認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

前頭葉の機能低下とアルツハイマー型認知症の発病及び初期症状(F-08)

2021-06-15 | アルツハイマー型認知症の治療方法

 意識有り ゆえに我在り 我思う

  覚醒の意識無くとも 脳は眠らず    By kinukototadao 

アルツハイマー型認知症の本態並びに発病及び症状の重症化が進行するメカニズムに鑑みて、アルツハイマー型認知症の治療薬(発病を予防する効果、症状を治す効果、又は、症状の進行を抑制する効果を有する薬を言い、現在発売されている4種の薬のような単なる対症療法薬とは効能の内容自体が異なることに注意)が開発されることは、未来永劫、有り得ない事について、注意を喚起する為に、再度ここに取りあげることにしたのです。

⇔ (次のテーマは、前回のF-07の&7の追伸からの引用部分です。若干の追加があります)

➡(追伸)今回FDAが、新型のアデュカヌマブ」について、『蓄積した「アミロイドベータの量を減らす効果を有することは認められるが、そのことは、「アルツハイマー型認知症」に対する治療効果が有ると認定するものではない」とする注釈付きでの発表を行った』のであり、我が国のマスコミが、『治療薬の開発』に成功したかのような見出しを付けて報道していることに惑わされないで頂きたいのです。「この新型のに、治療効果が有る筈が無い」のです。開発のコンセプト自体が根本的に誤りだから。何故なら、アミロイド・ベータの蓄積(老人斑の沈着をもたらす)と「アルツハイマー型認知症」の発病との間には、肝心要の要因である、因果関係自体が存在していないのです。「記憶の障害が発病を惹き起こす」との想定自体が、単なる憶測であり、且つ重大な誤りなのですから。即ち、アミロイドベータの蓄積量を減らし、又は、蓄積を阻害しようとも、発病を予防したり、症状の進行を遅らせたり、或いは、症状を治す効果が認められる筈が無いのです。⇔廃用性の機能低下に起因した『前頭葉の機能障害』が、発病を惹き起こす真の原因なのですから。発病者の脳内からのアミロイドベータの除去、或いは、蓄積量を減らすことに因り、アルツハイマー型認知症の発病の予防、或いは、症状の進行を抑制する治療効果が有ると主張する製薬会社は、アミロイドベータの蓄積とアルツハイマー型認知症の発病及び症状の重症化の進行との間に厳密な意味での直接の及び唯一の因果関係が存在することを立証する社会的な責任があるはずなのです。両者の間に、直接の因果関係が存在して居なければ、「アミロイドベータの除去、或いは、蓄積量の減少をもたらすものであっても、発病を予防したり、症状の重症化の進行を抑制する効果は有しないことになる」のですから(これが、科学的で論理的な帰結)。

(以下の※1の部分は、今回追加)

※1アルツハイマー型認知症』は、人間だけに特有な世界である、「意識的な世界」に関わる認知症なのです。『意識的な世界』を構築し、統合し、統括し、管理し、コントロールしている脳機能、私たちが「前頭葉の三本柱」の機能と総称する意欲注意の集中力及び注意の分配力の機能が「第二の人生」を送る「高齢者」の間で繰り返され、継続される、ナイナイ尽くしの単調な生活習慣』(「食生活」とは無関係のものであり、日々追及する特定の「テーマ」もなく、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、達成すべき目標もない単調な暮らし方であり、脳の使い方としての意味で言う生活習慣のことを言います。以下、同じ)の継続に起因して、廃用性の異常な機能低下が進行していくことが、直接及び唯一の原因で、発病及び症状の重症化が進行していくことに因り『前頭葉』を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした三段階に区分される症状が発現してくるのが特徴なのです。

世界中の専門家とされる機関や人達から、『発病及び症状の重症化が進行していく原因自体が不明とされ、発病を予防し、症状を治し、又は、症状の進行を抑制する方法が分からない』とされていて、現状、「アミロイドベータ仮説」を筆頭にした「4つの仮説」が提示されているだけなのです。その『アルツハイマー型認知症』は、廃用性症候群に属する老化・廃用型の『生活習慣病』に過ぎないものであり、『前頭葉』が活性化する「生活習慣」の構築と継続に因り、発病自体を予防できるし、早期の段階であれば治すことが出来るし、更に、症状の進行自体を抑制することが出来るタイプの認知症であると主張して、北海道から九州に跨る452の市町村での実践展開の指導により、主張内容が正しいことを疫学的な方法により実証してきたのが、私たち「二段階方式」なのです。

  私たち「二段階方式」には、前頭葉の機能レベルの精緻な判定データを含む、14689例にも上る発病者の『脳機能データ』が有るのです。『事象事実』としてのそれらの脳機能データが示すのは、【発病自体及び症状の重症化の進行、症状の回復、又は重症化の進行の抑制を左右するのは、当事者の『脳の使い方としての生活習慣という要因』が、唯一の『加重要因』なのであり、『加齢』に起因した「前頭葉機能の機能低下の進行」が基礎要因であることが客観的な脳機能データにより提示されているのです【次回のブログ[F-09]では、その証拠データを「3種類」取り上げて、『DSM -4』の第一要件の規定内容(様々な程度及び態様により発現する「アルツハイマー型認知症」の症状は、記憶障害に起因して発現するとする想定)自体が、重大な誤りであることについて、詳しく、説明する予定】。

 当該新型の薬の投与によるアミロイドベータの除去、又は、蓄積量の減少作用により、「アルツハイマー型認知症の発病を予防し、又は、症状の進行を抑制する効果を発揮する」と主張するのであれば、「第二の人生を送っている60歳を超える年齢の高齢者を対象」として、を投与すれば、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されていても発病してこないことを、一定の人数規模で証明する「社会的な責務」があると考えるのです。アデュカヌマブを開発した製薬会社は、脳の使い方としての単調な生活習慣の継続と言う要因が、発病自体を左右し、症状の進行を推進する唯一の要因であることについては、全くの無知(関連する脳機能データの蓄積も無い)と私たち「二段階方式」は予測するのです。

※2 この新型の薬が治療効果を有するか否かを正しく判定するには、この薬を投与した後のその人の「前頭葉」の機能レベルがどのような経時変化をするのかを精緻に判定すべきなのです(『前頭葉』を含む脳全体の機能レベルの悪化と症状の重症化の進行とは厳密にリンクしているのがアルツハイマー型認知症の特徴であり、症状の進行を抑制する効果を有するのであれば、発病者が服用した後に、前頭葉を含む脳全体の機能レベルの悪化が抑制されるはずだから)。製薬会社自身が、この薬の効果を判定する上で、MCIの基準物忘れの症状の程度と態様を外観的に評価するだけの、極めて曖昧でいい加減な評価基準であり、前頭葉の機能レベルの判定が含まれていないのです。左脳と右脳の機能レベルの判定の為の手技であるMMSE又は長谷川式しか使っていない)を持ち出しているのです。『MCI=軽度認知障害』なる基準の適用では、『アルツハイマー型認知症』の発病者であるか否か、更に言うと、症状の進行を抑制することが可能である早期の段階、二段階方式の区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階であるのか否かを客観的で精緻なレベルでは、判定出来ないのです。それらの判定には、前頭葉の機能レベル、『前頭葉』を含む脳全体の機能レベルの精緻な判定が不可欠となるのです。認知機能の障害の判定を要件とするとしながら、MMSEや長谷川式の活用による判定では、肝心の『前頭葉の機能レベルの判定が不可能』なのです。我が国で健康保険適用の対象にするに際しては、厚労省が、この点をキチンと評価し、決定すべきものなのです(対症療法薬でしかなかった「アリセプト」の二の舞にならない為にも)。

未だにアルツハイマー型認知症の発病及び症状の重症化が進行するメカニズム自体が不明であるとしながらも(この薬は、単なる仮説であり、未だに仮説でしかない=アミロイドベータの蓄積とアルツハイマー型認知症の発病との間の因果関係を立証できていないアミロイドベータ仮説を開発の根拠コンセプトにしている)、この薬に、発病自体の予防、或いは、症状の進行の抑制を含む治療効果が有ると主張する当該製薬会社に、その論理的で客観的な根拠(データ)の開示と説明を望みたいのです。この会社は、アルツハイマー型認知症の症状として発現してくる症状の一部に確認されるものである『記憶障害の症状』自体が、前頭葉の機能障害に起因して生じる症状の一つの態様に過ぎないことさえも、無知と言うしかないのです。アルツハイマー型認知症の症状として確認される症状の全てが、記憶障害に起因した症状【または、記憶障害の症状)であるとの想定(「DSM-4」の第一要件の規定内容でもある)自体が、重大な誤りであることは、私たち「二段階方式」が集積し提示している14689例の発病者に確認される三段階に区分される症状【小ボケ、中ボケ及び大ボケの症状)により明白なのです。

以下は、2014-04-15 (B-08)公開の私のブログ記事から引用したものです。

&1  脳全体の司令塔としての『前頭葉』の諸機能とその役割 

額のところにある『前頭葉』は、脳の最高次の機能です。運動の脳、左脳及び右脳を統括し、「脳全体の司令塔の役割」を担っています。私達人間だけに特有な機能である意識的な(自由で選択的な)意思や思考や行為や言動や行動の世界では、「左脳」が「デジタルな情報」の処理を専管的に行なうときも、「右脳」が「アナログな情報」の処理を専管的に行なうときも、「運動の脳」が「身体」を専管的に動かすときも、三頭立ての馬車(左脳、右脳及び運動の脳の「三頭の馬」が牽引する馬車)の御者の役割をしている『前頭葉』の「評価の物差し」の機能による状況判断とその指示なしには、勝手には動けない仕組みになっているのです。三頭の馬のどれかが働くときには、必ず事前に「前頭葉」(評価の物差し)によるチェックと指示とが為されるのです。「記憶の機能」が状況の判断を仕切っている訳ではないのです。このことを注意喚起的に指摘すると、『記憶の障害が起きてくることに因り、アルツハイマー型認知症の発病としての、さまざまな症状が発現してくる訳ではない』のです。専門家と言いながら、世界中の学者や研究者や医師達は、『前頭葉の機能障害』、就中、廃用性の機能低下の進行に起因した「前頭葉の機能障害」の進行がもたらす様々な症状について、目が行っていない結果として、誤った場所誤った方法で掘り続けていて、単なる「対症療法薬」でしかない薬を、治療の効能を有する治療薬だなどと騒いでいるのです。治療の効能(発病を予防し、症状を治し、又は、症状の進行を抑制する効能を有する薬のことを言います)は有して居なくて、対症療法薬でしかない薬(症状の発現の仕方や程度を抑制し、又は、昂進させる効能しか有していない薬の事)を、あたかも治療薬の開発に成功したかのような大騒ぎをしないでいただきたいのです。専門家とか言いながら、彼らは、最も核心的な要素、『日々の生活習慣、脳の使い方としての【生活習慣】の様々な要因が、前頭葉を含む脳全体の機能レベルの悪化、悪化の進行の抑制、或いは、改善に効果が有る唯一の要因である』ことを見落としているだけなのです。

「前頭葉」が自分の置かれている状況を判断し、その判断に従って、三頭の馬を主導しつつ、「前頭葉」の状況判断に沿う形で同時に協働しながら、三頭の馬が目的となる「テーマ」を実行していくというのが、「意識的な世界」で人間の脳が働くときのメカニズムなのです。

「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の顕在的な発揮度を意識的に次第に下げて行くとき、(「前頭葉」の機能の発揮度と意識との関わりを調べていけばいく程)意識的な世界でありながら専門家とされる人達から無意識の世界と混同されている世界があることに私たちは気付いているのです。思考、行為、言動、或いは行動のいずれであるかを問わず、それらを一定レベルで行うには、「意識」が一定レベル以上の度合いで覚醒されていることが不可欠であり、その意識の覚醒の度合いは「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の働き具合に左右されていると私たちは考えているのです。その肝心要の「前頭葉」の三本柱の機能には内在的な(生来的な)性質としての「正常老化の性質」が存在していることを私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積してきた極めて多数の「脳機能データ」が証明しており、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象が60歳を超える年齢の「高齢者」に限定されることともリンクしているのです。

(コーヒー・ブレイク) 私たちがこのブログの中で使用する『意識的』という意味は、「前頭葉」の三本柱の機能である、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能のいずれか及び/又はそのうちの二者/又は全てが一定の機能レベルで機能しているがために(顕在的な機能)、意識が一定レベルで覚醒されている脳の機能状態を言います。心理学の専門家達から「無意識」と呼ばれているものには、潜在的な機能である「前頭葉」の「評価の物差し」としての機能の潜在的な存在の状態(意識の覚醒が無い状態)と顕在的な機能であるが「意識の覚醒度」が極めて低い状態にあるために意識に覚醒されていない状態(意識の覚醒度が極めて低いが、顕在的な機能の状態)とがあるそのこと自体が理解されていないか、或いは両者が混同されていると私たちは考えているのです。

前頭葉の正常老化の曲線(加齢に起因した機能低下)

 廃用性の加速度的で異常な機能低下の曲線(小ボケ、中ボケ、大ボケ)

本題に返って)「脳の機能の顕在的な発揮度とその機能の潜在的な機能レベル」という視点から言えば、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、「左脳」も「右脳」も「運動の脳」も潜在的な機能レベル自体は未だ正常なレベルにあるのです。三頭の馬はどれも未だ正常なレベルにあって、脳全体の司令塔の役割を担っていて「三頭建ての馬車」の御者である「前頭葉」の顕在化した機能レベルとしての働き具合が、「異常なレベル」に衰えてきている状態なのです。そのため、『実行機能』と総称されている「前頭葉」の個別認知機能の中で最も基礎的で且つ重要な働きであり、分析、理解、判断、発想、企画、計画、創意、工夫、洞察、推理、シミュレーション、比較、選択、抑制、感動等、「前頭葉」の各個別認知機能によるその「認知度」及び「発揮度」を左右(下支え)している「前頭葉の三本柱」の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の顕在化した機能レベル自体が、第二の人生を送る上で繰り返されるナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に因り惹き起こされた廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行が唯一の直接的な原因異常なレベルに衰えてきている為に、様々な場面で、状況や目的に即しては(又は、状況や目的に十分には)、『実行機能=Executive Function』を含む「前頭葉」の各種個別の認知機能を、十分には発揮できなくなっているが故の「認知症の初期症状」が発現してくることになると考えているのです(私たち二段階方式が、三段階に区分するアルツハイマー型認知症の段階的症状の類型については、直近のブログ「F-04」を参照してください)。様々な程度及び態様により発現してくる「アルツハイマー型認知症」の症状は、『前頭葉』を含む脳全体の顕在化した機能レベルに厳密にリンクした「三段階に区分」される症状が発現してくるのが特徴なのです。

「第二の人生」を送る60歳を超えた年齢の「高齢者」(発病の「第一の要件」)が、何等かの出来事や状況の発生とその継続を「キッカケ」として、意欲を喪失し、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々継続させる中で(発病の「第二の要件」)、『前頭葉』の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の顕在化した機能のレベルが加速度的に衰えて行き、『異常な機能レベル』にまで衰えが進行して行った結果としての直接的な反映、「アルツハイマー型認知症」の発病となるのです。世界中の認知症研究の専門家や機関(製薬会社を含む)が、未だにこのことに気づいていないことが大問題なのです。前頭葉の機能障害、就中、廃用性の機能低下に起因した前頭葉の機能障害と言う核となる要因に目が向いていなくて、その一つの態様でしかない、記憶の障害と言う要因が、発病させる核心的な原因であると誤解して、発病の原因とは無関係である(発病し、症状が末期の段階にまで進行した結果としての老人斑の沈着ではあるかもしれないのですが)「アミロイドベータ仮説」を信じて居る有様なのです。

「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、意欲や集中力を継続発揮できないし、意識的で、目的的な世界の要の機能であり、実行機能が機能を発揮する上で不可欠の機能である前頭葉の三本柱の機能、就中、『注意の分配力』の機能が、必要なレベルでの機能発揮が出来ない状態に在る為に、自分が置かれている状況の判断も的確には(又は不十分にしか、或いは単に)出来なくなるし、発想が湧いてこないし、見通しも立たないし、何をどうするのかという「テーマの構想と計画や工夫」も出来なくなっているのです。テーマを実行する上で不可欠である実行の態様や程度、おかれている状況や相手との関係などのシミュレーションも、的確には(又は不十分にしか、或いは単に)出来なくなるのです。最終的な決断も足元が揺らいでくるのです。これが、発病の最初の段階であり、この段階では、記憶の障害が確認される症状は、殆ど発現して来てはいないのです。記憶の障害が目に付くようになるのは、次の段階である、中等度認知症(中ボケ)の段階(「前頭葉」の機能が、「小ボケ」の段階よりも更に異常なレベルに衰えてきていることに加えて、左脳、右脳及び運動の脳の機能の顕在化した発揮度も、異常なレベルに衰えてきている段階)以降になってからのことなのです。

意識的に何かの「テーマ」を発想し、計画し、決断する上で必要不可欠の働きをしている「意欲」が不十分或いは断続的にしか発揮できなくなってしまうので、毎日をボンヤリと過ごして、居眠りばかりするようにもなります。何かの「テーマ」に取り掛かってみても、「注意の集中力」が続かなくて、「あれも遣り掛け、これも遣り掛け」という風に、中途半端になってしまうのです。「注意の分配力」(「3つ以上」の異なる複数のテーマを同時に並行して処理する機能並びに、処理の回転の速さにも関わる脳機能)が十分には働かないので、頭の回転が鈍くなってしまい、かつてのようにテキパキと用事を処理することができないのです。

これまでの本人を特徴づけていたその人らしい物の見方、感じ方、考え方、捉え方、或いは、それらの表出の程度及び態様を決定する「前頭葉」の評価機能である行動指針の反映としての「生活態度」が大きく変化し、或いは失われていき、「こんな人ではなかったのに」と周りから言われるようにもなるのです。他人に対する応答や対応の仕方を含めて「人柄の本質」自体が変わっていくような特徴的な症状を示してくるのですが、それは、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の顕在化した機能の発揮度が異常なレベルに衰えていることが直接の原因で、「前頭葉」の評価の物差しとしての顕在化した機能レベルも、異常なレベルに低下していることを反映したアルツハイマー型認知症症状なのです。

「前頭葉」(三本柱、評価の物差し、記憶の倉庫及び実行機能を含む。以下、同じ)の顕在化した機能の発揮度が異常なレベルに衰えているので、日常の生活面でのそれら機能のアウト・プットそれ自体が認知症の初期症状として発現することになるのです。「軽度認知症」(小ボケ)のイメージは、何事も人を頼るようになり、一日や一週間の計画も立てられず、指示してもらわないと動けない『指示待ち人』が特徴なのです。その原因は、専門家とされる人達が憶測により想定している要因である「記憶の障害」に有るのではなくて、『前頭葉の機能障害=三本柱の機能の機能障害、実行機能の機能障害』に有るのです。このことに気づかない限り、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状が重症化するメカニズム(原因)を解明することが出来ないだけでなくて、未来永劫開発することは有り得ないテーマ、治療薬の開発と言う夢想を追い続けることにもなるのです。アルツハイマー型認知症は、廃用性症候群に属する老化・廃用型の単なる『生活習慣病』(食生活は無関係であり、第二の人生を送る上で繰り返され、継続される「脳の使い方」としての単調な生活習慣を言う)に過ぎないのです。世界中の専門家と言われる人達が、早くこのことに気づいて欲しいと願うのです。

発病自体を予防する為に不可欠となる脳の活性化とは、『前頭葉』の活性化を言うのであり、脳の機能構造面から指摘すると、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の出番が多くなる自分なりのテーマを日々実践することに因り、実行機能の出番が多くなることで、脳全体が活性化する、即ち、前頭葉が活性化することを言うのです。簡単な足し算や引き算をしたり、かなで書かれたおとぎ話を音読するだけでは、たとえ、物忘れの症状の或る程度の改善を確認出来ようとも、発病の予防に効果が有るというのは、言い過ぎであり、間違いなのです。

 &2 状況を判断し、実行すべき「テーマ」の内容と実行の仕方を規制しているのが「前頭葉」の「評価の物差し

「前頭葉」の評価の物差し自体は、あくまで後天的に形成されるものなのです。4歳になる以前での幼児期における体験、自分を取り巻く環境、特に「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした家族環境の中での実体験を基礎として「評価の物差し」の「原型」が形成され、4歳児から18歳ごろまでの体験(実体験及び伝聞体験)の積み重ねにより悩み、迷い、或いは拒絶し、挑戦し、好むと好まざるにかかわらずそうしたもろもろの体験の集積が幼児期に獲得したその原型の上に加味され、溶け込んでいく中で、最終的に自分としての独自のものを形成し、確立していくのです。

なお、ここで私たちが言う「評価の物差し」とは、自分独自の物の捉え方、見方、感じ方、考え方、或いは、それらの表出の程度及び態様を決定する行動指針のことを言います。言い換えると、意識的に何かの「テーマ」を実行していく上での、置かれている状況の分析と理解及び判断、状況の判断に沿ったテーマの発想、テーマの実行内容の企画と計画、計画内容の実行結果についてのシミュレーション、或いは、計画内容の実行の仕方及びその実行内容の表出である言動や態度を選択するに際しての自分独自のやり方の選択及び決定と決断に非選択的に関わってくることになる「評価の規範」のことなのです。なお、「非選択的に関わってくることになる」とは、程度のいかんに拘わらず意識が覚醒された瞬間に「評価の物差し」としての網が関門としての機能を担っていて、「前頭葉」の各種の個別構成機能全体を覆ってしまい、状況の判断も、テーマの発想も、テーマに沿った実行内容の企画や計画も、結果のシミュレーションンも、或いは、それらの表出程度や態度の選択も全て、その「評価の物差し」による非選択的な評価が下される制約の下で実行されることになるという機序の意味なのです。分かり易い別の表現を借りて説明すると、「評価の物差し」の潜在的な機能状態が「人格」、或いは、「人柄」であり、顕在的な機能状態が「心」、或いは「気持ち」であると考えてください。 

通常のケースとしては、幼児期に形成されたその「原型」を基盤の機能として、その色眼鏡をかけた状態で、その後の体験(実体験及び伝聞体験)により、加味或いは付加される価値観を自分なりに受け入れる中で、必要な修正や変更がなされていき、最終的には18才頃までに自分なりに確立された独自の「評価の物差し」(物の見方、感じ方、考え方、捉え方等の価値規範、評価規範、或いは行動指針)を形成していくことになるのです。そうした自分独自の「評価の物差し」が形成され確立されていく過程は、同時に、精神分析学や心理学の専門用語で言う「自我」の形成及び確立の過程でもあると言えるでしょう。

なお、「三つ子の魂百まで」、或いは「頭禿げても浮気はやまぬ/産屋の風邪は一生つく/産屋の癖は八十までなおらぬ/漆剥げても生地は剥げぬ/噛む馬はしまいまで噛む/子供は大人の父親/雀百まで踊り忘れず/痩せは治るが人癖は治らぬ/病は治るが癖は治らぬ」等の古くから言い慣わされてきた諺が示しているように、幼児期に形成された評価の物差しの「原型」は、その後の人生での様々な体験をもってしても容易には変更できないほど、最終的な自分なりの或いは自分独自の評価の物差しを確立していくことに対する影響が極めて大きいのです。

3つ子、4歳以前の幼児というのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした自分を取り巻く家族環境の中での体験に対して、それらを評価したり、批判したり、反発したりする能力を未だ持っていないので、それらの体験を何の疑いもなくそのまま「自分の価値観」として、ただひたすらに受け入れるだけだからなのです。恐ろしいのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」が暗に示す価値観が、そのままその子の「前頭葉」の「評価の物差し」となってしまう、そのまま入り込んで評価の物差しの「原型」を形成してしまうことなのです。幼児を育児中の親は、この点に対する強い認識と自覚を持つ必要があると思うのです。

但し、たとえ双子であっても、先天的に受け継いだ「DNA」と更には、その子が左脳優位に生れついたのか、或いは右脳優位に生れついたのかの差異があるので、その双子が同じ環境で育ち同じ体験をしたとしても、二人の受け止め方が違うことになるのです。その結果、たとえ双子であっても異なった「評価の物差し」を形成していくことになるということについての理解が重要です。

   

&3 「アルツハイマー型認知症」の『段階的症状』と「脳の機能レベル」との関係

様々な種類が数有る認知症の内の大多数、90%以上の割合を占めている「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、他の種類の認知症とは異なり、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが「認知症の症状」として直接発現してくること並びに回復させることが可能か否かという視点から見た時、回復させることが容易な「小ボケ」の段階があって、次いで回復させることが未だ可能な「中ボケ」の段階があって、最後に回復させることが最早困難な「大ボケ」の段階があるという風に、「段階的な症状」を示すのが特徴なのです。

従って、本当の意味での「初期の症状」、回復させることが可能な「小ボケ」及び「中ボケ」の段階での症状を的確に判定するには、この「前頭葉」の機能レベルの精緻な評価に基づく判定作業が不可欠のものとなるのです。その場合、極めて高額な費用が掛かるだけで、その割に「前頭葉」の機能レベルの精緻な計測及び判定には不向きなCTやらMRIやらSPECTやらPETやらを使うのではなくて、或いは回復させることが困難な「大ボケ」の段階で見つける(単に、発病のレッテル貼りをしているだけのもの)のではなくて、私たちが開発した「二段階方式」のように「前頭葉」の機能レベルを精緻に評価でき及び的確に判定できる上に費用が極めて安価な「神経心理機能テスト」を認知症診断を専門とする医師が使うようになって欲しいのです。

回復させることが可能な「本当の意味での早期の段階」を見つけるのが医師としての社会的な使命だと思うからです。医療現場の現状は、回復させることが困難な末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけているのです。見つける段階が遅ければ遅いほど、周りの家族の精神的及び経済的負担が増すだけでなくて、介護保険による費用の負担を含め、国が負担する医療費も莫大なコスト増加となるのです。

私たちの主張には未だ権威はありませんが、私たちが2年前のこのブログ A-35で(ここを「クリック」してください)予告した、「東日本大震災」の被災地の高齢者達の間に起きてきていると予告した問題(認知症の専門家と言われる人達の経験値をはるかに超える極めて高い割合による「アルツハイマー型認知症」発病の問題)が確認され、マスコミに取り上げられるようになれば、それなりの権威もついてくるとは思うのですが、私たちの主張にはこれまでの20年間にわたる市町村での「地域予防活動」の実践で示してきた成果による裏付けもあるのです。

「アルツハイマー型認知症」は、脳の使い方という視点で言うところの廃用性症候群に属する老化・廃用型の「生活習慣病」であり、「前頭葉」を含む脳全体の活性化を目的とした「生活習慣の構築と改善」により発病を予防することができるし、本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つけて脳のリハビリを実施すれば正常なレベルに脳の機能を回復させることもできる(認知症を治すことができる)のです。治すことが最早困難な「大ボケ」の段階で発病を見つけることに、何の意味があるのでしょうか。

   

&4  前頭葉の各種構成機能の発揮のレベルを決定する「三本柱の機能」の役割

意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、関心、感動、発想、企画、計画、創意、工夫、シミュレーション、予見、比較、修正、整理、機転、抑制、忍耐、決定及び決断等、「前頭葉」(個別の認知機能の総称としての実行機能を含む。以下、同じ)の機能を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。『意識的』に何かの「テーマ」をそれなりのレベルで実行するには、一定レベルでの「意識」の覚醒(覚醒度)が必要不可欠となるのです。無意識にスマホをそこに置き忘れたのではないのです。基本的には常に異なる多数の意識が同時に並行して併存していて、何かに「注意の分配力」が特別に多く配分されている状況下で、注意の分配機能の僅かな配分の下で、そこにスマホを(意識的に)置いたが為に記銘度が低くて、後で想起できないだけのことなのです。「意識」の覚醒の度合いの差異と言うテーマについて、脳の機能面からも、論理的な定義の面からも、粗雑な扱いが専門家の間でなされているが故の、誤った解釈に過ぎないのです。

前頭葉を含む脳全体が(意識が)未だ十分に覚醒していない状態、例えば「寝ぼけ眼」の状態を考えてみると分かり易いと思うのですが、前頭葉の三本柱の機能の発揮度が一定レベル以下だと、先に例示したような「前頭葉」の構成要素であるそれらの個別「認知機能」(実行機能と総称されている)自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした「認知度」及び「発揮度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉」の「三本柱」の機能(これは、私たちが独自の見解で命名したものなので、インターネットで検索しても出てきません)なのです。

先に例示したような「前頭葉」の構成要素である実行機能を中核の機能として、その連携機能である「左脳」や「右脳」や「運動の脳」も共同参加して、前頭葉を含む脳全体で何をどのようにするかを決めるには、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠になります。脳の機能面という視点から、通常の過程でこれを説明すると、(自分の置かれている「状況を判断」し、その状況判断に沿った「テーマ」を発想し且つ選択して、選択したテーマを実行するための計画を立て、実行方法についてのいくつかのシミュレーションを経て、最終的な実行方法を選択し決定して、脳の各部に指令を出して実行に移す)という過程を辿る際に、一定レベルでの「意欲」が継続的に発揮されていることが不可欠なのです。

更には、様々な状況を考慮し、いくつものケースシミュレーションを経て、最終的な実行内容とその実行の仕方(程度及び態様)を決定した上で、左脳や右脳や運動の脳に対し実行に移す指令を出すには、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の一定レベルでの継続的な発揮も必要になります。即ち、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」という「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度が、「意識度」並びに「前頭葉」の各種個別認知機能である実行機能の「認知度」及びその「発揮度」を左右しているという「二重構造」になっていると私たちは考えているのです(この見解も、極めて多数の脳機能データの解析に基づく、私たち独自の見解です)。

更に別の視点からの問題として、意識的に何かの「テーマ」を実行する過程における「前頭葉」の働き、各個別認知機能の関わり方を概説した上述の説明に付け加える必要があるのは、(自分の置かれている「状況を判断」し、その状況判断に沿った「テーマ」を発想し且つ選択して、選択したテーマを実行するための計画を立て、実行方法についてのいくつかのシミュレーションを経て、最終的な実行方法を選択し決定して、脳の各部に指令を出して実行に移す)という過程を辿る際に、その全過程で常に「記憶」の問題が絡んでくるということなのです。何かの「テーマ」を発想するといっても、無から有が生じるわけではないのです。更には、状況判断に沿ったテーマを発想するには、状況判断の結果を記憶しておいて、且つ注意の分配機能を使って様々なシミュレーションを行う必要があるのです。計画した実行内容の実行の結果がどうなるかについての様々なシミュレーションを行うには、計画した実行内容を記憶しておいて、且つ洞察や推理の機能を使って実行結果がどうなるかのシミュレーションを行う必要があるのです。状況判断に沿った「テーマ」の発想や様々なシミュレーションを行う際に必要不可欠となる、「左脳」がらみの言葉や論理や計算、「右脳」がらみの映像、或いは「運動の脳」がらみの身体を動かすイメージは全て、関連する過去の記憶が関わることになります。

そもそも記憶は、記銘、保持、そして想起という過程により構成されています。種々の段階における様々なシミュレーションを行う上で、関係する内容に関わる累積され蓄積された過去の記憶並びにシミュレーションの際に記銘した内容の保持と想起とがそもそも要求されることになるのです。その上に、次の項目で説明するように、60歳を超える年齢の「高齢者」の場合には、記銘、保持及び想起という脳の機能にも、その発揮度を左右する「前頭葉」の3本柱の機能(意欲、注意の集中力及び注意の分配力)のそれぞれの機能レベル並びにそれを反映した程度及び態様による関わり方の直接的で強い影響があるのです。

 認知症の専門家と言われる人たちでさえ未だ気づいていないことなのですが、「中ボケ」の段階から、様々な「記憶障害」の症状が発現してくる原因は実はここにあるのです。

&5『前頭葉』の三本柱の機能に内在する「正常老化の性質」

上述のようにその「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、意識的な世界における脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳の働きの「三本柱」の機能と言えるのです。ところが、私たちが意識的に何かのテーマを思いつき実行しようとするときに、必要とされる各種の個別認知機能(目的的な意思の発現である行為や行動や思索や思考に関わる実行機能のこと)を発揮する上で、必要不可欠の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び(就中)「注意の分配力」の機能には、それらの機能が使われる機会が多い生活習慣が継続されているにもかかわらず、『加齢』とともにその働きが衰えていくという性質、いわば「正常老化の性質」が内在されているのです(この性質は、私たち独自の命名です)。      

脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の三本柱の機能に「20歳代の半ばを過ぎると、年をとるにつれて100歳に向かって、緩やかではあるが徐々に働きが衰えていく」という特徴を有する「老化曲線」があること(「正常老化の性質」が内在していること)が、「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを解明する上で不可欠の重要な指標となるのです。私たちが開発した「二段階方式」を活用して集積した極めて多くの脳機能データの解析の結果、私たちが定義する「第一の要件」及び「第二の要件」と「アルツハイマー型認知症」の発病との間の因果関係が証明されたのです。 自分なりの生き甲斐があり、趣味や遊びや交友や運動や社会活動など自分なりの目標がある生活を継続していて、それなりに「実行機能」の出番がある「生活習慣」を維持していても、加齢とともに機能が緩やかではあるが直線的に衰えて行くという性質があるのです。

「第二の人生」の入口である65歳頃には、「前頭葉」の「三本柱」の機能レベルが最も高い20歳代の半ば頃にくらべると、そのほぼ半分くらいにまで衰えてきているのです。70歳代、80歳代、90歳代と加齢が進むにつれて更に低空飛行となっていくのです。すなわち、「前頭葉」の三本柱の機能には加齢とともに緩やかではあるが直線的に衰えていく内在的な性質があることに注目すべきなのです(この性質に注目して私たちは、60歳を超える年齢の高齢者」という要件を「アルツハイマー型認知症」発病の「第一の要件」としているのです)。

実態面からも明らかなように、「アルツハイマー型認知症」は、50歳代以下の年齢で発病する人は極めてまれなケースであり、60歳代以降の年齢の「高齢者」が発病の対象となり、70歳代、80歳代、90歳代、100歳代と高齢になればなるほど、発病する人の年齢別の割合が、どんどん増えて行くのです。その背景には、「前頭葉」の「老化曲線」のカーブの傾きの度合いが、60歳を過ぎた「高齢者」と呼ばれる年齢になると、日々の生活面での脳の使い方という視点からの「生活習慣」に大きく左右されるようになることがあるのです。

 このことが、「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを理解し解明する上で、極めて重要な要因となるのです。三頭立ての馬車の御者の役割を担っている「前頭葉(実行機能を含む)」の働きは、脳の後半領域の働きである左脳、右脳及び運動の脳から送られてくる情報の質と量次第で、老化の曲線の傾き具合が、緩やかに低下するカーブを描き(「正常な老化」)、或いは「加速度的に低下するカーブ」を描く(「異常な老化」)ことになるのです。

その一方で、たくさんの量と質のよい情報が送られてくるような「生活習慣」、「前頭葉が活性化する生活習慣」が継続されているお年寄りは、老化の曲線は緩やかなものとなり、身体が持つ限り脳も保てる、所謂「かくしゃく老人」への道が開けてくるのです。

生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されていて、量も少なく質も劣る情報しか送られてこない「生活習慣」が継続されているお年寄りは(これが私たちが定義する「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」なのです)、老化の曲線が加速度的な低下の曲線を描いて、『前頭葉』を含む脳全体の機能レベルが急速に低空飛行の状態に衰えて行くことになります(このことを言い換えると、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした「三段階に区分」される「アルツハイマー型認知症」の症状が発現し、進行していくことになるのです)。

第一の要件と第二の要件とが重なり合うことにより、言い換えると、異なるこの二つの要因が同時に存在し、充足されることに因る「相乗効果」により、脳全体の司令塔の役割を担っていて三頭立ての馬車の御者の役割をしている「前頭葉(個別実行機能を含む)」の機能が「加速度的で異常な」カーブを描いて「異常な機能の低下」が進行していくこととなり、その行き着く先には、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化の進行が待っているということになるのです        

「アルツハイマー型認知症」を発病した最初の段階が、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階であり、本人も周りも認知症を専門とする医師さえもがそのことに気付かないで、相変わらずナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が続いていると、次の段階である「中等度認知症」(中ボケ)の段階が始まり、それでも周りが気付かないで年のせいなどと悠長に構えていて、相も変わらずナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」が継続されたままでいると、末期の段階であり、日常の生活面での介護が不可欠のものとなる「重度認知症」(大ボケ)の段階に入っていくことになるのです。

繰り返しになりますが、「アルツハイマー型認知症」の本質は、脳の使い方という視点で言うところの廃用性症候群に属する老化・廃用型「生活習慣病」なのです。本来的な性質として内在している「前頭葉」の「正常老化の曲線」の問題(発病の「第一の要件」)と第二の人生に入って、何かを「キッカケ」にして、意欲を喪失する状況が生じてくることに因り、左脳も右脳も運動の脳も使う機会が極端に少なくなるような生活、「生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない」ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まり、そうした生活が日々継続していくと(発病の「第二の要件」)、出番が極端に少なくなった「前頭葉」が「第一の要件」と「第二の要件」との「相乗効果」により廃用性の加速度的で異常な機能低下を起こしてきて、異常なレベルに衰えてきたとき、「アルツハイマー型認知症」発病への道を歩みだすことになるのです。 

 )小ボケ、中ボケ及び大ボケの全てを含む予測数値(厚労省が提示している発病者の予測数値である700万人は、大ボケの数だけであることに注意してください。

&6小ボケ」の段階における「前頭葉の機能レベル」 

私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行しようとする際には、置かれている状況を判断するにも、状況判断に沿ったテーマを発想するにも、発想したテーマの内容を企画し計画するにも、或いはその内容を実行した場合の結果をシミュレーションするにも、自分独自のものとして確立されている自分独自の「前頭葉」の評価の物差しという「網」が必ず先ず全体に覆い被せられた上で、そうした個々の機能が発揮されていく、それが私たち人間だけが獲得した脳のメカニズムなのです。それ故、その人の人格は、その人独自の「評価の物差し」を反映したものとしての物の捉え方、見方、感じ方、考え方、行為や行動や言動、或いは表情や感情の表出の仕方などに具現化されることになるのです。

前頭葉」の機能の中核をなしていて、何かの「テーマ」を発想し或いは選択するために不可欠の「状況の判断」並びに選択した「テーマ」をどのような内容で実行するか及びその実行の態様や程度や仕方をどのようにするか等のシミュレーションを行う際に不可欠の機能である「評価の物差し」の機能不全を反映した症状を「小ボケ」の症状の類型の中から拾い上げてみましょう。「評価の物差し」と「実行機能」の機能不全(機能障害)は、実は、「前頭葉」の三本柱の機能と私たちが名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能が、廃用性の加速度的で、異常な機能低下の進行に因り、ちゃんとしたレベルでは働かなくなったことの直接の反映に過ぎないことを知るべきなのです。

何時まで、「DSM-4」の第一要件が規定する誤った内容、「アルツハイマー型認知症は、記憶の障害に起因して発病する」との重大な誤りの規定に、しがみ続けるのでしょうか。更にもう一つ、「DSMー4」の第二要件が規定する誤った内容、「失語、失認、又は、失行の症状が、アルツハイマー型認知症発病としての初期症状である」との重大な誤りの規定を基礎とした「MCI」(軽度認知障害)の基準を持ち出し続けるのでしょうか。その道の権威と言う基準は確かに大事なのですが、『権威とされる機関や人達が主張する内容が、常に正しい訳ではない』ことも、重要なことなのではないでしょうか。明確な言葉で指摘すると、『こと、アルツハイマー型認知症の発病の原因、メカニズムに関しては、彼らの主張内容は、大間違い』なのです。

)本著作物「Fー08」及び本Gooブログ上に公開され、掲載され、記載され、表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。このブログ中の内容の一部を引用するに際しては、『著作権法』の規定に則り、引用してくださるようお願いします(特に、医学会に身を置く人にお願いします)。 

アルツハイマー型認知症についての専門家達の主張の誤りを正すのがこのブログの目的です。

 

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