今年もえびす講、「えべっさん」の季節がやってきた。(カテゴリー/広島のオススメ!:「えびす講」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/15150f1c292dbd5543dd43beb5c23ede)
毎年11月20日まで行われるが、よく言われるように、今年もこのえびす講にあわせるように急に冷え込んで、冬の訪れを感じさせる寒さとなった。
えびす講の時には胡子神社の前に大きな賽銭樽がおかれる。
ところで、えびす講の「えびす」は胡子神社なので「胡子」と表記されるが、実際には「胡」1文字でも「えびす」と読む。
他にも「恵比寿」、「恵比須」、「衣毘須」、「夷」、「戎」、「蛭子」・・などの字も当てられる。
「夷」や「戎」などの漢字が当てられるのは、地方のまつろわぬ者や東国の民を「えみし」や「えびす」と呼んで「夷」や「戎」の字を当てたのと同じで、異邦の外来神、蕃神を意味するそうだ。
「えびす」という名の神様の文献上の初出は、平安時代後期の『伊呂波字類抄』に「夷毘沙門」とあり、少し時代が下った『諸社禁忌』には「衣毘須不動」と記されているように、古い時代、えびすは毘沙門天や不動明王を本地仏とする神格として信仰されていたのだとか。
えびすの神像も、古い時代のものほど威厳に満ちたものとなっており、もともとは荒々しい神、荒ぶる神として信仰されていたものと見られる。
えびす様といえば、エビスビールのマークでもおなじみ、福耳の神様で、「えびす顔」という言葉もあるように、ふくよかで福々しい笑顔をたたえた姿を思い浮かべるので、実に意外だ。
また「蛭子」の字が当てられているように、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)に比定されるコトもある。
もしくは「大黒さま」でおなじみ、大国主命の子である事代主命とされるコトも多く、少彦名命や彦火火出見尊とするコトもあるようだ。
えびすが蛭子命や事代主命に結び付けられたのは、どちらも水に関連した神様だからで、記紀神話において、蛭子命は3歳になっても足が立たなかったため、流し捨てられたとされる。
その神話を受けて、流された蛭子命はどこかの地に漂着したという信仰が生まれ、海からやってくる姿が海の神であるえびすと重なり、同じ神だとされるようになったという。
えびすのコトを夷三郎と呼ぶのは、『日本書紀』において、3番目に生まれたコトに由来するのだとか。
また、事代主命とされるのは、記紀の国譲りの項で、天津神からの国譲りの要請を受諾するかどうかを大国主の使者が事代主に聞きに訪ねたとき、事代主は海で釣りをしていたとされ、その姿と海の神のえびすとが結びついたため。
七福神の絵で、えびすが釣竿をもち、鯛を抱えた姿で描かれるのは、この事代主神の話に基づくものだそうだ。
えびすと大黒は親子とも言われるのも、事代主命の父親である大国主命が大黒天と習合したコトによるのだとか。
釣竿をもち、大きな鯛を抱える姿から、海と漁業の神とわかるが、
大漁を祈願する信仰が転じて商売繁盛の神様となり、平安時代後期には、えびすを市場の神、市神として祀ったという記録があるそうだ。同時に福の神としても信仰されるようになり、やがて七福神の1柱として数えられるようになっていく。
ちなみに、えびす神は一般的に耳が遠いとされており、そのため神社正面だけで参拝するのではなく、本殿の裏側にまわり、そこにあるドラを叩いて願い事をしなくてはならないのだとか・・。
今宮戎神社など、えびす様を祀る本殿の裏にはドラが用意されているのだそうだ。
広島の胡子神社はデパートの間に埋まっており、裏に回りようがなく、ドラもおそらくないのではないかと思われる。
耳が遠いのに、広島のえびす様はドラもなく、聞く耳ももってない・・。
こりゃあ、まだまだ、不景気は続くかな・・。