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今から○年前、夫が単身赴任していた尾道からうちへ帰るとき、
私は春休み中だった下の娘と、夫の荷物の整理に行っていた。
3月31日の事、夕方には帰るから それから荷物を積んで
一緒にうちに帰ろうと話していた。
最後の日だから18時くらいになったら帰って来るかと思っていたが
20時過ぎても帰らない。
どのくらい遅くなるのかこっちも都合があるので
電話をしてみた。
「もう少ししたら帰る」というだけだった。しかし22時過ぎても帰らない。
子供みたいにまた電話してみた。
結局、23時前くらいに帰ってきた。(夫の仕事が残っていたからではない)
難しい職場だったので、なかなか解放してもらえなかった。
今のような状況になるのだったら、タクシーで乗り込んで
状況しっかり見るのだった。
ここでの二年間が命を縮めたと思う。医学的根拠はなくてもそう思う。
我が家に着いたのは4月1日になっていた。数時間後 夫は辞令を受けるため
新しい職場に出かけた。
尾道での荷物を整理していたとき、弁当屋さんのメモのついた領収書があった。
お昼の弁当の3月分の領収書。そしてメモ紙に、
「ありがとうございました。お体に気をつけて頑張ってください」
というような事が書いてあった。
安い弁当を取っていたのに(食べ過ぎになるからこのくらいでいいと言っていた)
とても嬉しい一言だった。
配達の人の温かさが伝わってくるようだった。
私は春休み中だった下の娘と、夫の荷物の整理に行っていた。
3月31日の事、夕方には帰るから それから荷物を積んで
一緒にうちに帰ろうと話していた。
最後の日だから18時くらいになったら帰って来るかと思っていたが
20時過ぎても帰らない。
どのくらい遅くなるのかこっちも都合があるので
電話をしてみた。
「もう少ししたら帰る」というだけだった。しかし22時過ぎても帰らない。
子供みたいにまた電話してみた。
結局、23時前くらいに帰ってきた。(夫の仕事が残っていたからではない)
難しい職場だったので、なかなか解放してもらえなかった。
今のような状況になるのだったら、タクシーで乗り込んで
状況しっかり見るのだった。
ここでの二年間が命を縮めたと思う。医学的根拠はなくてもそう思う。
我が家に着いたのは4月1日になっていた。数時間後 夫は辞令を受けるため
新しい職場に出かけた。
尾道での荷物を整理していたとき、弁当屋さんのメモのついた領収書があった。
お昼の弁当の3月分の領収書。そしてメモ紙に、
「ありがとうございました。お体に気をつけて頑張ってください」
というような事が書いてあった。
安い弁当を取っていたのに(食べ過ぎになるからこのくらいでいいと言っていた)
とても嬉しい一言だった。
配達の人の温かさが伝わってくるようだった。
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