goo blog サービス終了のお知らせ 

Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

ヤマザキ ランチパック(森本ケンタ)

2011年03月29日 | 広島のオススメ!

これでもか!・・と、新商品を出し続けているヤマザキランチパック

これまでも、広島の地域限定バージョンとして、広島カープサンフレッチェのバージョンを紹介してきた。

(カテゴリー/広島のオススメ!:「ヤマザキ ランチパック」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/7a57cf4b8122840b7a682eb5573873a8

(カテゴリー/広島のオススメ!:「ヤマザキ ランチパック(サンフレッチェ広島)」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/09e2e8f6b048281513cf4e4349d67ab2

 

今回はエッグ&ミートスパゲティ 

これ、今までもフツーにあったラインナップかと思ってたけど・・ 

 

「本製品は森本ケンタとの共同企画です。」との文字が・・。

にもこの森本ケンタとの共同企画には、プリン風味や、ザクザクチョコクリーム&チョコクリームなどのスイーツもある。

 

ところで、「森本ケンタ・・て、誰・・?―とゆーのが大方の反応だろうが、広島ローカルでは結構、有名なミュージシャン。

TSS(テレビ新広島)の朝の情報バラエティ、「ひろしま満点ママ!!」では、レポーターや、料理コーナーのアシスタントもつとめる、さわやかな、なかなかのイケメン兄ちゃんだ。

番組のエンディング曲、「パズル」も彼によるもの。

 

 他にもFF(フラワーフェスティバル)のテーマソングを作ったり、スカンジナビアハウスという鈴木工務店のCMにも出演しているので、広島に住んでいる人なら、その名前は知らなくても、1度はその歌声を聴いたコトがあるはず。

(カテゴリー/広島のオススメ!:「ひろしまフラワーフェスティバル」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/52d278de621153db616fc2fe63d7af4c

 

しかし、実は広島出身ではなく、神戸出身で、あの阪神大震災も経験しており、その時の経験を歌った「震えた朝に」という曲もある。

 

来月末には、初のアルバム「ONE」も発売されるそうだが、これで、全国区進出なるか?

今後の活躍に期待したい。

 

 

 


たくろう火 ~広島の妖怪④~

2011年03月21日 | 広島のオススメ!

「広島県東部の海で、ずっと昔に見られた火の妖怪である。

二つの火が並んで海上に浮かぶというもので、名前は比べるという意味の古語「た比ぶ」に由来するようだ。

瀬戸内海は重要な交通路であり、島づたいになら小舟でも十分に航海ができた。

そういう小舟の船乗りたちに、たくろう火は語られていたのだろう。

 

大百怪のカードの村上健司による解説である。

(カテゴリー/食玩など:「大百怪」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/a30253944d2884ea692c147bb4445e6e

 

「比べ火」と呼ぶ地方もあるそうだ。 

水木しげる「日本妖怪大全」では、こんなエピソードが紹介されている。

「同じ広島県でも中部の海岸には、二人の女の怨霊にまつわる話がある。

悲惨な死をとげた二人の女が、いつしか京女郎・筑紫女郎と呼ばれる二つ並んだ石と化し、その霊が「たくろう火」になって、夜ごと、海上に浮かんだのだという。」

 

西洋でも「セント・エルモの火」という、嵐の時に、マストの先に火が灯るような怪現象が、船乗りたちによって伝えられている。

船乗りの守護聖人、聖エルモに由来した名をもつこの火も、2つ現れる時があるそうで、1つの時は「ヘレナ」、2つの時は「カストルとポルックス」と呼ばれ、2つの火が灯った時は、嵐がおさまる・・と信じられたそうだ。

 

セント・エルモの火は、大気電磁現象の一種で、学問的には「檣頭電光」(しょうとうでんこう)と呼ばれる現象だとか。

 

 

自然の前には、人間の力は、あまりにもちっぽけで無力だ。

太古の昔から、多くの命を呑み込んできた海を前にすると、粛々とした思いになる。

 

呼び方はいろいろであるが、こうした怪現象を、洋の東西を問わず、人々は畏怖をもって見つめてきた。

 

それは、波間に揺らめく炎を見た時、海に消えた人々の霊を悼む気持ちが去来したからなのかもしれない・・。

 


嵐の中の母子像

2011年03月18日 | 広島のオススメ!

平和記念公園の正面・・といえば、原爆資料館のある、通称”100m道路”こと、平和大道りに面した南側。

その公園入り口のど真ん中、1番手前に、一際目立つ像がある。

それが「嵐の中の母子像」である。

 

「右手で乳飲み子を抱え、左手で幼児を背負おうとしながら、前かがみ姿勢で生き抜こうとする母の姿を表す」この像は、「わだつみの像」をはじめ、人間愛に満ちた多くのモニュメントを残している札幌出身の彫刻家、本郷新によるもの。
 

1959(昭和34)年第5回原水爆禁止世界大会が開かれた際、原水爆禁止日本協議会から、当時の浜井広島市長に、原水爆禁止運動推進への感謝のしるしとして、この像の原型となった石こう像が贈られ、その後、この大会の成功のために尽力した広島市婦人会連合会が、平和記念公園への設置を呼びかけ、ブロンズ像にするための募金活動を行って1960年8月5日に建立され、広島市に寄贈されたものだという。

原型となった石こう像は、現在、札幌市にある本郷新記念館(札幌彫刻美術館)に展示されている。



「核兵器廃絶への限りない努力を呼びかける」のが建立の目的とある。
 
 
 
身を挺して我が子を守るように、覆いかぶさるように子を抱く姿、さらに後ろにもう1人の子をかばいつつも、前へ進もうとする姿は、母親の力強い愛情を感じさせる。
 
 
 
自らを犠牲にしながら、か弱き者を守りつつ、困難の中、前進する・・。
 
 
 

平和への歩み、復興への歩みは、この「嵐の中の母子像」の母親の姿のように成されるものなのだろう。

 

 

 

 
 



おさんぎつね ~広島の妖怪③~

2011年03月11日 | 広島のオススメ!

広島の路面電車、広電江波線の終点、「江波」から歩いてすぐのトコロに江波皿山公園ある。

この公園がある皿山は、昔、江波山とつながった江波島と呼ばれる島だったそうだ。

  

この江波の皿山に、年老いた孤がいて、夜ごと一軒茶屋あたりに現れては、美人や若衆、役者や馬方に化けて、道行く人を、たぶらかして遊んだという。

人をからかっても、決して苦しめたり、傷つけるようなコトはなかったため、人々は、その”おふざけ”を面白がり、老孤に「おさん」という、おどけた愛称をつけた。

それがおさんぎつねである。

 

人に化けてイタズラしようとするトコロなのか、口に葉っぱをくわえ、二本足で立っているおさんぎつねの像が、電停前の交差点のトコロに立っている。

 

昔、能役者がこのあたりを夜、1人で歩いていると、おさんが現れ、いろいろな人に化けて驚かしてきた。

そこで、能役者は持っていた衣装道具を詰めた袋から、能面を出し、それをかぶって応戦。

おさんは驚き、「その袋の中を見せてくれ」とせがんだ。

「仕方がない。じゃあ、中に入ってよう見い」と、能役者は、袋の口を開いた。

おさんが喜んで袋の中に飛び込むと、途端に口を締められ、振り回されて、痛い目にあった・・という話が伝わっている。

 

これは、「おさんぎつねと能役者」という話だそうだが、他にも、いろいろな化かし合いの話が伝わっているとか。

 

 

地元から愛されるキャラクターらしく、おさんの像がある通りにも「おさん通り」という名がつけられている。

  

目の前には「おさんいなりずし」が売られているお弁当屋さんも・・。

 

 

今日も江波に出入りする路面電車を見送っているおさんぎつね。

 

像の近くにある碑文は、こんな文章で締めくくられている。

 

「オサンは今どこにいるのか。―オサンはもういたずらは忘れ、かつての活躍の舞台だったこの、ここの路上に立って、なつかしげに皆にあいさつを送っている」


バタバタ ~広島の妖怪②~

2011年03月08日 | 広島のオススメ!

 

広島市中区にあるたかのばし商店街

漢字では「鷹野橋」と書く。

 

国道2号線の通り2本南側を平行に走る商店街で、市役所も近く、市電も目の前を走っている、なかなかの好立地。

 

ご覧のようにアーケードも完備され、いろんな店が軒を連ねている。

一見、妖怪など出てきそうな気配のない、近代的な、明るい雰囲気の商店街である。

  

ちなみに、この商店街にある「ぶらじる」という喫茶店は、開業が1946(昭和21)年という老舗で、1955(昭和30)年に、日本ではじめてモーニングを出した喫茶店として知られており、その後、全国の喫茶店に広まったそうだが、新し物好きの広島県民の面目躍如たるトコロだ。

(対立候補がどっかにありそうだけどね・・

 

 残念ながら、現在はモーニングはやっていないようだが、1階はパン屋さんになっており、おいしそうなパンが並んでいる。

  

さて、この商店街の入り口に小さな植え込みがあり、そこに目立たない、小さな石の像がある。

これを「バタバタ石」というそうだが、その横にはこう書かれている。

 

「 バタバタ石の由来

江戸時代宝暦八年(一七五八年)、広島城下最大の大火後、鷹野橋界隈(かいわい)に出現すると伝えられ、バタバタとムシロをたたくような音を立てる正体不明の妖怪が、婆多婆多(バタバタ)です。

誰もその姿を見たものはないが、一説ではバタバタとは、小さな石に宿る妖精(ようせい)ともいわれる。

平成七年 十一月十一日」

 

―すなわち、この「バタバタ石」は、誰もその姿を見たコトがない、正体不明の”バタバタ”と音を立てる妖怪を、小さな石に宿る妖精に見立てて彫られたもののようだ。

小さな妖精というコトで、妖怪と呼ぶには、あまりにもかわいらしい子どもの姿である。

 

ちなみに商店街の入り口には交番があり、その向かいにある立て看板には、「鷹野橋」という地名の由来について説明が書かれている。

 

それによると、

「 広島藩「鶴の御成」行事場 鷹野橋

その昔、歴代の広島藩主はこの地を御鷹野として鶴・鴨等の鷹狩(鶴の御成という)を盛んに行っていた。この御鷹野には土橋がかかっており、その名は「鷹の橋」と呼ばれていた。

明治44年、西堂川の埋立てにより、この橋はなくなったが、現在でも「鷹野橋」はこの地の呼び名として残り、市民に親しまれる街として栄えている。 (参照 広島市史・1600年代 広島絵地図 )」

・・とある。

 

妖怪研究家・オカルト研究家の作家、山口敏太郎は、昔、殿様が鷹狩りでこの鷹野橋を訪れた際、不敬があってはいけないと、村人たちが子どもを外に出さないようにするために「バタバタが来るよ」・・と脅していたのが、伝承として伝わったのではないか?・・と推理していた。

ムシロをたたくような「バタバタ」という音は、鷹の羽ばたく羽音・・とゆーワケである。

 

誰もこの妖怪の姿を見た者はなく、正体不明・・とゆーのも、これで説明がつく。 

 

いや、実は夜になると、姿は見えないけど、バタバタ・・って、何かが通る音がするんだよね・・。

 

―なんて都市伝説が、現在も鷹野橋に伝えられているかどうかは、定かではない・・。


猿猴 ~広島の妖怪①~

2011年03月04日 | 広島のオススメ!

広島には河川が多く、カッパ伝説が伝わっている。

  

広島駅前を流れる川の名を猿猴川(えんこうがわ)といい、そこに猿猴橋という橋がかかっているのだが、何を隠そう、この「猿猴」とは、河童(カッパ)のコトなのである。

カテゴリー/食玩など:「大百怪」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/a30253944d2884ea692c147bb4445e6e

 

 この猿猴伝説は、中国四国北九州地方と、西日本に幅広く伝わっているそうだ。

全国には500年以上、水神猿猴祭りが続いてるトコロもあるそうで、この猿猴川の河童「猿猴」は、縄文時代(!)から伝わるこの地の水神と考えられているとか・・。

 

縄文時代から・・とは驚きだが、これは、猿猴川沿いの猿猴像が設置してあるトコロにある、「河童猿猴伝説の地」という立て看板に書かれていた情報。

以前、このブログで紹介した時にはなかったものだ。

カテゴリー/広島のオススメ!:「猿猴橋」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/0e54016f7efcf00850e32d463d8d6d23

 

ちなみに文化人類学者・民俗学者の小松和彦によると、この河童の起源とされるものは、大きく3つあるという。

カテゴリー/歴史・民俗:「河童起源譚」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/5ab3b821a83e719c6d64fc9e9fabbfeb

要約すると、

河童=人形説(人形起源譚)

祇園の御子説

渡来妖怪説

・・の3つで、は特に九州を中心に伝えられているそうだ。

 

この立て看板によると、この猿猴は「インド発の猿神がルーツ」とする研究者もいるとのコトで、先の分類でいけば、にあたるだろう。

インド発祥の猿神といえば、おそらく、インド神話に出てくるハヌマーンのコト。

「猿猴」という名からストレートに連想すれば、まあ、納得・・。 

 

 

実際、「体形は1メートル位で、猿に近い姿」をしており、「髪の毛や体毛は、茶色でもじゃもじゃしている」とあり、その特徴は、まさしく”猿”そのもので、河童のそれとは思えない。

 

一方で、河童は猿を苦手とする・・という伝承もある。

水木しげる「日本妖怪大全」「川猿」という妖怪の項には、こうある。

「~猿と河童は昔から仲が悪い。

九州のほうでは、よく猿まわしが川を渡るとき、猿と河童がけんかになることがあり、まぬけな猿は、尻子玉を河童に取られたりするらしいが、ふつうの猿はたいてい河童を捕まえてくるといわれる。

また一説には、河童は十二刻しか水にもぐっておれないが、猿は二十四刻もぐることができるといわれ、河童より猿が強いとされる。 

 

・・猿って、水に潜れるんだ・・?

秋田県など、地方によっては猿を河童の守り神とするトコロもあるそう。

 

そんな”犬猿の仲”の河童と猿だが、猿猴伝説においては、その名前や外見の特徴からも、両者が合体したようなイメージである。

先述の「川猿」の項に、「河童は猿から空想したのだろうといわれている。」・・とあり、この河童=猿(orその他の動物)説もいれれば、河童の起源は4つの説になるだろうか・・?

 

昔の人が、鬱蒼とした暗闇の中、水から出てきたカワウソや猿を見たら、確かに何やら水に棲む怪しげな妖怪・・と思うかもしれない・・。

  

まあ、夜でも街灯で明るい現代の市街地の川沿いでは、そうした伝承もなかなか生まれないよなぁ・・。 

そもそも今、カワウソや猿を市内で見かけるコトが、まずない・・。

 

そう考えると、妖怪にもメルヘンというか、ファンタジーというか、ほのぼのとした牧歌的な詩情を感じるのである。

 

まあ、また広島に伝わる妖怪たちも、おいおい紹介していきたい。

 

 


意外な広島県の日本一

2011年01月26日 | 広島のオススメ!

「陰極まれば陽に転ず」・・という言葉もあるが、大寒を過ぎ、少しずつ、暖かくなるのかなー・・と、思いきや、今日も雪がちらちらと舞い散る寒い日だった。

 

ちなみに、広島県の意外な日本一があるそうだ。

 

―それは、使い捨てカイロの年間使用量だそうである。

 

年間を通じて、それほど温度差のない温暖な気候の広島に住む広島県民にとって、”寒さ”は何よりの大敵なのかもしれない・・。

 

春は、まだまだ先のようだねぇ・・。


広島県運転免許センター

2011年01月14日 | 広島のオススメ!

先日、免許の更新で行ってきた広島県運転免許センター

佐伯区石内といって、本当に山の上にあるので、そうそう行くコトはない。

自分も前回の更新以来、5年ぶりに来た。

 

免許センター前のロータリーには、結構でかい車?のオブジェがある。

前回あったかどうかは覚えてないが、まるでバットマンが乗るバットモービルがトランスフォーム(・・というか、ただ立っただけ・・?)したような、人型のロボットのようにも見える。

 

中もキレイだ。

まあ、だいたい誰も、免許の更新以外で来るコトもないからだろう・・。

 

今回からはICチップ入りの免許というコトで、4ケタの暗証番号を2つ登録し、このモニターに置いて暗証番号を打ち込むと、本籍が表示される仕組み。

今までの免許証は本籍が記載されてあったのが、新しい免許はプライバシー保護の観点から、本籍の欄が空欄になっているためだ。

 

いろいろ、こーゆートコロからも時の流れを感じさせられる。

 

前回更新した時は、東京で仕事してた時の駐禁があったため、ゴールドではなかったが、今回初のゴールド免許!

まあ、広島に来て、運転する機会がほとんどなくなった・・てのもあるのだろうが、中にはペーパーのまま、ずっと更新し続けて、ゴールド・・て人もいるんだろーなあ・・。

 

しかし、見渡す限り、周りは山ばっかで、ホンマ、何もないトコやで・・。

 

次回、ここに来るのは、また5年後・・かな?

 

 


かっぱえびせん広島風お好み焼き味

2011年01月10日 | 広島のオススメ!

カルビーかっぱえびせん広島風お好み焼き味

以前、「瀬戸内のり味」という中国地区限定のかっぱえびせんを紹介したコトがあるが、今回は中国地区限定の文字は見えず、ひょっとしたら全国でも売られているのか・・?

(カテゴリー/広島のオススメ!:「かっぱえびせん瀬戸内のり味」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/b43a08656e692a58d786013b3e7feb5d

でも期間限定・・。

 

パッケージの裏には、「「オタフクソース」と「かっぱえびせん」じつは共に広島生まれなんです。」のコピーと共に、その誕生物語が書かれている。

 

「オタフクソース」誕生物語にはこうある。

 

「昭和13年、広島県横川。

清らかな太田川水系に恵まれたこの地で「お多福酢」は誕生しました。

名前の通り、酢の製造が「オタフクソース」の原点。

食の洋食化をにらみ、昭和25年にソースの製造を開始。

お好み焼き屋さんの声に応えて開発されたのが、お好みソースです。

まろやかな甘さはデーツ(ナツメヤシ)が決め手です。」

 

・・・なるほどー。

 

オタフクソースって、横川だったんだね。

 

ちなみに”広島風お好み焼き味”・・とかいうスナックは、たいがいソースの味しかしないのだが、これは見事にかっぱえびせんの味とソースの味が融合してて、さすがカルビー!・・と思ってしまった。

 

しかし、「※本品は、「お好みソース」は使用しておりません。」との但し書き

が・・。

まあ、袋を開けたら、リアルにお好みソースがベッタリかかってるかっぱえびせんが入っていたら、げんなりしてしまうだろう・・。

 

「※オタフクソース(株)の製造したソースを原料としたソースパウダーを使用しています。」とあるが、それがうまさの秘密かな・・?

 

見かけたら、ぜひお試しあれ。

 


縮景園

2010年11月24日 | 広島のオススメ!

広島市内にある広島県立美術館の裏、京橋川沿いに縮景園がある。

(カテゴリー/広島のオススメ!:「広島県立美術館」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/076ac4e0a39fc6eb94ef3690db287450

 

縮景園は、広島藩主・浅野長晟が入国した翌年の元和6(1620)年から別邸の庭として造られた。

なので、もともとは広島城内にあったが、現在は少し離れた位置にある。

(広島のオススメ!:「広島城」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/16039d5b8e08edc6e7b7327165207e28

作庭者は茶人として知られる上田宗箇

 

園の名称は幾多の景勝を集め、縮めて表現したコトによるが、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられている。

 

園の中央に池を掘り、大小10余の島を浮かべ、周辺に山を築き、渓谷、橋、茶室、東屋などが巧妙に配置され、それらをつなぐ園路によって回遊できるようになっている回遊式庭園である。

 

 

中央にある跨虹橋(ここうきょう)は、七代藩主・重晟が京都の名工に二度も築き直させたものと言われているそうだ。

 

昭和15(1940)年、浅野家から広島県に寄付され、同年、国の名勝に指定された。

 

昭和20(1945)年、原爆によって壊滅状態になったが、県によって戦前の景観に戻すべく整備がすすめられ、現在に至っている。

 

梅、桃、桜、しょうぶ、菊、もみじなど、それぞれの季節に茶会が催され、11月中旬から12月上旬のこの時期は、もみじが見頃。

 

しばし、その雰囲気だけでもお楽しみあれ・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに入園料は一般250円。

開園時間は4月1日~9月30日は9時~18時。

10月1日~3月31日は9時~17時と、これも季節によって違う。

 

自分も今回、はじめて行ったが、本来なら、渝華園より、よっぽど先に紹介すべき広島の名所でした・・。

(カテゴリー/広島のオススメ!:「渝華園」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/5686f360a950e60b48ca80ac32d1baf9

 

まあ、なかなか近いと、いつかいつか・・と思いつつ、かえって行かないものかもね・・。