I Love Nature

自然の中で見つけたステキなモノ

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巣立ち?

2011年07月29日 | 長崎街道

7月14日(木)晴れ。いつものように朝からツバメのヒナ達に「おはよ~」と声をかけ、ちゃんと4羽揃っていることを確認。この猛暑の中でも4羽ともみんな順調に育ち、産毛もほとんど取れて、立派な成鳥の姿に近づいていました。今にも翼を羽ばたかせ、巣から飛び立ちそうなヒナ達の姿を見て「今のうちに写真を撮っておこう」と思い立ち、ほんの数枚だけ彼らの姿をカメラに収めたのですが、まさかこれが最後になろうとは…。この時はそんなこと思いもしませんでした。

何か意志を持ったような顔つきで私の方をじーっと見つめるヒナちゃん。「ちょっと寂しいけど、お別れの時が近づいているのかな」なんて、ちょっとセンチメンタルになってる私の気持ちを察しているのでしょうか? 姿はほぼ成鳥のツバメと変わらなくなってきたけど、巣立ちはもうちょっと先だろうと思っていた私は、特にこれ以上は何も考えず、カメラを置いていつものように出掛けました。そしてこの日の夕方、家に帰ってみると…

どういうわけか巣がごっそりと下に落ちているではありませんか 巣だけではなく、ヒナ達の姿もどこにもありません。今朝まで4羽ともきちんと巣に収まって、親鳥からちゃんと餌をもらっていたのに…。

いろいろなことを考えました。ヘビかカラスに食べられてしまったのだろうかとか、悪い人が巣を壊してヒナを持って行っちゃったのだろうかとか、大きくなっていたヒナ達の重さに耐えられず巣が落ちてしまい、そのまま巣立ったのだろうかとか…。その瞬間を見た訳ではないので、真相は分かりません。彼らに何が起こったのか全く分からないまま、呆然としながら下に落ちていた巣の残骸を片付け、家の中に入りました。

今朝まで確かにこの巣の中にいたヒナ達。なぜこんなことに…。やるせない気持ちでいっぱいになり、ため息をつきながらふと窓から外を見ると、夕焼け色に染まった空には4~5羽のツバメ達がピィピィと声を上げながら飛び交っていました。中には私の方に近づいてきて、目の前を通り過ぎて行くものも。その様子を見て思いました。きっと彼らは巣立ったのだと。今朝の顔はその決意の表れだったんだと。今年のツバメの子育ては、去年のように順調には行きませんでしたが、親鳥達の甲斐甲斐しさとヒナ達の愛らしさは去年と全く変わりませんでした。その姿から学ぶこともたくさんありました。

ツバメさん、今年も私たちにたくさんの笑顔を運んでくれてありがとう!また来年もぜひこの場所で子育てをしてくださいね 玄関先をきれいにしてお待ちしてまーす

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島原ウォーク 最終回

2011年06月20日 | 長崎街道

島原城にヤギ出現!?

島原ウォークの締めくくりは、島原市のランドマークとなっている島原城。島原城は元1618年に松倉豊後守重政が4~7年の歳月をかけて築いたものですが、1874年(明治7年)に廃城となり、現在の天守閣が復元されたのは1964年(昭和39年)。東京オリンピックが開催された年です。

なんとお城の敷地内でヒツジを発見 ヒツジだけでなくヤギも一緒に飼われていました。もしかして島原城の草むしり部隊??ネットで調べてみると、思った通り去年の夏から近くの農業高校からヒツジとヤギを借りて、城内の草を食べてもらっているとのこと。どうやら期待通りの働きをしてくれているようです

こちらが日本100名城の一つに数えられる島原城の天守閣。なかなか立派でしょう?中は資料館になっていて、島原の歴史を垣間みることができます。

ふと城壁を見上げると、私の好きな『ザ!鉄腕!DASH!!』の文字がどうやらここでTOKIOのメンバーが水鉄砲合戦をしたらしい。この旗、いつまで付けとくんだろう?

こちらに並んでいるのは平和祈念像の作者である北村西望さんの作品たち。左側にある像、えらい迫力あるな~。像の前に立っていると、怖い先生に「コラーッ!」って怒られてるような気分になります

すぐ隣には西望記念館があります。景観を乱さないように、ちゃんと櫓の形をしています。

青空に映える島原城を眺めながら、城内をぐるりお散歩。今回の島原歩きでは古い日本家屋をたくさん目にしましたが、お城は他の建物とはまたひと味違って荘厳な雰囲気を醸し出しています。

お堀の中には菖蒲園がありますが、この時はまだ咲いておらず、黄菖蒲の花だけが咲いていました。菖蒲の時期にまた訪れてみたいなぁ

島原城から下ってきた所に酒屋さんを発見 中には入りませんでしたが、この外観に一目惚れしてしまいました。以前は洋風建築の家に憧れていたけど、最近はこのような昔ながらの日本家屋についつい目がいってしまいます。やっぱり私、日本人なんだなぁ。今回島原をゆっくり歩いてみて、島原という町は、私の中にある日本人のDNAを呼び覚ましてくれる、日本の原風景あふれるステキな町だということを感じることができました。城下町だけでなく、南島原駅の古い駅舎や浜の川湧水もおススメですよ~ 今度は龍馬が歩いた島原街道を辿ってみたいと思います

島原ウォーク(完)

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島原ウォーク その4

2011年06月17日 | 長崎街道

ここは島原のアーケードに程近い浜の城跡。説明板によると、かつてここには有馬氏の一族といわれる豪族島原氏の浜の城が築かれていたが、1792年(寛政4年)の島原大変(普賢岳の火山活動による眉山の崩壊)で埋まり、現在のような地形になったとのこと。どんなお城が建っていたのでしょうね

現在はこの通り中央公園として整備され、人々の憩いの場となっているようです。

 

次に訪れたのは四明荘という古いお屋敷。ここはとある開業医さんの別荘だった所で、去年から一般公開するようになった水の町島原ならではの新しい観光名所です

入場はなんと無料。中に入ってみると緑あふれる美しいお庭が現れました~

木々の緑もさることながら、この四明荘の最大の見所は縁側の下にまで広がるこの池。

あちらこちらから絶え間なく水が湧き出ているので、この池には一切の濁りがなく、中で泳いでいる鯉たちもとっても気持ち良さそう お庭の木々も手入れが行き届いていて、本当に素晴らしいお屋敷でした この庭園は昭和初期に禅宗の僧を招いて作庭されたそうですが、主屋は大正時代に建てられ、四方の眺望に優れていることから四明荘という名が付けられたのだとか。名前の由来もまたステキですよね

こちらはしまばら湧水館。こちらも四明荘と同様に無料の休憩所となっていて、古い和風建築の住宅と湧水を生かした庭園が観賞できるそうです。

なんと町中の水路にもこんな風に鯉が泳いでいるのですよ なかなか他所では見ることのできない風情ある景色です

こちらは島原のアーケード街。決して賑わっているとは言えないけど、湧水を生かした町づくりがあちらこちらに見られます。

島原に来ると必ず訪れたくなるのが、アーケードの中にあるこちらのしまばら水屋敷。というのも、ここでは美味しいざらしをいただくことができるからです

 

こちらの建物は明治時代の建築物で、これまでご紹介してきた四明荘やしまばら湧水館同様、やはりお庭には湧水を利用した美しい池があります

お部屋の内装やお庭がちょっと荒れてきたかなぁという印象は否めませんでしたが、池の水は相変わらず文句なしに美しい 自然の浄化作用というのは本当に素晴らしいですね

涼やかな池を眺めながらいただく寒ざらしはとっても美味。すごくシンプルなお菓子だけど、素朴で品のある甘さの蜜と口当たりの良い小粒の白玉の相性は抜群です

おっ!白土湖に続き、ここでもカメさんを発見こんなに水と緑が豊かな場所に一度住んじゃったら、もう他所には住めないだろうなぁ。

水屋敷の二階は招き猫のギャラリーになっていて、飾り棚の上には様々な招き猫がぎっしりと並べられています きっと店主が招き猫好きなのでしょうね~

水の町島原の町並みを堪能し、清らかな湧水を観賞しながら島原名物寒ざらしに舌鼓を打ち、私たちが最後に訪れたのは、かつて島原藩の政庁であった島原城。次回はいよいよ島原ウォーク最終回です

続く

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島原ウォーク その3

2011年06月14日 | 長崎街道

いろんな所に寄り道しながらも、白土湖(しらちこ)に到着~ここ白土湖は、1792年(寛政4年)の普賢岳の火山活動による眉山の大崩壊(いわゆる島原大変肥後迷惑)により生じた窪地に水が湧き出てできた湖で、なんと今も一日4万トンという大量の水が湧き出ているのだそうです。その水を海に流すために作られた水路が今の音無川なのだとか。

ちょうどベンチがあったので、白土湖を眺めながらお弁当タイム~ 辺りはとっても静かだし、時々噴水から水が上がったりして、なんとものどかな雰囲気。

ご飯を食べた後、白土湖の周りを歩いていると、とっても大きな灯籠を発見 今も明かりが灯るのかな?

湖には色鮮やかな鯉がたくさん泳いでいます。餌をくれると思ったのか、どこからともなく集まってきました。餌、持ってないけどね~

これはなんと言う鳥だろう?何か獲物を狙っているようです。

甲羅干し中のミドリカメを発見かわいいなぁ

こちらは木陰でリラックス中の水鳥さん。快適な場所を知ってるんだね

白土湖の隣には耳洗(じせん)公園という公園がありました。

案内板によると、かつて人々はここから湧き出る清水でお茶を点て、美しい白土湖を眺めながら四方山話に花を咲かせていたのだとか。「ここに来れば世の中の煩わしいことをすべて清水が洗い流してくれる」とのことから当時は耳洗亭と呼ばれていたそうです。

 

水の町島原に本当にたくさんの湧水池があるのですね~。あちこちから水の音が聞こえてくるっていいよなぁ。

お次はずっと前から密かに気になっていた涅槃像(ねはんぞう)を拝観しに東江寺へ。この辺り一帯でも歴史を感じさせる建物を見ることができます。

ここが白土湖から程近い場所にある東江寺。境内にはたくさんのお墓が所狭しと並んでいました。

と、墓地の一角に涅槃像を発見 思ったよりも小さい…かな 涅槃像とは涅槃仏とも言われ、お釈迦様が入滅する様子を仏像としてあらわしたものだそうで、主にタイの寺院などで見ることができるのだとか。ほとんどの涅槃像は右手を枕とし、基本的に頭は北向き、顔は西向きとされていて、これが一般の俗人が亡くなったときに北枕とされる由縁となったそうです。なるほどね~

足の裏に宇宙観を示す文様が描かれているのも涅槃像の特徴のひとつ。どういう意味があるのかはよく分かりませんでした。なぜ足の裏にこのようなものが描かれたのでしょうね~?

涅槃像もさることながら、本堂や鐘楼もなかなか立派で、境内の緑も豊か。敷地も広いので、ちょっとお散歩したくなる雰囲気の良いお寺でした。さて、東江寺を出た後はいよいよ『鯉が泳ぐ町』へ。次回は水の町島原の美しい情景をご紹介しまーす

続く

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島原ウォーク その2

2011年06月12日 | 長崎街道

龍馬上陸の地を後にして、次に目指したのは白土湖(しらちこ)という湖。だったのですが、その途中にまたまた昭和の香りがぷんぷん漂う面白いお店を発見 その名も『お客様のための生活倉庫 福

 

『男はつらいよ』のポスターがあったり、『気ーぬくマン』なんてキン肉マンのパロディと思われるTシャツが掛かっていたり、めっちゃ気になるー これは素通りできないでしょ!

ということで、ちょっとだけ中へ。店内には私たちより1~2世代前の人たちが使っていたと思われる昭和グッズがズラリと並んでいました。これらの昭和グッズは販売はしておらず、店舗の一部を『昭和の部屋』として一般の方に公開しているようです。店主の趣味なのかな そういえば、私たちが店内を眺めている間、店の方は誰一人として出てこられませんでした。この商売っ気の無さがまたいいですな~

次に気になったポイントは、島原市立第三小学校。長い階段の奥にこれまた風格のある校舎が見えます。ちょっとだけお邪魔してみましょう。

校門にはなんと大きな藤の木が こんな門、今まで見たことがありません もう少し早い時期だったら藤の花が満開だったかもですね

学校の敷地にはなんとお寺までありました。もしかして言うこと聞かない子はここで修行…なんてことはないですよね~

気になるスポットはまだまだあります。ここは第三小学校から程近い場所にある八幡神社。なかなか立派な参道ですねぇ。

こちらが八幡神社の本殿です。決して大きくはないけど、味のある立派な佇まいです

 

すっごく気に入ったのはこちらの招き猫風獅子狛犬。片足が挙ってる狛犬って珍しいでしょう 体もすごく細いし、どう見ても猫っぽい。今まで狛犬の写真をたくさん撮ってきたけど、こんなに猫っぽい狛犬は初めてです

 

鳥居の側にある狛犬は、一見普通の狛犬のように見えますが、よくよく見ると目がちょっとコミカルな感じ。『ついでにとんちんかん』の間抜作先生っぽいんだよなぁ。あ、知らなかったらごめんなさい(笑)。

再び白土湖を目指して歩いていると、湊道商店街に出てきました。人はほとんどいませんでしたが、ここにも古い建物がいくつか目に留まりました。今まで何度も島原を訪れたけど、こんな古い町並みがあちこあちに残っているなんて、全然知らなかったなぁ。寄り道が多くてなかなか白土湖にたどり着きませんが、三人の町歩きはまだまだ続きまーす

つづく

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島原ウォーク その1

2011年06月11日 | 長崎街道

5月15日(日)晴れ

5月はウォーキングにもってこいの季節。というわけで、GWの長崎街道歩きに続き、旦那さんとtamiと3人で今回は島原散策に行ってきました。当初はJRが主催している島原ウォークに参加する予定だったのですが、その週に登山の予定が入ってしまったので、チラシに載っていたコースを参照しながら、自分たちで歩いてみることに。今回の起点はまるでお城のように見える島原駅。さてはて、今回はどんな町歩きになるのでしょうか?島原ウォーク、スタートです!

と、駅を出て間もなくおかしな看板を発見「お静カニ!!」ですって。確かにこの辺りではカニがよく獲れるので、カニの宣伝と交通安全の標語を合体させたのでしょう。うまいことやりましたな~

島原の町には島原城をはじめ、城下町の雰囲気が漂う建物がたくさんあります。道路の向こう側にあったので何屋さんかよく分かりませんでしたが、おそらくそれを意識して建てられたのだと思われます

私たちがまず最初に目指したのは浜の川湧水という場所。チラシに載っていた地図を手がかりに歩くと、それは国道から少し奥に入った住宅地の中にあるようです。こんな所に水が湧いているなんて、いったいどんな所なんだろう?公園かなんかあるのかな~?なんて、その場所を想像しながら案内表示に従って路地を進んでいくと…

ありました~ ここが浜の川湧水です 私の想像とは全く違って、そこは単なる公園ではなく、井戸や洗い場などが整備され、近隣に住む人たちが今もなお生活用水として利用する公共の場所でした。

と、そこに洗場使用規則』なるものを発見 区画によって洗うものがちゃんと決められているんですね~。これらの規則がちゃんと守られていることは、この場所に来れば一目瞭然。だって、とってもきれいなんですもん

島原の水は本当にきれい こんな所が近所にあったらいいのになぁ。本当にうらやましい!

洗い場のすぐ隣にあるこの建物は、かつては『銀水』という寒ざらし屋さんでした。寒ざらしとは、白玉粉で作った小さな団子を島原の湧水で冷やし、蜂蜜や砂糖などで作った特製の蜜をかけたもので、島原名物の一つに数えられる郷土料理です。

二代目の店主だった中村初吉(ハツヨシ)さんは、90歳くらいまでお店を一人で切り盛りしておられたそうですが、16年ほど前に他界し、その後お店は閉められたまま。以前銀水を訪れたことのある母の話によると、ここのおばあちゃんが作る寒ざらしはとっても美味しかったんだそうです。あぁ、一度食べてみたかったなぁ。建物の老朽化が目立つので、今後どうなるかは分かりませんが、とても雰囲気のあるステキなお家なので、どうにか補修して島原の歴史ある遺産として残していただきたいものです。

銀水のおばあちゃんと寒ざらしに思いを馳せながら、昭和の香りがぷんぷんする通りを抜けて、次のポイントを目指します。

次に訪れたのは南島原駅。この木造の駅舎、とってもステキ~ 昔の木造の小学校みたい!1913年(大正2年)に開設されたこの駅舎は、米寿(88歳)を迎えた頃に解体が検討されたそうですが、地元の人たちの強い要望で歴史的な建造物として保存されることが決まり、2002年(平成14年)に改修工事が完了。今も地元の人たちに大切に使われています。

待合室に入ると、これまたなんとも懐かしい雰囲気がぷんぷんと漂っています。

ちょっとホームに出てみました。ここにはピカピカ光る電光掲示板など一切ありません。柱も屋根も木造で、やはりほぼ当時のままの姿が残されています。おもしろいのはV字型に伸びた屋根。電車に乗り降りする時に雨が落ちてこないようにしてあるのかな 

さて、南島原駅を出てまたしばらく歩くと、今度は島原街道の石碑を発見 説明板によると、『龍馬の長崎初上陸の地は島原だった ~龍馬が歩いた島原街道~』とあります。1868年に勝海舟が坂本龍馬を伴い初めて長崎に上陸したのがこの場所なのだとか。

この時は水が引いていましたが、満潮のときには船が入れるようになっているようです。ここから陸路を使って長崎まで歩いたんですね~。

龍馬上陸の地のすぐ目の前に交番がありますが、今は島原街道に関する無人の案内所となっています。それによると、龍馬達はここから雲仙を越えて、今の国道251号線に沿って、長崎まで歩いたようです。山越えより海沿いを歩いた方が楽だと思うけど、龍馬達は最短距離を選んだのでしょうね。今度は龍馬が歩いた街道を歩いてみたくなりました。来年のGWは島原街道歩きにしようかな~なんて思いを巡らせつつ、島原ウォークはまだまだ続きまーす

つづく

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GW長崎街道歩き3(鈴田峠~破籠井)

2011年06月11日 | 長崎街道

道すがらオドリコソウがたくさん咲いていました

いよいよ今年のGW街道歩きも最終回。全ての記事をアップするのになんと1ヶ月以上もかかってしまいました 途中ちょっとくじけそうになりましたが、全部の行程をご紹介したいので、最後までちゃんとアップします どうぞご笑覧くださいませ~

国道から鈴田峠に向かってどんどん上っていく私たち。平坦な道はいくら歩いても疲れないけど、上りはやっぱりしんどいな~ でもこの先の峠は自然がたくさん残っていて、昔の街道の雰囲気もそのまま保たれているステキな場所。去年はそこで念願のギンリョウソウに出会えたこともあり、気分はドキドキワクワク、テンションのkero-keroなのでした さて、今年も彼らに出会えるかな~

ここは渡辺伝弥久の墓。キリシタン大名大村純忠の家臣として活躍された方なのだそうです。自然石のお墓で、この辺りの街道の目印の一つにもなっています。

小さな野草が咲き連なる鈴田峠界隈。虫達も嬉しそうに花の蜜を吸いにきています。こちらはオミナエシ科のノジシャ。ヨーロッパではこの葉をサラダにするそうです。野にあるチシャで覚えましょう~

こちらはシソ科のカキドオシ。今年になってから覚えた花です。蔓(つる)が垣根の下を通り抜けるので「カキドオシ」というのだそうです。繁殖力が強いのでしょうね

こちらはシソ科のモモイロキランソウ。よく見るのは紫色だけど、ピンク色もあるんですね~

いよいよ峠が近づいてきました。この先からコンクリートの道が土の道に変わります。

しばらくすると細長~い柄を持つキノコを発見 よく伸びてるな~

おっ!ここにもキノコが

まるっこいホコリタケもいました~

腐った木の下からひょっこり!

天然のキノコってしょっちゅう見られる訳ではないから、見つけるとなんだか嬉しくなっちゃう キノコは落ち葉の隙間や倒木の周辺などによく生えているのですが、キノコが成長するには湿気だけでなく、光も必要。これらのポイントに気をつけながら森の中を歩くと、皆さんもきっと可愛らしいキノコたちに出会えますよ~

あ、街道歩くのにそんなアドバイスいらないか(笑)

鬼の足形石に到着~ 手前に大きな足形のようなものがあることから、そう言われているようです。大村藩と佐賀藩諫早領の境目となっていて、境石とも呼ばれています。オランダ商館医だったシーボルトもこの峠で大村藩役人の出迎えを受けたという記録があり、藩境の重要な場所だったのだとか。今でこそほとんど誰にも会わないような山道だけど、かつては様々な偉人達がこの場所を通ったのでしょうね。

さて、今回の街道歩きも終わりに近づいてきました。しかし、まだ彼らに会っていません。今年は会えないのかなぁと思っていると…

いたーっ 私が会いたかった彼ら、シャクジョウソウ科のギンリョウソウです 今年のギンリョウソウはうっすらピンク色を帯びていてとってもきれい

去年は気付かなかったけど、花の中はこんな風になってたんですね~ 黄色い部分が雄しべで、紫色の部分が雌しべです。ギンリョウソウは腐生植物(菌根を形成し、生活に必要な有機物を菌類から得ることで生活する植物)の一種で、花が咲く時以外は地上に出てこないんですって。

こうしてみると、目玉の親父の仲間みたいなのがいっぱいいるみたい(笑)

ギンリョウソウはこんな風に固まって生えていることが多いです。江戸時代も落ち葉の隙間からこんな風に旅人を見守っていたのかな 去年はたった一ヶ所でしか見つけることができませんでしたが、今年はどういうわけかたくさんのギンリョウソウと出会うことができました この時期に鈴田峠を歩けば必ず彼らに会えることを確信。来年もまた会いに来るからね~

この大きな岩は妊婦さんの大きなお腹に似ていることからどんばら岩と呼ばれています。今はバラバラになっていますが、昔は一つの大きな岩だったようです。どこにも標示はありませんが、この通り成人女性がすっぽり入るサイズなので容易に見つかると思います 鈴田峠を歩くときは探してみてくださいね~

ここは諫早側の峠の入り口。長崎街道の説明板が建ててあります。そういえば、去年はこの辺りにきれいな鶏が2~3羽いたのですが、今年は見当たりませんでした。どこに行っちゃったのかなぁ?

峠を抜けると、再びアスファルトの道が続く現代の世界へ。外に出ると急に蒸し暑くなって、三人とも汗をかき始めました いつもアスファルトの道ばかり歩いていると分からないけど、山の中とは暑さも空気も全然違います。アップダウンはあるけど、木陰がたくさんあって涼しいし、空気もおいしいし、いろんな植物達に出会えるし、やっぱり山はいい 今年のGWはトータルで30kmほど歩きましたが、鈴田峠のように昔の道がほとんどそのまま残っている場所はごくわずか。もし昔の旅人気分を味わいたくなったら、ぜひとも鈴田峠を歩いてみてください。そして私の大好きなギンリョウソウに出会ってください 長崎街道鈴田峠、kero-keroのイチオシでーす

また来年もみんなで街道歩きを楽しめますように

GW長崎街道歩き(完)

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GW長崎街道歩き3(岩松~鈴田峠)

2011年06月01日 | 長崎街道

5月5日(木)晴れ。この日は私の幼なじみtamiとうちの旦那さんと3人で岩松駅から鈴田峠を越えて、破籠井まで歩きます

岩松駅は無人の小さな小さな駅。この辺りまでJRで来ることはまずないので(いつもは車)、初めて下車しました。さあ、今日もたくさん歩くぞ~

国道34号線を渡って、早速街道に入ります。同級生のN夫妻のお家の横を通過~ ちょっとお邪魔しようかと思ったけど、まだ歩き始めたばっかりだったので、先を急ぎまーす。

街道の案内表示があったので、脇道に入りました。

お墓が並んでいます。昔はこの道がメインだったのでしょうね

この先は行き止まりでした

脇にある階段を下りて、再びもとの道に戻ります。

ここは白鳥橋。橋の下にはきれいな鈴田川が流れています。あ~河川敷に降りて遊びたいなぁ~なんて、ちょっと後ろ髪を引かれつつも次のポイントを目指します

鈴田一里塚跡を発見一里(約4km)ごとに建てられている道しるべです。

再び国道34号線の反対側へ。現在の国道はほぼ街道に沿って作られていますが、さすがに元通りとはいきません。

大神宮神社に到着~早速階段を上がってみましょう

こちらが大神宮の本殿です。決して大きくはありませんが、歴史を感じさせるなかなかステキな佇まいです。以前この辺り一帯は古松宿という宿場町で、この神社ももともとは古松権現という神社があったのが、大村藩主大村純信により再興された後、明治に入って他の神社と併せて大神宮になったのだとか。神社もステキですが、ここからの景色もきれいなので、街道歩きの休憩所としてもぴったりの場所です

さて、ここから鈴田峠に入っていきます。しばらく上り坂が続くのでじわ~っとしんどくなってきます

案内標識に従ってひたすら坂を上っていくと、旧街道に近い雰囲気が漂ってきました。去年はこの先で私の大好きなギンリョウソウに出会えたのですが、今年はどうでしょうか街道歩きはまだまだ続きます

つづく

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GW長崎街道歩き2(千綿宿~松原宿)

2011年06月01日 | 長崎街道

千綿駅の近くで見つけたど根性フラワー↑名前が分かりません

前回に引き続き、千綿駅の素敵な駅舎をもう少しだけご紹介しまーす

木造建築のこの駅舎の先は…

なんと海とても駅とは思えない景観でしょう?お天気が良ければもっと海の色がきれいなんでしょうけどね~

ご覧の通り、もちろんちゃんと線路もあります(笑)。よく見るとミラーには海が映ってるんですよ~ しつこいようですが、お天気が良ければもっと美しい景色が広がっているはず。また晴れた日に見に来てみようかな~ 普段なかなか降りることのないこの駅にすっかり魅せられてしまったkero-keroなのでした

さて、名残惜しくも千綿駅を後にし、またしても国道の反対側へと渡ります。

しばらく坂を上ると、千綿中学校の手前に柴取石を発見なんのために使われていたのかよく分かりませんが、街道の目印の一つとなっているようです。

再び雨が降り出しましたが、ひたすら街道を辿ります。

平原一里塚を通過。

案内標識に従って、再び坂を上ります。

左手にはいつも佐世保方面へ行くときに車で通る国道34号線が見えます。こんな所に道があるなんて知らなかったなぁ。

才貫田籠立場跡を通過。籠立場とは、藩主が街道を往来する際に籠を下ろして休憩した場所のことで、街道を歩いていると時折その跡を見ることができます。

再び線路沿いに出てきました。お地蔵さんが行き交う人々を見守っています。

松原地区へ突入!いよいよ、ゴールが見えてきましたよ~。

街道の目印として、さやの御前というものを事前にチェックしていたのですが、これがなかなか見つからない。というのも、なんとさやの御前はあるお宅の敷地内にあったのです

階段を上ると小さなほこらがあり、その中にはさやの御前さまが奉られていました。

ちなみにさやの御前さまは子孫繁栄の神様です。どうか子宝に恵まれますようにっと。

次に向かったのは鹿の島。昔は潮が引けば陸続きとなる島だったんですって。

階段を上ると祠があり、弁財天が奉られていました。かつてこの鹿の島は景勝地としても知られ、明治以降は料亭などが建てられ、避暑の客などで賑わっていたそうです。今はひっそりとしていて、当時の面影はほとんど見られません。

再び道草を食いながら街道を歩きます。kyouは海の生き物に興味津々。

街道の至る所にあるお地蔵さん。どれ一つ同じ顔のものはありません。

最後に訪れたのは、大きな天然石でできた相撲取りの墓。江戸時代にこの地から出たお相撲さん達のお墓で、しこ名は「大荒鷲岩」「秀の川」とあります。残念ながら当時どの程度活躍したかは分かっていないそうですが、地元の人たちによって今も大切に守られているようです

ついにゴールである松原駅に到着~この日はたまたまJR主催の野岳湖ウォークが行われていて、私たちと同じようにザックを抱えた人たちがたくさんいらっしゃいましたこの日の総歩行距離は約10km。甥っ子kyouは、途中お父さんにおんぶしてもらうこともありましたが、5歳のkyouも8歳のmizukiもここまでよく歩きました

帰りの電車の中ではこの通りお父さんの膝の上で爆睡でしたけどね(笑)。GW恒例の家族行事となりつつあるこのイベント。5歳~65歳まで参加でき、どの年齢層からもなかなか好評なので、来年もまた計画したいと思いまーす来年はもう少しお天気に恵まれますように

GW長崎街道歩きその2(完)

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GW長崎街道歩き2(彼杵宿~千綿宿)

2011年06月01日 | 長崎街道

見るところがたくさんあって、なかなか彼杵宿を出られない私たち。気がつけば歩き始めてからすでに一時間が経っていました ちょっと急ぎ足で道の駅そのぎの荘の裏にあるひさご塚へと向かいます。

ひさご塚は長崎県の代表的な古墳で、規模も県内最大級の前方後円墳。きれな緑色の芝生で覆われています。

こちらはひさご塚と同じ敷地内にある明治の民家。明治時代の中期に建設された古い民家が当時のまま保存されています。

中に入るとこれがまた結構広い 太陽の光が部屋いっぱいに差し込み、暖かい雰囲気が漂っていました。

民家の裏を歩いていると、生け垣の中から突然一匹の犬が姿を現し、「ワンワン!」と吠えられてしまいました お隣のわんちゃんのようですが、どうやらいつも垣根の隙間から人が通るのを待ち構えているようです。みんながびっくりしていると、この通り「驚いただろう」と言わんばかりのどや顔でその様子を伺っていました。あんまり脅かさないでね~

 

さて、そのぎの荘を後にした我々一行が次に目指すのは千綿駅。その途中で一本松一里塚跡を発見しました。街道沿いには一里(約4km)ごとにこのような塚が設けられており、旅人たちの道中の目印になっていたようです。ここからはただひたすら長崎街道の案内標識を辿りながら、街道を歩きます。

国道の脇に案内標識を発見!

タンポポの綿毛が揺らぐ田舎道を歩きます。

再び国道34号線に合流!

ラーメン屋さんが出てきたところで国道を横断します。国道は旧街道を分断して作られているので、国道の両サイドを行ったり来たりしながら歩かなくてはなりません。そのため、途中街道が分からなくなってしまうこともありました

しばらくすると、立派なお屋敷を発見このお屋敷は旧土肥家といって、長崎街道の宿場町として栄えた千綿宿の商家で、江戸時代から回船業を営み、日本茶輸出の先駆者である豪商大浦慶のお茶や農産物を出荷していたのだそうです。

家紋には小槌があしらわれています。商家の家紋とあって、お宝がざっくざっくと入ってきますようにとの願いが込められていたのでしょうか。

 

千綿宿には旧土肥家以外にも古い建物が多く現存していて、町を歩いていると一昔前にタイムスリップしたような気分になります。

ちょうどお昼ころ雨がぱらついてきたので、公民館のような建物の軒下をお借りしてお弁当を食べることに。道の駅で買った鯨カツを食べてみましたが、これがなかなか美味しかった 決して柔らかくはないけど、鯨独特の歯ごたえと風味がありました。ごちそうさまでした~

お昼休憩もそこそこに、街道歩き再開!龍頭泉道と書かれた石の標識から細い道へと入っていきます。

しばらく道沿いに歩いていると、これまた味のある民家を発見 なんだかいい雰囲気だなぁ~

こちらは六地蔵と書いてあるけど、どこにお地蔵さんがいるのかな~?

よくよく見ると、灯籠の上に六体のお地蔵さんが仲良く肩を並べて立っていましたしかしこのままだと緑色の葉っぱに覆われて見えなくなってしまいそうです

線路沿いに出てきました。目標とする千綿駅はもう目の前!5歳のkyouも疲れを見せながらも少しずつ歩みを進めます。

千綿駅に到着~ この木造の駅舎、ちょっとステキでしょ?色といい形といい、昭和の雰囲気がぷんぷん漂うレトロな駅舎です これから先もずっとこのままの姿で残してほしいなぁ。

ここまでの総歩行距離は約5km。チビたちもちょっと疲れてきたので、ここでちょっと一休みします。次回はこの駅舎からスタートします

つづく

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GW長崎街道歩き2(彼杵宿)

2011年06月01日 | 長崎街道

5月3日(火)曇り。この日は私の姪っ子と甥っ子を含むS家ファミリー6名と私と旦那さんの総勢8名で彼杵宿から松原宿まで歩きました。彼杵まではJRを使って彼杵駅で下車し、街道歩きスタート!

まず最初に立ち寄ったのは、こちらの鯨屋さん。和歌山で捕鯨の技術を学んだ沢義太夫(1584~1663)が五島の有川など各地で鯨を捕り、彼杵港に運び入れ、ここから各地に搬出したそうで、彼杵は今でも鯨と深い関わりのあるところなのです。ちなみに深沢義太夫という人は、鯨の販売で巨額の財をなしたにも関わらず、本人は贅沢をせず、大村藩の社会事業や農民援助などを行い、その私財を投じて灌漑用のため池として野岳湖を作ったのを最後に亡くなったのだとか。世の中には偉い人がいるものですね

次に訪れたのは彼杵宿本陣跡に鎮座する彼杵神社。ここは1633年に幕府の役人や大名が宿泊するための施設である本陣が建てられた場所で、現在の神社は1880年に遷宮されたようです。

一の鳥居をくぐると、その先には石畳の参道が続いていました。

本道の前には立派な獅子狛犬が阿吽の呼吸で参拝者を見守っています。

お賽銭を入れて、二礼、二拍手。

『どうか家族みんなが毎日笑顔で過ごせますように』

そして最後に一礼。

私のお願い、神様に届いたかな~?

 

次に立ち寄ったのは脇本陣跡。当時商業をしていた森家の一部を本陣の補助的な宿泊施設として使っていたそうですが、1752年に改築し、脇本陣として指定され、上級武士の宿泊所として利用されていたのだとか。紫陽花の葉っぱの中にその名残のようなものを発見しましたが、建物は残っていません。

おっ!こんなところに「行こか戻ろか思案橋」の名前が 長崎の思案橋といえば、言わずと知れた飲屋街。川向こうの花街丸山へ行こうか戻ろうかと思案したことがその名の由来です。もしかしたらまだ彼杵宿が宿場町として栄えていた頃、この辺りにも丸山のような遊郭があったのかな?それとも小倉から街道を辿ってきた旅人が、このまま歩いて行くか、船で長崎に入るか思案したのでしょうか?

海岸沿いの道を辿っていくと、八坂神社に到着しました。元禄船着場跡と言われる歴史ある港の側に建てられています。航海の安全を祈願して建立されたのでしょうか。

本堂は現在修復中のようで、その姿を見ることはできませんでした。残念!

5歳の甥っ子kyouは大きな松ぼっくりを両手にご満悦 よかったね

ピンク色の花を咲かせる多肉植物を発見マツバギクのようだけど、ちょっと違うような…。姪っ子mizukiが葉っぱを一枚いただいてペロリと舐めるとしょっぱい味がするというので、私も試しに舐めてみると本当にしょっぱい味がしました。おそらく海水を吸収して成長しているのでしょうね。おもしろい発見でした

八坂神社から少し歩いたところに、二十六聖人乗船場跡があります。豊臣秀吉の時代であった1597年1月9日、罪人として境を発った24人のキリスト教信者は、見せしめのため極寒の中850kmの道のりを歩かされ、1月31日に博多に到着。翌日さらに二人の信者が捕えられ、2月4日にこの港から処刑場のある長崎の西坂に向けて船に乗せられたのだとか。翌2月5日には26人全員が処刑され、キリスト教信者であるという理由で処刑された日本最初の殉教者となりました。

ちなみにこちらが長崎市内にある現在の西坂公園。キリスト教信者の悲しい歴史を伝えるため、当時処刑された26人の信者たちは現在は二十六聖人として奉られています。

再び彼杵に戻りまして、 こちらは二十六聖人乗船場跡からほど近い場所にある本町万部塔。その周りには藤棚があり、椅子が設けられているので、ちょうど良い休憩スポットとなっています。

石碑には『南無妙法蓮華経』と刻まれています。大村藩では江戸時代の初期、キリスト教の追放が強化された際、キリスト教から日蓮宗に改宗させたことから、このような塔が数多く建てられたのだとか。自分の思想さえ自由に語ることのできなかった時代だったんですね。人が大きな権力を持つとろくなことがありません。本当に。

『長崎街道歩きその2』はまだまだ続きます

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GW長崎街道歩き1(古賀~井樋尾)

2011年05月31日 | 長崎街道

気が付けばもう5月も終わり…。長いことブログを放置してしまい申し訳ありません とりあえず、前回の続きをアップします

八郎川を渡ってその先を左折すると、ちょっと細い道に入ります。さらにその先を長崎街道の案内標識に従って右折すると…

ほとんど誰も通らんやろうなぁ~と思わせるような道に出ました。頭上に見えるのは高速道路(長崎自動車道)です。

と、その先にステキなお店を発見ここはATRIE PATIOといって、私も以前何度か訪れたことのあるお店なのですが、最近リニューアルしてイタリア料理を出すようになったそうです。前日にした見に行ったとき、このお店のオーナーと奥様らしき方が、ランチのチラシを配っておられました。一度食べに行ってみたいなぁ

再び諫早方面へ向かってしばらく歩いていると、道沿いに役行者(えきのぎょうじゃ)神社を発見 役行者とは修験道の開祖で、奈良時代に活躍した伝説の人物で、悪霊を払いのける悪霊跋除の神として信仰されている神様なのだそうです。奈良県の葛城山福岡県の英彦山など、役行者が開山したと伝えられている道場は日本各地にあるのだとか。案内板には書いてありませんでしたが、この辺りの山にも役行者が訪れたのかも知れませんね

顔が三つもある不動明王っぽい雰囲気の像。よく見ると後ろから手が6本くらい出ていて、それぞれの手には斧や歯車のようなものなど、様々な道具を持っています。仕事の神様なのでしょうか!?

再び川沿いをどんどん歩いていきます。辺りはだんだん曇ってきて、今にも雨が降り出しそうな雰囲気。どうかまだ降らないで~!

こちらは街道の途中にある松井糀屋という名のお饅頭屋さん。もともとはその名の通り麹屋さんだったのだそうですが、10年くらい前からその麹を使ったお饅頭を販売するようになったのだそうです。ここの甘酒饅頭、とっても美味しいんですよ~ 一番人気は「すぶくれ」というあんこの入っていない饅頭。まとめ買いする人が多く、すぐに売り切れてしまうのだとか。たしかに麹の香りがふわっとして美味しいんだけど、私はやっぱりあんこ入りが好きだな 当然のごとく、お土産にいくつかゲット!さて、休憩もそこそこに先へ進みましょう

こちらはキリシタン殉教の碑。たくさんの人たちが迫害され命を落としてしまったのですね。信仰する宗教が違っても、お互いの価値観を尊敬できたらいいのになぁ。

この階段を上ると瑞宝寺があります。保育園が隣接されているためか、門は閉められているようです。

六十六部塔を発見六十六部とは全国六十六カ国の国分寺や一宮に法華経(大乗妙典)を納める諸国を巡る僧のこと。とある修行僧が道中の安全を祈念して納経を行い、建立したのがこの六十六部塔のようです。

再びてくてく歩いていると、フジの花が満開の藤棚茶屋跡に到着~ ちょうどGW期間中はこのように見事な花を咲かれてくれます フジの花を眺めながらの給水タイムは、旅の疲れが癒される貴重なひとときです

こちらは国指定の重要文化財に指定されている旧本田家住宅。何がそんなに重要なのかというと、この住宅は旧大村藩領古賀村に現存する、県下で最も古い農家住宅の1つで、推定建築年代は17~18世紀中頃とされています。住宅への入出は自由で、当時の農家の人たちの暮らしをちょっとだけ垣間みることができます。

旧本田家住宅を出て歩くこと30分、井樋尾岳のふもとにある領境石に到着しました。『従是東佐賀領』とありますから、ここから東が佐賀領、ここから西が大村領だったという目印です。昔はこんなところまで佐賀藩の領土だったのですね

この領境石からもう少し遠回りをして帰る予定でしたが、雨がぽつぽつと落ちてきたので、この日の街道巡りはここでおしまい。ここからは街道を外れてまっすぐ帰路につきました。今回の総歩行距離はおよそ10km。雨風にも負けず、4人とも無事にゴールすることができました~ F夫妻さま、大変お疲れさまでした。またいつかご一緒しましょうね~

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GW長崎街道歩き1(矢上宿~古賀)

2011年05月12日 | 長崎街道

去年に引き続き、今年のGWも敢えて旅行などはせず、旦那さんと一緒に長崎街道歩きに行ってきました。今年は参加者が増えたため、4月30日はF家夫妻と、5月3日は私の両親を初めとするS家ファミリーと、5月4日は友人Tamiと、それぞれ別々のメンバーと別々のコースを歩くことに。企画好きの私はさっそく三日分の要項を作成し、街道の地図を添付してそれぞれのメンバーに事前に配布。後はお天気が良くなることを祈るのみだったのですが、運の良いことに三日間とも大きな天気の崩れはなく、全て予定通り実施することができました

まずは4月30日に歩いた矢上宿から井樋尾の様子をご紹介します

スタート地点は長崎市矢上町にある番所橋。手前の方へ行くと諫早方面、奥の方へ行くと長崎方面です。ここまではバスを使いました。まずは国道を渡って、国道の脇に平行する長崎街道を歩きます。

 

早速街道沿いに矢上番所跡の石碑を発見お隣にはどこからやってきたのか分からない鬼瓦が、まるでこの場所を守っているかのように鎮座していました。何か由来があるのかなと思って辺りを見回しましたが、何も見つけることはできませんでした。怖いというよりはなんだか優しげな表情の鬼瓦。これから歩き始める私たちに「頑張れよー!」と声をかけてくれているようです

続いて本陣と脇本陣についての説明板を発見これによると、現在長崎自動車学校がある場所に矢上宿の本陣が、矢上小学校付近に脇本陣があったそうです。本陣とは長崎警備のため往来する大名や幕府関係者、いわゆるお偉いさんの宿泊場所や休憩所だった場所で、脇本陣とはその大名達の家来や馬の宿があった場所なのだとか。やはりお偉いさんと家来は同じ場所には宿泊できなかったのですね

こちらは矢上八幡神社の大楠。この神社は寛文7年(1667年)に創建されたそうですが、このクスの木はもっと以前からあったものだと言われているそうです。硬いコンクリートの階段の上にもしっかりと根を張り、今もなおその幹を少しずつ太らせ、たくさんの葉をつける姿に神々しさを感じました

境内で恵比寿さんを発見恵比寿さんは七福神の一人で、生業を守り福をもたらす神様です。左脇には鯛を抱えています。

またまた恵比寿さんを発見八幡神社から矢上神社へ行く途中で発見しました。やはりこちらの恵比寿さんも左脇に鯛を抱えています

次に訪れたのは矢上神社。一の鳥居から入って三の鳥居まである立派な神社です。その歴史は730年以上に遡り、長崎市内では最も古いお社と言われているそうです。

 

表には矢上宿跡の石碑がありました。三の鳥居の奥には本殿があります。

こちらが矢上神社の本殿。お供え物(?)の目録が書かれた紙がたくさん貼られていました。

境内で月の模様が入った灯籠を見つけました。この形、なんかステキだなぁ 灯籠好きな私の母が見たら喜びそうです

おやおやー?またまた恵比寿さん今度はちょっとおちょぼ口の恵比寿さんです。誰かに似てるなぁと思ったら、中学校の時の英語のT先生に似てる(笑)。それにしても、街道沿いにこんなに恵比寿さんがあるなんてびっくりです。いったい何体あるんだろう?くまなく探せばもっと見つかりそうです

八郎川沿いの道ばたに、長崎大水害の石碑を発見長崎大水害とは昭和57年7月23日から24日の未明に掛けて長崎市内を中心とした地域に発生した集中豪雨により、この八郎川を含む様々な川が氾濫し、国道34号線が寸断され、たくさんの家屋が被害にあった歴史に残る災害の1つで、この災害の教訓により記録的短時間大雨情報が創設されたのだとか。どうかこの水害の教訓がこの先々も生かされますように。

しかし、この日は本当に風が強かった ご覧の通り、鯉のぼりの竿も強風でぐにゃりとしなり、鯉達も大空へ飛んで行ってしまいそうです さて、ここからは八郎川を渡って脇道の方へ左折し、昔から植木屋さんの多い古賀地区へ入って行きます。この先は道が細いので、車では滅多に通ることはありませんが、歩いてみると昔の街道を思わせる神社や茶屋の跡などがいくつか残っていて、なかなかおもしろいですよ行程で言えばまだ三分の一くらいですが、もうちょっと長くなるので、ここらで一旦アップしまーす

GW長崎街道歩きその1(2)へ続く

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長崎街道歩き3 花ノ木~久山編

2010年07月09日 | 長崎街道

ショックです…。なんと何時間もかけていろいろ調べて、やっとこさアップした記事が全部消えてしまいました はぁ~、凹むなぁ~…。全部は思い出せないし、前回ほど事細かに記事を書く気力もありませんが、気を取り直してもう一度『花ノ木~久山編』アップしたいと思います。

旧本田家から井樋之尾の見境石まで来た道を戻って、今度は花ノ木方面へ。

この辺りは車も少ないし自然がいっぱいなので歩くのにはもってこいです。空気も美味しくて気持ちが良いですよ~

 

ずっと坂を上って行くと、心天(ところてん)の石鉢を発見!案内標示が立っている場所から少しだけ坂を下ると、かつて旅人達に振舞うために作られたところてんを冷やしたと言われる石鉢がありました。夏の暑い日に食べる冷えたところてん。どんなにか旅人の喉を潤したことでしょう ちなみにところてんは「心太」とも表記するそうです。覚えておきましょう~。

次に立ち寄ったのは井樋之尾観世音。入り口には優しいピンク色のシャクナゲが咲いていて、なんだかステキな雰囲気を漂わせています。

境内にはお寺とも神社とも見てとれるような小さなお社がありました。でも観音様がいるということはやっぱりお寺かな?

この井樋之尾館世音の由来は以下の通りです。

井樋之尾観世音は寛永14(1637)年島原の乱のおり切支丹宗徒等の一揆は神社仏閣の焼討ち打壊しを行った。

いち早く乱を察知した肥前国高来郡有馬村・諫巳寺の僧、永誉敬庵主は一揆が立て篭もった有馬氏の廃城・原城北三の丸に安置されてた聖観音像を捧持し法類の喜々津村の正法寺を頼って艱難辛苦の旅を続けた。

その最中、豊かな清水の湧き出る井樋之尾御手洗の地に到り、ここぞ観音様を、お祭りするにふさわしい霊地であると正法寺の末庵を建立したのが井樋之尾観音の創始である。

なんとこちらに祀られている観音様は、キリスト教徒の焼き討ちから逃れるために遠く島原からいらしたようです。ここでは現在も清水が湧いているようで、この日も水を汲みに来ている方がいらっしゃいました。

観音様がいらした仏閣からもう少し歩いたところに、清水の祠という湧き水スポットを発見しました。最近こちらまで飲用水を汲みに来るようになったという義理の父の話によると、こちらの水は大変質がよいらしく、連日たくさんの人がポリタンクを持って水を汲みに来るのだとか。こんな近場に水汲み場があったとは知らなかったなぁ。

ちょうどお腹も減ってきた頃に、御籠立場跡に到着しました。案内板によると、ここは江戸時代末に喜々津の武士前田郡蔵氏の土地で、殿様がここで休息をした際に伺候したと言われている場所です。

殿様が休んだと言われるこの場所で、我々もお昼休憩をとることにしました。外で食べるおにぎりはやっぱりうまいっ!くせになりそうです

 

お昼も食べてさらに街道歩きを続けていると、いつの間にか久山ゾーンに入っていました。久山には街道にちなんだ言葉が書かれてある板が道の両側にずらりと並んでいる場所があって、その道沿いには昔の街道の雰囲気を取り戻そうと、松の植樹もされていました。 左の写真はたぬき絵の画家として知られている長崎出身の堤けんじさんによって書かれたもので、右の写真は以下の羽根突き歌の最後の一節です。

まちで(長崎)で まんじゅうこうて(買って)
日見で 火もろうて
矢上で やいて
古賀で こんがらがして
喜々津で 切って
久山で うちくうた(食べてしまった)

この歌、ご存知ですか?長崎県民の方なら聞き覚えがあるかもしれませんね。ちなみに私は最近知りましたけどね

さらに街道を歩いていくと、旧茶屋の井戸にたどり着きました。長崎奉行をはじめ、幕府の大名やオランダ商館長、また多くの維新の志士達が通ったとされる長崎街道。もしかしたらあの坂本龍馬もこの井戸の水を飲んだかもしれませんね~

最後に訪れたのは、農林試験場の敷地内にあるお馬の水。ここも清水の祠と同じように水が湧いていて、街道を通る馬に水を飲ませた場所なのだそうです。このように要所要所に水分補給ができる場所があったために、人々が行き交うようになり、次第に街道として成り立っていったのかも知れませんね。

初めてじっくりと街道を歩いてみて、今まで気づかなかったステキな場所を発見したり、今まで知らなかった地元長崎の歴史に触れることができました。この日歩いた距離はおよそ9km。長崎から小倉までは約224kmあるそうなので、そのほんの20分の1にも満たない距離でしたが、なかなか良い運動になりました。普段運動をしない旦那さんも、意外と難なく歩けたので、どうやら歩くのに自信がついたようです。どこまで達成できるかわかりませんが、旦那さんのダイエットも兼ねて、これからも少しずつ長崎街道歩きを続けて行きたいと思います

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長崎街道歩き2  旧本田家住宅

2010年06月12日 | 長崎街道
(街道沿いにある旧本田家の案内標示)
 
次に向かったのは旧本田家住宅。以前から国道沿いに出ている看板を見て、一体どんなお家なんだろう?と気になってはいたのですが、今まで一度も行ったことはありませんでした。国道に看板を出すくらいだから、さぞかし立派なお屋敷なんだろうと勝手に想像を膨らませていたら、なんと、そこには私の想像とは全くかけ離れた住宅が残されていたのです
 
 
ここが旧本田家住宅への入り口。辺りを見回すと、たくさんの緑が生い茂っていて、とても立派な住宅があるとは思えない雰囲気です これまで持っていたイメージとの違いに若干戸惑いつつも、住宅へ続く小道を一歩一歩進んでいくと…

 
なんと!まるで日本昔話にでも出てきそうな藁葺き屋根のお家が現れたではありませんか  実はこの旧本田家住宅は、約250年くらい前に建てられた農家のお家なのだそうで(詳細は不明とのこと)、昭和46年に国の重要文化財に指定され、今もほぼ昔のままその姿が残されているのです。

 
外観もさることながら、住宅の中に入ると(勝手に入れます)まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような感覚を覚えます。まだ電化製品など皆無であった時代の日本に思いを馳せながら、住宅内部をじっくりと見学させていただきました。
 
 
こちらは梁に取り付けられた竹組の収納。
藁を収納することで断熱の効果もあったかも知れませんね
 
 
こちらは昔ながらの梁。釘を使わずうまい具合に組まれています。
 
そしてこちらは台所。
毎回火をおこすのも大変だっただろうな~
 
 私達の生活とはまるで違う250年前の生活。たった250年で人々の生活はこんなにも大きく様変わりしてしまったのですね。特にこの半世紀のうちに科学技術がみるみるうちに進歩し、機械がご飯を炊いたり、お風呂を沸かしたりしてくれるのが当たり前になってしまった今、私達は自分の手で生活する術をどんどん失いつつあるような気がします。もし私が250年前の日本にタイムスリップして、その時代の人たちと生活を共にすることになったら、「こんなこともできないの?」って笑われちゃうだろうな 
 
文明の利器に頼りつつも、自分でできることは自分でやる。
昔の人に笑われないためにも、そんな生活を送っていきたいと思うkero-keroなのでした。

街道歩きはまだまだ続きます 

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