憂き事の なおこの上に 積もれかし
限りある身の 力ためさん
山中鹿之介幸盛
出雲の戦国武将、尼子氏の家臣、山中幸盛は戦に敗れ、山野を彷徨し、たった1人追い詰められた。
普通なら、もはや、これまで・・と自刃して果てるトコロ、死ぬコトは卑怯と考え、死への誘惑を断ち切って詠じた一首といわれている。
毛利元就の度重なる猛攻に主君、尼子義久は敗れ、一時的に戦国大名、尼子氏は滅びたが、その後も幸盛は京都で僧籍にあった尼子国久の孫、勝久を還俗させ、擁立、尼子氏再興のため、尽力するコトになる。
尼子氏が衰亡していく中、御家再興のため、
「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」
・・と、三日月に祈った逸話は、講談などにより、よく知られている。
元就の次男・吉川元春に捕らえられた時も、腹痛を装って何度も厠に入り、油断した監視の目を盗み、糞尿にまみれながらも脱走した・・という、執念のエピソードも残っている。
どんなに絶体絶命の状況であっても、絶対にあきらめない、”折れない”心をもった戦国武将、山中幸盛の”土壇場の気概”には、学ぶべきものがある。
絶望的な状況にあっても、決して自らの体面にこだわり、安易に死を選ぶコトなく、どんなに見苦しくても、死にもの狂いで生き抜いた”臥薪嘗胆”を地でいく幸盛の生き様こそ、真のサムライの生き方ではなかろうか?・・と思うのである。
絶対にあきらめちゃダメだ!
希望をもって頑張ろーっ!!
NEVER GIVE UP!