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ゲストハウス・プリ / Guest House Puli

日月潭、廬山温泉、合歓山(登山)等へ向かう拠点になる町≪埔里≫で生活する日本人オーナーの個人日記。

霧社事件で亡くなられた日本人たちの墓標がひっそりと存在しています。

2016年05月17日 | 日記
(『桃太郎さん』)



【霧社事件概要/ウィキペディアより】
1930年10月27日に(日本が台湾を統治していた時代)、霧社セデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの村の300人ほどが、霧社各地の駐在所を襲った後に霧社公学校の運動会を襲撃した集団殺人事件。襲撃では日本人のみが狙われ、約140人が殺害された。


【当時の霧社事件で犠牲になった日本人のお墓/以下写真左の2人は下山夫妻。】


日本の戦争敗戦で霧社からも日本人が撤退した時には、『霧社事件』で亡くなられた日本人の墓地が残っていましたが、後にこの地に介入して来た中国人たちによって上記墓石は粉々に破壊されてしまいました。下山夫妻は破壊される前の夜中にこっそりと墓石の頭部分を外して自宅に隠し持ち、長年にわたって保管してくれていました。
下山さんたちは、その後『第二の霧社事件』で移住した川中島付近にある眉原に移り住みました。この『墓標』は現在下村夫妻の娘さんたちの手によって『眉原』地区で大切に保管されています。切り取られた『墓標』は『桃』のような形をしている事から、『桃太郎さん』と親しみを込めて呼ばれています。

【下山さん一家】



下山ご夫妻の娘さんが墓石に私たちを案内してくれました。


この日は、現在私の宿に宿泊中の知合いの娘さんが同行してくれました。

(下山さんと記念撮影)


中国人たちから隠れて墓石を守っていただいた事、私は一日本人として本当に嬉しくなりました。

コメント (3)
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