1862年(文久2年)、江戸でコレラが大流行し本因坊家内でもコレラ患者が続出した。秀策は秀和が止めるのも聞かず患者の看病に当たり、当人が感染しそのまま34歳で死去した。
この年御城碁が中止され消滅した。なお、本因坊家では秀策の看病によりコレラによる犠牲者は秀策以外は1人も出さなかった。
(Wikipediaより抜粋)
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新型コロナウイルスの影響で世界中が騒然となっています。
江戸末期にはコレラが大流行し、本因坊秀策も感染して逝去。秀策が立派なのは身を挺して、門人の看病に当たったことでしょうか。
碁の実力だけでなく、他者をいたわる気持ちが人一倍あったようですね。
県内の囲碁大会・囲碁教室などは軒並み休止、関係者もお手上げの状態です。
嵐が過ぎ去るのを静観するのみか・・・。
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