。そこで主張されている二つの「前提とされた内容」の両者共に重大な誤りであることは、このブログの「B71」、「B77」及び「B79」で、根拠となる「脳機能データ」の解析結果も交えて詳細に分析し指摘した通りなのです。

 マウスの記憶のメカニズムはさておいて、私たちの体験に照らして言うと、例えば、「今日一日の出来事」を日記に書いておくことにしましょう。今日は、朝方から天気が良くて、風もなく、東北から北陸、山陰地方にかけて裏日本側が一日中吹雪に襲われていたというのに、当地は一日中暖かい日よりだったこと。午前中に大室山のふもとまで車で行って、駐車場に車を止めておいて、Tadと一緒に、そこから「速足の散歩」をしながら、土地のお百姓さんが小屋掛けして道端で売っている「減農薬野菜」を買いに行ったこと。午後は、静岡県内の食事処や遊びどころを取り上げた創刊号である「Tabitabi」の本丸を構成する記事となり、最近になって急に注目を集め始めた富戸に所在する天空の異空間「JGarden」まで、これまた、「速足の散歩」をしながら歩いていき、出されたコーヒーと茶菓子(糖尿病がらみの私は、一つだけいただきましたが)とをいただきながら、御主人が20年かけて手作りで完成させた異空間での景色と音楽と会話とを2時間余りも楽しんで且つ、帰り道を40分かけて歩いて帰ってきたこと。これを日記に書くことが出来るのは、「前頭葉」という「脳機能」がある私達人間だけ、就中、「前頭葉」の機能が正常な機能レベルに在る人だけなのです。但し、一日の出来事を想起することが出来ただけでは、文にすることはできないのです。どのようなストーリーの流れにするのか、それぞれの出来事に対してどのような彩を添えるのか、全体としてどの出来事をメインのテーマとして詳しく書くのか等の作業が必要になってくるからです。その作業には、「前頭葉」の三本柱の機能、就中、「注意の分配力」の機能がフルに働いてくれる必要があるからなのです。

「注意の分配力」の機能は、異なった複数のテーマを同時に処理する上で必要不可欠の機能なのです。私のブログの「B76」と「B77」とを読み比べて頂ければ、そのことを十分理解することが出来る良い見本となっているのです。それらの作業が、出来栄えの議論は脇に置いとくとして、それなりに出来るのは、私達人間には、言葉があることは勿論なのですが、「前頭葉」という脳機能、就中「前頭葉」の三本柱の機能、取り分けて言うと「注意の分配力」の機能があるからなのです。「前頭葉」という脳機能は、私たち人間だけに特有の脳機能であり、他の動物たちには無い機能なのです。今日一日の出来事を、それなりの味付けをして、一定の流れに沿って日記にまとめて書く等という作業は、DNA的に人間に最も近いとされるチンパンジーにも、京大や理化学研究所が「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムの解明の為と称して、閉鎖された箱の中に入れられてエサを探して動き回る行動を研究しているアルツハイマー・マウスにさえも(アミロイド・ベータが注入されたマウス)到底できない芸当なのです。

 & 「前頭葉」の個別認知機能とその働きを支える二重構造の関係

「前頭葉」の個別認知機能が働くとはどのようなことを言うのかというと、「前頭葉」の三本柱の機能と私たちが名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能がその働き具合を左右し、下支えしているということ、言い換えると、「機能発揮上の二重構造」の関係にあることを、先ず理解する必要があるのです。即ち、私たちが世界で初めて発見し、機能発揮面における「二重構造」の問題と名付けている「前頭葉」の個別認知機能脳の機能発揮上の機能構造のことなのです。例えば、状況の「判断」という個別の認知機能を取り上げて説明すると、「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」の機能の発揮度が一定以上のレベルに高まった状態でいないと、「判断」という機能の機能発揮度自体も必要な機能レベルには高くはならないということなのです。私達が「意識」という概念について、意識の覚醒度(意識の覚醒の度合い)という概念の必要性を問題提起している根拠がここに在るのです。

多岐に亘っていて、数有る個別の認知機能(理解、了解、了知、了承、考察、考慮、観察、監視、鑑賞、観賞、感動、抑制、反省、内省、忍耐、思索、思考、企画、計画、シミュ・レーション、創作、創造、洞察、推理、推察、推認、推測、推稿、詮議、詮索、想像、空想、妄想、探求、探索、追及、究明、創意、工夫、比較、検討、評価、判定、判断、修正、選択、選定、排除、排斥、除外、校正、構成、構想、構築、統合、分別、支配、確認、確信、決定、決断、支持、指示、指揮、采配、統率、統括、総括等)の全てが、その機能を発揮するに際しては、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度に左右され、下支えされているという訳なのです。このことを言い換えると、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度が何らかの原因で衰えると、「前頭葉」の個別認知機能の発揮度も低いものになるということなのです。「前頭葉」の個別認知機能の発揮度は、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度に依存する機能構造となっていて並びにその上に、私達が「二段階方式」の手技を活用して集積した「脳機能データ」の解析結果が示しているように、以下に説明する「正常老化の性質」の影響を直接的に反映することになるという訳なのです。

 その「脳機能データ」が示しているのは、「前頭葉」の個別認知機能の『機能の発揮度』を左右し、下支えする働きを有する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能には、『脳の使い方としての「生活習慣」の如何に拘らず、「加齢」と共にその機能が衰えていく』という性質(私たちが「正常老化の性質」と名付けている性質)が、生来的に誰の脳機能にも内在しているということなのです。その「脳機能データ」によると、『「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合は、「18歳から20歳代の前半のころ」がピークで、緩やかながらも直線的なカーブを描きつつ衰えていくのです。そして、「第二の人生」が始まる60歳代の半ばころには、ピーク時の半分くらいのレベルにまで機能が衰えてきていて、100歳代に向かって、直線的に緩やかに、更に衰えていくことになる』ということなのです。

今日一日に起きた出来事をどのような文章としてまとめ上げるか、それについては、「前頭葉」の二つの機能が関わってくることになります。その一つが「前頭葉」の三本柱の機能なのです。どのテーマをメインテーマとするか、それぞれのテーマにどのような味付けをするかという問題、更には、全体の文章の量とそれぞれのテーマとのバランスの問題について、事前のシミュレーションが必要となるのですが、それを可能にする機能が「前頭葉」の三本柱の機能、就中、「注意の分配力」の機能であり、どの程度可能なのかは「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベル次第ということなのです。加えて、それぞれのテーマについてどのような味付けを施すのかについては、「前頭葉」の「評価の物差し」という機能が関わってくることになるのです。他の人とは異なる貴方独自のもの(どのような見方、感じ方、考え方をしたのか)については、あなた自身の「前頭葉」の機能を構成している重要な構成要素である「評価の物差し」が決めることになるからなのです。それに加える要素としては、「文章の巧拙」の問題が最後に関わってくることにはなるのですけれど。

 昼時になって、お友達の川島さんが、ご自身が焼かれた手作りのケーキをもってやってきてくれたとしましょう。そこに、砂塚さんが米麹を使用した無添加の手造り味噌を持ってきてくれたとしましょう。「女三人寄れば、姦しい」という訳ではないのですが、ケーキの話と味噌の話が入り混じりつつも、会話が全体として見事に流れていく為には、「前頭葉」の三本柱の機能、就中、「注意の分配力」の機能が正常なレベルで機能していることが不可欠の条件となるのです。

「アルツハイマー型認知症」発病の最初の段階、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、三頭の馬が(左脳、右脳及び運動の脳)未だ正常な機能レベルに在るのに、御者である「前頭葉」の機能だけが異常な機能レベルに在るのです。その「小ボケ」の段階で既に、話の中に入ってはいけなくなってきているという状況が生まれてきていることに、認知症の専門家と言われている人達が気が付かないでいるのです。その人達は、「記憶の障害」の症状こそが、「アルツハイマー型認知症」の根幹(基礎)となる症状だと誤解しているので気づかないのです。「小ボケ」の段階では、記憶障害の症状はその欠片も発現してこなくて、「前頭葉」の機能障害に起因した症状しか確認できないのです。

このことに気づかない限り、MCI (軽度認知障害)とか言って如何にも意味ありげな言葉を持ち出そうとも、本当の意味での早期の段階の判別には何の役にも立たないのです。結局のところ、「脳のリハビリ」により回復させることが可能な本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階を見落としていて、回復させることが困難であり末期の段階である「大ボケ」の段階でしか「アルツハイマー型認知症」を見つけられないでいるのです。回復させることが可能である本当の意味での早期の段階で見つける方が売上高が大きく増えることとなり、回復させることが困難である末期の段階で見つけたのでは売り上げが僅かしか立たないのであれば、医療現場での対処はがらりと変わることになると思うのですが、実態はそれとは逆なのです。末期の段階で見つけて、治すことも何もできないで居ながら、CTやらMRIやらSPECTやらPETまでも総動員して、単に売り上げを稼いで平然として「商売」をしているのです。その上、効きもしない薬までも処方して売上高を伸ばしているのです。不条理だとは思いませんか。

 & 脳の構造と機能面から見た「脳の活性化」の意味

世間では、「アルツハイマー型認知症」の専門家と称する人達(医師や研究者)が、脳の活性化というテーマについて、様々な発言をしています。その代表的な例が、「物忘れ」というテーマなのです。簡単な足し算や引き算を日課にしていると「物忘れ」が減ってくるとか、尻取りゲームをしながら散歩を日課としていると「物忘れ」が減ってくるとか言う類のものなのです。簡単な足し算や引き算をするとか、平仮名で書かれた簡単な寓話の類を音読してみたところで、5~6歳児であればいざ知らず、60歳を超えた年齢の「高齢者」の場合は、「前頭葉」が「活性化した状態」にはならないのです。教室が始まる前や後でのザワザワした状況、世間話に夢中になっている状況下での「前頭葉」の活性化という効果について、医師や研究者や学者が無知なだけのことなのです。教室に通ってきている特定の複数の「お年寄り」を対象にして、『教室に通ってきて実施している場合の効果』と『友達とも交わらないで、一人家に籠って実施している場合の効果』との差を調べてみれば、教室の授業の効果と考えていたものが、生活要因による効果(教室に通ってくる中で親しくなったお友達との世間話に花が咲く時間の体験による効果)であったことが容易に分かるはずなのです。

「物忘れ」が減ってくると言うことを脳の機能面から見てみると、以前に比べて『記憶する際の「記銘度」及び想「想起」の機能レベルが高くなってきている』ということなのです。記憶は、記銘、保持、想起という三つの行程を辿るものなのです。「物忘れが減る」とか、「物忘れの症状が軽くなる」とかの現象が何を意味しているのかを考えることが出発点となるのです。「脳機能データ」の解析から判明していることはというと、『対象となる情報を記銘するときの「記銘度」が高かったものは、よく保持され、よく想起されることになる』ということなのです。従って、物忘れの症状が軽減されたということは、対象となる情報を記銘する際の記銘する力が改善されてきている、言い換えると、「前頭葉」の三本柱の機能の内の「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能が改善されてきているということなのです。但し、此処に極めて重要な問題が潜んでいるのです。「意欲」の機能が改善されてくれば、脳が活性化されているというのに十分なのかという問題なのです。実は、意欲だけでは不十分なのです。「注意の集中力」の機能の改善も必要なのです。「注意の集中力」の機能が改善されていればそれで十分ということなのか。答えは、NOなのです。「注意の分配力」の機能も改善されているのでなければ、脳の機能の「潜在的な能力」が十分に不可逆的に改善されたという訳にはならないのです。このことについて、世間が、脳科学者や「アルツハイマー型認知症」の専門家とされる人達が未だに無知なのです。

仲間達と楽しく会話をする場面でも、日記などの文章を構成して書く場面でも、今日や今週の行動日程を企画し実行内容を組み立てる場面でも、「注意の分配力」の機能が正常な機能レベルで、且つ、フル回転することが要求されることになるのです。どんな種類、程度及び態様のものであれ、複数の対象を同時に、且つ、的確及び適正なレベルで処理する為には、意欲、注意の集中力の機能だけではなくて、注意の分配力の機能が活性化している状態に在ることが必要不可欠のこと、絶対の条件となるのです。従って、何か特別の「テーマ」を日課として、半年間かそれ以上の期間継続して実行した結果、「脳が活性化」したと言えるためには、最も高度な機能である「注意の分配力」の機能の機能レベルが改善されていることが証明されないと、そうは言えないということなのです。そもそも、「注意の分配力」の機能というのは、複数の異なったテーマを同時に並行して処理する為の必要不可欠で、且つそれを専管する機能なのです。私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積し、解析した「脳の機能データ」から説明すると、MMSEの下位項目の項目困難度で最上位に在る「想起」という機能は、「注意の分配力」の機能の機能レベルを最も強く反映する項目なので、「簡単な足し算や引き算をする」とか/仮名で書かれた簡単な内容のおとぎ話などを音読するなどの作業程度では、意欲や注意の集中力と言った機能について或る程度機能回復することは期待できるにせよ、「注意の分配力」の機能が機能回復する状態は容易には作り出せないのです。従って、単に「以前に比べて物忘れが減ってきた」くらいのことで、脳の機能が改善された、就中、「前頭葉」の機能が改善された等と「曖昧でいい加減な尺度」を持ち出さないで頂きたいのです。

「前頭葉」の潜在的な機能レベルの一定レベルでの改善、就中、「注意の分配力」の機能の潜在的な機能レベルの一定レベルでの改善を判定するには、私たちが独自に開発した「二段階方式」のような精緻な「神経心理機能テスト」によってのみ可能なことであって、たとえfMRIやらSPECTやらPETを使用しようとも困難であることを付け加えて、問題提起しておきたいのです。血流量の増加や増幅と言う曖昧な基準では、「前頭葉」の機能レベルの一定レベルでの改善又は低下についての客観的で精緻な判定は出来ないのです。更に付け加えると、「前頭葉」の三本柱の機能の潜在的な機能レベルを改善する為には、脳の使い方としての「生活習慣」の改善が必要不可欠の条件となるのであり、趣味や遊びや人付き合いや運動、或いは地域興し等の「テーマ」を脳の使い方としての「生活習慣」に積極的に取り込んで、自分なりの「生き甲斐」があり、「目標」があり、「喜び」があり、「楽しみ」が得られるような「生活習慣」を構築し、出来るだけ人多くのと交わる機会を得ながら、密に実践することが求められるのです。

 & 「アルツハイマー型認知症」(ボケ)の発病を予防する方法

私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも上る精緻な「脳機能データ」の解析結果によると、『私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」の機能が正常な機能レベルに保たれている限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することは、絶対に無い』のです。そのための必要不可欠の条件は、私たちが発病の「第二の要件」に定義している生活習慣、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」に陥らないことなのです。そのための効果的な手段というのが、「前頭葉」の出番が出来るだけ多くなるような脳の使い方としての「生活習慣」の実践なのです。「前頭葉」の出番が出来るだけ多くなるような脳の使い方としての「生活習慣」の実践により、「前頭葉」を含む脳全体の機能の廃用性の加速度的で異常な機能低下を予防することが出来るからなのであり、肝心の因果関係について何等の立証も無しに学説(仮説)が主張しているような、アミロイドベータの蓄積による老人斑の形成やタウ蛋白の蓄積による神経原線維変化の形成等の器質的な病変(病態)が「アルツハイマー型認知症」発病の原因ではないのです。

上述したように、「アルツハイマー型認知症」としての認知症の症状が確認される最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、左脳も、右脳も運動の脳も全てが正常な機能レベルに在るのに対して、最も高度な機能であり脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能だけが廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に起因して、異常な機能レベルに在ることが分かるのです。そして、「中等度認知症」(中ボケ)の段階では、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に起因して「前頭葉」の機能レベルが更に異常なレベルに低下している上に、「小ボケ」の段階では正常な機能レベルに在った「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」も異常なレベルに機能が加速度的に低下してきていて、末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階では、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に起因して、「前頭葉」を含む脳全体の機能が更に異常なレベルへと加速度的に衰えてきていることが分かるのです。

生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されている状況下で、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことにより、「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えていくとき、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクする形で「三段階」に区分される「アルツハイマー型認知症」の症状が発現し、重症化が進行していくのです(その症状の類型については、ここを「クリック」してしてください)。それらの症状を子細に観察してみれば、「早期」の軽い段階であればあるほど、「記憶障害」の症状ではなくて「前頭葉」の機能障害に起因した症状が発現してきていることが分かるし、「末期」の段階、私たちの区分で言う「大ボケの」段階の症状であっても、外観からでなくて、症状が発現してくる中身である「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルという客観的なデータ及び視点から深く検討し、観察してみれば、『概観的には「記憶障害」の症状の反映であるかの如くに見える、それら全ての症状が、「記憶障害」ではなくて「前頭葉」の機能障害に起因した、且つ脳全体の機能レベルを反映した症状である』ことが分かるのです。  

 & ボケとは無縁で、「第二の人生」を完走するための心構え

『脳が活性化している』ということは、これを言い換えると即ち、「前頭葉」が活性化していることを言うのであって、「前頭葉」が活性化しているということは、日々の生活の中で「前頭葉」の出番が多い脳の使い方としての「生活習慣」が構築されていて、且つ、そうした実践が継続されていることを意味するのです。その基礎となっている脳機能は、「前頭葉」の三本柱の機能である、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能なのです。

先に「前頭葉」の個別認知機能を列挙しましたが、皆さんがこれまでの人生の過程で発揮してきたものばかりだということに気づかれていると思うのです。その個別認知機能自体を、この年齢で、今更に開発することは加齢の進行との関係で期待可能性が極めて低いのです。考えるべきは、個別認知機能の発揮度を左右し、下支えしている機能である、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度を上げることの方が期待可能性が高いのです。然もその最善の効果的な方法は、『出番を増やしてやり、しっかりと使ってやりさえすれば良い』ということなのです。趣味や遊びや人付き合いや地域興し或いは運動の分野で、自分なりに関心や興味が覚えられそうな「テーマ」を見つけ出して、出来るだけ家の外に出ていき、出来るだけ多くの仲間と交わる中で、自分なりに意欲が湧いてくるもの、集中力が上がるもの、注意の分配力を使う場面が多いものを選んで、日々の、毎週の、或いは毎月の生活の中に取り込んで、その実践を習慣化するのです。「アルツハイマー型認知症」の本質が「前頭葉」の出番が極端に少ない生活の継続に起因した廃用性の「生活習慣病」であるということは、「アルツハイマー型認知症」を発病しない為には、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、コントロールしている「前頭葉」を居眠りさせないことが必要不可欠の条件となるということなのです。すなわち、「第二の人生」を自分なりに十分に楽しむ「生き方」が求められるということなのです。

 ここで皆さんに一つ質問があります。クイズではないので、しっかりと「前頭葉」を駆使して考えて、貴方なりの答えを出して頂きたいのです。さて質問です。『「前頭葉」が活性化する「生活習慣」を構築する上で、一番重要な要素となるものは何でしょうか正解は、『人の輪の中に入っていき、人と交わる』ということなのです。住民参加型の「地域予防活動」の体験及び活動拠点となる『脳イキイキ教室』に参加されているお年寄りの皆さんが異口同音に語る言葉が、それなのです。『家に籠ってばかりの生活だった頃は、夫婦間での会話で、声を出して笑うなどということは無かった』、ましてや、独り暮らしの身で、『家に籠ってばかりの生活を送っている場合は、声を出して笑う等という機会は全くなかった』とおっしゃるのです。『教室に通うようになって、皆さんと顔を合わすようになって、楽しくて、声を出して笑う生活が戻ってきた』と皆さん異口同音に語られるのです。人の輪の中に入っていき人と交わるということは、相手の話に耳を傾け、語られるその内容を理解する上でも、どのような目線やら表情をして聞くのか、或いはどのような展開場面で相槌を打つのか、更には、自分なりの考えや意見をどのような内容でどのようにして語るのか、全てが、「前頭葉」の関与を必要とするのです。そうした場面が楽しいと感じられるとき、特に、あっという間に時間がたってしまったと感じられるとき、貴方の「前頭葉」がフル回転していたということなのです。言い換えると、その間には、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能がフル回転していたということでもあるのです。 貴方の「脳の活性化」について、何をどうすべきか、ヒントになりましたか?

我が国で権威があるとされる大学の医学部の教授がテレビに出てきて、「グーパー体操や昔の思い出話を語る回想法なるものや、散歩しながらしりとりをする場面など」を例に挙げて説明しながら、それらが脳の活性化に役立つとか言って、その証拠として物忘れの症状の低下を挙げたり、時には、例のPETなるものを取り上げて、血流が増幅している状態の映像を示して、脳が活性化している証拠だと強調する報道がみられたりする御時世なのです。 その程度のことであれば、予防教室に通ってきて、「お漬物とお茶をいただき乍ら、世間話に花を咲かせる」だけの内容であっても、「脳の血流」は同様に、同程度に増幅されることを知ることになるのです。世間話中心のお茶のみの場に参加していることにより、そのことが楽しくて、「前頭葉」の個別認知機能の出番が増えることで脳全体が活性化し、「前頭葉」の個別認知機能の発揮度を左右し、下支えしている「前頭葉」の三本柱の機能が使われる機会が増えることにより機能レベル自体が上がってくることになるからなのです。その程度のことで脳が活性化しているとか、介護保険の申請数が大幅に減少したとか、騒がないで欲しいのです。私たちがこれまでに展開し、実証してきた住民参加型の「地域予防活動」の成果は、そんな些細な事ではないのです。『「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防と早期に発見して治すという私たちの提案に対して見向きもしないで、このまま放置して居ると、財政面から近い将来に破綻することが明白な状況にある「介護保険制度」の危機的な状況』に対して、市町村による住民参加型の「地域予防活動」の全国展開、加えて、出来るだけ小さな単位で密に実施することにより驚く程のスピードと規模とで費用を劇的に減少させ、状況を劇的に改善させることが出来るのですから。

ただ単に「歌って、踊る」とか、「しりとりしながら散歩する」とかいうレベルの物ではなくて、脳の機能、特に必要欠くべからざる要因である「前頭葉」の機能レベルの判定とその基礎となっている脳の使い方としての「生活習慣」のチェックと改善指導とを科学的に客観的な手技として確立された「二段階方式」の手技を活用して実践すべきなのです。上述したように、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階を脳の機能面から見ると、脳の後半領域の機能である左脳、右脳及び運動の脳の全ての機能が正常な機能レベルに在るのに、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能だけが異常な機能レベルに在ることが特徴なのです。然も、「前頭葉」の個別認知機能の発揮度を左右し、下支えしている機能である「前頭葉」の三本柱の機能には、『加齢と共にその働きが衰えていくという性質、私たちが「正常老化の性質」と呼ぶ生来的な性質』が内在しているのです。従って、「アルツハイマー型認知症」を発病しない為には、言い換えると、「前頭葉」の機能レベルを正常な機能レベルのままに保つ為には、緩やかながらも下降していくそのカーブを下側から支える「生活習慣」が不可欠となるということなのです。

「超高齢化社会」を我が国の財政面から支え直すには、様々な種類が数有る認知症全体の90%以上の割合を占めている「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防と早期診断による回復とを明確な目的とし、且つその目的に特化した活動としての「地域予防活動」を我が国の全ての市町村で/且つできるだけ狭い地域単位で密な活動として展開すべきだと考えるのです。「前頭葉」が活性化している、言い換えると「前頭葉」の個別認知機能が活性化しているということは、機能発揮上の「二重構造」という構造面からみると、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能から成る「前頭葉」の三本柱の機能が活性化しているということなのです。皆さんのこれまでの「体験」に照らして考えてみた時、どんな時、どんな状況の下に在る時、「前頭葉」の三本柱の機能が活性化しますか?実行の目的となる「テーマ」を考えたり、企画したりすること自体が楽しいと思えるとき、「テーマ」の実行内容をあれこれと考えること自体が楽しいと思えるとき、実行するに際しての達成目標を考えること自体が楽しいと思えるとき、実行する仲間を含めた実行の環境が楽しいと思えるとき、実行していること自体が誇らしいと思えるとき、実行した結果が嬉しいと思えるとき、そのテーマの実行の過程や目法の達成により、そうした「生活習慣」に従事すること自体に生き甲斐を覚えるとき、更には、そのテーマを実践していることを周りの人達に自慢したいと思えるとき、繰り返してやりたいと思えるとき、そうした「生活習慣」を継続していきたいと思えるとき、ではないでしょうか。そうした好循環は、「前頭葉」に内在している機能である貴方自身の「評価の物差し」(貴方独自のものの見方、考え方、感じ方の基準)がプラスに評価しているからこそ得られることなのです。周りから見ての評価ではなくて、貴方自身の評価でプラスに評価できて、且つ楽しくて、それが何であれ、打ち込めることが出来て、夢中になれて、時間が経つのも忘れてしまうようなことが、一つでも二つでもあれば、「鬼に金棒」と言えるでしょう。

自分なりの「テーマ」を選択して、自分なりの「目標」の設定が出来ていて、そうした「テーマ」の遂行と設定した「目標」の達成に向けての努力の過程、更には、「目標」の達成により、自分なりの「生き甲斐」や「喜び」が得られることが、「前頭葉」の三本柱の機能を更に活性化させることになるのです。そのことが、加齢と共に機能が衰えてきていた「前頭葉」の三本柱の機能の衰えのカーブをさらに緩やかなものに変えてくれることになるのです。その反射的な効果として、「前頭葉」の個別認知機能の発揮度自体が高いものとなる、これこそが「脳の活性化」という脳の機能面からの変化なのです。そうした「テーマ」を一つでも二つでも、貴方の「生活習慣」に組み込んでいくことが出来たとき貴方は、ボケ(「アルツハイマー型認知症」の発病)とは無縁の「第二の人生」を完走することが出来るのです。

暇もお金にも余裕がなくて、仕事一筋の人生をやってきて、働くことしか考えられないという人は、「運動の脳」の活用を考えてきていただきたいのです(ここを「クリック」してください)。運動の脳の活用も無理という人は、とりあえず家に籠ることだけは避ける生活、家の外に出て行って、出来るだけ人と交わり、人に接する努力をしていただきたいのです。相手の話を聞いて理解するにも、相槌を打つにも、自分なりの考えを表明するにも、それなりの表情や目線を提示するにも、必ず「前頭葉」の働きが絡むので、「前頭葉」の三本柱の機能の出番が出来るからなのです。お漬物やお茶菓子をつまみながら、車座になって、たわいの無い世間話に加わるだけでも、貴方の「前頭葉」は十分に活性化することが出来るからなのです。

「第一の人生」では、夫には会社勤めという「仕事」があり、妻には家事や子育てという「仕事」があり、短期及び長期の達成すべき複数の「目標」が常にあり、その達成の過程における及び折々の目標の達成による喜びや生き甲斐を得られる機会がそれなりに有るのですが、仕事とは無縁になる「第二の人生」では、仕事以外の分野で追及すべき自分なりの「テーマ」を見つけて、達成すべき自分なりの「目標」を設定し、目標達成の過程で及び折々の目標の達成により、自分なりの「喜び」や「生き甲斐」が得られる機会が出来るだけ多くなるよう、常にそうした「目的意識」をもって生きていくことが求められるのです。「アルツハイマー型認知症」を発病することになるかならないか、それは、「第二の人生」を生きていく上での貴方自身の脳の使い方としての生活習慣の在り方、「生き方」が問われることになるのです。「アルツハイマー型認知症」を発病しない為には、「前頭葉」の機能レベルが正常な機能レベルのままで加齢を重ねていくことが必要不可欠の条件となるのです。そのためには、「前頭葉」が生き生きと働くような、自分なりの脳の使い方としての「生活習慣」の確立が求められるのです。

「第二の人生」は、脳の機能面から説明すると、仕事とは関係がない生活となるので、「右脳」の活用が主体となるのです。趣味や遊びや人付き合い、或いは地域おこし等の社会活動のテーマの中から、自分なりに関心があるテーマ、興味が持てるテーマ、継続してやっていけそうなテーマを選んで、自分なりの目標を設定して、実践の過程自体や状況が楽しめて、それにより更なる「意欲」が湧いてきて、そして目標の達成により「喜び」や時には「生き甲斐」が得られるような「生活習慣」、脳の使い方としての「生活習慣」を構築し、実践していただきたいのです。

 私たちの「前頭葉」の三本柱の機能には、誰であれ、生来的な性質としての「正常老化の性質」が内在されているので、加齢が進行していくだけで、その機能は緩やかな直線的カーブを描きながら衰えていくものなのです。これと言った目標もなく、毎日を何となく過ごすだけの生活、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちが「意識的」に何かをしようとする世界を構築し、支配し、コントロールしている「前頭葉」が居眠りをし始めたとき、「アルツハイマー型認知症」という病気が抜き足、差し足、忍び足で近寄ってくることになるのです。丁度、日常の生活面での何等の自覚症状がないままに、幾種類もの合併症を惹き起こすあの恐ろしい「糖尿病」が忍び寄ってくるように。

 注)本著作物「Bー80」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

 

 

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雨の風情を感得するのは、前頭葉なの!

2015-04-09 | 前頭葉の働きとその重要性を知ろう

 今日のテーマは、「雨に濡れた風情を残す桜の花」の鑑賞です。前回鑑賞した、「晴天の下での桜の花の風情」とは全く異なっているのがお分かりいただけるでしょうか。この差異を感じ取れるのは、「前頭葉」が正常なレベルで働いている人たちに限られるのです。私たちは、色々な種類の神経心理機能テストを開発したのですが、その中に、「表情読み取りテスト」と言うのがあります。

  笑っている表情の人、怒っている表情の人、泣いている表情の人、悔しがっている表情の人、嬉しがっている表情の人など。私たち人間が表わす表情には、様々なタイプのものがありますが、こうした表情を表わすことが出来るのも、或いは表情を識別することが出来るのも、「前頭葉」の機能が正常なレベルにある人達に限られるのです。左脳も右脳も運動の脳も、そのすべてが正常な機能レベルにあっても肝心の「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてきている人たちを私たちは「軽度認知症」(小ボケ)と呼んでいるのですが、その人達に特有な症状である(何かに感動することが無くなり、顔つきが無表情で、目の光がどんよりしている)は、まさしくこのことを物語っているのです。

 認知症の専門家とされる人達が、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)を「不活発病」とかいう名前を付けるだけで、或いは、私たちの区分で言う「中等度認知症」(中ボケ)を「老化現象」だと勘違いして、放置したままでいて、それが「脳リハビリ」によって回復させることが可能な段階である「アルツハイマー型認知症」の本当の意味での初期症状であることに、気づいていないのです。認知症の診断を専門とする医師達が言っている「初期症状」というのは、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階での初期の症状のことを言っているのです。彼らは、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちの意識的な世界を支配しコントロールしている「前頭葉」の廃用性の機能低下と言う視点もなければ、「前頭葉」の機能レベルを判定する手技も持ち合わせていなくて、CTやMRIや、果てはPETなど極めて高額な診療費を稼げる機器ばかり使用して、脳の形ばかりを調べて居るので、本当の意味での初期症状のことは知らないのです。アー!、嘆かわしや。

   

 「小ボケ」及び「中ボケ」までの段階で見つければ、「脳のリハビリ」(本人が、楽しんで、日々継続して実行できる、趣味や遊びや人付き合いや運動などの「テーマ」を、自分なりに目標をもって追求することで、言い換えると、しっかりと脳全体を使ってやることで脳を活性化させる)によって、「前頭葉」を含む脳全体の機能を正常なレベルに回復させることが可能なのです。

 「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが認知症の段階的な症状として直接発現してくるものであって、本当の意味での早期の段階(小ボケ及び中ボケの段階)で見つけると、治すことが出来る病気なのです。認知症の専門家とされる人達が、(「アルツハイマー型認知症」は、治すことが出来ない病気)だとしているのは、「見つけるのが遅すぎる段階で見つけている」末期の段階で見つけている、言い換えると、私たちの区分で言うところの「重度認知症」(大ボケ)の段階で見つけている結果に過ぎないのです。私たちが指導してきた市町村での「地域予防活動」の結果及びその参加者達の脳機能の時系列変化を継続して判定した脳機能データからいうと、「アルツハイマー型認知症」は、治せないタイプの認知症ではないのです。見つけている段階が遅すぎるから、治せなくなっているだけなのです。認知症の専門家と公言しながら、そのことにさえ気づいていないのです。

ところで、前置きはそれくらいにして。

 今日は、あなたの「前頭葉」が未だ正常なレベルで機能できているかどうかを、前回の桜の花の風情と今回の桜の花の風情との差異を識別できるかどうか、テストしてみてください。


     

    

    

    

    

  

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