さて、旅はいよいよ終盤に差し掛かります
『白滝』の美しい情景を堪能したあとは、再び265号線に戻り、この旅の最終目的地である椎葉村へ。「お腹空いたね~。なんか食べるところはないかね~。」と車内の会話がお昼ご飯のことしか出てこなくなった矢先、目の前に『八村蕎麦』の看板を発見!しかも”日本一おいしい”なんて謳い文句付き。「今度こそご飯だ~!」とすっかりラーメンのことは忘れ、迷わずそちらの方向へハンドルを切り、蕎麦屋さんへ直行!しかし看板はあるのですが、肝心なお店が見つかりません。しばらく山の方へ上って行くと一軒の民家が見えてきて、どうやらその横に小さな蕎麦屋さんが併設されている様子。ここか!と思ってお店を覗いてみると、店内は真っ暗。どうやらお休みのようです。またしてもがっかり…
でもただじゃ終わらないのが私達の行き当たりばったりツアー。そのお店のすぐ傍には『利根川神社』という神社があり、私達はそこで宮崎の巨樹100選の一つ『八村杉(やむらすぎ)』に出会ったのです
こちらがその『八村杉』。国の天然記念物に指定されていて、樹齢約800年、幹周13.3m、樹高53mというかなりの大きさです 大きすぎてとても写真には収まりきれません 九州の中央部に位置するここ椎葉村は、平家の落人集落としても有名で、ここ利根川地区にも源平の戦いに敗れた平家の残党がひっそりと生活をしていたのだそうです。時の鎌倉幕府が討伐のために那須大八朗宗久を送り込んだのですが、落人達の暮らしぶりを見て哀れに思い討伐を止め、さらには平清盛の末裔である鶴富姫と恋に落ち、誰一人討つこともなく彼は鎌倉へと帰っていったのだとか。その鶴富姫が住んでいた場所がこの後私達が訪れることになる鶴富屋敷で、大八朗宗久が植えたのがこの八村杉だと言われているそうです。午前中の雨が上がり、辺りには霧が立ち込めていて、とても神秘的な雰囲気でした。私もいろんな杉の巨木を見てきましたが、その中でも八村杉は状態がすごく良くて立ち姿も美しい見事な杉だと思います。八村杉との出会いに感動し空腹を忘れた私達は、さらにこの近くにある『大久保の大ヒノキ』も見に行くことにしました。八村杉がかなり見事だっただけに期待も膨らみます
八村杉のあった場所からさらに車で10分ほど上ったところにその巨木はひっそりと息づいていました。駐車場に車を停めしばらく歩いていくと…
出ました!こちらが宮崎の巨樹100選の一つ『大久保の大ヒノキ』です このヒノキは県の天然記念物に指定されていて、樹齢約800年、幹周9.3m、樹高32m。八村杉よりは小さいのですが、何本もの巨大な枝がまるで千手観音の手のように広がっていて、目の前に立つだけでその偉大な姿に圧倒されてしまいました。こんなに大きなヒノキを見たのは初めてです。しかもこちらも八村杉同様にとても状態がよく、800年という長い年月を生き抜いてきたにも関わらず、とても活き活きとしていて、とてつもなく力強い生命力を感じました。樹木の状態がいいということは、この椎葉村の自然環境が非常に良いということなのでしょうね。私達はしばしこのヒノキと向き合い、これからもずっとこの環境が保たれていくことを願わずにはいられませんでした。
四ヶ所目のスポットでこれまたかなり満足した私達。しかしこの時点で時刻はすでに13:50。 2人ともいよいよ頭をかじられたアンパンマンのように力が出なくなってきました。と、ちょうどそこにドライブイン(?)の看板を発見!どうやら食事もできるらしかったので、迷わずその場所に直行!ところが、ここでまた悲劇が…。さっさと車を停め、駆け足で店の中に入り「やっとお昼ご飯にありつける~!」と安堵しながら席に座ろうとすると、お店の人の口から「すみませ~ん、たった今終わったんですけど」と無情の一言。終わった??…ってまだ14:00ですけど!?終わるのはちょっと早くないですか??するとそこに別の人がやって来て「お食事でしたら鶴富屋敷の隣の旅館で14:30くらいまで食べられると思いますけど…」。なに?あと30分しかないのー??急がなきゃーっ!
ってなわけで猛ダッシュで鶴富屋敷に向かい、その真向かいに蕎麦ののぼりを見つけたので、迷わずそのお店に入りました。「まだお食事できますか?」と尋ねると「大丈夫ですよ~」と嬉しい返事が!とうとうお昼ご飯にありつけるぞ~!メニューはどこかなーと探していると、
おばちゃん:「山掛けうどんしかないけど、それでいいかな?」
私達:「はいっ、何でもいいですっ!」
おばちゃん:「五穀米のおにぎりもあるけど食べる?」
私達:「食べます食べますっ!」
おばちゃん:「一皿に二つ乗ってるけどどうする?」
私達:「(迷わず)二皿くださいっ!」
ってよっぽどお腹が減ってたんでしょうね…。値段も聞かずに適当に注文しちゃいました。このお店はお土産屋さんの一角にあって、蕎麦とおにぎりの他にも漬物やら納豆やらいろんなものを試食させてくれたのですが、どれも美味しくて満足でしたよ~。しまいにはお土産にかりんとうまで頂いてしまいました。お腹を空かせて来た甲斐があったというものです。おばちゃん、ありがとうございました
やっとこさお昼ご飯にありつけて満足した私達は、お店の目の前にある階段を上っていよいよ『鶴富屋敷(那須家住宅)』へ。20km以上手前から道路標識に何度も登場していた場所なので、どんなに立派なお屋敷だろうと思っていたら、私達が想像していたようなお屋敷ではありませんでした。外観は屋敷というよりは古い長屋の民家といった感じで、部屋が3つと土間が並んであるのみ。これを『並列型民家』と呼ぶのだそうですが、この辺り一帯は平地が少ないため、奥行きが無いのは斜面をうまく利用するための知恵だったようで、この椎葉村の民家はどこもこのような形をしているのだそうです。見た目は昔話に出てきそうな素朴な家屋ですが、国の重要文化財に指定されているので歴史的には価値の高いお屋敷なのでしょう。
先ほど登場した那須大八郎宗久は平家の討伐を止め、それどころかこの屋敷を構え、平家の落人達に農耕技術を教えるなどして彼らと協力しながらしばらくの間この椎葉村で暮らしていたのだそうです。やがて鶴富姫と出会い、暮らしを共にするようになるのですが、しばらくすると幕府から兵をまとめて帰ってくるようにとの命令が下り、大八郎宗久は鎌倉へ戻らなければいけなくなってしまします。その時すでに鶴富姫は身ごもっていたのですが、平家の姫を連れて行くわけにはいかず、大八郎宗久は分かれの印に名刀『天国丸』を与え、「生まれた子が男子ならわが故郷下野(しもつけ)の国へ、女ならこの地で育てよ。」と言い残し、後ろ髪を引かれる思いで椎葉を後にしたのですが、生まれたのはかわいい女の子だったので、鶴富姫はこの地で大八郎宗久の面影を抱きながら大切に育てたのだそうです。対立していた源氏と平氏が愛しみ合いながら暮らしていたなんて、まさに戦争とは何か、平和とは何かを考えさせられるエピソードですよね。
ちなみにこの那須家の子孫の方が隣で小さな旅館をされていて、ドライブインで教えてもらったのは私達が食べた場所ではなく、こちらの方だったようです この旅館に宿泊すれば鶴富屋敷の中で食事をすることも可能なのだとか。このことは私達が忘れてきた『JAFメイト』の11月号にしっかり書いてありました(苦笑)。囲炉裏端で食べる食事も美味しそうですよね~
さて、私達の行き当たりばったりツアーもいよいよ帰路につきます 帰りは国道265号線を馬見原まで戻り、国道218号線に乗り矢部町へ。途中『道の駅 通潤橋』の標識を見つけたので、トイレ休憩も兼ねてちょっとだけ立ち寄ることにしました。そこで待っていたのはなんだかちょっと恐ろしげなモニュメント そして、その奥に見えるのは…
小学校の社会の教科書で見た通潤橋 しかし水も出てないし、遠くから見るとただの橋にしか見えません 「よし、あの橋の上まで行ってみよう!」と多少雨が降っていたにも関わらず傘も差さずに遊歩道を歩いていると、雨が次第に本降りに。しかも近道だと思って上った田んぼのあぜ道は途中で行き止まり。結局引き返してきてしまいました まぁまぁこんなこともありますよ。楽しみはまた次回の旅にとっておくとしましょう!
この後は御船インターから大村インターまで高速道路に乗り、その途中広川サービスエリアでハンバーグを食べ(ここの手捏ねハンバーグ、なかなか美味でした)、大村の喫茶店でパフェを食べ食べ反省会をして、家に着いたのは21:00くらい。後半ちょっと食べ過ぎた感がありますが、これも旅の楽しみの一つということで
例のごとく自然豊かな場所を訪ね歩いた今回の行き当たりばったりドライブツアーは、しょっぱなから雨に見舞われてしまいましたが、あの雨があったからこそ馬見原で見たつかの間の青空が余計に美しく、そこにある落ち葉も瑞々しく映り、私達の心を潤してくれたのだと思います。今回私達が辿った国道265号線は山間の道路なので、この時期はあたり一帯が紅葉していてとってもきれいでした。もう一週間早ければもっとよかったかも。もしかしたら春に訪れると山桜が山をピンク色に染めているかも知れません。自然が好きな人にはおススメのドライブコースです しかしラーメン屋さんはもちろん、お食事処は少ないので、そこだけは注意してくださいね
今回のツアー日記はこれでおしまい。しばらくはまた五島ネタをお届けしま~す
秋の熊本&宮崎ドライブツアー(完)