幕末~西南戦争期に使用されたと思われる、
— たまや (@tamaya8901) 2017年4月15日 - 18:41
エンフィールド銃弾の鋳型を紹介します。
1枚目は四斤山砲弾等の仮信管用鋳型(奥)との比較。
仮信管鋳型がいかに大型の鋳型か分かる。
2・3枚目は内部。もしかするとほとんど未使用かもしれない… twitter.com/i/web/status/8…
この鋳型で製造できるエンフィールド銃弾は、考古学的分類ではa類と分類されているもので、発砲時にガス圧で弾丸後部が広がってライフルに食い込む「プリチェット弾」である。プリチェット弾の後、後部に圧入栓をはめ込むタイプ(b類)が出現するが、西南戦争の出土品を見ると両者が混用されている。
— たまや (@tamaya8901) 2017年4月15日 - 18:52
@tamaya8901 携帯からにしてはよく撮れました。 pic.twitter.com/oZblkdYKGG
— マンチカン 帝國 (@maEmpire) 2017年4月15日 - 20:32
ネットで星亮一が監修と聞いて、購入を悩んでいた『たなぐら史談抄』を結局購入。星亮一が監修と言うのは誤解だった模様で、安心して読む事が出来ました(^^;) 戊辰戦争関連では、棚倉藩の公式史料ではなく、棚倉の住民による証言が纏められており、興味深く読ませて頂きました。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年4月15日 - 21:34
六月二十四日の棚倉城攻防戦の記録を読んで興味深かったのは、城下の住民にとって、新政府軍白河口軍板垣退助支隊の襲来は、予想外の出来事だったと言う事。棚倉藩は、棚倉城から10km離れた金山村に陣地を設けて、板垣支隊を迎撃したのに、その連絡が棚倉城に伝わらず、城下が混乱した模様です。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年4月15日 - 21:50
これは金山の防衛ラインが、鎧袖一触で板垣支隊に破られたので、それこそ金山落ちるの伝令を追う形で、板垣支隊が城下に突入した感じでしょうかね。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年4月15日 - 21:52
【告知1】今年の、ひの新選組祭りの期間中である5月13日に、全国新選組サミットのイベントとして、あさくらゆう氏による講演「新選組と坂本龍馬」が開催されます。会場は高幡不動の坊ホール(東京都日野市高幡159)、参加費は無料、ただし先着順なので、興味がある方は当日お早めに。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年4月15日 - 23:16
【告知2】また、5月14日にはブースも出店し、『斉藤一論考集』や、三十一人会の会報のバックナンバー、更には関係者の同人誌なども販売予定です。*こちらは詳細が判り次第、再告知させて頂きます。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年4月15日 - 23:18