@pacific_18 行ってらっしゃい~。私も明日行くよ~。
— 大塚進也@歴声庵:斉藤一 新選組論考集 (@tukaohtsu) 2016年7月9日 - 11:05
もはや兼続と何の関係もないですが、相変わらずの良い声と、真田丸兼続がお馴染みの仏頂面で、この詩を読んでいるのを想像すると笑ってしまいます(^^;) twitter.com/nhk_sanadamaru…
— 大塚進也@歴声庵:斉藤一 新選組論考集 (@tukaohtsu) 2016年7月9日 - 16:06
@YamakanSS 8/6に、この様なイベントが開催されるので、報告させて頂きます(^^)
— 大塚進也@歴声庵:斉藤一 新選組論考集 (@tukaohtsu) 2016年7月9日 - 17:11
makoto.shinsenhino.com/archives/news/…
そして、その一週間前は「新田義貞鎌倉攻め訪問ツアー」があるなど、中々忙しいです(^^;)
『はいふり』の最終回で、蒸気機関の軍艦で接舷攻撃した事に対して、「そんな事が出来るわけが無い」との意見をネットで見掛けましたが、曲がりなりにも蒸気船で、しかも平行接舷した晴風とは違い、直角で接舷して敵艦乗っ取りを実行指揮した土方歳三と言う人が居ましてね…。
— 大塚進也@歴声庵:斉藤一 新選組論考集 (@tukaohtsu) 2016年7月9日 - 17:39
『歴史群像』最新号の「壮烈!熊本城攻防戦」を読了。加藤清正が築いた熊本城の堅固さが政府軍の要因と語られる事がありますが、火力戦としての熊本城攻防戦を描いてくれています。薩軍の歩兵部隊の動向については他書でも語られますが、薩軍の砲兵の動向についての記述は珍しく興味深かったです。
— 大塚進也@歴声庵:斉藤一 新選組論考集 (@tukaohtsu) 2016年7月9日 - 18:21
さて次は、「ドイツ軍の”いちばん長い日”」を読みますよ~。ドイツ軍から見た、ノルマンディー上陸作戦が、どのような物だったか興味津々です。
— 大塚進也@歴声庵:斉藤一 新選組論考集 (@tukaohtsu) 2016年7月9日 - 18:23
@YamakanSS ただ、今回の主催は日野新選組同好会なので、もし参加されるようでしたら日野新選組同好会にメールお願いします(こうして少しずつ新選組界隈の情報を体得してもらおうと画策中(^^;)
— 大塚進也@歴声庵:斉藤一 新選組論考集 (@tukaohtsu) 2016年7月9日 - 20:14
@YamakanSS 優れた人材だと言うのが発覚した事を後悔して下さい(酷い言いがかり)。
— 大塚進也@歴声庵:斉藤一 新選組論考集 (@tukaohtsu) 2016年7月9日 - 21:02
冗談はさておき、以前話したように、どこもかしこも、優れた若手を欲しているのよ~(汗)
第二砲隊付病院掛の従軍日誌。従軍記は原文の誤読が多い。『敬天愛人第11号』にも掲載されているが、隊員名簿の順序が前後違っている。従軍記で久米清太郎と紹介されている写真は清之丞。空白日は5月26日、29日であるが従軍記では「今日も同断」twitter.com/maEmpire/statu…
— マンチカン 帝國 (@maEmpire) 2016年7月9日 - 20:48
久米日記に掲載の隊員名簿によるとニ番砲隊は三官、隊付、1番から6番砲車、医師、病院掛、夫卒からなる。名簿に関してはニ砲隊に所属した懲役人筆記でも複数名該当するので非常に信頼性は高いと思われる。『鹿児島県史料 西南戦争』の第2、4巻に収録されている砲隊員の懲役人筆記、久米日記を比較
— マンチカン 帝國 (@maEmpire) 2016年7月9日 - 21:04
するともう少し見方が変わったと思う。薩軍の12ポンド野砲の話も佐多武彦の『回顧六十年』を引用した資料からだと思う。
— マンチカン 帝國 (@maEmpire) 2016年7月9日 - 21:16