Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

盆踊り

2009年08月04日 | 歴史・民俗

今日はウチの前の白島中町公園盆踊りがあった。

昨晩から今朝にかけて、激しく雨が降っていたので、今日はもうないかなあ・・と思っていたが、午前中にはキレイに雨もあがり、ムチャクチャいい天気に。

 

盆踊りとは、元々は仏教行事で、平安時代、空也上人によって始められた念仏踊り蘭盆(うらぼん)、いわゆる「お盆」の行事と結びつき、精霊を迎え、死者を供養するための行事・・という意識になっていったそうだ。

 

孟蘭盆の由来であるが、それまで個々に活動していた僧侶たちが一定期間、一カ所に集まって集団で修行するコトを安居(あんご)というが、その最後の日である旧暦の7月15日を盂蘭盆といい、父母や祖霊を供養し、「倒懸(とうけん)の苦を救う」という行事で、『孟蘭盆経『報恩奉盆経』などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説によるという

その話とは・・

<安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉は渇き飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、口に入る直前にことごとく炎となって、母親の口には入らなかった。

憐れに思って、釈尊に話して方法を問うと、

「安居の最後の日に、すべての比丘(びく=僧)に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」

と答えた。

その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。>

・・というもの。

この盂蘭盆会(うらぼんえ)の拠り所としている『孟蘭盆経』は、中国で成立した偽経であると考えられており、本来は安居の終った日に、人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて祖先の霊を供養し、さらに餓鬼に施す行法、「施餓鬼」となっていき、それに儒教「孝」の倫理の影響を受けて成立した、目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付け加えられ、習合していったのでないか?・・という。

 

盂蘭盆は、サンスクリット語「ウランバナ」(ullambana)の音写語で、古くは「烏藍婆拏」「烏藍婆那」と音写されたそうだ。

この「ウランバナ」は「ウド、ランブ」(ud-lamb)の意味があると言われ、倒懸(さかさにかかる)という意味だそうだ。

 

近年、古代イランの言葉で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」(urvan)が語源だとする説があるそうで、サンスクリット語の起源から考えるとその可能性は高く、これがインドに伝えられて盂蘭盆の起源になったのだとか。

 

古代イランのゾロアスター教では、この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在のコトを「フラワシ」(Fravaši)というそうだが、この「フラワシ」は人間にも宿っており、人間に宿る魂のうち、最も神聖な部分が「フラワシ」なのだそう。

このフラワシ信仰が祖霊信仰と結びつき、「祖霊」を迎え入れて祀る宗教行事が行われていたというから、古代のイラン→インド→中国→日本・・と、はるかユーラシア大陸を旅してきた行事がお盆・・というコトになろうか・・?

 

さまざまな検証も必要だろうが、似たような風俗は世界各地に見られるようだ。

 

室町時代の初めには太鼓などをたたいて踊るようになったといわれ、 現在も初盆の供養を目的とした盆踊りも、地域によっては催されているようだ。

 

広島では原爆死没者の慰霊という意味合いが大きいようで、盆踊りの前には黙祷を捧げていた。

 

それにしてもこのポスターのデザイン、もうちょっと、なんとかならんかったのだろーか・・?

 

おどろおどろしすぎて、かなりコワイ・・。