Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

夕凪の街 桜の国

2009年08月08日 | 映画・ドラマ

基本的に映画というと、エンターテイメントと思っているので、やっぱり楽しいのがいーなー・・というのが、個人的な意見である。

 

そう単純にハッピーエンドがいいとゆーワケではないが、戦争もの、特に原爆をテーマに扱っている作品となると、どうも重くて敬遠したくなる・・という人は多いのではないか?

 

しかし、見たコトがない人はぜひ、この「夕凪の街 桜の国」を見てほしい。

 

こうの史代原作の同名マンガの映画化作品であるが、残念ながら原作は読んでいない。

しかし、原作自体も平成16年度文化庁メディア芸術マンガ部門大賞第9回手塚治虫文化賞新生賞を受賞しており、評価が高い。

佐々部清という男の監督が撮った映画であるが、女性らしい感性があふれた作品に仕上がっているのは、女性の作者による原作の世界観が反映されているからであろう。

見終わった後に、やさしく、すがすがしい気持ちにさせられる。

 

原爆投下から13年後の広島を舞台にした「夕凪の街」と、現代(2007年)を舞台にした「桜の国」の2部構成で、「夕凪~」の主人公、平野皆実の弟、が「桜~」の主人公、七波の父・・というかたちでストーリーが重なっている。

 

原爆で自分が生き残ったコトに罪悪感を感じ、心の傷を負っている皆実は、自分だけがしあわせになる・・というコトを受け入れられない。

それは、原爆症が発症し、亡くなる時のセリフにあらわれている。

 

その言葉のもつ衝撃は、作品全体が平和な日常を淡々と描いているだけにインパクトがあり、原爆が人の命を奪うばかりか、生き残った者の心までも大きく傷つけ、暗い影を落としているものだ・・というコトをあらためて感じさせる。

 

実際、皆実のように、被爆者の中には、自分が存在するコトさえ許されないのではないか?・・という思いを抱いたまま生き続けてきた人や、結婚や就職など、あらぬ差別を受けてきた人も多いという。

 

皆実役の麻生久美子、七波役の田中麗奈の演技もよい。

 

ちなみに作品中の登場人物の名前の「平野」「皆実」「旭」「打越」・・など、実在する広島の町名で、広島に住む者にとってはニヤリとさせる。

ぜひ、ご覧あれ!


韓国人原爆犠牲者慰霊碑

2009年08月08日 | 広島のオススメ!

平和公園の片隅に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑がある。

第二次世界大戦の終り頃、広島には軍人、軍属、徴用工、動員学徒、一般市民として、約10万人の韓国人が在住していた。

 

1945年8月6日、原爆が炸裂した時に広島にいた人たちを直接被爆者というが、その数は35万人にものぼるといわれている。

そのうち、14万人がその年の終りまでに亡くなった。

その後、原爆症などで亡くなった原爆犠牲者の数は約20万人、そのうち1割の2万人あまりが徴用されてきた韓国人たちだったという。

他にも直接被爆者の中には、中国や東南アジアからの留学生や、アメリカ軍の捕虜も含まれていたという。

  

今も多くの花や千羽鶴が手向けられ、慰霊碑の台座の亀の像の姿が埋もれて見えないほどだ。

 

慰霊碑の由来にはこうある。

「爆死したこれら犠牲者は誰からも供養を受けることなく、その魂は永くさまよい続けていたが、1970年4月10日 在日本大韓民国居留民団広島県本部によって悲惨を強いられた同胞の霊を安らげ 原爆の惨事を二度とくり返さないことを希求しつつ平和の地、広島の一隅にこの碑が建立された。

望郷の念にかられつつ異国の地で爆死した霊を慰さめることはもとより 今もなお理解されていない韓国人被爆者の現状に対しての関心を喚起し 一日も早い良識ある支援が実現されることを念じる。

 

なお、韓国人犠牲者慰霊祭は毎年8月5日に、この場所で挙行されているという。

 

慰霊碑に供えられたものの中に、白地に水色一色の韓半島が折り鶴で作られていた額があった。

南北に分断された祖国統一への願いが込められたものであろう。

 

日本では朝鮮戦争として知られる1950年の6・25動乱韓国動乱は民主・共産両陣営が南北真っ二つに別れ、同じ民族同士が血で血を洗う戦いを繰りひろげた。

北朝鮮の死者は250万人、韓国は133万人、一説には全体で400万人以上の犠牲者が出たといわれ、そのほとんどが一般市民であったという。

 

しかし、日本はその朝鮮戦争の特需のおかげで、戦後の復興、そして高度経済成長を成し、現在に至る経済大国と呼ばれるまでの基盤を築いたのである。

それはある意味、お隣の国・韓国の犠牲の上に成り立っていったものとも言えるであろう。

 

東西冷戦時代の象徴であったベルリンの壁が崩壊したのは1989年11月9日である。

しかし、それから20年がたった現在も、同じ民族同士が38度線を隔てて、家族が会うコトも、自由に行き来するコトもできないという状態が続いているのだ。

 

ノー・ボーダーの時代が来なければ、この地上に真の平和は訪れないであろう。

 

さいわい、日本では、韓国北朝鮮が国境なく接している。(

 

皮肉な話であるが、それは、戦時中に日本に連れて来られた在日韓国人のコトである。

在日本大韓民国居留民団(民団)在日本朝鮮人総聯合会(朝総聯)という南と北が、この日本国内において同居しているのである。

 

これをひとつにするコトこそが、日本が大きく世界平和に貢献できる内容ではないだろうか?

民族紛争、宗教対立は世界中到るところにあるが、いまだに国境を隔てて、同じ民族同士が民主・共産両陣営に分かれ、緊張状態が続いている地域は、世界でも韓半島だけなのである。

 

慰霊碑のまわりには、ムクゲの花が咲いていた。

韓国では「無窮花」(ムグンファ)といい、国を象徴する花である。

 

 

ちなみに平和記念資料館1階には、韓国から友好のしるしとして贈られた大太鼓が飾られている。

 

丁度、慰霊碑の台座の亀がこんな感じである。