@nonomaru116 ありがとうございます。幸歓の父の代からだったのですね。どちらを意識したのか判りませんが、演出なのでしょうね(^^;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 23:05
[06:00:08]『アンジュ・ヴィエルジュ ~ガールズバトル~』プレイ中!あの子もこの子もみんな気になる!招待コード『NiWQ1ovz』入力して一緒にアンジュを始めよう♪[sgap.ps/MF7hzb]
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 06:00
さて、最後の『真田丸』待機です
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 19:57
個人的には、毛利勝永の鬼神の如き活躍を見たいです(^^;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:00
#真田丸
あらら、伊豆守と佐渡守、意外な邂逅ですね(^^;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:01
#真田丸
いよいよ毛利勢の出番ですね(^^;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:06
#真田丸
来ましたよ、夏の陣最強の毛利勢が(^^;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:12
#真田丸
戦国ファンの間では、凄い知られています(^^;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:16
#真田丸
ちなみに本多忠朝は、毛利勢の攻撃で戦死しています。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:19
#真田丸
また、小笠原秀政も毛利勝永の攻撃の前に戦死。正しく毛利勝永鬼神の如き活躍です。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:21
#真田丸
でも相手が悪いです。真田兄弟では、毛利勝永の敵ではありませんでした。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:22
#真田丸
そうか、当たり前ですが、内記も戦死するのですね…。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:35
#真田丸
この展開は想像しなかった
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:38
#真田丸
この二人の登場は予想外でした。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:43
#真田丸
真田丸では、佐助が向井佐平次のポジションなのね
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:46
#真田丸
信繁も勝永も、あと豊臣家の面々も、最期はあえて描かない方針なのね
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:52
#真田丸
真田丸後日談
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 20:59
後の戊辰戦争では、家康に仕えた信之の真田家(松代藩)は、徳川を倒した新政府軍に参加し、山県有朋をして「薩長に続く精鋭」と言わせます。
一方、徳川に最後まで立ち向かった信繁の子孫である幸歓は、徳川を倒した新政府軍と戦うと言う、数奇な運命を辿る事になります
#真田丸
『真田丸』後日談 その2
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 21:05
この信之の家系の松代藩真田家は、戊辰戦争では北越に出兵。そこで戦ったのが米沢藩上杉家。長岡城北部では、柿崎家教率いる大隊と激突します。ちなみにこの北越戦線の上杉家は、千坂・甘粕・色部・柿崎・香坂(高坂)と言う馴染みのある名前が参戦しています
#真田丸
真田丸後日談その3
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 21:12
先週も書いたように、伊達家に仕えた信繁の子孫である真田幸歓は、戊辰戦争では仙台藩参謀として白河口に出兵。板垣退助と伊地知正治が参謀を務める新政府軍が守る白河城を攻撃します。
#真田丸
真田丸後日談その4
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 21:19
第十次白河城攻防戦で幸歓は、先にゲリラ部隊を白河城城下に潜入させ、夜陰に紛れて放火。新政府軍が混乱する間隙を突いて、大軍を分進合撃させる作戦を実施します。
しかし味方の練度が、この作戦に追い付かず、新政府軍に各個撃破され、白河城の奪回は失敗します
#真田丸
正直私は、幸歓は『真田丸』で例えるならば、片桐且元みたいに「やる事が裏目に出る人間」と思っています。第十次白河城攻防戦でも、分進合撃と言う高度なものの、味方の練度を無視した作戦を実施して、結果敗れていますから(^^;) twitter.com/nonomaru116/st…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 21:27
@drei_Ritter それは知りませんでした。戊辰戦争参加時に、他の信州諸藩がゲベール銃装備だった中、正規軍が皆ミニエー銃の松代藩兵は、それだけでも山県有朋にとっては得がたい兵力だったと思います(^^;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 21:33
個人的に気になるのが、信繁の子孫なのに「幸」の字が通字ですよね。仙台伊達家自体の知識は乏しいので、当時知られていた「幸村」を意識していたのか、伊達家からの指示なのか、はたまた昌幸を意識したのかは勉強不足で判りません(汗) twitter.com/nonomaru116/st…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 21:36
真田丸後日談その5
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 21:44
そう言えば、戊辰戦争で真田家松代藩兵を率いた総括隊長の名字は河原です(^^;) また、長岡城城下で壮絶な戦死を遂げた六番狙撃隊隊長の名字は海野で、他にも小幡姓が居たりなど、こちらも馴染み深い名字が多いですね。
#真田丸
@drei_Ritter 松代藩製の大砲が横浜に有るのですが、後装式のくせにライフリングがされていないと言うチグハグな物があるのですが、多分象山の指示なのでしょうね(^^;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 21:50
真田丸後日談その6
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 21:55
本編では本多正信の領民への対応を感心した信之ですが、戊辰戦争では抜群の功績を挙げたので、松代県も夢ではなかったのに、戊辰戦争での徴発に怒った領民が一揆を起こしたために、松代県の話は流れて、長野県になった事を考えると、あの信之と正信の会話は深いですね
#真田丸
@drei_Ritter 何と言うか、世の流れはまず前装施条砲(四斤山砲)になってから、後装施条砲(アームストロング砲)になるのに、後装滑腔砲と言う不思議な物を作りましたね。ちなみに今は見つかりませんが、写真がどこかに保存した筈です。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 22:12
@drei_Ritter ありがとうございます。「藩札の乱発と暴落」と書けば良かったですね(^^;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 22:14
@Nana_zero07 それは知りませんでした。勉強になります、ありがとうございました。どうも戊辰戦争以外は勉強不足なので(汗)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 22:47
@hashinoco 真田幸歓はまだまだマイナーですからね。個人的には、今回の『真田丸』で信繁の子孫が仙台に残った事が語られたので、これで幸歓が注目を集めてくれれば嬉しいのですが(^^;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2016年12月18日 - 22:53
ある妄想
— わた@この呉鎮守府の片隅に (@them_isto_cres) 2016年12月18日 - 20:54
「ゆうべは真田信繁になった夢を見ましてね」
「奇遇だな、俺は石田三成だ」
「実は私も。片桐且元に……あれ胃が」
「そんなことより、一番強い生き物って何だと思います?」
「俺は加藤清正だと思うね。人を井戸に投げ込むんだぜ!… twitter.com/i/web/status/8…