群馬ケンミンのひとりごと2

群馬に住むケンミンが県内の出来事やイベント・鉄道旅行などを紹介しています。

斎藤喜博

2014-11-23 11:17:00 | 群馬の話題
今日は、勤労感謝の日です。お疲れ様です。


↑今年、世界文化遺産に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の1つである「田島弥平旧宅」(群馬県伊勢崎市境島村)のすぐ近くに伊勢崎市立境島小(さかいしましょう)学校があります。

↑境島小学校の校章には、桑の葉、繭、蚕蛾が描かれ、養蚕の生産が盛んだったことがわかります。この島小学校には、かつて斎藤喜博が校長として勤務していました。

斎藤喜博は、現在の群馬県玉村町出身。小中学校の教師を経て、戦後は民主主義教育の指導者として組合活動にも携わり、推されて群馬県教組の文化部長にもなりました。1952年に41歳で群馬県南端の利根川を挟んで本校と分校に分かれていた佐波郡島村の島小学校(現・伊勢崎市立境島小学校)という小さな学校の校長となり、11年間、「島小教育」の名で教育史に残る実践を展開しました。

その後、近隣の境町立境東小学校で1年、町で最も大きな境小学校(現・伊勢崎市立境小学校)で5年間校長を務めて実践を発展させ、1969年に59歳で定年退職しました。島小時代には毎年授業と行事(合唱、体育発表、野外劇等)を中心とした公開研究会を開き、計8回の公開研に全国から1万人近い教師、研究者が参加しました(wikipediaより)。


↑太宰治の「走れメロス」は、現在は、中学校2年で勉強するのですが、境小学校では、5・6年生の国語の副教材として勉強しました。

斎藤喜博の実践を目指して努力する教師が多数現れました。

百マス計算の隂山英男さんも、青年教師だった時に斎藤喜博の著書を読んで教育への情熱を掻き立てられたと書いています。

↑境島小学校の体育館に掲げられている「一つのこと」(作詞は斎藤喜博)。小学校の卒業式で歌われました。

世界遺産「田島弥平旧宅」を訪れましたら、ぜひ、境島小学校も外から校章をご覧になってみてはいかが?

では。


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