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浦島太郎と塩土老翁

2009年08月19日 | 歴史・民俗

「浦島太郎」といえば、日本人なら知らぬ者はない有名な昔話。

今さらそのストーリーを紹介するまでもないだろう。

丹後半島に伝わる伝説がベースとなっているようだが、神奈川や長野、鹿児島、沖縄などの日本各地に話が伝わっており、全国40カ所ぐらいに伝説が残っているという。

 

現在伝わる話の型が定まったのは、室町時代に成立した『御伽草子』によるものだそうだ。

”亀の恩返し”というモチーフを取るようになったのも『御伽草子』以降のことで、「乙姫」、「竜宮城」、「玉手箱」が登場するのもこの頃であったという。

そもそも「浦島太郎」という名前自体、中世から登場し、それ以前は「水江浦嶼(嶋)子」(みずのえのうらしまこ)を略して「浦島子」と呼ばれている。

 

その浦島子の物語は、現存する文献上最古のもので、『日本書紀』「雄略廿二二十二)年条」に存在し、船で釣りあげた亀が乙女となり、ともに蓬莱山へ行った・・という発端部分のみが記され、最後は「語在別卷」と締め括られている。

「この後の話は別巻で・・」というコトだが、「別巻」とは『風土記』を指すともいわれている。

その『丹後国風土記』逸文に、「筒川嶼子 水江浦嶼子」という項目の浦島子の記述があり、『万葉集』巻九にも高橋虫麻呂作の長歌(歌番号1740)に「詠水江浦嶋子一首」として、浦島太郎の原型というべき内容が詠われている。

 

ちなみに、「記紀」には浦島太郎と似た話で、海幸・山幸神話がある。

天皇の祖神、彦火火出見尊(山幸彦=猟師)が、兄の火照彦(海幸彦=漁師)の釣り竿と弓矢をとりかえて、魚を釣りに出たが、釣針を失い、探し求めるために塩椎神(しおつちのかみ)=塩土老翁(しおつつのおじ)という神に、無目籠(まなしかたま)というカゴに乗せられ、海神の宮(わだつみのみや)に導かれ、海神の娘、豊玉姫と結婚して3年間暮らし、釣針と潮盈珠(しおみちのたま)・潮乾珠(しおひのたま)を得て生まれ故郷に戻り、兄を屈服させる・・というのが、その大筋の話である。

 

この話、ちょっと聖書のエサウヤコブの兄弟の話にも似ている・・。

父・イサクの祝福を騙して奪ったヤコブは、ハランの地で妻子と財物を得て生まれ故郷に戻り、兄・エサウを屈服、「イスラエル」の名を賜り、イスラエル選民の祖となる。

なぜ、祝福を騙して奪うような人物が選民の祖となりえたのか?・・というのもナゾだが、閑話休題・・。

 

また、山幸彦の孫の初代・神武天皇がヤマトに向かう、いわゆる「神武東征」の際、に乗り、釣竿を持った男が水先案内人になる・・という話もある。

この男がヤマト建国の第一の功労者として、倭宿禰(やまとのすくね)の称号を賜ったという。

倭宿禰は尾張の国とつながりの深い海部氏の祖だという。 

しかし、この亀に乗った男、どっからどー見ても浦島太郎である・・。 

 

要するに、この浦島太郎のモデルとなったとされる人物こそ、塩土老翁なのである。

 

先に出た『万葉集』に「墨吉」(すみのえ)との記述があり、これは現在の大阪住吉のコト。

ここに住吉大社が祀られており、住吉神の三柱の祭神、表筒男命(うわつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)は、一柱では「塩土老翁」の別名で呼ばれる・・というコトは以前にもふれた。(カテゴリー/広島のオススメ!:「住吉祭」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/74e8f95f18d8acc73093152d2decec40 

住吉神も塩土老翁も航海・先導の神であり、塩土老翁の「つつ」は住吉神の「筒男」(つつのお)の「つつ」に通じ、さらに浦島太郎も『風土記』に「筒川」の出身とあり、筒川の男=「筒男」となる。

言うまでもなく、三者とも海と深い関わりがある。 

 

塩土老翁は大変長命であったとされ、そのモデルとされる武内宿禰(たけのうちのすくね)も大変に長生きで、老人になった浦島太郎のイメージとも重なる。

武内宿禰は古代豪族、蘇我氏の祖とされ、15代・応神天皇の母、神功皇后の忠臣で、応神天皇の東征を導いたともされる。

 

よって、浦島太郎=塩土老翁=住吉神=武内宿禰・・? 

 

・・というのが、このブログでもちょいちょい紹介している歴史作家、関裕二の説である。

ややこしいコトこの上ない・・。

 

しかし、このややこしさにはワケがある。

神武東征にも関わったと思しき記述が「記紀」にある塩土老翁は、ヤマト建国に大きな功績を残しているはずであるが、出自不明のナゾの人物で、巧みにその正体が隠されている。

それでいて、『風土記』や『万葉集』など、古文書のことごとくが浦島に饒舌なトコロを見れば、たとえその話が物語的でも、単なる架空の人物ではなく、確実に何らかの実在性を示唆している。

 

もともと「記紀」は、藤原不比等が天皇を利用し、藤原一族がその権力の正当性の拠り所とするために編纂したもので、敵対する勢力の功績は極力排除したい・・という思惑がある。

しかし、無視できないほどの影響力があり、記述せざるえない場合、さまざまな別名で記すコトで、その功績を無きものにしようとするのは、記紀神話の隠蔽工作における常套手段であるという。

 

そして、この浦島太郎は塩土老翁であり、蘇我氏の祖である武内宿禰でもあるというが、蘇我氏といえば、「大化の改新」中大兄皇子中臣鎌足に滅ぼされた極悪人・・というイメージなのだが、事実はそうではないらしい。

ちなみにこの中臣鎌足の息子こそが、藤原不比等なのである・・。

 

古代史、特に邪馬台国からヤマト建国に至る経緯と天皇制成立の過程は陰謀とナゾだらけで、「記紀」編纂によって神話の中に封じ込めようとされた蘇我氏のような勢力や人物が確実に存在した。

その辺りのナゾを、非常に興味深い説で解き明かした著書を多く出しているのが関裕二なのである。

 

また機会があれば、その辺の話も紹介したい・・。