確か筒井康隆のエッセイに書いてあったと思うのだが、筒井の細君は筒井の書くものを狂人の書いたものと思っているので一切読まないとか。
本棚にあった筒井康隆の本を久しぶりに手に取ってみたのですが、確かに狂気に満ちていて狂人の書いた小説。でも本当の狂人ではこういう狂気に満ちた小説は書けないだろうな。
昭和50年前後に書いた小説の短編集ですが、今となっては恐ろしくて出版社もそのままでは出版できないようなもの。いろいろと抗議反発があるとマスコミは軋轢を避けるために怪しい言葉を禁句として、あれこれ書き換えしなければいけないという状況については筒井は激しく反発して断筆宣言までしているのだが、この本が書かれた当時はまだまだそこまで事態は進展しておらず、大丈夫かと思ってしまうほどのことをバンバン書いてある。何やら騒乱の70年代の気配を思い起こしてしまいます。
ところでこの文庫本の解説は「走る取的」についてだけ書いているのですけど、私が読んだ印象では、この「走る取的」はスピルバーグのデビュー映画の「激突」を筒井流に換骨奪胎したパロディ。解説に「激突」について全く触れていないのは如何。多くの筒井作品にあるように、最初は日常のごくさりげない出来事なんですが、徐々にそれがエスカレートしていき、常識では考えられないような狂気の世界に突入していき、最後は破滅するというパターンなのですが、徐々にエスカレートしても、どこかで踏みとどまるのが日常。その日常を突き抜けるか否かはほんの少しの分かれ目と思えるところが、あり得るかもしれないという現実味を醸し出すのでしょう。
この狂気は人間の表に出していない心の奥に誰しも持っているもので、こうやって顕わにされるとひそかに喜びを感じてしまうのは悲しい性か。ちなみに私の友人は高校生の時に図書館で「霊長類、南へ」を借りるときに司書から高校生がこんな本を読んでいいのかと散々嫌味を言われたとかで憤慨していましたが、確かに不道徳かつ猥褻で狂気に満ちた内容ですが、だからこそ面白い本だったという記憶です。今読んでも十分に読めるのですが、今では普通には読めない本だろうか。
一緒に写っているのは、椎名誠の「麦の道」。椎名誠の高校1年生時代の自伝的小説。椎名は私より10歳上だが、高度成長真っ最中の日本は社会全体の上昇過程でほとんど解決されていったのだが、実態は騒々しくて荒々しい時代だったのだろう。高校生でも闘いの日々でバチバチと眼を飛ばして殴り合っていたというのは、私の高校時代とは隔世の感があります。ただ、下町の中学校は私が1年生の時はまだまだ荒れていて、教師はなめられないように暴力教師と言われようとなんかあると生徒を殴っていたし、トイレのドアは全部どこかしら穴が開いていた。栄などに行くときにはいつカツアゲされるかもわからないので、お金は札を靴下の中に隠して行くのが生活の知恵だった。そんな雰囲気がもっと強烈に漂っていた時代を彷彿とされる小説でした。
本棚にあった筒井康隆の本を久しぶりに手に取ってみたのですが、確かに狂気に満ちていて狂人の書いた小説。でも本当の狂人ではこういう狂気に満ちた小説は書けないだろうな。
昭和50年前後に書いた小説の短編集ですが、今となっては恐ろしくて出版社もそのままでは出版できないようなもの。いろいろと抗議反発があるとマスコミは軋轢を避けるために怪しい言葉を禁句として、あれこれ書き換えしなければいけないという状況については筒井は激しく反発して断筆宣言までしているのだが、この本が書かれた当時はまだまだそこまで事態は進展しておらず、大丈夫かと思ってしまうほどのことをバンバン書いてある。何やら騒乱の70年代の気配を思い起こしてしまいます。
ところでこの文庫本の解説は「走る取的」についてだけ書いているのですけど、私が読んだ印象では、この「走る取的」はスピルバーグのデビュー映画の「激突」を筒井流に換骨奪胎したパロディ。解説に「激突」について全く触れていないのは如何。多くの筒井作品にあるように、最初は日常のごくさりげない出来事なんですが、徐々にそれがエスカレートしていき、常識では考えられないような狂気の世界に突入していき、最後は破滅するというパターンなのですが、徐々にエスカレートしても、どこかで踏みとどまるのが日常。その日常を突き抜けるか否かはほんの少しの分かれ目と思えるところが、あり得るかもしれないという現実味を醸し出すのでしょう。
この狂気は人間の表に出していない心の奥に誰しも持っているもので、こうやって顕わにされるとひそかに喜びを感じてしまうのは悲しい性か。ちなみに私の友人は高校生の時に図書館で「霊長類、南へ」を借りるときに司書から高校生がこんな本を読んでいいのかと散々嫌味を言われたとかで憤慨していましたが、確かに不道徳かつ猥褻で狂気に満ちた内容ですが、だからこそ面白い本だったという記憶です。今読んでも十分に読めるのですが、今では普通には読めない本だろうか。
一緒に写っているのは、椎名誠の「麦の道」。椎名誠の高校1年生時代の自伝的小説。椎名は私より10歳上だが、高度成長真っ最中の日本は社会全体の上昇過程でほとんど解決されていったのだが、実態は騒々しくて荒々しい時代だったのだろう。高校生でも闘いの日々でバチバチと眼を飛ばして殴り合っていたというのは、私の高校時代とは隔世の感があります。ただ、下町の中学校は私が1年生の時はまだまだ荒れていて、教師はなめられないように暴力教師と言われようとなんかあると生徒を殴っていたし、トイレのドアは全部どこかしら穴が開いていた。栄などに行くときにはいつカツアゲされるかもわからないので、お金は札を靴下の中に隠して行くのが生活の知恵だった。そんな雰囲気がもっと強烈に漂っていた時代を彷彿とされる小説でした。
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