I Love Nature

自然の中で見つけたステキなモノ

諫早市十二支公園

2012年04月16日 | いろんなお話

このような案内板が目印です

『諫早市十二支公園』ってご存知ですか?

私は諫早で生まれ育ちながら去年までその存在を全く知りませんでした

諌早市には市街地を中心として右回りに子の公園から亥の公園まで十二の公園があります。それに気付いたのはちょうど約1年前。旦那さんと家の近くをウォーキングしていると、『戌の公園』を見つけたのがきっかけでした。「戌があるのならその他の干支の公園もあるのでは?」と気になってインターネットで調べてみると、十二支全ての公園が旧諫早市内にあることが判明。しかしそれらがいつどういった経緯でできたのかは不明の上、どこにあるかを詳しく書いている人はほとんどおらず、詳細は分からず仕舞いでした。ところが最近、母とドライブをしていたところ、道を間違えて入ったところに『酉の公園』を発見再びその他の公園がどこにあるかを調べたくなり、詳しく検索してみると、全ての公園がそれぞれ何町にあるのかが分かってきました。いくつかのヒントを手がかりに実際に訪れてみると、その多くが人里離れた場所にあり、辿り着くまでにかなり難儀した場所も…とりあえず全ての場所が判明したので、難易度・町名・ポイント(見所)・駐車場の有無を中心に一ヶ所ずつご紹介しまーす

『子 緑豊の里』 難易度:☆☆☆☆☆

場所:本野町
ポイント:昭和天皇ご成婚記念に作られた運動場。何も見えない展望台。八重桜。
駐車場:きれいな駐車場あり

ここが一番難しかった諫早方面からだとまず本野入口から右折。次に二股の交差点を右折してひたすら道なりに湯野尾町を目指します。棚掛から川頭の間辺りにあったと思うのですが、そこからの詳しい順路は説明できません一度は林道に迷い込み、道を聞いたおばあちゃんには「山ん中はさるくもんじゃなか。猪の出てあぶなかぞ。」とご忠告をいただきましたそんな場所なので、行かれる方は十分ご注意を

『丑 赤岩名水広場』 難易度:☆☆☆☆

場所:大場町
ポイント:大きな岩。ピカチュウのよだれかけをしたお地蔵様。巨大な蔓。
駐車場:道端 

御手水観音を通り過ぎてずっとまっすぐ道なりにいくと辿り着きます。路肩が狭いので注意が必要谷間にあり、目の前には大きな川が流れているので、夏場は涼しそうな場所です。御手水観音の手前に案内板が出ているので、比較的分かりやすいのですが、結構山奥にあるので難易度は☆4つ。

『寅 青岩と観音の滝』 難易度:☆☆☆

場所:御手水町
ポイント:岩に描かれた磨崖仏。数本の小さな滝。そうめん流し。
駐車場:少し離れた場所に広めの駐車場あり

御手水観音のある場所が寅の公園に指定されていました。桜や紅葉がたくさんあって四季折々の景色を楽しめそうなステキな場所です。ある程度メジャーな場所なのですが、山の中にあり、途中の道も狭いので難易度は☆3つ。

『卯 龍王公園』 難易度:☆☆

場所:長田町
ポイント:長田村時代のものと思われる古い石碑。近くの土手におもしろい案山子数体。
駐車場:道端 

干拓の里方面から不知火橋を渡る手前の堤にあります。この時期は土手にシバザクラが咲いているので、そこを目指して脇道に入っていくと辿り着きました。写真でも確認できる通りとても小さな公園で、なぜ『広場』と呼ばれているのかは甚だ疑問です

『辰 赤とんぼ広場』 難易度:☆

場所:小野島町
ポイント:干拓の里のお隣。メタセコイヤの並木。子どもがハマる楽しいシーソー。
駐車場:干拓の里に多数あり 

干拓の里の駐車場をずっと奥の方まで入っていくと、左手に入り口が見えます。遊具はシーソーが一台あるのみですが、生きた化石と呼ばれるメタセコイヤの木がたくさん植えられていて、リースの装飾用にもなる可愛らしい実が採取できます

『巳 宗方公演』 難易度:☆

場所:宗方町
ポイント:桜の木。広場。吊り橋。ダム。キャンプ場。トイレあり。
駐車場:整備された広い駐車場あり

諫早方面からだと、国道57号線を小野小学校から右折してひたすらまっすぐ進むとすぐに見つかります。梅の木ダムの周辺に整備された公園で、景観もよく、お散歩にはもってこいの場所です。遊具は一つしかありませんが、子どもを連れて遊びに来ても楽しめそうな、十二支の中で最も広くてきれいな公園ですよ~

『午 平家と大杉の里』 難易度:☆☆

場所:小川町
ポイント:国の天然記念物に指定されている巨大な杉の木。女夫木バス停の目の前。
駐車場:道端 

雲仙方面に向かって、国道57号線を小川町交差点から右折し、ひたすらまっすぐ行くと見つかります。駐車場と思わしき場所はバスのUターンポイントなので注意落雷により割れたという杉の木にはたくさんの留め具が施され、その隣には避雷針まで設置されています。満身創痍とはまさにこのことですな

*過去の記事はコチラ!この時は十二支公園とは気付いていませんでした

『羊 南風の海浜公園』 難易度:☆☆☆

場所:早見町
ポイント:目の前に広がる海。愛嬌のある大黒様。歳大明神。諫早の名木クロガネモチ。
駐車場: あり

諫早方面からだと国道57号線を鷲崎交差点から右折。国道251号線にぶつかったら右折し、有喜中学校を過ぎてしばらく行ったところの左手に案内板があります。あとは案内板の矢印に従って海の方へどんどん下っていくだけ。途中道が細いので離合には注意が必要です目の前には海が広がり、見晴らしが良くてとても気持ちがいい公園ですよ~

『申 天狗と大蔵の里』 難易度:☆☆☆ 

場所:土師野尾町
ポイント:立派なモミジの木。サクラとヤブツバキ。土俵。
駐車場:道端

八天狗の大きな鳥居から中に入ってしばらく道なりに進むと、左手に案内板があります。そこから細い道に入って、少~しだけ広くなっているところに車を停め、少し辺りを散策すると見つかります。階段を上った先には土俵があり、『稲妻大蔵と天狗が相撲をとったという民話がある』と書かれてありました。モミジの新緑も見事でしたが、紅葉の時期も訪れてみたいものです

『酉 蔦木の森』 難易度:☆☆

場所:津久葉町
ポイント:社殿に続くたくさんの真っ赤な鳥居。東屋。サクラ。
駐車場:広い駐車場あり。

中核工業団地の中にあるひっそりとした公園。久山方面からだと、土師野尾ダムに繋がる道の一本手前の道を右折して突き当たった場所にあります。比較的きれいに整備された公園なのですが、人目につかない場所にあるせいかほとんど人が来る様子はありません。良い公園なんですけどねぇ… 

『戌 久山城山公園』 難易度:☆☆

場所:久山町
ポイント:歳神社から続く長い階段。サクラの木多数。テーブル付きベンチ。
駐車場: 神社に少しあり

久山町にある歳神社の鳥居付近に案内板があり、神社の脇にある階段をひたすら上っていくとその頂上にあります。見晴らしは特に良くありませんが、階段が結構長いので、体を鍛えるためのウォーキングにはもってこいの場所ですよベンチもあるので、お弁当を持ってピクニックに来てもいいかもしれませんね

*過去の記事はコチラ

『亥 諫江見渡しの丘』 難易度:☆☆☆

場所:下大渡野町
ポイント:長崎街道筋。神武天皇縁の地。立派なサクラの木多数。見晴らし良好。
駐車場:数台あり。 

旧国道34号線を諫早駅の裏から大村方面へ行くと、北バイパスとぶつかる道の左手に案内板があり、そこの急な坂をずんずん上っていくとこの公園があります。路肩が狭い上に急なので、運転は十分注意してください「見渡しの丘」と呼ばれるだけあって、最も見晴らしの良い公園でした


こうして十二支公園全てを巡ってみると、どこも市街地から車で20~30分の距離にあることが分かり、旧諌早市がどのくらいの広さであったのかを実感することができました。平成の大合併により、2005年に諫早が飯盛町・森山町・高来町・小長井町・多良見町と合併してからはその面積が格段に広がり、端っこに住む人たちは不便を強いられているのではないかと心配になってしまいました。行政が行き届く大きさとしては合併前の方が良かったのでしょうけどね。

しかし地元にもまだまだ知らない場所がたくさんあるなぁ。地元にいる間にもっといろんな場所を発掘したいと思ったkero-keroなのでした。もし十二支公園を訪れてみたいと思われた方は、とにかく運転には十分気を付けてくださいね離合できない場所もたくさんありますので、バイク所有の方はバイクで行かれた方がいいかと思います。歩いて巡ったら…う~ん、さすがに一日では回れないかな。数カ所に分けて歩くのも楽しいかもしれません。もし興味があれば、私が独断で決めた難易度をご確認の上、足を伸ばしてみてくださーい


久々に松尾家へ

2012年03月22日 | いろんなお話

松尾家の朝ご飯

『寒波の影響で長崎市内の露地ビワはほぼ全滅』

そんなニュースが流れてきたのは、ちょうど3月の初め頃だったでしょうか。そのニュースを聞いて、ほぼ毎年ビワの出荷のお手伝いに行っている野母崎の松尾さん家のビワが心配になり、久々にお泊りセットを持って野母崎へ行ってきました

いつも私を温かく出迎えてくれるお父さんとお母さん。例のごとく、私がいつもの場所に車を停めると、すぐに畑仕事を止めて「おーい」と手を振りながら満面の笑みで迎えてくださいました

家に入ると薪ストーブから放たれる柔らかな温かさを帯びた心地よい熱と優しい炭の香りに包まれ、その上にかけられた白いホーローのポットからは香ばしいコーヒーの香りが漂ってきます。この空間が私はたまらなく好き

私の手みやげを お茶うけに、しばし3人でコーヒーブレイク。案の定、松尾家のビワは他のビワと同じように全滅だそうで、寒さで果実の芽が枯れてしまったとのこと。完全無農薬栽培の松尾家のビワは親戚にも好評で、今年もあちこちに送りたかったのですが、残念ながらそれは叶わなくなってしまいました。やはり我々は自然の力に抗う事はできませんが、それが土と共に生きるということ。自然の治癒力を信じて、来年はビワの樹々が再びたわわに果実を実らせてくれる事を期待しましょう

コーヒーブレイクの後はちょこっとだけ畑のお手伝い。長崎市にあるイタリアンレストラン『ピアチェーボレ』にお届けするイタリアンパセリの収穫を任されたので、籠いっぱいに収穫しました~フレッシュなパセリの香りに包まれてとっても幸せ

お手伝いの後は晩ご飯の準備に取りかかります。と、その前に「デザートにみかんを取りに行きましょう!」とお母さんがみかん山へと連れて行ってくれました。 みかん山には八朔、甘夏、レモン、ライムなど様々な柑橘類が植えられていて、しばらく見ないうちにどれも大きく育っていてビックリ最初にお手伝いに来た7年くらい前はもっと小さかったのになぁ

お次はメインのブラウンシチュー作りのお手伝い。お母さんの指示に従い、小麦粉をサラダ油でじっくりローストする事40~50分、シチューのルーが完成しました最初は粉っぽかったのにこんなにサラサラになるなんて不思議~奥の土鍋ではお母さんが事前にとっておいてくれた鶏ガラスープでお肉と野菜をグツグツ煮込んでいます。ルーはそのまま入れるとダマになるので、少しずつスープで延ばしてある程度馴染んだら土鍋へ投入~ 

後は薪ストーブの上でコトコトと煮込みます。すっごく美味しそうでしょう?(ってこの写真は食べた後に撮ったものですけどね

私が来るまで取っておいてくれたワインで乾杯3人での宴会が始まります。ちなみにランチョンマットは私が随分前にプレゼントしたもの。家に着いた時にはテーブルの上にセッティングされていてとっても嬉しかったです

お酒好きなお父さんと差しつ差されつ語らい合っているうちに、お母さんがもう一品料理を作ってきてくださいましたこれ、何の天ぷらか分かりますか?右はヨモギで、左はなんとツワブキの新芽なのだそうですこれがまた美味しいのなんのって、天ぷら好きにはたまりません私が「美味しい~」と感動しながら天ぷらをパクパク食べていると、「農家のお楽しみよ」とニコニコしながらその様子を嬉しそうに眺めていたお母さん。その笑顔を見ながら、「あ~、私もいつかこんなステキな女性になりたいな」と思った35歳の私なのでした

こちらは松尾家の末っ子りんちゃん。とっても甘えん坊なんだけど、すごくお利口さんなワンちゃんです。翌朝私が目を覚ますと、すぐに気付いてペロペロとご挨拶をしにきてくれました。何度も来ているからすっかり覚えてくれているようです。もう10歳位になり老犬の域に入ってきたりんちゃん。どうかこれからも長生きしてね

来年度は今のお仕事を辞める事にしたので、松尾家にお手伝いに行ける回数も増えそうです。MY長靴も置かせてもらったし、これからまた楽しみが増えそうな予感何もない日常を意味のある毎日に変えて行けるように、日々楽しみたいと思います


3.11東日本大震災から1年

2012年03月12日 | いろんなお話

あの日から1年が経ちました。この1年間、被災地から遠く離れた長崎に住んでいる私は、テレビに映し出される被災地の映像からその甚大さと恐ろしさを想像し、被災者の方々の心情に想いを馳せ、涙を流すことも少なくありませんでした。しかし、体感するのと想像するのとでは雲泥の差があり、想像の中にリアリティは存在しません。そのせいか、時間の経過に伴い、震災の事を深く考えたり、家族や友人と震災について話したりする機会も徐々に少なくなっていったような気がします。

14時46分。被災地と同じように、ここ長崎でもサイレンが鳴り、1分間の黙祷を捧げました。現地で被災者支援に奔走する主人の兄嫁が記したSNS上の日記には、その時の心情が綴られており、現地には私には推し量る事のできない様々な想いや感情があるのだということを改めて気付かされました。私の中で震災の事を風化させないためにも、本人の許可を得てその日記をここに転記させていただきます。

 

今日、14時46分は街の中で迎えました。

時間が近づくにつれ、頭痛がしてきました。
そして、奥歯を噛み締めている自分がいました。

雑踏の中で黙祷…

涙ぐむ女性、黙り込む男性…足早にその場を立ち去る人。

音が一瞬消えました。

どんな感じでこの時を迎えるのか二、三日前から考えてました。

今、過ぎてみると心が軽くなるどころか次第に重くなるのを感じています。
日々の流れる時間と心の回復は関係なく、むしろ心が取り残されていく感じです。

私の性格もあるのでしょう。
でも、この気持ちを無理にあげようとは思いません。
深海に沈むこの感覚は大切にしていこうと思います。

 

 

昨夜は友人が関わっている震災復興チャリティーイベント『RAINBOW OF HOPE』に参加してきました。このイベントを通して、友人や同僚が様々な形で支援活動に携わっていることを知り、私の中に「私は震災とどう関わっていけばいいのだろう」という問いが生まれてきました。その問いに現地でのイベントや被災者の方々と関わっている兄はこう答えてくれました。

 

ただ、寄り添ってあげようという気持ちだけでいいのではないでしょうか?

 

実は誰も何もできない。でも寄り添ってあげようという気持ちを持つ事が大切なのだと。

リアリティーのある兄の言葉。確かにその気持ちさえ持ち続けていれば、震災のことを生涯忘れる事はないでしょう。その気持ちさえ持ち続けていれば、それが今回のようなチャリティーイベントへの参加やボランティア活動に繋がっていくかもしれません。

 

自分がその時々にできることをちょっとずつやっていこう。

2011年3月11日にあった出来事をずっと忘れない事が一番大事。


兄夫婦の言葉が、私に3.11とじっくりと向き合う時間を与えてくれました。震災直後から懸命に走り続けてきた兄夫婦の存在に感謝。兄夫婦を含め、被災地で懸命に生きる被災者の方々が、どうか一日も早く明るい笑顔と震災前の日常を取り戻せる日が訪れますように。あの日のことを忘れないように、また来年の3月11日もこのブログに震災のことを記したいと思います


伊王島ドライブ(長崎県長崎市伊王島町)

2011年10月23日 | いろんなお話

本土と伊王島を繋ぐ伊王島大橋

野母崎ドライブの帰り道、ちょっとだけ伊王島へ寄り道してみました~

島の中には昭和6年に建立された馬込教会というゴシック様式の教会があります。中に入ってみたかったのですが、近くに駐車場がなかったため今回はスルー。島を一周しようと試みたのですが、やすらぎ伊王島の先で通行止めとなっており、それ以上先に行く事ができませんでした残念

仕方がないので、橋のたもとまで戻って左の脇道に入り、橋の下をくぐってみましょう

おぉ~、なかなか良い眺めです海もきれいだし、気持ちいい~

道の途中にはこのように車を停められる場所が数カ所あって、橋の下を行き来する船を眺めながらゆったりと過ごす事ができます。こういう場所、好きだなぁ今度はお弁当でも作ってお出掛けしてみようっと

ちなみにこの先も通行止めになっていて、島を車で一周することはできません。どうやら団地の中に車が入らないようにしてあるようです。歩行者や自転車だと通れるので、レンタサイクルを借りて島巡りをするのも楽しいかも知れませんね


熊野神社と宝円寺(長崎県大村市池田町)最終回

2011年10月14日 | いろんなお話

鴨の親子が湖畔をお散歩中~

熊野神社の入り口から少し諫早よりに戻った所に池田湖公園という公園があります。池田湖はもともと江戸時代に作られた農業用のため池なのですが、今では辺り一帯が公園として整備され、近所の人たちの憩いの場となっているようです。熊野神社で出会った大村の歴史にやたらと詳しいおじさんの話によると、宝円寺の代々の住職の墓石群が高速道路建設の際にこの湖畔に移されたというのですが、真相はいかにとりあえず、池田湖の取り囲む遊歩道を時計回りに廻ってみる事にしました~

 

遊歩道を少し歩くと、湖の中に突き出した小さな島を発見橋を渡って先の方まで行ってみると、これまた小さな祠がありました。しかしこれは水神様を祀っている祠のようで、残念ながら墓石群では無い様子。もう少し湖畔を歩いてみましょう~。

と、しばらくすると真新しい灯籠の奥に鳥居を発見鳥居には幸天神社と書かれています。そういえばおじさんの話の中にこの神社の名前が出てきたような…鳥居をくぐって奥の方へ入ってみると…

あーっ、宝円寺墓碑群って書いてあるおじさんが言ってたことは本当だったんだ~

傍らにはなんとも味のある観音様のお姿がおそらくこれらの観音様も元あった場所から移されたものと思われます。

こちらは六地蔵様かな?それぞれのお地蔵様の表情やたち姿に個性があってステキです

一方、左手にある壁面を見上げると、そこには新しい住宅が建ち並んでいます。歴史ある墓石達が私達現代人の都合でこんなに人目につかない離れた場所へ移されてしまったのです。

 

私は便利な高速道路の恩恵のみを受け、これまで道路ができる前に何があったかなんて考えてことすらありませんでした。この場所に立つと「古いものを破壊し新しいものを創造することばかり考えるのではなく、私達のご先祖様達が大切にしてきたものを次の世代に残していくことも同時に考えなければいけない」ということを感じずにはいられません。

この日はお天気が良くて、絶好のお散歩日和でしたこの池田湖公園の湖には野生のカモが泳ぎ、湖畔には遊歩道が整備され、さらには広場や東屋もあるので、お子さん連れでもお友達同士でも楽しめそうです。こんな公園が近くにあったら毎日お散歩したくなるだろうなぁ

池田湖を後にして帰路についた我々ですが、もう一か所寄りたい場所があったのでちょっと寄り道~その場所とは、山田の滝。おじさんの話では、この場所もかつてお坊さんが修行した場所なのだとか。入り口には山田神社と書かれた背の低い鳥居が立っていて、どうやらこの奥に滝があるようです。ではちょっくら鳥居の奥へ入ってみましょう~

しばらく山道を歩いていると、お社と石碑を発見

そういえばあのおじさん、この石碑の事も言ってたなぁ~なんて書いてあるかは読めませんが、この石の拓本を取って何が書かれているかを解読した人がいたとか、私の記憶が確かならそんな話を聞いたような気がします。

さらに先へと歩いて行くと、大きな岩がごろりと転がっていました。これが落ちてきたらちょっとした地震が起きるだろうな~

これもおじさんから聞いたお話ですけど、「池田山には黒い龍が棲み、山田の滝には白い龍が棲んでいる」なんて逸話もあるそうで、池田山と山田の滝はこの辺りを代表する二大パワースポットなんですって。あいにく私にはそのような力を感じる能力はないようで、パワーを感じることも龍の姿を目にすることもありませんでしたが、滝好きな私は新たな滝スポットを発見することができてとってもラッキーでしたこの日は先客があり、この後姪っ子のお迎えもあったので、滝の所まで行く事はできませんでしたが、また近々この場所を訪れたいと思います。その時はまた改めてこのブログで紹介しますね!

それにしても今回は見知らぬおじさんに最後まで導いてもらったなんとも不思議なドライブでした大村の歴史に興味のある方はぜひ熊野神社を訪れてみてください。あなたも神社仏閣を愛してやまないとっても物知りなおじさんに出会えるかも知れませんよ~

『熊野神社と宝円寺』(完)


熊野神社と宝円寺(長崎県大村市池田町)その3

2011年10月08日 | いろんなお話

お昼ご飯を食べた後はおじさんに教えてもらった大村市福重町にある妙宣寺』へ。

この妙宣寺は日蓮宗の寺院で、1602年に『仙乗院』として創建され、1614年にこの場所に移設され『深重山妙宣寺』と称するようになったのだそうです。

 

説明板によるとおじさんのお話の通り、1885年にこの妙宣寺の本堂が焼失した際に、廃寺となっていた池田山の『宝円寺』を買い受けこの場所に移築されたのだとか。

 

ここにはその当時の瓦などがそのまま保存されていて、当時の寺院の面影を少しだけ見ることができます。

ふと空を見上げると、龍を思わせるような雲が熊野神社で神社仏閣マニアのおじさんから池田山に住む龍の伝説を聞いたからか、私達の目にはこの不思議な形の雲が龍の姿に見えたのでした~

こちらはこの妙宣寺の墓地。小高い丘の上には日蓮上人の像が妙宣寺を見守るように立っています。すぐ側にはお寺が経営する保育園もあり、この辺りではかなり大きなお寺でした。檀家さんも多いのかな~

さて、お次は池田湖に移されたという宝円寺の墓石群へ向かいます。おじさんの言う通り、本当に墓石群はあるのでしょうか?

最終回へ続きます


熊野神社と宝円寺(長崎県大村市池田町)その2

2011年10月06日 | いろんなお話

熊野神社から見える高速道路

母と二人で熊野神社の境内を散策していると、一人の年配の男性に遭遇実はこのおじさん、ものすごい神社仏閣マニアで、「ここはもともと熊野神社ではなく、宝円寺というお寺だったんですよ」という所から話がどんどん広がっていって、この場所にまつわるお話をたっくさん教えてくださいましたこちらもそういうお話には興味があり、「そうなんですか~!」なんて頷きながらおじさんの話を興味深く聞いていたので、きっと話し甲斐があったのでしょうねついには境内を詳しい解説付きでくまなく案内してくださいました~

そのおじさんのお話によると、神社の本殿から階段を少し下った所にあるこちらの建物は、もともとは『宝円寺』というお寺の護摩堂、つまりお坊さんが修行する場所だったのだそうです。

 

その護摩堂の裏には石段があり、その石段を上った先には剣と龍の姿が刻まれた石碑がおじさん曰く、なんとこの池田山には「龍が住んでいる」と言う伝説があり、霊感の強い人はこの山に入るとその存在を感じるのだそうで、今流行の「パワースポット」らしいのです。かつてはこの場所に滝があり、お寺の僧侶たちが修行をしていたのだそうですが、現在その滝は水源が寸断され残っていません。

明治時代の廃仏毀釈によって廃寺となった宝円寺の本堂は、その後『妙宣寺』というお寺が火災によって消失した際に、そこに移されたというのです。

 

護摩堂の側にはいくつかの石像が残されていてます。表情に味があるなぁ~

階段の中腹にはこの辺り一帯に散在していた石仏が集められている場所があるというので、少し下ってみる事に。

そこにはおじさんの言う通り、千手観音像などたくさんの石仏が祀られていました。これらの石像は廃仏毀釈により破壊されたり散り散りになったもので、後にこの場所に収集されたのだとか。

こちらは六地蔵。苔むしてそのお顔を拝見する事はできません。お隣は道祖神かな?

立派な灯籠も残されています。すぐ目の前には倉庫のような建物があり、かつての風情は完全に損なわれてしまっています

頭が落ちてしまった石仏。なんだか悲しそう…おじさんのお話によると、宝円寺の重職のお墓は高速道路建設の際に池田湖の畔に移されてしまったのだとか。本堂は妙宣寺に、お墓は池田湖に、そして石仏達は一ヵ所に集められ…。さらに農道の傍らにある鳥居は二の鳥居で、一の鳥居はレストラン『いとう』の横にぽつりと立っているのだそう。かつての宝円寺の重職たちがこの有様を見たらきっと悲しむでしょうね。

こんな話がいつまでもつきない神社仏閣マニアのおじさん。なんと四国八十八ヶ所霊場は4周も廻ったのだそうです。すごいですよね~ちょっと立ち寄るつもりだった熊野神社でしたが、気がつくとおじさんと遭遇してから一時間以上経っていました。この後お昼ご飯を食べにいく予定だったので、おじさんにお礼を言ってから熊野神社を後にすることにしたのですが、階段を上り車に乗り込もうとすると、再びおじさんがバイクに乗って現れ、「妙宣寺まで案内しましょうか?」と。なんてサービス精神あふれるおじさんなのでしょう~きっとまだ話したい事がたくさんあったのでしょうねもうこれ以上お世話になる訳にも行かないし、正直かなりお腹も減っていたので、「ナビがあるから大丈夫ですよ~」とやんわりお断りして、おじさんとお別れしたのでした。

次回はおじさんに教わった妙宣寺を訪れます

その3へ続く


熊野神社と宝円寺(長崎県大村市池田町)その1

2011年09月29日 | いろんなお話

母と大村方面へドライブに行った時の事。レインボーロードという農道を大村方面へ向かっていると、大村ICの近くで道路に面した立派な鳥居を発見するとすかさず探検好きの母が「ここ!この神社いつも気になるんだけど行ったことないのよ~。ちょっと行ってみない?」と一言。実を言うと、私も以前からこの鳥居の存在に気付いてはいたのですが、近くに車を停める所が無いので毎回スルーしていたのです。母の話によると、この先に神社への登り口があるとのこと。うーん、なんだかステキな発見がありそうな予感ではでは、この鳥居の先にある神社を探しに行ってみましょう!

 

この鳥居を通り過ぎて少し行った所に『熊野神社』の案内標示を発見そこから右折して、上り坂をしばらく上っていくと…

熊野神社に到着~境内には真新しい小さなお社が建っていました。説明板によると、このお社は平成19年に建てられたものなのだそうです。この神社自体には約200年の歴史があり、中には当時の石造りの神社が納められているんですって

 

こちらは獅子舞を思わせる躍動的なお姿の狛犬さん達。こんな風に立ち上がっている姿はあまり見た事がありません。阿形の方は顔が崩れてしまっていますが、細かい所まで精巧に刻まれたその表情から、この神社が当時とても立派な神社であったことが伺えます。

高速道路やレインボーロードの整備に伴い参道が寸断されていたこの熊野神社。平成17年には車も通る事ができる裏参道が開通し、新しいお社が建てられた平成19年にはこちらの展望所も整備されたのだそうです。ここからは対岸の山並みを背景に大村市内を一望する事ができます。いい眺めだ~

辺りを散策していると、ヤブランがきれいな紫色の花を咲かせていました。しかもここのヤブランは先の方が白色。珍しい~

 

こちらはレインボーロード沿いにあった鳥居から繋がっている階段です。階段の両脇にそびえ立つ石垣もとっても立派「すごいね~!当時はかなり立派な社殿が建ってたんだろうね」なんて辺りをキョロキョロ見回しながら母と話をしていたら、さっきまで誰もいなかった境内に人影が階段の下の方に一人の年配の男性が立っていて、少しずつゆっくりと私達の方へ近づいてきます。実はこの後、このおじさんが私達のドライブの行き先を決定づけることなるのですが、さてはて、このおじさん一体何者なのでしょうか

長くなりそうなので今日はこの辺で。次回に続きまーす


被爆地ナガサキより

2011年08月09日 | いろんなお話

66年前の今日、8月9日午前11時2分、長崎に一発の原子爆弾が落とされました。死者は7万4千人を超え、今日までに亡くなられた被爆者の数は15万5千人以上にも上ります。この人類史上最悪とも言える出来事を風化させないよう、また人類が二度と同じ過ちを繰り返すことのないよう、長崎県内の小中高校では毎年8月9日を登校日とし、各学校で平和教育を行い、11時2分には各地で一斉に鳴らされるサイレンの音とともに、一分間の黙祷を捧げます。私が通った学校では、原爆により被爆した方々の写真を体育館に展示したり、戦争に関するアニメーションを放映したり、原爆の歌を歌ったり、実際に被爆者の方の体験談を聞いたりと、様々な平和教育が行われていました。写真の中には目を逸らしたくなるほど悲惨なものもありましたが、そのような教育があったからこそ、幼い頃から原爆の恐ろしさを認識し、核兵器は絶対に使ってはいけないという思いを今日まで持ち続けることができたのだと思います。

今日は旦那さんと一緒に10時35分から長崎市平和公園で行われる平和記念式典に参列しに行ってきました。私たちが着いた時にはもう満席で会場内には入れず、入り口付近に設置されていたモニターで式典の進行を見守りました。毎年長崎市長が行う平和宣言の内容に注目しているのですが、今年は3月11日の東日本大震災に伴う福島原子力発電所の事故にも言及し、核の利用について再度考え方を改めるべきだという警鐘を全世界に向けて発信してくれたと思います。(平和宣言の全文はコチラ→『平成23年長崎平和宣言』English →『Nagasaki Peace Declaration 2011』

今年の平和宣言文の中から一部抜粋してご紹介します。

 

福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました。

世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。

核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないでしょうか。核兵器が使われることはないと思い込んでいないでしょうか。1か所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはずです。

世界の皆さん、考えてみてください。私たちが暮らす都市の上空でヒロシマ・ナガサキの数百倍も強大になった核兵器の恐ろしさを。

人もモノも溶かしてしまうほどの強烈な熱戦。建物をも吹き飛ばし押しつぶす凄まじい爆風。廃墟には数え切れないほどの黒こげの死体が散乱するでしょう。生死のさかいでさまよう人々。傷を負った人々。生存者がいたとしても、強い放射能のために助けに行くこともできません。放射性物質は風に乗り、遠くへ運ばれ、地球は広く汚染されます。そして数十年にもわたり後障害に苦しむ人々を生むことになります。

そんな苦しみを未来の人たちに経験させることは絶対にできません。核兵器はいらない。核兵器を人類が保有する理由はなにもありません。

Many people once believed the myth of the safety of nuclear power plants, from some moment in the past to the occurence of the nuclear power station accident in Fukushima.

What about the more than 20,000 nuclear weapons in the world?

Do we still believe that the world is safer thanks to nuclear deterrence? Do we still take it for granted that no nuclear weapons will ever be used again? Now seeing how the radiation released by an accident at just a single nuclear power station is causing such considerable confusion in society, we can clearly understand how inhumane it is to attack people with nuclear weapons.

We call upon all people in the world to simply imagine how terrifying it would be if a nuclear weapon hundreds of times more powerful than the Hiroshima and Nagasaki atomic bombs were to be exploded in the sky above our cities.

While intense heat rays would melt human beings and anything else nearby, horrific blast winds would fling buildings through the air and crush them instantly. A countless number of charred bodies would be scattered among the ruins. Some people would hover between life and death, while others would suffer from their injuries. Even if there were survivors, the intense radioactivity would prevent any rescue efforts. Radioactive substances would be carried far away by the wind to all corners of the world, resulting in widespread contamination of the earth's environment, and in affecting people with a plague of health effects for generations to come.

We must never allow anyone in the future to experience such agony. Nuclear weapons are never needed. No reason can ever justify human beings possessing even one nuclear weapon.


1945年8月6日午前8時15分に広島にウラン型原子爆弾が投下され、そのわずか3日後の8月9日午前11時2分に長崎にプルトニウム型原子爆弾が投下されました。違う型の原子爆弾が使用されたのは、その破壊力を比較するためとも言われています。そのために20万人以上の人々が犠牲になったという事実を、皆さんはどのように受け止めるでしょうか。被爆者の高齢化が進み、生き証人が激減し、戦争の体験が語られなくなってしまおうとしている今、戦争を知らない世代である私たちがもっと戦争の歴史に関心を持ち、実際に起こった出来事と戦争の悲惨さを次の世代に伝えていかなければなりません。そのためには、長崎と広島だけではなく、日本全国の学校で平和教育が行われるべきだと思っています。それができないのであれば、せめて8月6日と9日には広島と長崎で起こったことについて家族や友人達と話をして欲しい。今年の宣言文の中で長崎市の田上市長が提言した『小さな原爆展』(詳しくはコチラ→『ミニミニ原爆展』)もぜひ全国に広がっていくといいなぁと思います。

平和な世界を築くためには、相手を憎むことではなく、歴史を知ることから始めましょう。知ることから学び、そして未来に向けて考えましょう。私自身もまだまだ歴史認識が浅いので、これからもっと世界のことに関心を持って勉強し、世界の人たちと平和について共に語り合える人間になっていきたいと思います。

どうか一日も早く世界の人たちが核の恐怖から解放される日が訪れますように。

被爆地ナガサキより、平和への祈りを込めて。


口之津の花火大会

2011年08月06日 | いろんなお話

7月17日(日)晴れ。この数日前、「口之津の花火大会に行ってみる?」という旦那さんのステキな提案に、当然のごとく「行く」と返事をした花火好きの私。前日から教員免許更新講習を丸二日間びっちり受けてぐったりだったけど、花火観賞は別腹!(って食べる訳じゃないけど)というわけで、夕方から南島原市口之津町まで花火を見に行ってきました~

諫早インター辺りくらいからだと、距離にして50km以上はあるので、途中にあるレストランでご飯を食べ、ドライブを楽しみながら、ちょうど花火が始まる20:30頃会場に到着。港の近くの駐車場はもういっぱいだったので、少し離れたところに車を止め、歩道からゆったりと花火を観賞しました

毎年、海の日を祝うために行われるお祭り『マリンフェスタinくちのつ』のフェナーレを飾るのが、この2000発の花火。よくよく見ていると、いろんな形の花火があるものです。

ひゅるるルルルル……ドーン

花火の美しさもさることながら、この音がたまらない

この辺りはよく見かける花火。風流ですな~

中にはこんな変わった花火も!

ニコちゃんマークに

お魚?

ハートマークに

円の形。

でもやっぱりこういうのが迫力あって好きだなぁ こんな風に大きな花火を見ると思わず

「た~まや~っ!」

って叫びたくなっちゃいます。

……ん?そういえば、なんで花火を見るときに「たーまやー」って言うんだろう?ネットで調べてみると、おもしろいことが分かりました。「玉屋」というのは江戸に実在した花火屋さんで、その玉屋と「鍵屋」という花火屋さんが、かつて現在の隅田川を挟んで上流と下流に分かれて花火の技を競い合っていた時にかけられていたのがこのかけ声なのだとか。それが今も一般的なかけ声として残っているのだそうです。なるほど。私たちは無意識のうちに江戸時代からこのかけ声を引き継いできたのですね。このかけ声のルーツを知り、自分たちの祖先との繋がりを感じることができて、ますます花火が好きになったkero-keroなのでした。失われていく文化もあれば、こうして自然と継承されていく文化もあるのですね。次回からは江戸時代の花火職人さん達に思いを馳せながら、このかけ声をかけてみようと思いますたーまやー!」「かーぎやー!」


今年も生まれました♪

2011年07月10日 | いろんなお話

昨年に続き、今年も我が家の外灯にツバメが巣を作り、4つの卵が無事に孵化しました 去年は私たちの引っ越しとほぼ同時期にやってきたので、(→『ツバメの子育て日記』)5月の半ばにはヒナ達の姿を見ることができたのですが、今年は約2ヶ月遅れの孵化となりました。というのも、今年も去年と同じように4月の頭頃から巣作りを始めたのですが、なぜかなかなか作業が進まず、いつの間にか途中で放棄してしまったのです。それ以来、親鳥の姿を見ることもなかったので、「今年はもう子育てを諦めてしまったのかなぁ」と思っていたら、なんと6月に入ってから再びツバメが戻ってきて巣作りを始めたのですその作業の早いこと早いことあっという間に巣が完成して、しばらくすると卵を温め始め、数日前に無事4羽のヒナ達が孵化したのです

親鳥が餌を運んで来ると、ヒナ達は我先に餌をもらおうと必死に口を開けます。そのぱっくりと開いた口は、顔の半分以上を占めるほどの大きさで、おとなしくしている時とはまるで別人…、いや別鳥。どうやらまだ目は見えてないらしく、親鳥がそっと巣にとまった時は全く無反応で、親鳥が一声「ピィ!」と鳴くと、急に「ヒィヒィ!」と鳴き声をあげながら一斉に口を開けます。時々私たちが玄関のドアを勢いよく開けると、親が来たのと勘違いするようで、一瞬だけ「餌ちょーだいアピール」をすることもあります。まだ自分で餌を獲ることができないので、親鳥が運んでくれる餌だけが唯一の栄養源。必死になるのも無理はありませんよね

餌をもらう時はとても元気なのですが、お留守番中のヒナ達は巣から下界を覗き込むように頭を垂れて、なんだかぐったりしている様子。早々に梅雨が開け、去年より早く訪れた真夏の熱波が彼らを襲っているようです。ただでさえ暑いのに、ヒナ達の体が大きくなるにつれて巣はギュウギュウになるし、熱はこもる一方。ちょっと心配だな~。ツバメは人間みたいに熱中症になったりはしないのでしょうか。この暑さがヒナ達の成長に影響しないかどうか、今年はその辺が気になります。どうか四羽とも無事に巣立ってくれますように


梅雨明け間近!?

2011年07月02日 | いろんなお話

今年の梅雨は本当によく雨が降りました どうやらその分梅雨明けも早いようで、南九州ではなんと昨年より20日ほども早く梅雨明けが発表されました。長崎では例年だと7月20日前後にようやく梅雨が明けるのに、最近徐々に雨が降る回数や量も減り、こちらも早くも梅雨明けの様相を呈してきました。

ここは長崎市の観光名所である眼鏡橋。この写真は6/7に母と訪れた時に撮ったものです。(気がつけばもう一ヶ月近く経ってるのね~)実は長崎では、5/21~6/12まで『ながさき紫陽花(おたくさ)まつり』と称して、眼鏡橋界隈の他、シーボルト記念館出島グラバー園などがたくさんの紫陽花の花で彩られ、薄暗い梅雨空の長崎の街を明るく色付けてくれます

長崎は雨が似合う街だと思う。梅雨時は中島川に架かるいくつもの石橋に雨が染みて、乾燥しているときより色がはっきりとするせいか、いつもよりその存在感が増すような気がします

長崎は紫陽花にとても縁のある場所で、市の花にも紫陽花が選ばれています。実は各地でよく見られる球状の紫陽花はセイヨウアジサイと呼ばれ、日本原産のガクアジサイをヨーロッパで品種改良したもの。今ではセイヨウアジサイの方をよく見かけるようになりましたが、紫陽花の原種はもっと素朴で花もずっと小さいんです。それが品種改良が繰り返され、豪華なものが好きな西洋人好みの姿に変わっていったと言う訳です。異国情緒あふれる長崎の街にはぴったりの花ですよね

長雨の中、しっとりとした美しさの漂う長崎の街。今年はもう紫陽花の時期は過ぎてしまいましたが、梅雨時の長崎もなかなか味があっていいですよ~

さて、梅雨が明けたらまた暑い暑い夏がやってきます。夏休みの計画を練り練りせねば~♪今年の夏も楽しむぞ~


お誕生日おめでとう!

2011年05月11日 | いろんなお話

よっぽど居心地が良かったのか、お母さんのお腹の中からなかなか出てこなかった甥っ子君。出産予定日から約二週間後の昨日、ようやく私たちの前に姿を現してくれました(むっちゃん、本当にお疲れさまでした!)体重3650gのとっても元気な男の子です この写真を撮った時は、外の世界に出てきてからまだ一時間くらいしか経っていなかったのですが、その体つきはしっかりとしていて、辺りをキョロキョロと見回しながら、ふわふわと柔らかそうな手足をしきりに動かしていました。きっと目はまだよく見えてないんだろうけど、その瞳はちゃんと光を捉えているようです。

それにしても、こんなに大きな赤ちゃんがついさっきまでお母さんのお腹の中に入っていたなんて、なんだか信じられません。子どもが生まれるって当たり前のことのようだけど、決して当たり前ではないのですよね。こうして普通に生まれてくることがどれほど奇跡的なことか、歳を重ね、人の出産を目の当たりにする度に、強く感じるようになりました。私もこうして生まれてきたんだなぁと思うと、3人も子どもを生んでくれた母の存在がますます偉大に感じられます。

shoくん、0歳のお誕生日おめでとう よくぞこの世界に生まれてきてくれました。みんなが君の誕生を心から祝福しているよ。お母さんのお腹の中で元気に成長してきたように、これからもすくすくと元気に大きくなってね!おじいちゃんもおばあちゃんも、おじさんもおばさんも、君の健やかなる成長を祈っています。そしてもうちょっと大きくなったら、おばさんと一緒にたくさん遊ぼうね!その日が来るのをとても楽しみにしているよ~♪

kero-keroおばさんより


歳神社と久山城山公園(長崎県諫早市久山町)

2011年04月27日 | いろんなお話

お星様のようなハナニラの花

春はウォーキングの季節。週末は我々夫婦も近所をウォーキングすることが多くなりました。今日はそのウォーキングコースの途中にある歳神社城山公園をご紹介します

車で通る度に気になっていたこの真新しい鳥居。奥に神社があるのは分かっていたのですが、車で通るには幅が狭く、この奥に入るのをずっとためらっていました。しかし、歩いて行けば話は別!せっかくなので、この機会に神社の境内を散策してみましょう

鳥居の先には線路が通っていて、そこを渡ると神社の境内に入って行きます。どうやら鉄道を建設する時に参道を寸断せざるを得なかったようです

再び大きな鳥居が現れました こちらの方は随分年季が入っていそうです。

さらに階段を上ると、その先にも鳥居が

なかなか立派な鳥居ですが、あちらこちらが補強されていて、まさに満身創痍といった感じ。古いものを大事に保存したいという氏子の皆さんの気持ちが伝わってくるようです

説明板によると、この歳神社の歴史は1592年にさかのぼり、「イナゴが大発生した時に連日連夜虫除けの祈願をしていたところ、ご利益があり稲が豊かに稔った」とか「塩田が開かれた際、堤防がしばしば破損し大きな被害を受けたため祈願したところ、その後は被害を免れた」などの由緒があるそうです。ちなみに「歳(とし)神社」とは五穀豊穣を司る神様なんですって

お社はこの通りなかなか立派な佇まい 古くからある神社らしく、独特の風格を漂わせています。こういう静かな森の中にひっそりと佇む神社って好きだなぁ

 

さらに城山公園を目指して神社の脇にある階段を上って行きます。標識に書いてある「十二支公園(戌)」という言葉が気になり、ちょっと調べてみたのですが、どうやら諫早市内には子から亥まで12カ所の「十二支公園」があり、その中の1つがここ城山公園のようなのです。しかもどこもあまり人目に付かない辺鄙な場所に造られているのだとか そういうの大好き~ これは他の十二支公園も訪ねてみなければっ

道すがら、ヒメハギの花を見つけました 何度見ても可愛いなぁ

お!頂上が見えてきたぞ~

城山の頂上に到着~ 頂上にはちょっとした広場があり、テーブルやベンチが設けられていました。この時はもう既に散っていましたが、桜の木もたくさん植えられていましたよ

広場のまん中にはお地蔵様や小さな祠などが奉られています。長い間この山の上から久山の町を見守ってきたのでしょうね

普段はあまり人目に付くことのない公園でひっそりと咲く花々たち。彼らは人に見られるために咲いているのではなく、命を繋ぐために生きているんだなぁ。真っ赤なサツキの花やヤブツバキの花がとても印象的でした

遠くを見渡すと、思い出がたくさん詰まった我が母校の姿も。う~ん、やっぱり地元はいいですな この日はちょっとお天気が悪かったけど、距離的にもちょうどいいウォーキングとなりました。お天気の良い日はお弁当を持ってきて食べてもいいかも 最近ステキなお弁当箱をゲットしたので、お弁当作りにもちょっと気合いが入っているkero-keorなのでした 他の十二支公園の場所も調べて、このブログでご紹介したいと思いますので、今後ともどうぞお楽しみに~


松本つつじ園(長崎県大村市東大村)

2011年04月24日 | いろんなお話

数年ぶりに母と一緒に大村にある松本つつじ園に行ってきました 大村の鈴田峠からレインボーロードという農道に入って少し行くと、みどりの園病院の方へ右斜めに入っていく道があります。そこから右折して標識の通りに行くと、このつつじ園があります。最近はそのすぐ先にwaranaya cafeというカフェがあったり、松本つつじ園の看板も出ていて、以前と比べると随分と分かりやすくなりました

今回6~7年ぶりに訪れてみたのですが、その変わり様にびっくり もともとは個人の所有地で、無料で公開していたし、駐車場も少ししかなかったのですが、その評判が評判を呼び、規模もどんどん拡大していったようで、駐車場もお花畑も何倍も大きくなっていました。その代わり、入場料が500円(高校生以上)取られるようになってしまいましたが、そのくらい払っても見る価値有りです

入り口も以前とは違う場所になっていて、その斜面にはたくさんのサツキの木が植えられていました。この辺りは五分咲きくらいかな~

ツツジやサツキの数もさることながら、圧巻なのはこのシバザクラ 階段を上った先に一面に咲き誇る色とりどりのシバザクラの景観には、私を含め誰もが歓声を上げていました

サツキとシバザクラのコラボレーション サツキも上の方はほぼ満開でしたよ~

園内には丸太のベンチがいくつも設置されていて、このベンチに座りながらゆったりと目の前に広がるお花畑を観賞することができます。

こちらは下の段のお花畑。木陰にもベンチが設けられていて、シバザクラのお花畑を眺めながらおしゃべりをしたりお弁当を食べたりと、皆さんがそれぞれの時間を楽しんでいるようでした 目の前の景色がこんなに美しいと、お尻に根っこが生えちゃいそう!

日当りの良い場所にあるサツキは、驚くほど元気一杯に花を咲かせていました

驚くのはこの瑞々しい無数の蕾たち。こんなに隙間なく蕾が付くなんて、隅々まで手入れが行き届いている証拠です 自宅で植物を栽培したことがある人なら、こんなにたくさんの花を美しく咲かせることがどんなに難しいか分かるはず。土に適量の肥料が適切に施され、適切なタイミングで剪定されなければ、こんなに形良く、こんなに見事に花が付かないのです。その労力を考えれば、500円という入園料は決して高くはありません。

サツキの木の合間にはこのような小道が設けられており、木々の間を縫うように歩くことができます。ここを通っているとき、『千と千尋の神隠し』に出てくるあるシーンを思い出しました。千尋がハクに導かれて花の中を走り抜けるシーン。確かあの中には同じツツジ科のシャクナゲが咲いていたような…。まさにあんな感じでした

一緒に行った母もとても感動していたようです 今度はお父さんも連れてきてあげなきゃね

それにしてもこの花の数、一体いくつくらいあるんだろう 星の数ほどありそうですよね

サツキにもいろんな色や種類があるんですね~ ここだけポッコリと飛び出していたのがたんこぶみたいでちょっと気になっちゃいました

とにかく見ているだけでも心がほっとする風景。このままずっと眺めていたいなぁ~。シバザクラはすでに所々枯れかけていましたが、サツキやツツジはまだまだこれからが見頃だと思います。まだご覧になったことのない方はぜひ訪れてみて下さいね ただし、ここは元々観光目的で造られた施設ではなく、途中の道も狭く、マイクロバス等で来ても入園できないということなので、来園される際にはくれぐれもお気をつけ下さい。(詳しくはコチラ松本ツツジ園)土日は特に混雑するようですので、可能であれば平日に訪れることをお勧めします