I Love Nature

自然の中で見つけたステキなモノ

小値賀島ツアー その3

2011年08月30日 | 五島のお話

古民家レストラン藤松にて

さて、そろそろお腹がすいてきたので、島の東部にある古民家レストラン藤松へランチを食べにいきましょう~

藤松があるのは島の東部にある前方郷という場所で、空港からだと車で5分くらいのところにあるのですが、途中で道に迷ってしまい、気がつけば島の北部にある柳郷という場所にいた私たち。それから軌道修正して藤松に着いた時には、空港からすでに30分ほど経っていました小さな島とはいえ、細い道が入り組んでいて、道を一本間違うとどこにいるか分からなくなっちゃうんですよね~県道も町道も道幅があまり変わらないし、県道の標示もほとんど無いので、初めての人にはちょっと分かりにくいかも…なんて言い訳してみたりして。まぁ、ここで迷ったおかげで『中村』『三方坂』という二つの分岐ポイントを発見することができたのでよかったんですけどね~

こちらが古民家レストラン藤松の入り口です。ピンク色のサルスベリの花がお腹を空かせた私たちを出迎えてくれました

ここ藤松は、もともとは捕鯨と酒造りで栄えた藤松家の豪邸で、最後の家主さんが亡くなられて30年間も空き家になっていた家を改装してできたお店です。2年前にオープンしたばかりなのですが、テレビや雑誌などでも紹介され、今では小値賀観光の目玉の一つとなっています。

普段は日本料理メインで夜だけ営業しているそうですが、土日限定でランチタイムに合わせてカフェもやっているとのこと。お店の方のお話では、料理長はカレーにこだわりがあるらしく、カレーは特製カレースタミナカレーの二種類がありました。

tamiは特製カレー(850円)を、私はとりから定食(950円)を注文。カレーも気になったけど、「柚胡椒卸しポン酢」に惹かれちゃいましたどちらも美味しかったですよ~本来なら刺身メインの本日のきまぐれドリンクセット(プチデザート付き)を頼むところですが、晩ご飯もこちらでいただくことになっていたので、おそらく同じものを夜に食べられるだろうと敢えてパス。後のお楽しみにとっておきましょう~

玄関先の棚に飾られていたカエルの一輪挿しが可愛くて思わずパチリ。もしかしたら、お香立てをアレンジしてるのかしら?

こちらは中庭。お屋敷の周りは自由に散策できるようになっています。

槙の木のアーチの先には、なんと藤松家専用の船着場が!今は島の南側にあるターミナルがメインの港になっていますが、昔はこちらの方がメインだったんですって。どれだけお金持ちだったんでしょうね~

船着き場からは野崎島を望むことができます。野崎島にはかつては三つの集落があり、600人ほどの人々が暮らしていたそうですが、現在は廃校になった学校を利用してできた自然学塾村という宿泊施設の管理人と400頭ほどの野生のシカが住むのみ。人々は離村したものの、野首天主堂というレンガ造りのステキな教会が現在も残されており、そこもまた小値賀観光スポットの一つとなっています。小値賀島からは町営船「はまゆう」で約30分。トレッキングもできるようなので、来年あたり訪れてみようかと企み中~

レストラン藤松の傍らにある浜辺には大きなアコウの木もあります。五島列島にはこのようなアコウの巨木が何本かあるのですが(玉之浦のアコウ、樫之浦のアコウ、奈良尾のアコウなど)こちらのアコウも立派です

色鮮やかなカニさんもたくさんいましたよ~ありのままの自然がたくさん残されているから、この島では植物たちや動物たちがとっても生き生きとしています。さて、お腹も満たされたことだし、そろそろ出掛けましょう午後からは島の西部を散策します

その4へ続く


小値賀島ツアー その2

2011年08月30日 | 五島のお話

牛の塔入り口にて

レンタカーに乗り込み、いよいよ小値賀島の中を巡ります。今回の運転手担当はtami、ナビ担当は私kero-keroとなり、港でもらった小値賀島の地図を片手にLet's goまずは島の南東部から攻めましょう~

小値賀港のある笛吹郷を抜けて、県道161号線を海岸沿いにちょこっと行った所に、早速最初のチェックポイントである牛の塔を発見

しかしここには説明板などなく、何やら文字の書かれた石碑が祀られているだけで、なぜここが『牛の塔』と呼ばれてるのかよく分かりません。後で調べてみると、昔この小値賀島は大近小近という二つの島に分かれており、1300年頃その二つの島の海峡部分を埋め立てて田んぼを作る工事を行ったのだそうです。その工事は困難を極め、当時主要な労働力であった多くの牛達が犠牲になったため、石に経文を刻んだもの(一字一石経)を舟瀬の浜に埋め、その上に供養塔を建てたことが由来となっているのだとか。この島が元は二つの島だったんですね~

牛の塔の前にはなぜかお髭の立派なヤギさんが一匹繋がれていました。もしかして君もおぢかアイランドツーリズムのスタッフさんかい?

こちらは牛の塔のすぐ目の前にある船瀬海水浴場。お天気もあまり良くなかったし、もうお盆も済んでいたからか、浜辺には人っ子一人いませんでした。晴れてたら海がもっときれいに見えるんだろうけどな~

次に訪れたのは赤浜海岸公園。きれいな緑色の芝生の中には子どもが喜びそうなアスレチックがあり、ちょっとしたピクニックにはもってこいの場所です。しかしやはりこの曇天のせいか、ここでも人っ子一人見当たりませんでした

海岸の方に出ようと広場の先にある階段を下ろうとしたのですが、なんと草がぼうぼうに生い茂っていて通れないではありませんか~なんとか途中まで下ってはみたものの、草むらはますます深くなっていくばかり。間違いなくこの先に赤浜海岸があるはずなのに、どうにもこうにも前に進めず、二人とも階段の途中で立ち往生してしまいましたしかしその時、すぐ近くで「ウィーン…」という車の音が「もしかしたら車で行く道がすぐ近くにあるかも」と思い直した我々は、階段を下るのを諦めて赤浜海岸へ続く車道を探すことに。

すると案の定すぐ近くに車道がありましたよ。そちらからだと難なく赤浜海岸にたどり着きました赤浜海岸公園』の標示をちょっと通り過ぎた所に『赤浜海岸』の標示があるのですが、きっと港方面から来る観光客は私たちと同じようなことになるでしょうねぇ公園からも草が生い茂ってさえいなければちゃんと海岸に出られるはずなので、できれば階段の草だけでも刈っておいていただけるとありがたいですネ

ここ赤浜海岸は読んで字のごとくどういうわけか砂が赤い実はこの小値賀島は火山活動によってできた島で、この赤浜の近くには火山の噴火口跡があり、火山活動の影響で酸化鉄が多く含まれているため砂が赤いのだとか。そういえば福江島の鬼岳温泉も鉄分が多くて赤かったなぁ。あれと同じようなものかな?

次に目指したのは、今はもうすでに閉鎖されている小値賀空港。れんが造りの教会をイメージして建てられたのか、中央にはステンドグラスがはめ込まれています。この空港は人里離れた場所にあり、これまた人の気配がほとんどありません。ここへ来る途中きれいな桜並木があって、春はピンク色のアーチとなるのでしょうが、今となってはそこを通る人も私たちのような観光客くらいかもしれません。

以前は福岡空港長崎空港へ就航していたそうですが、2004年に福岡便が、2006年には長崎便が休止となり、今は飛行機のいない滑走路が残っているのみ。離島の空港ではだいたい離発着時にしか飛行機が停まらないので、閉鎖される前もこんな感じではあったのでしょうけど、やはり飛行機のない空港というのは寂しいものです。今でも管理室(というのかな?)には人がいて、空港の管理をされているようですが、私たち一般人は建物の中に入ることはできませんでした。残念

とても小さな島とはいえ、初めて上陸した場所で、大まかな地図しか持たずに島巡りへと出掛けた私たち。しかも地図上では県道も私道も田畑を縫うような細い道もみんなほぼ同じ太さで描かれているので、どれがどの道なのかイマイチ把握できません。そしてこの先何度もUターンを繰り返すことになるのですが…。長くなってきたので、この続きはまた今度!

その3へ続く


小値賀島ツアー その1

2011年08月25日 | 五島のお話

佐世保港にて

8月20日(土)~21日(日)、旅仲間のtamiと一緒に五島列島の北部に位置する小値賀(おぢか)島へ行ってきました~

では早速小値賀がどんな所なのかをちょっとだけご紹介します! 

長崎県北松浦郡小値賀町

人口 2989名(2011年7月現在)

面積 25.46平方km
   (小値賀島は12.22平方kmで、他に大小17の島を含む)

有人島 小値賀島・斑島・黒島・大島・納島・六島

HP 長崎県小値賀町へようこそ!!

これだけ見ても、本当に小さな島だということがわかります。でも島にはちゃんと高校まであるんですよ。学校にも少しお邪魔してきたので、その様子はまた後ほどご紹介したいと思います

諫早から小値賀島へ行くには、佐世保港から九州商船が運行するジェットフォイル(高速船)かフェリーに乗るのが一番手っ取り早いです。(*長崎港からは小値賀への便は出ていないのでご注意を!)諫早IC~東彼杵ICだけ高速を使うと、一時間ちょっとで佐世保港に到着します。事前に電話でジェットフォイルを予約しておいたので、予約番号を告げて早速チケットを購入!

ジェットフォイルの1便は9:20発で、小値賀島までは約1時間20分ほどかかります。2枚組の回数券を買うと、一人4000円なので正規料金よりもなんと960円もお得です♪二人旅の時はオススメですよ~

ジェットフォイルの中は椅子席が並んでいて、座席に座ってテレビを見ながら船旅を楽しむことができます。福江航路と比べると随分小さいけど、こちらの方が新しそう

「椅子に座るよりも横になった方が楽!」という人にはコチラのスペースがオススメ福江航路のジェットフォイルにはありませんが、上五島航路のジェットフォイルには船の前後にこのように横になれるスペースも少しだけあるのです。こんな感じでごろごろしている間に、あっという間に小値賀島に着きました

こちらは小値賀港ターミナル。島の南部に位置する小値賀島の玄関口です。建物はとてもきれいで、佐世保港よりもずっと明るくていい!福江港もそうですが、この10年くらいの間に県内の離島の主要な港のほとんどは建て替えられていて、どこもきれいなんですよ~小値賀アイランドツーリズムのカウンターで地図をもらって、いざ出発

と、その前に、今回の旅のお供をご紹介します。こちらおぢか自動車さんからお借りしたレンタカーのワゴンRくんです計画当初は自転車で島内を廻ろうと思っていたのですが、以前この島に仕事で五年間住んでいた高校のバスケ部の後輩であるokaに相談したところ、「絶対車の方が良いですよ!」と言われたので、okaに紹介でこちらのレンタカーを格安で貸していただきましたそしてokaの言う通り、「やっぱりレンタカーを借りてよかった!」という場面に何度も出くわすのでしたoka、いろんなアドバイスをありがとね

一日目のコースはこちら!

小値賀港ターミナル → 牛の塔 →船瀬海水浴場 → 赤浜海岸公園 → 小値賀港 →古民家レストラン藤松 → 膳所城跡 → 愛宕山園地 → 唐見崎 → 姫の松原 → 小値賀中学校 → 柿の浜海水浴場 → 長崎鼻 → 白浜海水浴場 → 浜崎鼻キャンプゴルフ場 → 斑島 → ポットホール

小さな島ですが、ネイチャー好きの私にとっては見所が盛りだくさん!ネイチャーツアーで一番気になるのはお天気ですが、予報によるとこの週末は曇りまたは雨さてはて、今回はどんな旅になるのでしょうか?

小値賀島ツアーの始まり始まり~

その2へ続く


夏の雲仙登山

2011年08月22日 | 山のお話

8月12日(土)晴れ。旦那さんと一緒に雲仙に登ってきました~

実は今回の登山はただの登山ではなく、旦那さんが携わっている全国高等学校総合文化祭に関わるイベントの一つで、2年後に長崎県で開催される全国総文祭に向けて雲仙で行われるフィールドワークのガイドを養成するため、山を歩きながら地質学専門の先生と植物学専門の先生が県内の自然科学専門部に所属する生徒達に雲仙の地形や植生についてレクチャーして下さるという、ちょっと特別な登山なのです。なんとそのイベントに私もモグリで参加させてもらえるということで、旦那さんよりもむしろ私の方がワクワクしながら、旦那さんと二人で集合場所である雲仙仁田峠へと車を走らせました。雲仙へ行く途中、山に近づくにつれて私のテンションがどんどん上がっていくのを察したのか、旦那さんから「生徒の前に出ちゃダメだよー」と何度も釘を刺されました。よっぽど楽しそうにしてたんでしょうね~、私(笑)。

地質学の先生は教育センター主任指導主事であり、現在は雲仙岳災害記念館研究員をされている寺井邦久先生。雲仙の地形がどのようにして形成されていったのかを詳しく教えてくださり、約7万年前に野岳カルデラ(*カルデラとは火山活動によって形成された窪地のこと)が形成され、その中に約1~2万年前に妙見カルデラが形成され、さらにその中に4~5千年前に普賢岳国見岳が形成されたことを知りました。他にも千々石断層のお話、興味深いお話が盛りだくさんでした。実際の地形を目で見ながら説明を受けると、本や図鑑で見るより何倍も説得力がありますよね

妙見岳からはゴルフ場温泉街おしどり池を望むことができました。この地形も全て火山活動によって形成されたものだそうです。

雲の下辺りに見えているのが千々石断層。ちょっと見えにくいかな~ちなみに左側の海は橘湾です。

妙見カルデラの崖を下っているところ。ここが一番の難所でした。上りより下りの方が危険なんですよね~

こちらは仁田峠から見た景色。遠くに見える雲の線は、湿度100%の境目なのだそうです標高が100m高くなると気温が0.6度下がるので、下界と比べると標高1080mの仁田峠ではおよそ−6度、標高1333mの妙見岳ではおよそ−8度であることも教えてくださいました。ということは諫早が34度くらいなら、妙見岳の気温は26度くらいということになります。どうりで涼しい訳だ~学生の頃習ったようなこともいろいろ教えてくださったので、ちょっとだけ脳が活性化されたような気分になりました

植物学の先生は諫早市自然保護協会の理事であり、県民の森案内人でもある宮崎正隆先生。現地でお会いするまで気付かなかったのですが、先生はなんと私の父と古くから交友があり(私の母と先生の奥様も!)、うちの旦那さんの同級生のお父さんでもありましたお名前は以前父から聞いたことがあったのですが、まさかこんな形でお会いするとは。これも何かのご縁なのでしょうね先生は時折このように紙とペンを使いながら、植物の名前の由来や雲仙の植生の特徴などをユーモラスに語ってくださいました。お話の中でも印象深かったのは、標高1300mほどになると宮城県の気候とほぼ同じになるということ。確かに今回私たちが登った妙見岳付近では、下界ではほとんど聞くことのできない暑さに弱いミンミンゼミの「ミーンミンミンミン…」という風流な鳴き声をあちらこちらで聞くことができたのです長崎でありながら、植生や生態系からするとここは東北なのですね

では、この時に見つけた雲仙の草花達をご紹介します

キク科ヒヨドリバナ

ユキノシタ科ノリウツギ

ユリ科ホソバシュロソウ

オトギリソウ科オトギリソウ…かな?

 

キキョウ科ホタルブクロ

バラ科シモツケ

シソ科ウツボグサ(上:花、下:花が枯れた後)

タデ科ハナタデ

セリ科ハナウド

ユキノシタ科ヤマアジサイ

これは分かりませんでした

ユリ科ヤマホトトギス

う~ん、これも分からない。宮崎先生に聞けば良かった

キク科モミジガサ

そうそう!宮崎先生のお話でもう一つ興味深かったのは、雲仙には多種多様のカエデが自生しているということ。

 

葉っぱの形は違うけど、これらは全部カエデの仲間なのだそうです。その特徴としては葉の付き方が対生(茎の節に二枚の葉が向かい合って付くこと)であるということ。これには今まで気が付きませんでした。寺田先生、宮崎先生、いろいろとレクチャーしていただき、本当にありがとうございました

高校生の皆さん、そして各学校の先生方、大変お疲れ様でした!2013年の総文祭に向けてこれからもっと多忙になってくるとは思いますが、お体にはくれぐれも気をつけて、総文祭の成功を目指して頑張ってくださいねまたこのような機会がありましたら、一声かけていただけるととても嬉しく思います。生徒さん達の前に出るようなことは決していたしませんので~(笑)どうぞよろしくお願いしまーす


青螺山トッレキング その3

2011年08月10日 | 山のお話

青螺山山頂でお昼ご飯休憩を45分ほどとった後、別コースから下山開始!下りの方が危険な場所が多いので、軍手をはめていざ出発~

途中大きなキノコを発見なんと私の手より大きかったですなんていうキノコかな?

下山を始めて20分ほどで青螺御前に到着~岩ばかりで名前札を立てる場所が無かったのか、岩の上に名前札が置いてありましたここからは急な傾斜が続きます。

またまたキノコを発見しました苔を突き破って出てきていましたよ~

この辺りが一番きつかったかなり急な下りが長く続くので膝がカクカク笑い始めます景色は最高でしたけどね

下の方まで下ってくると、川が現れました川のせせらぎが耳に優しく響きます

随分下ってきた所に、真新しい名札がついているシダを発見ホソバノコギリシダって珍しい種類のシダなのかな?

ここまでくればカクカク笑っていた膝も落ち着いて、後は緑の森の中を楽しんで歩くのみフィトンチッドをたっぷり浴びて、体の疲れを癒しましょう~

ん?そういえばフィトンチッドってどういう意味なんだろう?

Wikipediaによると、その由来は、

1930年ごろロシアのボリス・トーキンが、植物を傷つけるとその周囲にいる細菌などが死ぬ現象を発見した。ボリス・トーキンはこれを植物が周囲に何らかの揮発性物質を放出したためと考えて、この物質をフィトンチッドと命名した。フィトンチッドは「植物」を意味する「Phyto」と「殺す」を意味する「cide」から作られた造語である。

とのこと。

森の中に漂う体をリラックスさせてくれる成分だと思って、なんとなくこの言葉を使っていたのですが、「植物:phyto」+「殺す:cide」=「フィトンチッド:phytoncide」だったとは知りませんでした

 

目の前に木の橋が見えてきました。橋の上からはいくつかの小さな滝を望むことができます。水の流れ落ちる音を聞きながらしばらくぼ~っと眺めていたいな~

橋の奥には祠のようなものがあって、観音様らしき仏像がお祀りされているようでした。

下り始めてから約2時間ほどで龍門ダムの駐車場に帰ってきました~10時に歩き始めて15時に到着したので、休憩を含めて約5時間のトレッキングでした。下りは傾斜がきつくて足にきたけど、上りはロープやチェーンが垂れ下がったプチ難所が数多くあって、その分ワクワク感も達成感もたくさん味わえる楽しいコースでした

この後、例のごとく温泉施設へ向かったのですが、最近NHKの某番組により運動後30分以内に牛乳を300ミリリットル飲むと、血液量が増して夏バテしにくい体になる」という豆知識を得た隊長は、それを実践すべく車で山を少し下った所にあるスーパーに立寄り、牛乳を一本購入。用意周到な隊長より紙コップが配られ、それに1リットルの牛乳を4人で分けて、そのスーパーの駐車場でゴクゴク頂いたのですが(←なかなかおもしろい光景でした)、これがまたよく冷えてて美味しかったこの時期、運動後の一杯は冷えた牛乳がオススメでーす

牛乳を飲んだ後は、佐賀県杵島郡山内町にある隊長オススメの黒髪の森温泉でゆったりとお風呂に浸かり、疲労した筋肉をほぐしました。こちらの温泉はもともと足湯だけだったそうですが、2008年に浴場が完成し、入浴ができるようになったのだとか。小さな施設でサウナなどはありませんが、源泉掛け流しでとても気持ちのよいお湯でした。入湯料も大人400円と良心的なお値段です。ひっそりとした場所にある隠れ家的温泉なので場所は分かりにくいかもしれませんが、黒髪山の名所乳待坊の麓にありますので、興味のある方は探してみてくださいネ!

隊長、副隊長、T島先生、今回も楽しいひとときをありがとうございましたまだまだ登山初心者なので、今後ともいろいろと山の知識をご教授くださいませ♪また皆さんとご一緒できる日を楽しみにしています

青螺山トレッキング(完)


被爆地ナガサキより

2011年08月09日 | いろんなお話

66年前の今日、8月9日午前11時2分、長崎に一発の原子爆弾が落とされました。死者は7万4千人を超え、今日までに亡くなられた被爆者の数は15万5千人以上にも上ります。この人類史上最悪とも言える出来事を風化させないよう、また人類が二度と同じ過ちを繰り返すことのないよう、長崎県内の小中高校では毎年8月9日を登校日とし、各学校で平和教育を行い、11時2分には各地で一斉に鳴らされるサイレンの音とともに、一分間の黙祷を捧げます。私が通った学校では、原爆により被爆した方々の写真を体育館に展示したり、戦争に関するアニメーションを放映したり、原爆の歌を歌ったり、実際に被爆者の方の体験談を聞いたりと、様々な平和教育が行われていました。写真の中には目を逸らしたくなるほど悲惨なものもありましたが、そのような教育があったからこそ、幼い頃から原爆の恐ろしさを認識し、核兵器は絶対に使ってはいけないという思いを今日まで持ち続けることができたのだと思います。

今日は旦那さんと一緒に10時35分から長崎市平和公園で行われる平和記念式典に参列しに行ってきました。私たちが着いた時にはもう満席で会場内には入れず、入り口付近に設置されていたモニターで式典の進行を見守りました。毎年長崎市長が行う平和宣言の内容に注目しているのですが、今年は3月11日の東日本大震災に伴う福島原子力発電所の事故にも言及し、核の利用について再度考え方を改めるべきだという警鐘を全世界に向けて発信してくれたと思います。(平和宣言の全文はコチラ→『平成23年長崎平和宣言』English →『Nagasaki Peace Declaration 2011』

今年の平和宣言文の中から一部抜粋してご紹介します。

 

福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました。

世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。

核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないでしょうか。核兵器が使われることはないと思い込んでいないでしょうか。1か所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはずです。

世界の皆さん、考えてみてください。私たちが暮らす都市の上空でヒロシマ・ナガサキの数百倍も強大になった核兵器の恐ろしさを。

人もモノも溶かしてしまうほどの強烈な熱戦。建物をも吹き飛ばし押しつぶす凄まじい爆風。廃墟には数え切れないほどの黒こげの死体が散乱するでしょう。生死のさかいでさまよう人々。傷を負った人々。生存者がいたとしても、強い放射能のために助けに行くこともできません。放射性物質は風に乗り、遠くへ運ばれ、地球は広く汚染されます。そして数十年にもわたり後障害に苦しむ人々を生むことになります。

そんな苦しみを未来の人たちに経験させることは絶対にできません。核兵器はいらない。核兵器を人類が保有する理由はなにもありません。

Many people once believed the myth of the safety of nuclear power plants, from some moment in the past to the occurence of the nuclear power station accident in Fukushima.

What about the more than 20,000 nuclear weapons in the world?

Do we still believe that the world is safer thanks to nuclear deterrence? Do we still take it for granted that no nuclear weapons will ever be used again? Now seeing how the radiation released by an accident at just a single nuclear power station is causing such considerable confusion in society, we can clearly understand how inhumane it is to attack people with nuclear weapons.

We call upon all people in the world to simply imagine how terrifying it would be if a nuclear weapon hundreds of times more powerful than the Hiroshima and Nagasaki atomic bombs were to be exploded in the sky above our cities.

While intense heat rays would melt human beings and anything else nearby, horrific blast winds would fling buildings through the air and crush them instantly. A countless number of charred bodies would be scattered among the ruins. Some people would hover between life and death, while others would suffer from their injuries. Even if there were survivors, the intense radioactivity would prevent any rescue efforts. Radioactive substances would be carried far away by the wind to all corners of the world, resulting in widespread contamination of the earth's environment, and in affecting people with a plague of health effects for generations to come.

We must never allow anyone in the future to experience such agony. Nuclear weapons are never needed. No reason can ever justify human beings possessing even one nuclear weapon.


1945年8月6日午前8時15分に広島にウラン型原子爆弾が投下され、そのわずか3日後の8月9日午前11時2分に長崎にプルトニウム型原子爆弾が投下されました。違う型の原子爆弾が使用されたのは、その破壊力を比較するためとも言われています。そのために20万人以上の人々が犠牲になったという事実を、皆さんはどのように受け止めるでしょうか。被爆者の高齢化が進み、生き証人が激減し、戦争の体験が語られなくなってしまおうとしている今、戦争を知らない世代である私たちがもっと戦争の歴史に関心を持ち、実際に起こった出来事と戦争の悲惨さを次の世代に伝えていかなければなりません。そのためには、長崎と広島だけではなく、日本全国の学校で平和教育が行われるべきだと思っています。それができないのであれば、せめて8月6日と9日には広島と長崎で起こったことについて家族や友人達と話をして欲しい。今年の宣言文の中で長崎市の田上市長が提言した『小さな原爆展』(詳しくはコチラ→『ミニミニ原爆展』)もぜひ全国に広がっていくといいなぁと思います。

平和な世界を築くためには、相手を憎むことではなく、歴史を知ることから始めましょう。知ることから学び、そして未来に向けて考えましょう。私自身もまだまだ歴史認識が浅いので、これからもっと世界のことに関心を持って勉強し、世界の人たちと平和について共に語り合える人間になっていきたいと思います。

どうか一日も早く世界の人たちが核の恐怖から解放される日が訪れますように。

被爆地ナガサキより、平和への祈りを込めて。


青螺山トッレキング その2

2011年08月08日 | 山のお話

再び青螺山トレッキングのお話です

コーヒーブレイクを終えた後、10分ほど歩くと青牧峠(あおまきとうげ)に到着しました。ここから青螺山の山頂までもう一息頑張りましょう!

 

あと少しで山頂だ~!と思いきや、再び私たちの前にいくつかの大きな岩が立ちはだかります。「こんな感じで登ってきてくださーい」と軽快な足取りで岩を登って行く隊長とは対照的に、両手両足を使って木の根を伝ったり、ロープをうまく使って登らなければならないプチ難所の連続に「こんなとこ本当に登るのー?」と若干弱腰の副隊長。4ヶ月ぶりのリハビリ登山にしてはちょっとハードだったようですが、なんだかんだ言いながらしっかりとした足取りでこれらの難所をクリアしておられました

ふと横を見ると、一歩足を踏み外せばどこまでも下に転がっていきそうな一枚岩の崖。その光景に一瞬背筋がゾ~ッとするのを感じるのと同時に、この黒髪山一帯に広がる奇岩の独特な美しさに見とれてしまうkero-keroなのでした。

木の隙間から下を眺めると、眼下には西有田の風景が広がっていました。真ん中に見えるのが龍門ダムで、そのダムの少し下の方に見えるのが、私たちが車を止めた駐車場です。こうして見ると随分高い所まで歩いてきたことを実感します

さて、山頂まであと少し!光が見えてきたぞ~

着きました~ここが青螺山の頂上です。標高は618mで、長崎市で一番高い八郎岳より少し高いくらいの山です。山頂には小さな先客が二人いて、話を聞いてみると、どうやらお母さんとおじいちゃんを置いて二人だけで一足先に登頂したようです。すごいね~

ここからは伊万里市を一望することができます。左手の方には伊万里湾も見えますよ~ 

ちびっこ二人から遅れること数分、お母さんとおじいちゃんも山頂に到着~夏休みのいい思い出になったね

待ちに待った山頂でのランチタイム。やはり景色の良い場所で食べるご飯は格別です不覚にも写真を撮りそびれてしまったのですが、T小登山隊の名物となりつつある隊長手作りのデザートは、今回はコーヒーゼリー(ガムシロップ&ミルク付き!)でしたちゃんと保冷剤の中に入れてきてくださったので、この暑さの中でも全く溶けることもなく、美味しくいただきました隊長、いつもいつも本当にありがとうございます

ご飯もデザートもお腹いっぱい食べて、体力も十分回復したところで、別ルートから龍門ダムまで下山します。でも実は上りよりも下りの方が苦手な私にとっては、ここからの方がきつかった青螺山登山はもう少し続きまーす

続く


青螺山トレッキング その1

2011年08月07日 | 山のお話

7月30日(土)晴れ。2ヶ月ぶりにT小登山隊のメンバーと佐賀県西松浦郡有田町にある青螺山(せいらざん)に登ってきました。今回のメンバーは隊長N先生・副隊長S先生・T島先生・私の4人。皆勤賞だったtamiは、残念ながら今回はお仕事の都合で参加を断念。副隊長とは約4ヶ月ぶりの再会で、相変わらずダンディーでお茶目なS先生だったのですが、以前と比べると多少恰幅がよくなられたような…そんなちょっぴり緩んでしまった体を引き締めるべく、汗をかきかき頑張ったT小登山隊の夏山登山。今回はどんな展開が待っているのでしょう?では、はじまりはじまり~

朝8:30に大村のT小に集合し、車を乗り合わせてまずは佐賀県にある龍門ダムを目指します。途中コンビ二でお昼ご飯を調達し、10:00に龍門ダムのキャンプ場に到着。広い駐車場に車を停め、トレッキングシューズに履き替え、いざ青螺山(620m)山頂を目指します

登り始めて数分。この小さな案内標示を見落としていた我々は、早速ルートを間違えてしまい、あっと言う間に逆戻り~いつも入念に下見をしてくださる隊長も「何で間違えたんだろう?」と首を傾げておられましたが、山の中って同じような景色が多いので、いつどこで迷ってもおかしくない世界。この標示も足下にあり、小さくて分かりにくいので、皆さんも最初のところで間違えないようご注意ください~

森の中では変わった形のキノコの姿をよく見かけました。去年の秋頃tamiとキノコ探しをした時も結構いろんなキノコが生えていましたけど、夏はまた違った種類のキノコが見られるようです

 

山頂までは急な傾斜が多く、ロープを使ったり、岩のゴツゴツしたところに足をかけて登ったりと、ワクワクするようなポイントが盛りだくさん!童心に返ってはしゃいでしまいました

案内標示を確認しながら、青牧峠(あおまきとうげ)方面へと登って行きます。急な傾斜はまだまだ続きます。

土の中から一本だけぽつんと生えているツチアケビを発見ツチアケビはギンリョウソウと同じく森林内に生息する腐生植物(根菌を形成し、生活に必要な有機物を菌類から得て生活をする植物)ですが、とても背が高く真っ赤な実をつけるので、ギンリョウソウより見つけやすいです。名前の中に「アケビ」とありますが、実は食べられないのでご注意を~

歩き始めて約1時間20分、森の中でちょっと腰を下ろしてコーヒーブレイク温かいコーヒーとお菓子をお腹に入れてパワーを充電します。

実は私、真夏の本格的な登山は初めてで、かなり暑いだろうと予測していたのですが、実際に登ってみると森の中って意外と涼しいんですね~直射日光はほとんどあまり入ってこないし、木々達が常に水分を放出してくれているから、下界と比べるとかなり涼しいのです。時々森の中に風が吹き抜けると、これがまたすごく心地くて、なんとも言えない清涼感まぁそれなりに汗はかきますけどね

次回は青牧峠から青螺山山頂を目指しまーす

続く


黒木渓谷トレッキング その4

2011年08月06日 | 山のお話

山から少し下ってきた所に郡川砂防公園という自然の渓流を整備したなかなかステキな公園があります。黒木渓谷トレッキングの後にトイレ休憩で立ち寄ったのですが、ちょっと川の方へ下りてみることにしました

どうです?ここ、ステキでしょ?この時は人っ子一人いませんでしたが、夏は多くの人で賑わう川遊びスポットなのです

新緑の鮮やかな緑色が水鏡に映っていてとってもきれい水遊びしたら気持ちいいだろうなぁ

何か生き物がいないかなぁ~と水の中を覗いてみると、小さなエビがたくさん泳いでいるのを発見五島の潮溜まりにいたイソスジエビによく似ています

tamiとT島先生がすばしっこいエビを素手でGETぴょんっと跳ねてすぐ逃げちゃうけど、二人の協力によりなんとかその姿を写真に収めることができました「可愛い~」というより「素揚げしたら美味しそう~」と思ってしまうのは離島生活が長かったせいでしょうか(笑)

人工のプールにはないたくさんの小さな命がこの渓流の中には息づいています。こんな風に大人も夢中になってしまうほど魅力的な場所なのですから、好奇心旺盛な子ども達ならもっと喜ぶでしょうねこの夏、姪っ子達も連れて行ってあげようかな

この後、いつものように嬉野にあるシーボルトの湯へ。嬉野のぬるっとしたお湯にゆっくりと浸かり、トレッキングで疲れた体を癒します

お風呂上がりに隊長が「すりこぎ茶」なるものを振る舞ってくださいました緑茶をすりこぎで粉状にし、そこにお湯を注いで飲むのですが、緑茶の成分を丸ごと頂けて体にもいいそうです。ただし、食後すぐに飲むとカテキンが鉄分の吸収を阻害するということもある(実際に隊長が飲み続けた結果、血液中の鉄分が減少したそう)ようなので、食間に飲むことをオススメします

物知りな隊長が温泉の後に連れて行ってくださったのは、東彼杵町にある大川ストアー。ここの釜あげとうふがオススメということで、お土産に一丁買ってみましたこれ、本当に美味しかったですお豆腐好きの方はぜひ食べてみてくださいね

黒木渓谷トレッキングのお話はこれでおしまい。次はいよいよ7月30日(土)の佐賀県有田町の青螺山トレッキングをアップします

黒木渓谷トレッキング(完)


黒木渓谷トレッキング その3

2011年08月06日 | 山のお話

隊長に「きびだんご」ならぬ「よもぎだんご」を頂いてパワーを充電した我々一行は、再びいくつかの滝を求めて歩みを進めます。ここまではいつものように順調ですが、この先でT小登山隊初のちょっと危険な出会いも…

ではでは、続きをご覧ください

少し開けた道の途中で、イノシシが掘り返した跡らしきものを発見今までトレッキング中にイノシシに出会ったことはありませんが、彼らは確かにここで生活を営んでいるようです

しばらく歩いていると、またまた小さな滝を発見黒木は小さな滝の宝庫ですなぁ

ふと目線を下げてみると、真っ赤なカニがカシャカシャと音を立てながら、落ち葉の上を歩いているではありませんか~ボールペンでちょんちょんとつついてみると、見事なファイティングポーズを見せてくれました。イタズラしてごめんなさいね

真っ白なウツギの花が咲く森の中を歩いて行くと、足下にいろんな花を見つけました。

ほとんど等間隔に並んだほぼ同じ長さの花柄(かへい)の先にぷらんぷらんと花を下げているこの植物はナルコユリ。枝を振ったらからんからんって音がしそうです。

 

写真左はフタリシズカ。これは穂状花序が一本しか出ていませんが、二本出ていることが多いので、能楽の「二人静」の静御前とその亡霊の舞姿に例えて、その名が付けられたのだとか。写真右はタツナミソウで、この名前は花の形が海に立つ波の形に似ていることに由来します。

真っ白な花を咲かせるウツギとは対照的に、真っ赤な花を咲かせているのはミツバツツジ。よく公園などに植樹されているツツジと比べると花が小振りで可愛らしく、私はこちらの方が好みですこんな風にいろんなお花に出会えるのが春のトレッキングの醍醐味の一つ。野草好きの私にはたまりません

こちらは隊長オススメの滝。標示も何もない所からちょっと急な斜面を下った所にひっそりと流れる、知る人ぞ知る名もなき滝なのですここ、絶対一人じゃ来れないよなぁ。「連れてって」って言われても間違いなく無理です

今回は山頂ではなく道ばたでお昼ご飯を食べ、順調に帰路についていた私たちでしたが、ゴールまでもう少しの所で先頭を歩いていた隊長が突然「わぁっ」といつになく大きな声を上げました。「どうしたんですか」と隊長の元に駆け寄ると…

 

なんと足下に大きなヘビが横たわっているではありませんか~しかもただのヘビではなく、どうやらマムシのようです。隊長はあと一歩で踏んづけてしまうところだったのですが、直前に気付いたのでギリギリセーフでした。通り道にマムシがいるなんてビックリだったけど、マムシもマムシで踏まれそうになってビックリしていたかもしれませんね~この時期はいろんな虫達が活動的になっているので要注意です

歩き始めて約3時間ほどで元の場所にもどってきました。雨もぱらついてきたので、今回は早めに退散することに。小さな滝をたくさん巡った黒木渓谷のトレッキングはこれでおしまいですが、この後ちょっと楽しい寄り道をしたので、その様子までまた次回ご紹介しますね

もうちょっと続く


黒木渓谷トレッキング その2

2011年08月06日 | 山のお話

樹齢230年と言われる大モミを後にして、我々T小登山隊一行は五家原岳方面へと進んで行きます。さてはて、ここからはいったいどんな山道が我々を待っているのでしょうか?

「きれいな川のせせらぎが聞こえる!なんだか心地よいね~」なんて言いながら歩いていると、ボロボロに崩れた橋を発見これじゃ向こうに渡れないよ~と思っていたら、奥の方に新しい橋が架かっているではありませんか

説明板によると、この橋は小川内瀧見橋といって、黒木在住の井川吉春さんという方のご好意により木材の提供を受け、緊急に架設された橋なのだそうです。そのため「自己責任で安全確認の上、ご利用ください」とのこと。気をつけて渡りましょう~

この橋は丸太を渡しただけの簡単な作りなので、手すりも何もありません。ちょっとスリリングだけど、こういう橋を渡るのってワクワクしちゃいますよね♪

このルートにはこのような小さな滝がいくつもあります。トレッキングの途中に滝や川があると、なんだか嬉しくなっちゃう。川の流れる音も、澄んだ水の色も、水の冷たさも、すべて私の五感を楽しませてくれるから。私たちはもともと水の中から生まれてきたのだから、知らず知らずの間に水を求めているのかもしれませんね。

道すがら、ギンリョウソウにも出会いました。やはりこの不思議な姿形には無性に惹かれてしまいます

この岩の隙間から流れ落ちてくる感じ、風流ですね~さんずいに竜と書いて「滝(たき)」と読むけど、本当に緑の森の中を白い竜が登って行くようです。

歩き始めて二時間弱。大きな岩の上で恒例のおやつタイムです

今回はなんと隊長がよもぎだんごを作ってきてくれました~とっても美味しそう

この串に刺さっているところがまたステキでしょう?ますます食欲がそそられますよね~もちろん、お味の方もちゃんとよもぎの味がして、大変美味しゅうございました隊長、いつもいつも本当にありがとうございます

新緑の中を川のせせらぎと小鳥達のさえずりを聞きながら歩くトレッキングはまだまだ続きまーす

続く


黒木渓谷トレッキング その1

2011年08月06日 | 山のお話

先週末、T小登山隊のメンバーと西有田の龍門峡から青螺山へ登ってきました。その様子をアップしようと思い写真を整理していると、5月21日の黒木渓谷トレッキングをアップしていないことが判明アップしたと思ってたんですけどね~というわけで、もう2ヶ月以上前のお話ですが、先にそちらの方をアップしたいと思います

この時のメンバーは、隊長・T島先生・tami・私の4人。萱瀬ダムを過ぎ、黒木小学校辺りから左に下りてちょっと行ったところにある駐車場で隊長&T島先生と合流し、登山口までもう少し車を走らせます。

近くに車を停め、まずは樹齢200年とも言われる大モミを求めてLet's go

黒木渓谷のお水はとってもきれい 川の水に気を取られて足を滑らせないように気をつけて渡りましょう~。

登ったり下ったりしながら、大モミの木を目指します。案内表示があちこちに出ているので迷うことはありません。

とある木の枝から伸びていた無数の気根。この根っこで空気中の水分を吸収したり、余分な水分を排出したりするそうです。これも自然界の中で生きる植物達の知恵の産物

炭焼き窯の跡がありました。どの山に登っても大抵見かけるご先祖様の仕事場の跡です。昔の人たちの生活は今と違って山と密接に繋がっていたのでしょうね。木は木材となり、燃料となり、人々の暮らしには欠かせない大切な資源だったのですから。

とっても存在感のある大きな木を発見これはイタジイというシイの木の一種で、皆さんご存知のドングリをつける木。ドングリはデンプン質に富み、生でも食べられることから、縄文時代には重要な食料であったと言われ、近年でも軽く煎って子どものおやつに用いられていたそうです。私も子どもの頃食べたことがあるような、ないような…。

 

入り口からわずか30分ほどで大モミの姿が見えてきました 森の中でもひと際目立つこの大モミさんの側に腰を下ろし、ちょっと一休み。

幹周り563cm、樹高39m、樹齢(推定)230年の大モミの木。写真じゃその大きさがよく分からないので、tami(身長155cmくらい?)の大きさと比較してみましょう。

はい、いかがでしょう?高さはtamiの約26倍くらいです。伝わりましたか?伝わらなかったらごめんなさい。山の中だと遠くから全体を写すこともできないし、高さをうまくお伝えできるようなアングルってなかなか見つからないんですよね しかもこの大モミ、斜面に立っているので、下から写すのも至難の業。もっと写真の撮り方を研究しなきゃだなぁ。

こちらは大モミの樹皮。人の皮膚と同じように幹の表面を乾燥から守ってくれます。あちこちにヒビが入っていたり、部分的に剥げ落ちいている所があったりして、この木が今まで生きてきた長い歴史を感じます。

萱瀬の大モミさん、これからもこの場所でずっと長生きしてくださいねきっとまた会いに行くので、その時までお元気で!黒木渓谷トレッキングはまだまだ続きまーす

つづく


口之津の花火大会

2011年08月06日 | いろんなお話

7月17日(日)晴れ。この数日前、「口之津の花火大会に行ってみる?」という旦那さんのステキな提案に、当然のごとく「行く」と返事をした花火好きの私。前日から教員免許更新講習を丸二日間びっちり受けてぐったりだったけど、花火観賞は別腹!(って食べる訳じゃないけど)というわけで、夕方から南島原市口之津町まで花火を見に行ってきました~

諫早インター辺りくらいからだと、距離にして50km以上はあるので、途中にあるレストランでご飯を食べ、ドライブを楽しみながら、ちょうど花火が始まる20:30頃会場に到着。港の近くの駐車場はもういっぱいだったので、少し離れたところに車を止め、歩道からゆったりと花火を観賞しました

毎年、海の日を祝うために行われるお祭り『マリンフェスタinくちのつ』のフェナーレを飾るのが、この2000発の花火。よくよく見ていると、いろんな形の花火があるものです。

ひゅるるルルルル……ドーン

花火の美しさもさることながら、この音がたまらない

この辺りはよく見かける花火。風流ですな~

中にはこんな変わった花火も!

ニコちゃんマークに

お魚?

ハートマークに

円の形。

でもやっぱりこういうのが迫力あって好きだなぁ こんな風に大きな花火を見ると思わず

「た~まや~っ!」

って叫びたくなっちゃいます。

……ん?そういえば、なんで花火を見るときに「たーまやー」って言うんだろう?ネットで調べてみると、おもしろいことが分かりました。「玉屋」というのは江戸に実在した花火屋さんで、その玉屋と「鍵屋」という花火屋さんが、かつて現在の隅田川を挟んで上流と下流に分かれて花火の技を競い合っていた時にかけられていたのがこのかけ声なのだとか。それが今も一般的なかけ声として残っているのだそうです。なるほど。私たちは無意識のうちに江戸時代からこのかけ声を引き継いできたのですね。このかけ声のルーツを知り、自分たちの祖先との繋がりを感じることができて、ますます花火が好きになったkero-keroなのでした。失われていく文化もあれば、こうして自然と継承されていく文化もあるのですね。次回からは江戸時代の花火職人さん達に思いを馳せながら、このかけ声をかけてみようと思いますたーまやー!」「かーぎやー!」